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2020年01月19日
受験当日の欠席
受験生が、受験当日に入学試験を欠席しても、欠席連絡をわざわざ学校に連絡することはない。
実際私が関わった学校は、どの学校もそのようであったし、それが普通のことと思っていた。
だが、今、私が勤めている学校は違う。
受験生が欠席すると、一人ひとり自宅に連絡するのである。
「このサービスはすごい」、と思う一方、「何らかの事情で受験会場に行けなかった生徒の親御さんにとっては、つらい電話かも知れないな」、とも思う。
私立学校の中学入試受験では、「親は受けさせたいのだけれれども、子供は受けたくない」、ということが起こる。地元の友達と別れ、中学から一人、別の学校に進学することは、勇気のあることだ。
反抗期になった子供は、すねるか、暴れるか…。
受験は人生の一大行事。
そこにはたくさんのドラマがある。
もちろん、家を出ているにもかかわらず、受験会場に到着していないということもあり得る。
交通機関の乱れや、なにか事故あるときだ。
その意味では、連絡した方が良いようにも思えるが、この場合は自宅に電話してもつながるまい。
昨今は、家の固定電話をやめて、携帯電話にする家庭も増えたように思う。
以前は、固定定電話が定住の証明のような意味外があったが、昨今はあまり気にならないらしい。
それでも、私などの年齢の者は、少し心配になる。
だが、電話が多機能化し、ひとたび停電したときは使えなくなることを考えれば、携帯電話の安心なのかも知れない。
もちろん、災害時には携帯電話もつながりにくくなる。
欠席した受験生に電話連絡をしたところ、やはり子供が受験を渋っている、ということだった。
「受験料をいただいているので、念のため、確認して下さい。」
教頭が、そう指示をする、
クレーム対策の一つでもあろう。
だが、かかってきた家庭としては、家の恥をさらすようで、たまらないかも知れない。
よかれ、と思っていることが、相手の領域にずかずかと入り込んで、かえって迷惑になったり、不快な思いをさせてしまうことがある。
千人単位で受験する大規模人気校なら、こんな面倒なことはしないだろう。
受験料は大切な財源のひとつ。
当日たとえ欠席したとしても、すでに支払われた受験料は学校の財源になる。
私は、思うようにいかなかった家庭をもフォローする覚悟があるのならば、連絡して、抜苦与楽してあげたらよい、と思っている。
実際私が関わった学校は、どの学校もそのようであったし、それが普通のことと思っていた。
だが、今、私が勤めている学校は違う。
受験生が欠席すると、一人ひとり自宅に連絡するのである。
「このサービスはすごい」、と思う一方、「何らかの事情で受験会場に行けなかった生徒の親御さんにとっては、つらい電話かも知れないな」、とも思う。
私立学校の中学入試受験では、「親は受けさせたいのだけれれども、子供は受けたくない」、ということが起こる。地元の友達と別れ、中学から一人、別の学校に進学することは、勇気のあることだ。
反抗期になった子供は、すねるか、暴れるか…。
受験は人生の一大行事。
そこにはたくさんのドラマがある。
もちろん、家を出ているにもかかわらず、受験会場に到着していないということもあり得る。
交通機関の乱れや、なにか事故あるときだ。
その意味では、連絡した方が良いようにも思えるが、この場合は自宅に電話してもつながるまい。
昨今は、家の固定電話をやめて、携帯電話にする家庭も増えたように思う。
以前は、固定定電話が定住の証明のような意味外があったが、昨今はあまり気にならないらしい。
それでも、私などの年齢の者は、少し心配になる。
だが、電話が多機能化し、ひとたび停電したときは使えなくなることを考えれば、携帯電話の安心なのかも知れない。
もちろん、災害時には携帯電話もつながりにくくなる。
欠席した受験生に電話連絡をしたところ、やはり子供が受験を渋っている、ということだった。
「受験料をいただいているので、念のため、確認して下さい。」
