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2019年02月22日

小さな成功を書き出す。

何をするにも「怒られないこと」が基準では
動機が後ろ向きなままだし、

行動基準が他人の評価になってる。

自分がどうしたいか
自分が後悔しない選択は何なのかが最優先のはず。

それで怒られたり、やいやい言われたって
気にしないことが大事。



と、
ここまでは理想論を挙げてみた。

”気にしない”ことがすんなりできていれば、
僕はもっと器用に生きているはず。

今までそれができなくて、
自分の失敗体験ばかりを数え、
自分を責め続けたからこそ悩んでる。



変えるにはどうするか。

何でもいいから、
良かったことを可能な限り思い出し、書き出すこと。
小さくても成功体験を数える習慣付けだ。

1日10個は挙げたいが、
難しければ最初は可能な範囲で。



放っておくと自動的に
その日の失敗した場面を思い出す。

厄介な認知バイアス、思考の癖が付いてる。

言われたことはそのまま字義通りに受け取るし、
マイナスな場面をピンポイントで再現するのは
発達障害の特性上、避けられないが、

四六時中、休む間もなく
そんな言葉を浴び続けたわけじゃないし、

思い出してないだけで、
何かがうまくいった体験も必ずしているはずだ。



認知行動療法で学んだ。

出来事と感情は変えられないが、

受け取り方とその後の行動を変え、
自分と未来を変えることはできる。
※「SST。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/78/0

ONE PIECE
四皇・ビッグマムの軍勢に取り囲まれ
もはや生き伸びるのは不可能と思われた修羅場でも、

逆転の一手から活路を見出したカポネ・”ギャング”ベッジは
不敵な笑みを浮かべてこう言った。

あんたは少し先の未来が見えるだけ
別にそれが見えなくても

未来を変える権利は皆平等にあるんだよ!!!

