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2016年06月10日

もの書く日々(六月七日)



 ちょっと煮詰まってしまったので、このブログを始めてからの、典型的な一日について書いてみようと思う。記事のあとの日付からわかるように、自転車操業に近づきつつあるので、今日中に昨日の文を書いてしまって、今日の分を書き始める必要があるのだ。一見簡単に見えるテーマが、実際に簡単にかけるというわけではないのは、これまでの経験からわかっているけれども、これはいけるはず。ただ、つまらない文章にはなるだろうけど。
 最近、年を取ったせいか、八時、九時まで寝こけるということができなくなってしまった。それで、毎朝七時には起き出してしまう。うちのは、チェコ語で言うところの「朝の鳥」で、六時ぐらいに起きて、七時には仕事に出てしまうので、家を出る前に、起こされる、いや、起こしてもらえるのである。

 朝食はたいていパンとお茶。お茶といっても紅茶でも緑茶でもなく、うちでは朝食はロイボスに蜂蜜風味の付けられた「メドビー・チャイ」を飲むことに決まっている。そして、ビールを毎日飲まなくなった現在、嗜好品として欠かせないのが、朝食後のコーヒーである。かつては、チェコでフィルターに合うドリッパーを入手するのが大変だったので、友人に日本から買って来たもらったメリタの一つ穴を使っていたのだが、最近はコーヒー豆屋で発見した日本のハリオの物を使っている。ドイツ製のメリタを日本で買って、日本製のハリオをチェコで買うというのも、理不尽な感じがするが、しかたがない。
 コーヒーを飲みながら、頭をすっきりさせて、コンピューターに向かう。前日分が終わっていなかったら、コーヒーを飲みながら書き進めていくのだ。最近は、この時間に、前々日の文を書いていることも多いけど。ただし、前日の分が終わっている場合には、当日の分を書き始めることはしない。そんなことはこれまで数えるほどしかなかったけどね。
 日によって、仕事に出る時間が違って、ゆっくりではなく、大急ぎでコーヒーを飲みほして家を飛び出すこともあるし、仕事に出るのは遅くても、自宅作業をしてから家を出ることもあるので、この朝の書く時間が取れないこともある。フレックスタイム制と言えば言えなくないが、自分の都合によってフレックスなのではなくて、仕事の都合でというあたりが辛いところである。

 午後は職場でみっちり仕事というわけでは、必ずしもなく、仕事の合間に前日分をちょこちょこ書いていける日もあれば、忙しすぎて何か書くどころか考えることもできない日もある。忙しさで疲れ果ててしまうと、時間はあっても今こうして書いているような、自分でも何を書いているのかわからないような文章を書いてしまう。
 次に書ける時間は夕食後ということになる。ただ、この時間帯は、最近始めたもう一つのやつの準備に使うことが多い。って、記事を書くのが間に合わなくなっているのは、やっぱりこれが悪いのか。自業自得としか言いようがない。

 そして、理想的に進めば前日分を書き上げたあとで、前々日分をブログに投稿する。時間としてはこっちの時間で午後十一時から十二時のことが多いのだが、時に十二時を越えてしまったり、投稿を忘れて、翌朝慌てて投稿することもある。
 一応投稿前には、誤植がないように、改めてチェックはするのだが、ワード上でのチェックには限界がある。かといってわざわざ印刷して誤植をなくすほどのものでもなし、誤植があるのは承知で投稿してしまう。一昨日のように、ブログを表示させてあまりのひどさに、大慌てで修正をかけなければならなくなるというのは、今後、増えそうな予感がある
 投稿が終わると、当日分(最近は前日分が多い)を書き始めるのだが、夜中に眠くてたまらない頭で書いていると、思い通りに筆が進まないというか、自分でも考えもしなかった方向に話が進んでいって困ることもある。それで、翌朝に大きな修正が必要になるのだ。
 最近の悩みは、何を書くか決めるのに時間がかかりすぎるということだ。PCの前でうなっていてもしょうがないし、考えるよりも、ついついあれこれ読んでしまうので、気分転換にシャワーを浴びながら考えることも多い。今日も、これで昨日の分がそろそろ書きあがるし、今日の分を何にするか疲れて考えられないので、シャワーを浴びることにしようか。そして、そのまま寝てしまうのだ。多分。
6月8日23時。


タグ:日記的 愚痴
posted by olomoučan at 06:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ

2016年06月09日

刑事たちのオロモウツ――チェコテレビドラマ事情その二(六月六日)



 テレビドラマの最近の傾向で、特筆しておきたいのは、いつの間にか、刑事ドラマが増えていることである。我がお気に入りの「チェトニツケー・フモレスキ」は、三度にわたって、13話ずつ制作されて、全39話で完全に完結したが、これは第二次世界大戦前の第一共和国時代を描いたチェコ的時代劇でもあった。

 現代を舞台にした刑事ドラマ、もしくは警察ドラマが流行するようになったきっかけは、ノバが2008年に放送した「クリミナルカ・アンデル」というプラハを舞台にした刑事ドラマの成功にある。このドラマは、警察の協力を得て説得力のあるストーリーを作り出すことに成功しており、つい見てしまうことが多い。
 一話で事件の解決まで完結するので、前の話を見ていなくても、それほど問題にならないのは、刑事ドラマの利点と言えようか。最初のシリーズが13話撮影されたあと、二年に一度ぐらいの割合で新しいシリーズが撮影されて、全部で四シリーズ、六十一話まで制作されているようだ。
 続編を制作してほしいと感じる数少ないチェコのドラマの一つなのだが、主役の一人を演じていた俳優が何をトチ狂ったのか、政治の道に志しバビシュのANOに入って、国会議員になり、現在では国防大臣を務めている。そのせいで既に第四シリーズで配役に調整が入って、登場人物を増やすことで、その俳優ストロプニツキーの出番を減らすという処置が取られた。
 この俳優は政治家なんかやるより、アンデルの続編の撮影に参加したほうが、はるかに世のため人のためになると思う。ただ、ハベル大統領の時代から、バチカンかどこかのチェコ大使を務めるなど政治への色気は見せていたみたいなので、日本のタレント議員とは、知識や意識の面でかなり違うとは言えそうだ。

 このノバのドラマに刺激を受けて、チェコテレビが制作した刑事ドラマを具体的にすべて上げることはできないのだが、現在は実際に起こって警察が解決に成功した事件をモチーフにした「捜査一課の事件」という番組が放送されている。もちろん、実際の事件そのままではないのだろうが、警察のアドバイザーがニュースで話していたところでは、ドラマ用の脚色はあるけれど、現場の捜査員の動きなども、実際に警察官たちがしていることとほとんど同じだという。警察が、ノバやチェコテレビのドラマ制作に協力しているのは、警察のイメージを上げようとか、警察官が不足気味の状況を解消しようとかの目的があるのかもしれない。
 半年ほど前だっただろうか、チェコテレビで「クリミナルカ・プルゼニュ」という刑事ドラマが放送されていた。西ボヘミアの中心都市とはいえ、人口せいぜい十万人ほどのプルゼニュで、連続ドラマにできるほど、事件が起こるのかという疑問はあるけれども、プラハ以外を舞台にした刑事ドラマが制作されることは、いいことであろう。何でもかんでもプラハでということになれば、プラハ以外に行かない観光客を批判することはできなくなる。

