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2020年06月30日
ミラダ・ホラーコバー(六月廿七日)
毎年、この共産党政権によるでっち上げ裁判で死刑判決を受けて殺された女性については、この時期になるとニュースになるのだが、今年は特に報道される回数が多い。今年は死刑が執行されて70年目ということで、大きく取り上げられているようだ。実はこれまでも何度か取りあえげようと思ったのだが、どう扱ったものか決めかねて後回しにしてしまった。決めかねているという点では今も変わらないのだが、今回を逃すと書かないままになってしまいそうなので、失敗覚悟で書き始める。
さて、ミラダ・ホラーコバー氏の死に関してチェコ語で使われる特別な言葉があることに気づいた。それは「justiční vražda」ということばで、司法を意味する「justice」の形容詞が殺人の前についているから、司法殺人、司法による殺人ということになるだろうか。時の政府、権力者が法律を悪用、もしくは無視して、ありもしない嫌疑をかけて裁判を起こし、あらかじめ決まっていた死刑判決を下して合法的に政敵を葬るというやり口をさしていう言葉のようである。
これで思い浮かべたのは、第二次世界大戦後のソ連で吹き荒れたスターリンによる共産党員の粛清の嵐である。それは当然東側に属してソ連の後追いをしていたチェコスロバキアにも波及し、多くの共産党員がささいなことで人民の敵に指定され、裁判の結果死刑に処されたはずである。全員が処刑されたわけではなく、1968年のプラハの春が鎮圧された後の正常化を主導して、自らもこの手の政治裁判を行ったグスタフ・フサークも民族主義者のレッテルを張られて裁判にかけられていたはずである。
そんな思い込みから、でっち上げの政治裁判で殺されたのは共産党関係者が多いのだろうと思っていたので、ホラーコバー氏も共産党の関係者で党内の粛清の犠牲者の一人だろうと考えていた。そんな人が、司法殺人の最大の犠牲者として、反共産党のシンボルのように扱われるのが不思議だったのだが、よく考えれば対戦中にイギリス軍でパイロットとして活躍して帰国した軍人とか、共産党関係者以外でも政治裁判の犠牲になった人は多いのだった。
ホラーコバー氏も、そんな党員ではない粛清の犠牲者で、もともとは弁護士で女性の権利拡大求める運動の指導者でもあったようだ。その後、ナチスドイツによる占領期には、反ナチスの活動家として刑務所に入れられたこともある。戦後政界に入り、国会議員に選出されている。左よりの民族社会主義を標榜する党の党員で、当初は思想的には、決して反ソ連、反共産党というわけではなかったようだが、秘密警察を悪用する共産党のやり口と、1948年の共産党のクーデターによる政権獲得には反対の立場を取った。
それが当然共産党政権の気に入るわけがなく、1949年に国家に対する反逆の罪で逮捕され、容疑を認める代わりに罪を軽くするような取引をすることもなく、死刑判決を受けて、刑が執行されたのがちょうど70年前の今日だという。追悼の式典だけでなく、二、三年前に制作されたホラーコバー氏の死をテーマにした映画を、反共産主義の団体が共産党本部の壁をスクリーンにして上映するなんていうイベントも行なわれていた。
ホラーコバー氏は、1948年の政変に際して西側に亡命することも可能だったのに、チェコスロバキアに残ることを選び、死の瞬間まで共産党政権に対する抵抗を続けたという印象を残している。それが今でも反共産主義のシンボルとして、右よりの政治家たちからも尊敬を受けている所以なのだろう。チェコ各地にホラーコバー氏の名前にちなんだ通りがあるのも納得である。共産党だけは、この件に関しても、他のこの時期の事件についてと同様、独特の見解を持っているようだが、誰にも相手にされていない。
ホラーコバー氏は、チェコスロバキア国内だけでなく、国外でも知名度の高い人だったようで、裁判で死刑の判決が出た後、アインシュタインやチャーチルなどの西欧の有名人達から死刑を見直すようにという要望が届いたらしい。それがスターリン主義に凝り固まった当時の共産党政権に届くわけがなく、いやその分危険だと判断されたのか、見直されることはなかった。
チェコの歴史には、自らの死によって民族を覚醒させ、抵抗に立ち上がらせようとする人がしばしば登場する。ホラーコバー氏もそのうちの一人として数えていいのかもしれない。チェコの人々が共産主義の悪夢から完全に覚めて自由を取り戻すまでには、40年もの時間が必要だったわけだけれども、それがホラーコバー氏の死の意味を小さくすることはあるまい。
2020年6月28日18時。
2020年06月22日
悪しきものプラハより(六月十九日)
武漢風邪にかんしては、カルビナーとプラハの二か所がチェコ国内における牙城となっているのだが、オロモウツ周辺でも最近また新規の感染者が増えつつある。一つは以前も紹介したリトベルの老人ホームでここの感染がどこから来たかについては明らかにされていない。しかし、オロモウツ周辺のいくつかの感染例、感染の疑いによる隔離と集団検査に関しては、感染源がプラハであることが明らかにされた。
チェコのポータルサイト「セズナム」の運営するセズナム・スプラービの記事によれば、感染源となったのは、プラハ4区のある工事現場だったという。ちなみに、このニュースを読んで、チェコのメディアもクラスターという言葉を使い始めやがったことに気づいた。畜生。この工事現場で発生した「クラスター」とやらから、チェコ国内の何か所かに飛び火したことが、感染者の数が増えている原因の一つとなっているようだ。