ONE PIECE 86巻 864話より



言葉を字義通りに受け取る特性は
治しようがないんだったら、

それを逆手に取って
成功した言葉、プラスの言葉を浴びせ続ければ、

成功し自信を付けた時分へと、
いい意味で洗脳することができる。

成功体験で自分を洗脳できれば行動が変わり、
行動が変わればその先の未来が変わる。

後悔しない未来に。

posted by 理琉(ワタル) at 16:38 | TrackBack(0) | 人生観

地震、人は優しかった。

体育館の天井の雪が一気に落ちる轟音が響いた。

震度4。

広い場所だったからか揺れを感じず
ここ数日の温暖で雪解けが進んだだけかと思った。

仲間が口々に「地震だ」とつぶやきながら
地震のニュースをチェックし始めたのを見て、
初めて雪落ちだけでなく地震と気付いた。



帰り道は穏やかだった。

停電している場所は見受けられず、
火災や建物の倒壊もないみたいでひとまず安心した。

自宅のガスの元栓を閉めて来たかどうか
一瞬心配になった。

人間の、まして自分の記憶などという曖昧なものを
あまり信用しないように用心しているが、

遠隔で元栓を閉められるわけでもないので、
そこは自分の習慣を信じてみた。

帰宅、閉まっていた。よかった。



昨年の夏、
震度6の大きな横揺れの地震を経験した。

その時は何か月か余震が続いたが、
自宅では2~3日ほど停電となった。

この地震が起きた日は
サッカー日本代表の国際試合の前日で、
当時やっていた会場設営の派遣の仕事が入っていた。

試合が行われるか不明だったので、
とりあえず朝一で会場近くの集合場所へ向かった。



信号が点いていない。

街路樹や看板が倒れたり、
道路や建物が倒壊してはいないが、
やはり電気が止まってしまったようだ。

試合会場前の大きな交差点の信号が
唯一生き残っていたが、

交通整理など到底間に合わないので、
交差点での安全は個人のモラル依存状態だった。



道行く車はセルフ譲り合いで走っていた。
僕はこのことに謎の感動を覚えた。

車に乗ると、人間の本性が露になる。

車の力による全能感とプライベート空間に守られ
我が物顔でスピード狂となる人をたくさん見てきた。

セルフ譲り合いしている車の運転手さんたち、
邪推だが、たぶん普段はそれなりにスピードを出してる。

そういう人たちが信号のなくなった道路で
優しさを前面に押し出している。

あぁ、なんかいいなあと、しみじみした。



集合場所に着いて、
現場の担当者さんと談笑しながら待っていたが、

やはり地震の影響で試合が中止となり、
相手国の代表は試合をせずに帰国となってしまった。

その日の仕事もなくなってしまったが、
後日なぜかその分の日当が振り込まれていた。

世の中、世知辛いばかりでもなかった。

Mr2 ボン・クレー

そうよ!!?こんな時こそ!!!
こんな時代だからこそ!!!

つどえ!!!友情の名の下に!!!

ONE PIECE 23巻 より



漫画の世界だけじゃなかった。
こんな時だからこそ、人は優しかった。

僕は普段の生活においても、こうありたいと思った。

タグ:生きる
posted by 理琉(ワタル) at 15:27 | TrackBack(0) | 人生観

2019年02月04日

何もかもが虚しい。

勇気を出して生活保護の相談に行った。
就労移行支援の話を聞きに行った。
障害者の生活相談施設に行った。

就職しないと決めてから色々やった。

ライター、仮想通貨、モニター、
このブログでの情報発信。

退職してから今まで、
お金を稼ぐ方法、自分の生き方の模索、
本当に欲しかったもの、満たされたかった思い、

自分に問い続けた。

これまでにないペースで新しいことに挑戦した。
決して前に進んでいないわけじゃない。

むしろこれだけ新しいことを次々に始めて、
毎日が新鮮な発見に満ちてるはず。



なのに
新しいことをいくらやっても虚しい。
これまでずっと続けてきたことさえも虚しい。

物事は何にせよ、
すぐに結果が出ることは極めて異例。

継続して力を注いで、
その先に何か保証されているわけじゃないが、
続けた者だけがその先の世界を見られる。

それは判ってる。



虚しいのは成果が見えないからなのか。
では成果が出れば何かが変わるのだろうか。

仮に明日ものすごい成果が出たとして、
明日の自分は澱みのない心で向き合えるのか。

目を反らさずに受け止められるのか。



虚しいのは焦りに押し潰されているからではないか。

失業保険が出るのは今年の夏まで、
その先に待っているホームレス。

それまでに何かしらの方法で
まとまった収入確保ができていないと
住所を失ってゲームオーバーだ。

迫るリミットに押し潰されているのではないか。

人生のリミットが迫ってることに対して、弱音など
【閲覧注意】命乞いする矛盾。」で散々吐いたじゃないか。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/20/0

今さら何に押し潰される必要がある。

受け入れられないこと、
はみ出すことなんてデフォルト、何も特殊じゃない。

むしろいつも1人で、
どうせ自分が馴染めないのが悪いんでしょと、
自虐しながらもここまで来たじゃないか。



本当に諦めてたり、何もかもを捨ててるんなら
こんな虚しさなど感じるはずもないだろう。

こんなに往生際が悪く、
見苦しく足掻いてるということは

まだ自分に対して、人生に対して
諦め切れていないんだと思う。

まだ生への執着があるんだと思う。

ワンピース・ルフィの兄エースが
海軍に捕まり処刑されようかという瀬戸際、

仲間が必死になって助けようとしている姿を見て、
こう言って号泣した。

くそ・・・!おれは歪んでる!!!こんな時に・・・
オヤジが!弟が!!仲間達が!!血を流して倒れて行くのに・・!!!

おれは嬉しくて・・!!!涙がとまらねェ、
今になって命が・・・惜しい!!!

