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2022年05月31日
2023年の朝ドラ「らんまん」の主人公のモデル 牧野富太郎博士記念庭園訪問。

牧野富太郎博士と言えば筆者が小さいころからよく聞きなれた人名です。
言わずとしれた植物分類学の基礎を築いた人で博士の描いた植物の精密描写画には驚かされます。
東京在住になってから博士の庭園が近くにあることはうすうす知ってはいましたが、
なんとなくそのままになっていました。
しかし先日テレビで来年の朝ドラの主人公のモデルになることことを知って、
なぜか「これは早いとこ行っておかないと」と言う思いに駆られ急遽訪問したのでした。
当日は5月の下旬の晴天の日の気持ちのいい午後でした。
場所は西武池袋線大泉学園駅南口から約500mのところ。
駅から大通りを歩いて数分の牧野庭園前交差点を右に曲がればすぐでした。
正門はちょっと地味な感じでしたが、牧野記念庭園と彫られた大きな石が鎮座していました。
上に大木が渡された木製の柵の門をくぐるとすぐ正面の大きな松の木(大王松)の下に等身大の写真がプリントされた布がはためきながら迎えてくれました。
左手奥の方には低い笹の中に博士の胸像が見えましたが、一応左回りに進むことにしました。
最初の右の建屋は講習室でビデオの映像に見入っている人が数人いました。
その先は見本園で桜の大木と各種の植物が植えられていました。
それから左に出て進むと左手前方に記念館が見えます。
記念館は博士の遺作や関連資料を展示する施設で博士がなくなるまで暮らしていた邸宅の跡地に建てられたものです。(平成22年8月リニューアルオープン)
手前が常設展示室、奥が企画展示室になっています。
常設展示室では解説パネル、博士愛用の採集道具や描画道具、博士の執筆した書物や描いた植物図などが展示されていました。素朴な道具にも関わらずその植物図の精密さや執筆された書物の膨大さに驚かされました。
また
企画展示室では、今年が牧野博士の生誕160周年記念という事で、
当日は第1回目の4月9日から始まり6月19日(日)までの予定の「植物に彩られた我が人生」が開催中で、牧野博士の言葉とそれを表現するイラストが描かれたアート絵本「まきのまきのレター」の原画が展示されていました。
今年中に記念行事が後3回開催されることになっています。
この後
2回目は7月23日から9月25日に、【仮題】牧野富太郎と万葉集の植物
3回目は10月から12月、
4回目は来年2月から3月、
の予定になっています。
おもな展示状況は後の写真を参考にしてください。
尚写真撮影は当日はOKでしたが今後もOKかどうか不明です。
記念館や住居(仕事場)・書屋を見た後は庭園をゆっくり散策し、いろんな植物を堪能しました。
パンフレットの中の年間の「花ごよみ」を見ると、
5月は若葉には恵まれた時期ではありましたが、花は少ないので、
今度はたくさんの花が重なる時にも是非訪問したいと思った次第です。
以下スマホで撮った写真を紹介します
アクセス | 大泉学園駅構内で |
牧野記念公園入口 | 入るとすぐ前に |
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入口付近の広場からの振り返り | 奥さん名の笹に囲まれた胸像 |
<頂いたパンフレットのご紹介>
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最後に、博士の生い立ちと業績を簡単にまとめると、
1862年(文久2)に現在の高知県高岡郡佐川町に生まれた。
ほぼ独学で植物の知識を身に着け94年の生涯において収集した標本は約40万点、蔵書は約4万5千冊。
1500種類以上の植物を発見・命名し、日本の植物分類学の基礎を築いた一人として知られている。
1940年(昭和15年)に刊行された「牧野日本植物図鑑」は現在までに改定を重ね、植物図鑑として広く親しまれている。
(パンフレットより)
各種の図鑑を見て、兎に角その植物の精密描写には驚きます。
また実力はあるのに学歴がない為に苦労されたけれど最後は世の中にその実績を認められたところは感動します。
日本にはこのような方が他にもいらっしゃいますね。
牧野博士、庭園、記念館について更に詳しく知りたい方は
次の添付動画1,2やサイトをご参照下さい。
<参考サイト>:
動画1:練馬区立牧野記念庭園(2022年4月30日)
動画2:練馬区立牧野記念庭園 Tomitaro Makio Memorial Garden(2022/05/02)
HP: 牧野記念庭園のご案内(練馬区)
HP:牧野記念庭園
<本のご紹介>
貧苦にめげず、不屈の魂で血の種(ボタニカ)を究め続けた稀代の植物学者を描く感動の長編小説!