工事現場で働いている人たちの中には、プラハ以外から来ている人たちも多く、中には宿舎に泊まりながら働いている外国人もかなりの数いたようだ。そして、その外国人たちの宿泊施設ではまだ感染者は出ていないが、保健所だけではなく、外国人警察も協力して、外国人労働者の検査を進めているという。
問題は、感染した人の中にオロモウツ周辺に住んでいる人たちがいたことで、この人たちが、仕事が完全に終わってなのか、週末に一時帰宅してなのかは知らないが、オロモウツに戻ってきて感染と、感染の恐れのある人を増やしたという。一つは、一時閉鎖されていたウニチョフの小学校で、ここでは児童と教員を含めて50人近くの人が検査を受け、2人が陽性であることが判明している。オロモウツ地方の消防隊の基地でも感染の可能性ありということで50人の関係者が検査を受けている。幸い現時点では感染者は出ていない。
もう一つは、プラハから帰ってきた人の家族で、ここでは4人の感染が確認され、家族の勤務先か通学先の小学校、農場、老人ホームでも検査が行われた。こちらも感染者がゼロなのは不幸中の幸いである。小学校なんて長い閉校期間がやっと終わって、授業が再開されたばかりなのに、これで再度休講なんてことになったら子供たちに与えるショックも大きいだろう。救いはすでに6月も半ばをすぎて、夏休みが始まる7月1日まで残り少なくなっていることだろうか。
このプラハ4区の工事現場から感染が広がったのは、オロモウツ周辺だけではなく、他にもウースティー・ナド・ラベンで1人、ズリーンで2人の感染者が確認されている。オストラバにも飛び火したような地図を見かけた記憶もあるのだけど、ちょっとはっきりしない。
それから、参考にした記事では、もう一つプラハで起こった「クラスター」が紹介されている。それは、6月5日にプラハのレトニャニで行われたアマチュアのアイスホッケーの試合で、試合の出場者を中心に全部で21人の感染者を出したらしい。現在もさらに追跡中というから、感染者の数が増える可能性もあるのかな。
建設工事も、このホッケーのイベントも禁止されたものではないから、参加して感染した人たちに罪はない。長い長い自宅監禁期間を経て、久しぶりに家族や友人たちと会って、大騒ぎしたいというのも当然のことだろう。政府や厚生省では、規制の緩和によってこういう小規模の集団感染が発生することは織り込み済みだったようで、追加で対策をすることは考えていないようだ。
ただ例外が一つあって、それは7月1日から予定されている、マスク着用義務の完全撤廃に関して、感染者の増え続けているプラハとカルビナー、それから昨日感染者が急に増えたフリーデク・ミーステクに関してだけは、現状通り自宅、職場以外の建物に入るときと、公共交通機関を利用するときのマスク着用義務を継続することを考えているという。そうすると、プラハに向かう電車の中でも、プラハに近づいたらマスクが必要になるのだろうか。プラハ発着の便はマスク着用という可能性もあるか。まあプラハには行かないのが吉ということだな。
来週からは、現在500人以下に制限されているイベントも1000人以下に緩和されるし、サッカーのスタジアムなど観客席がいくつかに分かれいて、それぞれの部分を完全に独立させることができる場合には、各セクション単位での制限になるので、現在は2500人まで、来月からは5000人まで観客を入れることができるようになる。チームの財政にとってもありがたい話であろう。規制のなかった時期でも、5000人も客が入らないチームもあったけど。
チェコに住みながらプラハ嫌いの人間としては、今後、プラハ以外での流行がほぼ消えて、プラハでだけ患者が発生し続ける事態が続いた場合に、首都プラハの封鎖が行われるのかどうか注目している。経済的なことを考えたらできないだろうけどさ。
2020年6月19日24時30分。
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2020年06月21日
プラハ混乱(六月十八日)
この前も書いたが、チェコで武漢風邪の新規感染者が特に増えているのは、カルビナー地方とプラハの二箇所である。カルビナー地方の場合には、炭鉱で集団感染が発生しているわけだが、その炭鉱夫たちの中には、ポーランドから仕事に通っている人もかなりいると言われている。炭鉱以外にもポーランドからチェコまで仕事に通っている人は多いのだが、その人たちの住んでいるのがポーランド内で流行が拡大し続けているスレスケー・ボイボツトビーなのも、カルビナーを含むモラビアシレジア地方で感染者数が増え続けている理由の一つとされている。
このこと自体は、感染の拡大が落ち着いた後、国境を越えて仕事に通う条件が緩和されているのだから、ポーランド人を批判する理由にはならない。国境を挟んで家族や親戚が分かれて生活しているところも多く、国境の開放を求める声は日に日に高まっていたし。ただし、閉鎖された国境を越えてチェコに侵入していたポーランド人もいたらしく、集団でどこかの小さな教会を占拠して立てこもっていたなんて話が今になって聞こえてきた。
ドイツ人といい、ポーランド人といい、チェコの北側の隣人は……。共産主義の時代にうやむやにされてしまったところはあるけど、1938年のミュンヘン協定でチェコスロバキア第一共和国が崩壊した際に、チェコに侵攻して蛮行を働いたのはドイツ人だけではないのである。アウシュビッツなどの存在で第二次世界大戦で最大の被害を受けた国扱いをされているポーランドだが、大戦前は、少なくともチェコスロバキアに対しては、ナチスの最大の協力国だったのである。