ONE PIECE 58巻 568話より

今なら、この時のエースの気持ちが
ちょっとだけわかる気がする。



抜け出す方法などわからない。
そもそもそんな方法などあるかどうかもわからない。

まだ生に執着している自分はみっともない。

ただ1つ、確かなことは、
そんなみっともない自分も、自分だ。

posted by 理琉(ワタル) at 20:19 | TrackBack(0) | 人生観

2019年01月27日

雪かき井戸端会議。

雪がどっかり降るこの季節、
雪かきでもうお腹いっぱいです。
こんばんは。

僕は自宅マンション周辺の雪かきを
毎日マメにやってるわけじゃないけど、

気付いた時にまとめてやろうとすると、
けっこうな確率で同じマンションの住人の方と
タイミングが被ったりします。

そうすると、自然と話しかけられて、
交流というかコミュニケーションが生まれます。
井戸端会議ってこういうところから発展するんですね。
よく会うご夫婦に励まされて

雪かきでよく会う人はある程度決まっていて、
いつも2人で駐車場をきれいにしているご夫婦とは
毎回のように会います。

僕が小さいスコップで
よいしょよいしょしているのを見て、

「小さいのじゃ大変でしょう、
うちの大きいスコップ使ってね」と
優しく声をかけてくれたのがきっかけで

かなり打ち解けられました。

聞くところによると、
僕みたいな一人暮らしは他に住んでおらず、
ほとんどが家族連れか夫婦らしいです。

毎回とことんまで雪かきまくる姿が目立った
とのこと。

やり始めたら過集中につき、
地面が見えるまでやりますから。
何だか生きてる感じがした

毎回大きなスコップを貸してくれることは
もちろんすごく助かるし嬉しいけど、

雪かきで何回か会うだけなのに、
いつも一生懸命ですごくいい子がいると評判なのよと
言ってくれたことはもっと嬉しかったです。

たかだか路上の井戸端会議かも知れないけど、
自己肯定感に欠ける僕は必要以上に喜びを感じてます。

自閉してる時が落ち着くとはいえ
人と交流があると嬉しいし、何だか生きてる感じがします。

惜しまれつつ解散した「カメレオ」というバンドの1曲
「検索結果0」にこんな歌詞があります。
顔も分からない「名無しさん(貴方)」に恋したわけじゃない
「名無しさん(私)」がいる意味を感じたいだけ

僕の漠然とした「生きてる感じ」、
「名無しさん(私)がいる意味」、たぶん出どころは共通です。



あと、井戸端会議では否定されないから
身構えずに話せるのも大きいです。

親に褒められたかった。」でお話したような、
他人への怯えや諦めを感じる必要なく、
投げやりな感情も抜きにできた瞬間です。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/17/0
人への怯えを振り払いたい