 さて、オロモウツで撮影された刑事ドラマも存在している。ただし、残念ながら連続ドラマではなく、「聖三位一体の碑の捜査員たち」というシリーズにはなっているが、基本的には単発のドラマで、一つの作品が、三回か四回に分けて放送され、合計すると三時間ぐらいになるから、日本の二時間ドラマのようなものだと考えればいいのかもしれない。これまでに、すでに三作、計十回放送されている。

 去年の春に放送された第一作は、「悪魔祓師のための事件」で、悪魔を祓うための儀式の一環で殺されたとみられる女性の死をめぐる物語である。その後。宗教関係者が事件に関係していることが判明して……。事件の捜査はオロモウツ市内よりも周辺の村が舞台になっていた。警察署はオロモウツのものなので、事情聴取なんかはオロモウツで行われたことになっているのだろうが、実際にオロモウツで撮影されたのかどうかはわからない。

 二作目は、「青い影」という題名で、今年の春に四回にわたって放送された。オロモウツにあるパラツキー大学における汚職事件を背景に、准教授が殺害されるところから話が始まる。高い地位にいる容疑者が政界の権力者とつながりがあって、最初に担当していた主任捜査官が容疑者に対する捜査をやめるように圧力をかけられたり、捜査から外されたりして……。こちらはパラツキー大学が舞台になっているので、実際の大学の建物の中で撮影が行われたらしい。サマースクールのときに入った部屋ができたような気がしないでもない。

 その後に続くように放送されたのが、最新作の「死せる五匹の犬」である。オロモウツ郊外のスバティー・コペチェクという丘の上にある動物園に、強盗が入り、警備員が殺され、熊が盗まれる(何か変な言い方だけど、誘拐も拉致も変なので)。同じころに山の中で、犬の死体がまとまって発見され、前回の事件でミスを犯して村の駐在警官に左遷されていた元捜査員が、退職してテニスクラブの管理人になっていた元捜査官と組んで捜査を始める。一件関係ないと思われていた二つの事件が、犬を戦わせてお金をかける非合法の闘犬のようなものによってつながることが判明し……。

 刑事ドラマとはいえ、推理ドラマの要素があるので、ストーリーは最後までは説明しない。興味のある人は、自分の目で見てもらえるとありがたい。これを見てオロモウツに来たいと思えるかどうかは疑問だけど。ドラマの良し悪しはともかく、こんな形でテレビにオロモウツが登場するのは、地元の人間にとってはうれしいことだ。「チェトニツケー・フモレスキ」でもオロモウツで撮影されたシーンはでてきたが、あれはあくまでブルノが舞台だったし。
 現在も、この刑事ドラマシリーズで主役の一人を演じたクロボトという俳優がオロモウツで何かを撮影しているというし、ミロシュ・フォルマンの映画で脚本をいくつか書いた人物の遺作の撮影もオロモウツで進められている。オロモウツが、ドラマや映画の舞台として世界中で有名になる日は近い、かもしれない。いや、その前にチェコ語の普及活動に力入れなきゃ。
6月8日17時30分。



2016年06月08日

チェコテレビドラマ事情その一(六月五日)



 チェコに来てテレビがある生活を始めたのは、三年目ぐらいだっただろうか。チェコ語の勉強の一環として、サマースクールなどで映画を見せられたりしていたので、映像をチェコ語の音声付で見るのがチェコ語習得に役に立たないわけではないのはわかっていた。
 テレビを見ることが語学学習の手段となると言われると、両手を挙げての賛成はできないが、少なくとも耳をチェコ語に慣らすのには役に立った。師匠や友人達の話す外国人にもわかりやすいきれいなチェコ語ではなく、ちょっと砕けた下品な発音も明瞭でないチェコ語に触れられたのは、後の仕事にも役に立ったし、語彙も増やせた。
 その結果、日本にいたころにはテレビも映画もほとんど見なかったので、映画やテレビ番組については、日本のものよりも、チェコのもののほうが詳しいということになってしまった。日本の人に90年代以降のテレビ番組の話をされてもわからんし。

 それでも、チェコのテレビを見ていて、日本と違うという点に気づいた。日本だと、各テレビ局が、毎年力を入れて連続ドラマを制作し、その視聴率の上下に一喜一憂しているものだが、チェコではチェコのテレビ局が制作したテレビドラマが放送されることは滅多になかったのだ。
 チェコテレビでは、例外的に新しいドラマの制作もしていたようだが、映画的な手法を取っているのか、完成までに二、三年かかるということが多く、ニュースでも現在撮影中のこのドラマは来年の秋に放送予定だとか言われていた。だから、一般にテレビで放送されるドラマといえば、アメリカドラマの吹き替で版、たまにチェコで制作されたものがあっても社会主義時代の古いドラマの再放送というのが関の山だった。
 チェコテレビで作成されたアメリカドラマの「フレンズ」の吹き替え版は、チェコテレビで何度か放送された後、民放のノバに買い取られて、現在まで延々再放送が繰り返されている。さすがにチャンネルの増えた現在では、ノバ本体ではなく、再放送用のチャンネルでの放送だけど。チェコ初の民放であるノバで、初めて吹き替えを制作して放送したのが、朝鮮戦争における野戦病院の医師たちを描いた「マッシュ」(チェコ風の発音だとメッシュ)である。記念すべき初のオリジナル(吹き替えだけど)作品として、ノバで再放送が繰り返されていたのだが、現在ではプリマに移って一日に二話、三話放送するという形で、全部で二百五十話を越えるシリーズが一年に二回か三回繰り返されている。
 この二作品は、極端な例だが、外国ドラマの吹き替えが放送されることが多く、再放送も多いというのは、現在でも大きくは変わっていない。ただ、チェコ独自のドラマが増えているのである。そのきっかけは十年ほど前にある。

