2019年04月17日
無言で緊張感に満ちた食卓。
先日、三回目に見学した就労移行支援事業所は
すごく興味のあるPCスキル習得ができそうだったものの、
人がたくさん居るのに張り詰めたような緊張感が漂い、
透き通るような静けさにひるんで、体験通所を見送ってしまった。
→「就労移行支援事業所の見学。-3回目-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/145/0
この件に限らず、人が多いのにみんな無言で
緊張感に満ちた場面に遭遇したり、
会話が途切れて不自然な”間”ができると
僕の育った無言と緊迫が支配する家庭を思い出し、
場を取り繕おうと勝手に気を遣ってしまう。
特に、めったに機会はなかったが
家族で食卓を囲んだ時の無言が支配する空間が思い浮かぶ。
小学校の高学年以降は
帰宅する父の車のランプとエンジン音を察知すると
慌てて勉強部屋へ逃げ込んで顔を合わせなかったが、
小学校の低学年までは少ないながらも
両親が揃って食卓を囲むことはあった。
しかし既に父とは会話が無くなって数年、
父は無言で晩酌、母も無言で淡々と食事の準備をする。
家族が揃っているのに
無言が支配する緊張感だけが漂う夕食。
肩書きだけが揃った人たちが
中身がからっぽのテーブルを囲んで座っているだけ。
僕の家庭はまさに、
真ん中が空洞の”ドーナツ”だった。
父は単身赴任ではなく暴力は決してしないが、
家では常に不機嫌なのかピリピリし、
ほとんど無言ながら威圧感がすごい。
母は口うるさくもなく、あれこれと指示するわけでもない。
どちらかと言えば無口で黙々と家事をこなす人。
帰宅し指定席に着いた父は何を言うでもない、
母は何も言わずに黙って父の好きな刺身など
海産物とお酒を出すのが毎晩の光景だった。
漁村出身の父は魚を毎晩食べることにこだわりがあったのか、
いつも父”専用”の刺身や煮つけ、焼き魚が用意されていた。
この二人が会話しているところはほとんど見かけず、
本当に夫婦なのかと幼いながらも疑うくらいの静けさだった。
短い幼稚園生から小学生の間で憶えている限り
父は母に対して文句や罵声を浴びせるようなことはせず、
母も父が出してほしいものをわかり切っていたのか、
会話がなくても父の要求通りのものを出していた印象がある。
これは嫌だ、あれを出せと父が言っていた記憶もないので
母がどのように察していたのかは未だに謎が多い。
例え子どもであっても夫婦二人にしかわからないことがあるし、
この二人はきっとお互い会話がなくてもこれで成り立っている。
きっとこれがこの二人ならではのコミュニケーションであり
夫婦の形なんだ、と半ば強引に自分を納得させていた。
二人の間でしか通じ合えないことがある、
というのは幼いながらも理解していた。
ただし、これはあくまで親側の言い分であり都合。
理不尽に感じても子どもは理解し納得せよ、
と強いてもいいことにはならない。
今から考えれば、子どもにこんな気の遣わせ方をさせると
子どもは自分が生き延びるために相手の顔色を伺うようになる。
この夫婦関係を壊すような真似をすると
一人で生きる術がまだない自分の死活問題になるから。
当時の僕は生き延びる云々という思いはなかったが、
談笑どころか会話すらない、だけど喧嘩するでもない
静か過ぎる二人に戸惑いを禁じ得なかった。
お互い一言も話さないまま、無言で世話される父と
無言で父の世話や給仕をする母という、
夫婦関係の暗黙のルールを感じ取るしかなかった。
確かに言えるのは、この静かな空間と緊張感が
安らぎや安心、団らんとは対極に位置する
気遣いの戦場だったということだ。
今も気遣い癖は治っていない。
会話が無くても居心地がいいという感覚は
漫画でよく出てくるが自分で味わったことがなく、
何かすべきか、しないべきか1人で右往左往するばかり。
あの夫婦の距離感、静けさは
お互いに心地よい関係だったのかもわからない。
僕はこれからの人生で、
心地よい無言を感じられるようになるのが、
自分を解放し成長させる過程での目標の一つだ。
すごく興味のあるPCスキル習得ができそうだったものの、
人がたくさん居るのに張り詰めたような緊張感が漂い、
透き通るような静けさにひるんで、体験通所を見送ってしまった。
→「就労移行支援事業所の見学。-3回目-」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/145/0
この件に限らず、人が多いのにみんな無言で
緊張感に満ちた場面に遭遇したり、
会話が途切れて不自然な”間”ができると
僕の育った無言と緊迫が支配する家庭を思い出し、
場を取り繕おうと勝手に気を遣ってしまう。
特に、めったに機会はなかったが
家族で食卓を囲んだ時の無言が支配する空間が思い浮かぶ。
私は、夕食の食卓の雰囲気が氷のように冷たい、暗い家で育った。
14歳の時、思いきって夕食の時に