教頭が、そう指示をする、
クレーム対策の一つでもあろう。
だが、かかってきた家庭としては、家の恥をさらすようで、たまらないかも知れない。
よかれ、と思っていることが、相手の領域にずかずかと入り込んで、かえって迷惑になったり、不快な思いをさせてしまうことがある。
千人単位で受験する大規模人気校なら、こんな面倒なことはしないだろう。
受験料は大切な財源のひとつ。
当日たとえ欠席したとしても、すでに支払われた受験料は学校の財源になる。
私は、思うようにいかなかった家庭をもフォローする覚悟があるのならば、連絡して、抜苦与楽してあげたらよい、と思っている。
2020年01月18日
センター試験
毎年のことだが、私の学校では中学入試とセンター試験が重なる。
入試だけでも全員出動であるにも関わらず、ここにセンター試験がからむわけだ。
当然、高3の学年所属の先生らは、入試業務からは外れ、センター会場に向かう。
センター会場では、ほとんどが待機時間になるわけだが、生徒からしてみれば、近くに先生がいるだけでも安心できるのだろう。
センター試験に出発するときは、そのバスを皆で見送る。
教員はもちろん、後輩たちもたくさん集まってきて、旗を振ったり、バスが見えなくなるまで追いかけたりする。
毎年のことながら、ほほえましく見える。
高3正への応援メッセージビデオも作られる。
一部写真動画だが、教員全員が出場する。
本番が近づき、多少なりとも不安になっている彼らを励ますには十分なツールだ。
楽しそうに笑っていても、人生を分ける大切な試験。
余裕などあるはずがない…。
「丹澤先生、何ですか? あのメッセージは…。」
昨日、高3のM君に責められた。
「夢はかなう。」
と、紙に書いて、ニコッと笑い。直後に、
「さらばじゃ。」
と新たな紙を見せたのだ。
彼らは、私が中1から中3まで学年主任と担任をした学年。
「もしかしたら、これが私が関わって卒業した最後の学年になるかも知れないな」、と思いつつも、「彼らとの別れは、3年前の中学の卒業式時に終わっている。今で会っているのはおまけのようなものだ」、という認識である。
センター試験が終われば、ほとんどの高校3年性は登校しない。
あとは、卒業式前のほんの一日、そして卒業式当日。
「丹澤先生、俺らの卒業式に出ないって言ってるけど、俺ら部屋に迎えにいきますから…。」
高校3年生でありながらも、かわいい生徒たちである。
心の中で「頑張れよ!」、と祈りつつ、センター試験のバスを見送る。
満面の笑顔で、手を大きく振る高校3年生たち。
ふと、東日本大震災時、メルトダウン恐怖に東京に避難した生徒たちを送り出すシーンを思い出した。
バスの見送りは、以来、トラウマになっている…。
入試だけでも全員出動であるにも関わらず、ここにセンター試験がからむわけだ。
当然、高3の学年所属の先生らは、入試業務からは外れ、センター会場に向かう。
センター会場では、ほとんどが待機時間になるわけだが、生徒からしてみれば、近くに先生がいるだけでも安心できるのだろう。
センター試験に出発するときは、そのバスを皆で見送る。
教員はもちろん、後輩たちもたくさん集まってきて、旗を振ったり、バスが見えなくなるまで追いかけたりする。
毎年のことながら、ほほえましく見える。
高3正への応援メッセージビデオも作られる。
一部写真動画だが、教員全員が出場する。
本番が近づき、多少なりとも不安になっている彼らを励ますには十分なツールだ。
楽しそうに笑っていても、人生を分ける大切な試験。
余裕などあるはずがない…。
「丹澤先生、何ですか? あのメッセージは…。」
昨日、高3のM君に責められた。
「夢はかなう。」
と、紙に書いて、ニコッと笑い。直後に、
「さらばじゃ。」
と新たな紙を見せたのだ。
彼らは、私が中1から中3まで学年主任と担任をした学年。
「もしかしたら、これが私が関わって卒業した最後の学年になるかも知れないな」、と思いつつも、「彼らとの別れは、3年前の中学の卒業式時に終わっている。今で会っているのはおまけのようなものだ」、という認識である。
