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2020年03月05日
人か犬か…
久しぶりに愛犬を連れて、犬舎に行った。
彼らのふるさとの犬舎は、自動車で30分もかからない所にある。
分からないことがあったとき、すぐに相談できるのも、すぐに訪問することができるのも、近いからこそできるのであって、ありがたいし、また運命的な出会いも感じる。
私は、一ヶ月に一度くらい、豚のガラを譲ってもらうと共に、愛犬たちの里帰りを兼ねて出掛ける。
自動車の苦手な愛ねP太は、いつも自動車で粗相するのだが、今回は何事もなかった。
珍しいことだが、この先も「いい子」でいるといい…。
豚ガラは、犬舎のご主人が近県の肉屋まで買いに行って下さる。
犬たちは、骨が好きなので、毎日与えているが、あばらや背骨を格安で仕入れられる店は、なかなかないのだ。
私は、そのお裾分けをいただきに犬舎を訪ねるのだ。
「今年は、繁殖は抑えようと思っているだ。コロナとオリンピック後の不景気で、買い手がつかないだろう。」
確かに、昨年の水害で、子犬がほとんど売れなかったと聞く。
年明けにすべて売れたそうだが、何ヶ月間か、やきもきしたと聞く。
コロナ騒ぎで、犬舎の見学者もほとんどいないそうだ。
自分たちの生活で精一杯担っているのだ。
「今年は、廃業するする犬舎も多いだろうな…。」
とも…。
「俺は、67だけど、あと13年。80歳までは柴犬を飼いたいんだ…。」
まだまだやる気満々のご主人。
私もいつか、そんな生活をしてみたいと思う。
たとえ、毎日の生活に精一杯であろうとも、犬たちは人に幸せをもたらしてくれる。
最近私は、以前生徒たちに求めていた関わりを、犬に求めているようにも思える。
夕方、学年の食事があった。
こうした食事会は、試験中でないとなかなかできない。
それなり楽しかったし、おいしい食事もいただいたのだが、やっぱり夜に出掛けるのは、できるだけ避けたい。
まだまだ食事会が続くのだが、参加しようかどうか、ちょっと迷っている。
「丹澤さんのために、展覧会用の犬を2匹、残しておいたよ。どっちの犬にする?」
展覧会はコロナ騒ぎで中止になったようだが、賞をとれそうな、子犬が2匹。
どちらも私に一生懸命に愛嬌を振りまく。
少しい大きい、将来のボスタイプの犬と、次男坊タイプの少し小柄な犬。
私はさんざん悩んだ末に、小柄な犬の方を選んだ。
来月には、我が家に迎え入れだろう。
朝晩の散歩くらいしか付き合ってやれないが、それでも、すっかり犬とともに過ごす生活が定着した。
だが、もっと人と付き合わなければいけないようだ…。
彼らのふるさとの犬舎は、自動車で30分もかからない所にある。
分からないことがあったとき、すぐに相談できるのも、すぐに訪問することができるのも、近いからこそできるのであって、ありがたいし、また運命的な出会いも感じる。
私は、一ヶ月に一度くらい、豚のガラを譲ってもらうと共に、愛犬たちの里帰りを兼ねて出掛ける。
自動車の苦手な愛ねP太は、いつも自動車で粗相するのだが、今回は何事もなかった。
珍しいことだが、この先も「いい子」でいるといい…。
豚ガラは、犬舎のご主人が近県の肉屋まで買いに行って下さる。
犬たちは、骨が好きなので、毎日与えているが、あばらや背骨を格安で仕入れられる店は、なかなかないのだ。
私は、そのお裾分けをいただきに犬舎を訪ねるのだ。
「今年は、繁殖は抑えようと思っているだ。コロナとオリンピック後の不景気で、買い手がつかないだろう。」
確かに、昨年の水害で、子犬がほとんど売れなかったと聞く。
年明けにすべて売れたそうだが、何ヶ月間か、やきもきしたと聞く。
コロナ騒ぎで、犬舎の見学者もほとんどいないそうだ。
自分たちの生活で精一杯担っているのだ。
「今年は、廃業するする犬舎も多いだろうな…。」
とも…。
「俺は、67だけど、あと13年。80歳までは柴犬を飼いたいんだ…。」
まだまだやる気満々のご主人。
私もいつか、そんな生活をしてみたいと思う。
たとえ、毎日の生活に精一杯であろうとも、犬たちは人に幸せをもたらしてくれる。