ちなみに、集団感染が発生したカルビナーの炭鉱では、1000人を越える全従業員の検査が行われ400人近くの感染者が確認されている。それで、同じ企業OKDに属する他の炭鉱でも全員の検査が進められているが、現時点では全員陰性という結果で、他の炭鉱への飛び火は起こっていないようである。
カルビナーと並ぶ感染地となっているのがプラハで、こちらは炭鉱のような大規模集団感染は起こっていないが、小さな集団感染がいくつも発生しているようだ。その一つがプラハ市議会に飛び火したことで国会を巻き込んで大騒ぎになっている。チェコの地方自治の制度というのは日本人にはわかりにくいややこしいものなのだが、簡単に言うと、議会の議員のうち与党に属する議員が行政上の要職も勤め、さらに国会議員との兼任も可能になっている。
それで、問題になったのはプラハ市長の「ナームニェステク」という役職の人、国の省庁なら事務次官や副大臣相当の役職なので、副市長と考えてもいいのかな、その人物が体調を壊して検査を受けた結果、陽性であることが判明したのである。問題はこの人物が直前まで積極的に市主催のイベントや、市会議員も参加する会議に参加していたことである。
問題のイベントは、プラハ市の消防署で行われたものだが、消防隊員ではなく、地元の消防団の人たちを集めてのイベントだったので、消防署から参加したのは一人二人だけで、出席者を隔離しても、消防署の現場の体制には何の影響も与えないことが明らかになっている。不幸中の幸いというべきか。
もう一つの会議のほうは、市長を含めた出席者全員が隔離の対象となり検査を受けることになった。当然出席していた市会議員もなのだが、問題はそのうちの二人が、下院議員を兼任するという、日本ではありえない状態にあったことだ。出席者数を減らして行われていた下院の本会議もすでに全員出席するようになっているので、この二人が陽性だった場合には、本会議に出席していた国会議員全員も感染している可能性があるということになる。
現在マスクに関しては、自宅、及び職場であれば、屋内であっても着用の義務はないのだが、国会を職場に入れて、マスクを外して会議に参加していた議員たちが、このニュースを聞いて慌ててマスクの着用を再開したのには笑ってしまった。危機感には個人差があって、演台のマイクの前で発言するときだけマスクをするという人もいたけど。
一回目の検査の結果、プラハ市の会議に出ていた人は全員陰性だったようだが、隔離期間が終わるころに再度検査を受けることになるのだと言う。それまでは国会議員たちも議場ではマスクを着用することになりそうだ。我ながら、悪趣味だとは思うけど、今後の展開が楽しみになってきた。日本も国会やマスコミ関係者の間で武漢風邪蔓延なんてことにならないかなあ。マスコミの場合は、一人、二人ならともかく、集団だったら隠蔽する可能性が高いだろうけど。
2020年6月19日9時。
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2020年06月19日
シェンゲン復活近し(六月十六日)
ヨーロッパ全体で見ても、武漢風邪の流行は下火になりつつあるとはいえ、まだまだ新規の感染者が出続けている中、チェコ政府は、EUに属する国のほとんどを青信号の国扱いにして、チェコ人はもちろん、EU市民及び、長期滞在許可を持っている外国人に対しても、出入国の制限を完全に撤廃することを決めた。ヨーロッパで最大の被害を受けたイタリアとスペインの二国がすでにこのグループに入れられているのが意外である。
黄色信号の国はベルギーとイギリスで、この二カ国からの入国で、隔離も陰性の証明が不要なのはチェコ人とチェコの長期滞在許可を有する人だけである。つまり、ベルギー、イギリスに在住するチェコ人以外の人には、チェコに入国する際に14日間の隔離か、陰性の証明書の提示が求められるということである。
赤信号の国はポルトガルとスウェーデン、それにポーランドのシレジアが指定されている。これらの国からの入国に際してはチェコ人も14日間の隔離か、陰性の証明書の提示が求められる。不思議なのは、ポーランドは国としては青信号なのに、一地域だけ赤信号で出入国を制限するのは可能なのかどうかということである。ポーランド領のシレジアと直接接しているところの国境でチェックするのは可能なのだろうけど、迂回されたらチェックの使用はない。そのシレジアの国境の通過点でも検問はすでに緩くなっているらしいし。
このカテゴリー分けによる出入国の規制の緩和、撤廃はチェコ側からの一方的なもので、チェコから他の国に行く際に、さまざまな制限がのこっているところは多いから、例のミニシェンゲン圏、オーストリア、スロバキア、ハンガリー以外に行く際には気をつけなければいけない。とは言っても、チェコ政府自体も、この撤廃で外国へ出ることを奨励しているわけではなく、今でも出国はどうしても必要な場合だけに限るように求めているはずだ。
飛行機の便も、プラハからヨーロッパ内の都市への便はかなり運行の再開が進んでいるようだ。各国の出入国制限で需要と供給の関係がどうなっているかよくわからないので、チケットの値段がどうなっているかも予想できないのだけど、武漢風邪以前に比べると手間が大幅に増えているだろうというのは想像に難くない。