一生懸命、汗水垂らして、なんて気は毛頭ないし、
目立とう、地域の役に立とうとも思ってなかったけど、
なぜか評価されていた。

こういう些細なやり取りに充実感を感じたのは
いつ以来だったかな。

否定に対して必要以上に臆病になり、
考え過ぎて殻に閉じこもる癖がある僕は
人付き合いに怯えるようになって久しいです。

こういう小さなコミュニケーションでも
それを払拭できるステップになれば嬉しいです。


posted by 理琉(ワタル) at 02:12 | TrackBack(0) | 人生観

2019年01月25日

初インフルエンザ回想録。

僕は鬱病にこそなりましたが、
脳以外はかなり丈夫な方です。

風邪は年に1〜2回くらい、
インフルエンザにかかったことがありませんでした。

なので、初めてインフルエンザにかかった時には
それと気付かずにすったもんだあったので、
今回はその時のお話をしたいと思います。
温泉に目覚めた初年度

当時は一人暮らしのフリーター、

温泉の素晴らしさに目覚めた元年で、
毎週どこかのスーパー銭湯を開拓していました。

その日は新規開拓ではなく、
ちょっと行き慣れたスーパー銭湯に行こうという夕方。

寒い季節が深まり、おや、珍しく風邪かなと、
軽い体調の異変に気付きました。

ここで、今日は外出せずのんびりしよう
ではなく、

まー風邪ならいいか、温泉行けば治る。

そのまま温泉へ直行。
何という発想でしょう。
温泉行けば治る神話の崩壊

おかしい、いつもの風邪なら
温泉入れば「なかったこと」になるのに。

どんどん熱が上がっていくような、
意識が遠のくような。

しかし何とか温泉には入り切りました。
入湯税の元を取りたくて。上がれば治るでしょう。

ところが、
本当にやばくなったのはむしろ上がった後で、
帰るどころか立っていられなくなり、

番台のある趣あるロビーで平静を装い、
這い出るチャンスを伺っていました。
気付いたら病院のベッド

温泉に居た人に声をかけられたくない
という謎のこだわりが発生していた当時は、

チャンスを伺って温泉から這い出たものの、
その後の記憶がありません。

次にカメラが回り出したのは、
救急病院のベッドで点滴を受けてるシーンでした。

人生初のインフルエンザ。

高熱以外に苦しんだ記憶はないので、
たぶんその年のインフルは高熱中心だったのでしょう。

それにしても、どうやって病院へ。

後からお医者さんに聞いた話では、
救急車が駆け付けた時、僕は自宅で倒れており
脇に携帯が転がってたそうです。

どうやら自分で救急車を呼んだみたいですが、
いかんせん憶えてないので、真実は闇の中。

いずれにせよ、
人生初の救急車への乗車というおまけもついた
初物尽くしのインフル騒動となりました。
よい子はまねしないでください。

翌日は運良く仕事が休みでしたが、
当然のように5日間の出勤停止となりました。

点滴が効いたのか、
運び込まれたその日のうちに熱は下がり、

何ならバスケもできる勢いで元気になっていましたが
こればかりは仕方ありません。

言われた通り仕事は5日間行かなかったものの、
外出は普通にしていました。←だめ

一人暮らしだと、
こういう緊急時に発見が遅れますが、

あの時はよく自分で救急車を呼んだものだと
感心してしまいます。

「何か体調がおかしい
まーいいか、温泉入れば治る」

という発想はどこから出てきたのやら。



この事件以来、多少ならともかく
熱が出そうと思ったら温泉に行かないことにしました。

できるだけ真似しないでください。


タグ:生きる
posted by 理琉(ワタル) at 15:49 | TrackBack(0) | 人生観

2019年01月11日

「みんなで成功させよう」に違和感。

一晩で腰近くまで雪がもっさり積もってて
朝から雪かきでいい汗流しました。

というわけで今回のテーマは
今シーズン1の大雪、いやー大変でした。

ではなく、

某有名企業の運送トラックに貼られたスローガン
「東京オリンピックをみんなで成功させよう」
に抱いた強烈な違和感について、感想を1つ。
奉仕して当然?

「東京オリンピックをみんなで成功させよう」
を初めて目にした瞬間の第一印象、

「自己犠牲?全体主義の強要?悪意を感じる…。」

次に頭をよぎったのは
東京五輪ボランティア募集を風刺したこちら。↓

東京五輪学生ボランティア応援サイト
https://2020volunteers.netlify.com

あのスローガンにそこまで深い意味はなくて、
企業イメージアップ戦略の一環でしょう。

ただ、国立競技場の建設に際して
過労自殺者が出てしまったことと、

ボランティアは交通費等が自腹、
報酬は出なくて当然みたいなスタンスを見る限り、

なんでしょう、
みんなで成功させるというのはつまり、

「国家のために個人を捨てて奉仕して当然」

みたいな匂いがするんですよね…。

「ブラック過ぎる」「戦時中の国家総動員法か」
みたいな意見はすでにネットにたくさん出てますが、
僕も同じように感じました。
得するのは上層部だけ

僕は何に対しても、すぐに受け止めず
「なぜ?」と疑ってしまいます。

自分の中で納得するまで
ストンと落ちてこないというか。

なぜわざわざ「みんなで」なんだろう、
なぜあんなに目立つ場所に貼ってあるんだろう。
スポンサー企業なら「スポンサーです」って名乗ればいいのに
なぜあのフレーズなんだろう。

