2020年10月30日
携帯電話もパソコンもテレビもない生活を体験した事がありますか?
ちょっと想像してみてください・・・一日中携帯電話も使わない、パソコンも見ない、テレビも見ない生活。
一日くらいであれば大したこと無いかもしれませんね。
でも、一日でも携帯電話をチェックしないと落ち着かない、心配になるという人は多いのではないでしょうか。
ブログをやっている人であれば、今日はどれくらいのPVがあったのか、自分のブログは今何位になっているのか気になるでしょう。
私たちの生活はいろいろなことに拘束されているのです。
携帯電話を見る必要もない、パソコンを触る必要もない、そんな生活ができたらどんなに楽かと想像します。
本来、人間と機械はマッチしないと思います。
本当なら人間とマッチするのは自然です。
木や土や太陽です。
近代の発展で人間は無理やり無機質なものと共生しなくてはならなくなってしまいました。
化学物質やハイテク機器無しでは生活ができなくなっています。
この世は矛盾をかかえながら進化していっています。
地球環境のことを言いながら、より便利な生活を追求することもストップできません。
ですから、バランスを保つことが必要だと思います。
かたよらずにバランスを保つ。
ハイテクになりすぎていると思ったら、マニュアルのことをしてみる。
そのチャンスをくれるのが仏教です。
お祈りをする、お寺にお参りに行く、お布施をするといったことは2500年以上も前から行われていたことです。
お釈迦様は一度、悟りを開く前に身体を極限まで痛めつける荒行を行いました。
しかし、どんなに自分を苦しみの境地においても悟りを得られないことに気が付きました。
骨と皮ばかりの身体になった時に分かったことは、「中道」をいくこと。
例えば、ミャンマーの楽器である竪琴の線はピンと張りすぎても切れてしまう、また緩すぎても音は出ない。
竪琴がきれいな音色を出せるのは、線が丁度よい強さで張られているからこそ実現するのだということです。
その後、お釈迦様は瞑想を実践して悟りを開かれたのです。
仏教というと険しい山を登るとか、滝に打たれるとか苦行することが悟りへの道であると思われがちですが、本来の修行というのはそういったこととは異なるものです。
仏教はかたちを変えていろいろな国へ伝わりましたので、仏教と言っても違う教えになっているのも事実です。
ミャンマーではオリジナルのテーラワーダ仏教ですので、元来のお釈迦様の教えに近いと言えます。
日本でテーラワーダ仏教を教えているスリランカ人のお坊さんがいらっしゃいますのでご紹介します。
https://j-theravada.net/world/introduction/
お坊さんは言っています「仏教は宗教ではありません。人が幸せになる方法を教えてくれているのです。」
一日の中でハイテク機器と離れた静かな時間をつくって過ごしてみると何かが見えてくるかもしれません。
明日も皆様の一日が幸せで満ちあふれますように・・・!
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水を一滴も使わずに作ったスキンケア☆白萄しずく
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