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(注:NHKの朝ドラはオリジナル脚本による。)
あとがき
来年4月からの朝ドラが始まると全国から訪れる方が多くなると思いますが、園内は人の立ち入る場所が狭い(植栽が多い為)ので日によってはかなりの混雑が予想されます。近場の人は早めに行かれた方がいいと思います。
しかしそうはいっても花の見れる季節に訪れたいと思うのが人情。やはり花の見ごろとなる春と秋が混みそうですね。
因みに博士の誕生日は4月24日で、この日は「植物学の日」に制定されています。
2020年02月25日
令和ゆかりの地訪問と太宰府天満宮境内の碑と枝垂れ梅
先日の日曜日法事で福岡の実家に帰り、その翌日月曜日は令和になってぜひ一度行ってみたいと思っていた
令和ゆかりの地に行ってきた。
まずは令和に関しての簡単なおさらい。
・昨年2019年4月1日に新元号が令和となることが発表され、5月1日から令和の新時代がスタートした。
・これまでの元号は全て中国の古典から引用されたものであったが、令和は初めて日本の古典
「万葉集」から引用された。
・奈良時代の初め、当時の大宰府の長官であった大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で
32人が梅の花を題材に歌ったものを大伴旅人が取り纏めその「序」を書き万葉集に収められた。
・その「序」の中から令と和が選ばれ令和とされた。
・令和の意味としては、平和な時代になってほしいという思いが込められている。
・梅花の宴が開かれた邸宅の場所については諸説残されているが、そのうちの1つが太宰府跡にほど近い
「坂本八幡宮」付近とされる。
(尚令和の経緯や大宰府跡に関しての詳細は最後に参考サイトをご参照願います)
ということで、
令和ゆかりの地として、太宰府政庁跡(通称都府楼跡)と坂本八幡宮に行った。
その後最後の”締め”やはり太宰府天満宮へ。
境内で令和関連碑を”発見”。更に枝垂れ梅を堪能した。
まず
西鉄電車で二日市まで行き、そこから太宰府行きに乗り換えた。
太宰府行電車名は「旅人」と、長官名と旅行者を重ねており旅情を誘うネーミングだ。
太宰府駅も18年12月に全面リニューアルされ駅のホームや構内天井の朱色が鮮やかだ。
今回の行程、当初は太宰府駅で自転車を借りて現地までサイクリングするつもりだったが
当日天気は良かったもののまだサイクリングするには寒すぎたのでバスにすることにした。
駅の観光事務所で確認すると、駅前から太宰府市のコミューニティバスが出ていてどこまで行っても100円とのこと。このバスは多くの地元の人と観光客が利用しているようだ。すぐ長い列になった。
バスに乗り、途中広々とした草地が次々に右側車窓に現れるのを眺めながら、観世音寺を通りすぎると太宰府跡に着いた。
先ず目の前に大きな古代の倉庫風の建物があった。これは太宰府展示館(梅花の宴ジオラマ)という名称で、各種の歴史物品が収納されているのだがあいにく月曜は休館日となっていて見れなかった。その横には広々とした太宰府政庁跡(都府楼跡)があった。
団体客としてまたは効率的な訪問なら、まず南門跡ついで正殿跡、万葉歌碑(大伴旅人)、坂本八幡宮というルートになるのかも知れないが、今回は事前にルートを決めずに来たので気の向くままに進んでみた。
