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2018年09月20日
難民孤児受け入れ問題(九月十七日)
最近、チェコの政界を賑わせているニュースの一つは、キリスト教民主同盟のEU議会議員の、チェコでシリア難民の孤児を50人受け入れて、難民問題の解決に協力しようという姿勢を見せたほうがいいのではないかという提案と、それに対する政治家たちの反応である。実現の可能性はともかく、政治的にはうまいところを突いた提案である。
国外の難民や困窮している人たちを、呼びよせて国の予算で救済するとなると、国内にも困窮している人がいて、そういう人たちには支援の手が伸びないのに、どうして外国人を国が救済する必要があるのかなどという反論が出てくるのは予想に難くない。現在の地球上の国家の多くが国民国家という形態をとっている以上、この反論にも理はなくはないのだが、こんなことを言う人たちの多くは、実際には国内の困窮者に対しても冷淡で支援などするはずがないから、反論のための反論に過ぎない。
逆に、国内の困窮者には全く冷淡なのに、外国人への支援を熱心に訴える人もどうかと思うけれども、これは外国での出来事はしょせん他人事で、同情して支援を訴えておけば国際貢献している気分になれるという面もあるだろうか。もちろん本気で支援を訴える人もいるだろうけど、そんな人たちは国内で困窮している人たちに対して冷淡だということはあるまい。
難民受け入れに関して、もう少し考えられた反論は、チェコに適応しようとしない難民を受け入れたら、それが社会的混乱を巻き起こすことにつながるというもので、国家の安全保障上の観点からの反論ということになる。これはヨーロッパ各地で、難民や元難民によるテロ事件が起こっている現在、一定の説得力を持つ。特に右翼というわけではなくてもこの反論に賛成する人はいるだろうし、かつては難民受け入れに賛成だった人々の中にも、ドイツやフランスで起こったテロを受けて反対に回った人もいるだろう。
今回の受け入れの提案がうまいなあと思うのは、孤児を対象にしていることで、孤児であれば一見チェコの社会に適応しやすそうに見える。親を失った孤児というと人々の同情を引きやすくなるから、両親と子供を合わせて家族全員という場合よりも賛成する人も増えそうだし、受け入れられる可能性も高くなりそうである。
ただ、この提案をしたEU議会議員が想定している孤児は10歳から17歳の子供たちらしく、それを聞いたときにちょっと言葉の詐欺じゃないかと思った。多くの人が孤児と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、幼稚園に通うぐらいの幼子だろう。そんな年齢の孤児たちでであれば、本人たちの意向はさておいて保護のためにチェコに連れてくるということをしてもあまり問題はなさそうだが、ある程度人格形成の済んでいる十代半ばの子供たちの場合、ドイツでもイギリスでもなくチェコに連れて行くと言われたときに、すんなり受け入れてくれるかどうかが問題になる。受け入れるチェコの側でも幼児であれば、子供の頃からチェコ人の中で育つことでチェコ的な価値観を身につけられるけど、十代の子供たちには無理だと考えて、受け入れ反対に回る人たちが増えるだろう。
バビシュ首相は、当然受け入れに反対で、何でシリアなんだ、ウクライナにも孤児はいるだろうとか言っていたような気もするが、反論における一番の主張は、孤児たちを国外に連れ出すよりも、国内で生活の道が立つように支援するほうが大切だと主張している。これは、イタリアやスペインに押し寄せる難民の受け入れを拒否する論理としても使われており、チェコ政府は西ヨーロッパの大国とは比べ物のにならない規模の予算の中からイタリアにも支援のためのお金を出し、また北アフリカ諸国の沿岸警備を強化するための資金も提供しているという。
確かに、ヨーロッパに逃げてくる人々にとって、一番いいのは母国が政治的にも経済的にも安定して、生まれ育った国で生活を続けることだろう。そこを支援しないで、あふれ出てくる難民を原則受け入れてEU内で分配するというのでは、喜ぶのは難民をヨーロッパまで、正確には地中海の海の上まで運ぶ密輸業者だけだというバビシュ首相の主張にも理はあるんだよね。
現在EUで進行中のドイツによる加盟各国への難民受入れの強要に、チェコなどの国がかたくなに反対しているのも、受け入れることが問題の根本的な解決につながらないからにほかならないし、国別に分担を決めることですでにヨーロッパに入った難民の問題は片付いても、押し寄せてくる難民の数自体を減らさなければ、早晩破綻するのは目に見えている。
話を今回の孤児受け入れの提案に戻そう。バビシュ首相が受け入れを拒否したのを批判する人たちの中には、かつて第二次世界大戦中にチェコのユダヤ系の子供たちをイギリスに受け入れたウィントン氏の活動を例に挙げて、今度はチェコが行く当てのない子供たちを救う番じゃないのかなんてことを言う人たちがいる。心情的にはよくわかるし、こんなことを言われるとチェコ人としては反対しにくくなるという面もあるだろうけど、政治的にはどうなのだろうか。
各党の反応を見ていると、積極的に賛成しているのは、キリスト教民主同盟と海賊党ぐらいだろうか。市民民主党はどんな子供達が来るのかはっきりしないとチェコ語側がどんな支援をすればいいのかわからないからと保留している感じで、共産党は孤児だからで一括で受け入れるのではなく、個々のケースをしっかり分析した上で判断するべきだという主張。社会民主党は受け入れるのは不可能ではないだろうという消極的な賛成と言えそうな態度。
一見、素晴らしい提案にも見える孤児の受け入れに対して、積極的に支援しようとする政党が少ないのは、何年か前に、これも当時は与党だったキリスト教民主同盟の主導で、キリスト教系の民間団体が中心となって推進したイラクで迫害されているキリスト教徒をチェコに受け入れようというプロジェクトが、チェコに連れてこられたキリスト教徒の一部が、それを悪用してドイツに逃亡した事件が尾を引いているような気がする。この事件については、こことここを参照。
あれも何が問題だったのかとか反省もないままに放置されている印象があるし、下手に賛成して同じ結末を迎えたら批判されるだろうし。とりあえずキリスト教民主同盟には前回の失敗を分析した上で、今回の孤児の受け入れ計画を具体化することが求められるだろう。それなしには、一部を除けば賛成も反対もしようがない。
もう一つ、煮え切らない理由としては、地方議会と上院の選挙が近づきつつあるというのもあるかもしれない。積極的な賛成も、断固としての拒否も、一部の支持者を失いかねず、それが選挙での負けにつながりかねないから、支持者の意見がはっきりしていそうな政党を除いては、はっきり賛成とも反対とも言いにくいのだろう。
2018年9月19日17時。
2018年09月19日
デビスカップ入れ替え戦(九月十六日)