とまあ、チェコの出入国制限の現状について、普通の真っ当なことを書いたわけだが、このニュースを聞いて一番気になったのは、実は規制がどうこうという部分ではなく、ポーランド領シレジアの呼称である。日本大使館からきたお知らせのメールには「シレジア・ヴォイヴォデシップ地方」と書いてあって、これにもちょっと驚いたのだが、最初に驚いたのはニュースで聞いた「スレスケー・ベーボツトビー」である。
チェコ語では、国王が治める領域、つまり王国を、「král(王)」から「království」という。同様に、「knížetství(侯爵領)」「hrabství(伯爵領)」なんて言葉も存在する。だからニュースを聞いたときに、「vévodství」だと判断して、「公爵領」のことなのだろうと理解し、チェコとポーランドに分割されたかつてのシレジアのポーランド側全体が、「スレスケー・ベーボツトビー」にまとめられていると考えた。
そして、ポーランドではすでに王政が存在しなくなって久しいにもかかわらず、行政単位としては、過去の貴族領を基準にしているのかと、ドイツの州も諸侯領が規準になって分かれているところがあるわけだし、そして名称としても、貴族の爵位を基にした言葉を使っているのだろうと考えた。もしかしたら、地方行政の長の呼称もかつての貴族の爵位を思わせるものかもしれない。
ポーランドという国は、共産党支配が終わったあと、共和国なのに国旗に王冠をつけるかどうかを真剣に国会で議論したと言われる国である。熱狂的なキリスト教信者だけでなく、貴族性にノスタルジーを感じる人が多かったとしても不思議はない。などと考えて、一人で納得していたのである。それが念のために確認してみたら……。
そもそも、「vévodství」ではなく、「vojvodství」だった。さらに歴史的なことを考えると、シレジアの領主の爵位は「vévoda」ではなく、「kníže」である。チェコ語のウィキペディアには、「vojvodství」は現在のポーランドの地方行政単位だと書かれていた。つまり前身が伯爵領だろうが王領だろうが、教会領だろうが、すべて「vojvodství」になっているということなのだろう。そして、「スレスケー・ベーボツトビー」ではなく、「slezské vojvodství」はポーランド領シレジア全域ではなく、その一部分に過ぎないことがわかった。思い込みとは恐ろしいものである。
しかし、とさらに考える。ポーランドの「vojvodství」という言葉も、もしかしたら「vojvoda」という封建領主を指す言葉からできているのかもしれない。同じスラブのユーゴスラビアにボイボディナというよく似た地名があったし、スロバキアの地方区分に使われている「župa」ももともとはハンガリー王国時代の地方領主だったか、代官だったかを語源にしているというからさ。人を表すのは現在地方知事を意味する「župan」だったかな。この言葉、チェコ語では
2020年6月16日24時。
2020年06月14日
配達もほぼ正常化(六月十一日)
醤油がきれそうになったので、いつもの日本食材のお店に注文することにした。ネットショップというのは、便利な通信販売だと考えればいいのだろうけど、通信販売なんてほとんど使ったことのなかった人間が、ここまで利用するようになるとは、思ってもいなかった。思った以上に使っていると言えば、もともとジャパンナレッジの会費を払うためだけに作ったクレジットカードもそうで、以前は小銭がないなど特別な事情のあるときだけ使っていたのが、最近は逆でお店のトラブルでカードが使えないときだけ現金で払うようになっている。買い物の回数自体が少ないから回数で言えばカードを使うのも少ないのだけど。
クレジットカードでの支払いが増えたのは、武漢風邪の流行で、現金での支払いが一次禁止されていたことも原因の一つとなっている。一定の金額までは暗証番号をいれずにカードを端末にふれされるだけで支払いが終了するから、感染の可能性を下げられるといわれれば納得してしまう。それで毎週のようにコドーでコーヒーを買う際にカードで支払っていたら、それが当然になってしまった。
政府がクレジットカードでの支払いを求めたのには、いわゆる「スマート隔離」政策も関係している。これは感染者の同意の下に携帯電話会社とカード会社に個人情報を提供させて、どこにどのぐらいいたかを確認し、同じ場所にいた可能性のある人を探し出して検査の対象にするというもので、これが稼動したことも、政府が規制の緩和、解除に舵を切った理由の一つになっていたと思う。比較的早い時期から導入が計画されていながら、検証実験に時間がかかって実際に全国的に導入されたのは五月になってからだったかな。
ところで、武漢風邪の流行は、ネットショップの売り上げを大きく伸ばしただけでなく、最近プラハなどの大都市で流行し始めているらしい買い物代行サービスの利用も大きく増やしたようだ。注文しても一ヶ月待ちなんて冗談みたいな話も聞こえてきていた。店舗の閉鎖を余儀なくされた業者のネットショップでは普段設定されている送料無料の最低購入額をなくして買い物しやすくしているところもあった。その結果、郵便局などの配達業者の仕事も大きく増え、人手不足に悲鳴を上げていた。
配達のしかたも武漢風邪によって変わった。一番規制が厳しかったころは、配達の人が、受け取る人に直接手渡すのではなく、アパートの入り口の前、もしくは家の門の前に商品を置いて、電話で受け取る人を呼び出して、少し離れたところから受け取りを確認するという方法が取られていた。もちろん配達の人も受け取る人もマスクをしていなければならならず、後払いで受け取りの際にお金を払う方法も禁止されていた。武漢風邪以前は受け取りの証明のために、サイン、最近は配達の人の持っている端末に指でサインすることが多かったのだけど、そのサインは省略されることになった。
