2019年01月09日
どうして否定されるのか考えてみた。
他人にどう言われようと自分の人生です。
このブログのタイトル通り、後悔しないよう
やりたいと思ったことはすべてやるだけです。
やるだけですが、
やること1つ1つをすべて否定される環境にいると、
一種の洗脳状態になります。
自分は揺るぎない確固たる軸を持っている、
そう信じていても、否定の破壊力は恐ろしいもので、
いとも簡単にへし折られます。
お前にできるわけない、無理、無駄、現実を見ろ、
どれだけ意思が強固でも、そんな言葉ばかりを浴びてると、
自分には無理なのか、今取り組んでいることは間違いなのか、
やっぱり不本意なことを我慢してやる人生に戻らなければ
生きていけないのだろうか、
というように、ネガティブ思考が伝染し、
気持ちがどんどんマイナスに蝕まれていきます。
さらに、否定的な言葉は強く響き続け、
その場面、その言葉だけを切り取ってさらに落ち込みます。
ここ1ヶ月の僕は恐らく、
このネガティブ洗脳の渦中にいます。
ただ、ようやく少し正気を取り戻して、
過去に否定されるたびに疑問だったことが再浮上しました。
どうしてみんな
人のやることをいちいち否定するんだろう。
もし失敗したって、否定した人に危害が及ぶわけではないし、
人生の責任を取れと言われることもないのに。
というわけで、まだ少し洗脳渦中の僕が
人のやることを否定してくる理由を考えてみました。
・障害年金の申請時
診断書を書いてくれたお医者さん
「大学出てるし、一般就労経験あるから無理だね。」
・障害年金の申請時、
年金事務所で担当してくれた社会保険労務士さん
「一人暮らしで日常生活OKなんでしょ?通らないね。」
・就職せずにお金を稼ぐ活動中、親
「貴方はあまりに自己中心的というものだ」
・就職せずにお金を稼ぐ活動中、親とお医者さん
「就労支援A型を希望?
給料少ないし貴方は障害と捉えられないから無理、やめとけ」
僕は医師でも社労士でも年金事務所職員でもないので、
利害や力関係、業務効率などは想像でしかありません。
僕と似たようなケースで過去に診断書を出したり、
障害年金を申請した結果、実績データ的に芳しくなから
お互いメリットのない無駄なことはしないようにしよう、
ここで止めよう、という裏があるのかも知れないです。
ひねくれた見方をすると、
診断書を断られた転院前のお医者さんからは
正直に言ってそういう意図が見えました。
「責任取りたくないから」と言われたのは、
不支給になって自分にクレームを付けられては困る、
という意図があったかも知れないです。
成功例を見たことがない、もしくは著しく低いことを
他人がやろうとしているから止めるのは、
ミュージシャンや女優さんになりたい子供を
「どうせ無理」と否定する親と構造が似ています。
窓口対応の方々にも当てはまるかわかりませんが、
私的な交流のある人や親族関係は恐らく、
多少なりとも僕のことを気にかけてくれてるんでしょう。
どうでもいいと思ってる人にはそもそも何も言いません。
あなたの今後のため、生活のため、心配してくれてるから
可能性の低そうなこと、見通しの立たないことに対し、
防波堤になろうとしてくれてるのかも知れないですね。
また、この観点でもっと言えば、
可能性の低そうなこと、見通しの立たないことはつまり
自分がこれまで成し遂げたことのない未知の世界であり、
成し遂げたことがないからその人の価値観では
「他人もできない」ことになっています。
だからこそ、
優しさや心配をしてくれる気持ちが、
「ほら見ろ、自分の言った通りできるわけないだろ」
という否定的な言葉として
アウトプットされた側面もあるでしょう。
自分にとってどうでもよくはない人だけど、
価値観に反するから一言言ってやりたい、
もしくはその人が飛び込んだ世界で
自分がやっていけるか不安で自信がない
その裏返しという可能性も考えられます。
否定の裏側には上下関係が確かに存在します。
例えば自分はとても敵わないと思ってる人が
自分が成し遂げたことのない何かを始めたり成功させたとして、
すごい、さすがと思うでしょう。
※人によっては粗探しをするかも知れませんが、
それは一旦置いときます。
対して、自分より下だと思ってる人が
自分が成し遂げたことのない何かを始めたら、
悔しい、自分よりあいつは下なのに、
あいつがもし成功したら自分の優位性や立場が崩れる、
そうなったら自分を保っていられない、不安だ、
という、嫉妬や妬みに似た心理が働くのではないでしょうか。
さらに、
この嫉妬や妬みを掘り下げてみると、
自分もやりたいと思ったことはあるけど始められていない、
なのに自分より下だと思ってる人が挑戦している、
何かを始める勇気と行動力のない自分が許せない
そんな自分への怒り、無力感の表れとも取れます。
悔しいと思う気持ちをどこに向けるかどうかも
十人十色です。
長々と分析してきたものの、結局何が言いたいかというと、
他人がどう言おうと自分の人生、
やりたいことは残さずやる。
これに尽きます。
冒頭で僕はまだ洗脳渦中にいると書きました。
実際、僕が今回の記事を書いたのは自分の意思の再確認と、
否定に押し潰されそうな自分の弱さを吐き出すためです。
決して前向きな気持ちで書いたわけではありません。
自分がやりたいこと、やろうとしていること、
1度ならまだしも常に否定されて参っている人は
恐らくたくさんいらっしゃるかと思います。
勇気づける、なんて大層なことは言えません、
むしろ僕の方が自分奮い立たせ用に書いたところがあります。
でも同じ境遇の人の心に、
何か1つでも残せればいいなと思います。
Fight、否定されてるすべての人。
このブログのタイトル通り、後悔しないよう
やりたいと思ったことはすべてやるだけです。
やるだけですが、