金曜日にチェコテレビの2にチャンネルを合わせていたら、サッカーの中継が始まった。何事かとスポーツにチャンネルを替えたらテニスをやっていた。準決勝が華々しく行われる裏で、チェコは入れ替え戦に臨んでいたのである。相手はどう見てもテニス大国とは言えないハンガリー。プログラムを見ると日曜まで放送予定が入っているけど、金土の三試合で決着がついて、日曜日の消化試合は中継されないんじゃないかなんてことをこのときには考えていた。
チェコは数年前には二年連続優勝を飾るなど、最強チームの一つだったのだけど、最近は成績がパッとしない。考えてみればあの二年は、ほとんどシュテパーネクとベルディフの二人が限界を超えるような試合を連発してある意味奇蹟的な勝ち上がりを続けていたのだった。その二人のうちシュテパーネクは怪我がちだった選手生活の晩年を終えて引退し、ジョコビチのコーチをやっているのかな。ベルディフもベテランになって試合数の多さに耐えかねたのか、すでにデビスカップ代表を引退することを表明している。今年は怪我が続いてプレーできていないから、引退していなくても出場はしなかっただろうけど。
そうなのである。チェコの男子テニスは今危機的な状況にあるのである。2000年代の初めに活躍したイジー・ノバークの時代から、シュテパーネク、ベルディフと続いてきたチェコのトッププレイヤーがいなくなってしまった。ランキングで10位以内なんてとんでもない。現在チェコ選手で一番ランキングが高いのは怪我で欠場が続くベルディフの70位代で、二番目がベセリーの90位代なのである。一時はベセリーもロソルも50位以内に入って、ベルディフの後も安泰だと思えていたのに、二人とも順位を上げるどころか下げ続けている。
だから、デビスカップのチェコ代表が、準決勝ではなく入れ替え戦に出場しているのも仕方がないのだ。いや、入れ替え戦程度で留まっているのはまだましな状況だと言ってもいいかもしれない。他の国でもベルディフのように上位選手が出場を辞退することがあるから、チェコもまだこの辺にいられるのだろう。今回のハンガリーも上位二人の選手が出場を辞退したせいで、ランキング400位以下の選手も出場していたというしさ。
それが、ふたを開けてみたら、苦戦、苦戦、大苦戦だった。最初の試合でベセリーが優位に試合を進めていながら勝ち切れずに逆転負けを喫したのが一番最初の問題だった。マッチポイントまで握ったはずなのに……。最後はタイブレークのないデビスカップだから、第5セットが延々と続かないかと期待したら、あっさり5−7で落として、ランキング400番台の選手に負けてしまった。シュテパーネクのような粘りがないんだよなあ。
二試合目はベテランのロソルがあっさりと3−0で勝って、1対1で初日を終えた。これで、ダブルスもチェコが勝つだろうから、最悪でもチェコが敗退することはないだろうと安心したんだけど……。いや土曜日のダブルスも、最初の2セットはロソルとダブルス専門のイェバビーのペアが取って2−0になったところまでは、予定通りだったのだ。それが……、あっさり三セット連取されて2−3で敗戦。ハンガリーチームの選手の一人はダブルスのランキングで400番台だったというから、初日のベセリーの負けに続いてのショックな負けである。
デビスカップは、来年から大きくフォーマットを変えて、これまでの一年を通して一回戦から決勝まで対戦国のどちらかの国で開催される形ではなく、本大会は一か所に出場チームをすべて集めて、一週間かけて開催することになるらしい。試合も3セット先取から2セット先取で勝ちということに変更されるというから、これまでのドラマ性が、見る人を熱狂させたデビスカップの魅力が失われるような気がする。2セット先取で勝ちなら、今回のハンガリーでの入れ替え戦も、土曜日の段階でチェコの勝ちが決まっていたわけで、あれほど盛り上がることはなかったはずである。
チェコのテニス関係者は、この変更に不満たらたらで、デビスカップの意味がなくなるとまで言って反対したらしいけれども、負担を減らすことでフェデラーやナダルの参加を取り付けたい主催者には聞き入れられなかったようだ。チェコの元選手の中には、数年後には訪れるフェデラーやナダルの引退後も、主催者たちは同じことを言うのかねと皮肉なコメントを残していた。
そんな新しい魅力のないデビスカップならチェコは出なくてもいいよね。このままハンガリーに負けてしまってワールドグループから転落しても問題ないよねなどとまで、このダブルスに負けた時点で考えてしまった。チェコが出場できたとしても、これまでの盛り上がりは期待できそうにない。あとでちょっと確認したら、チェコはこの入れ替え戦に負けていても、少なくとも来年の予選ラウンドには進出できたようで、何のための入れ替え戦だったんだろうと不思議に思ってしまった。
話を戻そう。日曜日、あまり期待もせずにチャンネルをテニスに合わせていたのだが、ベセリーは最初のセットをタイブレークで落としたものの、その後何とか立て直して3−1で勝利。すべてはロソルに託された。ロソルも初日にベセリーに勝った400位以下の選手相手に苦労しながらも3−0で勝って、チェコは残留を決めた。ハンガリーの選手たちは負けたとはいえ、不利な状況でも最後まであきらめずに必死でボールを追いかけ、それがかつてシュテパーネクやベルディフが、デビスカップで格上の選手相手に5セットまで持ち込んで勝ったり負けたりしていたのを思い出させて、正直、思わずハンガリー選手を応援しそうになってしまったほどである。
こういう感動も新しいフォーマットのデビスカップじゃ、なくなるんだろうなあ。女子のフェドカップが変わらないことを願っておこう。
2018年9月17日17時35分。
2018年09月18日
ヤロリームの失敗(九月十五日)
承前
「ドフラーノ・プルス」でヤロリーム監督の最大の失敗だとして、挙げられていたのが、招集した選手の数が多すぎたこと。約2年の任期の間に56人の選手を呼んだと言っていたかな。これを越えるのは、70人の選手を招集したブリュックネルだけだというけど、ブリュックネルは任期が6年も続いたから比較対象にならない。大量の選手を代わる代わる招集し続けた結果、チームの骨格となる選手を固定することができず、チームとして機能しなくなったということのようだ。
チェコでは半ば忘れられていた選手を招集するなど、新戦力の発掘に積極的だったのは悪くないと思っていたのだが、怪我もあったとはいえ、確かに毎回メンバーの入れ替わりが大きく、確実に主力として定着していたのはキーパーのバツリークと中盤のダリダぐらいだった。その結果、普段は別のチームでプレーしている選手たちの連携が深まることもなく、バラバラにプレーしている印象を与えることになったのだろう。
スタジオの雑誌記者によると前任者のブルバも、ヤロリームとほぼ同じ2年の任期の間に、五十人ちょっとと同じぐらいの選手を招集しているが、ブルバの場合には、たくさんの選手を代わる代わる招集したのは就任当初だけで、チームの骨格をなす選手と見つけた後は、それほど新しい選手を呼ばなかったらしい。それが過度のベテラン偏重に見えて批判されることもあったようだ。