最近私は、以前生徒たちに求めていた関わりを、犬に求めているようにも思える。
夕方、学年の食事があった。
こうした食事会は、試験中でないとなかなかできない。
それなり楽しかったし、おいしい食事もいただいたのだが、やっぱり夜に出掛けるのは、できるだけ避けたい。
まだまだ食事会が続くのだが、参加しようかどうか、ちょっと迷っている。
「丹澤さんのために、展覧会用の犬を2匹、残しておいたよ。どっちの犬にする?」
展覧会はコロナ騒ぎで中止になったようだが、賞をとれそうな、子犬が2匹。
どちらも私に一生懸命に愛嬌を振りまく。
少しい大きい、将来のボスタイプの犬と、次男坊タイプの少し小柄な犬。
私はさんざん悩んだ末に、小柄な犬の方を選んだ。
来月には、我が家に迎え入れだろう。
朝晩の散歩くらいしか付き合ってやれないが、それでも、すっかり犬とともに過ごす生活が定着した。
だが、もっと人と付き合わなければいけないようだ…。
2020年03月04日
学力低下
ある中3の保護者から校長宛に手紙が来た。
校長はその一部を紹介した。
言葉遣い丁寧に書かれたその手紙であったが、そこには、「三年間学校にお預けしたが、成績が上がるどころか、どんどん落ちている。今や娘は落ちこぼれ状態だ。これは、学校のシステムに何か問題があるのではないか」、というものであった。
R子の母親からの手紙である。
彼女を中1、中2と二年間担任したのは、私だ。
私は、「ただただ、申し訳ない」、という気持ちでいっぱいになった。
R子は自分の好きなことしかしない生徒であった。
中一の頃から、時間を忘れて、夜中まで好きな絵を描いていた。
そのため、遅刻の常習であり、授業中もよく寝ていた。
原則、好きなことしかしないので、当然学校の勉強をすることもなく、試験前でも好きなことをし、結局成績は不振になる。
多くの先生からも、「宿題をだしていない」、と追いかけられるも、逃げ続け、あわよくば、未提出のまま済まそうとする。
中2の時は、音楽家の父親の作曲した曲を歌い、賞も取ったが、歌うことも彼女にとっては好きなことの一つ。そういう芸術的なセンスはあるのだろう。
一方で、だらしない生活をしているR子には、母親も手を焼いていたようで、もう、どうにもならなくなったのか、学校に手紙が届いた、という訳だ。
成績の悪さを本人が気にしていないようで、実は気にしているのだが、その思いを行動に変えることができずに、この三年間を過ごしてしまった。
私には何もできなかった。
それどころか、私は、
「芸術面で、なにか特技を生かせる仕事に就ければいいんじゃないかな…。」
などと、責任逃れの言い訳をしているのだ。
父親を含めての三者面談時に、教室に現れなかったので、学校中を探し回ったら、面談を忘れて五班を食べていたR子。
彼女も、この春高校生になる。
「中学時代の勉強も分からないまま、このまま高校生になっていいのでしょうか。」
母親の手紙は、そんな風に訴えた。
学校中の皆が、R子のことを知っている。
もしかしたら、見えないふりをしているのは、母親だけなのかも知れない。
校長はその一部を紹介した。
言葉遣い丁寧に書かれたその手紙であったが、そこには、「三年間学校にお預けしたが、成績が上がるどころか、どんどん落ちている。今や娘は落ちこぼれ状態だ。これは、学校のシステムに何か問題があるのではないか」、というものであった。
R子の母親からの手紙である。
彼女を中1、中2と二年間担任したのは、私だ。
私は、「ただただ、申し訳ない」、という気持ちでいっぱいになった。
R子は自分の好きなことしかしない生徒であった。
中一の頃から、時間を忘れて、夜中まで好きな絵を描いていた。
そのため、遅刻の常習であり、授業中もよく寝ていた。
原則、好きなことしかしないので、当然学校の勉強をすることもなく、試験前でも好きなことをし、結局成績は不振になる。
多くの先生からも、「宿題をだしていない」、と追いかけられるも、逃げ続け、あわよくば、未提出のまま済まそうとする。
中2の時は、音楽家の父親の作曲した曲を歌い、賞も取ったが、歌うことも彼女にとっては好きなことの一つ。そういう芸術的なセンスはあるのだろう。