センター試験が終われば、ほとんどの高校3年性は登校しない。
あとは、卒業式前のほんの一日、そして卒業式当日。
「丹澤先生、俺らの卒業式に出ないって言ってるけど、俺ら部屋に迎えにいきますから…。」
高校3年生でありながらも、かわいい生徒たちである。
心の中で「頑張れよ!」、と祈りつつ、センター試験のバスを見送る。
満面の笑顔で、手を大きく振る高校3年生たち。
ふと、東日本大震災時、メルトダウン恐怖に東京に避難した生徒たちを送り出すシーンを思い出した。
バスの見送りは、以来、トラウマになっている…。
2020年01月17日
教員いじめ
大人のいじめが流行っていると言う。
ある意味、ストレス社会の縮図であろう。
昔から、パワハラだのセキハラだのと話題になっていたが、それは、「中年男の、不器用な生き方として仕方あるまい」、と理解してきたし、何かにつけて、パワハラだの、セクハラだのと、騒ぎ立てる風潮もいただけない。
学校でも児童、生徒のストレスが増大し、いじめが流行した。
ひとたび荒れた学校が収束したあとに、いじめ問題が顕在化した。
昔からいじめはあっただろうが、それがより陰湿になり、いわゆるジャイアンタイプではなく、優等生が、陰に隠れてさらに過激ないじめを行うようになった。
学級崩壊も起こり、学校では勉強できなくなり、皆が塾に行くようになる。
ダブルスクールで、心身ともに疲れた子供たちが、学校をそのストレスのはけ口にしたわけだ。
先生たちも、体罰禁止が叫ばれ、些細なことで親が口出しをし、教育委員会が乗り出すなどの、大げさな反応が頻発し、教師たちが腫れ物に触るように、子供たちと接するようになった。
この時点で、教師の威厳は完全に消滅する。
教員の仕事は、そのほとんどが、生徒問題の後片付けとなり、ストレスも増大し。従来の仕事に輪をかけて、多忙になった。
結果、心身共に病んでしまう先生たちが増え、教員希望者も減り続けている。
昨今の、大人のいじめが教員の世界で行われていると言う。
もはや教師たちのストレスが限界にきているのだろう。
信頼されない教師たち。
やって当たり前と思われる教師たち。
朝から夜中まで働いても、評価されることなく、非難ばかりの教師たち。
たまには、先生たちもエールを送ったらよいと思うのだが、マスコミも、負のニュースしか流さないし、教師が問題起こしたときだけ、面白おかしく演出する。
教師同士のいじめは、人間として許されることはない。
「丹澤先生、知ってますか? ○○中で、教師のいじめがあったそうですよ。物を隠したり、入力した生徒の成績を消したり、していたそうですよ。」
いよいよ、学校現場も危険水域に達している。
もちろん今の世の中、苦しいのはどの職場でも同じだろう。
だが、子供たちを教育する機関でのいじめは、ありよあらゆる教育活動を崩壊させるほどの威力がある。
情けない…。
ある意味、ストレス社会の縮図であろう。
昔から、パワハラだのセキハラだのと話題になっていたが、それは、「中年男の、不器用な生き方として仕方あるまい」、と理解してきたし、何かにつけて、パワハラだの、セクハラだのと、騒ぎ立てる風潮もいただけない。
学校でも児童、生徒のストレスが増大し、いじめが流行した。
ひとたび荒れた学校が収束したあとに、いじめ問題が顕在化した。
昔からいじめはあっただろうが、それがより陰湿になり、いわゆるジャイアンタイプではなく、優等生が、陰に隠れてさらに過激ないじめを行うようになった。
学級崩壊も起こり、学校では勉強できなくなり、皆が塾に行くようになる。
ダブルスクールで、心身ともに疲れた子供たちが、学校をそのストレスのはけ口にしたわけだ。
先生たちも、体罰禁止が叫ばれ、些細なことで親が口出しをし、教育委員会が乗り出すなどの、大げさな反応が頻発し、教師たちが腫れ物に触るように、子供たちと接するようになった。
この時点で、教師の威厳は完全に消滅する。
教員の仕事は、そのほとんどが、生徒問題の後片付けとなり、ストレスも増大し。従来の仕事に輪をかけて、多忙になった。
