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2020年02月10日
グランドにて
柴犬系の雑種だと思うが、毛もぐちゃぐちゃ。あちらこちらに傷もある。
ケンカのあとなのだろうか。
そんな痛々しい姿の犬を連れて散歩している老人に声を「こんにちは〜」、と声を掛けた。
「いつ練習しているんだ。」
「木曜日以外の毎日です。」
野球部が借りている近隣のグランドの外周の路を歩いているのだから、地元の人である。
今までに見たことのない方であった。
「これは、ここの卒業生なんだ。その頃には珍しく体育館もあったんだぞ。」
このグランドは、廃校になった中学校の跡地にある。
私たちが使う前は、ススキが生い茂り、荒れた草原のようになっていたが、少しずつ草刈りしながら領域を広げているうちに、除染が入り、自治体が新たに整備してくれたのだ。
そんな廃校になったところで私たちは練習している。
彼らから見れば、子供たちの声が聞こえてくるのは嬉しいはずだ。
だから、いろいろな人が声を掛けてくる。
そばの工事現場の電気屋さんも来た。
「あれ、今日は工事が休みか…。」
そう、いいながらも野球の練習を見ている。
聞けば、息子も孫も野球をやっていたという。
「やっぱ、野球は楽しいからな…。」
と、サッカー人気を憂うように話をしていてくださった。
「最近は、エラーしても責めちゃいけないって言うじゃないか…。」
昨今の野球人口減少に、指導者側も厳しい指導ができなくなっている。
この人も、ここの中学校の卒業生だった。
個性尊重と言うけれど、野球はチームプレーなのだ。
そう思うと、私の指導もずいぶん優しくなった。
それでも、彼らの成長を見るのは面白い。
こうして地元のいろいろな方と話すのも面白い。
今やなくなってしまった中学校の跡地のグランドで、また若人たちが野球をやっている。
薄暗くなって、片付けを始めようとした頃、一匹の狸が走り去った。
自然と共生しているグランドでもある。
ケンカのあとなのだろうか。
そんな痛々しい姿の犬を連れて散歩している老人に声を「こんにちは〜」、と声を掛けた。
「いつ練習しているんだ。」
「木曜日以外の毎日です。」
野球部が借りている近隣のグランドの外周の路を歩いているのだから、地元の人である。
今までに見たことのない方であった。
「これは、ここの卒業生なんだ。その頃には珍しく体育館もあったんだぞ。」
このグランドは、廃校になった中学校の跡地にある。
私たちが使う前は、ススキが生い茂り、荒れた草原のようになっていたが、少しずつ草刈りしながら領域を広げているうちに、除染が入り、自治体が新たに整備してくれたのだ。
そんな廃校になったところで私たちは練習している。
彼らから見れば、子供たちの声が聞こえてくるのは嬉しいはずだ。
だから、いろいろな人が声を掛けてくる。
そばの工事現場の電気屋さんも来た。
「あれ、今日は工事が休みか…。」
そう、いいながらも野球の練習を見ている。
聞けば、息子も孫も野球をやっていたという。
「やっぱ、野球は楽しいからな…。」
と、サッカー人気を憂うように話をしていてくださった。
「最近は、エラーしても責めちゃいけないって言うじゃないか…。」
昨今の野球人口減少に、指導者側も厳しい指導ができなくなっている。
この人も、ここの中学校の卒業生だった。
個性尊重と言うけれど、野球はチームプレーなのだ。
そう思うと、私の指導もずいぶん優しくなった。
それでも、彼らの成長を見るのは面白い。
こうして地元のいろいろな方と話すのも面白い。
今やなくなってしまった中学校の跡地のグランドで、また若人たちが野球をやっている。
薄暗くなって、片付けを始めようとした頃、一匹の狸が走り去った。
自然と共生しているグランドでもある。
2020年02月09日
卒業生からの電話
スマホに卒業生からの着信があった。