一方で、だらしない生活をしているR子には、母親も手を焼いていたようで、もう、どうにもならなくなったのか、学校に手紙が届いた、という訳だ。
成績の悪さを本人が気にしていないようで、実は気にしているのだが、その思いを行動に変えることができずに、この三年間を過ごしてしまった。
私には何もできなかった。
それどころか、私は、
「芸術面で、なにか特技を生かせる仕事に就ければいいんじゃないかな…。」
などと、責任逃れの言い訳をしているのだ。
父親を含めての三者面談時に、教室に現れなかったので、学校中を探し回ったら、面談を忘れて五班を食べていたR子。
彼女も、この春高校生になる。
「中学時代の勉強も分からないまま、このまま高校生になっていいのでしょうか。」
母親の手紙は、そんな風に訴えた。
学校中の皆が、R子のことを知っている。
もしかしたら、見えないふりをしているのは、母親だけなのかも知れない。
2020年03月02日
卒業生の形見
一週間ほど前に、ある高3に、
「卒業するときは、何か形見をくれよ。」
と、お願いしておいた。
すると、いろいろな生徒からたくさんの形見が届いた。
だが、彼らとの別れを惜しみ、苦しみと感じている私は、執着のかたまりだ。
「丹澤先生、『シロクマ君』を持ってきました。」
『シロクマ君』とは、白い厚手のパーカーで、T君が、中学校のときからお気に入りで着ていたものだ。
私は、彼がそのパーカーを着ている姿を見る度に、T君を「シロクマ君」、と読んでいたのだ。
私は、その『シロクマ君』を手にしたとき、わーっとかつての中学時代の思い出が蘇った。
「いいの? もらって…。」
「もちろんですよ。『シロクマ君』は、丹澤先生との思い出でもあるんですよ。」
なかなか、泣かせることを言う。
「丹澤先生には、いっぱいお世話になりましたから…。」
彼らから見れば、私は過去の人だ。
普通は、高校卒業時に中学の担任を思い出すことはない。
たまたま中高一貫の学校なので、中学時代の先生と会うこともできるし、声を掛けることもできる。
M君は、眼鏡を私に渡した。
「これ、古いですけど、俺がずっと使っていた眼鏡です。形見です。」
私は、一瞬、「眼鏡をもらってどうするのだろう」、と躊躇したが、ありがたく頂戴することにした。
彼は、中学入学時から少し強めの度の眼鏡を付けていた。
「眼鏡を渡してどうするの?」
「もう使わないものなので、大丈夫です。」
…これもありがたくお受けすることにしよう。
別のT君は、何と皆勤賞の賞状を持ってきた。
「他に何もないのかよ…」、とも思ったが、当たり前のように皆勤している彼にとっては、それほど大切なものではないのだろう。
だが、これをもらって、私はどうすればいいのだろう…。
このほかにもぬいぐるみ、名札だの、バッグ、サンダルなどがある。
さて、形見箱でも作るかな…。
「卒業するときは、何か形見をくれよ。」
と、お願いしておいた。
すると、いろいろな生徒からたくさんの形見が届いた。
だが、彼らとの別れを惜しみ、苦しみと感じている私は、執着のかたまりだ。
「丹澤先生、『シロクマ君』を持ってきました。」
『シロクマ君』とは、白い厚手のパーカーで、T君が、中学校のときからお気に入りで着ていたものだ。
私は、彼がそのパーカーを着ている姿を見る度に、T君を「シロクマ君」、と読んでいたのだ。
私は、その『シロクマ君』を手にしたとき、わーっとかつての中学時代の思い出が蘇った。
「いいの? もらって…。」
「もちろんですよ。『シロクマ君』は、丹澤先生との思い出でもあるんですよ。」
なかなか、泣かせることを言う。
「丹澤先生には、いっぱいお世話になりましたから…。」
彼らから見れば、私は過去の人だ。
普通は、高校卒業時に中学の担任を思い出すことはない。
たまたま中高一貫の学校なので、中学時代の先生と会うこともできるし、声を掛けることもできる。
M君は、眼鏡を私に渡した。
「これ、古いですけど、俺がずっと使っていた眼鏡です。形見です。」
私は、一瞬、「眼鏡をもらってどうするのだろう」、と躊躇したが、ありがたく頂戴することにした。
