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2020年02月17日

質問タイム

卒業生の野球部指導の最後に、中学生から彼らに質問させることにした。
二人いるので、一人それぞれ1問まで。

私が指導するより、よほど積極的に学び、言うことを聞き、素直に真剣にプレーしているので、きっと質問を作れると思ったのだ。

結果は大正解。
質問タイムは大いに盛り上がった。

講演会なのでも、質疑応答時間があるが、ここが盛り上がらないと、結局、講演修了後の後味が悪くなるものだ。質問はよく聞いている証拠。
授業だって、質問がないようでは、生徒たちが主体的に取り組んでいるとは言えまい。

彼らの質問は実践的で、普段の練習で悩んでいることばかりだった。
裏を返せば、私が大して指導をしてこなかったということでもあるが、一方で、ここ二日間は意識して、目的意識を持って練習したと言うことでもある。

彼らが答えたアドバイスは、そのほとんどが私がかつて教えた内容であり、それを高校野球の実践を通して、昇華させたものである。

この質問タイム、当初10分くらいを想定していたが、なかなか盛り上がって、結局30分以上かかり、昼食時間に遅れてしまうほどたった。

中1の生徒が、
「丹澤先生、野球部にもコーチをつけてください。」
という。

そうなれば私も助かる。

以前は毎日のように面倒を見てくれる方がいた。
その方がいなくなり、別の若手の先生にお願いしたこともあるが、結局彼らは野球を知らない人で、指導までには及ばなかった。

今は、野球経験者が名前を連ねてはいるが、別の部活の正顧問でもあるので、試合の時にちょっと顔を出してくれる程度だ。

この二日間、手取り足取り教えてもらって、本当に嬉しかったのだろう。
そういう意欲的な練習が、技術と精神力の進歩をもたらす。

私も、「もう少し技術指導を増やさねば…」、と思った。
「彼らは、まだそのスタートラインにすら立っていない」、と思いつつ、自らの怠け心に負けていたのだろう。

教わったことを自分でやってみる。
上手くいかないので、また工夫してみる。
そうした試行錯誤の中の、悪あがきが、時に急成長を生む。

面白い時代に入った…。





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2020年02月16日

いつまでも終わりたくない時間

この春就職する卒業生が訪ねてきた。
彼らは私の教え子。
担任こそはしていなかったが、中高野球部で、中学時代は私が関わった。

土曜日の昼に来て、二日間、野球部の面倒も見てくれた。
選手たちの評判はすこぶる良かった。

何のおもてなしもできなかったが、彼らは私の隠れ家に泊まった。
今の学年団として生徒の面談をするのも、これが最後でもあるので、生徒の希望というのも面白いと思ったのだ。

今の学校に来て、卒業生と初めて酒を飲みながら語り尽くした。
彼らは、次から次へと思いを語るも、ほとんどは私の記憶が薄れていることばかりだった。
さすがに10年近く経つと、覚えていることは難しいようだ。

「13キロは走ったあとの、ノックは辛かったな…。」
(そんなことあったっけ?)
「でも、おかげで、高校野球の練習がつらくなかったんです。」
(ほうほう)
という感じで、がむしゃらだった私は、当時はとにかく、「彼らを勝たせよう」、と必死だったのだ。

ほとんど用具もなく、中高一人の顧問のもと、淋しげに練習している彼らに声をかけ、私が面倒を見ることになった。
「絶対に勝たせてやる。」
そう言って、顧問を引き受けた。

以来、単独チームのときは、必ずどこかの公式戦で勝たせている…。

彼らと語り合う時間は、実に楽しかった。
いつまでも、「この時間がいつまでも終わることなく続けばいいいい…」、とすら思った。

結局、深夜1時半頃、「そろそろ寝るべ… 」、打ち切った。
翌日も朝から練習があったし、彼らの朝食も作らねばならない。

私もいつもより遅く6時に起き、朝食の準備をしてから、愛犬の散歩に彼らを連れ出した。
昨晩は星が見えていたが、朝は、いつ雨が降り出してもおかしくない空になっていた。