正直に言うと、登録されていない着信番号は、ネットで調べることにしているので、最初は卒業生だということが分からなかった。
「ネットでは検索されないなぁ…」、と思っていたところ、今度は家の電話がかかってきた。
「今、携帯に電話したか?」
第一声がそんな風になってしまった。
野球部の教え子である。
中学野球、高校野球を経て、大学生となり、この4月からは札幌に就職するという。
久しぶりの卒業生の声は嬉しかった。
私は、ぎっくり腰が続き、元気ではないのだが、今週末に友人を連れて、隠れ家に泊まり、私に会いに来るという。
私としては、何をどう、もてなして良いのか分からないが、出来る範囲で歓迎してあげようと思う。
きっと何か、お互いの学びがあるだろう。
「野球部指導最初の年の教え子たちで、私には言いたいことがたくさんあるのだろうな…。」
と思う。
以前彼らに、高校卒業時、
「中学の時は、殺されるかと思いましたよ。」
と言われたことがある。
「その甲斐あって、高校野球を続けられた」、と続くのだが、私自身、「そこまでだったか…」、と驚いた。
その頃は私も若かった。
先日、学校に、退任された高校野球部監督の連絡先を教えて欲しい、という連絡があった。
早速、前監督に尋ねてみると。「知っている教え子だ」、ということになり、連絡先を伝えた。
聞けば、県下の野球強豪校に入ったが、人間関係で上手くいかず、結局退学。
その後、前監督の勤務校に再入学し、野球部で指導した、と言うのだ。
親子共々、前監督を人生の恩人として、尊敬しているそうだ。
その前監督が、いよいよ現役を退任するとの新聞記事を見て、いても立ってもいられなくなったとのことだ。
「野球を通して、真の教育者だった方なのだなぁ…」
と、改めて尊敬する。
私など、その足元にも及ばない。
ただただ、若いときは勢いで、そして今は、惰性でやっているだけのように思える。
卒業生と会って、私も何かしらの刺激を受けたら、明日への活力になるのかも知れない…。
正直に言うと、登録されていない着信番号は、ネットで調べることにしているので、最初は卒業生だということが分からなかった。
「ネットでは検索されないなぁ…」、と思っていたところ、今度は家の電話がかかってきた。
「今、携帯に電話したか?」
第一声がそんな風になってしまった。
野球部の教え子である。
中学野球、高校野球を経て、大学生となり、この4月からは札幌に就職するという。
久しぶりの卒業生の声は嬉しかった。
私は、ぎっくり腰が続き、元気ではないのだが、今週末に友人を連れて、隠れ家に泊まり、私に会いに来るという。
私としては、何をどう、もてなして良いのか分からないが、出来る範囲で歓迎してあげようと思う。
きっと何か、お互いの学びがあるだろう。
「野球部指導最初の年の教え子たちで、私には言いたいことがたくさんあるのだろうな…。」
と思う。
以前彼らに、高校卒業時、
「中学の時は、殺されるかと思いましたよ。」
と言われたことがある。
「その甲斐あって、高校野球を続けられた」、と続くのだが、私自身、「そこまでだったか…」、と驚いた。
その頃は私も若かった。
先日、学校に、退任された高校野球部監督の連絡先を教えて欲しい、という連絡があった。
早速、前監督に尋ねてみると。「知っている教え子だ」、ということになり、連絡先を伝えた。
聞けば、県下の野球強豪校に入ったが、人間関係で上手くいかず、結局退学。
その後、前監督の勤務校に再入学し、野球部で指導した、と言うのだ。
親子共々、前監督を人生の恩人として、尊敬しているそうだ。
その前監督が、いよいよ現役を退任するとの新聞記事を見て、いても立ってもいられなくなったとのことだ。
「野球を通して、真の教育者だった方なのだなぁ…」
と、改めて尊敬する。
私など、その足元にも及ばない。
ただただ、若いときは勢いで、そして今は、惰性でやっているだけのように思える。
卒業生と会って、私も何かしらの刺激を受けたら、明日への活力になるのかも知れない…。
2020年02月08日