多くの人に五輪を意識させて世論を操作して
得をするのは誰だろうと考えると、

「みんなで無償奉仕して成功した東京五輪」の
恩恵を受けるのってきっと国民じゃないんです。

「みんなで東京五輪を成功させよう」
という雰囲気を作り出して煽動してる
一部のお金持ってる偉い人達だけですよね。



だから、言い方が悪くなってしまうけど、

五輪開催に賛成、反対、ボランティア参加、不参加、
メダル何個獲得、経済効果は何兆円です、
そんなことどうだっていいです。

だって、恩恵を受けるのは
一部のお金持ってる偉い人達だけなんだから、

東京五輪が成功したところで、
生活困窮者や社会的弱者の生活はきっと
何一つ変わらないじゃないですか。
影響力のある者による煽動

トラックに貼り付けて街中をうろつけば、
嫌でも多くの人の目に留まります。

そこで僕みたいに
違和感を感じる人も多いでしょうけど、

そうだよな、一生に一度の経験だもんなと
積極参加のトリガーにもなり得るでしょうし、

これだけ盛り上がってるし、
五輪成功に肯定的でないとなんだか叩かれそうだな
という、なんとなく協力する雰囲気にもなるでしょう。

いずれにせよ影響力は絶大…。



道行くトラック1台を見ただけで
僕の頭の中では瞬時に以下が繋がりました。

1.あの大企業が五輪を応援してる
2.あの大企業のイメージアップ
3.あの大企業の利益アップ
4.あの大企業のトップが儲かる
5.あの大企業にお金出してる国の偉い人が儲かる

6.お金出してる国の偉い人はもっと五輪熱を煽る
7.五輪熱は国中に伝染し五輪熱で人が無償で動く
8.無償で動く人にやりがいを与えて無償で働かせる
9.無償で働かせるから人件費がかからず更に儲かる

10.もっと儲けようと更に無償労働に積極的にさせる
11.更に積極的にさせるために大企業のトップが企む
12.大企業のトップに通じてる国の偉い人達も企む
13.より影響力のある者つまりあの大企業が五輪を応援してる

→1.に戻る

物事を深く考え過ぎるのも良し悪しですが、
一瞬でよくここまで繋がるなーと自分に感心しました。
特攻の島から変わらぬ体質

最近読んだ中で、僕の心に深く突き刺さったのが
戦争末期、人間魚雷「回天」へ搭乗する隊員たちを描いた
『特攻の島』という漫画です。

国のために命を文字通り捧げる、究極の自己犠牲。
ある搭乗員がこんなことを言っていました。

恥ずかしくないのか!?
国家という大きな立場から言えば 個人という考えは捨てる事だ!!