 当時、第二の民放として誕生し、ノバの後塵を拝することに甘んじ続けていたプリマが、ノバ越えを目標にあれこれ新番組を導入していたのだが、その一環として制作されたのが、ドラマ「ロディナー・ポウタ」だった。チェコの民放がドラマを作ったことにはともかく、ドラマ自体には興味が持てず、見ていないのだが、ある一族の内部の人間関係を中心にしたドラマだったらしい。
 その後、「とても壊れやすい関係」と名前を変えて、継続し一時は終わらないドラマだと言われていた。それが、確か脚本家たちと何かでもめて、裁判沙汰になった結果、意外とあっさり終わってしまった。打ち切り的な終わり方だったのか、きれいに大団円を迎えて終わったのかは、見ていないのでわからない。
 その後も、プリマでは独自のテレビドラマの制作を続け、さまざまな作品を送り出している。去年あたりは南モラビアのワイン農家を舞台にしたドラマが、方言が間違っているとか、批判を浴びていたが、悪評も視聴者を引き付ける役には立っているようで、続編も制作されていた。個人的には「チェトニツケー・フモレスキ」で主役ではないけれども重要な役を演じていた俳優が出演していたのが、ショックだった。お前、南モラビアの出身なのにこんなのに出るのか、と思ったのだが、番組は実際に見ていないので、これ以上の批判は避けよう。
 とにかく、「ロディナー・ポウタ」の経験が、その後のドラマの制作に生きたということなのだろう。それで、見たい番組が増えたわけではないので、あんまりうれしくはないけど。でも、日本でも見たいテレビドラマなんてなかったから、状況は同じか。

 もちろん、ノバが手をこまねいて見ているはずもなく、対抗する番組として「バラ園の診察室」というドラマを始めた。こっちはお医者さんの話だと思うけど、中身に興味はないので見ていない。こちらは本当に終わらないドラマで、現在でもしばしば新作が放送されているような気がするのだけど、再放送だったかもしれない。このドラマと、プリマの「ロディナー・ポウタ」の間では、しばしば出演者のトレードが行われていて、コマーシャルの前か後ろに挟まれる放送予定の番組の予告を見ていて、あれこの人プリマに出てなかったっけととか、その逆を思うことは多かった。
 先日読んだチェコのサッカー代表のクレイチーのインタビューで、この番組を見るのが趣味だと答えていたのだが、理由を問われて、毎回ほとんど何も起こらないことだと答えていた。他のことをしながらでも見られるし、何かの用で二、三回見逃しても、次の回を見るのに何の支障もないのだそうだ。しかし、こんな見方をしていて趣味だとか好きな番組だとか言えるのだろうか。代表の同僚たちからは理解できないといわれたらしいが、うん、俺にも理解できん。
 ノバが投入したもう一つの連続ドラマ「ウリツェ」(通り)はもっとひどい。毎日夕方に放送されていて、三千話を越えているのだけど、一時期は一日分の放送を、二話に分けて話数を稼いでいた。それから、撮影が終わったものから順次放送しているようで、出演中の役者が入院した時には、別の役者を代役に立ててそのまま話を続けさせたらしい。撮影の都合で退院するのを待つ余裕はなかったのだろうが、黒髪の役者の代役に、金髪の役者を使ったんだったか、その逆だったか、いずれにしても鬘ぐらい使って同一人物に見える努力はしろよと思ってしまった。

 最初は、チェコで撮影されたテレビドラマがあまりないことが不満で、どうしてチェコまで来てアメリカのドラマなんか見なければいけないんだなどと感じていたのだが、チェコのドラマが増えたからと言って見たいものが増えたわけではなかった。日本でも毎年量産されるテレビドラマは玉石混交、と言うよりは、大半は石なのだろうから、その点ではチェコも日本も大差はないと言うことか。そもそも、テレビ自体がそんなに好きではなかったのだから、チェコでもチェコ語の練習という意味がなかったら、おそらくほとんど何も見ていなかっただろう。
6月7日22時。


チェコ、ドラマで検索したらこんなのが出てきた。面白いので載せておく。6月7日追記。

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2016年06月07日

行ったことのない世界遺産(六月四日)



 二日の分で、本来書こうと考えていたことに再度挑戦。
 モラビア地方にある世界遺産に指定された記念物は、ボヘミアとの境界地域にあるものを含めて全部で、八件である。そのうち、オロモウツには住んでいるし、クロムニェジーシュには、すでに何度も行ったことがある。南モラビアのオーストリアとの国境付近にあるレドニツェとバルティツェにも、それぞれ別の機会に足を伸ばしたことがある。この貴族的な悪趣味のつまった地域を訪れた際のことについては、いずれ書く機会もあるだろう。
 本日分のテーマは、未だ訪れざる世界遺産である。ブルノのトゥーゲントハット邸、ゼレナー・ホラの教会、トシェビーチのユダヤ人地区、テルチの旧市街、リトミシュルの城館など、未訪問のものがモラビア西部、もしくはボヘミア東部に集中しているのは偶然ではない。ブルノを除くと、オロモウツから行きにくい、もしくは、かつて熱心にあちこち動いていたころに行きにくかったのだ。

 ブルノには、今日も行って来たから、行きにくいなんてことはない。ただ鉄道の線路が旧式でスピードが出ないため、電車で行くと一時間半以上もかかってしまう。高速道路を使ったほぼ直通のバスを使えば、一時間ほどでつくけれども、バスの中では本を読んだり仕事をしたりできないという問題がある。ただ、これはトゥーゲントハット邸に行かない理由にはならない。
 その理由のひとつは、改修工事が長期化して、行ってみたいと思っていたころには、行けなかったことだ。そしてその改修工事についてあれこれよくない話が聞こえてきたのも、意欲を殺いだ。最近は、見学のためには事前に予約が必要という話で、最低でも半年前には予約を入れておかないと、希望の日時に見学することはできないらしい。近代建築は嫌いじゃないけど、機能主義という装飾性の低いものをそこまでして見に行く気にはなれない。テレビの番組のシュムナー・ムニェスタのシリーズで、ダビット・バーブラの詳細な解説付きで見学しただけで十分である。
 思い返すと、この建物が、クラウスとメチアルによるチェコスロバキア分割の話し合いの舞台になったというのも、行く気にならなかった理由のような気がしてきた。今となっては、両国ともEUに加盟してしまって、気にする理由もなくなったが、それでもあの二人には裏切り者という言葉を投げてやりたくなる。

 テルチとトシェビーチはブルノからチェスケー・ブデヨビツェに向かう街道上に並んでいるので、車でまとめて行くほうがよさそうだ。ブルノに住んでいれば、どちらにも電車かバスで一本で行けるようだけど、オロモウツからだとそうも行かない。テルチは町全体が美しいという話だから、いずれはと思わなくもないが、トシェビーチは、あまり興味の持てないユダヤ教関係だから、よほどのことがない限り行かないだろう。
 ズデャール・ナット・サーザボウの近くのゼレナー・ホラの教会も事情は同じだ。宗教施設であるキリスト教の教会だけを見に行く気にはなれない。建築物としての教会そのものには興味があるんだけど、ここの教会の名前の主は、ある意味カトリックによって必要とされて作り出された聖人のヤン・ネポムツキーだし。