中2立志式
今年も立志式が行われた。
さすがチームワークのよい中2学年。
生徒たちの発表も立派だった。
私の学校では全員が、壇上で1分ずつ志を発表する。
全員が発表すると、一時間以上はかかるのだが、一人ひとりの発表はどれも新鮮で、思いが込められ、感動を生むスピーチとなった。
誰もが共通していることがある。
それは、「単に○○になりたい…」にとどまらず、その置くに利他の精神がある。
つまり、「世の中に役に立つために、○○をしたい」、「困っている人を助けるために、○○になりたい」、という具合だ。
これまでの教育の成果なのだろうが、そうした心の奥深くにある奉仕の精神、愛の心が、聞く者にも感動を与えている。
このところ立志式では、生徒たち全員の幼少期の写真が映し出される。
これは、保護者にお願いして、生徒たちには内緒で写真を提供してもらい、サプライズとして流しているものだ。
だが、これを見ると、親たちの愛が伝わってくる。
このベストシーンの写真を撮るときの保護者の気持ちが、写真から伝わってくるのだ。
次々と映し出させる写真を見ると、その思いがどんどん大きくなって、涙が溢れてくるのだ。
「こうやって大切に育てられたお子様たちを、私たちはお預かりしているのだ。」
と思えば、さらに襟を正さねばなるまい。
そしてその後、生徒全員に親からの手紙が渡される。
これも、生徒に内緒で親に書いてもらったものだ。
おそらくは、親から子供への愛が詰まった文面で綴られているのだろう。
「ここまで大きく育ってくれてありがとう。私たちに愛を与えてくれてありがとう。」
そんな文で溢れているに違いない…。
そして、一人ひとりの発表と続くのである。
午前中の総合学習の発表といい、立志式の発表といい、いずれも大変立派なものだった。
講評でも、校長も涙ながらに語る。
最後に、学年合唱。
昨年の秋から折に触れて歌っているが、今回のハーモニーが一番良かった。
歌は、親への感謝の思いが込められている。
その思いは、保護者に確実に伝わっている。
役立たずの私は、ひたすら写真撮影。
今日も、大して役には立てなかった…。
さすがチームワークのよい中2学年。
生徒たちの発表も立派だった。
私の学校では全員が、壇上で1分ずつ志を発表する。
全員が発表すると、一時間以上はかかるのだが、一人ひとりの発表はどれも新鮮で、思いが込められ、感動を生むスピーチとなった。
誰もが共通していることがある。
それは、「単に○○になりたい…」にとどまらず、その置くに利他の精神がある。
つまり、「世の中に役に立つために、○○をしたい」、「困っている人を助けるために、○○になりたい」、という具合だ。
これまでの教育の成果なのだろうが、そうした心の奥深くにある奉仕の精神、愛の心が、聞く者にも感動を与えている。
このところ立志式では、生徒たち全員の幼少期の写真が映し出される。
これは、保護者にお願いして、生徒たちには内緒で写真を提供してもらい、サプライズとして流しているものだ。
だが、これを見ると、親たちの愛が伝わってくる。
このベストシーンの写真を撮るときの保護者の気持ちが、写真から伝わってくるのだ。
次々と映し出させる写真を見ると、その思いがどんどん大きくなって、涙が溢れてくるのだ。
「こうやって大切に育てられたお子様たちを、私たちはお預かりしているのだ。」
と思えば、さらに襟を正さねばなるまい。
そしてその後、生徒全員に親からの手紙が渡される。
これも、生徒に内緒で親に書いてもらったものだ。
おそらくは、親から子供への愛が詰まった文面で綴られているのだろう。
「ここまで大きく育ってくれてありがとう。私たちに愛を与えてくれてありがとう。」
そんな文で溢れているに違いない…。
そして、一人ひとりの発表と続くのである。
午前中の総合学習の発表といい、立志式の発表といい、いずれも大変立派なものだった。
講評でも、校長も涙ながらに語る。
最後に、学年合唱。
昨年の秋から折に触れて歌っているが、今回のハーモニーが一番良かった。