「東京五輪をみんなで成功させよう」から、
垣間見たんですよ、これと同じ思想を。

変わってないんですね、戦時中と。

そりゃそうか、
偉い人にとっては変える必要ないですもんね。

今のままの方が儲かるから。

僕がトラックの荷台に貼られたスローガンから、
感じた違和感の正体はこれらでした。

個人の幸せありき、
それが集まって集団の目的達成

じゃなくて、

集団の目標が第一
そのために個人の幸せは放棄して尽くせ

この風潮を変える力なんか僕にはないけど、

せめて僕個人は自分の幸せを追い求めることで、
今回感じた全体主義に小さく抗おうと思います。


タグ:貧困
posted by 理琉(ワタル) at 19:43 | TrackBack(0) | 人生観

2019年01月09日

どうして否定されるのか考えてみた。

他人にどう言われようと自分の人生です。

このブログのタイトル通り、後悔しないよう
やりたいと思ったことはすべてやるだけです。

やるだけですが、

やること1つ1つをすべて否定される環境にいると、
一種の洗脳状態になります。

自分は揺るぎない確固たる軸を持っている、
そう信じていても、否定の破壊力は恐ろしいもので、
いとも簡単にへし折られます。
なぜ人のやることをいちいち否定するのか

お前にできるわけない、無理、無駄、現実を見ろ、
どれだけ意思が強固でも、そんな言葉ばかりを浴びてると、

自分には無理なのか、今取り組んでいることは間違いなのか、
やっぱり不本意なことを我慢してやる人生に戻らなければ
生きていけないのだろうか、

というように、ネガティブ思考が伝染し、
気持ちがどんどんマイナスに蝕まれていきます。

さらに、否定的な言葉は強く響き続け、
その場面、その言葉だけを切り取ってさらに落ち込みます。



ここ1ヶ月の僕は恐らく、
このネガティブ洗脳の渦中にいます。

ただ、ようやく少し正気を取り戻して、
過去に否定されるたびに疑問だったことが再浮上しました。

どうしてみんな
人のやることをいちいち否定するんだろう。

もし失敗したって、否定した人に危害が及ぶわけではないし、
人生の責任を取れと言われることもないのに。

というわけで、まだ少し洗脳渦中の僕が
人のやることを否定してくる理由を考えてみました。
窓口対応はそれとして、一言多い人たち


・障害年金の申請時
 診断書を書いてくれたお医者さん
 「大学出てるし、一般就労経験あるから無理だね。」

・障害年金の申請時、
 年金事務所で担当してくれた社会保険労務士さん
 「一人暮らしで日常生活OKなんでしょ?通らないね。」

・就職せずにお金を稼ぐ活動中、親
 「貴方はあまりに自己中心的というものだ」

・就職せずにお金を稼ぐ活動中、親とお医者さん
 「就労支援A型を希望?
 給料少ないし貴方は障害と捉えられないから無理、やめとけ」



僕は医師でも社労士でも年金事務所職員でもないので、
利害や力関係、業務効率などは想像でしかありません。

僕と似たようなケースで過去に診断書を出したり、
障害年金を申請した結果、実績データ的に芳しくなから

お互いメリットのない無駄なことはしないようにしよう、
ここで止めよう、という裏があるのかも知れないです。

ひねくれた見方をすると、
診断書を断られた転院前のお医者さんからは
正直に言ってそういう意図が見えました。

「責任取りたくないから」と言われたのは、
不支給になって自分にクレームを付けられては困る、
という意図があったかも知れないです。

成功例を見たことがない、もしくは著しく低いことを
他人がやろうとしているから止めるのは、

ミュージシャンや女優さんになりたい子供を
「どうせ無理」と否定する親と構造が似ています。
自分を気にかけてくれているのはわかるけど

窓口対応の方々にも当てはまるかわかりませんが、
私的な交流のある人や親族関係は恐らく、
多少なりとも僕のことを気にかけてくれてるんでしょう。

どうでもいいと思ってる人にはそもそも何も言いません。

あなたの今後のため、生活のため、心配してくれてるから
可能性の低そうなこと、見通しの立たないことに対し、
防波堤になろうとしてくれてるのかも知れないですね。

また、この観点でもっと言えば、
可能性の低そうなこと、見通しの立たないことはつまり

自分がこれまで成し遂げたことのない未知の世界であり、
成し遂げたことがないからその人の価値観では
「他人もできない」ことになっています。

だからこそ、
優しさや心配をしてくれる気持ちが、

「ほら見ろ、自分の言った通りできるわけないだろ」

という否定的な言葉として
アウトプットされた側面もあるでしょう。

自分にとってどうでもよくはない人だけど、
価値観に反するから一言言ってやりたい、

もしくはその人が飛び込んだ世界で
自分がやっていけるか不安で自信がない
その裏返しという可能性も考えられます。
否定の発生は精神的な上下関係が下地となる