彼は、中学入学時から少し強めの度の眼鏡を付けていた。
「眼鏡を渡してどうするの?」
「もう使わないものなので、大丈夫です。」
…これもありがたくお受けすることにしよう。
別のT君は、何と皆勤賞の賞状を持ってきた。
「他に何もないのかよ…」、とも思ったが、当たり前のように皆勤している彼にとっては、それほど大切なものではないのだろう。
だが、これをもらって、私はどうすればいいのだろう…。
このほかにもぬいぐるみ、名札だの、バッグ、サンダルなどがある。
さて、形見箱でも作るかな…。
2020年03月01日
謝恩会
卒業式は何とか逃げられたが、謝恩会には引っ張り出された。
逃げたと言っても、私には式場内に座席はない。
写真係になっていれば、会場内をうろちょろできるのだろうが、彼らを冷静な心で送り出す自信はないので、ちょうど良かった。
謝恩会は中学の担任ということで指定席になった。
会場に入ると、すでに泣きそうになった。
これだから卒業式は嫌だ。
「卒業による別れ」という、何とも言えない波動が、全身に伝わってくるのだ。
一時間ほどの会ではあったが、私は終始泣いていたように思う。
そのすべてが、魂を震えさせるのだ。
「丹澤先生、卒業式にいましたか?」
ある高3の女子生徒が私に問う。
「もともと卒業式には出ないって言ったろ。それに駐車場係だったし、俺の席ないし…。」
そんな風だから、謝恩会には逃げられなくなってしまったのだ。
生徒の作った思いでビデオも良かったし、合唱部による「仰げば尊し」も良かった。
その中で、謝恩会での一番のイベントは、舞台の上で、お世話になった先生や職員に、卒業生が親子で贈り物をするというものだ。
私は、壇上に上がる前から泣いていた。
悲しみなのかは分からないが、慟哭というにふさわしいような、そんな状況になった。
私を担当するT君は、私を見るなり、
「あっ、丹澤先生、泣いている〜。」
と、笑いながら私をハグした。
その後、全員で校歌を歌う
「これが最後の校歌です。」
司会者がそう叫ぶ。
私は、高3と手をつなぎながら泣きながら歌う。
途中、声も出なくなった。
修了後、ふと、A君の制服を見ると、涙の跡がついていた。
謝恩会が終わると、私は早々に隠れ家に避難した。
「絶対に来年は、卒業式や謝恩会には出ない!」
と、心に決めた。
「丹澤先生、号泣していたんだって!」
夕方、何人もの高校三年生に揶揄された。
止めどもなく流れる涙。
卒業していく彼らから受けた『愛』が、私の魂を感応させているのだ。
お世話をしたつもりで、結局は、彼らからお世話をされたということだ。
私は幸せ者だったのだ。
逃げたと言っても、私には式場内に座席はない。
写真係になっていれば、会場内をうろちょろできるのだろうが、彼らを冷静な心で送り出す自信はないので、ちょうど良かった。
謝恩会は中学の担任ということで指定席になった。
会場に入ると、すでに泣きそうになった。
これだから卒業式は嫌だ。
「卒業による別れ」という、何とも言えない波動が、全身に伝わってくるのだ。
一時間ほどの会ではあったが、私は終始泣いていたように思う。
そのすべてが、魂を震えさせるのだ。
「丹澤先生、卒業式にいましたか?」
ある高3の女子生徒が私に問う。
「もともと卒業式には出ないって言ったろ。それに駐車場係だったし、俺の席ないし…。」
そんな風だから、謝恩会には逃げられなくなってしまったのだ。
生徒の作った思いでビデオも良かったし、合唱部による「仰げば尊し」も良かった。
その中で、謝恩会での一番のイベントは、舞台の上で、お世話になった先生や職員に、卒業生が親子で贈り物をするというものだ。
私は、壇上に上がる前から泣いていた。
悲しみなのかは分からないが、慟哭というにふさわしいような、そんな状況になった。
私を担当するT君は、私を見るなり、
「あっ、丹澤先生、泣いている〜。」
と、笑いながら私をハグした。
その後、全員で校歌を歌う
「これが最後の校歌です。」
司会者がそう叫ぶ。
私は、高3と手をつなぎながら泣きながら歌う。
途中、声も出なくなった。
