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2019年06月07日
”今まで通り”を変えるために。
以前、フードバンクを利用させてもらった時から
お世話になってる市の生活支援施設の担当者さんと
久しぶりに面談してきた。
→「フードバンク。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/28/0
当初は「住宅確保給付金」の申請のために繋がりを求め、
これは結局通らなかったものの、
担当者さんはとても面倒見のいい方で、
しばらく面談の期間が空くと今でも電話してくれて、
ちゃんと食べてるか心配だよ、と様子を聞いてくれる。
昨年12月に初めてここを訪ねてから、
どん底に落ちていた僕と色んな相談をしてくれた。
住宅確保給付金のこと、再就職のこと、フリーランスでのこと、
食べ物のこと、生活費のこと、そして生活保護のこと。
生活保護については、1月に1人で区役所へ相談に行き、
最終手段として使うのもやむなしとは思っていた。
「生活保護の話。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/41/0
だけど今回の面談で
「当時の君は絶対嫌だ、使いたくないと強く言ってたね」
と笑って話してくれたのを聞いた時、
もちろん使いたくない思いは強いけど、
まぁ使うことになるならなったでいいと
余裕を持てている自分に気付くことができた。
半年前と比べて明らかに変わった僕は、
今回の面談で相談員さんにこう伝えた。
「今月から就労移行支援事業所へ通い始め、
いつまで通うか期間は特に決めておらず、のんびり進みます。」
「その間、もし最後の手段で生活保護を利用したとしても、
長い人生の1〜2年くらい生活保護になったって別にいいと思います。」
「どこでどう働くかはともかく、今できることはやってるし、
お金や時間に縛られていた”今まで通りの人生”を変えるために、
来年、再来年以降”今まで通り”でなくなるための活動もしています。」
それに対し、相談員さんはこう言ってくれた。
「理琉君が再出発できて、前向きに変わってくれて嬉しい。
施設相談員としての私ができる支援はもうないから、
今回で終了することもできるけど、
最長で1年くらいは担当できるから
あと半年間、もし希望があれば時々様子を聞かせて。」
僕は「次の休みにまた相談させてください」と返事をした。
”今まで通りの人生”を変える活動の1つであるこのブログ
気付いたらこれが196記事目になった。
半年間、毎日書いてきて、ネタに困る瞬間もたくさんあったし、
止めようかな…と挫折しそうになったこともある。
だけど、書けば書くほど、自分が解っていく。
書籍や歌詞の紹介を載せたりはしてるけど、
役立つ情報発信のためというよりは、自分のために載せてる。
自分が心打たれた一節、自分の本当の本音に気付けた本、
その時の心境とぴったりマッチする名言。
そういう言葉に出逢えた喜びと、
こうやって自分の気持ちを表現する楽しさが相まって、
本当に楽しく書けてる。
今後200記事、300記事と増える中で、
僕にしか書けない世界をどれだけ表現できるかと思うと、
本当にわくわくしている。
お世話になってる市の生活支援施設の担当者さんと
久しぶりに面談してきた。
→「フードバンク。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/28/0
当初は「住宅確保給付金」の申請のために繋がりを求め、
これは結局通らなかったものの、
担当者さんはとても面倒見のいい方で、
しばらく面談の期間が空くと今でも電話してくれて、
ちゃんと食べてるか心配だよ、と様子を聞いてくれる。
昨年12月に初めてここを訪ねてから、
どん底に落ちていた僕と色んな相談をしてくれた。
住宅確保給付金のこと、再就職のこと、フリーランスでのこと、
食べ物のこと、生活費のこと、そして生活保護のこと。
生活保護については、1月に1人で区役所へ相談に行き、
最終手段として使うのもやむなしとは思っていた。
「生活保護の話。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/41/0
だけど今回の面談で
「当時の君は絶対嫌だ、使いたくないと強く言ってたね」
と笑って話してくれたのを聞いた時、
もちろん使いたくない思いは強いけど、
まぁ使うことになるならなったでいいと
余裕を持てている自分に気付くことができた。
半年前と比べて明らかに変わった僕は、
今回の面談で相談員さんにこう伝えた。
「今月から就労移行支援事業所へ通い始め、
いつまで通うか期間は特に決めておらず、のんびり進みます。」
「その間、もし最後の手段で生活保護を利用したとしても、
長い人生の1〜2年くらい生活保護になったって別にいいと思います。」
「どこでどう働くかはともかく、今できることはやってるし、
お金や時間に縛られていた”今まで通りの人生”を変えるために、
来年、再来年以降”今まで通り”でなくなるための活動もしています。」
それに対し、相談員さんはこう言ってくれた。
「理琉君が再出発できて、前向きに変わってくれて嬉しい。
施設相談員としての私ができる支援はもうないから、
今回で終了することもできるけど、
最長で1年くらいは担当できるから
あと半年間、もし希望があれば時々様子を聞かせて。」
僕は「次の休みにまた相談させてください」と返事をした。
今まで通り"を変えられない人間は、
来年も再来年もずっと今まで通りだ
九頭龍高校 女子バスケ部監督 車谷智久
「あひるの空」 25巻 180話”白いクリスマス” より
”今まで通りの人生”を変える活動の1つであるこのブログ
気付いたらこれが196記事目になった。
半年間、毎日書いてきて、ネタに困る瞬間もたくさんあったし、
止めようかな…と挫折しそうになったこともある。
だけど、書けば書くほど、自分が解っていく。
書籍や歌詞の紹介を載せたりはしてるけど、
役立つ情報発信のためというよりは、自分のために載せてる。
自分が心打たれた一節、自分の本当の本音に気付けた本、
その時の心境とぴったりマッチする名言。
そういう言葉に出逢えた喜びと、
こうやって自分の気持ちを表現する楽しさが相まって、
本当に楽しく書けてる。
今後200記事、300記事と増える中で、
僕にしか書けない世界をどれだけ表現できるかと思うと、
本当にわくわくしている。
2019年06月02日
Birthday Message。
じいちゃん、ばあちゃん、見てる?