ロゼフナルが語っていたのは、代表に呼ばれ始めた頃は、ディフェンスラインは、怪我人がいない限りヤンクロフスキ、ウイファルシ、ボルフ、グリゲラでほぼ固定されていて、チームの形ができていたから適応するのが楽だったというようなことだった。確かロゼフナルは最初は控え選手として呼ばれて、徐々に出場機会を増やして、怪我がちになったボルフに代わって主力として定着したんだったか。ボルフの代役として出場することから始まったから、自分の役割が、どんなプレーが求められているのかがはっきりしていたのがよかったということなのだろう。
それに対して、今のヤロリームの代表はしばしばディフェンスの選手を総とっかえしたり、さまざまな選手の組み合わせを試したりし続けたから、選手たちは役割がはっきりせず、自分のプレーで精一杯で連携どころではないという事態に陥っていたようだ。ロシアとの試合直後にヤンクトが「どんなプレーをすればいいのかわからないまま試合をしていた」と語っていたのが象徴的である。ロゼフナルは試合直後の感情的な発言で、時間が経てばそんなことはなかったことに気づくはずだとコメントしていたが、テレビで見ている限り、ヤンクトの言葉のほうが正しいように思われる。
同じ固定された選手で新しいシステムを試すか、固定されたシステムで新しい選手を試すかすればよかったのだろうが、ヤロリームの場合には選手もシステムも一度に試すから、混乱するのだろう。そんなやり方でもたまたまうまく行くことがあって、ドイツ相手に善戦したりもしたけど、長期的な強化にはつながっていない。
ヤロリームの就任直後のことを思い出すと、長らく将来のディフェンスの中心として期待されていながら、控えに甘んじることの多かった、スラビアの監督時代の教え子のスヒーをキャプテンに任命したときには、期待したんだよなあ。それが、一試合か二試合、ディフェンスがうまく機能しない試合があったらすぐ控えに回されてがっかりしたのだった。ロゼフナルもいっていたけど、ディフェンスラインの連携を確立するには時間をかけて試合をこなすしかないのだから、我慢してスヒーを使い続けていたらまた違ったのかもしれない。
ヤロリームは、選手の代理人たちの圧力に屈してか、賄賂を受け取ってか、選手選考に際して代理人の意向を反映させたとしても批判されている。これについては、ゼレンカが、代表の監督というのはいつでも代理人の標的にされるもので、代理人の意向で選手を選んだという噂は流れるものだと言っていたが、ヤロリームが本当に代理人の意向を汲んで選手選考をしていたのかどうかはわからない。
それから、今回の二連戦で、スラビアの選手をチームの中心に据えて失敗した件については、かつてもビーレクがプルゼニュの、ブルバがスパルタの選手たちを中心にチームを組み立てて成功した例があるからアイデアとしては悪くないという。ただ、スラビアとは違うシステムで、違う役割を与えられた選手たちが混乱した結果、うまくいかなかったのだろうと、つまりヤロリームはフシュバウエルを含むスラビアの選手たちを使いこなすことができなかったのだとスタジオでは結論していた。
次の監督はシルハビーでほぼ決定のようなので、同じスラビア監督経験者だけど、同じ失敗を繰り返さないように期待しておこう。シュタイネルか誰かが、ブリュックネル的な監督であろうと努めている人だと評していたから期待していいのかな。ポボルスキーが代表チームに関わるというのは本人が辞退したけど、アシスタントとしてガラーセクを迎える予定らしい。
2018年9月17日10時15分。
2018年09月17日
久しぶりのロゼフナル(九月十四日)
夜、テレビで何を放送しているか確認がてらチャンネルをあちこち変えていたら、チェコテレビのスポーツで「ドフラーノ・プルス」をやっていた。「ドフラーノ」は毎週日曜日の夜に放送されている、週末に行なわれた一部リーグの試合のハイライトと選手や監督たちのインタビューにスタジオの解説者のコメントを組み合わせた番組でかなり昔から放送され続けている。代表の試合があって一部の試合がないときは、代表の試合を材料にして放送していたかもしれない。最近は、チェコテレビが一部の一次放映権を失ったせいか、二部の試合も一つ二つ紹介するようになっている。
それに対して、「ドフラーノ・プルス」のほうは、毎週放送される点では変わらないけど、ただの「ドフラーノ」よりも深く現在の状況を分析する番組で、試合のハイライトはなく、その週にテーマとして取り上げられるチームや「事件」の関係者のインタビューが中心となり、スタジオの解説者も一人は元サッカー選手でもう一人は雑誌や新聞などのサッカー担当記者ということが多い。監督などの関係者は、プラハのスタジオに呼ばれることもあるが、地方の人だと地方のスタジオから出演することになる。
今回の「ドフラーノ・プルス」は、チェコリーグではなく、監督解任が決まったチェコ代表を巡るもので、特に監督のヤロリームがどこで失敗したのかがテーマになっていた。スタジオの解説者はルデク・ゼレンカとどこかの雑誌の記者。そして地方のスタジオからの映像を見ると、後にスバティー・コペチェクが見えるからオロモウツからの出演であるのは確実だったのだが、誰だろうと思っていたらダビット・ロゼフナルだった。いやあ、懐かしい。
この人、ウィキペディアレベルの情報だとシュテルンベルクの出身ということになっているが、生まれたのはシュテルンベルクでも育ったのはオロモウツの南の郊外にある小さな村コジュシャニで今でも家族はそこに住んでいるはずである。本人もベルギーのチームとの契約を解除してチェコに戻ってきたというから、コジュシャニに住んでいるかもしれない。オロモウツのスタジオから出演するぐらいだし。昔のブリュックネル時代のチェコ代表の試合では、必ずと言っていいほどチェコの国旗に「Kožušany」と書かれたものが観客席に見られたものだが、これはロゼフナルの応援団だったのである。
ロゼフナルもチェコに戻ってくるならシグマ・オロモウツに戻ってくれればよかったんだけど、本人に謝絶されたらしい。プロとして一部リーグに出場するという意味での選手としてはすでに引退しているのかもしれない。知性派でならした選手だから今後は指導者の道を進んで、将来は代表の監督になるようなとこまで来てくれないかなあ。ある意味、ブリュックネルの申し子のような選手だから、師匠譲りの戦術に強い監督になれるんじゃないだろうか。
オロモウツを出た後は、ベルギーのブリュージュで主力として活躍してチャンピオンズリーグにも出ていた。グループステージを勝ち抜けることはなかったと思うけど。この移籍はブリュックネルに率いられたU21代表でヨーロッパ選手権で優勝したときの活躍が認められてのものだったようだ。その後、フランスのパリ・サンジェルマン、イングランドのニュー・カッスル、イタリアのラツィオ、ドイツのハンブルグを経て、フランスのリールがリーグ優勝したときの中心選手の一人になっていたんじゃなかったか。