修了後、ふと、A君の制服を見ると、涙の跡がついていた。
謝恩会が終わると、私は早々に隠れ家に避難した。
「絶対に来年は、卒業式や謝恩会には出ない!」
と、心に決めた。
「丹澤先生、号泣していたんだって!」
夕方、何人もの高校三年生に揶揄された。
止めどもなく流れる涙。
卒業していく彼らから受けた『愛』が、私の魂を感応させているのだ。
お世話をしたつもりで、結局は、彼らからお世話をされたということだ。
私は幸せ者だったのだ。
2020年02月28日
休校要請
夕方、野球専門部の定例会議あった。
その会議中、安部首相からの休校要請のニュースが流れた。
中国発のコロナウイルスにより、このところ日常生活が大きく制限されている。
目に見えない恐怖に、日本国中がおびえているのである。
この施策は、日本国中を不況にし、世界恐慌を引き寄せるものだ。
中国は、武漢の研究施設を、証拠隠滅のため爆破したとも聞く。
国際機関からの査察を怖れてのことだろう。
という訳で、3月中の大会も練習試合もすべて吹っ飛んだ。
休校になれば、部活どころではない。
学校に戻って、試合がなくなったことを生徒たちに話すと、
「この機に、いっぱい練習して、差をつけちゃいましょう。」
と返ってきた。なかなか前向きである。
試合がなくなったことでのモチベーション維持は難しいが、部活が続けられるのは面白い。
今は、試験直前なので、全体の練習はできないが、彼らはそれなりに身体を動かしているようだ。
私の学校は、休校などの一切の制限をしない。
行事も普段通り行う。
もちろん、いつものように感染症予防策は行う。
練習試合がなくなったので、試験前の特別練習もやめにした。
試験直前にわざわざ勉強時間を割いて練習する必要もなかろう、と判断したのだ。
練習がなくなったからと言って、彼らの勉強時間が格段に増えるとも思わないが、一年の最後の学年末考査。せめてベストを尽くして欲しいと思う。
夕方、野球部のT君がスパイクを持ってきた。
先日、メルカリで購入した中古品だ。
私の野球部は、部員数不足なので、助っ人が必要なのだが、その用具類は、なかなか彼らに負担を強いることは難しい。
だから、できるだけ安く、また、中古品などをかき集めているのだ
助っ人部員ためのスパイクを、T君が再度洗って、磨いてくれたのだ。
「もう一つのスパイクは、明日持ってきます。」
ニコっと笑うT君は、爽やかだった。
新型ウイルスには、恐怖心が一番良くない、と言う。
明るく爽やかに、そして過度の恐怖心を抱かぬよう、彼らを育てていきたい。
その会議中、安部首相からの休校要請のニュースが流れた。
中国発のコロナウイルスにより、このところ日常生活が大きく制限されている。
目に見えない恐怖に、日本国中がおびえているのである。
この施策は、日本国中を不況にし、世界恐慌を引き寄せるものだ。
中国は、武漢の研究施設を、証拠隠滅のため爆破したとも聞く。
国際機関からの査察を怖れてのことだろう。
という訳で、3月中の大会も練習試合もすべて吹っ飛んだ。
休校になれば、部活どころではない。
学校に戻って、試合がなくなったことを生徒たちに話すと、
「この機に、いっぱい練習して、差をつけちゃいましょう。」
と返ってきた。なかなか前向きである。
試合がなくなったことでのモチベーション維持は難しいが、部活が続けられるのは面白い。
今は、試験直前なので、全体の練習はできないが、彼らはそれなりに身体を動かしているようだ。
私の学校は、休校などの一切の制限をしない。
行事も普段通り行う。
もちろん、いつものように感染症予防策は行う。
練習試合がなくなったので、試験前の特別練習もやめにした。
試験直前にわざわざ勉強時間を割いて練習する必要もなかろう、と判断したのだ。
練習がなくなったからと言って、彼らの勉強時間が格段に増えるとも思わないが、一年の最後の学年末考査。せめてベストを尽くして欲しいと思う。
夕方、野球部のT君がスパイクを持ってきた。
先日、メルカリで購入した中古品だ。
私の野球部は、部員数不足なので、助っ人が必要なのだが、その用具類は、なかなか彼らに負担を強いることは難しい。