「すっげ〜うまい。」
嘘でもそう言ってもらえると、何となく嬉しい。

「丹澤先生の家は、10人は泊まれますね。」
そんなたわいのない会話をしながら、朝食を楽しむ。

そして、私たちはまた練習に向かうのだった。




2020年02月15日

我が身の姿

去年は親父が亡くなったので、親戚が集まる機会が多かった。
彼らはだれもが老齢化し、私の記憶に残っている若かった頃の姿ではなかった。

私の弟ですら、その顔つきは中年のオヤジで、かつての精悍さは消えていた。
これにはショックを受けた。

これは、私自身の姿も、老いて醜くなっていることを意味する。

私は、写真を撮られるのが嫌いである。
自分は、他の人をお構いなくに撮影しているが、その被写体が自分自身の場合、その写真の残された私の姿が嫌なのである。

第一幸せそうでないし、見るからに醜い。
どうしても一緒に撮りたい、卒業生などからのせがまれたときには、精一杯の笑顔を作ってごまかす。

こんな風だから、私は、鏡を見るのも嫌いだ。

今の私の姿は、皺やしみだらけで、やはり醜いのだ。

人はこうやって朽ちていくのだろうか…。

そう考えると、生徒たちを初めとする若い人は、写真に撮っても輝いている。
その輝きの中から、私は生きる力をもらっているのかも知れない。

昨今、学校での私の仕事は減っている。
「私がやりますから…。」
と、かつて私が担当していたものが、消えている。

なんだか、まるで、私がいなくなっても困らないように準備をしているようにも見える。

ただ、おかげで、一年前よりは心身共に健康になった。
一方で、生徒との距離は大きくなった。
そして、そのことに抵抗を感じなくなった。

以前の私なら、担任でなくなることが断腸の思いであったはずが、今は、自分が担任をすることが想像できない…。

しかし、学校には貢献していない。
そして、仕事らしい仕事もしていない。

昨年、旧職の若手に、「丹澤先生、覇気がなくなりましたね」、と言われたが、本当にその通りだ。

静かに静かに、毎日を過ごしている…。

2020年02月14日

バレンタインデー

今年もバレンタインデーがやってきた。
いつの頃からか、日本では女性が男性にチョコレートを送るようになったが、お菓子業界としても、こうしたイベントは需要が高まりよろしかろう。

この日に合わせて、女子たちはチョコレート菓子作りに精を出す。

「これが食い物か…」、というレベルから、「お店で出せるんじゃねぇ」、というレベルまで、その技量は様々だが、この機に合わせて、彼女たちは腕を振るうのである。

担任もなくなったので、今年は女子生徒からの貢ぎ物が少ないかと思ったが、例年並みにチョコをいただいた。

一方で、女性の先生方も、この日には男性の先生たち全員にプレゼントする。
年中行事になったとはいえ、大変なことだ。
もちろん、ホワイトデーには、逆のことが起こる。

そんな中で、中1の男子生徒のG君が、私にチョコレート菓子を持ってきた。
「日頃お世話になっている感謝の気持ちを込めて…。」
と書いてあった。

「授業を担当しているだけで、何かお世話したかしらん」、と思ったが、確かに野球部には助っ人として練習に来ている。
プレーも下手くそだけど、なんだが一生懸命やっている姿は、微笑ましく思う。

助っ人として練習に出て、試合に出るメンバーは10人近くいるのだが、その中でも熱心な生徒の一人ではある。
そうした助っ人たちには、まずチームの帽子を渡す。
まずは、「帽子をもらえるか」が、熱心さの指標になっている。
そして、しばらく練習に参加したのとには、ユニフォームを与えている。
ユニフォームを着れば、もう他の野球部員と変わらない。

「そろそろG君にもユニフォームを渡さないといけないかな…。」
私はチョコレート菓子一つで買収されたようである。

彼のメッセージはさらに続く。
「喜んでもらえたら災いです。」
とあった。

「幸い」と「災い」の字を間違えたのだ。
意味は正反対になる。

このことを、G君に伝えるべきか否かは迷っているが、G君も、大人への階段を上りつつあることだけは事実だ。

彼がくれたのは昔懐かしのチョコボールだ。
さぞかし美味であろう…。

2020年02月13日

スポーツ大会

中学校のスポーツ大会を行った。
毎年、中3がリーダーシップをとって、中学全体で行うイベントである。

「彼らのリーダ体験樹御油です。先生方、どうか目をつぶって下さい。」
担任が職員打ち合わせ時に叫ぶ。

総合学習の発表会を週末に控える中、準備には大わらわだったに違いない。

私が授業を担当しているK君も、毎時間行っている小テストの勉強が十分でなかったので、
「スポーツ大会の準備でいっぱいいっぱいなんだろ…。」
と投げかけると、
「いや、あの…。」
とどもったあとに、
「そうです。」
と素直に認めた。

このスポーツ大会はK君がリーダーなのである。

朝の雨が心配されたが、昼前には晴れ渡り、春のような天気になった。
午後の2時間かけて行われたスポーツ大会は、大いに盛り上がった。

私は負傷者なので、遠巻きで見ていただけ。

「彼らもストレス発散になりましたね…。」
先生たちも満足そうだ。

ある中2男子が、
「中3が仕切るなら、俺、保健室で休みます…。」
などと豪語していたが、結局はグランドに出て、大いに身体を動かしていた。

今年の中2と中3は、あまり仲が良くない。

クラスでも、「どんな中3になるべきか」、を話し合わせても、
「今の中3がやっていることの反対をやればいい…。」
という意見が出る始末。
反面教師にしようというわけで、それはそれで、学びにはなる。

