2020年02月08日
中2立志式
今年も立志式が行われた。
さすがチームワークのよい中2学年。
生徒たちの発表も立派だった。
私の学校では全員が、壇上で1分ずつ志を発表する。
全員が発表すると、一時間以上はかかるのだが、一人ひとりの発表はどれも新鮮で、思いが込められ、感動を生むスピーチとなった。
誰もが共通していることがある。
それは、「単に○○になりたい…」にとどまらず、その置くに利他の精神がある。
つまり、「世の中に役に立つために、○○をしたい」、「困っている人を助けるために、○○になりたい」、という具合だ。
これまでの教育の成果なのだろうが、そうした心の奥深くにある奉仕の精神、愛の心が、聞く者にも感動を与えている。
このところ立志式では、生徒たち全員の幼少期の写真が映し出される。
これは、保護者にお願いして、生徒たちには内緒で写真を提供してもらい、サプライズとして流しているものだ。
だが、これを見ると、親たちの愛が伝わってくる。
このベストシーンの写真を撮るときの保護者の気持ちが、写真から伝わってくるのだ。
次々と映し出させる写真を見ると、その思いがどんどん大きくなって、涙が溢れてくるのだ。
「こうやって大切に育てられたお子様たちを、私たちはお預かりしているのだ。」
と思えば、さらに襟を正さねばなるまい。
そしてその後、生徒全員に親からの手紙が渡される。
これも、生徒に内緒で親に書いてもらったものだ。
おそらくは、親から子供への愛が詰まった文面で綴られているのだろう。
「ここまで大きく育ってくれてありがとう。私たちに愛を与えてくれてありがとう。」
そんな文で溢れているに違いない…。
そして、一人ひとりの発表と続くのである。
午前中の総合学習の発表といい、立志式の発表といい、いずれも大変立派なものだった。
講評でも、校長も涙ながらに語る。
最後に、学年合唱。
昨年の秋から折に触れて歌っているが、今回のハーモニーが一番良かった。
歌は、親への感謝の思いが込められている。
その思いは、保護者に確実に伝わっている。
役立たずの私は、ひたすら写真撮影。
今日も、大して役には立てなかった…。
さすがチームワークのよい中2学年。
生徒たちの発表も立派だった。
私の学校では全員が、壇上で1分ずつ志を発表する。
全員が発表すると、一時間以上はかかるのだが、一人ひとりの発表はどれも新鮮で、思いが込められ、感動を生むスピーチとなった。
誰もが共通していることがある。
それは、「単に○○になりたい…」にとどまらず、その置くに利他の精神がある。
つまり、「世の中に役に立つために、○○をしたい」、「困っている人を助けるために、○○になりたい」、という具合だ。
これまでの教育の成果なのだろうが、そうした心の奥深くにある奉仕の精神、愛の心が、聞く者にも感動を与えている。
このところ立志式では、生徒たち全員の幼少期の写真が映し出される。
これは、保護者にお願いして、生徒たちには内緒で写真を提供してもらい、サプライズとして流しているものだ。
だが、これを見ると、親たちの愛が伝わってくる。
このベストシーンの写真を撮るときの保護者の気持ちが、写真から伝わってくるのだ。
次々と映し出させる写真を見ると、その思いがどんどん大きくなって、涙が溢れてくるのだ。
「こうやって大切に育てられたお子様たちを、私たちはお預かりしているのだ。」
と思えば、さらに襟を正さねばなるまい。
そしてその後、生徒全員に親からの手紙が渡される。
これも、生徒に内緒で親に書いてもらったものだ。
おそらくは、親から子供への愛が詰まった文面で綴られているのだろう。
「ここまで大きく育ってくれてありがとう。私たちに愛を与えてくれてありがとう。」
そんな文で溢れているに違いない…。
そして、一人ひとりの発表と続くのである。
午前中の総合学習の発表といい、立志式の発表といい、いずれも大変立派なものだった。
講評でも、校長も涙ながらに語る。
最後に、学年合唱。
昨年の秋から折に触れて歌っているが、今回のハーモニーが一番良かった。
歌は、親への感謝の思いが込められている。
その思いは、保護者に確実に伝わっている。
役立たずの私は、ひたすら写真撮影。
今日も、大して役には立てなかった…。
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