僕、昨日誕生日だったよ。
じいちゃんとは8歳の時、
ばあちゃんとは大学生の時にお別れしてから、
ものすごく色んなことがあったけど、
今日まで生きて来れて、この日を迎えられたよ。
お祝いにごちそう食べようと思って、
牛丼屋に行ってきたよ。
みそ汁と、お漬物と、卵まで付けて
贅沢してきちゃったよ。
「お誕生日おめでとう、自分」
って言いながら食べたよ。美味しかったなぁ。
泣きそうになっちゃったよ。
もう生きていたくないと思ったことは
数えきれないくらいあったし、
何もかも嫌になって投げ出してしまったことも
数えきれないくらいあったよ。
→「貧困、もう嫌。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/98/0
「Snow Fairy Story。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/107/0
僕にとっての親は肩書き上”OYA”ってだけで
僕の味方じゃない、信用できないから、
逃げ込める場所がどこにもなくて
八方塞がりになることは今もあるよ。
だからこの前、じいちゃんとばあちゃんに
逢いに行ってお話できた時はさ、
守られてるみたいで嬉しかったよ。
→「じいちゃん、ばあちゃんへ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/180/0
こうやって誕生日にごちそう食べたり、
じいちゃんとばあちゃんに逢いに行けたのも、
今日を迎えるまで生き抜いてきたから。
生きてきたから楽しいことがたくさん起こったよ。
昨日のお昼に牛丼でお祝いしてさ、
夜はバスケの試合だったんだ。
最終クォーターまで26点差で負けてて、
僕自身もそれまでシュートが不調で、
もうダメかなって思いかけたけど、
開き直って得点版をまったく見ないでプレーしたら、
気付いたら6点差まで詰めててさ。
あれ?いつの間に?って自分でびっくりしたよ。
結局追いつけなかったけど、
僕は折れない強さをちょっとは身に付けたでしょ。
バースデーゲームを勝利で飾れなかったけど、
こうやって大好きなバスケを楽しめるのも、
何があっても生き抜いてきたからなんだよね。
そんな誕生日。
牛丼食べながら泣きそうになる人なんて
なかなかいないんじゃないかな(笑)
次に何か記念になるようなことがあったら
また書くよ。
何があっても、ちゃんと生き抜いて。
僕、昨日誕生日だったよ。
じいちゃんとは8歳の時、
ばあちゃんとは大学生の時にお別れしてから、
ものすごく色んなことがあったけど、
今日まで生きて来れて、この日を迎えられたよ。
お祝いにごちそう食べようと思って、
牛丼屋に行ってきたよ。
みそ汁と、お漬物と、卵まで付けて
贅沢してきちゃったよ。
「お誕生日おめでとう、自分」
って言いながら食べたよ。美味しかったなぁ。
泣きそうになっちゃったよ。
もう生きていたくないと思ったことは
数えきれないくらいあったし、
何もかも嫌になって投げ出してしまったことも
数えきれないくらいあったよ。
→「貧困、もう嫌。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/98/0
「Snow Fairy Story。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/107/0
僕にとっての親は肩書き上”OYA”ってだけで
僕の味方じゃない、信用できないから、
逃げ込める場所がどこにもなくて
八方塞がりになることは今もあるよ。
だからこの前、じいちゃんとばあちゃんに
逢いに行ってお話できた時はさ、
守られてるみたいで嬉しかったよ。
→「じいちゃん、ばあちゃんへ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/180/0
こうやって誕生日にごちそう食べたり、
じいちゃんとばあちゃんに逢いに行けたのも、
今日を迎えるまで生き抜いてきたから。
生きてきたから楽しいことがたくさん起こったよ。
人に褒められなくたって構わない!
いつでも笑ってられる強さを忘れないで…
生き抜けば必ず楽しいことが……たくさん起こるから……!!
ナミ、ノジコの母 ベルメール
ONE PIECE 9巻 79話”生きる”より
昨日のお昼に牛丼でお祝いしてさ、
夜はバスケの試合だったんだ。
最終クォーターまで26点差で負けてて、
僕自身もそれまでシュートが不調で、
もうダメかなって思いかけたけど、
開き直って得点版をまったく見ないでプレーしたら、
気付いたら6点差まで詰めててさ。
あれ?いつの間に?って自分でびっくりしたよ。
結局追いつけなかったけど、
僕は折れない強さをちょっとは身に付けたでしょ。
バースデーゲームを勝利で飾れなかったけど、
こうやって大好きなバスケを楽しめるのも、
何があっても生き抜いてきたからなんだよね。
そんな誕生日。
牛丼食べながら泣きそうになる人なんて
なかなかいないんじゃないかな(笑)
次に何か記念になるようなことがあったら
また書くよ。
何があっても、ちゃんと生き抜いて。
2019年06月01日
【2019】誕生日。
今日6月1日は僕の誕生日。
去年の今日、
離婚してこの日を迎えるなんて
就労移行支援事業所へ通所するなんて
思ってもいなかった。
人生、何があるかわからない。
僕は函館から遠く離れた山口大学に進学した。
山口大学の創立記念日が6月1日。
入学して初めて知った。
「創立記念日のため休講」の時間割を見た時、
不思議な縁を感じた。
去年の今頃はまだ会社勤めをしていて、
ブログ開設も、他の働き方の模索もしてなかった。
だけどこの1年、気がつけば
こんなに新しいことに挑戦していた。
こんなにアクティブな一面がまだ眠っていたなんて、
本当に不思議。
そして今年いちばんの挑戦は、
父と祖父母の実家の漁村を尋ねたこと。
「再出発の故郷へ。」
「泣かないと決めてたのに。」
忌まわしい過去と決別する覚悟で訪れたつもりが、
自分のインナーチャイルドと話せるなんて思ってもいなかった。
「じいちゃん、ばあちゃんへ。」
「守られてる場所。」
去年から僕自身がすごく変わってきた。
自分の感情から目を逸らさず、
客観的に見て向き合えるようになってきた。
何かあったらちゃんと泣ける。
怒りが沸いた時は、怒ってる自分を認める。
本心は何なのかを探って、その通りに行動してあげる。
すべて、去年まではできてなかったこと。
会社を辞めて、離婚してからの1年間、
自分とじっくり向き合うことができた。
ブログ開設当初は、当事者の自分から
発達障害の認知と理解を広めていくことだった。
知能検査「WAIS-V」を受け、
発達障害の書籍を読み漁ったことで、
むしろ自分の特性を深く理解することにつながった。
「言葉への変換が。」
「あいまい表現が苦手。」
視覚と聴覚過敏の傾向があることにも気づけた。
「音が全部入ってくる。」
「雪の音が見える。
予想外だらけだった、この1年間。
2020年の今日、
「まさかこうなるとは」という出来事を
いくつ挙げられるだろう。
去年はアパート、今年はマンションで迎えたように、
また引っ越してるかも知れない。
何があっても、落ち込んで立ち直って、
やりたいことをたくさんやって。