 スメタナの生地としても知られるリトミシュルには、近くのマルティヌーの生地ポリチカと同じで、何度か行こうと計画を立てたのだが、何らかの理由で一度も実現できていない。現在では電車とバスを組み合わせれば一時間半程度で行けるようになっているから、一度は行ってみるべきかな。キリスト教であれユダヤ教であれ、宗教関係の施設だけだとあまり心はひかれないが、お城であれば話は別である。
 ただし、電車だけだと二時間以上かかるようだ。地図で見ると、リトミシュルは、鉄道交通の要所であるチェスカー・トシェボバーの隣にあるのに、鉄道は別のホツェニュという町から伸びているというのがいけないのだ。チェスカー・トシェボバー、リトミシュル、ポリチカを結ぶ鉄道が敷かれれば、クラシック音楽ファンが喜びそうだけど、チェコ政府の財政を考えると難しいだろうなあ。

 ここまで書いて、やはり行ったことのない場所についてで一文物するのは無謀だったと反省する。二日前の記事が、本来の方向から離れてオロモウツの天文時計の話になってしまったのは、むべなるかなだったのだ。あれこれ無理やり書いているうちに見えてくることもあるので、書いてみたこと自体には後悔はないけど、もうちょっと何とかならんかったかなとは考えてしまう。
6月5日17時30分。


 一昨日のブルの行きは、途中で、下品な言葉を大声で叫ぶ変なネーちゃんが乗ってきて最悪だった。チェコ人が大好きな「豚みたいな」しゃべり方をしていた。とまれ、日本語で本を出すほどの建築物だとは思わなかった。6月6日追記。



トゥーゲントハット邸 [ 宮本和義 ]


2016年06月06日

宗教嫌い(六月三日)



 チェコテレビのニュースによると、ロシアの一部でスターリンを崇拝するグループが支持を増やしているらしい。確かに強いソ連を象徴した人物かもしれないが、実はロシア人ではなくグルジア人である。だから、ロシア人たちに互して共産党内で出世し、ロシア人(だけじゃないけど)を殺しまくったスターリンがグルジアで崇拝されているのなら、理解できる気はする。レーニンなら意外でも何でもないのだけど、ロシアでスターリンというのは意外だった。
 でも、旧ソ連の時代にロシア人以外で権力を握って、ロシアやロシア人に不利な決定を下した人物は、スターリンだけではない。西側では緊張緩和の立役者として評価も高いウクライナ出身のフルシチョフがいる。フルシチョフは、スターリンの死後権力を握ると、ロシアの領土を削ってウクライナに与えた。単に故郷にいい顔をしたかったのか、政治的な理由があったのかはわからないが、住民にとってはロシアであれ、ウクライナであれ、ソ連であることには変わりないのだから、特に大きな変化はなかったのだろう。
 当時ウクライナに帰属が変更された地域が、ロシアが占領して国際世論を敵に回したクリミア半島と、親ロシア派の組織が占拠して内戦を起こしているロシア人居住地域である。だから、この問題を攻め込んだロシア(公式には否定しているけど)が悪いなんて解説で済ませてしまうのは、まったく意味がない。そんな批判はロシアには痛くも痒くもないだろうし、悪いことをしているという意識はなく、ウクライナに預けておいたものを返してもらうんだぐらいの意識しかないんじゃなかろうか。EUがウクライナにちょっかい出すまでは、直接の武力行使はしなかったわけだし。

 スターリン崇拝の話を聞いて、ちょっと考えてしまった。何とかの自由、かんとかの自由で、自由にうるさいヨーロッパだけど、ヒトラーの著作の出版を禁止しているドイツと、スターリン崇拝が放置されるロシアとどちらが自由の名にふさわしいのだろう。もちろん、ドイツにはドイツの事情があってのことであることは重々承知しているし、仕方のない処置だというのはわかった上で、他国の事情も省みずEU的民主化というものを押し付けようとする傲慢さをみると、こんなことを考えずにはいられなくなる。
 他国の事情を無視して自分たちの考えを押し付けていくという意味では、EUの民主主義というのは、宗教に似ている。そうすると、イスラム世界の人々にとっては、EU的民主主義はキリスト教が形を変えたものに見えるのかもしれない。ならば、イスラム国はイスラム教徒にとっての十字軍というところか。そして、周辺のイスラム諸国は、十字軍に巻き込まれて多大なる迷惑を被ったビザンチン帝国になるわけだ。イスラム風にジハードなどと言われても、いまいちイメージがわかないが、こうたとえてみると、状況がわかりやすくなったような気がする。
 これでわかりやすくなるということは、日本の学校の世界史教育もヨーロッパ的価値観で記述されていることの証明になるのだろう。最初は、日本的に一向一揆にたとえようと考えたのだけど、周辺のイスラム国家に対応させるものが思い浮かばなかった。当時は他の仏教の宗派も武装して好き勝手やってたから、一向宗が特にひどかっただけで、目くそ鼻くその違いでしかないし、被害者と言うのはおこがましすぎる。

 ところで、十字軍という評価を褒め言葉として感じた人がいたとしたら、ヨーロッパ的、キリスト教的価値観に毒されている証拠である。ヨーロッパ的な価値観の中では浪漫あふれるものとして記述されることもある十字軍は、実際には人類史上最大の蛮行の一つで、これに比べたら現在のイスラム国など可愛いものだと言っても過言ではない。時代が時代だったから仕方がないと言う言い訳は通用しない。同時代のイスラム側の指導者たちと比べて出さえ、キリスト教側の君主たちの行動の残虐さは目にあまるのだから。異教徒との約束は守る必要などないし、異教徒は殺してしまうべきだという十字軍、つまりはキリスト教の思想はその後も、ヨーロッパ人たちの異民族に対する態度であり続ける。
 ヨーロッパとしては、十字軍のおかげで、先進のイスラム世界からさまざまなものを略奪し、それがその後の発展につながったのから肯定的に評価したくなるのだろうが、最先進の地域であったイスラム社会の発展を阻害し、混乱に陥れたという意味では、人類史に於ける犯罪である。そして、その後もキリスト教関係者が、世界中で現地の人々を殺し、奴隷にし、文化を破壊し続けたことを考え合わせると、イスラム教よりもキリスト教のほうが、はるかに危険な宗教であると言わざるを得ない。
 現在のキリスト教関係者は、時にすべての宗教は平等でなどという立派なことを言うことがあるが、それは建前で、実際は、キリスト教以外の宗教は、キリスト教徒違って間違っているという点で平等だなどと考えているに違いない。そもそも他の宗教についても詳しいキリスト教関係者なんて稀有な存在であろう。
 だから、イスラム教は危険だと叫ぶヨーロッパ人よ、恥を知れ。まず、キリスト教を、その後イスラム教を解体するというのが、平和な世界を実現するための正しい手順なのだ。