歌は、親への感謝の思いが込められている。
その思いは、保護者に確実に伝わっている。
役立たずの私は、ひたすら写真撮影。
今日も、大して役には立てなかった…。
2020年02月07日
続・ぎっくり腰
結局、欠勤することになった。
ぎっくり腰がさらに悪化し、ほとんど動けなくなったのだ。
一番のミスは、初動の失敗。
身体が冷えているからだろうと、がんがんに暖めたのだ。
確かに、ぎっくり腰になるときは、たいてい冬の時期。身体が冷えているに違いない。
だが、今朝になってネットで調べてみると、
「お風呂も湯船に浸かってはいけない。ぎっくり腰の初期は、とにかく冷やすこと。暖めると、痛みが増す」、とあった。
時すでに遅し…。
結局ベットから起きるのがさらに困難になり、学校を休んだ。
幸い授業も一コマだけで、迷惑も少ない。
午前は、保冷剤で徹底的に冷やして、午後からは、「動かないと治りが遅くなる」、とのことで、少し動くようにした。
部活は休みにしたがが、犬の散歩には高校生を連れて出掛けた。
運転時間は10分にも満たないので、運転席に座ることも何とか耐えられる。
愛犬の散歩で、強く鎖を引かれると危険なので、たいていは高校生を連れて行く。
私は小屋でえらの準備をしながら待つ、という具合だ。
ふと不安になったことがある。
「今は周りに生徒たちが大勢いるが、いざ一人でクラス用になったら、もしかしたら孤独死かぁ…」。
そういう心配をしているうちは、大丈夫なのだろうが、本当に必要なのは、犬のためのカメラではなく、私自身の生存確認のためのカメラなのかも知れない、とも思う。
人生100年時代とすれば、ようやく折り返し地点を過ぎたに過ぎない年齢だが、ここ数年、体力にはめっきり自信がなくなった。
腰が痛いと、何となく気分も滅入ってしまい、何だか、どこもここも調子が悪くなるようにも思える。
「丹澤先生、大丈夫ですか?」
と、皆に尋ねられても、
「大丈夫ではありません。」
としか答えられない。
私は、「I'm fine.」、とは言えないひねくれ者だ。
皆が声を掛けてくれる。
「丹澤先生、無理をなさらないで下さい。立志式は大丈夫ですから…。」
優しいお声かけだが、一方で、「つくづく自分は役立たずだなぁ」、と改めて思う。
ぎっくり腰がさらに悪化し、ほとんど動けなくなったのだ。
一番のミスは、初動の失敗。
身体が冷えているからだろうと、がんがんに暖めたのだ。
確かに、ぎっくり腰になるときは、たいてい冬の時期。身体が冷えているに違いない。
だが、今朝になってネットで調べてみると、
「お風呂も湯船に浸かってはいけない。ぎっくり腰の初期は、とにかく冷やすこと。暖めると、痛みが増す」、とあった。
時すでに遅し…。
結局ベットから起きるのがさらに困難になり、学校を休んだ。
幸い授業も一コマだけで、迷惑も少ない。
午前は、保冷剤で徹底的に冷やして、午後からは、「動かないと治りが遅くなる」、とのことで、少し動くようにした。
部活は休みにしたがが、犬の散歩には高校生を連れて出掛けた。
運転時間は10分にも満たないので、運転席に座ることも何とか耐えられる。
愛犬の散歩で、強く鎖を引かれると危険なので、たいていは高校生を連れて行く。
私は小屋でえらの準備をしながら待つ、という具合だ。
ふと不安になったことがある。
「今は周りに生徒たちが大勢いるが、いざ一人でクラス用になったら、もしかしたら孤独死かぁ…」。
そういう心配をしているうちは、大丈夫なのだろうが、本当に必要なのは、犬のためのカメラではなく、私自身の生存確認のためのカメラなのかも知れない、とも思う。
人生100年時代とすれば、ようやく折り返し地点を過ぎたに過ぎない年齢だが、ここ数年、体力にはめっきり自信がなくなった。
腰が痛いと、何となく気分も滅入ってしまい、何だか、どこもここも調子が悪くなるようにも思える。
「丹澤先生、大丈夫ですか?」
と、皆に尋ねられても、