もっとアクティブに生きれていたら、それでいい。
ーー過去と向き合い、心の傷を受け止めるために、おすすめの本ーー
去年の今日、
離婚してこの日を迎えるなんて
就労移行支援事業所へ通所するなんて
思ってもいなかった。
人生、何があるかわからない。
僕は函館から遠く離れた山口大学に進学した。
山口大学の創立記念日が6月1日。
入学して初めて知った。
「創立記念日のため休講」の時間割を見た時、
不思議な縁を感じた。
去年の今頃はまだ会社勤めをしていて、
ブログ開設も、他の働き方の模索もしてなかった。
だけどこの1年、気がつけば
こんなに新しいことに挑戦していた。
- アダルトチルドレン自助グループのミーティングに参加
- フードバンクにお世話になる
- 障害年金に落ちる
- Webライターに挑戦
- 読書にはまる
こんなにアクティブな一面がまだ眠っていたなんて、
本当に不思議。
そして今年いちばんの挑戦は、
父と祖父母の実家の漁村を尋ねたこと。
「再出発の故郷へ。」
「泣かないと決めてたのに。」
忌まわしい過去と決別する覚悟で訪れたつもりが、
自分のインナーチャイルドと話せるなんて思ってもいなかった。
「じいちゃん、ばあちゃんへ。」
「守られてる場所。」
去年から僕自身がすごく変わってきた。
自分の感情から目を逸らさず、
客観的に見て向き合えるようになってきた。
何かあったらちゃんと泣ける。
怒りが沸いた時は、怒ってる自分を認める。
本心は何なのかを探って、その通りに行動してあげる。
すべて、去年まではできてなかったこと。
会社を辞めて、離婚してからの1年間、
自分とじっくり向き合うことができた。
ブログ開設当初は、当事者の自分から
発達障害の認知と理解を広めていくことだった。
知能検査「WAIS-V」を受け、
発達障害の書籍を読み漁ったことで、
むしろ自分の特性を深く理解することにつながった。
「言葉への変換が。」
「あいまい表現が苦手。」
視覚と聴覚過敏の傾向があることにも気づけた。
「音が全部入ってくる。」
「雪の音が見える。
予想外だらけだった、この1年間。
2020年の今日、
「まさかこうなるとは」という出来事を
いくつ挙げられるだろう。
去年はアパート、今年はマンションで迎えたように、
また引っ越してるかも知れない。
何があっても、落ち込んで立ち直って、
やりたいことをたくさんやって。
もっとアクティブに生きれていたら、それでいい。
ーー過去と向き合い、心の傷を受け止めるために、おすすめの本ーー
2019年05月31日
強気な仮面の下は怯え。
「打ってもいいけどちゃんと決めろよ!」
「あなた前回負けた戦犯です」
「それぐらいなんでやらないんだよ!」
僕のバスケの知り合いで、このような
信じられない言葉を味方に試合中ずっと言ってる人がいる。
練習人数が足りない時なんかは友達に声をかけて
参加してもらうことが多いんだけど、
来てくれた友達に「彼が来るなら次回は遠慮します」
と言われてしまうことが多くて、そのたびにお詫びする。
人数が足りない時でも、彼が来ない時しか
友達に声をかけられなくなってしまったのは心苦しい。
彼は自分にも相当に高いハードルを設定している。
ミスをしたり、イージーショットを落としたりすると
自分に対して厳しい言葉を浴びせている。
それが良いか悪いかは個人の考え方によるけど、
ただ人のせいにばかりしているわけではない。
バスケに関しては他人にも自分にも相当に厳しい彼は、
コート内外で自分の言いたいことをまったく隠さない、
裏表なく誰とでも接するという良いところを持ってる。
人によっては傷つくかも知れないようないじり方もするけど、
フィルターがなく、ストレートで、言いたいことに正直。
言い方がこうなので「口が悪い」「怖い」と
彼のオープンな性格は誤解され易く、
時に極端に嫌われるところが本当にもったいない。
バスケ推薦で大学へ進学したくらい、充分上手いのになぁ。
彼なりのコミュニケーションの仕方だとわかっていても、
僕は今でもたまに彼のキツイ言葉がしんどくなる。
だから初対面で一緒にバスケして、
いきなり罵声のようなことを言われるのはキツイだろう。
ただ、最近ようやく考えられるようになったのは、
こんな風に誰に対しても強気な彼は、
実は余裕がなくて怯えてるんじゃないかってことと、
同じことをされてきたのが悔しいんじゃないかってこと。
厳しく言われた人は委縮し、無力感から自分を責める。
まして上手な人、実力のある人から、
間違っていないことを言われるとなおさら。
そうなると、その人との間に精神的な上下関係が生まれる。
こうやって
自分の方が上なんだ、上手なんだ、できるんだと
わざわざ示さないといけないということは、
優越感を持っていなければ折れてしまうくらい、
実は繊細で劣等感を感じているのではないか。
余裕のある人だったら、自分が上か下かを気にしないし、
目立つことをして誇示する必要はないと思うから。
もう1つ、何事も歯に衣着せぬ物言いで、
時に「失礼なやつ」とも言われてしまうほどフレンドリーなのは、
言い方は悪いかも知れないが「やられる前にやる」、
自分が傷つきたくないから先制攻撃をしているのではないか。
人の気持ちなんて誰にもわからないけど、
もしかすると過去に先制攻撃を繰り返し受けてきたり、
親や身近な人との関係が
「敵か、味方か」「勝つか、負けるか」
という緊迫したものだったとしたら、
やられてたまるか!という心理が働いていてもおかしくない。
こんな風に、
もしかして彼は弱気な自分を強く見せてるんじゃないか、
今にも崩れて、割れそうなプライドを
必死で保ってるんじゃないかと想像できるようになったことで、
ある程度笑って流せるようになった。
嫌だなと思うことは今でも多々あるけど、
世の中には色んな人がいるなと
大らかに構えられるようにもなった。
彼に嫌な思いをさせられて
「参加したくない」と言ってる友達には
申し訳ないことをしてしまったけど、
打ち解けてしまえばものすごくいい人だし、
こうやって考える機会をくれたことにはとても感謝している。
「あなた前回負けた戦犯です」
「それぐらいなんでやらないんだよ!」
僕のバスケの知り合いで、このような
信じられない言葉を味方に試合中ずっと言ってる人がいる。
練習人数が足りない時なんかは友達に声をかけて
参加してもらうことが多いんだけど、
来てくれた友達に「彼が来るなら次回は遠慮します」
と言われてしまうことが多くて、そのたびにお詫びする。
人数が足りない時でも、彼が来ない時しか
友達に声をかけられなくなってしまったのは心苦しい。
彼は自分にも相当に高いハードルを設定している。
ミスをしたり、イージーショットを落としたりすると
自分に対して厳しい言葉を浴びせている。
それが良いか悪いかは個人の考え方によるけど、
ただ人のせいにばかりしているわけではない。
バスケに関しては他人にも自分にも相当に厳しい彼は、
コート内外で自分の言いたいことをまったく隠さない、
裏表なく誰とでも接するという良いところを持ってる。
人によっては傷つくかも知れないようないじり方もするけど、
フィルターがなく、ストレートで、言いたいことに正直。
言い方がこうなので「口が悪い」「怖い」と
彼のオープンな性格は誤解され易く、
時に極端に嫌われるところが本当にもったいない。
バスケ推薦で大学へ進学したくらい、充分上手いのになぁ。