四月の下旬にネットショップで買い物をしたときには、状況が改善されていたので、建物の前に置くなんて配達方法はなくなっていて、普通に手渡ししてもらった。ただ、サインは不要ということだった。以前から配達の効率を上げるために、配達の直前に電話をかけて待っているように連絡が来ていたのだが、それを本人確認の代わりにし始めた考えていいのかな。
それが、最近、またちょっと変わったことに気づいたのは、郵便局から届いた間違いSMSのおかげだった。どうもネットショップで買い物をするときに、電話番号を間違えて登録する人がいるようで、何度か身に覚えのない注文の配達の連絡や、ネット上で注文を確認するようにという連絡が届いていたのだが、二三日前に郵便局から届いた配達のSMSに、受け取りの際に必要となるという暗証番号が記されていたのだ。
どうやってこの暗証番号を使うのだろうと不思議に思っていたら、今回の日本の食材の配達で答が明らかになった。電話をもらって家を出て建物の前で待っていたら、すぐに配達の車がやってきた。うっかりマスクを持ってでるのを忘れたのだが、配達の人もつけていなかったからいいのだろう。暗証番号が必要になるのだろうと、紙に書いて準備しておいたのだが、荷物をどうぞと手渡されておしまい。思わず、これだけでいいのと聞いてしまった。
そうしたら、配達の人は端末が入っているポケットを叩いて、これにサインもらうわけにはいかないんだと言っていた。武漢風邪の流行以来配達の際にサインを求めるのは、単に省略されたのではなく、禁止されているようだ。それで、暗証番号がSMSで届いたんだけどと言ったら、それは本人が不在で代理の人に渡すときに使うんだと言っていた。初めての配達じゃないから本人確認も要らないよなんてことをいっていたかな。こちらは回りはチェコ人ばかりで、配達のお兄ちゃんの顔を覚えていないけど、世にも珍しい日本人への配達ということで記憶に残りやすかったのかもしれない。
今日の夜、配達業者から、今日荷物を受け取ったのでこれから配達に回しますというメールが届いた。これまでは前日の夜に届いていて、明日来ると心構えができていたのだが、今回は届いていなかったので、今日の配達はないものと思っていたら、朝SMSの連絡が来てびっくりしたのだった。ネットショップでの販売が増えて配達業者が人手不足で対応しきれなくなっているということだろうか。これも武漢風邪が社会にもたらした影響のひとつである。
2020年6月12日9時。
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2020年06月12日
ミニシェンゲン成立(六月九日)
チェコでは、現在でも毎日数十人の新たな武漢風邪感染者が確認され、感染中の人の数は2300人から2400人の間で増減を繰り返し、なかなか減らなくなっている。その原因はカルビナーのOKDの炭鉱などを中心にした局地的な集団感染で、感染者が全国的に増加しているわけではない。オロモウツ地方でも一時は新規の感染者の増加が止まり、感染中の人の数が50人近くまで減っていたのだが、再び増加に転じて現在は100人に近づいている。これもリトベルの老人ホームで集団感染が発生したことが大きな原因となっている。
大切なのは感染者を出さないことではなく、全国的に無軌道な感染が広がることを防ぐことで、それは十分以上に達成できているので、チェコ政府は規制解除のテンポを挙げることはあっても緩める考えはないようだ。今週の月曜日からはイベントの制限人数が500人以下に緩和され、劇場や映画館などに課されていた販売する座席の間隔を開けるという制限も撤廃された。ただしほとんどの劇場は営業を再開せずに秋のシーズンの準備を進めている。
個性的な俳優たちが所属することで知られるプラハのデイビツェ劇場は、制限のせいで数が少なくなった座席の販売にオークション形式を持ち込んでいた。実際にどのぐらいの金額で落札されたのかは知らないが、この劇場、まだ規制が厳しかったころに、所属するイバン・トロヤンとサッカーのボヘミアンズ1905の縁から、オンラインでサッカーチーム対劇団という試合を実施して入場券を販売して、確か医療関係者に寄付するなんてイベントもやっていた。どんな試合だったのかは見ていないので知らないが、この劇団のことだから一筋縄ではいかないのは当然である。
さて、チェコとスロバキアの国境が完全に解放され、出入国の規制が解除され、武漢風邪流行以前と同様に自由に出入りできるようになったのは、先週の半ばのことだが、週末からはレギオジェットが、月曜日からはチェコ鉄道もプラハとブラチスラバ、プラハとコシツェを結ぶ便を復活させ、両国間の移動が簡単になっている。
さらに、ドイツ、オーストリアとの国境も完全に開放し、規制なしに出入国できるようになったのは週末だっただろうか。ただし、ドイツ側ではいまだに出入国の制限が続いているので、チェコを出国するのは自由でも、ドイツに入国する際には、ドイツ国内の雇用証明や非感染を示す検査結果を提示するなどの必要があるので、スロバキアの国境とは違って完全に自由に出入りできるようになったわけではない。実際にはそれは建前でほぼ自由に出入りできているという情報もあるが、原則として出国は禁止というのがドイツの態度である。