「大丈夫ではありません。」
としか答えられない。
私は、「I'm fine.」、とは言えないひねくれ者だ。
皆が声を掛けてくれる。
「丹澤先生、無理をなさらないで下さい。立志式は大丈夫ですから…。」
優しいお声かけだが、一方で、「つくづく自分は役立たずだなぁ」、と改めて思う。
2020年02月06日
ぎっくり腰
またしてもぎっくり腰になった。
ここ10年来、時々再発し、そのたびに苦しんでいる。
今回は、ぬか漬け。
冷蔵庫に入れて、しばらく放ったらかしにしていたので、久しぶりにかき混ぜ、それを最下段の野菜室に入れたところ、電気が走った。
「しまった。またやってしまった…。」
と思っても、もう遅い。
今回の症状は、これまでのぎっくり腰の中で、一、二を争うほど重症だ。
まず、寝返りができない。
寝返りしようと身体を動かすと、激痛が走る。
それが、7秒ほど続き、全身動けなくなる。
思わず叫びたくなる痛さだ。
昨晩は、これがずっと続いた。
そうなると心配なのが、犬の世話。
普段は4時半に起きて、隠れ家まで車を走らせ、散歩に出掛けるのだが、今朝はさらに早く起きた。
起きたというよりも、痛くて眠りが浅かったと言って良い。
ベットから青き上がるのに十数分、靴下を履くのに五分以上かけ、老骨に鞭打って散歩に出掛けた。
今朝になって、ネットで調べてみると、「ぎっくり腰は冷やす」、とあった。
「しまった、暖めてしまった…。」
遅ればせながら、冷蔵庫から保冷剤を取り出し、椅子と腰に挟むようにして冷やす。
朝になったら、激痛の時間は5秒程度になった。
「一、二、三、四、五」、と数えると痛みが和らぐのである。
「今日は、一日静かにしていよう!」
と、決意した朝である。
先日からの左手に痛さに、腱鞘炎の疑いもある中、さらにダメージを受けた。
これも加齢によるもの、なのだろう。
朝、高校生のY君が、私を心配して見に来てくれた。
彼は、中学生の時から、私がぎっくり超しになると、介護をしてくれている。
「あ、生きていますね…。」
と笑って。安心して去って行った。
私も経験値が増し、ぎっくり腰の時の対処の仕方を学んでいる。
以前のように、欠勤するようなことはしない。
それでも、授業はけっこうつらい…。
ここ10年来、時々再発し、そのたびに苦しんでいる。
今回は、ぬか漬け。
冷蔵庫に入れて、しばらく放ったらかしにしていたので、久しぶりにかき混ぜ、それを最下段の野菜室に入れたところ、電気が走った。
「しまった。またやってしまった…。」
と思っても、もう遅い。
今回の症状は、これまでのぎっくり腰の中で、一、二を争うほど重症だ。
まず、寝返りができない。
寝返りしようと身体を動かすと、激痛が走る。
それが、7秒ほど続き、全身動けなくなる。
思わず叫びたくなる痛さだ。
昨晩は、これがずっと続いた。
そうなると心配なのが、犬の世話。
普段は4時半に起きて、隠れ家まで車を走らせ、散歩に出掛けるのだが、今朝はさらに早く起きた。
起きたというよりも、痛くて眠りが浅かったと言って良い。
ベットから青き上がるのに十数分、靴下を履くのに五分以上かけ、老骨に鞭打って散歩に出掛けた。
今朝になって、ネットで調べてみると、「ぎっくり腰は冷やす」、とあった。
「しまった、暖めてしまった…。」
遅ればせながら、冷蔵庫から保冷剤を取り出し、椅子と腰に挟むようにして冷やす。
朝になったら、激痛の時間は5秒程度になった。
「一、二、三、四、五」、と数えると痛みが和らぐのである。
「今日は、一日静かにしていよう!」
と、決意した朝である。
先日からの左手に痛さに、腱鞘炎の疑いもある中、さらにダメージを受けた。
これも加齢によるもの、なのだろう。
朝、高校生のY君が、私を心配して見に来てくれた。
彼は、中学生の時から、私がぎっくり超しになると、介護をしてくれている。
「あ、生きていますね…。」
と笑って。安心して去って行った。
私も経験値が増し、ぎっくり腰の時の対処の仕方を学んでいる。