月曜だったためか、草が生えた広々とした跡地には人影が本当に疎らでなかなか普段経験出来ない情景であり、なんだか古代にタイムスリップしたような感じであった。
政庁跡地の右側(太宰府展示館左側)から歩き始め、最初に目に止まったのは歌碑と説明付帯物。
小野老の「あおによし・・・」の歌が刻んであった。
右辺を北上すると生け垣フェンスがあり、さらにそれを過ぎて進むと道に出た。
この道は歴史の散歩道と呼ばれる道で今回のメインの訪問先の一つの坂本八幡宮に続いている。
その途中に万葉歌碑(大伴旅人)があった。
しばらく道に沿って進むと遠くに目指す坂本八幡宮があった。
土日ならかなりの参拝客が来ているはずだが、今日は月曜のためか人の数は少なかった。
社務所はプレバブで、令和となり突然有名になったので急遽対応したという感じであった。
お参りを終え、社務所の横を通り、隣の梅林台地に出てしばし梅の花と香りを堪能。
さらに梅林台地からジグザグの木道を降りて行き、再び太宰府政庁跡に戻った。
広い原っぱには古(いにしえ)の建物の礎(いしずえ)となっていた大きな石が整然と並んでいる。
しばらく行くと太宰府政庁正殿跡に着く。ここには背の高い石碑が3つ建っていた。
更に正殿跡と南門跡の間の広場には大きな丸い二段の礎石が整然と並んでいた。
この環境の中にいると本当に古の世界に戻ったような気がした。
正殿跡、中間広場の礎石、南門跡を一通り見た後は、歩道が整備された道(76号線)を隣のバス停まで歩いた。
その途中戒壇院や観世音寺に立ち寄り、その後またバスで太宰府駅まで戻った。
太宰府天満宮には、今回は大鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、楼門をくぐりと中央参道から正規のルートで参拝した。
境内では、令和関連碑の”発見”と普段見ない穴場的場所の数々、それと枝垂れ梅を重点的に見て回った。
以下私が気ままに動いた順に写真を並べます。
(通常の順路ではありません、また枝垂れ梅はランダム記載)
バスに揺られながら、バス停数駅で太宰府跡に到着。
これからこの太宰府政庁復元図の右下から広い原っぱ全体を横目に見ながら堀川に沿って北上し
更に進むと歴史の散歩道に当たり、ここから西進し坂本八幡宮へ向かった。
古都太宰府保存への道
南門全景
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(現在では「春を忘るな」が主流か?)
次の2枚の写真は、今回の旅の主目的の令和関連で、石碑の背が高いので縦版と横版の2枚掲載。
他の写真より多少高解像度になっていますので、拡大して和歌を読んでみてください。
以下境内の枝垂れ梅のかずかず
最後に
大宰府天満宮は梅の季節の2月が最適だが、太宰府政庁跡には桜の季節に行きたいと思った。
土日は混んでおり平日がいいと思うが、月曜は展示館が休館なので要注意。
上記とは別の行き方として、西鉄都府楼駅から歩いて現地迄行き見終わったらバスで太宰府天満宮へ行く方法もある。
車で行かれる場合、特に土日は駐車場の場所と待ち時間等をよく下調べしておかれたほうが良さそうだ。
春はサイクリングで廻るのもいいとおもいます。
<参考サイト>
令和関連:
◎NHK 平成から令和へ
◎万葉集に由来する「令和」に込められた、時代にふさわしい願い
明治大学 文学部 教授 山ア 健司
○日経新聞
新元号「令和」を読み解く 二文字が持つ意味は?