それに対して、オーストリアは、当初6月15日からと言っていたのを、前倒ししてチェコ側と同時に実施した。同時にオーストリア、スロバキア、ハンガリーの三国の国境も相互に開放して武漢風邪流行以前の状態に戻したので、チェコを加えた四カ国の間は、自由に国境を越えて出入りできるようになった。ミニシェンゲン圏の成立である。
レギオジェットから届いたメールによれば、プラハとウィーンを結ぶ便は、6月12日から運行を再開し、7月からはプラハとブダペストを結ぶ便の運航を開始する予定だという。また、夏のバカンスシーズンには、クロアチアへの直行便の運行を計画していて、すでに切符の販売を始めている。これは、チェコなどのミニシェンゲン圏の国が、スロベニア、クロアチアとも、国境の規制を撤廃して移動の自由を認めるように交渉を進めていることを反映している。
他にもチェコ政府では、武漢風邪の流行の状況にもとづいて、信号のように三つのカテゴリーに分けて渡航制限を撤廃したり緩和したりする計画を立てている。チェコが規制を撤廃しても、相手国が撤廃するとは限らないのだが、夏のバカンスシーズンを前に、できるだけ多くの国との間で、出入国の制限を相互に撤廃したいと考えているようだ。これは武漢風邪の流行で壊滅的な状況に陥ってしまった旅行業を支援するためには欠かせないのだろう。
少し前まで、確か政府系の機関が中心になって、今年の夏は国内でバカンスを的なキャンペーンをやっていたが、国内と外国からの旅行者を比較すると、落とす金額が大違いで、特にプラハのような外国人向けのぼったくり価格が横行しているところでは、外国からの観光客なしにはやっていけないのである。日本からの観光客はというと、現時点ではビザなしの観光目的での入国はできないはずである。信号の三色分類もヨーロッパに関してしか発表されていないのでいつから許可されるのか、見通しは立たない。
今後もよほどの全国的な流行が再発しない限り、規制を撤廃して武漢風邪流行以前の状態に戻そうという動きは止まらないだろうから、日本からの観光目的の入国が可能になる日も近いとは思う。ただ、これを機に中国への直行便を廃止して、中国と距離をとる方向に政策変更しないかなと期待したいのだけど、無理だろうなあ。今回はイタリア経由だったけど、次の感染症は中国から直行で入ってきかねない。
2020年6月9日24時。
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2020年06月11日
嵐の季節(六月八日)
今年は久しぶりに雨が多く、水不足の夏は避けられそうだという話はすでに書いたが、六月に入ってからも、一日中雨が降り続けるという日はないが、まったく降らないという日もなかったと思う。そして昨日の午後も雨が断続的に降り続き、雨が降り始めて窓を閉めたら止み、換気のために窓を開けたら降り始めるとうちのがブーたれていた。
その雨は夜になって激しさを加え、一時は雹まで落ちてきた。夕方から遠雷も轟き、日本だったら間違いなく夕立だというところなのだけど、チェコのボウシュカは季節も時間も選ばないし、日中の気温が寒いくらいでも起こることがある。だからといって嵐というのも、台風を知っている人間からすると、大半のボウシュカは嵐と呼ぶには不足である。思い返せば、二年目のサマースクールのときに襲われた夕立は、雨の強さといい、雷の激しさといい、嵐と呼ぶにふさわしいものだった。
昨日のボウシュカはそこまで激しいものではなく、こちらが寝る十二時ごろには、収まっていたから、その後また降りだしたのは確実であるにせよ、大した被害は出ていないものだと思っていた。オロモウツ自体には、モラバ川の水位が上がったぐらいで、取り立てて被害はなかったようだが、今日のニュースによると、オロモウツ地方では大きな被害が出た町があったらしい。
それは、武漢風邪の蔓延でリトベルとともに封鎖されたウニチョフの北にある、シュンバルトという町である。町の中を貫くように流れる小川が大氾濫を起こして、住宅や庭、庭で育てていた野菜や家畜などに大きな被害が出たようだ。道路が陥没している様子も流された。チェコの小さな町の中には、細い小川に沿うように町が伸びているところがあるのだが、小川なので両脇に川原や河川敷などなく、当然堤防もない。
普段は、川幅が数メートルもないような細い川なので、そんなもの必要ないのだが、集中豪雨で上流で降った雨が一気に流れ下ってくると、行き場のない大量の水があふれて川沿いの建物に大きな被害をもたらすことになる。洪水対策はどうしても被害が広範囲に及びやすい大きな川が優先され、それでも遅々として進んでいないのだから、細い水量の少ない川が放置されているのは当然である。その結果、毎年何回か局地的な集中豪雨で局地的な洪水が起こっている。
日本でもゲリラ豪雨とかいって局地的な集中豪雨が原因で洪水が起こることが増えているようだが、チェコの場合には集中豪雨とは言っても日本ほど激しい雨が降るわけではない。最近天気予報で雨量を説明するときに、ミリメートルではなく、1平方メートルに何リットルになるかという形で説明するのでわかりにくいのだけど、こちらで大雨という場合の一日の降水量は、日本なら普通に一時間で降るレベルのものでしかない。日本の大雨並みに一時間に100ミリなんて雨が二三時間降り続いたら、チェコ全土で洪水が発生するに決まっている。
