2016年06月06日
宗教嫌い(六月三日)
チェコテレビのニュースによると、ロシアの一部でスターリンを崇拝するグループが支持を増やしているらしい。確かに強いソ連を象徴した人物かもしれないが、実はロシア人ではなくグルジア人である。だから、ロシア人たちに互して共産党内で出世し、ロシア人(だけじゃないけど)を殺しまくったスターリンがグルジアで崇拝されているのなら、理解できる気はする。レーニンなら意外でも何でもないのだけど、ロシアでスターリンというのは意外だった。
でも、旧ソ連の時代にロシア人以外で権力を握って、ロシアやロシア人に不利な決定を下した人物は、スターリンだけではない。西側では緊張緩和の立役者として評価も高いウクライナ出身のフルシチョフがいる。フルシチョフは、スターリンの死後権力を握ると、ロシアの領土を削ってウクライナに与えた。単に故郷にいい顔をしたかったのか、政治的な理由があったのかはわからないが、住民にとってはロシアであれ、ウクライナであれ、ソ連であることには変わりないのだから、特に大きな変化はなかったのだろう。
当時ウクライナに帰属が変更された地域が、ロシアが占領して国際世論を敵に回したクリミア半島と、親ロシア派の組織が占拠して内戦を起こしているロシア人居住地域である。だから、この問題を攻め込んだロシア(公式には否定しているけど)が悪いなんて解説で済ませてしまうのは、まったく意味がない。そんな批判はロシアには痛くも痒くもないだろうし、悪いことをしているという意識はなく、ウクライナに預けておいたものを返してもらうんだぐらいの意識しかないんじゃなかろうか。EUがウクライナにちょっかい出すまでは、直接の武力行使はしなかったわけだし。
スターリン崇拝の話を聞いて、ちょっと考えてしまった。何とかの自由、かんとかの自由で、自由にうるさいヨーロッパだけど、ヒトラーの著作の出版を禁止しているドイツと、スターリン崇拝が放置されるロシアとどちらが自由の名にふさわしいのだろう。もちろん、ドイツにはドイツの事情があってのことであることは重々承知しているし、仕方のない処置だというのはわかった上で、他国の事情も省みずEU的民主化というものを押し付けようとする傲慢さをみると、こんなことを考えずにはいられなくなる。
他国の事情を無視して自分たちの考えを押し付けていくという意味では、EUの民主主義というのは、宗教に似ている。そうすると、イスラム世界の人々にとっては、EU的民主主義はキリスト教が形を変えたものに見えるのかもしれない。ならば、イスラム国はイスラム教徒にとっての十字軍というところか。そして、周辺のイスラム諸国は、十字軍に巻き込まれて多大なる迷惑を被ったビザンチン帝国になるわけだ。イスラム風にジハードなどと言われても、いまいちイメージがわかないが、こうたとえてみると、状況がわかりやすくなったような気がする。
これでわかりやすくなるということは、日本の学校の世界史教育もヨーロッパ的価値観で記述されていることの証明になるのだろう。最初は、日本的に一向一揆にたとえようと考えたのだけど、周辺のイスラム国家に対応させるものが思い浮かばなかった。当時は他の仏教の宗派も武装して好き勝手やってたから、一向宗が特にひどかっただけで、目くそ鼻くその違いでしかないし、被害者と言うのはおこがましすぎる。
ところで、十字軍という評価を褒め言葉として感じた人がいたとしたら、ヨーロッパ的、キリスト教的価値観に毒されている証拠である。ヨーロッパ的な価値観の中では浪漫あふれるものとして記述されることもある十字軍は、実際には人類史上最大の蛮行の一つで、これに比べたら現在のイスラム国など可愛いものだと言っても過言ではない。時代が時代だったから仕方がないと言う言い訳は通用しない。同時代のイスラム側の指導者たちと比べて出さえ、キリスト教側の君主たちの行動の残虐さは目にあまるのだから。異教徒との約束は守る必要などないし、異教徒は殺してしまうべきだという十字軍、つまりはキリスト教の思想はその後も、ヨーロッパ人たちの異民族に対する態度であり続ける。
ヨーロッパとしては、十字軍のおかげで、先進のイスラム世界からさまざまなものを略奪し、それがその後の発展につながったのから肯定的に評価したくなるのだろうが、最先進の地域であったイスラム社会の発展を阻害し、混乱に陥れたという意味では、人類史に於ける犯罪である。そして、その後もキリスト教関係者が、世界中で現地の人々を殺し、奴隷にし、文化を破壊し続けたことを考え合わせると、イスラム教よりもキリスト教のほうが、はるかに危険な宗教であると言わざるを得ない。
現在のキリスト教関係者は、時にすべての宗教は平等でなどという立派なことを言うことがあるが、それは建前で、実際は、キリスト教以外の宗教は、キリスト教徒違って間違っているという点で平等だなどと考えているに違いない。そもそも他の宗教についても詳しいキリスト教関係者なんて稀有な存在であろう。
だから、イスラム教は危険だと叫ぶヨーロッパ人よ、恥を知れ。まず、キリスト教を、その後イスラム教を解体するというのが、平和な世界を実現するための正しい手順なのだ。
そう考えると、宗教を禁止しようとした点では、共産主義というのは正しかったのかもしれない。しかし、キリスト教会を秘密警察の手先として活用したことと、共産主義自体が宗教的な存在になってしまうことで、宗教禁止の構想は無意味なものになってしまった。
宗教嫌いとは言っても、神社やお寺、教会やモスクなどに、信者がお参りや、お祈りに出かけることまで批判する気はない。むしろその手の素朴な信仰心の発露には共感さえ覚える。許せないのは、その信仰心を悪用し、自らの権力や財産の拡大に悪用する連中である。残念ながら、長い人類の歴史の中でこの手の連中が欠けたことはない。
願わくは、腐敗し果てし宗教なるものの不要なる世界の訪れんことを。
6月5日14時。
6月5日14時。
誤植の確認のために、この日の記事を表示させて絶句。あまりの間違いの多さと、いい加減な書きぶりに、これではいけないと、かなり修正を加えた。先週の木曜日からの忙しさで、押せ押せで時間的な余裕がなかったのと、疲れで頭が働かなかったのが原因である。しかし、目標は疲れていても時間がなくてもそれなりのものを書くことなのだから、それを言い訳にしてはいけない。だから今後も書くのみである。6月6日修正後追記。
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