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2020年02月02日

高校入試

先日の中学入試に引き続き、高校入試を迎えた。
例によって私は本部詰め。
中学入試と同じルーチンなので、今回はスムーズに仕事が進む。

一つ違いがあるとすれば、今回は中3が高校入試を受ける、ということだ。
彼らは、自分たちが普段使っている教室で、高校の先生監督の下、ちょっとだけ緊張して試験に臨む。

世の中3生と比べたら、とても楽に高校入試を迎え、基本的にそのまま進学できるのだから、中高一貫はありがたいだろう。
その分、私立学校では中学校の学費がかかる。

高校入試は、かつては15歳にとっての大きなプレッシャーとされたが、昨今の進学率98.8%(平成30年度)、もはや全入時代。
どこかの高校には進学出来るわけで、高校の義務教育傾向がますます進んでいることになる。

一方で、「勉強したくない高校生」が大量に出現し、もはや「自ら学ぶ」という高校本来のスタイルからはかけ離れたものになっている。

私の学校でも、「高校へ行くのは当たり前」になってしまったので、当然、学力不振者もいる。
それでも、何とかモチベーションを高めさせて、各自の将来の職業選択の幅が狭くならないように、いろいろな方策を採っているのである。

終了後、私が担当している生徒たちに、「どうだ、できたか?」、などと尋ねてみた。
嫌らしいといえば、嫌らしいのだが、成績を集計する立場にある私は、直接採点することもない。
どれだけの緊張感があるかを、肌で感じてみたかったのである。

「信じられません。2人、入試だというのに遅刻してきたんです。」
中3の担任が叫ぶ。

そのうちの一人に、声を掛けてみた。
「入試当日に遅刻したんか?」
「いやぁ、集合時間から始まるまで長過ぎですよ。だから、始まるまでトイレに行っていたんです。」

緊張感のかけらもなかった…。

中高一貫校は、こんなものなのかも知れないが、「親の心知らず、教師の心知らず」、ということだろう。

願わくば、彼が高校上級生担ったとき、
「高校入試なんて何でもないよ。俺なんか遅刻扱いされたくらいだし…。」
などと、豪語することのないように、ますます彼に愛を注がねばならないのだろうな。

入試は人生の節目の時。

自らの人生をかけて奮闘している高校3年生の姿を見習って欲しいものだ。




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2020年02月01日

高校の卒業式

高校の卒業生が一ヶ月後に近づいてきた。
学年が変わり、会場に入らなくてもよくなったし、割り当てられた係分担が警備なので、もしかしたら校舎外の外回りかも知れない。それはそれで良い。

一方、卒業式後には簡単な謝恩会がある。
保護者主催のもので、生徒と親と先生とその他学校関係者が参加する。
毎年私は、これには参加しないで逃げ回っているのだが、どうやら今年は、参加せざるを得ないようだ。

先日発表された式次第に、記念品贈呈の招待先生の中に、私の名前があったのである。
「中学担任」、とのことだが、三年前の卒業生のときは、これはなかった。
座席も指定され、また舞台にも上がらなければならず、これは逃げられなくなった。

「仕方ない…。彼らの卒業を祝福してやるか…。」
と、私は半ば諦めかけている。

程なく、保護者会から 招待状が届いた。
いよいよ逃げられなくなった…。

私にとっての彼らの卒業式は、3年前に終わったと思っている。
ときおり校舎内で見かけ、そのたびに「丹澤先生」、と高い声を掛けてくれるが、そういう彼らとの別れも近い。
別れの苦手は私は、「消えるように、静かにいなくなってくれればいい…」、と願うばかりだ。

もちろん、今生の別れというわけでもないので、そんな大げさなことではなかろうが、6年も一緒にいると情が湧く。

私立の学校には、中1から高3まで同じ担任というシステムの学校があるそうだが、そうなったら、別れはかなり苦しかろう。

高3のある生徒が私に語りかける。
「丹澤先生、もうすぐ俺ら卒業ですよ。」

その言葉の裏には、いろいろな意味がある。
「本当にこれでお別れですよね。お世話になりました。」
という思いと、
「先生、僕たちの成長を見ていて下さいよ。」
という自負。

中学を卒業してからなお、慕ってくれるのは嬉しいが、その分、別れが辛くなるのだ。
だから、表には出たくないと、思い続けていたのだ。

卒業式当日、私は彼らにどんな声を掛けてればいいのだろうか。

例年、訪ねてくる卒業生には、ただただ握手をするだけだ。
何かを話せば、涙が溢れてくる。

今は、それで十分だと思っているのだが…。

2020年01月31日

中3の授業

中3の授業

中3の数学では、数TAの総復習をしている。
例年は、数UBまでガンガン進んでいたのだが、昨今の学力のレベル低下を鑑み、ちょっと咲きの内容に触れることはあっても、基本は数TAでとどめることにしたのだ。

