2019年04月28日
アダルトチルドレン自助グループ。
自分と家族との関係を洗い出す
「人生の棚卸し」を始めてからずっと行きたかった、
アダルトチルドレン同士が語り合う自助グループの
ミーティングに初参加してきた。
特に知り合いやコネクションがあったわけではなく
非営利団体や自助グループを色々調べて辿り着いた。
現場で見聞きした内容は話せないことになっているが
それに抵触しない範囲で感想を書いてみたい。
このような非営利活動をしているグループの
ミーティングは全く初めてで
会場の雰囲気や持参するもの、
どんな人が参加しているのか見当も付かなかった。
なので、部屋に入った瞬間に汗が滝のように出た。
面子は日によってばらばらだが、
この日のメンバーは僕よりも2廻りくらい歳上の人ばかりだった。
メンバーの友人だろうか、
僕と同じく初参加の人もいた。
アダルトチルドレンからの回復のためのステップや
心の持ちようを書いた本の読み合わせが終わり、
自身の経験を自由に語る時間となった。
その人は、他のメンバーの壮絶な子ども時代の話を聞き
自身の経験を語る際に涙が止まらなくなっていた。
僕は1人目の体験を聞くまで緊張が止まらなかったが、
その人が涙ながらに過去を思い出して語る姿は
目に焼き付いて離れなかった。
僕はもらい泣きを必死にこらえながらも
眼がずっと潤んでいた。
ミーティングが始まるまで優しかった人が
家族について語り出した瞬間、
「ふざけんじゃねぇよ!」と
鬼の形相で親への怒りや恨みを吐き出していた。
始めはその姿に面食らってしまったが
罵るかのような口調と表情の中で唯一
眼だけは怒っておらず、
ただ、悲しみと寂しさを映していたように見えた。
これが機能不全家族の闇の深さなんだ、と
その人の悲しい眼は僕の心に深く突き刺さった。
順番的にたまたま僕が最後になった。
メンバーそれぞれの家族関係があまりにも壮絶なので
決して比べるようなものではないのに、
僕の経験は大したことがないのでは、
アダルトチルドレンに達するレベルじゃないのでは、
と思えるほどだった。
話したくない場合、準備ができていない場合は
パスすることも可能だったが、
せっかくここへ足を踏み入れる勇気を出したんだからと
これまでこのブログを通して書いたことを簡潔に話した。
→「戸籍”改名”、その先へ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/143/0
「無言で緊張感に満ちた食卓。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/148/0
「満たされ方がわからない弊害。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/149/0
「懲罰教育、ルールが支配する家。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/155/0
眼は泳ぐ、話に詰まる、言葉が出ない、
いろいろあったが最後まで話し切った。
もっと話をまとめる力があればと
伝え切れなかったことを悔やんだが、
話終えた瞬間、再び滝のような汗と、
大きな一歩を踏み出した達成感がにじみ出た。
振り返ってみると、
「僕の経験は大したことがないのかも」という
発想そのものが既に親から植え付けられた毒だ。
自己評価、自己肯定感の低さ、
そして自分がどう感じて過ごしてきたかではなく
他者と比べてどうかと比較していること自体が。
不当に自分を下げ、自分を大切に見ていない。
傷の深さに優劣などなく、誰が何と言おうと
自分が深く傷ついたなら、それはシリアスなことだ。
こういうところで、僕は長年刷り込まれた自責と
自己否定感の毒抜きができてないと実感する。
90分があっという間に過ぎた。
アダルトチルドレンの自助グループは他にも複数あり、
それぞれ別の曜日に活動しているらしいので、
今度そちらにも参加してみようと思っている。
それと、今は本当にぼんやりしているが、
仕事として取り組むかどうかはさておき、
アダルトチルドレンからの回復を目指す何らかの活動に
関わってみたい気持ちが芽生えてきた。
関連する本を読み漁り始めてまだ数ヵ月、
今はほんの入り口に立っているに過ぎない。
歩みを進めていく過程で
その気持ちが膨らむかはわからないが、
間違いなく、自分の回復と癒しには繋がると確信している。