パリでは、主力として出場していたけれども、守備的な中盤の選手として使われることが多く、代表での役割と異なるのを嫌って移籍することにしたと、どこかのインタビューで語っていたのを覚えている。インタビューなどで感じられたのは、自分の能力や役割をちゃんと理解した上でプレーすることのできる頭のいい選手だということで、当時のチェコ代表は感覚でプレーする天才肌の選手が多かったから、理知的なロゼフナルはちょっと異彩を放っていた。選手生活の傍らで大学の学位もとったんじゃなかったかな。少なくとも勉強しているという記事は読んだ。
そんなロゼフナルがゲストとして呼ばれていたのは、かつてのチェコが強かった頃の代表選手の目から今の代表がどう見えるかというのがテーマの一つになっていたからだろう。解説者のゼレンカは代表経験はそれほどないはずだし、今の代表の最大の問題はディフェンスが全く機能していないことだし。それにロゼフナルが代表の主力として定着していく過程というのは、若手選手を代表の主力に育て上げていく際のお手本と言ってもいいような見事なものだったし、ヤロリーム代表のやり方と比較すると問題点も明白になりそうである。
長くなったので一旦ここで切る。
2019年9月16日23時55分。
2018年09月16日
サマータイムの終焉(九月十三日)
思わず「フラー」と声をあげそうになったのは、来年からサマータイムが廃止されるというニュースを聞いたときのことである。ここ数年、廃止を求める人の声も高まっており、EUでも廃止を検討しているという話だったから、期待していたのだけど、ついに決定されたようである。各国でサマータイムを使いかどうかを決めるのではなくて、EUで決めるというのには多少違和感も感じたが、一部の国だけ使うとか使わないとか、開始時期がずれるとかなると不便極まりないから仕方がないのだろう。
かつてのEUの良心がまだ残っていないわけではないのを感じさせたのが、夏時間と冬時間どちらを標準時として採用するかは各国の判断に任せるということで、EU圏内が完全に一つの標準時を使っているわけではないことを考えると、ここで統一してもしかたがないと言うことなのかな。だから、サマータイムの廃止と書いたけれども、正確には標準時である冬時間と一時間時計の針を進める夏時間の交替がなくなるというのが正確で、国によってはサマータイム採用時の時間を標準時とすることになるようである。
チェコはどうなのだろう。ニュースでは冬時間(現在の標準時)と夏時間を通年使ったときの冬至や夏至の日の日の出の時間なんかを紹介していたが、夏時間を冬も採用すると、日の出の時間が9時ごろになるようで、うちのはこれは堪えられないと言っていた。これがチェコ人の一般的な感情かどうかはともかく、チェコでは現在の標準時、つまり冬時間を通年使うことになるのではないかと期待している。同じ標準時を採用している国の中ではチェコは東のほうにあるわけだし。いや、逆か。東にある国の方がサマータイムの恩恵を受けるのか。
ニュースではサマータイムの歴史についても紹介していて、もともとは第二次世界大戦中、それから終戦直後に光熱費を削減するための対策の一つとして試験的に導入されたものだという。その後紆余曲折を経て現在の形で定着したのが1979年のことだと言っていたかな。サマータイムというとヨーロッパではずっと昔から使われていたものだと思っていただけに、最初に聞いたときには意外に短い歴史に驚いてしまった。
また、光熱費の削減というサマータイムによる経済効果は現在ではまったくないに等しく、経済的な面からはサマータイムを維持する理由は全くないらしい。むしろ年に二回、強制的に時間が変えられることによる健康被害の大きさが問題になっているようだ。時間が切り替わった直後は、特にサマータイムが始まった直後は、病院に行くほどではないとはいえ体調がよくないことが多いから、個人的にもこの見解には納得できる。自分の意思で一時間早く起きるのと、時計上の時間の変更で望む望まないにかかわらず強制的に一時間早く起きざるを得ないのとでは、体の対応力に大きな差が出るのである。
今年はまた十月に冬時間への移行が待っているけれども、これは今までどおりの生活をしていれば自然に早寝早起きになる時間の変更で、時間をかけて体を慣らしていけるからそれほど大きな問題はない。願わくは、来年の春にチェコが時間の変更をせず、冬時間をそのまま使い続けんことを。サマータイムが終わると決まってなお、一時間早起きを強制される方向での時間の推移には堪えられそうにない。
そういえば、日本では東京オリンピックに向けてサマータイムを導入しようという動きがあるようだが、正直正気を疑う。何十年も続けてきてなれているはずのチェコ人でさえ、時間の変更によって体調を壊す人が出るのである。日本でやったら、しかも一時間ではなく二時間時計を進めようという話もあるというから、チェコ以上に体調を壊す人が続出するに違いない。そんな状態でオリンピックの準備、開催なんてできるのかね。できはするかもしれないけれども終わった後の反動がえらいことになりそうである。
仮に夏の日の光を活用するためにサマータイムを導入したいというのなら、時計の針を動かすのではなく、始業時間と終業時間を一時間早めてやればいいのだ。最初はどうしても普段どおりの時間まで仕事をしてしまって残業が増えるなどの弊害はあるだろうけれども、何年かたって慣れていけば状況は改善されるはずである。少なくとも何年たっても慣れようのない時計の針を動かすサマータイムよりははるかにましなはずである。
サマータイムの廃止、より正確には夏時間と冬時間の二つの時間の使用をやめるというのは、近年まれに見る高く評価すべきEUの決定である。二度と再開されないことを願ってやまない。
2019年9月15日23時55分。
2018年09月15日
久しぶりのハンドボール(九月十二日)
九月に入ってハンドボールのエクストラリーガが開幕した。今年はリトベルが一部に復帰したから、オロモウツ地方のチームはフラニツェと合わせて二つということになる。今年に入って、日曜日の午前中の試合がチェコテレビで中継されるという伝統が消えてしまったために、チェコリーグの試合を見る機会がなくなっているのだけど、新しいシーズンはどうなるだろうか。
実はチェコテレビが、サッカーの一部リーグの一次放映権を失ったときには、これでハンドボールの中継枠が広がるんじゃないかと期待したのである。残念ながら現実は、失った一部リーグの代わりに二部の試合を中継するようになっていて、ハンドボールの中継が増えるなんてことはなかった。いや、むしろ最近は馬術なんかの協会がお金を持っていそうなスポーツの中継が増えていて、ハンドボールの優先順位が下がっているようにも見える。
第一節が行われた九月二回目の週末、日曜日の午前中のハンドボールの中継はなかったが、チェコテレビのプログラムを見ると日曜日の午後8時からハンドボールの試合が放送されることになっていた。ただハンドボールリーグの日程表には午後8時からの試合は存在しない。実際に放送されるのを見たら、録画中継ですでに結果の分かった試合を放送していた。他に見るべき番組がなかったら、ハンドボールにチャンネルを合わせていたのだろうけど、この日はうちのが見ている連続ドラマがチェコテレビの1で放送されるのでチャンネルを譲った。
