2019年04月09日
怪我の功名、聞き上手。
僕には幼馴染の親友はいるし、
小中高と友達が全くいなかったわけではないけど、
顔を上げて会話ができて、
もっと多くの友達に恵まれるようになったのは
シアーミュージックへ入学し、音楽を始めてから。
そして多くの友人から言われて嬉しかったのは
「理琉は”聞き上手”だね」という言葉。
高校〜大学までの僕は、
教室で口を開いた回数が通算何回かというくらい
周りと上手くしゃべれない子どもだったから、
いつから聞き上手なのかは定かでない。
だけど僕が”聞き上手”と言ってもらえる理由は
恐らくだが大きく分けて2つある。
1つ目の理由は単純に、僕の発達障害の特性
浮かんだ考えを口へ伝えて言葉に変換するのが
タイムリーにできないことの怪我の功名。
→「言葉への変換が。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
”聞き上手の話し下手”ということわざがあるが、
僕の場合は単純に言葉に変換できなくて
会話の流れの中で自分の話を挟めないから、
必然的に相手のターンが長くなる。
なので初めの内は
話を上手に聞いているというポジティブな解釈ではなく
ただ単に投げ返す隙を見い出せなかっただけ。
2つ目の理由は僕の親が話を聞かない人たちだったから。
→「父との関係(1) -小学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
自分の話を聞いてもらえない悲しさはもう十分味わった、
だけどこれから出逢う人にそんな思いはさせたくない。
だから反面教師とまでは言わないけど
自分は人の話を聞ける人間になりたい、
自分とは異なる考え方を柔軟に受け入れ、
その人が何を思っているかを尊重したいと強く思った。
この意識の変化は僕の中で非常に大きくて、
話をちゃんと聞けるようになったことで
理由1をネガティブな解釈から脱却させることができた。
言葉への変換は脳の特性上、どれだけ練習したって中の下。
下手に力んだって、いつも通り「あ、う…」くらいしか出ない。
だったら、ほぼ相手のターンみたいな会話スタンスは
自分ならではのコミュニケーションの形にすればいい。
自分が相手に興味を持って、
相手が気持ちよく話せるよう引き出してあげる。
そうやって情報をもらってから
1:9の割合でも自分のターンを挟んでいけばいい。
「話を聞こう!」と力んでいるわけではないが、
最近はだいぶ自然に相手の話を聞けるようになった。
色んな人の話をじっくり聞いていて感じたことと言えば、
話を聞いてもらえない経験を長い間してきた人は
意外と多いんじゃないかな、ということ。
バスケの友達など、共通の趣味である程度打ち解けられた人だと
堰を切ったように、嬉しそうに話をしてくれる人が多い。
仕事で責任あるポジションに就いていたり、
家族を持っている人もいるから
もしかすると日常では意見を飲み込まされたり、
言いたいことが言えずに悶々としていたりで
ストレスフルな生活を送っているのかも知れない。
僕はそういう人のケアをしたい、
なんて上から物を言える立場ではないし、
そもそもは僕が
自分のターンに持ち込めないことが始まりだから、
偉そうなことは何も言えないけど、
僕の「主に話を聞くスタイルの会話」が
誰かの気持ちを楽にしたり役立っているのなら嬉しい。
人とまともに会話をする術を
二十代前半になってからようやく学び始め、
今、僕はたくさん話を聞かせてくれる人に囲まれている。
一生の宝物。
小中高と友達が全くいなかったわけではないけど、
顔を上げて会話ができて、
もっと多くの友達に恵まれるようになったのは
シアーミュージックへ入学し、音楽を始めてから。
そして多くの友人から言われて嬉しかったのは
「理琉は”聞き上手”だね」という言葉。
高校〜大学までの僕は、
教室で口を開いた回数が通算何回かというくらい
周りと上手くしゃべれない子どもだったから、
いつから聞き上手なのかは定かでない。
だけど僕が”聞き上手”と言ってもらえる理由は
恐らくだが大きく分けて2つある。
1つ目の理由は単純に、僕の発達障害の特性
浮かんだ考えを口へ伝えて言葉に変換するのが
タイムリーにできないことの怪我の功名。
→「言葉への変換が。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/4/0
”聞き上手の話し下手”ということわざがあるが、
僕の場合は単純に言葉に変換できなくて
会話の流れの中で自分の話を挟めないから、
必然的に相手のターンが長くなる。
なので初めの内は
話を上手に聞いているというポジティブな解釈ではなく
ただ単に投げ返す隙を見い出せなかっただけ。
2つ目の理由は僕の親が話を聞かない人たちだったから。
→「父との関係(1) -小学校-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/12/0
自分の話を聞いてもらえない悲しさはもう十分味わった、
だけどこれから出逢う人にそんな思いはさせたくない。
だから反面教師とまでは言わないけど
自分は人の話を聞ける人間になりたい、
自分とは異なる考え方を柔軟に受け入れ、
その人が何を思っているかを尊重したいと強く思った。
この意識の変化は僕の中で非常に大きくて、
話をちゃんと聞けるようになったことで
理由1をネガティブな解釈から脱却させることができた。
言葉への変換は脳の特性上、どれだけ練習したって中の下。
下手に力んだって、いつも通り「あ、う…」くらいしか出ない。
だったら、ほぼ相手のターンみたいな会話スタンスは
自分ならではのコミュニケーションの形にすればいい。
自分が相手に興味を持って、
相手が気持ちよく話せるよう引き出してあげる。
そうやって情報をもらってから
1:9の割合でも自分のターンを挟んでいけばいい。
「話を聞こう!」と力んでいるわけではないが、
最近はだいぶ自然に相手の話を聞けるようになった。
色んな人の話をじっくり聞いていて感じたことと言えば、
話を聞いてもらえない経験を長い間してきた人は
意外と多いんじゃないかな、ということ。
バスケの友達など、共通の趣味である程度打ち解けられた人だと
堰を切ったように、嬉しそうに話をしてくれる人が多い。
仕事で責任あるポジションに就いていたり、
家族を持っている人もいるから
もしかすると日常では意見を飲み込まされたり、
言いたいことが言えずに悶々としていたりで
ストレスフルな生活を送っているのかも知れない。
僕はそういう人のケアをしたい、
なんて上から物を言える立場ではないし、
そもそもは僕が
自分のターンに持ち込めないことが始まりだから、
偉そうなことは何も言えないけど、
僕の「主に話を聞くスタイルの会話」が
誰かの気持ちを楽にしたり役立っているのなら嬉しい。
人とまともに会話をする術を
二十代前半になってからようやく学び始め、
今、僕はたくさん話を聞かせてくれる人に囲まれている。
一生の宝物。
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