彼なりのコミュニケーションの仕方だとわかっていても、
僕は今でもたまに彼のキツイ言葉がしんどくなる。
だから初対面で一緒にバスケして、
いきなり罵声のようなことを言われるのはキツイだろう。
ただ、最近ようやく考えられるようになったのは、
こんな風に誰に対しても強気な彼は、
実は余裕がなくて怯えてるんじゃないかってことと、
同じことをされてきたのが悔しいんじゃないかってこと。
厳しく言われた人は委縮し、無力感から自分を責める。
まして上手な人、実力のある人から、
間違っていないことを言われるとなおさら。
そうなると、その人との間に精神的な上下関係が生まれる。
こうやって
自分の方が上なんだ、上手なんだ、できるんだと
わざわざ示さないといけないということは、
優越感を持っていなければ折れてしまうくらい、
実は繊細で劣等感を感じているのではないか。
余裕のある人だったら、自分が上か下かを気にしないし、
目立つことをして誇示する必要はないと思うから。
淋しいのに平気な振りをしているのは
崩れ落ちてしまいそうな自分を守るためなのさ
Apua Timez「決意の朝に」 より
もう1つ、何事も歯に衣着せぬ物言いで、
時に「失礼なやつ」とも言われてしまうほどフレンドリーなのは、
言い方は悪いかも知れないが「やられる前にやる」、
自分が傷つきたくないから先制攻撃をしているのではないか。
人の気持ちなんて誰にもわからないけど、
もしかすると過去に先制攻撃を繰り返し受けてきたり、
親や身近な人との関係が
「敵か、味方か」「勝つか、負けるか」
という緊迫したものだったとしたら、
やられてたまるか!という心理が働いていてもおかしくない。
こんな風に、
もしかして彼は弱気な自分を強く見せてるんじゃないか、
今にも崩れて、割れそうなプライドを
必死で保ってるんじゃないかと想像できるようになったことで、
ある程度笑って流せるようになった。
嫌だなと思うことは今でも多々あるけど、
世の中には色んな人がいるなと
大らかに構えられるようにもなった。
彼に嫌な思いをさせられて
「参加したくない」と言ってる友達には
申し訳ないことをしてしまったけど、
打ち解けてしまえばものすごくいい人だし、
こうやって考える機会をくれたことにはとても感謝している。
2019年04月29日
反面教師は50%。
僕は絶対に、一方通行で人の話を聞かない
親のような人間にはなりたくない。
これは自分の成長のための大切な気付きではあるが、
「なりたくない」で完結している内は
前進率は50%であることにも気付いた。
なぜなら
「親のようにならないこと」が目標になっただけでは
「親のようにならない」ことがゴールとなり、
その先、未来の「自分が本当になりたいもの」には
まだ向かっていないから。
ゴールが違ってしまう。
アドラー心理学になぞらえてみると、
人の話を聞かない、肯定や共感をしない、
唯一絶対である自分の思想、理想を他人に当てはめる、
そんな親の言動を見て反面教師とすることは
過去の経験や原因から発生した「原因論」。
だから僕は人の話をただ聞けるだけでなく、
他の人ではなく自分に話してくれたことに感謝して、
この人になら話せる、信頼できると思ってもらえる人間になりたい
というのが、未来への目標を見据える「目的論」。
「絶対こうはなりたくない!」と気付けた時点で
50%も成長できた、そのことをまずは労う。
その上で、残り50%はこれからの目標、
「自分はこうなりたい」に向かう。
そのためのスパイスの1つとして
「なりたくない反面教師」を使うのが
反面教師との程よい距離感なのかな、と思う。
「人の振り見て我が振り直せ」とは
本当に言い得て妙だ。
人の振りを見て反面教師にし、
我が振りを直すことでオリジナルの自分を作り上げていく。
先ほどの目的論のくだりのところで、
僕はこうなりたいと具体的に書けたこと自体が
反面教師で終わらず、
その先のことを考えられている証拠だと思っている。
これからも、過去の原因捜しや解説で終わるのではなく、
どうすれば良くなるのかを、未来を見据えていきたい。
親のような人間にはなりたくない。
これは自分の成長のための大切な気付きではあるが、
「なりたくない」で完結している内は
前進率は50%であることにも気付いた。
なぜなら
「親のようにならないこと」が目標になっただけでは
「親のようにならない」ことがゴールとなり、
その先、未来の「自分が本当になりたいもの」には
まだ向かっていないから。
ゴールが違ってしまう。
原因論とは、過去の原因が
現在に支配的な影響を及ぼしている過去志向の考え方
目的論とは、未来の目標が
現在を規定する未来志向の考え方なんだよ
「マンガでやさしくわかるアドラー心理学」 より
アドラー心理学になぞらえてみると、
人の話を聞かない、肯定や共感をしない、
唯一絶対である自分の思想、理想を他人に当てはめる、
そんな親の言動を見て反面教師とすることは
過去の経験や原因から発生した「原因論」。
だから僕は人の話をただ聞けるだけでなく、
他の人ではなく自分に話してくれたことに感謝して、
この人になら話せる、信頼できると思ってもらえる人間になりたい
というのが、未来への目標を見据える「目的論」。
「絶対こうはなりたくない!」と気付けた時点で
50%も成長できた、そのことをまずは労う。
その上で、残り50%はこれからの目標、
「自分はこうなりたい」に向かう。
そのためのスパイスの1つとして
「なりたくない反面教師」を使うのが
反面教師との程よい距離感なのかな、と思う。
「人の振り見て我が振り直せ」とは
本当に言い得て妙だ。
人の振りを見て反面教師にし、
我が振りを直すことでオリジナルの自分を作り上げていく。
先ほどの目的論のくだりのところで、
僕はこうなりたいと具体的に書けたこと自体が
反面教師で終わらず、
その先のことを考えられている証拠だと思っている。
これからも、過去の原因捜しや解説で終わるのではなく、
どうすれば良くなるのかを、未来を見据えていきたい。
タグ:生きる
2019年04月09日
怪我の功名、聞き上手。
僕には幼馴染の親友はいるし、
小中高と友達が全くいなかったわけではないけど、
顔を上げて会話ができて、
もっと多くの友達に恵まれるようになったのは
シアーミュージックへ入学し、音楽を始めてから。
そして多くの友人から言われて嬉しかったのは
「理琉は”聞き上手”だね」という言葉。
高校〜大学までの僕は、
教室で口を開いた回数が通算何回かというくらい
周りと上手くしゃべれない子どもだったから、
いつから聞き上手なのかは定かでない。
だけど僕が”聞き上手”と言ってもらえる理由は
恐らくだが大きく分けて2つある。
1つ目の理由は単純に、僕の発達障害の特性
浮かんだ考えを口へ伝えて言葉に変換するのが
タイムリーにできないことの怪我の功名。
→「言葉への変換が。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
”聞き上手の話し下手”ということわざがあるが、
僕の場合は単純に言葉に変換できなくて
会話の流れの中で自分の話を挟めないから、
必然的に相手のターンが長くなる。
なので初めの内は
話を上手に聞いているというポジティブな解釈ではなく
ただ単に投げ返す隙を見い出せなかっただけ。