そうしたら、水曜日の午後6時から第二節の試合が放送されたのである。本来週末の土曜、日曜を使って行われるはずの一部リーグの試合が水曜日に行われるのは、テレビの中継枠が空いていた時間に合わせて試合時間を変更したに違いない。そこまでして放送してくれるのだから見るしかない。ということで、早めに自宅に戻ることにした。
カードは、昨シーズンの優勝チームのカルビナーと下位に沈んだフラニツェの対戦。第一節ではフラニツェがホームでブルノに快勝したのに対して、カルビナーはイチーンで1点差で惜敗している。カルビナーとしてはホーム初戦で確実に勝っておきたいところだろうし、カルビナーの勝利を予想する声が大きかった。初戦で負けたとはいえ優勝チームだし、一時の低迷を脱したようだし、今年も優勝候補の筆頭である。
試合が始まってあれっと思ったのは、フラニツェの選手の中にカルビナーにいた選手がいたことで、名前を思い出そうとしていたら、アナウンサーの言葉でムロテクだというのを思い出した。兄か弟もカルビナーでプレーしていたような気がする。ムロテクはカルビナーではセンタープレーヤーとして攻撃の際のボール回しの中心を務めていたのだが、移籍しても役割は変わっていないようだった。この選手もう少し得点力が上がれば代表でも活躍できると思うのだけど、環境を変えたことで大きく成長するのを期待しておこう。
試合のほうは劣勢だと見られていたフラニツェが、アグレッシブなディフェンスと、超ベテランキーパーのクチェルカの活躍でカルビナーの攻撃を抑え込むことに成功し、前半20分ぐらいまでは終始リードを保って優位に試合を進めていた。それが時間と共にアグレッシブなディフェンスが荒いディフェンスに変わって、退場に値する反則を連発するようになった。イエロー貰った時点で少し抑えればよかったのに、一度乗ってしまった流れに任せて、同じような感覚でプレーしてしまったのかな。
カルビナー側も退場者を出すことはあったけれども、フラニツェほどではなく、一度はフラニツェが3人退場者を出して、フィールドプレーヤーの数が、6対3になったりもした。そんな状況ではキーパーにできることは多くなく、カルビナーがあっさり逆転して、前半終了時には確か4点差で勝っていた。
後半に入ってもカルビナーが優勢に試合を進め順調に点差を広げて、6点差ぐらいで推移していたのが、カルビナーの選手たちの動きが悪くなったのか、後半20分ぐらいからフラニツェが追い上げ、一時は一点差にまで迫りながら、キーパーのいない無人のゴールに向けて自陣ゴール前からムロテクが放ったシュートが脇にそれたり、速攻からキーパーと1対1になった選手のシュートポストをたたいたり、決定的なところで得点できず、結局2点差でカルビナーが勝利した。
フラニツェは負けたとはいえ、カルビナーと互角に試合を進められていたから、今年は上位進出が期待できそうである。寂しいのはベテランとしてチームを支えたかつての中心選手たちがほとんどいなくなっていることで、名前と顔が一致するのは移籍してきたムロテクを除けば、サイドのミチカルぐらいしかいなかった。ストルジーネクとかラハーチとかどこに行ったんだろうか。怪我がちだったから引退したのかもしれない。
カルビナーのほうは、苦戦はしてもきっちり勝てるチームになりつつあるのかな。少なくともホームでの試合は。こちらも選手の入れ替わりが激しいけど、フラニツェよりはカルビナーの選手として覚えている選手数が多かった。モンチカとか、ブルーナとか、イェジェクとか、まあ日本では誰も知らんだろうけど。ちなみにキーパーは一部に昇格したリトベルから移籍した選手だというから、少し応援しようかなという気になる。
久しぶりに見たハンドボールの試合、しかもチェコリーグの試合、最後まで勝敗のわからない、なかなかの好ゲームだった。今後も水曜日の夕方に放送してくれないかなと期待はするのだけど、そろそろアイスホッケーのリーグも始まるし、あちらはほとんど毎日試合があって、頻繁に中継されることになるから、ハンドボールが中継枠を取るのは難しそうである。バビシュ傘下の企業でもいいから、ハンドボール中継にお金を出してくれんかなあ。そうしたらANOを支持してもいいんだけど。選挙権のない人間はお気楽なのである。
2018年9月14日17時15分。
2018年09月14日
紙の話(九月?日)
これもまたちょっと旧聞に属してしまうのだが、マスコミってのは本当にトランプ大統領が嫌いなんだなあと思わされるニュースを読んだ。トランプ大統領の政策に対して云々する気も、その能力もないけれども、こんなことまで大統領のせいにされるというのは、大統領冥利に尽きるというかなんというかである。
話はまたまたリサイクルとかかわるのだが、アメリカとカナダの関税交渉に関して、トランプ大統領がアメリカ国内でダンピングをしているという疑いのもとに、カナダ産の紙に高い関税をかけた結果、新聞用紙のコストが高騰し、新聞社の経営が悪化しているというのだ。特に地方の新聞社の状況がよくないらしく、例として挙げられていた地方紙では、毎週一回だか二回だか発行し無料で配布していた、いわゆるフリーペーパーの発行が財政難からできなくなって、編集者が解雇されたとか言う話だったかな。
この大風が吹けば桶屋が儲かる的な話に、納得してしまいそうにもなるが、よく考えたらいろいろおかしい。そもそも新聞社がフリーペーパーを発行する意味がよくわからない。意味があるとすれば、広告収入をあてにしての発行ということになろうか。その広告による資金集めがうまくいっていれば、たかだか用紙の価格が上がったぐらいで廃刊にすることはないだろうから、今回の件は廃刊の口実に使われたようにも見える。
それ以前に、広告収入に頼った新聞社の経営というのは健全だとは言えまい。日本のマスコミがおかしくなっているのも広告収入に依存しているのが原因の一つとなっているわけだし。それに以前からコンピューターの導入によって、紙の使用量が減れば、森林資源の保護につながるなんて主張があったことを思えば、新聞社が無料のペーパーをばらまくのは、自然破壊につながる行為ではないのか。無料で配布されるものを入念に読む人などいないだろうし、ただの紙の浪費である。
もう一つの疑問は、新聞用紙の価格が上がって採算が合わなくなったのなら、値段の安い紙に切り替えればいいんじゃないのかということである。新聞用紙であれば多少資質が悪くても問題ないはずだし、真っ白である必要もないのだから、再生紙でも完全に漂白されていないもので十分なはずである。そこでさらにもう一つ疑問。新聞にカナダから輸入した紙を使っているということは、アメリカの新聞は再生紙を使用していないということなのだろうか。カナダから輸入しているという新聞用紙が再生紙であるのなら、その事実を自慢げに記すだろうしなあ。