結果、心身共に病んでしまう先生たちが増え、教員希望者も減り続けている。
昨今の、大人のいじめが教員の世界で行われていると言う。
もはや教師たちのストレスが限界にきているのだろう。
信頼されない教師たち。
やって当たり前と思われる教師たち。
朝から夜中まで働いても、評価されることなく、非難ばかりの教師たち。
たまには、先生たちもエールを送ったらよいと思うのだが、マスコミも、負のニュースしか流さないし、教師が問題起こしたときだけ、面白おかしく演出する。
教師同士のいじめは、人間として許されることはない。
「丹澤先生、知ってますか? ○○中で、教師のいじめがあったそうですよ。物を隠したり、入力した生徒の成績を消したり、していたそうですよ。」
いよいよ、学校現場も危険水域に達している。
もちろん今の世の中、苦しいのはどの職場でも同じだろう。
だが、子供たちを教育する機関でのいじめは、ありよあらゆる教育活動を崩壊させるほどの威力がある。
情けない…。
2020年01月16日
卒業生が来た
卒業生が来校して台湾訪問をまとめた映画を上映、その秘話を話してくれた。
卒業生のS君たちは昨年、香港、台湾と立て続けに訪問し、「自分たちは世界のために何ができるか」を考え続け、積極的に活動している強者である。
「香港に行ったとき、改めて自分の無力さに気づきました。日本人で応援している人がいる、ということで歓迎はされましたが、自分たちができることは、ほとんどみつかりませんでした。」
と、語る姿は神々しく見えた。
その経験を受けての台湾訪問。
「香港が落ちれば、次は台湾、そして日本」、というのが現在のアジア情勢である。
香港が中国政府に完全制圧されれば、次は台湾がそのターゲットになる。
一国二制度など嘘っぱちだと分かった若者たちが、「自由と民主」を求めて戦っている。
かの国には言論の自由も、信仰の自由もない。
政府を非難する人間は、告発され、どこかに連れて行かれ、収容所に送られる。
再教育と言う名の拷問を受けたのちに戻ってくることもあるが、たいていはそのまま行方知れずになり、時には臓器を取り出される。
自主制作された映画には、台湾で中国政府を避難し、それを全世界に発信した大学生とのインタビューも登場する。
ごく普通の気さくな青年だが、心に秘めた情熱は、自らの命よりも正義と自由を貫いている。
「今の自分たちにできることは、こうした現状が香港や台湾で行われていることを、一人でも多くの人たちに伝えること。そのためにできることは何でもしたいと思っているんです。」
そう熱く語るS君らは、昨年3月に卒業したばかりなのだが、一回りも二回りも大きな人物になっていた。
お金はないけど、時間はあるのが大学生。まだまだ彼らは活動を続けていくに違いない。
S君と共に来校したY君は、中学・高校と野球部を続けた根性ある青年だ。
野球部員でありながら、過去唯一成績優秀賞を受賞した人物でもある。
後輩たちにとって、先輩たちの勇姿は励みになる。
世界は、一国平和主義ではすまない時代に入っている。
日本は、世界のリーダーとしての振る舞いをしなくてはいけない。
そのために、日本国内のみならず、世界に関心を持つことは、とても大切なことだ。
「今、世界で何が起こっているか。」
「その背景はどこにあるのか。」
「その解決には何が必要なのか。」
こんなことを高校生くらいになったら考えられるようにしたい。
「世界のことなんて関係ないや…。」
などという大人(日本人)を作ってはいけないのだ。
卒業生のS君たちは昨年、香港、台湾と立て続けに訪問し、「自分たちは世界のために何ができるか」を考え続け、積極的に活動している強者である。
「香港に行ったとき、改めて自分の無力さに気づきました。日本人で応援している人がいる、ということで歓迎はされましたが、自分たちができることは、ほとんどみつかりませんでした。」
と、語る姿は神々しく見えた。
その経験を受けての台湾訪問。
「香港が落ちれば、次は台湾、そして日本」、というのが現在のアジア情勢である。
香港が中国政府に完全制圧されれば、次は台湾がそのターゲットになる。