そのことを言ってみたところ、両親はそろって
「いったい何を言い出すのだ」というような不快な顔になり、
食卓にはますます冷たい壁のような沈黙が訪れた。
私は自分が間違ったことを言ったのかと思い、
それからは親に質問をしなくなった。
『不幸にする親』 第三章 より
小学校の高学年以降は
帰宅する父の車のランプとエンジン音を察知すると
慌てて勉強部屋へ逃げ込んで顔を合わせなかったが、
小学校の低学年までは少ないながらも
両親が揃って食卓を囲むことはあった。
しかし既に父とは会話が無くなって数年、
父は無言で晩酌、母も無言で淡々と食事の準備をする。
家族が揃っているのに
無言が支配する緊張感だけが漂う夕食。
肩書きだけが揃った人たちが
中身がからっぽのテーブルを囲んで座っているだけ。
僕の家庭はまさに、
真ん中が空洞の”ドーナツ”だった。
父は都市銀行頭取まで昇進、今は引退した。
単身赴任生活が長く、土日に家にいることも少なかった。
高校の時、一度夕方6時に帰ってきたことがあり一緒に食事をとった。
三年ぶりだった。
「その時の雰囲気といったらなかった。
緊張して誰も口をきかず、ピーンと張り詰めて、
どうしようかしらと思って私はおたおたして。
父はジョークも言わないし、仕事の話もしない。
感情表現が下手で、娘の私と話しをしようとしても、単語しか喋れない。」
『ACからの手紙 ‐私は青空が見たい-』 より
父は単身赴任ではなく暴力は決してしないが、
家では常に不機嫌なのかピリピリし、
ほとんど無言ながら威圧感がすごい。
母は口うるさくもなく、あれこれと指示するわけでもない。
どちらかと言えば無口で黙々と家事をこなす人。
帰宅し指定席に着いた父は何を言うでもない、
母は何も言わずに黙って父の好きな刺身など
海産物とお酒を出すのが毎晩の光景だった。
漁村出身の父は魚を毎晩食べることにこだわりがあったのか、
いつも父”専用”の刺身や煮つけ、焼き魚が用意されていた。
この二人が会話しているところはほとんど見かけず、
本当に夫婦なのかと幼いながらも疑うくらいの静けさだった。
短い幼稚園生から小学生の間で憶えている限り
父は母に対して文句や罵声を浴びせるようなことはせず、
母も父が出してほしいものをわかり切っていたのか、
会話がなくても父の要求通りのものを出していた印象がある。
これは嫌だ、あれを出せと父が言っていた記憶もないので
母がどのように察していたのかは未だに謎が多い。
例え子どもであっても夫婦二人にしかわからないことがあるし、
この二人はきっとお互い会話がなくてもこれで成り立っている。
きっとこれがこの二人ならではのコミュニケーションであり
夫婦の形なんだ、と半ば強引に自分を納得させていた。
子供は自分の両親の間のことを、
完全には理解できないということね。
そうだ。
母は、子供を愛するのとはまったく違う次元で、
妻として夫を愛するものだ。
『美味しんぼ』 68巻 より
二人の間でしか通じ合えないことがある、
というのは幼いながらも理解していた。
ただし、これはあくまで親側の言い分であり都合。
理不尽に感じても子どもは理解し納得せよ、
と強いてもいいことにはならない。
今から考えれば、子どもにこんな気の遣わせ方をさせると
子どもは自分が生き延びるために相手の顔色を伺うようになる。
この夫婦関係を壊すような真似をすると
一人で生きる術がまだない自分の死活問題になるから。
当時の僕は生き延びる云々という思いはなかったが、
談笑どころか会話すらない、だけど喧嘩するでもない
静か過ぎる二人に戸惑いを禁じ得なかった。
お互い一言も話さないまま、無言で世話される父と
無言で父の世話や給仕をする母という、
夫婦関係の暗黙のルールを感じ取るしかなかった。
確かに言えるのは、この静かな空間と緊張感が
安らぎや安心、団らんとは対極に位置する
気遣いの戦場だったということだ。
”言葉で語られるルールと語られないルール”
言葉に出して語られないルールは、
目に見えない操り人形のように子供を背後から操り、
子供が盲目的に従うことを要求する。
「父親よりも偉くなるな」「母親をさしおいて幸せになるな」
「親の望む通りの人生を送れ」「いつまでも親を必要としていろ」
「私を見捨てるな」などがそれである。
このような「無言のルール」は、子供が大人になっても
人生にべったりとまとわりついて離れようとしない。
『毒になる親』 第八章 より
今も気遣い癖は治っていない。
会話が無くても居心地がいいという感覚は
漫画でよく出てくるが自分で味わったことがなく、
何かすべきか、しないべきか1人で右往左往するばかり。
あの夫婦の距離感、静けさは
お互いに心地よい関係だったのかもわからない。
僕はこれからの人生で、
心地よい無言を感じられるようになるのが、
自分を解放し成長させる過程での目標の一つだ。
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