以前のように、欠勤するようなことはしない。
それでも、授業はけっこうつらい…。
2020年02月04日
反抗期のY君
中3にY君がいる。
心臓に疾患があり、入学当初、一切の運動が禁止であったため、中1、中2と私が担任をすることになった生徒だ。
今はY君も、状況が改善し、他の生徒とほとんど変わらない日常生活を送ることが出来ているのだが、最近、やや甘えの心が芽生えてしまったようだ。
まず、いろいろな場面で、与えられた仕事から逃げるようになった。
また、クラスでの学習会にも参加しない。
そんな風だから、勉強に対する取り組みも、あまり積極的ではない。
中2の前半までは、母親にべったり、だったので、少し遅れた反抗期とも言えるだろう。
担任も手を焼いており、先日も、私の数学の授業中をまるまる使って、説教をしていた。
これまで、すべてにおいて健康を優先し、わがままをすべて聞いてしまったことへの、ささやかな抵抗。大人への階段とも言える。
皆と同じに活動できなかったことは、苦しく悲しかったに違いない。
インフルエンザが流行れば、母親が長期にわたって学校を欠席させたりもした。
親は、子供を守るために、ありとあらゆる手段を講じたのだろうが、それを子供は、「愛」とは思えず、「抑圧」や「管理」と感じていたのかも知れない。
それと、思春期の反抗期があいまって、今のY君がある。
「今が、自立の時だ。早く目覚めよ。早く気づけ…。」
と、私は祈るようにして彼を見ている。
ある意味、時を待つしかあるまい。
つまり、彼自身の成長を待つのだ。
中学の卒業式までに、吹っ切れる、かどうかは分からないが、今は見守る時期だ。
ふと、「私が担任だったらどうするかな…」、と考えてみた。
たぶん、抵抗しようが、反発しようが、厳しく叱って、当たり前のことを当たり前にやらせるのだろう。
それが良いかどうかは分からないが、以前の私だったら、必ずそうしていたはずだ。
「今は見守るしかない」、などと他人ごとのように思えるのも、クラスや学年を離れたからだ。
少しおおらかになった。
だが一方で、少し無関心にもなっている。
心臓に疾患があり、入学当初、一切の運動が禁止であったため、中1、中2と私が担任をすることになった生徒だ。
今はY君も、状況が改善し、他の生徒とほとんど変わらない日常生活を送ることが出来ているのだが、最近、やや甘えの心が芽生えてしまったようだ。
まず、いろいろな場面で、与えられた仕事から逃げるようになった。
また、クラスでの学習会にも参加しない。
そんな風だから、勉強に対する取り組みも、あまり積極的ではない。
中2の前半までは、母親にべったり、だったので、少し遅れた反抗期とも言えるだろう。
担任も手を焼いており、先日も、私の数学の授業中をまるまる使って、説教をしていた。
これまで、すべてにおいて健康を優先し、わがままをすべて聞いてしまったことへの、ささやかな抵抗。大人への階段とも言える。
皆と同じに活動できなかったことは、苦しく悲しかったに違いない。
インフルエンザが流行れば、母親が長期にわたって学校を欠席させたりもした。
親は、子供を守るために、ありとあらゆる手段を講じたのだろうが、それを子供は、「愛」とは思えず、「抑圧」や「管理」と感じていたのかも知れない。
それと、思春期の反抗期があいまって、今のY君がある。
「今が、自立の時だ。早く目覚めよ。早く気づけ…。」
と、私は祈るようにして彼を見ている。
ある意味、時を待つしかあるまい。
つまり、彼自身の成長を待つのだ。
中学の卒業式までに、吹っ切れる、かどうかは分からないが、今は見守る時期だ。
ふと、「私が担任だったらどうするかな…」、と考えてみた。
たぶん、抵抗しようが、反発しようが、厳しく叱って、当たり前のことを当たり前にやらせるのだろう。
それが良いかどうかは分からないが、以前の私だったら、必ずそうしていたはずだ。
「今は見守るしかない」、などと他人ごとのように思えるのも、クラスや学年を離れたからだ。