一国二制度など嘘っぱちだと分かった若者たちが、「自由と民主」を求めて戦っている。
かの国には言論の自由も、信仰の自由もない。
政府を非難する人間は、告発され、どこかに連れて行かれ、収容所に送られる。
再教育と言う名の拷問を受けたのちに戻ってくることもあるが、たいていはそのまま行方知れずになり、時には臓器を取り出される。
自主制作された映画には、台湾で中国政府を避難し、それを全世界に発信した大学生とのインタビューも登場する。
ごく普通の気さくな青年だが、心に秘めた情熱は、自らの命よりも正義と自由を貫いている。
「今の自分たちにできることは、こうした現状が香港や台湾で行われていることを、一人でも多くの人たちに伝えること。そのためにできることは何でもしたいと思っているんです。」
そう熱く語るS君らは、昨年3月に卒業したばかりなのだが、一回りも二回りも大きな人物になっていた。
お金はないけど、時間はあるのが大学生。まだまだ彼らは活動を続けていくに違いない。
S君と共に来校したY君は、中学・高校と野球部を続けた根性ある青年だ。
野球部員でありながら、過去唯一成績優秀賞を受賞した人物でもある。
後輩たちにとって、先輩たちの勇姿は励みになる。
世界は、一国平和主義ではすまない時代に入っている。
日本は、世界のリーダーとしての振る舞いをしなくてはいけない。
そのために、日本国内のみならず、世界に関心を持つことは、とても大切なことだ。
「今、世界で何が起こっているか。」
「その背景はどこにあるのか。」
「その解決には何が必要なのか。」
こんなことを高校生くらいになったら考えられるようにしたい。
「世界のことなんて関係ないや…。」
などという大人(日本人)を作ってはいけないのだ。
2020年01月15日
冬の雨
雨である。
私の住むこの地域は、11月中頃から4月初めからは降れば雪なので、めったに雨が降ることはない、
ところがここ何年間か、真冬でも雨が降る。
今朝も雨であった。
正確に言うと、みぞれ混じりの雨なのだが、日の出前の明け方に激しく雨が降るさまは、冬の景色とはかけ離れている。
「地球温暖化が進んでいるのだ。」
などと、環境左翼たちが騒ぎ出すのだろう。
どうやら全国的に雪不足のようで、例年稼ぎどころの会社は、大幅減収になってしまうに違いない。
大雪になれば、それはまた面倒でもあるのだが、「本来あるべきものがない」、というのも、なんとも不気味な様相で、一年の初めにしては、なかなかあやしいものがある。
山では雪が降っているのだろうから、ようやくスキー場が白銀に包まれるのだろうが、まだまだ雪は足りないはずだ。
この地域の冬場は、屋外での農作物が全くなくなるので、枯れ草色の田んぼや畑がどこまでも続く景色になる。
それが、雪で覆われれば、「冬だね…」、などと趣に浸ることができようものの、今のままではいかにももの寂しい…。
「先生、今年は雪は降らないのですか?」
生徒たちは私にそう尋ねる。
私は、天の神様ではないので、いつ雪が降るかなどはわかないのだが、気候的には、大陸の寒気団が日本になかなか流れ込まず、冬型が続かない。まるで春先にように、低気圧と高気圧が交互にやってきて、温かくなったり寒くなったりするわけだ。
「早く雪が降って、君たちに雪かきしてもらいたいね…。」
「雪かきが終わったら、雪合戦してもいいですか?」
「もちろん!」
そんなたわいのない会話をしながらも、外はほのかに温かい日差しが降り注いでいる。
授業中、ある生徒があくびした。
私は窓を全開にする。
山からギンギンに冷やされた空気がどっと教室になだれ込む。
暖房を切っていた教室は、あっという間に冷気に包まれた。
「空気が入れ替わって気持ちいいべ…。」
と、私は笑う。
本当は緊張感のない、腑抜けた、飽きる授業だったのだろうけど、ちょっと教室内の二酸化炭素濃度を下げてみた…。
私の住むこの地域は、11月中頃から4月初めからは降れば雪なので、めったに雨が降ることはない、
ところがここ何年間か、真冬でも雨が降る。
今朝も雨であった。