やること1つ1つをすべて否定される環境にいると、
一種の洗脳状態になります。
自分は揺るぎない確固たる軸を持っている、
そう信じていても、否定の破壊力は恐ろしいもので、
いとも簡単にへし折られます。
なぜ人のやることをいちいち否定するのか
お前にできるわけない、無理、無駄、現実を見ろ、
どれだけ意思が強固でも、そんな言葉ばかりを浴びてると、
自分には無理なのか、今取り組んでいることは間違いなのか、
やっぱり不本意なことを我慢してやる人生に戻らなければ
生きていけないのだろうか、
というように、ネガティブ思考が伝染し、
気持ちがどんどんマイナスに蝕まれていきます。
さらに、否定的な言葉は強く響き続け、
その場面、その言葉だけを切り取ってさらに落ち込みます。
ここ1ヶ月の僕は恐らく、
このネガティブ洗脳の渦中にいます。
ただ、ようやく少し正気を取り戻して、
過去に否定されるたびに疑問だったことが再浮上しました。
どうしてみんな
人のやることをいちいち否定するんだろう。
もし失敗したって、否定した人に危害が及ぶわけではないし、
人生の責任を取れと言われることもないのに。
というわけで、まだ少し洗脳渦中の僕が
人のやることを否定してくる理由を考えてみました。
窓口対応はそれとして、一言多い人たち
・障害年金の申請時
診断書を書いてくれたお医者さん
「大学出てるし、一般就労経験あるから無理だね。」
・障害年金の申請時、
年金事務所で担当してくれた社会保険労務士さん
「一人暮らしで日常生活OKなんでしょ?通らないね。」
・就職せずにお金を稼ぐ活動中、親
「貴方はあまりに自己中心的というものだ」
・就職せずにお金を稼ぐ活動中、親とお医者さん
「就労支援A型を希望?
給料少ないし貴方は障害と捉えられないから無理、やめとけ」
僕は医師でも社労士でも年金事務所職員でもないので、
利害や力関係、業務効率などは想像でしかありません。
僕と似たようなケースで過去に診断書を出したり、
障害年金を申請した結果、実績データ的に芳しくなから
お互いメリットのない無駄なことはしないようにしよう、
ここで止めよう、という裏があるのかも知れないです。
ひねくれた見方をすると、
診断書を断られた転院前のお医者さんからは
正直に言ってそういう意図が見えました。
「責任取りたくないから」と言われたのは、
不支給になって自分にクレームを付けられては困る、
という意図があったかも知れないです。
成功例を見たことがない、もしくは著しく低いことを
他人がやろうとしているから止めるのは、
ミュージシャンや女優さんになりたい子供を
「どうせ無理」と否定する親と構造が似ています。
自分を気にかけてくれているのはわかるけど
窓口対応の方々にも当てはまるかわかりませんが、
私的な交流のある人や親族関係は恐らく、
多少なりとも僕のことを気にかけてくれてるんでしょう。
どうでもいいと思ってる人にはそもそも何も言いません。
あなたの今後のため、生活のため、心配してくれてるから
可能性の低そうなこと、見通しの立たないことに対し、
防波堤になろうとしてくれてるのかも知れないですね。
また、この観点でもっと言えば、
可能性の低そうなこと、見通しの立たないことはつまり
自分がこれまで成し遂げたことのない未知の世界であり、
成し遂げたことがないからその人の価値観では
「他人もできない」ことになっています。
だからこそ、
優しさや心配をしてくれる気持ちが、
「ほら見ろ、自分の言った通りできるわけないだろ」
という否定的な言葉として
アウトプットされた側面もあるでしょう。
自分にとってどうでもよくはない人だけど、
価値観に反するから一言言ってやりたい、
もしくはその人が飛び込んだ世界で
自分がやっていけるか不安で自信がない
その裏返しという可能性も考えられます。
否定の発生は精神的な上下関係が下地となる
否定の裏側には上下関係が確かに存在します。
例えば自分はとても敵わないと思ってる人が
自分が成し遂げたことのない何かを始めたり成功させたとして、
すごい、さすがと思うでしょう。
※人によっては粗探しをするかも知れませんが、
それは一旦置いときます。
対して、自分より下だと思ってる人が
自分が成し遂げたことのない何かを始めたら、
悔しい、自分よりあいつは下なのに、
あいつがもし成功したら自分の優位性や立場が崩れる、
そうなったら自分を保っていられない、不安だ、
という、嫉妬や妬みに似た心理が働くのではないでしょうか。
さらに、
この嫉妬や妬みを掘り下げてみると、
自分もやりたいと思ったことはあるけど始められていない、
なのに自分より下だと思ってる人が挑戦している、
何かを始める勇気と行動力のない自分が許せない
そんな自分への怒り、無力感の表れとも取れます。
悔しいと思う気持ちをどこに向けるかどうかも
十人十色です。
つまり自分のやりたいことは貫く
長々と分析してきたものの、結局何が言いたいかというと、
他人がどう言おうと自分の人生、
やりたいことは残さずやる。
これに尽きます。
冒頭で僕はまだ洗脳渦中にいると書きました。
実際、僕が今回の記事を書いたのは自分の意思の再確認と、
否定に押し潰されそうな自分の弱さを吐き出すためです。
決して前向きな気持ちで書いたわけではありません。
自分がやりたいこと、やろうとしていること、
1度ならまだしも常に否定されて参っている人は
恐らくたくさんいらっしゃるかと思います。
勇気づける、なんて大層なことは言えません、
むしろ僕の方が自分奮い立たせ用に書いたところがあります。
でも同じ境遇の人の心に、
何か1つでも残せればいいなと思います。
Fight、否定されてるすべての人。
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