今は、センター試験前段階の問題を解いている。

授業では、久しくやっていなかった、一人ひとりに板書して説明させる。
あらかじめ、担当問題を決め、順番に前で解説するのだ。

詳細解答は配っていないのだが、皆、きちんと解いてくる。
自分自身でノートに解く以上に、細かなところのツメや準備が必要となるはずだ。
彼らは、図をかいたり、公式を書いたりして、四苦八苦しながらも説明している。

その様子を見ながら、
「中3の三学期にして、ここまで来たか…。」
と、私としては、感慨深いものがある。

系列校への高校入試を数日後に控えているので、本来は中学分野の総復習をすべきなのだろうが、それは各自に任せ、淡々と授業を進めている。
自分以外の問題も解いておかないと、試験前に困るので、各自必死でもある。

高校入学後は、原則数UBからスタートし、数TAは、授業では扱われなくなるのだ。
一年間の前倒しだが、数TAは、中2の三学期から始めているので、時間的には結構余裕はある。

これまで、難関高校の入試問題や思考力を養う宿題を出してきたが、今年の中3のクラスは、今ひとつノリが悪い。
「解けた人だけ提出!」、と指示すると、ほんの数人しか持ってこない。

いろいろと工夫をしながらもやらせてみたが、提出率があまり高くないので、宿題の教材を変えてみたのだ。

授業でも解き、併せて担当問題を責任持って解いてくる、というスタイルの方が、彼らにはフィットした。

さらにより一層の実力アップには、この先どんな方策を採るべきか思案中ではある。
中学の三年間、私が担当し、それなりの実力はつけることが出来たとは思うが、まだまだ伸びしろはるに違いない。

「丹澤先生は、高校生になったら俺らを担当しないんですか?」
と、聞かれれば、
「三年やったら、もういいでしょう。」
と答えることにしているが、私も新たな刺激が欲しい、というのが本音でもある。

週に5回とはいえ、卒業までの授業数が、いよいよカウントダウンできるほどになった。

お互い後悔なく、中学課程を修了させたい…。




2020年01月30日

入学金の重み

入学金の重み

私立学校には入学金が必要だ。
学費とは別に、入学時に支払うものだ。
だが、この入学金が支払えずに、私立への進学を諦める人もいる。

ある学校の中学入試。
成績優秀な小学6年生のT君は。何としてもその学校に入りたかった。
だが、家庭の事情、いわゆる金銭問題で、受験ができない状態にあったのだ。

T君の家庭は、夫婦が離婚し、今は母親が育てている。
母親の収入で、私立学校に進学させるのは、なかなか難しいことだ。
だから、希望する私立中学校への進学は諦め掛けたのだが、T君は行動を起こした。

離婚した父親のもとを訪ね、入学金を出してもらうようお願いしたのである。

だが、父親は承諾しなかった。
しかしT君は諦めなかった。

次にT君は、祖母の元を訪ねる。
母方の祖母である。
同じように、入学金をお願いした。
入学金は30万円である。

昨今の社会情勢では、金銭的に余裕のない人が多い。
私だって、「はい30万払って下さい」、と言われれば、どうやって金策するか。
そして、その後の返済はどうするか。
などと苦悶するに違いない。

祖母は、「お金は出せない」、と応えたと言う。

結局、T君は、その私立学校を受験することはできなかった。
昨今は、成績優秀生徒の学費が免除させるシステムを導入している学校も多いが、自分がその特待生に選ばれる保証はない。もちろん、たいていの場合、入学金は免除にならない。

私立学校には、なかなか表沙汰にはならないが、本当に金策に苦労してなお、夢を追いかけて入学してくる生徒がいる。

そうした生徒たち一人ひとりを、全力でサポートするのは、当然のことだろうし、そうやって入学してきているという生徒の存在を忘れてはならないだろう。

いつしか、教師は偉くなくなった。
サラリーマン化した。

だが、家庭状況までをも思い量りながら、教育活動をしている先生たちは、尊敬されていくだろう。

「ひとたび入学させたならば、学校としてできることは、何でもします。先生たちにも、全力でサポートしてもらいます。簡単に追い出すことは、絶対にしません。」

この校長の言葉の重みの背景には、そんな事情がある。

2020年01月29日

大雨の朝

前日の雪が、いつの間にか雨になり、嵐になった。
暴風雨の中での犬の散歩をするのは、やはりおかしい。
何と言っても、まだ1月なのだ。
久しぶりのレインコートの登場である。