2つ目の理由は僕の親が話を聞かない人たちだったから。
→「父との関係(1) -小学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
自分の話を聞いてもらえない悲しさはもう十分味わった、
だけどこれから出逢う人にそんな思いはさせたくない。
だから反面教師とまでは言わないけど
自分は人の話を聞ける人間になりたい、
自分とは異なる考え方を柔軟に受け入れ、
その人が何を思っているかを尊重したいと強く思った。
この意識の変化は僕の中で非常に大きくて、
話をちゃんと聞けるようになったことで
理由1をネガティブな解釈から脱却させることができた。
言葉への変換は脳の特性上、どれだけ練習したって中の下。
下手に力んだって、いつも通り「あ、う…」くらいしか出ない。
だったら、ほぼ相手のターンみたいな会話スタンスは
自分ならではのコミュニケーションの形にすればいい。
自分が相手に興味を持って、
相手が気持ちよく話せるよう引き出してあげる。
そうやって情報をもらってから
1:9の割合でも自分のターンを挟んでいけばいい。
「話を聞こう!」と力んでいるわけではないが、
最近はだいぶ自然に相手の話を聞けるようになった。
色んな人の話をじっくり聞いていて感じたことと言えば、
話を聞いてもらえない経験を長い間してきた人は
意外と多いんじゃないかな、ということ。
バスケの友達など、共通の趣味である程度打ち解けられた人だと
堰を切ったように、嬉しそうに話をしてくれる人が多い。
仕事で責任あるポジションに就いていたり、
家族を持っている人もいるから
もしかすると日常では意見を飲み込まされたり、
言いたいことが言えずに悶々としていたりで
ストレスフルな生活を送っているのかも知れない。
僕はそういう人のケアをしたい、
なんて上から物を言える立場ではないし、
そもそもは僕が
自分のターンに持ち込めないことが始まりだから、
偉そうなことは何も言えないけど、
僕の「主に話を聞くスタイルの会話」が
誰かの気持ちを楽にしたり役立っているのなら嬉しい。
人とまともに会話をする術を
二十代前半になってからようやく学び始め、
今、僕はたくさん話を聞かせてくれる人に囲まれている。
一生の宝物。
小中高と友達が全くいなかったわけではないけど、
顔を上げて会話ができて、
もっと多くの友達に恵まれるようになったのは
シアーミュージックへ入学し、音楽を始めてから。
そして多くの友人から言われて嬉しかったのは
「理琉は”聞き上手”だね」という言葉。
高校〜大学までの僕は、
教室で口を開いた回数が通算何回かというくらい
周りと上手くしゃべれない子どもだったから、
いつから聞き上手なのかは定かでない。
だけど僕が”聞き上手”と言ってもらえる理由は
恐らくだが大きく分けて2つある。
1つ目の理由は単純に、僕の発達障害の特性
浮かんだ考えを口へ伝えて言葉に変換するのが
タイムリーにできないことの怪我の功名。
→「言葉への変換が。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
”聞き上手の話し下手”ということわざがあるが、
僕の場合は単純に言葉に変換できなくて
会話の流れの中で自分の話を挟めないから、
必然的に相手のターンが長くなる。
なので初めの内は
話を上手に聞いているというポジティブな解釈ではなく
ただ単に投げ返す隙を見い出せなかっただけ。
2つ目の理由は僕の親が話を聞かない人たちだったから。
→「父との関係(1) -小学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
自分の話を聞いてもらえない悲しさはもう十分味わった、
だけどこれから出逢う人にそんな思いはさせたくない。
だから反面教師とまでは言わないけど
自分は人の話を聞ける人間になりたい、
自分とは異なる考え方を柔軟に受け入れ、
その人が何を思っているかを尊重したいと強く思った。
この意識の変化は僕の中で非常に大きくて、
話をちゃんと聞けるようになったことで
理由1をネガティブな解釈から脱却させることができた。
言葉への変換は脳の特性上、どれだけ練習したって中の下。
下手に力んだって、いつも通り「あ、う…」くらいしか出ない。
だったら、ほぼ相手のターンみたいな会話スタンスは
自分ならではのコミュニケーションの形にすればいい。
自分が相手に興味を持って、
相手が気持ちよく話せるよう引き出してあげる。
そうやって情報をもらってから
1:9の割合でも自分のターンを挟んでいけばいい。
「話を聞こう!」と力んでいるわけではないが、
最近はだいぶ自然に相手の話を聞けるようになった。
色んな人の話をじっくり聞いていて感じたことと言えば、
話を聞いてもらえない経験を長い間してきた人は
意外と多いんじゃないかな、ということ。
バスケの友達など、共通の趣味である程度打ち解けられた人だと
堰を切ったように、嬉しそうに話をしてくれる人が多い。
仕事で責任あるポジションに就いていたり、
家族を持っている人もいるから
もしかすると日常では意見を飲み込まされたり、
言いたいことが言えずに悶々としていたりで
ストレスフルな生活を送っているのかも知れない。
僕はそういう人のケアをしたい、
なんて上から物を言える立場ではないし、
そもそもは僕が
自分のターンに持ち込めないことが始まりだから、
偉そうなことは何も言えないけど、
僕の「主に話を聞くスタイルの会話」が
誰かの気持ちを楽にしたり役立っているのなら嬉しい。
人とまともに会話をする術を
二十代前半になってからようやく学び始め、
今、僕はたくさん話を聞かせてくれる人に囲まれている。
一生の宝物。
2019年03月14日
うるせーばーか。
昨夜ちょっと雪が降ったけど
今朝は晴れてたので油断して、
ベランダに洗濯物を干したまま出掛けてしまった。
夕方、デイケアと診察終わって
まだ日が出ていたのでそのままブックオフ直行。
4時間後、すっかり夜が更けた、だけでなく
外は横殴りの吹雪。
あーあやっちゃった。洗濯物。
そんな小話を導入してみたが、
今日のテーマは3月の吹雪ではない。
3月に雪降るなんていつものことだから。
そうじゃなくて、フラッシュバックには
「うるせーばーか。」と言い放って対抗しようという話。
特にここ4~5日くらい、
親や仕事関係の恐怖体験のフラッシュバックがひどい。
今日は朝からデイケアだったのに
朝方まで号泣して転がり回って、ほとんど眠れなかった。
→「恐怖のフラッシュバック。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/106/0
僕が受けてるSST講座の心理士さんや、お医者さんにも
もう生きていたくない気持ちに支配されてることを打ち明けて
それでも全然足りないくらい。
ただ、結局は自分で何とかするしかない、
なのに浮かんで来るのは自分の存在否定ばかり。
けっこう参ってる中で、こんなブログに出逢った。
すごく共感と力をもらったのでリンクをお借りする。
【アダルトチルドレン 脱却方法】親を「許す」は考えなくていい。
「うっせーばーか!」と言えるようになれ
https://www.miyakokara.com/entry/2018/08/14/012948
「うるせーばーか。」