少しおおらかになった。
だが一方で、少し無関心にもなっている。
2020年02月03日
雨降って地固まる
野球部の練習中、私は頻繁に全員を集合させる。
練習がマンネリ化しないためでもあり、また、全体への技術指導や指示の徹底のためである。
和気藹々とするのはいいのだが、いざという時には、しまりのある行動が取れなければ、そうした甘い習慣は、緊張した場面や試合中に現れる。
「このあたりで引き締めておこう」、と、私が指示している最中、緊張感なく笑っていた中1生徒がいたので、その時点で練習を中止した。
外部グランドだが、私はそのまま帰ってしまった。
彼らは片付けをし、戸締まりをし、5キロの道のりを、自分たちの荷物を持って走るなり、歩くなりして返ってもらった。
その後、中2に生徒だけでのミーティングを求めた。
ここで、中2の中1に対する積もりに積もった不満が爆発したのである。
笑っていた中1の話が落ち着いた後に、別に中1のT君が責められることになった。
「お前はだらしない。一番悪い…。」
その後、ケンカのようになり、中1は泣き出し親に泣きつき、態度が改まらないと中2は憤慨。
翌日、彼らを呼び私から諭す。
こうしたことは、たいてい一晩寝ると気持ちが落ち着くものである。
「だらしないけじめのない態度はプレーに出る。こんな状態でチームとしてまとまって試合をすることなどできない。一人ひとり、全員に反省すべきところがある。」
と、優しく諭した。
今日の練習は良かった。
準備も素早かったし、中2も上手に中1をコントロールしていた。
一番泣きじゃくっていた中1がぽつりと言う。
「雨降って、地固まるですね…。」
一人態度が悪いと責められ、憤慨していた中1のT君が野球ノートに書く。
『チームとして、少しずつ形ができてきた。仁でやるのではなく、チームプレーが野球にとっての命なので、これからは、チームプレーに力を注いでいきたい。』
確かに今日のチームは違った。
これが継続され習慣化すれば、チームは変わって行くだろう。
部活指導は、こうした成長が面白い…。
練習がマンネリ化しないためでもあり、また、全体への技術指導や指示の徹底のためである。
和気藹々とするのはいいのだが、いざという時には、しまりのある行動が取れなければ、そうした甘い習慣は、緊張した場面や試合中に現れる。
「このあたりで引き締めておこう」、と、私が指示している最中、緊張感なく笑っていた中1生徒がいたので、その時点で練習を中止した。
外部グランドだが、私はそのまま帰ってしまった。
彼らは片付けをし、戸締まりをし、5キロの道のりを、自分たちの荷物を持って走るなり、歩くなりして返ってもらった。
その後、中2に生徒だけでのミーティングを求めた。
ここで、中2の中1に対する積もりに積もった不満が爆発したのである。
笑っていた中1の話が落ち着いた後に、別に中1のT君が責められることになった。
「お前はだらしない。一番悪い…。」
その後、ケンカのようになり、中1は泣き出し親に泣きつき、態度が改まらないと中2は憤慨。
翌日、彼らを呼び私から諭す。
こうしたことは、たいてい一晩寝ると気持ちが落ち着くものである。
「だらしないけじめのない態度はプレーに出る。こんな状態でチームとしてまとまって試合をすることなどできない。一人ひとり、全員に反省すべきところがある。」
と、優しく諭した。
今日の練習は良かった。
準備も素早かったし、中2も上手に中1をコントロールしていた。
一番泣きじゃくっていた中1がぽつりと言う。
「雨降って、地固まるですね…。」
一人態度が悪いと責められ、憤慨していた中1のT君が野球ノートに書く。
『チームとして、少しずつ形ができてきた。仁でやるのではなく、チームプレーが野球にとっての命なので、これからは、チームプレーに力を注いでいきたい。』
確かに今日のチームは違った。
これが継続され習慣化すれば、チームは変わって行くだろう。
部活指導は、こうした成長が面白い…。