紙は一次使用された後に、回収して再生紙として新聞に使われ、さらに新聞紙を回収してトイレットペーパーやチリ紙に使うという、最低でも三段階の使用がなされるというのが日本にいたときのイメージなのだけど、アメリカやヨーロッパは違うのかね。日本でもチリ紙交換が廃れたなんて話もあるから状況は変わっているかもしれないけれども、新聞や週刊誌なんかに使用されている紙がそれほど高品質のものではなく、漂白も完全にはなされていない再生紙である点は変わっているまい。
そんなことを考えると、紙が100パーセントリサイクルに回っているとはいわないが、日本のリサイクルって実はヨーロッパやアメリカなんかよりもはるかに進んでいるのではないかという気もしてくる。チェコではジュースやビールの空き缶を回収するシステムもないしね。以前は缶ジュースや缶ビールはほとんど見かけなかったから、リサイクルする意味もなかったのだろうけど、最近は結構増えてきているから、リサイクル始めたほうがいいと思うのだけど。
話を紙に戻そう。かつて日本でも「地球に優しい」とかいうとち狂ったとしか思えないスローガンの下に、名刺なんかにまで「再生紙を利用しています」なんてことを印刷するのが流行っていたけれども、あんなのが日本で生まれたものだとは思えなかったので、ヨーロッパやアメリカの流行が日本に流れ込んだものだとと思っていた。だから最低でも日本レベルの紙のリサイクルは行なわれていると思っていたのだが、そうでもないようである。
仮にカナダから輸入しているという新聞用紙が再生紙であったとしても、何故わざわざカナダから、アメリカでも安価なはずの再生紙を輸入する必要があるのかという疑問が残る。プラスチックゴミに関してもそうだけど、最近流行っているらしいフードマイレージという考えを、リサイクルにも適用しようなんてことを言い出す人はいないのかね。そうすると現在のリサイクルのゆがみというか、リサイクルが逆に環境に負荷をかけているなんて事例も出てくるような気がする。
またまた予定外の方向に話が進んでしまったけれども、マスコミも同業者仲間をかばうようなことをして何でもかんでもトランプ大統領のせいにしてしまうところがあるから、大統領があれだけでたらめなことをしても、支持者が減らないんじゃないかな。日本も一部のマスコミは何でもかんでも安倍首相のせいにしてしまうし、報道の中立性なんてものは絵にかいた餅になりつつある。その点、チェコはバビシュ新聞が存在するとは言ってもまだましな状況かな。
2018年9月14日0時15分。
2018年09月13日
チェコ代表無惨(九月十一日)
サッカーの日本代表は、ワールドカップ終了後最初の試合で快勝したらしい。ただ勝ったというだけでなく、親善試合ではある意味結果よりも大切な内容の面でも、大きな期待をもたらすものだったようだ。選出されたメンバーも新しい選手が増えて、ワールドカップ前のあの悲観的な状況は何だったんだと言いたくなるぐらい、マスコミの報道も好意的なものが多い。
翻って、我がチェコ代表を見るに、ワールドカップのときも思ったけど、うらやましい限りである。こちらは過去のブリュックネル時代の栄光を心の支えに、無惨に落ちぶれてしまったチェコ代表の姿を眺めているしかないというのに。日本人なんだから素直に日本代表を応援しろよと言われても、大会前は期待するだけさせておいて結果は大惨敗というのを様々なスポーツで見続けてきた結果、日本代表を素直に応援できるスポーツがなくなってしまったのである。
先週の木曜日だっただろうか、久しぶりにテレビでサッカーのチェコ代表の試合を見た。ワールドカップ直前の親善試合でオーストラリア代表に0−4で惨敗したのは知っているけど、中継はされていなかったのでどのぐらい酷い試合だったのかはしらない。ワールドカップ出場を逃してなお監督を交代せずヤロリームに任せることにしたのは、予選終盤若手の登用で多少チームが持ち直した印象があったから、そこから継続して強化が進むことが望まれたに違いない。
前半は見られず後半だけ見たウへルスケー・フラディシュチェのスタジアムでのウクライナとの試合は、一言で言えば絶望的だった。さらに絶望的だったのは前半に比べればこれでもマシになったと解説者が語っていたことだった。前半は開始早々のドサクサまぎれに一点取った後は、一方的にやられる展開で、キーパーのバツリークの活躍でなんとか無失点に抑えていたけれども、最後の最後に失点して同点に追いつかれてしまったらしい。
後半もマシになったらしいものの、ウクライナにいいようにされているのはあまり変わらす、チェコの選手たちはバラバラでチームになっていないような印象を受けた。これでは何のために監督を留任させたのかわからない。バツリークの活躍で失点は防いでいたけど、コリャ駄目だというシーンをいくつも作られていた。そしてまたまた最後の最後にバツリークとDFのブラベツの連携ミスから失点して敗戦。内容から考えたら1−2という結果で終わってよかったというところか。
そして月曜日にはロシアで親善試合が行なわれた。こちらは相手がウクライナよりも上だったからか、さらに目も当てられない惨状だった。守備も攻撃もバラバラで、バツリークに代わって出場したキーパーのコウベクはかわいそうだとしか言いようがない。前半だけで3失点で0−3、これはチェコ代表になってからは初めてのことで、チェコスロバキア時代を入れても数十年ぶりのことなのだとか。後半ロシアが少しテンポを緩めたおかげで持ち直した時間帯もあったけど、一点返したら、ロシアがまたテンポを上げてきて連続して二失点。合計1−5の惨敗だった。もっと点差がついてもおかしくないような内容だったから、大惨敗だったといったほうがいいかもしれない。
最悪だったのは監督も選手も何をやればいいのかわかっていないような状態に落ち込んでいることで、本来の能力を発揮できた選手がほとんどいなかったことである。二戦とも同じチームでプレーしている選手たちの連携を代表にも持ち込もうと期待したのか、現在チェコリーグ最強チームのスラビアの選手を大量に出場させていたけれども、何の効果もなかったし、これならスラビアをそのまま出した方がましじゃないかと思わせるぐらいだった。ブリュックネル後に監督になったラダの時代でもここまで絶望的な状況にはならなかったような気もするんだけどどうだったかなあ。オーストラリアに0−4で負けたのもチェコ史上初だったのだから、さらに4点差負けを積み重ねた以上は、チェコ代表史上最弱の代表チームということになりそうである。
試合後監督のヤロリームは、自身の失敗を認めて、公開処刑に値するなんて自虐的なことを言っていたけれども、そのままロシアからの帰りの飛行機の中で解任というよりは、双方の合意で契約が解除されることになったらしい。ワールドカップ予選からの積み上げがないどころか、完全にチームが劣化していたし、当然の決定ではあったのだろう。ただ、ワールドカップ予選の敗退が決まったときに監督交代が行われていればという気はしなくもない。少なくとも4試合分、新監督がチーム作りに使えるはずだった試合と時間を失ったのだから。