否定、罵倒された体験が甦るたびに、
僕もこう言ってみようと思う。1回ではなく何回も。
「貴方はあまりに●●」
「お前は●●」
散々言われて、心の中で増幅される呪文に対し、
僕は言いたいことはたくさん書いてきたが
うるせーと蹴飛ばして来なかったことに気付いた。
振り返ってみると、
繰り返し登場する恐怖体験の主たちは
僕が反論すればする以上の否定語を返してくる。
長丁場のせめぎ合いになり、
最終的に僕は負の言葉たちに言い負かされて
存在そのものを疑うところまで落ちてしまった。
増幅された過去の亡霊と
律儀に対峙して上手く解決できなかったんなら、
シャッタートークになってもいい、
奴らが折れて来ることなんてないんだから
いっそのこと蹴り飛ばしてやろう。
自己中心的?うるせーばーか。
男とは全てを我慢して働くべき?うるせーばーか。
大人のくせに?社会人のくせに?うるせーばーか。
こんなことを書いておきながら、
明日にはまた記憶の亡霊に負かされてるかも知れない。
まぁ、これからも繰り返し負かされるだろう。
最初から上手くいって自信が付けば世話はない。
だけど、負かされそうになったら
それに気付いてつぶやく。
気付く回数を徐々に増やしていく。
もちろん、リアルで人に言うわけではなく、
自分の中に刻まれた記憶の亡霊を蹴飛ばすために。
あと、もういい加減、過去に怯え疲れるのはよそうと、
自分自身に向けて。
うるせー、ばーか。
今朝は晴れてたので油断して、
ベランダに洗濯物を干したまま出掛けてしまった。
夕方、デイケアと診察終わって
まだ日が出ていたのでそのままブックオフ直行。
4時間後、すっかり夜が更けた、だけでなく
外は横殴りの吹雪。
あーあやっちゃった。洗濯物。
そんな小話を導入してみたが、
今日のテーマは3月の吹雪ではない。
3月に雪降るなんていつものことだから。
そうじゃなくて、フラッシュバックには
「うるせーばーか。」と言い放って対抗しようという話。
特にここ4~5日くらい、
親や仕事関係の恐怖体験のフラッシュバックがひどい。
今日は朝からデイケアだったのに
朝方まで号泣して転がり回って、ほとんど眠れなかった。
→「恐怖のフラッシュバック。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/106/0
僕が受けてるSST講座の心理士さんや、お医者さんにも
もう生きていたくない気持ちに支配されてることを打ち明けて
それでも全然足りないくらい。
ただ、結局は自分で何とかするしかない、
なのに浮かんで来るのは自分の存在否定ばかり。
けっこう参ってる中で、こんなブログに出逢った。
すごく共感と力をもらったのでリンクをお借りする。
【アダルトチルドレン 脱却方法】親を「許す」は考えなくていい。
「うっせーばーか!」と言えるようになれ
https://www.miyakokara.com/entry/2018/08/14/012948
「うるせーばーか。」
否定、罵倒された体験が甦るたびに、
僕もこう言ってみようと思う。1回ではなく何回も。
「貴方はあまりに●●」
「お前は●●」
散々言われて、心の中で増幅される呪文に対し、
僕は言いたいことはたくさん書いてきたが
うるせーと蹴飛ばして来なかったことに気付いた。
振り返ってみると、
繰り返し登場する恐怖体験の主たちは
僕が反論すればする以上の否定語を返してくる。
長丁場のせめぎ合いになり、
最終的に僕は負の言葉たちに言い負かされて
存在そのものを疑うところまで落ちてしまった。
増幅された過去の亡霊と
律儀に対峙して上手く解決できなかったんなら、
シャッタートークになってもいい、
奴らが折れて来ることなんてないんだから
いっそのこと蹴り飛ばしてやろう。
自己中心的?うるせーばーか。
男とは全てを我慢して働くべき?うるせーばーか。
大人のくせに?社会人のくせに?うるせーばーか。
こんなことを書いておきながら、
明日にはまた記憶の亡霊に負かされてるかも知れない。
まぁ、これからも繰り返し負かされるだろう。
最初から上手くいって自信が付けば世話はない。
だけど、負かされそうになったら
それに気付いてつぶやく。
気付く回数を徐々に増やしていく。
もちろん、リアルで人に言うわけではなく、
自分の中に刻まれた記憶の亡霊を蹴飛ばすために。
あと、もういい加減、過去に怯え疲れるのはよそうと、
自分自身に向けて。
うるせー、ばーか。
2019年03月08日
100記事目。
僕がブログを始めて
これがちょうど100記事目。
大多数の人ができることができず、
大多数の人用にできている世の中に絶望し、
会社という組織で働いて
生活の糧を稼ぐ方法を諦めかけた。
離婚、失業、障害年金不支給と
面白イベントには事欠かない中、
自分でお金を稼ぐ方法、
自分が本当にしたい生き方を模索する中で
ブログを書くことに出逢った。
※障害年金不支給エピソード
「障害年金、落ちた。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/99/0
始めるにあたって、色々調べてみると、
・根気よく続けること
・最低限100記事が目安
みたいなことが多く目に入って来た。
実際、100記事に到達した今
何かが劇的に変わったわけではないし、
生活の糧を得るという面で考えれば
まったく成果に結び付いていないのが現状。
ドライな言い方をしてしまうと時間給0。
年単位で気長に続ける力が必要だと痛感している。
でも僕にとっては
積み上げてきた100記事を書く前と書いた後で、
いかに自分の本当の気持ちをないがしろにしてきたか、
自分の障害特性を自分がいかに無知だったかを
深く知れたのはとてつもない財産だ。
プライベートで、仕事で、あの時こんな失敗をしたのは
自分のこういう特性と、こういう気持ちが隠れていたという、
根っこを探る手掛かりを発見できた。
ツボにはまる分野では恐ろしい集中力を発揮する理由や、
色や音などの情報量が多い場所ですぐにぐったりする原因も
単なる特性の知識としてだけでなく
過去の自分の経験と照らし合わせることで
”生きた情報”として学ぶことができた。
100という具体的な数字からではなく、
ここまで記事として形にしてきたこと自体が、
無形の財産として僕の中に築かれた。
虚しさも感じたし、折れそうにもなった。
自分が抱える障害を深く調べれば調べるほど、
無理解からなじる声にもたくさん遭遇し、
画面から目を逸らしてきた。
僕と同じ障害を抱えてる人は
世間からこんなになじられていて、
まるで腫れ物、悪者のように扱われていることに
自分が今ここに存在すること自体を謝罪したくもなった。
でも、言葉やしぐさ、態度よりも
文章として書くのが自分に合った表現方法と判ったし、
ブログを書き続けることで
誰よりも自分自身に大きな変化と気付きを与えていける。
具体的な記事数の目標は初めから立ててなかったけど、
日々増えていく記事数を見ると、
本当に一歩一歩だけど積み上げた感じがして、
ささやかな嬉しさを感じる。
自分の気持ちを発掘し、自分と対話ができるブログ。
これからも続けていきたい。
これがちょうど100記事目。
大多数の人ができることができず、
大多数の人用にできている世の中に絶望し、
会社という組織で働いて
生活の糧を稼ぐ方法を諦めかけた。