 そう考えると、宗教を禁止しようとした点では、共産主義というのは正しかったのかもしれない。しかし、キリスト教会を秘密警察の手先として活用したことと、共産主義自体が宗教的な存在になってしまうことで、宗教禁止の構想は無意味なものになってしまった。
 宗教嫌いとは言っても、神社やお寺、教会やモスクなどに、信者がお参りや、お祈りに出かけることまで批判する気はない。むしろその手の素朴な信仰心の発露には共感さえ覚える。許せないのは、その信仰心を悪用し、自らの権力や財産の拡大に悪用する連中である。残念ながら、長い人類の歴史の中でこの手の連中が欠けたことはない。
 願わくは、腐敗し果てし宗教なるものの不要なる世界の訪れんことを。
6月5日14時。
6月5日14時。


 誤植の確認のために、この日の記事を表示させて絶句。あまりの間違いの多さと、いい加減な書きぶりに、これではいけないと、かなり修正を加えた。先週の木曜日からの忙しさで、押せ押せで時間的な余裕がなかったのと、疲れで頭が働かなかったのが原因である。しかし、目標は疲れていても時間がなくてもそれなりのものを書くことなのだから、それを言い訳にしてはいけない。だから今後も書くのみである。6月6日修正後追記。
posted by olomoučan at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2016年06月05日

世界遺産になれなかった天文時計(六月二日)



 先日、ブルノからオロモウツに遊びに来た人と話していたら、オロモウツに来たのはモラビアの世界産巡りの一環だと言っていた。日本人ってやっぱりこういうの好きだよな。そう言う自分自身も日本人の例に漏れず、嫌いじゃないんだけど。
 世界遺産に指定されると、観光地としてのステータスが一段も二段も上がって、観光客を集めやすくはなるだろう。観光会社の側としても、ツアーを組むのにとりあえず世界遺産を入れておけば、参加者を集めやすいし、文句も出にくいという面もあるはずだ。世界遺産だから、よくわからないけどすごいと思っておけばいいという面では、観光客にとっても安心である。
 オロモウツの世界遺産聖三位一体の碑は、来た見た感動したと言えるようなものではなく、あまり一般受けするとは言えない。正直な話、これだけを見るためにオロモウツに来たのだとしたら、がっかりする人のほうが多いと思う。この手の、世界遺産に指定されたそのものよりも、歴史的、文化的な背景が重視されて選ばれたものは、どうしても見る人を選んでしまう。背景を説明されたとしても、中世の黒死病の流行の終結を感謝して建てたものとか言われて、即座に理解してすごいと思える人はどのぐらいいるのだろうか。

 ところで、話によると、当初オロモウツとしては、天文時計を擁する市庁舎も含めて、世界遺産にしようとしていたらしい。ただ、天文時計の装飾が、第二次世界大戦後の修復の際に、キリスト教的なものから、当時の主流であった社会主義的レアリズムに作り変えられてしまったことが嫌われたらしい。建築当初のオリジナルの形をとどめていないというのがいけなかったのだろう。
 ただ、社会主義時代の遺物も、歴史的な意味を考えると、世界遺産指定の対象にしてもいいのではないかとは思う。指定されたものはあるのだろうか。昔、オストラバに行ったときに、ビートコビツェの超巨大工場が、世界遺産に指定されるかもしれないという話を聞いたのだが、その後指定されたという話は聞かないから、うまく行かなかったのか、単なる冗談だったのか。ビートコビツェの廃工場は、現在では、一風変わったコンサートやフェスティバルの会場として活用されているようである。高校生ぐらいの子供たちが学校単位のチームで参加する科学的な知識を問うクイズ番組の舞台にもなっていたかな。

 話をオロモウツの天文時計に戻すと、毎日正午に仕掛の人形が動き音楽が奏でられる。以前、毎正時に動くと書いてしまったが、正午以外に動く人形は鐘の音にあわせてハンマーを振り落とす鍛冶師の人形だけだったような気がしてきた。だから、確実に見ようと思ったら正午に行ったほうがいい。
 ただ、プラハの天文時計もそうらしいけれども、天文時計に仕組まれた仕掛が動くなどという謳い文句から期待してしまうほどのものではない。出てくる人形が社会主義的に、労働者一覧みたいなのは愛嬌だとしても、音楽が終わって最後に真ん中にある金色っぽい鶏が羽のようなものを動かすと同時に鳴き声をあげて、一連の動きが終わると、集まった観光客達の間には何ともいえない微妙な雰囲気が漂う。えっ、何、これで終わりなの? と言うところだろうか。

 今年の初めに日本から来た方を案内したときには、人形の動きと最後の鶏はともかく、カリヨンの澄んだ音が美しいと褒めていただいた。ついつい見た目で判断してしまっていたが、耳で評価することもできるのかと目からうろこが落ちた思いがした。自称オロモウツ人としては、天文時計を自慢したいんだけど、どう自慢すればいいのかわからないというジレンマ(ちょっと大げさ)から脱出できるかもしれない。
 そして、天文時計の周囲を飾る社会主義的なモザイクも、最初見たときは何だこれと思ったが、目になじむにつれて、色合いの軟らかさもあって、これはこれで悪くないような気がしてきた。モチーフも、下のほうの工員と研究所の職員は、まあ、あれだけど、各月の農事暦みたいなのが周囲を囲んでいるし。上部にはハナー地方の民俗行事王様騎行が描かれているし。ちなみにこの行事は、南モラビアのスロバーツコ地方、特にブルチノフという村で行われるものが有名であるが、スロバーツコ地方はもちろんハナー地方でもいくつかの村で行われているらしい。以前、主役の王様役の子供の家庭の金銭的負担が大きくて成り手がいないという話を聞いたこともあるので、どのぐらいの頻度で行われているかはわからないけど。

 オロモウツの人間としては、オロモウツのよさは、世界遺産の有無で変わるものではないし、オロモウツのよさは世界遺産なんかなくてもわかる人にはわかると言いたい。むしろ、世界遺産という言葉に引かれてオロモウツにやってきて、がっかりして帰っていく人がいるのではないかと不安になる。いや、そもそも多くの人にオロモウツに来てほしいと思っているのだろうか、私は。

6月3日23時30分。


 構想を練らずに書き始めたらこうなった。うーん。6月4日追記。

ヨーロッパポストカード モノクロ インテリア おしゃれはがき 海外 写真 プラハ天文時計 No.020




 けっ、プラハの天文時計しかありゃがらねえ。

2016年06月04日

ブログ分析みたいなもの(六月一日)



 早いもので、毎日書きなぐりプロジェクト(ちょっと名称を変更)も開始以来無事に五ヶ月を経過した。無事にと言うのも変な話だが、特に大きな問題もなく、書き続けることはできているので、よしとしよう。お客さんも平均すれば一日に十件ぐらいの閲覧があるので、誰にも読まれないという事態にはなっていないようだ。ただ誤植を探すために自分でブログを表示させることがあるので、その分は割り引く必要がある。それでも、文章と内容の面で読者に優しくない、写真もなくて目にも優しくないブログであることを考えると、意外に見に来てくれる人の数は多い。