後任候補としては、2016/17年のシーズンにスラビアを久しぶりに優勝させたものの、去年のチャンピオンズリーグ予選でも、ヨーロッパリーグでも結果を出せずに昨年末に解任されたシルハビーが一番手として挙げられている。この人あちこちのチームで監督を務めリベレツも優勝させたことがあるから、有能な監督ではありそうだけど、去年のスラビアでは過剰なまでに獲得した新戦力の外国人選手をうまく優勝したチームに取り込むことに失敗して、それが成績が上がらない原因になっていたし、時間をかけてチームを育てていくタイプの監督だと思うんだよなあ。今のチェコ代表が時間を与えられるかどうかが問題かな。
二番手はU21の監督を務めているラビチカ。この監督もスパルタ、リベレツで優勝経験があるし、オーストラリアのシドニーでも監督を務めて優勝させたことがあるんじゃなかったかな。ただA代表がロシアに惨敗したのと同じ日に、U21はギリシャに負けてヨーロッパ選手権の予選敗退が決定している。三人目がU19の監督で好成績を収めているカレル・クレイチー。プルゼニュでブルバ監督のアシスタントを務めていて、ブルバが代表に引き抜かれた後を受けて監督としてチームを優勝させたものの、シーズン終了後に辞任している。
三人とも帯に短し襷に長しという感じで、個人的には、可能性は低そうだけど第四案、監督経験はなさそうだしライセンスを持っているかどうかも知らんけど、カレル・ポボルスキーにチームを任せるというのに期待している。ウクライナでもシェフチェンコが指揮を取っていたし、かつてチェコが最強だった時代の象徴の一人、ポボルスキーに代表の再建を託すのも一つの手である。名目上の監督にブリュックネルを据えて、相談役にするなんてことになったら、ブリュックネル信者としては最高だし、これで駄目ならしかたがないと諦めもつく。
改めて日本代表がうらやましい。何の期待もできないチェコ代表を、これからしばらくは応援することになりそうである。
2018年9月13日11時30分。
2018年09月12日
ストローを見て(九月?日)
先日知り合いの日本語ができるチェコ人と喫茶店に入った。最初はビールでもと誘われたのだが、体調が回復していなかったので、コーヒーにしてもらったのだ。30度は超えていなかったものの、チェコにしては暑い日だったからか、知人はチェコ語で「リモナーダ」というジュースを頼んでいた。ガラスのコップに注がれたジュースには氷がたくさん入っていて、ストローが挿されていた。
そのストローは普通のプラスチックの物ではなく、銀色の恐らく金属製のものだった。それで、そういえば大手のファーストフードのお店がプラスチックのストローをどうこうするなんてことを発表していたなあなんてことを思い出した。あれは、プラスチックから紙のストローに置き換えるとかいう話だっただろうか。
いわゆる環境保護意識の高い人たちは、こういうのに喝采を浴びせるのだろうけど、80年代半ばに環境意識に目覚め、90年代半ばに環境保護論者たちの論理についていけなくなって、環境保護にうるさい連中を信用できなくなった人間としては、賞賛する気になんかなれない。これが、ストローを必要とする商品の販売を中止するとかだったら、また話は別だけど、最近のストロー騒ぎを見るにつけ、90年代のあの不毛極まりなかった割箸撲滅キャンペーンを思い出してしまう。
増え続けるプラスチックゴミを減らすために、先ず隗より始めよで、第一歩として小さなストローを選んだのは理解できなくはないけれども、ストローをプラスチックから別な素材に置き換える前にできることはあるだろうと思ってしまう。恐らくファーストフードのお店では、今でも普通のコーラなんかの飲み物を購入した場合にも、もれなくストローだけではなく、ストロー用に切れ目の入ったプラスチックの蓋もついてくるのだろう。あれ、本当に必要なのか。
個人的には、レギオジェットで紅茶やコーヒーを注文すると紙コップにプラスチックの蓋がついてくるのが邪魔で仕方がない。こぼれないようにというのなら、最初から入れる量を八分目ぐらいにしておけばいい話だし、コーヒーなんか半分ぐらいしか入ってないのに蓋がついているせいで、注文を間違えられたこともある。ミルクなんかいらないと言ったのに……。たまに普通のカップでコーヒーを出してくれることもあって、そっちには蓋なんかついてないんだから、紙コップの場合もなくても問題ないはずである。
まあ、今回のストロー騒動の結果、EUの誇るプラスチックのリサイクルシステムが、実は機能破綻していたということが明らかになっただけでもましなのかもしれない。チェコもそうなのだが、EUではプラスチックゴミの回収率は非常に高くなっている。チェコなどニュースでこれ以上回収率を上げるのは難しいだろうなどと言われていたぐらいである。
問題は回収したプラスチックのゴミを資源としてリサイクルできているかどうかで、今回の騒動の裏には、EU内で回収されたプラスチックゴミのかなりの部分が中国に「資源」として輸出されており、そのEUからのゴミの輸入を中国が停止したという事実があるようである。つまり、EUのリサイクルは中国へのごみの輸出によって支えられていて、それが不可能になったことで破綻の危機を迎えているのである。それで慌ててゴミ削減の方向に舵を切って、スケープゴートにされたのがストローだったということなのだろう。
考えてみれば、EUで販売されるプラスチック製品の多くは中国製である。中国からヨーロッパに輸出されたプラスチック製品がゴミとなって中国に輸出され、再度製品としてヨーロッパに輸出されるというのは、リサイクルとして健全なのだろうか。中国がEU産のゴミの輸入を停止したのも、再度材料として使うのには問題のあるレベルの毒性があったからなんて話もあるから、EUが輸出していたのは資源としてのプラスチックゴミではなく、文字通りプラスチックのごみの山だったのだろう。
この件に関して中国の対応をあれこれ言う人もいるようだけれども、そもそも回収したごみを輸出しなければ成立しないようなサイクルをリサイクルと呼んでいいのだろうか。これでは昔日本が、規制の厳しい日本には建設できない工場を規制の緩いアジアの国に建設して、公害輸出と批判されていたのと大差ない。まあ、EUの中心たるドイツは、かつてドイツ企業がチェコに、ゴミを書類上は資源として輸出して北ボヘミア各地にゴミの山を作り出して放置した責任を放棄するような国だからなあ。気にも留めないのだろう。
環境問題に関してヨーロッパを先進国として崇めたてるところのある日本はどうなんだろう。ヨーロッパほど悪辣なことはせず、リサイクルの資源ゴミに関しては、変な言い方だけど地産地消を実現していると信じたいところである。もしくは、そのまま資源として利用できるところまで処理した上での輸出とかね。ただなあ、環境破壊でしかない畑や森林をつぶしての太陽光発電所の設置につながる電力政策では、日本もEUに追随する愚行を犯しているようだから、ゴミ問題でも同じようなことをしているかもしれない。