離婚、失業、障害年金不支給と
面白イベントには事欠かない中、
自分でお金を稼ぐ方法、
自分が本当にしたい生き方を模索する中で
ブログを書くことに出逢った。
※障害年金不支給エピソード
「障害年金、落ちた。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/99/0
始めるにあたって、色々調べてみると、
・根気よく続けること
・最低限100記事が目安
みたいなことが多く目に入って来た。
実際、100記事に到達した今
何かが劇的に変わったわけではないし、
生活の糧を得るという面で考えれば
まったく成果に結び付いていないのが現状。
ドライな言い方をしてしまうと時間給0。
年単位で気長に続ける力が必要だと痛感している。
でも僕にとっては
積み上げてきた100記事を書く前と書いた後で、
いかに自分の本当の気持ちをないがしろにしてきたか、
自分の障害特性を自分がいかに無知だったかを
深く知れたのはとてつもない財産だ。
プライベートで、仕事で、あの時こんな失敗をしたのは
自分のこういう特性と、こういう気持ちが隠れていたという、
根っこを探る手掛かりを発見できた。
ツボにはまる分野では恐ろしい集中力を発揮する理由や、
色や音などの情報量が多い場所ですぐにぐったりする原因も
単なる特性の知識としてだけでなく
過去の自分の経験と照らし合わせることで
”生きた情報”として学ぶことができた。
100という具体的な数字からではなく、
ここまで記事として形にしてきたこと自体が、
無形の財産として僕の中に築かれた。
虚しさも感じたし、折れそうにもなった。
自分が抱える障害を深く調べれば調べるほど、
無理解からなじる声にもたくさん遭遇し、
画面から目を逸らしてきた。
僕と同じ障害を抱えてる人は
世間からこんなになじられていて、
まるで腫れ物、悪者のように扱われていることに
自分が今ここに存在すること自体を謝罪したくもなった。
でも、言葉やしぐさ、態度よりも
文章として書くのが自分に合った表現方法と判ったし、
ブログを書き続けることで
誰よりも自分自身に大きな変化と気付きを与えていける。
具体的な記事数の目標は初めから立ててなかったけど、
日々増えていく記事数を見ると、
本当に一歩一歩だけど積み上げた感じがして、
ささやかな嬉しさを感じる。
自分の気持ちを発掘し、自分と対話ができるブログ。
これからも続けていきたい。
2019年03月02日
卒業式。
自宅のすぐ目の前に私立高校がある。
1日経過したが、3月1日は卒業式だったのか。
朝、校門の前を通ったら
親御さんと思われる方々が続々と入って行った。
学校というものに
いい思い出はあまりないが、
●年前のこの日、
僕も本当に高校を卒業したんだろうか。
自分の卒業式は何があったか、誰と話したか
親が来たかどうか覚えていない。
覚えてることと言えば、
現在も認印として使ってる印鑑を
記念にもらったことぐらいだ。
なお、制服のない高校だったので
卒業式にまつわる”制服のボタン”エピソードは
残念ながら存在しない。
※私服の学校に行きたかったエピソード。
「父との関係。(3) -高校1〜2年-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/16/0
卒業式当日のことよりも、その前後、
大学受験の関係で学校に出入りしてたことの方が覚えてる。
僕は人生のリセットを裏の目的として、
地元から2000キロほど離れた、とある国立大を受験した。
※「父との関係。(4) -高校3年-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/21/0
卒業式のつい数日前、2月25日に
前期試験を受けるための遠征から帰還したばかり。
合格発表が確か3月8日だったから
卒業式の時点で僕は次のステージが決まっていなかった。
もし前期で落ちてたら12日にすぐ後期試験だったから
卒業式が迫ってても関係なく、小論文の練習をしに
学校にはなんだかんだ毎日顔を出していた。
こんなに不確定要素が満載だったのに、
この時の僕はなぜか、落ちたらどうしようとか
これから浪人するのか、なんて不安をまるで感じてなかった。
1月のセンター試験で何とか合格圏内の点数を取れてからは
二次試験を受ける前も、受けて帰って来てからも
謎に穏やかな高校生活を過ごしていた。
僕が受けた学部はセンター試験の配点が大きくて
そこで大きな失敗をしなかったから、気が抜けたのかも知れない。
まぁだいたい受かるだろう、なんて高を括っていた。
高校の卒業式の日程は、ある意味残酷だ。
進学や就職が全ての道ではないけど、
高校への在籍が終わる3月1日の時点では
次のステージが何も決まっていない者が多い中で
ぽいっと放り出すんだから。
前期試験の合格発表が3月8日、
僕は幸い進路指導の先生から合格の電話をもらえた。
既に高校は卒業しているが
大学入学はまだだったこの数日間は
肩書きとしてはどうなるんだろうと気になった。
せっかく卒業式の話を書くんだから、
感動エピソードの1つでも、と思ったが、
まことに残念ながら
当日のことはほとんど覚えておらず、
その前後の話ばかりになってしまった。
今、付け加えるのであれば、合格が決まった時の
父の「ここしか受からなかった」発言が
僕の中で最も衝撃的な出来事だった。
このことを除けば、
卒業式の前後を穏やかに過ごしたのは
センター試験がよほどプレッシャーだった反動だろう。
ともあれ、僕は現状からの卒業を目指して
明日もあさっても、明日を変えるために動く。
1日経過したが、3月1日は卒業式だったのか。
朝、校門の前を通ったら
親御さんと思われる方々が続々と入って行った。
学校というものに
いい思い出はあまりないが、
●年前のこの日、
僕も本当に高校を卒業したんだろうか。
自分の卒業式は何があったか、誰と話したか
親が来たかどうか覚えていない。
覚えてることと言えば、
現在も認印として使ってる印鑑を
記念にもらったことぐらいだ。
なお、制服のない高校だったので
卒業式にまつわる”制服のボタン”エピソードは
残念ながら存在しない。
※私服の学校に行きたかったエピソード。
「父との関係。(3) -高校1〜2年-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/16/0
卒業式当日のことよりも、その前後、
大学受験の関係で学校に出入りしてたことの方が覚えてる。
僕は人生のリセットを裏の目的として、
地元から2000キロほど離れた、とある国立大を受験した。
※「父との関係。(4) -高校3年-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/21/0
卒業式のつい数日前、2月25日に
前期試験を受けるための遠征から帰還したばかり。
合格発表が確か3月8日だったから
卒業式の時点で僕は次のステージが決まっていなかった。
もし前期で落ちてたら12日にすぐ後期試験だったから
卒業式が迫ってても関係なく、小論文の練習をしに
学校にはなんだかんだ毎日顔を出していた。
こんなに不確定要素が満載だったのに、
この時の僕はなぜか、落ちたらどうしようとか
これから浪人するのか、なんて不安をまるで感じてなかった。