 どんな人が見に来ているのかを知るすべはないのだけど、管理画面にログインしてアクセス解析のページを眺めるのは、なんだか楽しい。日別のデータを確認すると、これまで一番アクセスが多かったのが、三月三日で55件、訪問者数は45人となっている。二月の終わりに知人三人に、ブログの件を教えたから、それが原因かとも思ったけど、秘密にしてくれるようにお願いしたし、三人で45人なんて数字は叩き出せないから、多分偶然なのだろう。
 逆に少ないほうでは1件とか2件というのが何回かあった。0件という日はないので満足している。これも無理やりに毎日書きなぐっているおかげだろうか。累計の訪問者数がでると、常連さんが多いのかどうかわかると思うんだけど。まあ、わかったから、どうこうしようというわけでもないし、まあいいか。

 ページ別を見ると圧倒的にトップページが多い。トップページを開ければ、最新の記事から十件目までは読めるから、誤植探しにはこの表示はありがたいのだけど、文字の多さにそのまま戻っていく人もいるに違いない。それに、こんなの読む人いないだろうと思ったページに意外とアクセスがあったりして、なかなか楽しい。ローマ字と数字のアドレス表示で、どのページだかわからないのも多いのだけど。
 累計は出ていないが、トップページ以外では、チェコ語関係のページが開かれていることが多いようだ。最近、あんまり書けていないのが残念。チェコ語を勉強している人たちの、役には立たないだろうから、気休めにでもなれば幸いである。

 時間別を見ると、ブログの更新をすることの多い、こっちの時間で夜の十二時前後、ブログの表示で朝の七時前後の閲覧が一番多い。ファンブログの新着記事のところから来ている人がいるのかな。記事を投稿してログアウトした後に、新着記事に面白そうなタイトルのものがあったら、ついつい開いてしまうものだし。
 日本時間の午前三時とか四時のアクセスは、多分チェコにいる人じゃないかな。日本語ができるチェコ人の知り合い二人には教えたし。ただ、教える前の一月の時点でもこの時間帯に来ている人がいるんだよなあ。

 リンク元は「ブックマーク(リンク元なし)」と書いてあるのが一番多い。と言うことは、直接アドレスを入れたり、過去の履歴から来たりしている人が多いということなのかな。アドレスを入力するところや、新しいパネルを開くと、最近よく使うページが表示されるからそれを使っているんだろう。
 二番目はファンブログのページなので、新着記事一覧から来ているのだろうなあ。残りはほとんどこのブログ内のアドレスが表示されていて、検索ページからのアクセスはほとんどない。

 検索キーワードでのアクセスは笑ってしまうほど少ない。それはそれでいいのだが、許せないのは、ブログのタイトルをはじめ、これだけオロモウツという単語の頻出するブログだというのに、以前はあった「オロモウツ」での検索がなくなって、最近「ブルノ」の検索でのアクセスが増えていることだ。とはいっても、全部で三件しかないし、ブルノ単独の検索ではなく、他の言葉との組み合わせなのだろうけど。
 しかし、ブルノに関しての記事は書いた覚えはないのに、オロモウツの合計四件に、ブルノが迫るだなんて許せない。誰かオロモウツで検索して、このブログに到達してくれないものだろうか。以前、オロモウツだけで検索したときには、このブログ、影も形もなかったから、無理かなあ。

 ブログの管理画面では、人気の順位らしきものが上がったり下がったりするのにも、ついつい見入ってしまう。順位をメモしたり覚えたりして、こだわるつもりはないんだけど、こうやって数字にされると、がんばって順位を上げようと思ってしまう書き手も多そうである。

 ちょっと不満なのは、ディスクの使用量が一度増えたっきりぜんぜん増えないことだ。ずっと0だったのが、或る日277KBになっていて、写真もなしのテキストだけでこれだけ書いたのかと感慨を覚え、次の目標はテキストだけで1MBだと決意したのに、書けども書けども増えないのである。記事を書いているワード上でも、一月辺りの分量はせいぜい150〜180KBだから、まだ1MBには到達していないのだろうけど、途中経過が知りたい。と書いて、277KBにはもしかたしたら、記事に貼り付けた広告の分も入っているのかもしれないということに気づいて、ちょっとがっかり。それでも、まだまだ質より量で書きなぐって、1MBを目指すということにしておく。

 六ヶ月目突入を記念してサブブログを開設してしまった。ただこれは、このブログ以上に読者を意識しない自分のリハビリのためのものだし、内容については、以前ちらっと書いたので、ここでの情報公開はしない。
6月2日10時30分。



 昨日はサブブログのほうがアクセスが多かった。納得がいかない。6月3日追記。





タグ:愚痴 日記的
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2016年06月03日

オロモウツレストランめぐり2(五月卅一日)


 前回はよく行く、もしくは直近に出かけたレストランを紹介したが、今回は最近行っていない、場合によっては行ったことのないレストランを紹介しよう。
 まずは、日本のガイドブックのオロモウツのところには必ずと言っていいほど紹介されているモラフスカー・レスタウラツェから。ホルニー広場の劇場の隣にある建物に入っていて、名前からするとモラビアの伝統的な料理が食べられるようである。おそらく日本以外の国の観光ガイドにも紹介されているのだろう。夏場など店の前に設置されたザフラートカの部分にもたくさんのお客さんが入っていることが多い。
 ただ、このお店、オロモウツに長く住んでいながら一度も行ったことがないのである。地元の人間が観光客の行くようなレストランにいけるかというある意味で無意味なプライドのせいなのだけど、こちらに来たばかりのころは、値段がオロモウツとしてはかなり高いと聞いて二の足を踏んでしまったのだった。今更なので、よほどのことがない限り行くことはないと思う。チェコ人でも、オロモウツに来た記念に一度行ってみるという人もいるから、試してみる価値はなくはないと思うのだけど。

 モラフスカーと劇場を挟んで反対側、一時自転車屋になっていたところににあるのが、カフェ・オペラである。ここは以前一度イタリア人の友人に誘われて行ったことがある。店内は結構奥行きがあって広く、中庭にはザフラートカもあったような気がする。そのイタリア人は、ここのピザは美味しいんだと言いながら、マリガリータとかいうピザを食べていた。こっちは昼食後だったので、コーヒーを飲んだだけでピザは試していないけれども、イタリア人が認めるぐらいだから、それなりには美味しいのだろう。ちなみに、こっちは英語ができないし、向こうは日本語ができないから、チェコ語で話したのである。日本人とイタリア人がチェコ語でしゃべるのは、チェコにいるんだから当然だよね。