だから、できるだけ安く、また、中古品などをかき集めているのだ
助っ人部員ためのスパイクを、T君が再度洗って、磨いてくれたのだ。
「もう一つのスパイクは、明日持ってきます。」
ニコっと笑うT君は、爽やかだった。
新型ウイルスには、恐怖心が一番良くない、と言う。
明るく爽やかに、そして過度の恐怖心を抱かぬよう、彼らを育てていきたい。
2020年02月27日
3年生を送る会
卒業間際の高3を送る会が開かれた。
中1か高2までが高3への感謝を伝えるために、工夫を凝らす。
毎年レベルが上がり、まるでエンターテインメントを見ているような、そんな高3を送る会になった。
卒業生もサプライズで参加して、送る会に花を添える。
私は彼らの卒業式には出ないので、生徒の手作りながらも今日が卒業式のようなものになった。
後輩たちの奮闘は、まさに脱帽であった。
私はこの会でも何度も泣いた。
中学で担任をしていた生徒YくんとHさんが、中3の文化祭のミュージカル時に歌った歌を、アレンジして披露したのである。
これには参った。
かつての思い出が、走馬灯のように蘇り、涙が溢れた。
そして、司会者の指名で、突然舞台で歌を披露したM君のときも、その姿に涙した。
彼は、中学時代三年間担任をした生徒である。
結構手がかかったが、その後も私を慕ってくれている。
みんな立派になって卒業していく。
卒業式には、私の座席がないので、陰ながら祈るとしよう。
修了後、何人かの高3に会った。
Y君は、そのときにも泣き出した。
学級委員をやったK君は私にハグをした。
「Y、泣かない約束だろ…」
そうKが言った。
私も泣いた。そして叫ぶ。
「もう、おまえたち、どっか行け!」
私は早々に、隠れ家に逃げ込んだ。
卒業式当日、彼らと出会えば、おそらくは涙しか出ないだろう。
何も語りたくはない。
あの頃との美しい思い出を噛みしめ、ただただ彼らを祝福しよう。
彼らの勇姿を見ると、
「私もかすかに役に立ったのかな…。」
と思う。
いずれ彼らは、成人し、再び私のもとを訪ねてくることもあるのだろう。
その頃には、私には手の届かないくらい、遠くを歩んでいるに違いない。
教師という仕事は、そうした職業なのだ。
泣き疲れたので、早く寝た。
中1か高2までが高3への感謝を伝えるために、工夫を凝らす。
毎年レベルが上がり、まるでエンターテインメントを見ているような、そんな高3を送る会になった。
卒業生もサプライズで参加して、送る会に花を添える。
私は彼らの卒業式には出ないので、生徒の手作りながらも今日が卒業式のようなものになった。
後輩たちの奮闘は、まさに脱帽であった。
私はこの会でも何度も泣いた。
中学で担任をしていた生徒YくんとHさんが、中3の文化祭のミュージカル時に歌った歌を、アレンジして披露したのである。
これには参った。
かつての思い出が、走馬灯のように蘇り、涙が溢れた。
そして、司会者の指名で、突然舞台で歌を披露したM君のときも、その姿に涙した。
彼は、中学時代三年間担任をした生徒である。
結構手がかかったが、その後も私を慕ってくれている。
みんな立派になって卒業していく。
卒業式には、私の座席がないので、陰ながら祈るとしよう。
修了後、何人かの高3に会った。
Y君は、そのときにも泣き出した。
学級委員をやったK君は私にハグをした。
「Y、泣かない約束だろ…」
そうKが言った。
私も泣いた。そして叫ぶ。
「もう、おまえたち、どっか行け!」
私は早々に、隠れ家に逃げ込んだ。
卒業式当日、彼らと出会えば、おそらくは涙しか出ないだろう。
何も語りたくはない。
あの頃との美しい思い出を噛みしめ、ただただ彼らを祝福しよう。
彼らの勇姿を見ると、
「私もかすかに役に立ったのかな…。」
と思う。
いずれ彼らは、成人し、再び私のもとを訪ねてくることもあるのだろう。
その頃には、私には手の届かないくらい、遠くを歩んでいるに違いない。
教師という仕事は、そうした職業なのだ。
泣き疲れたので、早く寝た。
2020年02月26日
S君のこと
「もう、ほんと、Sはいらない。」
若手の先生は、中2のS君に腹を立てている。