正確に言うと、みぞれ混じりの雨なのだが、日の出前の明け方に激しく雨が降るさまは、冬の景色とはかけ離れている。
「地球温暖化が進んでいるのだ。」
などと、環境左翼たちが騒ぎ出すのだろう。
どうやら全国的に雪不足のようで、例年稼ぎどころの会社は、大幅減収になってしまうに違いない。
大雪になれば、それはまた面倒でもあるのだが、「本来あるべきものがない」、というのも、なんとも不気味な様相で、一年の初めにしては、なかなかあやしいものがある。
山では雪が降っているのだろうから、ようやくスキー場が白銀に包まれるのだろうが、まだまだ雪は足りないはずだ。
この地域の冬場は、屋外での農作物が全くなくなるので、枯れ草色の田んぼや畑がどこまでも続く景色になる。
それが、雪で覆われれば、「冬だね…」、などと趣に浸ることができようものの、今のままではいかにももの寂しい…。
「先生、今年は雪は降らないのですか?」
生徒たちは私にそう尋ねる。
私は、天の神様ではないので、いつ雪が降るかなどはわかないのだが、気候的には、大陸の寒気団が日本になかなか流れ込まず、冬型が続かない。まるで春先にように、低気圧と高気圧が交互にやってきて、温かくなったり寒くなったりするわけだ。
「早く雪が降って、君たちに雪かきしてもらいたいね…。」
「雪かきが終わったら、雪合戦してもいいですか?」
「もちろん!」
そんなたわいのない会話をしながらも、外はほのかに温かい日差しが降り注いでいる。
授業中、ある生徒があくびした。
私は窓を全開にする。
山からギンギンに冷やされた空気がどっと教室になだれ込む。
暖房を切っていた教室は、あっという間に冷気に包まれた。
「空気が入れ替わって気持ちいいべ…。」
と、私は笑う。
本当は緊張感のない、腑抜けた、飽きる授業だったのだろうけど、ちょっと教室内の二酸化炭素濃度を下げてみた…。
2020年01月14日
入試準備
今週末の中学入試に向けて、いよいよ忙しくなった。
私は、入試の情報処理を一気に引き受けているので、その作業が始まったのである。
願書のデーターを入力することはもちろん、採点結果から審議資料、報告書まですべてを引き受けている。
多少の分業はあるが、入試データに関する資料はすべて私が作成しているので、なかなかのプレッシャーでもある。
入試当日、受験生の座る机には、私の作った名票が貼られるのだが、そこには、氏名だのふりがなだの、面接のある・なし、会場名などが印刷されており、そのどれ一つとして間違いがあってはいけないのだ。
受験当日になって、「私の名前が違う…」、などと訴えられて、その動揺によって試験問題が解けなかったと言われては、大問題になってしまう。
だから入試当日も私は、入試本部に詰め、つつがなく入試が終るのを待つ。
と同時に、入試審議に向けて資料作成にいそしむのである。
そんな仕事も今年で10年を迎える。中高別々なので、すでに二十回を超えるということだ。
データーのとりまとめにはACCESSを使っている。
いろいろな条件で検索できるのは便利だし、寄せられるデータを簡単にリンクさせることができるのがいい、また、表をExcellで作ったとしても、ACCESSのデーターがリアルタイムに反映されるのもいい。リレーショナルデーターベース機能をふんだんに使っている。
唯一の問題点は、学校でAccessが使えるのは私一人しかいないということだ。
頑張れば、Excellでもできるのだろうから、私がいなくなれば、おそらくはそちらに移行されるのだろう。
そうなると、データー管理には細心の注意が必要だ。
万一、データーが破損したり、ファイルが読めなくなったり、PCが使えなくなったりしたら、それこそ大変なことになる。
コンピュータによるデーター処理は便利である。
便利であるがゆえに、そのメンテナンスに膨大な時間とお金がかかる。
人件費より安いと言われてコンピューターによる無人化した銀行の店舗が、その膨大な保守管理費用に悩まされているのが現状だ。
データーチェックをしている最中、教務主任が、
「丹澤先生、表から一人受験生が抜けています。」
という。