 カフェ・オペラからアリオンの噴水を越えた先の建物の地下にあったのが、キキリキというレストランで、現在は地上に出て、ホルニー広場からドラーパルのほうに向かう通りに移転している。キキリキというのは、チェコ人の耳に聞こえる鶏の鳴き声なだから、鶏肉料理しか出さないこの店の名前としては、ふさわしいのかもしれない。
 オロモウツには「ウ・コホウタ」という名前の店もあって、コホウトはオンドリという意味なので、ここも鶏肉料理のお店かと思ったら違っていた。キキリキは最近全然行っていないのだが、以前は、地下の薄暗いところにあるにもかかわらず、日本から来た人たちにも好評だった。

 キキリキの前の通りをそのまま進むと、ゲモから、トリニティに名前が変わったホテルのレストランがあるが、この手のちょっと高級っぽいホテルのレストランはどこも感じが似ているので、宿泊でもしていない限りあえて食事にだけ行く必要はないだろう。ここで道を渡って、大通りに出る前の昔の城壁の内側にある通り入っていくと、城壁の中にキャプテン・モルガンというレストランがある。ここは、以前は国際学生証ISICを提示すると、ピザを二枚頼んでも一枚の値段で済むという学生向けのサービスをしていた。チェコのポータルサイトセズナムの地図で確認をすると、このレストランは表示されないので、なくなってしまったのかもしれない。

 さて、一度、ホルニー広場に戻ってドルニー広場を抜け、ČSOBという銀行の脇の通りに入って、左に曲がれる一つ目の角を曲がると、オロモウツでもあまり知られていない広場、ブラジェイ広場に出る。広場の一番奥、城下の公園に降りられる階段の脇に、ミハルスキー・ビーパットというレストランがある。
 昔、今から二十年以上前にチェコを旅行してオロモウツに滞在していたときに、たまたま同じホテルになった日本人観光客と一緒に入ったことがある。料理は結構おいしかったと思うのだけど、この店で一番覚えているのは、たまにはアルコール抜きの夕食にしようと思って、ビールではなく、ノンアルコールのピトという名前のビールもどきを飲んだら、ビールが飲みたくてたまらなくなって、結局いつも以上に飲んでしまったことだ。最近は全然行っていないのだが、知り合いが日本からのお客さんを連れて行ったら、喜ばれたと言っていた。一度試してみようとは思うのだけど、ちょっと行きにくいところにあって、お店選びの際に失念してしまうのである。

 観光と食事を一緒にするのなら、ジャーマンセセッションの傑作プリマベシ邸の中に入っている同名のレストランがお勧めだったのだけど、最近たまたま前を通ったら、入り口のドアに閉店したことが書かれていた。長期間かかった改修工事の後、最初は確か魚介料理の専門店として開店したんじゃなかったかな。でも、オロモウツで魚というのには、かなり無理があったように思う。その後、イタリア関連でリトベルの近くでパルマ風のチーズを作っている会社が経営権を取得して営業していたのだけどうまくいかなかったようだ。最初に行った魚料理の時代よりは、最近行ったときのほうがいい感じになっていたのだけど。
 ちなみにこのチーズはグラン・モラビアという名前で生産販売されているが、製法はイタリアのパルマ周辺で作られているものと同じらしい。ただパルマチーズ(イタリア語っぽいカタカナ表現は使いたくない)は、EUの原産地に基づく商標に認定されているため、モラビアで作ったチーズは、パルマの名前を冠することは許されていないらしい。ただ、イタリアにも大量に輸出されているため、製品にはイタリア語の表示が多く、輸入品かと思ってしまう。このチーズ会社はチェコ各地に、自社製品だけでなく輸入したチーズを販売する直営店を開いて、チェコにひそかなチーズブームを引き起こしている。

6月1日14時30分。



 ないだろうと思って検索したら、出てきた。しかし18kg単位で売るか。業者向けなのかな。ちなみにチェコで生産してイタリアでパックしたものという可能性もある。6月2日追記。


ブラッツァーレ グランモラヴィアチーズ ハーフタイプ 約18kg×1個 ( 3.03円/g ) 【冷蔵便でお届け】【不定貫(1かたまり)のため確定金額は後ほどご連絡致します】



2016年06月02日

オロモウツの伝説(五月卅日)



 オロモウツのドルニー広場とホルニー広場は、日本語に訳すと、「下広場」「上広場」とすることができる。この上下関係は、土地の高低を表しているわけではない。二つの広場の接している部分から少しドルニーに入ったあたりが一番高く、どちらの広場もそこから離れるにつれてだんだん低くなっていくから、どちらが高い、どちらが低いとは言いにくい。最高地点も最低地点もドルニーにあるような気がする。
 実は、建物の重要さ、それから住民の身分の高低で、ホルニーとドルニーの名前がついたといわれている。ホルニーには、市庁舎があり、劇場があり、そして世界遺産にもなってしまった聖三位一体の碑があることを考えると納得できなくもない。かつてはトラムもホルニー広場を通っていたというし。

 師匠の話によると、ドルニー広場のほうには、どうも売春宿まで置かれていたらしい。ドルニー広場にある聖母マリアとイエスの母子像に関して、こんな話がある。普通、この手の聖母マリアが幼いイエスを抱きかかえている像の場合、マリアが幼子の顔を見ているらしいのだが、オロモウツの像はそのようになっていない。これは、像を設置する際に、聖母マリアの顔をイエスのほうに向けると、その視線の先に、売春宿が入ってくることに気づいて、こんなものをマリア様の目に入れてはいけないと考えた人たちが、顔の向きを変えることにしたのだという。師匠の話なので、どこまで本当なのかはわからないんだけどね。
 母子像が乗っている柱の下の基礎の部分には大きな横穴が開いている。今の時期、五月から六月にかけての時期になると、夜暗くなってからこの穴を潜り抜けようとする若い人に気づくことがある。この若者たちは、オロモウツにあるパラツキー大学の学生で、試験の前日にこの穴を潜り抜けると試験に合格するというジンクスがあるらしい。一説によれば、潜り抜けるだけでは足りずに、一晩その穴の中で過ごさなければならないとも言うのだが、溺れる者は藁をもつかむというところか。
 パラツキー大学で日本語を勉強し優秀な成績で卒業した我が畏友は、そんな無駄なことをする時間があれば、勉強したほうがましだろうにと鼻で笑っていた。そして、試験の前夜なんて、いまさま勉強してもしょうがないんだから、ビール一杯ひっかけてとっとと寝ちまうのが一番だということで意見が合ってしまうのは、我々だけだろうか。