「人生の棚卸し」を始めてからずっと行きたかった、
アダルトチルドレン同士が語り合う自助グループの
ミーティングに初参加してきた。
特に知り合いやコネクションがあったわけではなく
非営利団体や自助グループを色々調べて辿り着いた。
現場で見聞きした内容は話せないことになっているが
それに抵触しない範囲で感想を書いてみたい。
このような非営利活動をしているグループの
ミーティングは全く初めてで
会場の雰囲気や持参するもの、
どんな人が参加しているのか見当も付かなかった。
なので、部屋に入った瞬間に汗が滝のように出た。
面子は日によってばらばらだが、
この日のメンバーは僕よりも2廻りくらい歳上の人ばかりだった。
メンバーの友人だろうか、
僕と同じく初参加の人もいた。
アダルトチルドレンからの回復のためのステップや
心の持ちようを書いた本の読み合わせが終わり、
自身の経験を自由に語る時間となった。
その人は、他のメンバーの壮絶な子ども時代の話を聞き
自身の経験を語る際に涙が止まらなくなっていた。
僕は1人目の体験を聞くまで緊張が止まらなかったが、
その人が涙ながらに過去を思い出して語る姿は
目に焼き付いて離れなかった。
僕はもらい泣きを必死にこらえながらも
眼がずっと潤んでいた。
ミーティングが始まるまで優しかった人が
家族について語り出した瞬間、
「ふざけんじゃねぇよ!」と
鬼の形相で親への怒りや恨みを吐き出していた。
始めはその姿に面食らってしまったが
罵るかのような口調と表情の中で唯一
眼だけは怒っておらず、
ただ、悲しみと寂しさを映していたように見えた。
これが機能不全家族の闇の深さなんだ、と
その人の悲しい眼は僕の心に深く突き刺さった。
順番的にたまたま僕が最後になった。
メンバーそれぞれの家族関係があまりにも壮絶なので
決して比べるようなものではないのに、
僕の経験は大したことがないのでは、
アダルトチルドレンに達するレベルじゃないのでは、
と思えるほどだった。
話したくない場合、準備ができていない場合は
パスすることも可能だったが、
せっかくここへ足を踏み入れる勇気を出したんだからと
これまでこのブログを通して書いたことを簡潔に話した。
→「戸籍”改名”、その先へ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/143/0
「無言で緊張感に満ちた食卓。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/148/0
「満たされ方がわからない弊害。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/149/0
「懲罰教育、ルールが支配する家。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/155/0
眼は泳ぐ、話に詰まる、言葉が出ない、
いろいろあったが最後まで話し切った。
もっと話をまとめる力があればと
伝え切れなかったことを悔やんだが、
話終えた瞬間、再び滝のような汗と、
大きな一歩を踏み出した達成感がにじみ出た。
振り返ってみると、
「僕の経験は大したことがないのかも」という
発想そのものが既に親から植え付けられた毒だ。
自己評価、自己肯定感の低さ、
そして自分がどう感じて過ごしてきたかではなく
他者と比べてどうかと比較していること自体が。
不当に自分を下げ、自分を大切に見ていない。
傷の深さに優劣などなく、誰が何と言おうと
自分が深く傷ついたなら、それはシリアスなことだ。
こういうところで、僕は長年刷り込まれた自責と
自己否定感の毒抜きができてないと実感する。
90分があっという間に過ぎた。
アダルトチルドレンの自助グループは他にも複数あり、
それぞれ別の曜日に活動しているらしいので、
今度そちらにも参加してみようと思っている。
それと、今は本当にぼんやりしているが、
仕事として取り組むかどうかはさておき、
アダルトチルドレンからの回復を目指す何らかの活動に
関わってみたい気持ちが芽生えてきた。
関連する本を読み漁り始めてまだ数ヵ月、
今はほんの入り口に立っているに過ぎない。
歩みを進めていく過程で
その気持ちが膨らむかはわからないが、
間違いなく、自分の回復と癒しには繋がると確信している。
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