犬たちは、雨風に負けず、楽しそうに歩いている。
時々、ブルブルっと体を震わせ。雨粒を払っている。

私は、早く戻りたいな…、と思いつつも、しばし彼ら自由にしている。

そんな激しい雨も、散歩が終りしばらくすると上がってしまった。
午後からは日も差し、夕方には晴れた。

西の空には三日月が出ている。
そのそばに宵の明星が輝く。

夕方の散歩時に、久しぶりに、犬のリードを外してみた。
愛犬P太は、ここぞとばかりに走り回る。
「毎日、こんな風に自由にさせてあげたいな…」、とも思う。

「学校生活をしている生徒たちも、時々は、こんな風にリードを離してみたらどうだろう…。」
ふと、そんなことを考えた。

「リードがストレスの原因になっていなければいいな…。」
とも思う。

昨日、グランドの積雪を避けるために、大きなビニールシートを2枚、バッターボックス付近に敷いた。

だが、今朝の大雨で、グランドは全面たまりになったであろう。
もはやシートを敷いた意味はない。
それどころか、シートの下に水が入り込み、天気になっても乾かないという、最悪の状態になりそうだ。

次の練習日の2日後にどうなっているか…。

「シートも風で飛ばされて、荒れ放題になっているかな。」
外部のグランドなので、見に行かなければ分からない。

山でも雨になり、ようやくオープンを期待されたスキー場のゲレンデは、無残にも芝が出たという。

山を見ても、4月半ば頃の雪景色。

『いつもどおり』であることが、いかに大切であるかが、分かる…。




2020年01月28日

模試の受け方

ベネッセの学力水調査を実施したので、終了後、自己採点をした。

自己採点を始めるに際し、私はあるクラスに語りかけた。
「模試のために、勉強しましたか?」
すると、控えめかも知れないが、大半の生徒が、「あまりしていない…」、と言う。

「これから自己採点をしますが、やっぱり模試はある程度勉強して受けた方がいいです。採点して、やっぱり自分は頭が悪い、と自分自身にすり込んでしまう人がいますが、勉強しないで模試を受けて、それで点が低くて、その上、自虐的になっても、何もいいことはありません。言ってみれば、お金を払って、自分の成績の悪さを確認するという、愚かなことをしてしまうわけです。」

彼らの表情がさっと変わった。
「もう終わってしまったので、今回の模試についてはどうしようもありませんが、次回以降、同じ過ちを繰り返さないようにしてください。」

しばらく自己採点をしている中で、暇そうにしている見つけたので、また、全体に語りかけてみた。

「採点して、解答を赤朱書き写して、それで勉強したつもりになっている人、いませんか。それではやり直したことにはなりません。今回、お金を払って、いい問題の載っている問題集を買ったんです。その問題集を解き直し、実力をつけていくのが、解き直しの目的ですよ。」

またしても、彼らの表情が変わった。
今まで、こうした模試の受け方を教わってこなかったのかも知れない。

その後、必死にやり直しをしている生徒が増えたのは、このクラスが素直な生徒の集まりだから、だろう。

私は、模試の問題も試験範囲に入れる。
さらに、やり直しを求めるのためだ。

やりっ放しではもったいない。

正式な結果は、一月ほど待たねばならない。
その結果に、学校は一喜一憂するのだが、それは教員側というか、学校の事情だ。

生徒たちには、『今』与えられた環境を大切にしてもらいたい。

勉強することは、地味な作業だが、そのこつこつとした努力の積み重ねが、将来の彼らを形作る。

そのことは、私が身をもって体験している。

「もっと、勉強すればよかったな…。」
と、思いつつ、今からでも遅くないと、少しやってみる。

やっぱり、私は怠け者だった。



2020年01月27日

お母さんが帰ってきた

学年の母である学年主任が帰ってきた。
しばらくインフルエンザでお休みしていたのだ。

「学年にはお母が必要だ」、ということが、とてもよく分かった。

私は、一応「お父さん」、ということになっているが、役立たずで何もしないので、いてもいなくても変わらない。

だが、お母さんは違う。
このところの、学年内で起こったいろいろな事件も、母のパワーがなくなっていたから起こってしまったと言ってもよいだろう。

私が今、居候させていただいている学年は、主として女子の問題が多い。
学年主任が女性だから、女子生徒のいろいろな思いを引き寄せているのかも知れないが、それを一つひとつ丁寧に解決していく様は見事である。

以前、お母さんと二人で、ある学年の担任団を組んだことがあったが、本当に頼りがいのある方なのだ。

「おはようございます。」
明るく爽やかな、学年の打ち合わせの第一声。

久しぶりに聞いた。
またまだ、本調子でないのだろうが、元気そうに振る舞っている。

「How are you?」、と聞かれたら、「I'm fine!」と答えるのだ、とは教えられているが、私にはそういう嘘はつけない。

先日も同僚に、「最近元気?」、と聞かれたので、「元気じゃない!」、と答えた。
それでも、満面の笑顔だけは忘れなかった。

『楽しく幸せだから笑顔なのではない。笑顔でいるから、楽しく幸せにナルのだ。』
と、聞いたことがある。

その意味では、私は楽しく幸せを取り逃がしているのだろう。

学年のお母さんは、一日中奔走し、またいつもの『母』に戻っている。

この情熱は、おそらく使命感によるものだろう。

果たして、私ができることは何だろうか。

役立たずのぐうたら父さんは、今日も、のほほんと生きている…。




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