更に詳しくは
○ウィキペディア
太宰府(跡)関連:
◎太宰府政庁跡
○大宰府政庁跡(都府楼跡)
○太宰府について
◎太宰府天満宮
令和ゆかりの地に行ってきた。
まずは令和に関しての簡単なおさらい。
・昨年2019年4月1日に新元号が令和となることが発表され、5月1日から令和の新時代がスタートした。
・これまでの元号は全て中国の古典から引用されたものであったが、令和は初めて日本の古典
「万葉集」から引用された。
・奈良時代の初め、当時の大宰府の長官であった大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で
32人が梅の花を題材に歌ったものを大伴旅人が取り纏めその「序」を書き万葉集に収められた。
・その「序」の中から令と和が選ばれ令和とされた。
・令和の意味としては、平和な時代になってほしいという思いが込められている。
・梅花の宴が開かれた邸宅の場所については諸説残されているが、そのうちの1つが太宰府跡にほど近い
「坂本八幡宮」付近とされる。
(尚令和の経緯や大宰府跡に関しての詳細は最後に参考サイトをご参照願います)
ということで、
令和ゆかりの地として、太宰府政庁跡(通称都府楼跡)と坂本八幡宮に行った。
その後最後の”締め”やはり太宰府天満宮へ。
境内で令和関連碑を”発見”。更に枝垂れ梅を堪能した。
まず
西鉄電車で二日市まで行き、そこから太宰府行きに乗り換えた。
太宰府行電車名は「旅人」と、長官名と旅行者を重ねており旅情を誘うネーミングだ。
太宰府駅も18年12月に全面リニューアルされ駅のホームや構内天井の朱色が鮮やかだ。
今回の行程、当初は太宰府駅で自転車を借りて現地までサイクリングするつもりだったが
当日天気は良かったもののまだサイクリングするには寒すぎたのでバスにすることにした。
駅の観光事務所で確認すると、駅前から太宰府市のコミューニティバスが出ていてどこまで行っても100円とのこと。このバスは多くの地元の人と観光客が利用しているようだ。すぐ長い列になった。
バスに乗り、途中広々とした草地が次々に右側車窓に現れるのを眺めながら、観世音寺を通りすぎると太宰府跡に着いた。
先ず目の前に大きな古代の倉庫風の建物があった。これは太宰府展示館(梅花の宴ジオラマ)という名称で、各種の歴史物品が収納されているのだがあいにく月曜は休館日となっていて見れなかった。その横には広々とした太宰府政庁跡(都府楼跡)があった。
団体客としてまたは効率的な訪問なら、まず南門跡ついで正殿跡、万葉歌碑(大伴旅人)、坂本八幡宮というルートになるのかも知れないが、今回は事前にルートを決めずに来たので気の向くままに進んでみた。
月曜だったためか、草が生えた広々とした跡地には人影が本当に疎らでなかなか普段経験出来ない情景であり、なんだか古代にタイムスリップしたような感じであった。
政庁跡地の右側(太宰府展示館左側)から歩き始め、最初に目に止まったのは歌碑と説明付帯物。
小野老の「あおによし・・・」の歌が刻んであった。
右辺を北上すると生け垣フェンスがあり、さらにそれを過ぎて進むと道に出た。
この道は歴史の散歩道と呼ばれる道で今回のメインの訪問先の一つの坂本八幡宮に続いている。
その途中に万葉歌碑(大伴旅人)があった。
しばらく道に沿って進むと遠くに目指す坂本八幡宮があった。
土日ならかなりの参拝客が来ているはずだが、今日は月曜のためか人の数は少なかった。
社務所はプレバブで、令和となり突然有名になったので急遽対応したという感じであった。
お参りを終え、社務所の横を通り、隣の梅林台地に出てしばし梅の花と香りを堪能。
さらに梅林台地からジグザグの木道を降りて行き、再び太宰府政庁跡に戻った。
広い原っぱには古(いにしえ)の建物の礎(いしずえ)となっていた大きな石が整然と並んでいる。
しばらく行くと太宰府政庁正殿跡に着く。ここには背の高い石碑が3つ建っていた。
更に正殿跡と南門跡の間の広場には大きな丸い二段の礎石が整然と並んでいた。
この環境の中にいると本当に古の世界に戻ったような気がした。
正殿跡、中間広場の礎石、南門跡を一通り見た後は、歩道が整備された道(76号線)を隣のバス停まで歩いた。
その途中戒壇院や観世音寺に立ち寄り、その後またバスで太宰府駅まで戻った。
太宰府天満宮には、今回は大鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、楼門をくぐりと中央参道から正規のルートで参拝した。
境内では、令和関連碑の”発見”と普段見ない穴場的場所の数々、それと枝垂れ梅を重点的に見て回った。
以下私が気ままに動いた順に写真を並べます。
(通常の順路ではありません、また枝垂れ梅はランダム記載)
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バスに揺られながら、バス停数駅で太宰府跡に到着。
これからこの太宰府政庁復元図の右下から広い原っぱ全体を横目に見ながら堀川に沿って北上し
更に進むと歴史の散歩道に当たり、ここから西進し坂本八幡宮へ向かった。
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「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(現在では「春を忘るな」が主流か?)