オロモウツ地方では、他にも小さな洪水がいくつか起こっているようで、地方知事が被害総額が5億コルナぐらいに上りそうだと語っていた。大きな被害を受けた町に対して募金活動がすでに始まるなど、官民ともに支援活動が始まっているが、武漢風邪騒ぎで、地方の予算も厳しくなっているし募金もいろいろ行われている中、どこまでの支援があつまるのか心配である。
この日の「嵐」はオロモウツ地方以外にも大きな被害を出していて、ニュースで大きく取り合えげられていたのは、南ボヘミア地方の牧場で起こった、落雷によって三十頭もの牛が死んでしまったという事件だった。牛たちは放牧されていたのだが、雨の中電柱のような柱のところに集まっていたら、その柱に雷が落ちて感電死してしまったらしい。落雷によって地面に電気が流れたときの感電のメカニズムについても解説がなされていた。
それによると、四足の動物の場合には前足と後ろ足の間に大きな距離があるのが問題だという。それは人間でも同じで、雷を避ける場合には、高いところに落ちやすいという性質があるから、しゃがみこむのは当然だが、横になって接地面積を増やしたり、手を着いて足と手の間に距離があるようなしゃがみ方はしてはいけないと言う。
雨が降って水不足が解消されそうなのは、ありがたいのだが、日本の梅雨寒のような肌寒い日が続くのはあまり嬉しくない。せっかく夏向けの長ズボンとか買って暑い夏対策を進めてきたのに、無駄になってしまいそうである。夏物は白っぽいものが多いから、歩くときに水溜りとか多いのは避けたいんだよなあ。雨は夜に降って、昼間は日が照って暖かくなるというのが理想なのだけど、チェコの天気に理想を求めてはいけない。服装の選択に悩まず、本当の意味で過ごしやすい日なんてそんなにないのだから。今年はあまり役に立たなくても今後何年も役に立つと考えればいいか。
2020年6月8日24時。
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2020年06月03日
半自宅監禁日記(五月卅一日)
チェコでは武漢風邪の流行もほぼ終息に向かい、日常生活が戻ってきた現在、こんな日記もどきをいつまでも続けるわけにも行くまい。内容も結構いい加減だし、書くこともなくなりつつあるというか、すでに何度も同じようなことを繰り返し書いたような気もする。タグの設定もいい加減極まりないしさ。ということで、今日で最後にしよう。
一応、リハビリは始めているのだ。とはいえ始めたばかりだけど。『小右記』について書いた記事の続きなら、いつでも放り込めるということで、訓読を再開した。ブログの記事を確認すると『大日本史料』に立項された、『小右記』にはなく、他の記録に出てくる出来事についても解説して、分量を稼いでる。前回取り上げたのは、永延二年の四月と五月で、『小右記』だけでなく、『大日本史料』にも記事が少なかったので、二月まとめてしまったのだった。次は閏五月、うーん五月とまとめるべきだったか。
久しぶりなので、能率が上がらず、すぐにもこのテーマで投稿というわけにもいかなさそうなのだけど、続けていればそのうち形になるものではあるので、一番苦手な日々こつこつ積み上げる作業をするしかあるまい。日付と関係ないものとしては、翻訳とかチェコ語とかについてのものもあるか。少しずつ作業を始めよう。
今週末、正確には昨日と今日の二日で、サッカーの一部リーグの再開後第二節が行われた。前回書いたときには、点数が入らなくなっていると書いたのだが、大きな間違いだった。水曜日もボヘミアンズがホームでテプリツェに4−0で勝つという大差の試合があったけど、内容的には互角で、テプリツェにはかわいそうな大差だったと解説者が語っていた。
それが、土曜日には、プルゼニュがムラダー・ボレスラフを、7−1という大差で下したと思ったら、その直後の試合でスラビアが、現在3位のヤブロネツに5−0で大勝。上位二チームが飛び抜けた存在であることを改めて示した。今日はスパルタが、カルビナーで4−1と逆転勝ちしたし、ボヘミアンズはチェスケー・ブデヨビツェに3−2で勝つなど、全8試合のうち、4試合で両チームの合計得点が5点を越えるなど、確か一試合当たりの得点数で過去最高を記録したらしい。
プルゼニュは、春のシーズン全勝で、ブルバ監督の代わりにスロバキアから招聘したグリャ監督が十分以上に手腕を発揮している。この監督とはスパルタも交渉したことがあるのだが、タイミングが合わずに契約には至らなかったらしい。ブルバとも交渉はしていたから、スパルタは監督との交渉が下手になったというか、交渉するタイミングがおかしくなっているような印象を受ける。以前はスパルタの監督というと誰でも引き受けるような印象だったのだけど、近年は火中の栗扱いになっているからなあ。
冬の移籍期間中に中心選手のソウチェクがいなくなったスラビアは、春に入って調子が上がらないというか結果が出ていなかったのだけど、中断後はこれで二連勝。去年覚醒しかけたシェフチークがいよいよ大化けの季節を迎えているのかもしれない。このヤブロネツとの試合は欠場したけど、オロモウツ育ちだし、今後注目の選手である。
カルビナーとスパルタの試合は、カルビナー地方が、現在チェコ最大の武漢風邪流行地域になっているため開催が不安視されていたのだが、条件を厳しくして行われた。他の試合が300人以内という条件で行われたのに対して、この試合は150人という半分の数字で行われた。それでも両チームが選手関係者を合わせてスタジアムに入る人の数を減らしたおかげか、多少のカルビナーファンが客席に座っていた。