プラスチックのゴミによる海洋汚染がしゃれにならないところまで来ていて、太平洋の真ん中には海流の関係で集まったゴミに覆われた海域があるなんて話は、すでに何年も前から話題になっている。不思議なのはこの集められたゴミを何とかしようという声がほとんど聞こえてこないことで、ゴミの絶対量を減らすことで流出するゴミの量を減らすのと同じぐらい、海洋に漂うゴミを回収して流出したゴミの量を減らすのも従だろうに。技術的に難しいのか、経済的に割が合わないのか。
グリンピースあたりが大々的に資金を集めて、太平洋浄化プロジェクトなんてのを始めてくれたら、最大限言葉を飾っても胡散臭いとしか思えない環境保護系の団体も見直せるのだけどね。チェコからも参加者の多い、東南アジアの海岸でゴミ拾いなんて活動は、小回りの利く現地の小さな組織に任せて、一つ大きなことをやってもらいたいものである。
うーん。久しぶりにこの手の話を書いたら異常に時間がかかってしまった。日付の調整のために書き始めの日付で登録する。覚えてないから「?日」である。
2018年9月12日11時25分。
2018年09月11日
チェコ語の語順其の五(九月十日)
承前
昨日の文Gを別な「kvůli tomu(そのせいで)」という表現を使って書き換えてみよう。単純に「昨日はうちに財布を忘れ、そのせいで友達からお金を借りなければならなかった」という文にすると、
IVčera jsem doma zapomněl peněženku
a kvůli tomu jsem si musel půjčit peníze od kamaráda.
「proto」の代わりに「kvůli tomu」が入っただけで、語順には全く変化がない。これをさらに複雑にして、「うちに財布を忘れたせいで」となるように書き換えると、
JKvůli tomu, že jsem doma zapomněl peněženku,
jsem si musel půjčit peníze od kamaráda.
「že」から始まるチャールカによって区切られた部分で、「jsem」が二番目の位置に来ているのは問題ないだろう。「že」も数えるのである。便宜上ここでは「včera」は省略する。
問題は二番目のチャールカの後の部分で、最初に「jsem si」が来ているところである。これは、間に「že jsem doma zapomněl peněženku」が入っても本来の語順が維持されることを示している。つまり、中心となる文においては、「Kvůli tomu」が文頭に来る表現て一番目と数え、「že」以下の部分の直後に二番目に来る言葉を置かなければならないのである。これは関係代名詞などを使って名詞の後ろに修飾節をつなげたときも同様である。
例えば、「十年住んでいたオロモウツに昨日五年ぶりに戻ってきました」という文を作ってみようか。主となる文は「Do Olomouce jsem se vrátil včera po pěti letech」となるだろうか。「včera」は一つ前に動かしてもいいかもしれないが、この文のオロモウツの後ろに「bydlel jsem 10 let」をつなげることになる。オロモウツは女性名詞だから「ve které」でもいいけど、普通は場所を表す「kde」で文をつなげる。
KDo Olomouce, kde jsem bydlel 10 let, jsem se vrátil
včera po pěti letech.
「kde jsem bydlel 10 let」の中での「jsem」の位置、文全体の中での「jsem se」の位置については、Jの文と全く同じである。これを実際に使う使わないは無視してあれこれ語順を入れ替えてみよう。
LVčera jsem se vrátil do Olomouce,
kde jsem bydlel 10 let, po pěti letech.
MVčera jsem se vrátil po pěti letech
do Olomouce, kde jsem bydlel 10 let.
とりあえず「Včera」を文頭に出すと、直後に文全体で二番目に置く必要のある「jsem se」が来る。「五年ぶりに」という部分が新しい重要な情報になる場合には、Lのような語順にすることも可能なのだろうが、長い文でこれをやると、意味が取りにくくなるので、普通はMの語順を使う。つまり連体修飾がつく言葉は文末に持って行くことが多いのである。これは絶対ではなく、チェコ語の文章を読んでいると、あれっと思うことはよくあるのだが、自分でこのLのような語順を使うと、大抵は不自然だからと言って直されてしまう。だからJも「Včera」を文頭につけると次のような語順にすることが多い。
NVčera jsem si musel půjčit peníze od kamaráda
kvůli tomu, že jsem doma zapomněl peněženku.
以上のような原則が問題なく使えるようになると、長々とあれこれつなげた文でも、少なくとも書くときには正しい語順で使えるようになる。正しい語順で使えるようになると、例外的に変な語順になっているのが目について、何でこうなるんだと質問して先生を困らせるようになる。
ODíky tomu, že jsem se ve výuce japonštiny dozvěděl,
že se olympijské hry budou konat za dva roky
v japonském Tokiu, jsem dokázal správně odpovědět
na otázku, kdy a kde se bude konat příští olympiáda,
a vyhrál jsem vědomostní soutěž,
která se vysílá v české televizi.
そして必要があればこんな長い文まで、ちょっと考えれば書けるようになる。ただし、思いつきで書いた文なので正しさまでは保証しないけれども。それから、問題は日本語で書くときと同様に無駄に文が長くなってしまう傾向が出てくることで、書いているときは凄くわかりやすい文を書いているつもりなのに、後で読み返したら自分でも何が言いたいのかわからないなんてこともしばしば起こる。日本語と同じでやはりバランスが大切なのである。
ちなみにOの文は「日本語の授業で二年後に日本の東京でオリンピックが行われることを勉強していたおかげで、次のオリンピックはいつどこで開催されるかという問題に答えることができて、チェコテレビで放送されているクイズ番組で優勝できました」という内容である。
以上で、ぐだぐだと途中でひんぱんに書き振りが変わりながら続いてきたチェコ語の語順についてのお話は一旦終了ということにする。考えてみれば人称代名詞の変化とか、仮定法の作り方とか、これをやる前に書いておくべきことがあるのだから、次にチェコ語について書くときにはその辺かなあ
2018年9月11日10時55分。