次の2枚の写真は、今回の旅の主目的の令和関連で、石碑の背が高いので縦版と横版の2枚掲載。
他の写真より多少高解像度になっていますので、拡大して和歌を読んでみてください。
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以下境内の枝垂れ梅のかずかず
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最後に
大宰府天満宮は梅の季節の2月が最適だが、太宰府政庁跡には桜の季節に行きたいと思った。
土日は混んでおり平日がいいと思うが、月曜は展示館が休館なので要注意。
上記とは別の行き方として、西鉄都府楼駅から歩いて現地迄行き見終わったらバスで太宰府天満宮へ行く方法もある。
車で行かれる場合、特に土日は駐車場の場所と待ち時間等をよく下調べしておかれたほうが良さそうだ。
春はサイクリングで廻るのもいいとおもいます。
<参考サイト>
令和関連:
◎NHK 平成から令和へ
◎万葉集に由来する「令和」に込められた、時代にふさわしい願い
明治大学 文学部 教授 山ア 健司
○日経新聞
新元号「令和」を読み解く 二文字が持つ意味は?
更に詳しくは
○ウィキペディア
太宰府(跡)関連:
◎太宰府政庁跡
○大宰府政庁跡(都府楼跡)
○太宰府について
◎太宰府天満宮
2019年12月22日
皇居の紅葉と大嘗宮見おさめ

紅葉シーズンに合わせた秋恒例の皇居・乾通りの一般公開が11月30日に始まった。
公開のルートは、坂下門(東京駅側)から宮内庁庁舎前を通って乾門に抜ける約750メートルの並木道。
乾通りは平成の春にも通っていはいたが、令和初開催の今回は天皇ご即位後の大嘗祭の舞台となった
大嘗宮を見るのを主目的に行った。
大嘗宮の一般参観は21日から始まっていたが、いずれの公開期間も12月8日までだったので、
慌てて2日前に駆け込んだ。
朝9時ごろ私的に便利な有楽町線桜田門駅から歩いて坂下門に向かった。
当日は曇りでかなり肌寒い日ではあったが、多くの人達が来ていた。(団体が多かった)
坂下門に入る迄に荷物チェックとボディチェックを受け、皇居内に入ると、右回りの直接大嘗宮へ行く道とと乾通りの途中から入る2通りのルートがあった。一応紅葉も見ようと乾通りに進んだ。
曇天のせいか紅葉や黄葉は今一の感じではあった。(翌日は快晴だったので残念)
乾通りの途中から右折して蓮池濠に掛る橋を渡って皇居東御苑に入るとやや前方に大嘗宮が姿を現したが、
右回りのルートの始めのところまで戻るまでかなり歩かなければならなかった。
しかし途中竹や紅葉や江戸時代の遺跡等が見られ遠回りしたかいはあった。
最後やっと合流するような蚊形で大嘗宮に近づいた。
大嘗宮は江戸城の天守閣の横広場に砂を敷き詰められた中に、色々な役割を終えたいくつもの建屋があり、おごそかな雰囲気を漂わせていた。参観しながら、テレビで見たシーンを少し思い出そうとしたが、対応は全く判らず。ただ世紀の一瞬に立ち会えたという感じではあった。
以下皇居の秋と役割を終え取り壊される前の大嘗宮を少しの写真でご紹介します。
坂下門から入る 大嘗宮へは2つのルートがある
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乾(いぬい)通りの紅葉を見ながら進む
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モミジが鮮やかだった 途中から右折してお濠を渡り東御苑に入る。
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途中にある各種の竹と説明パネル 大嘗宮入口目指して進む
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大嘗宮入口目指して進む 先の方に大嘗宮が見えてきた
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大嘗宮にほぼ到達 大嘗宮に沿って進んで行く
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大嘗宮正門か?
