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2016年06月26日
サマースクールの思い出(五)――一年目残り(六月廿三日)
一年目の話は二回ぐらいで終わると思っていたのだけど、終わらないので続ける。
週末の土曜日には、貸し切りバスを使って、遠足に出かけた。一週目の週末に出かけたのが、ナポレオンに関係するスラフコフ・ウ・ブルナとモヒラ・ミール、そしてイバンチツェだった。イバンチツェには、フス派の印刷所があったということで出かけたんだったかな。ただ、途中でバスの運転手が道に迷ってしまって、到着したときには、日の長い七月後半だというのに、すでに薄暗くなっていた。当然、案内してくれるはずだった人も、すでにいなくなっており、結局見学はできたと思うのだけど、えらく待たされて、せかされたのだった。
二週目には、金曜日の午後から二泊の予定で、プラハに出かけた。とはいっても、ひねくれ者の私は行かずに、オロモウツに残ったのだが。プラハよりもオロモウツが好きだからここに来たんだと主張していた同級生たちや、プラハ中心主義を批判していた先生たちも一緒に行っていたから、裏切り者と叫びたい気分にはなったけれども、同級生たちのいない静かなオロモウツというのもまた、悪いものではなかった。常に喧騒に取り巻かれてちょっと疲れていたのかもしれない。なので土日は、ほとんど出歩かずに寮の中でおとなしくしていたはずだ。
これで、サマースクールの前半が終わり、翌月曜日から先生が代わった。一番上と二番目のクラスだけは、四週間一人の先生が担当したが、それ以外は二週間づつ教えるようになっていた。前半の先生が大当たりだったので、後半変な先生が来たらいやだなと思っていたのだが、代わりにやってきた普段は教育学部で教えているという男の先生も、なかなかいい先生だった。
前半の先生が文法的なことをしっかり教えることに重点を置いていたのに対して、後半の先生がむしろ使わせることに重点を置いて、いろいろなことを話させようとしていたのもよかった。単なる自己紹介レベルではなく、自分の仕事や学問などについて、詳しく聞かれて、みんなしどろもどろになっていたけど、こういう体験が次に役立つのである。私自身は、当時関わっていた出版関係の仕事について、うまく話せたものもあるし、どうしても言えなくてあきらめてしまったものもある。それが、後に師匠の下であれこれ質問をして、ちゃんと言えるようになる原動力となったのである。
この先生が、学生たちを自宅に招待してくれた。全員参加ではなかったが、クラスの半分以上で、その日の授業の後、先生も一緒にみんなで駅に向かった。切符は先生がみんなからお金を集めて団体券を買ってくれたのだけど、車内での検札の際に人数が合っているとかいないとか、車掌さんとあれこれ話していた。かなり散らばって座っていたので、誰がこのグループに属しているのか、確認するのが大変だったらしい。最後は車掌が、よくわかんねえけどいいやみたいなことを言って解放された。
先生の自宅は、プロスチェヨフの近くの駅のない小さな村にあって、隣村の駅から線路沿いを歩いて向かった。典型的なハナー地方の農家の建物だったのだと思う。鱒がいるからみんなに御馳走しようと言い出して、焼き魚を一人一匹ずつ頂いてしまった。久しぶりの魚は美味しかったのだけど、焼く際にニンニクをおろしたものがべっとりと塗られていたのと、箸で食べられなかったのがちょっとだけ残念だった。そんな歓待を受けたこともあって、話が弾みすぎてオロモウツに戻る予定の電車に乗れなくなって、一本遅い電車になってしまったのも全く気にならなかった。
前半の先生は、翌年のサマースクールでも教えていたので、あいさつをすることができたのだが、この後半の先生には、残念なことに一年目のサマースクールが終わって以来お目に書かれていない。ただ、今会っても気づける自信はないのだけど。
三週目の土曜日の遠足には出かけるつもりで、一度は集合場所の駐車場までは行ったのだが、その駐車場にハンドボールチームのバスが停まっていたことから、近くの体育館でハンドボールの試合が行われることがわかって、予定を変更してオロモウツに残った。このときもスイス人のマティアスが、バスのところにいた関係者に話を聞いてくれたんじゃなかったかな。本当に足を向けて寝られない。まあ、毎年そんな存在が増えていくのだけど。
だから、このときどこに遠足に行ったのかは、いや行きそこなったのかは覚えていない。すでに一度行ったことのあったボウゾフだったかなあ。久しぶりに見るハンドボールの試合は、シーズン前の親善試合で結構面白かった。だからオロモウツに残ったかいはあったはずなのだけど、対戦したチーム名とか、何試合あったかとかは、忘却の彼方である。
初日には、落ち込んだ姿が新聞に掲載されて恥をさらしたのだが、後半にもまた写真を撮られてそれが新聞に掲載された。ただし、今回掲載されたのは同級生たちとにこやかに話している姿で、前回の写真と比べると、別人のようだと同級生たちにからかわれた。別人に見えたのは、チェコ語の修行の一環として、散髪に出かけて、伸び放題だった髪の毛が、すっきり短くなっていたからという理由もあるはずなのだけど。いずれにしても、置かれた状況の違いを如実に表した二枚の写真だった。これも、いや、二枚そろえていいお土産になった。
6月24日18時。