否定の裏側には上下関係が確かに存在します。

例えば自分はとても敵わないと思ってる人が
自分が成し遂げたことのない何かを始めたり成功させたとして、
すごい、さすがと思うでしょう。

※人によっては粗探しをするかも知れませんが、
 それは一旦置いときます。



対して、自分より下だと思ってる人が
自分が成し遂げたことのない何かを始めたら、

悔しい、自分よりあいつは下なのに、
あいつがもし成功したら自分の優位性や立場が崩れる、
そうなったら自分を保っていられない、不安だ、

という、嫉妬や妬みに似た心理が働くのではないでしょうか。



さらに、
この嫉妬や妬みを掘り下げてみると、

自分もやりたいと思ったことはあるけど始められていない、
なのに自分より下だと思ってる人が挑戦している、

何かを始める勇気と行動力のない自分が許せない
そんな自分への怒り、無力感の表れとも取れます。

悔しいと思う気持ちをどこに向けるかどうかも
十人十色です。
つまり自分のやりたいことは貫く

長々と分析してきたものの、結局何が言いたいかというと、

他人がどう言おうと自分の人生、
やりたいことは残さずやる。

これに尽きます。

冒頭で僕はまだ洗脳渦中にいると書きました。
実際、僕が今回の記事を書いたのは自分の意思の再確認と、

否定に押し潰されそうな自分の弱さを吐き出すためです。
決して前向きな気持ちで書いたわけではありません。

自分がやりたいこと、やろうとしていること、
1度ならまだしも常に否定されて参っている人は
恐らくたくさんいらっしゃるかと思います。

勇気づける、なんて大層なことは言えません、
むしろ僕の方が自分奮い立たせ用に書いたところがあります。

でも同じ境遇の人の心に、
何か1つでも残せればいいなと思います。



Fight、否定されてるすべての人。


posted by 理琉(ワタル) at 18:25 | TrackBack(0) | 人生観

2019年01月07日

フードバンク。

自治体の生活支援施設との繋がりで
初めてフードバンクを利用しました。

1個2個だろうと思っていたところ、
まさかの紙袋いっぱい。

賞味期限は近いですが、まさか
こんなにもらえるとは思わず助かりました。
差し当たりは凌げそう。



僕の親と祖父母は、小さい頃は躾に厳しく、
常々「食べ物を粗末にするんじゃないよ」と
言われて育ちました。

そんな成育歴に加え、僕は貧乏一人暮らしが長く、
食べるに困った経験が多めです。

なので僕は、食べ物を粗末にする行為に対して
強い嫌悪感と悲しみを抱くんです。

今回、職員さんの優しさに触れ、
店頭に並ぶ商品と何が違うのかわからない食糧をもらい、
とても嬉しかったし、心が救われました。

ただ、自分がもらうより遥かに大量の食糧が
廃棄されていると想像したら、

やっぱり悲しいし、怒りを感じました。

この国は食べ物を粗末にしすぎだと。



昨年、会社員を辞めて
WEBライター活動に挑戦したのと並行し、

コンビニの展示イベントスタッフと、
食品工場の製造ライン作業のアルバイトを
短期でやっていました。

その中で、例えば

・賞味期限が数日以内
・盛りつけが基準と少し違う
・ここの形が少し違う

これらは全部廃棄です。味は一緒です。
もっと言えば、数秒前まで同じ箱に入ってました。

こんなシーンを見るたび、
この国はどれだけ食べ物を捨て続けるんだろうと
本当に悲しくなりました。



わかります。食品を売るのは責任重大です。

消費者の健康に何かあったら大問題になるし、
良質な商品を提供して信頼を得て取引をして、
対価を得るのが商売です。

そのために厳しい基準や決まりごとがあるし、
対価を得るための商品の質にこだわるのも当然です。
そこを否定するつもりはありません。

食品に関わる現場で働いてる従業員も、
ただの作業の一部と見てる人もいれば、
廃棄される食糧に心を痛めてる人もいるでしょう。

日本語の「Mottainai」をいくら連呼したところで、
ロスをゼロにすることは難しいし、

目指すとしてもあくまで理論値、
それもわかります。

わかりますが、やはり納得いかない…。



僕は今回、たまたま縁あってフードバンクと繋がり、
食糧をありがたく分けてもらえました。

だけど世の中には
こういう仕組みの存在や繋がり方を知らなかったり、
様々な事情が重なったりして食べるのに困ってる人は
たくさんいらっしゃると思います。

本来、食べられるはずなのに廃棄されるのは
個人的に悲しいのはもちろんだけど、

程度の差はあれ食べるに困ったことがある人間として、
食に苦しむ人が減ればいいのにな、と思ってます。



あくまで食の現場の末端しか見たことのない僕は、
抗えない大人の事情と巨大なお金の流れの前では、

「偽善、理想論、机上の空論」
「現実をわかっていない」

と言われてしまうかも知れません。

そんな僕でも、フードバンクに助けられた人間の
一意見としてこれだけは言いたいです。