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大嘗宮とお別れ
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大嘗宮を後に平川門へ向かう 説明パネル
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尚、大嘗宮はその後取り壊されるが、資材は再利用するとされている。
平成の時は廃材の多くが焼却設備で燃やされたそうだが、今回は有効活用することにしたという。
大嘗宮の敷地の砂利や建物を囲った芝垣等は皇居内の庭園資材として再利用される予定。
主材である木材の一部は今回の大風で被害に遭った人に向けられるとも聞きこれはいいと思ったが、
有効利用という名目でバイオマス発電の燃料にされるとの記事もあった。
しかし発電の燃料としては非常にもったいないと感じた。
使用された木材は恐らく立派な物であったはずで、発電の燃料なら間伐材、建築廃材でも間に合うのだから。
ところで、
今回の一般公開は8日に終了したが、公開期間中(18日間)に約78万人が訪れたそうだ。
これは平成の時の約44万人を大きく上回った。
2019年02月12日
学問の神様菅原道真を祀る太宰府天満宮へ、2月初旬の梅と裏庭散策
2月上旬所要で福岡に帰ったので、梅を見たくて大宰府天満宮に行ってきました。
ところで当日は月曜日だったため、人出は朝は少なめでした。しかし流石に昼頃になると多くなっていました。
ただ8割位は中国人観光客の様な感じでした。
梅は満開に近いものも有りましたが3〜4部咲き位の感じの木が多く、まだ全くの蕾の木も有りました。
ただし梅は2月中ということでした。
大宰府は天神から西鉄大牟田線の直通が出ています。
2年ぶりに行った太宰府駅は朱塗りの欄干がホームを飾り、全く新しく生まれ変わっていました。(関連記事)
さて、太宰府天満宮や菅原道真公に関する情報は
最後に添付している本家のホームページをご参照頂くとして、
今回のブログではいつもと違った回り方やあまり紹介されていない裏庭当たりをご紹介したいと思います。
葉山の御用邸の梅をお手植えされたもの) (東風吹かば匂い起こせよ梅の花主(あるじ)無し
花橘が有ったのをずらして植えられた。 とて春なわすれそ)
受けた後、ひょうたんに願い事をいれ一年間家に飾り、
一年後厄が晴れたらそのひょうたんをここに吊るす。
日本各地のこれを好きな人が多い。 (詳しくは動画天満宮3ご参照)
6月の花菖蒲を見てみたい。
あの隈研吾氏の設計になるものだそうだ。
太宰府天満宮のホームページはここからどうぞ。
沢山の写真&その他はここから。ホトカミ
周辺の歴史も含めて詳しく知りたい人には以下3つの動画は必見です。
以下3つの動画を見れば、太宰府天満宮をほぼマスターできる?
伊藤英明 ナビゲーター 太宰府 天満宮 1
伊藤英明 ナビゲーター 太宰府 天満宮 2
伊藤英明 ナビゲーター 太宰府 天満宮 3
太宰府天満宮の歌もあるんですね。
太宰府天満宮のCMソング 「遥かなる時空よ」
この曲はCDとしては買えないようです。
私はこの曲が大変気に入っていて、曲は直ぐ覚えたのですが、歌詞の方はすぐには覚えられませんでした。
ご参考のために歌詞を書いておきますので、よろしければ是非どうぞ。
「遥かなる時空よ」(はるかなるときよ)
作詞 外間隆史
作曲 鈴木さえ子
唄 本間哲子
梢を廻る陽光(ひかり)や
ささやく緑の言葉
遥かなる時空(とき)を超え
胸の奥深く届くよ
風の道が空へとつづいてる
遠い記憶の羽根ひろげて
雲間に歌う小鳥や
夕焼け空の草笛
ひそやかな思い出を
胸の奥深く染めるよ
風がそっと心に吹いてくる
遠い記憶を運ぶように
風の道が空へと続いてる
遠い記憶の羽根ひろげて
太宰府天満宮を堪能されましたでしょうか。
梅はあくまで2月一杯が見頃だそうですが、
3月になると上旬に平安時代の宮中行事を再現する「曲水の宴」があったり、また卒業の時期になりますので2月より参拝者がが例年多くなるそうです。
尚この際、日本の他の梅の名所も見ておきましょう。
・全国梅の名所6選と見頃予想
・【全国】2019年 梅の名所・梅まつり開催情報
次は、都内もいろいろありますが、やはり、関東一の水戸の偕楽園に行ってみたいですね。
2018年09月30日
イグノーベル賞の世界展(東京ドームシティ内)

東京ドーム内一角の会場で開催されていたイグノーベル賞の展示会に行ってきました。