1月のセンター試験で何とか合格圏内の点数を取れてからは
二次試験を受ける前も、受けて帰って来てからも
謎に穏やかな高校生活を過ごしていた。
僕が受けた学部はセンター試験の配点が大きくて
そこで大きな失敗をしなかったから、気が抜けたのかも知れない。
まぁだいたい受かるだろう、なんて高を括っていた。
高校の卒業式の日程は、ある意味残酷だ。
進学や就職が全ての道ではないけど、
高校への在籍が終わる3月1日の時点では
次のステージが何も決まっていない者が多い中で
ぽいっと放り出すんだから。
前期試験の合格発表が3月8日、
僕は幸い進路指導の先生から合格の電話をもらえた。
既に高校は卒業しているが
大学入学はまだだったこの数日間は
肩書きとしてはどうなるんだろうと気になった。
せっかく卒業式の話を書くんだから、
感動エピソードの1つでも、と思ったが、
まことに残念ながら
当日のことはほとんど覚えておらず、
その前後の話ばかりになってしまった。
今、付け加えるのであれば、合格が決まった時の
父の「ここしか受からなかった」発言が
僕の中で最も衝撃的な出来事だった。
このことを除けば、
卒業式の前後を穏やかに過ごしたのは
センター試験がよほどプレッシャーだった反動だろう。
ともあれ、僕は現状からの卒業を目指して
明日もあさっても、明日を変えるために動く。
2019年02月26日
投げやりな認知バイアスへ。
何かをやろう、やりたいと思った時、
結果も何も考えず突っ走れる時はいい。
厄介なのは、
どうせお金にならないんでしょ、
生活の糧にならないんでしょと
すぐ貧困問題に結び付けてしまう時と、
世界のトップに比べたら
どうせこれぐらいにしかならないんでしょと、
勝手にゴール地点を決めつけて
投げやりな到達点を予想してしまう時。
物事の判断に少しでも迷うと
この投げやりな認知バイアスが最初に来てしまう悪い癖。
音楽を始めた時、
独学で作詞作曲、ピアノ、CD製作を始めた時、
そんなことを何も考えずに
やりたい気持ちだけで動いていた。
※「路上ライブ時代の話。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/45/0
「24歳で鍵盤を始めた話。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/46/0
「作詞は最初の自己表現だった。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/47/0
いつから自分で自分のリミットを
勝手に決める癖が付いてしまったんだろう。
やりたいと決めたんだから
誰が何と言おうとやる。
そうやって周りの反対を
ことごとく跳ねのけてきた自分が
遠い存在だったかのように感じてしまう。
いくら自分で決めて動こうと、
長年「やめとけ」発言を浴び続けた経験と
今この瞬間、生活困窮者である現実が
無意識に積み重なって
ボクシングのジャブのように効いてるんだろうか。
何をするにしても、その先なんて誰にもわからない。
たとえ世界一になったとしても
その先も人生はずっと続いていく。
お金にならない、そんなことを基準にしてたら
世の中は無駄なことだらけになってしまう。
僕は今、音楽の仕事で生計を立てていないが、
何も考えずにただ打ち込んでいる時に
そんな考えが入り込む余地なんてなかった。
バスケが大好きで、
もっと上手くなりたい、誰にも負けたくないと
人生のほとんどの時間を費やしてきたのは
決してお金だ生活だなんて考えてのことじゃない。
目の前の1プレー、1試合が楽しくて仕方ないから。
生活が苦しいから投げやりになったと
出足が鈍ってる自分を取り繕うことはいつでもできる。
そういう黒い思いを感じてる自分も、
紛れもない自分だから全否定はしない。
ただし、そうやって足踏みする自分が
最も目を向けるべきなのは遠い未来じゃない。
目の前にあること、やりたいことだ。
投げやりな認知バイアスが首をもたげて来たら、
悲観的な結果や自分のリミットを勝手に予想するのは
止められないなら別に構わない、
ただしそれは思うだけにしておきなさい、
目の前にあることだけに最善を尽くしなさいと
自分に言い聞かせよう。
結果も何も考えず突っ走れる時はいい。
厄介なのは、
どうせお金にならないんでしょ、
生活の糧にならないんでしょと
すぐ貧困問題に結び付けてしまう時と、
世界のトップに比べたら
どうせこれぐらいにしかならないんでしょと、
勝手にゴール地点を決めつけて
投げやりな到達点を予想してしまう時。
物事の判断に少しでも迷うと
この投げやりな認知バイアスが最初に来てしまう悪い癖。
音楽を始めた時、
独学で作詞作曲、ピアノ、CD製作を始めた時、
そんなことを何も考えずに
やりたい気持ちだけで動いていた。
※「路上ライブ時代の話。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/45/0
「24歳で鍵盤を始めた話。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/46/0
「作詞は最初の自己表現だった。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/47/0
いつから自分で自分のリミットを
勝手に決める癖が付いてしまったんだろう。
やりたいと決めたんだから
誰が何と言おうとやる。
そうやって周りの反対を
ことごとく跳ねのけてきた自分が
遠い存在だったかのように感じてしまう。
いくら自分で決めて動こうと、
長年「やめとけ」発言を浴び続けた経験と
今この瞬間、生活困窮者である現実が
無意識に積み重なって
ボクシングのジャブのように効いてるんだろうか。
大黒摩季 「夏が来る」より
物事いろいろ知ってしまうと瞬発力が無くなるもので
運命の人だと思っても経験が邪魔して素直になれない
何をするにしても、その先なんて誰にもわからない。
たとえ世界一になったとしても
その先も人生はずっと続いていく。
お金にならない、そんなことを基準にしてたら
世の中は無駄なことだらけになってしまう。
僕は今、音楽の仕事で生計を立てていないが、
何も考えずにただ打ち込んでいる時に
そんな考えが入り込む余地なんてなかった。
バスケが大好きで、
もっと上手くなりたい、誰にも負けたくないと
人生のほとんどの時間を費やしてきたのは
決してお金だ生活だなんて考えてのことじゃない。
目の前の1プレー、1試合が楽しくて仕方ないから。
生活が苦しいから投げやりになったと
出足が鈍ってる自分を取り繕うことはいつでもできる。
そういう黒い思いを感じてる自分も、
紛れもない自分だから全否定はしない。
ただし、そうやって足踏みする自分が
最も目を向けるべきなのは遠い未来じゃない。
目の前にあること、やりたいことだ。
でも目の前の1勝…いや……
目の前の1球1投1打に死にものぐるいになれないやつらが、
メジャーに上がれますかね?
MAJOR 50巻 より
投げやりな認知バイアスが首をもたげて来たら、
悲観的な結果や自分のリミットを勝手に予想するのは
止められないなら別に構わない、
ただしそれは思うだけにしておきなさい、
目の前にあることだけに最善を尽くしなさいと
自分に言い聞かせよう。