「合計人数が会っているのに、そんなことあり得ない」、としばらく格闘していると、受験番号が一部ソートされていないことが分かった。何のことはない、名簿上はあっていたのだ。
結局は人間がチェックする必要があるのだろう。
落ち着いて、慌てずデーター処理をすることにしよう。
私は、入試の情報処理を一気に引き受けているので、その作業が始まったのである。
願書のデーターを入力することはもちろん、採点結果から審議資料、報告書まですべてを引き受けている。
多少の分業はあるが、入試データに関する資料はすべて私が作成しているので、なかなかのプレッシャーでもある。
入試当日、受験生の座る机には、私の作った名票が貼られるのだが、そこには、氏名だのふりがなだの、面接のある・なし、会場名などが印刷されており、そのどれ一つとして間違いがあってはいけないのだ。
受験当日になって、「私の名前が違う…」、などと訴えられて、その動揺によって試験問題が解けなかったと言われては、大問題になってしまう。
だから入試当日も私は、入試本部に詰め、つつがなく入試が終るのを待つ。
と同時に、入試審議に向けて資料作成にいそしむのである。
そんな仕事も今年で10年を迎える。中高別々なので、すでに二十回を超えるということだ。
データーのとりまとめにはACCESSを使っている。
いろいろな条件で検索できるのは便利だし、寄せられるデータを簡単にリンクさせることができるのがいい、また、表をExcellで作ったとしても、ACCESSのデーターがリアルタイムに反映されるのもいい。リレーショナルデーターベース機能をふんだんに使っている。
唯一の問題点は、学校でAccessが使えるのは私一人しかいないということだ。
頑張れば、Excellでもできるのだろうから、私がいなくなれば、おそらくはそちらに移行されるのだろう。
そうなると、データー管理には細心の注意が必要だ。
万一、データーが破損したり、ファイルが読めなくなったり、PCが使えなくなったりしたら、それこそ大変なことになる。
コンピュータによるデーター処理は便利である。
便利であるがゆえに、そのメンテナンスに膨大な時間とお金がかかる。
人件費より安いと言われてコンピューターによる無人化した銀行の店舗が、その膨大な保守管理費用に悩まされているのが現状だ。
データーチェックをしている最中、教務主任が、
「丹澤先生、表から一人受験生が抜けています。」
という。
「合計人数が会っているのに、そんなことあり得ない」、としばらく格闘していると、受験番号が一部ソートされていないことが分かった。何のことはない、名簿上はあっていたのだ。
結局は人間がチェックする必要があるのだろう。
落ち着いて、慌てずデーター処理をすることにしよう。
2020年01月13日
Windows10狂詩曲
いよいよWindows7のサポートが切れるという。
これまで延長に延長を重ねてきたが、とうとうWindows7もおしまい。
まだまだ使っている人がおおいのだろうが、それだけ安定性の高い良いOSだったということだ。
と言うわけで、私の学校でもWindows7を駆逐すべく、古いPCを買い換えた入り、OSをアップグレードしたりと大わらわであった。
人間、切羽詰まらないとなかなかやらないものだが、たいていこうした作業は後回しにされる。
他の人のPCの設定に負われていてふと気づいたのだが、私の持っている7台のうち5台がWindows7であったので、こちらのアップグレード作業も必要になる。
私の場合は、すべてアップデートで、うまくいくものもあり、途中で失敗するものあり、となかなか大変であった。
まずアップデートするには、ハードディスク等の空き容量に余裕がないといけない。
そうなると容量アップから始めなければならない。
空き容量が足りなければ、あらたなSSDにクローンを作って、換装してからの作業になる。
当然、手間が増えれば、途中のトラブルの可能性も高まり、ひとたびトラブルが起こると、そこで作業は止まってしまう。
実際、私もクローン化したSSDでシステムエラー-が起こり、修復している縁にシステムも吹っ飛び、何度もクローンをつくり直すことを強いられた。