イグノーベル賞についての説明や日本の受賞履歴については最後に記載していますのでご参照ください。
場所:東京ドームシティ内 ギャラリー「AaMo」(アーモ)
アクセス:地下鉄丸ノ内線下車、ドーム会場内徒歩数分(ドーム内の案内でチラシを貰って聞くのが一番)
入場料:大人(高校生以上)1,400円/小人(小・中学生)900円
期 間:9月22日(土)〜11月4日(日)
内 容:創設者の言葉や歴代の全受賞説明パネル、一部の現物(商品)の展示と実体験場(小~大)
展示会場内は撮影自由だった。その一部をご紹介します。
ただスマホ写真で分かりづらい部分はサイトの写真もご覧ください。
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今年2018年の受賞は昭和伊南総合病院(長野県駒ヶ根市)の堀内朗内科診断部長・消化器病センター長が選ばれた。自身のお尻で座ったままでの大腸内視鏡検査法を研究した成果が評価された。
座った姿勢での検査はトイレの姿勢に近く挿入時の抵抗が少ないことが期待された。
その授賞式での説明の様子(英語)はこの動画で(1時間8分21秒頃から始まります)
・・・・・・・・・
しかし、腸の内視鏡検査はやったことがあるが、半日かけて2L以上の洗浄液で腸内を綺麗にしてからやった覚えがある。洗浄の話が無いが、大腸検査は事前洗浄不要?。
個人的には犬語翻訳機「バウリンガル」が良さそうと思うが・・・。
<参考サイト>
◯展覧会・イベント
◯祝・12年連続日本人受賞!2018年イグノーベル賞 速報!
◯12年連続、イグノーベル賞日本人受賞者のイグノーベル賞、東京ドームシティ、 マーク・エイブラハムズ、ギャラリー「AaMo」(アーモ) 12回連続受賞一覧
◯イグ・ノーベル賞を12年連続で日本人が受賞。日本発の奇抜すぎる研究とは?
<イグノーベル賞の説明>
イグノーベル賞はノーベル賞のパロディ版というのは大体の人は知っていると思いますが、
詳しい説明を(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」のサイトより一部を引用すると以下の様になります。
「ノーベル賞のパロディとして、世界中のさまざまな分野の研究の中から「人々を笑わせ、そして考えさせる業績」に対して贈られる賞。「イグノーベル(Ig Nobel)」とは、ノーベル賞創設者アルフレッド・ノーベルの姓に否定的な接頭辞「Ig」をつけた造語で、下等な、下品な、見下げたという意味の「ignoble」を掛けたジョークである。
イグノーベル賞は、イスラエルで発刊された科学ユーモア雑誌「ジャーナル・オブ・イレプロデューシブル・リザルト(再製不能な結果ジャーナル)」誌の編集者であったマーク・エイブラハムズが1991年に創設した。
賞の主宰は95年からはエイブラハムズ自身が立ち上げた「アナルズ・オブ・インプローバブル・リサーチ(ユーモア科学研究ジャーナル)」誌に引き継がれ、ハーバード・コンピューター協会、ハーバード・ラドクリフ物理学生協会、ハーバード・ラドクリフSF協会が協賛し、現在に至っている。
ノーベル賞と同じ、物理学、化学、平和、経済学、医学生理学、文学のカテゴリーの他、公衆衛生学賞、心理学賞、昆虫学賞など本家ノーベル賞には無いカテゴリーも随時追加されている。
毎年10組に贈られるが、受賞の内容は非常に真面目な研究も多いかたわら、とんちんかんなものや、時には、水爆の発明者でありスターウォーズ計画を提唱したエドワード・テラーが「一般とはまったく違った意味を『平和』に与えた業績を称えて」91年度のイグノーベル平和賞を授与されたといった強烈な皮肉も含まれている。真面目な研究者の中には、受賞を喜ばない者も少なくない。
ユーモアと笑いにあふれる授賞式は毎年10月に、ハーバード大学のサンダーズ・シアターで行われる。受賞者の出席費用はすべて自費で、スピーチでは必ず聴衆を笑わせなければならない。
しかも、スピーチが長くなるとミス・スウィーティー・プーと呼ばれる進行役の少女が「やめて、飽き飽きするわ!」などと叫んで邪魔しようとする。
聴衆はステージに向かって紙飛行機を投げ続け、ハーバード大学教授で物理学者のロイ・グラウバー(2005年のノーベル物理学賞受賞者)が紙飛行機の掃除を担当している。」
今年も、初めての人も

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