授業中の妨害、やる気のなさ、態度の悪さ、指導を聞かない、など、まともに授業ができなくなってしまったのだ。
「Sがいないときは、クラスが平和だったのに…。」
けっこう参っているようだ。
教師にとって、授業が上手くいかないことは、致命傷になる。
授業は、ある意味信頼関係の証しであり、授業が上手くいっている先生が、生徒たちをうまく指導できるという傾向があるからだ。
S君は、体格も大きい。もしかしたら学年一、いい体をしているかも知れない。
ところが、自分に自信がなく、それでいて愛に飢えている。
だから、先生方から指導を受けても、「はい」とか、「すいません」とは言えず、たいてい言い訳したり、反発したりする。
一見、素直でないのである。
正直言うと、私だって扱いにくい生徒の一人である。
先日の個人面談では、私はS君を面談した。
終始、マイナス思考で、愛を奪おうとするので、他の人の何倍も面談時間を費やしたにもかかわらず、修了後も、あまり充実感がなかったことを覚えている。
「どうやったら素直な心で、人の意見を受け入れられるようになるのだろうか。」
S君は、私にそんな命題を与えてくれたようにも思う。
話をしていると、結局、自分のことばかりが中心なのだ。
中学生だから当たり前なのかも知れないが、そういう思いの中で、思い通りにいかないから、ますます不平不満が出る。それが口をついて出て、多くの人を不快にさせているのだ。
「自分は学力が低いんですよ。勉強したって、もともと頭のいい人にはおいつけっこない。」
そう自分自身に言い聞かせているS君。
それでいて、努力することなく怠けてばかりいるので、成果が上がるはずがない。
その中で、三学期から英語の習熟度が一番下のクラスになった。
おそらくは、自尊心と恥ずかしさにより、授業中暴れているのだ。
試験が近づき、ますます自分自身が不安なのだ。
勉強に関しては、原因結果の法則が確実に働く。
やればやるほど成績は上がる。
S君が、せめてその事実に気づいてくれば…、と思う。
若手の先生は、中2のS君に腹を立てている。
授業中の妨害、やる気のなさ、態度の悪さ、指導を聞かない、など、まともに授業ができなくなってしまったのだ。
「Sがいないときは、クラスが平和だったのに…。」
けっこう参っているようだ。
教師にとって、授業が上手くいかないことは、致命傷になる。
授業は、ある意味信頼関係の証しであり、授業が上手くいっている先生が、生徒たちをうまく指導できるという傾向があるからだ。
S君は、体格も大きい。もしかしたら学年一、いい体をしているかも知れない。
ところが、自分に自信がなく、それでいて愛に飢えている。
だから、先生方から指導を受けても、「はい」とか、「すいません」とは言えず、たいてい言い訳したり、反発したりする。
一見、素直でないのである。
正直言うと、私だって扱いにくい生徒の一人である。
先日の個人面談では、私はS君を面談した。
終始、マイナス思考で、愛を奪おうとするので、他の人の何倍も面談時間を費やしたにもかかわらず、修了後も、あまり充実感がなかったことを覚えている。
「どうやったら素直な心で、人の意見を受け入れられるようになるのだろうか。」
S君は、私にそんな命題を与えてくれたようにも思う。
話をしていると、結局、自分のことばかりが中心なのだ。
中学生だから当たり前なのかも知れないが、そういう思いの中で、思い通りにいかないから、ますます不平不満が出る。それが口をついて出て、多くの人を不快にさせているのだ。
「自分は学力が低いんですよ。勉強したって、もともと頭のいい人にはおいつけっこない。」
そう自分自身に言い聞かせているS君。
それでいて、努力することなく怠けてばかりいるので、成果が上がるはずがない。
その中で、三学期から英語の習熟度が一番下のクラスになった。
おそらくは、自尊心と恥ずかしさにより、授業中暴れているのだ。
試験が近づき、ますます自分自身が不安なのだ。
勉強に関しては、原因結果の法則が確実に働く。
やればやるほど成績は上がる。
S君が、せめてその事実に気づいてくれば…、と思う。