フードバンクのような仕組みがもっと広がって、
必要としてる人に少しでも多く行き渡れば、
空腹から生まれる怒りが減ります。

空腹から生まれる怒りが減れば、
それが原因で生まれる争いが減ります。

空腹から生まれる争いが減れば、
巻き込まれる可能性が減ります。

空腹から生まれる争いに巻き込まれる可能性が減れば、
生きる難易度が下がります。

生きる難易度が下がれば
きっと世界は少し優しめになります。




廃棄される食糧が1mgでも減ることを願います。


posted by 理琉(ワタル) at 19:03 | TrackBack(0) | 人生観

2019年01月04日

たたみかける試練。

試練というものは単独でやってくるのではなく、
畳み掛けるのが世の常らしいです。



この記事は訳あって愛用ノートPCでなく
タブレット+USBキーボード接続で書いてます。

2019バスケ初め。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/
を書き終えて一息した後、
ちょっとPCをスリープし、戻ってくる。

復帰、あれ。画面が真っ黒。

電源を挿すと充電ランプは点く、
電源ランプも点灯する。

・・・・

まさかこのタイミングで、PC故障?

災難というか、
まさに試練は畳み掛けるのが世の常、ですか。

災難てモンはたたみかけるのが世の常だ
言い訳したらどなたか助けてくれんのか?

ロロノア・ゾロ


『ONE PIECE 50巻』 より




まだブログでの収入はゼロながら
少しずつ記事が増えてきて、

ありがたいことに
ブックマークしてくれてる方も
いらっしゃるみたいで

まさに種まきの真っ最中という段階。



しかし財政的には余談を許さず、
現時点では家中の通帳をかき集めても
全財産は10万もない。

命綱の失業保険が入って、
在宅ワークで稼いだ数千円がプラスで入って
その直後に家賃光熱費の引き落としがかかって
なんとか残高数万円に戻るサイクル。

毎月ギリギリで通帳マイナスを免れてる現状ゆえ、
新しいPCを買える余力などあろうはずもなく。

そこを見計らったかのように
生命線の愛用PCをあの世行きにさせるとは

運命の神様というお方は
なかなかエグいことをなさる。




超えてみろ、ということでしょうか。
もちろんノートPCの復旧には尽力します。

モニターの故障だった場合、修理に何万もかかりますが、
2011年モデルと古いので、買い換えた方が恐らく安いです。

が、買い換える余力など皆無につき、
どうにもならなかったらしばらくは
タブレット+USBキーボードで書きます。




神様は超えられない試練は与えない、
というのはよく耳にする前向きなお言葉ですが、

わざわざこのタイミングでPCを蝕んでくるとは
何をもって超えれるタスクと判断されたのか、

神様宅を訪れて
一度聞いてみたい気持ちが育っております。



一応、
心が再折れする前に、強がっておきます。



「乗り越えるから、見てなさい。」


posted by 理琉(ワタル) at 01:42 | TrackBack(0) | 人生観

2018年11月18日

お初に。

どうも、理琉です、初めての投稿です。

何を書いたらいいか、

とりあえず日常のことや好きなこと、
そして発達障害のことを中心に
つらつらと表現していけたらなと。

ひとまず自己紹介のようなことを以下に。



僕の人生観というか、
信条はブログタイトルの通りです。

理由はこれまでの人生を振り返った時に、
誰かの顔色を伺ったりご機嫌取ったりばかりで
自分がやりたいことを押し殺してきたからです。



その結果、いろいろあって、
身体的にというよりは精神的に「2度死んだ」
なんて大袈裟な事態を経験しました。

いろいろ、の部分は
おいおい暴露しますので、乞うご期待。



誰のための人生なのか、
明日地球が無くなった時に後悔しないかと
自問自答に次ぐ自問自答の結果、
単純にやりたいことは残さずやっとこうと。

この先を思うと不安っちゃ不安ですけどね。
どうせ不安は消えないんだから、
不安かつ幸せにでもなってやろうと。

果てしない闇の向こうに oh,oh 手を伸ばそう
癒える事ない傷みなら いっそ引き連れて


Mr.Children 「Tomorrow never knows」より



というわけで、

駄文ではありますが、
よければ今後もおつきあいくださいませ。


posted by 理琉(ワタル) at 23:33 | TrackBack(0) | 人生観
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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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