 さて、マリア様がイエスのほうを見ていた場合の視線の先に入って来る建物に二つ三つあたりを付けると、そのうちの一つに、壁から馬の上半身が突き出たようになっている建物がある。オロモウツに伝わる伝説によれば、この馬は人間が造った像なんかではなく、もともとは生きていた馬なのだそうだ。
 その伝説によれば、昔この建物に飲み屋兼宿屋が入っていて、そこで働いていた娘が、客の一人に一目ぼれしてしまった。振り向いてもらうために魔女のところに行って惚れ薬を買って来る。あとは大体想像できると思うが、惚れ薬を入れた水を間違えて馬が飲んでしまう。馬は惚れた娘を追いかけ、娘は逃げる。建物の上に逃げても、馬がついてくるので、絶望のあまり飛び降りてしまう。馬も後を追って飛び降りようとしたのだが、途中で引っかかって、前半分だけが壁から突き出したような状態になってしまったのだという。

 それから、オロモウツで最も重要な教会である聖バーツラフ教会では、本来正午に鳴らすはずの鐘を、一時間前の十一時に鳴らす。この習慣は、三十年戦争のときに、スウェーデン軍にオロモウツの街が包囲されていたときにさかのぼるらしい。
 包囲攻撃が長く続いて、いつまでたってもオロモウツが落ちないのに業を煮やしたスウェーデン軍の指揮官が、ある日、次の日の正午までに落とすことができなかったら、包囲を解いて別の街に向かうことを決めた。それをオロモウツ側のスパイが聞いていてというのが何だか怪しいのだけれども、とにかく翌日は、これが最後と決めたスウェーデン軍の猛攻にオロモウツ側は、それまで以上に大苦戦し、落城も近いかと思われたときに、バーツラフ教会の鐘が正午を告げて鳴り始めた。それを聞いたスウェーデン軍は戦闘を停止し、包囲を解いてオロモウツの周囲から姿を消した。十一時に鳴らされた鐘によって街が救われたことを記念して、それ以来、バーツラフ教会の正午の鐘は十一時に鳴らされるようになったのだという。
 この話をオロモウツで聞いたときには、歴史の教科書でしか知らなかった三十年戦争におけるスウェーデン軍の活動が、実感を持って理解できたような気がして感動を覚えたのだが、その後、ブルノに出かけたときにも、ブルノの教会で十一時に正午の鐘を鳴らす理由として、ほとんど同じ話を聞かされて、感動して損したという気分を禁じえなかった。
 伝説はしょせん伝説で、どこまでが歴史的な事実なのかは、歴史書で確認する必要があるということなのだろう。オロモウツがスウェーデン軍に攻撃されたというのぐらいは、歴史的な事実であってほしいと思う。
5月31日18時30分。


2016年06月01日

タブロ(五月廿九日)



 オロモウツに限らず、四月の後半から五月にかけてチェコを旅行した人の中には、街中のショーウィンドーに人間の写真がたくさん並んでいるのを見て、何だろうと不思議に思った人もいるかもしれない。もちろん写真に写った人、若者たちを売りに出しているというわけではない。

 チェコの学校制度は、日本とほぼ同じで、義務教育が九年、その上に高等学校の三年間の課程が続く。義務教育は一貫で一つの学校に通うことが多いが、五年+四年に分けて、前半の五年と後半の四年で別の学校に通うこともできる。後半の四年から通う学校は、大抵高等学校と一緒になっているので、日本の中高一貫の学校と同じようなものである。
 大学進学率の低かったチェコでは、この高等学校の卒業というのが、社会へ出ていくための関門として認識されており、卒業に際してさまざまなイベントが行われる。最大のイベントは、「マトゥリタ」と呼ばれる高校の卒業試験なのだが、その難しいらしい卒業試験に合格できたことを、家族も一緒にお祝いするためのパーティーが行われる。
 これは、かなりフォーマルなパーティーで、卒業生たちは社交ダンスを披露することになっていて、ちゃんと踊れるように、卒業試験に向けて勉強が大変な中、ダンスのレッスンを受けるらしい。だからチェコ人の多くはダンスができ、ダンス教室がたくさんあって、テレビのスターダンス(芸能人やスポーツ選手がプロのダンス選手と組んでトレーニングをして優劣を競う番組)も人気があって、ほとんど毎年新しいシリーズが製作されているのだろう。

 その卒業パーティに向けた準備の一環として、クラス単位で作成するのがタブロ(ここにいくつか例がありそう)というもので、展示するために街中の商店と交渉をしてショーウィンドーを貸してもらうのである。街中で、あれこれ見てみればすぐに気づくと思うが、ものすごく手の込んだものもあれば、集合写真一枚でお茶を濁したものもある。
 どんなタブロが出来上がるかは、ひとえにクラスの結束にかかっているらしい。いいもの、独創的なものを作ろうとすれば、お金はもちろん、時間もかなり必要になるため、クラス全員がこのクラスでよかったと思えるようなクラスでないと、なかなかいいものはできてこないようだ。一人二人熱心な生徒がいても、他がみんなやる気のない顔で写っていたら、あまり魅力的なタブロにはならない。

 独創性を狙うあまり、生きたタブロというものに挑戦するクラスもあるらしい。生きた、つまり写真ではなく、生身の本人たちがショーウィンドーの中に入って、みんなでポーズを取って道行く人に見てもらおうというのである。四月中からショーウィンドーの中に、五月何日の何時から生きたタブロを展示するから見に来てくださいなんてメッセージだけを入れておいて、当日みんなで、というわけなのだが、時期的にうまくいかないことが多いようだ。
 五月というのは、年によって差はあるものの、大抵は気温が上がって、ひどいときには三十度を超えることもある。人に見てもらう必要があるから、昼間に実行しなければならない。日の当たる広いとは言えないショーウィンドーの中に大人数で入る。こうやって問題点を数え上げてみればわかるが、暑さに耐えきれなくなって、すぐに終わってしまうのが関の山だという。運がよければ気温があまり上がらず予定の時間を耐えきれるのかもしれないけれども、一度どこかのクラスが失敗したお店では引き受けてくれなさそうである。
 ただでさえ季節感に乏しいチェコで、室内での仕事に没頭するという季節感に乏しい生活を送っているのだが、毎年、このタブロとレストランのザフラートカの準備を目にすると、すでに春が来て、夏に向かおうとしているのだと実感することができる。

 最後に一つ警告をしておこう。毎年この時期には街中に珍妙な格好をした高校生の集団が現れ、道行く人を止めてお金を求めるのを目にすることがある。これも高校卒業のイベントの一つで、卒業学年の生徒たちが、卒業記念パーティーの資金集めに、街の人たちに寄付を求めるという風習のようなものがあるのだ。ひどいときには学校の前の通りにバリケードを築いて、寄付した人だけ通すなんてことをしている連中もいる。そんなのに遭遇したときには、なんて馬鹿なことをしているんだなんていきり立たずに(連中だって馬鹿なことをしているという自覚はあるはず)、いくばくかのお金を寄付していい思い出にしてほしい。チェコのお金じゃなくて日本のお金を与えるといういたずらをしてもいいかもしれない。
5月30日13時30分。


タグ:習慣 高校生
posted by olomoučan at 06:05| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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