アップデート中にも、アップデート後にもトラブルが起こり、未だに完全な状態には至っていない。
こんなことが、何台かで起これば、それは大変なことなり、連休どころではなくなってしまった。
今まで放っておいた私も悪いが、きちんと動いているPCをあえて動かなくなる可能性のあることをするのも、なかなか勇気がいることも事実。
「入試直前だから、PCが止まってしまうのは、絶対許されないんだよなぁ…」、とドキドキしつつ、黙々とPCの設定を続ける。
「あれ、マルチドライブがない?」
悪戦苦闘しながらもようやくWindows10にアップデートしたのだが、2台つけてあったドライブがどちらも認識されていない。一つはSATAケーブル端子が壊れている。どうやら、すべての増設ハードディスクを外すときに無理にケーブルを引っ張って壊してしまったらしい…。
SSD化やらドライブ購入やらで、結構な出費になる。
「丹澤先生、office2013のライセンス認証ができないのですが…。」
今朝になってそうした訴えがあった。
このトラブルは、Windows10時にしばしば派生しているようで、ネットにいくつかの記事もある。
「ふー。」
なかなか一筋縄ではいかないなぁ。
追記)
office2013は管理者権限で実行し、再度プロダクトキーを入力して認証すればよいことが分かった。
これまで延長に延長を重ねてきたが、とうとうWindows7もおしまい。
まだまだ使っている人がおおいのだろうが、それだけ安定性の高い良いOSだったということだ。
と言うわけで、私の学校でもWindows7を駆逐すべく、古いPCを買い換えた入り、OSをアップグレードしたりと大わらわであった。
人間、切羽詰まらないとなかなかやらないものだが、たいていこうした作業は後回しにされる。
他の人のPCの設定に負われていてふと気づいたのだが、私の持っている7台のうち5台がWindows7であったので、こちらのアップグレード作業も必要になる。
私の場合は、すべてアップデートで、うまくいくものもあり、途中で失敗するものあり、となかなか大変であった。
まずアップデートするには、ハードディスク等の空き容量に余裕がないといけない。
そうなると容量アップから始めなければならない。
空き容量が足りなければ、あらたなSSDにクローンを作って、換装してからの作業になる。
当然、手間が増えれば、途中のトラブルの可能性も高まり、ひとたびトラブルが起こると、そこで作業は止まってしまう。
実際、私もクローン化したSSDでシステムエラー-が起こり、修復している縁にシステムも吹っ飛び、何度もクローンをつくり直すことを強いられた。
アップデート中にも、アップデート後にもトラブルが起こり、未だに完全な状態には至っていない。
こんなことが、何台かで起これば、それは大変なことなり、連休どころではなくなってしまった。
今まで放っておいた私も悪いが、きちんと動いているPCをあえて動かなくなる可能性のあることをするのも、なかなか勇気がいることも事実。
「入試直前だから、PCが止まってしまうのは、絶対許されないんだよなぁ…」、とドキドキしつつ、黙々とPCの設定を続ける。
「あれ、マルチドライブがない?」
悪戦苦闘しながらもようやくWindows10にアップデートしたのだが、2台つけてあったドライブがどちらも認識されていない。一つはSATAケーブル端子が壊れている。どうやら、すべての増設ハードディスクを外すときに無理にケーブルを引っ張って壊してしまったらしい…。
SSD化やらドライブ購入やらで、結構な出費になる。
「丹澤先生、office2013のライセンス認証ができないのですが…。」
今朝になってそうした訴えがあった。
このトラブルは、Windows10時にしばしば派生しているようで、ネットにいくつかの記事もある。
「ふー。」
なかなか一筋縄ではいかないなぁ。
追記)
office2013は管理者権限で実行し、再度プロダクトキーを入力して認証すればよいことが分かった。