卒業が近づき、「最後には先輩らしいことをしてみたい…」、という思いで企画された企画されたイベントだが、一部のリーダーたちの育成には役立った。

いつもやんちゃで、ムードを壊す連中は、結局たむろして、だらだらしていたように見えた。
それでも、グランドに出て、何となく居場所を確保していた。

「よかったよね…。」
先生たちの評価は概ね良好である。

いつもは凍えるような寒さの中で行われるスポーツ大会だが、今年はゴールデンウィークのような陽気。

天気も一役買ったかも知れない。




2020年02月12日

チャイム着席

教務主任が職員会議で言う。
「最近、チャイム着席が出来ていないので、皆さんチャイムと同時に授業を始め、チャイムと共に授業を終えるよう、改めてお願いします。」

いつの間にやら、「生徒たちも先生たちもだらしなくなってきていた」、ということだ。
私の学校のチャイムが長い。
なり始めてから一分半くらいしないと終わらない。
だから、「先生、まだチャイムが鳴り終わっていませんよ…」、などと、自らの遅刻を正当化しようとする生徒も出る。

「体育の後は、たいてい遅れてくるんです。」
ある若手の先生が、会議で訴えた。

思うに、おそらくは着替えたとしても、次の授業に間に合うように体育の授業は終わっているのだ。だが、彼らは楽しい体育の余韻に甘え、のんびり教室に戻ってくるのだろう。
次の授業の担当者も、「まぁ、体育だったから仕方ないか…」、と半ば諦め、叱ることもしない。
そうした積み重ねが、どんどん時間にルーズになっていくのだと思われる。

体育の後が、厳しい先生の授業だと、みんなきちんと間に合っているのだ。

とかく教員人生は、若いと時でも遠慮しては駄目だ。
自分のポリシーは貫くべきだし、その積み重ねが、「筋の通った先生」、として生徒たちからも信頼を得る。

「教員主導ではなくて、生徒会をからめて、チャイム着席運動をしたらいいと思います。」
高校所属の先生は、たいていそういう流れにしようとする。
それも良いが、中学生にはある程度徹底させることも大切だと思う。
学齢期に併せたアプローチが大切だ。

チャイムが鳴っている最中に教室に走り込んできて、「セーフ」、などとちゃらけている生徒には、厳しく指導しなくてはならない。

そんなときに、
「○○君、遅れちゃ駄目だよ…。」
などと、甘い声を掛けても、教育効果は少ないのではないだろうか。

若手の先生が厳しく指導するのは、ハードルが高いのかも知れないが、確固たる自信と信念で、自分の思いを生徒にぶつけて欲しいと思う。

そうした思いのアタックが、時に生徒たちの心に響く。

教育にはそういう厳しさも必要だ。




2020年02月11日

球界の偉人、逝く

野村克也さんがあの世に旅立った。

私が野球に関わってから、いつも彼の言葉が私を励ましてくれた。

今の中高生は、たとえ野球に関わっていようと、今や、知る人は少ないようだ。
だが、日本の野球界をリードし、多くの無名の選手を育て、強豪チームと互角かそれ以上に戦う集団を作り上げたことは、球界史上永遠に刻まれる偉業だ。
私も、「こんな立派な人がいたんだよ…」、と野球部の生徒たちに伝え続けねばならないだろう。

野村氏は、あまり人を褒めなかった、というイメージがある。
彼の名言の一つに、『一流は非難。二流は称賛。三流は無視』というものがある。

プロ野球関係者の方々の弁だが、この理論でいくと、彼らは、「一流」であったか、「三流」であったのだ。野村氏の場合、一流の選手を獲得するのは難しかっただろうから、おそらくは「三流」と言われた選手たちが、努力に努力を重ねて、「一流」に登っていったということなのだろう。

私が野球に関わって、初めて知った彼の言葉は、『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』であった。

以前の勤務校で、野球部のお手伝いをしていたとき、監督をしていた先生が、生徒に熱く語った言葉に、そのフレーズがあった。

負けたときには、なかなか自分たちの責任を認めたくならないものだが、負けたときにこそ、その原因と対策を調べ、次に生かすべきであろう。これは野球に限らない。

時に、「審判のせいで負けた」、ということもあるのだが、それでもなお、「そうしたジャッジをされたとしても、それでも勝てるチームを作らなかった自分たちの責任がある」わけだ。

野村氏は、最近、「高校生を指導したい」、と話されていたそうだ。
「夢に向かって突き進むのは、とても楽しいことだ」、と語りながらも、そのまなざしは真剣だった。
私も、彼が高校生に指導し、成長してゆく姿を見てみたかった…。

王、長島時代に現役であった彼は、自らを「かすみ草」と例えた。
だが、その奥には、努力の継続によって裏付けられた確固たる自信があったに違いない。

弱いチームが強いチームを打ち負かすことができるのも、野球の醍醐味である。
そのためには、周到な準備と、洗練された戦略と、作戦を成功させんとする選手の強い気持ちが必要だ。

もう一度、彼の著作を読み返し、私の弱小チームからの成長の糧にしようと思う。

日本の野球界に多大の功績を残した野村氏の冥福を祈る…。




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