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2019年04月19日

満たされ方がわからない弊害。

親は無意識だろうけど、終始
”理想の息子像”に恋している。

子どもに対する言動は一方通行、
「貴方の気持ちを聞かせて」と言ったことがなく、

「貴方のため」ではなく実は自分の「理想の投影」
僕の中身がどうかという点に目を向けていない。

→「父の「学費返せ」発言の真相は。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/136/0

 「戸籍”改名”、その先へ。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/143/0



そう取れる過去の言動を思い出しながら、
それでも僕はずっと

親に認められたかった、褒められたかった
ダメなところも好かれない性格も含めて
丸ごと受け入れてほしかったと求める。

→「親に褒められたかった。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/17/0

9割の諦めに混じっては、時々顔を出すその願いに
もどかしさとやるせなさを覚える。



だけど最近、渇望の耐えない僕に
とてつもなく大きな「欠け」があると気付いてしまった。

それは、彼らが適切な愛情の示し方を知らないように
僕もまた「愛情の受け取り方」を知らないという事実。



例えば明日、親が僕に対し

「今まで貴方の気持ちを聞くことをせず、
自分達の型枠ばかり押し付けて同意を強要してごめん」

というように、
適切な愛情表現をして来なかったことに
心からの謝罪をして来たとする。

その場では果てしなく嬉しい気持ちになっても、
果たして僕はそれで満たされるのだろうか。

心から受け入れてもらえた、
彼らを心から信頼し、安全と思えるのだろうか。



もっと言えば、
人間の根幹なんてそう簡単に変わらないから、

今後も接する中でまた

「貴方はあまりに自己中心的」「コミュニケーションが取れない」
「またそうやってすぐマイナス無限大に陥りやがって」
「(実家に居た時は)居候」

というような心無い人格否定をされるだろう。

そうなった時、一度心から謝ってくれたのに
やっぱり貴方達は”理想の息子”しか見てないじゃないかと
落胆と憤りが返って大きくなるんじゃないか。



現場を見ていないので憶測でしかないが、

親は自分達の親、つまり僕の祖父母から
人への適切な愛情表現を学んでいないから
自分の子どもにそれができなかった。

そんな彼らの元で人格の基盤を育んだ僕も同じように、
適切な愛情の受け取り方を学んでいない。

だから根本的に、何をしてくれたら
「僕の人格を含め丸ごと受け入れてくれた」
と満たされるのかを僕自身わかっていないことに気付いた。



今のところ思いつくのは
子どもの時にされなかったスキンシップや
否定や遮りなく、人の話を最後まで聞くということ、

そして話を最後まで聞いた後、
否定ではなく「そうだね」と一旦受け止めるということ。

ただ、自分達の親が一方通行であれば
それを見て育った彼らも一方通行になる。

一方的な表現方法以外を学んでいないから
自分の子どもにそうすることができない彼ら。

仮に今、正反対のことをしてくれたとしても、
たぶん僕は安心より疑いと警戒心が強く出てしまって
心から満たされた親子関係だと言えないと思う。

僕自身が「心から満たされた親子関係」とは
何なのかを知らないから。

子ども自身にしても、親に
「わかってほしい。受け止めてほしい」と求めていながら、

実際どうすれば、
「ああ、やっと、わかってもらえた。嬉しいなぁ。ようやく満足したぞ。」
というような結果になるか、その方法を知っているわけではありません。

親と同様に、子どものほうも、親が自分をどういうふうに扱ってくれれば
「自分が満足できるか」が、わかっていないのです。


『母と娘の「しんどい関係」を見直す本』 より



繰り返しになるが、
親が愛情の注ぎ方をわかっていないように
僕も愛情の受け取り方をわかっていない。

例え彼らが人の話を最後まで聞いて
受け止めてくれるようになったとしても、

その先、どうなれば満たされた関係となり、
愛情を注いでくれたんだと確信するのか、
僕自身がわかっていない。

だから、親に認められたかった、
愛情がほしかったという漠然とした願いは
その意味も含めて叶わないのだ。

正直、何をしたら学べるのか見当がつかないし、
幼少で身に付けられればよかったことを
今から取り戻すのは難しい、それは理解している。



だけど分からないまま終わりたくはない。

血を分けた実の家族から得られなかったからといって
他の誰かに依存したり代役を求めたりして
「埋め合わせる」つもりもない。

本当の愛情の受け取り方を、
大人になった今から自分自身で見つけていきたい。

そして、自分が自分に対して「適切な愛情」を
どうすれば注げるのかも探していきたい。

幼少と形は違うかも知れないが、
これが愛情なんだ、心からの安心なんだという感覚を
1つでも多く見つけられるようになりたいと思っている。

こう書くと、ものすごくふわふわした目標だが、
具体的な何かはこれから少しずつ見つけていけばいい。



最近、読書にすごくはまっている。

晴れた日の公園に
アダルトチルドレン関連の本を持ち込んでは
夕方まで読みふけっていることが多い。

人生、こんな日々があっていい、
思い出したくないような悲しい出来事も
受け止めて振り返るような日々が。

「人生の棚卸し」は毎日、新しい気付きの連続だ。


posted by 理琉(ワタル) at 22:31 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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