カルビナー地方で集団感染が起こっているとはいっても、カルビナー全域ではなくOKDという会社の炭鉱がその舞台になっていて、関係者に対する隔離が進んでいるから、ヒステリックにサッカーなんか中止してしまえということにはならないのである。さすがに炭鉱は採炭を停止して、現在では設備維持のために最低限の人が入坑しているだけらしい。完全に無人で放置するのもよくないようで、なかなか大変である。
話をサッカーに戻すと、毎週二試合ずつというスケジュールに、選手を大幅に入れ替えて臨んでいるチームと、両試合ともほぼ同じメンバーが出場したチームがあるようだ。どちらの道を選んでも最終的には選手層の厚いチームが有利になる。そうなるとやはりスラビアが優勝ということになるのかなあ。プルゼニュもいい選手はたくさんいるけど、現時点で勝ち点8の差をひっくり返せるだけの差はなさそうである。直接対決に勝つだけではどうしようもない差だし。
我らがオロモウツは、降格確実と見られていたプシーブラムに負けてしまった。プシーブラムの監督は就任したばかりのホルバートで、二部のチームを成績不振で解任されていたから、プシーブラムでもあまりうまくいかないんじゃないかと思っていたのだけど、さすがはブルバ監督の教え子というところだろうか。今年のオロモウツにはあんまり期待できそうもない。
2020年6月1日11時。
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2020年06月02日
半自宅監禁日記(五月卅日)
昨日の夕方、フローラの公園を抜けて自宅に戻ったのだが、特にいつもと違った点は感じなかったのだが、うちののはなしでは、ホルニー広場から移転した生産者直売市が開催されていたようだ。と言うことは、フローラのパビリオンの裏側のそれほど広くない範囲で行われているということなのだろう。
こちらが通るのは公園の真ん中を突っ切る道なので、そのあたりまで並べるほどの出店はがないということは、間隔が広がっていることを考えると、数が減らされているということか。今回は以前出店していた業者もいくつかあったというから、運営の側でも試行錯誤しているのか、毎回入れ替えをしているのか。武漢風邪の流行がなかったら、規模が拡大されていたのかもしれない。
今朝は、うちのがトルジュニツェの青空市場に買い物にでた。前回、二三週間前と比べると出店している農家の数も、客の数も増えていたらしい。農作物の収穫の季節が始まっている中、規制がほぼ解除され、この手の直売ができるようになったことは喜ぶべきことなのだろう。国境を越えた移動に制限がかかっていて、出稼ぎ労働者がいないせいで人手不足に陥っている農家もあるようだけど。
市場には、前回はいなかった、いつも買い物をしている農家の人たちも出店していて、話し込んでしまったと言っていた。常連になって以来、売り物にはできないと言われた新種の野菜やら何やらをもらってくることがある。ミズナだったかなんだったか、日本語の名前のついた野菜もあったし、この野菜は雑草のようにどこにでも生えるなんて栽培の裏話を聞いてくることもある。今回も、初めて育てた武漢原産の野菜があって云々なんて話をしてきたそうだ。
武漢風邪を撃退するために、武漢の野菜を食べようなんて話にはならんよなあ。むしろ下手に武漢産をうたうとボイコットの対象になったり、最悪攻撃を受けたりしかねない。それで市場には持って来ていなかったのだろうけど、どんな野菜なのかちょっと気になる。うちのがこの農家から野菜を購入するようになって、今まで見たことも聞いたこともなかった野菜や、同じ野菜でも食べたことのない品種が食卓に並ぶようになった。中には正直微妙なものもあったけど、食卓が豊かになったことは否定できない。それも直売市の行われる春から夏にかけての時期だけだけど、今年はどんなものをたべることになるのか楽しみのような楽しみではないような……。
週末というものはどうしても怠けがちになるのだがって、よく考えたら年中無休で怠けがちのような気もするけど、中でも午前中に掃除洗濯を済ませた後の土曜日の午後は何もやる気が起きずずっとだらけてしまうことが多い。このブログの記事を書くのが滞って、自転車操業に陥るのも、時間の足りないはずの平日ではなく、土曜日であることが多い。
今日も午後から散歩にでも出ようかと考えていたのだけど、天候もよくなかったしパス。知人たちがオンラインで集まって云々ってのに誘われたけど、土曜の午後は無理だわ。武漢風邪の影響でオンライン飲み会なんてのが行われるようになったらしいけど、正直気が知れない。普通に酒飲んで酔っ払った後に、PCのモニターに目を向けるのも辛いのに、モニター見ながら酒飲んで、しかもスピーカーから出てくる他人の声を聞かなければならないのである。ヘッドホンしたところで聞きづらさが多少解消されるだけで、電子処理された音声を聞かされる点では変わらない。
素面でやる会議ですら、オンラインでやると普段の倍以上疲れるのである。疲れないと言う人もいるかもしれないけど、回線の状態が悪いと映像が固まったり音声が聞こえなかったり、時間差が発生して話がかみ合わなくなったり、疲れる要因はいくらでもある。そんなのも一回や二回なら笑いの種になって盛り上がるのかもしれないけど、繰り返されると興ざめでしかない。酒が飲みたいなら碑宅で一人で飲めばいいのだし、どうしても誰かと飲みたければ、オンラインでなんて情けないことやらないで、自粛の圧力を撥ね退けて飲みに行けばいいだけの話である。
つまりは、オンライン飲み会なんて酒飲みのすることではないなんてことを、あまり飲まなくなった元飲んだくれとしては思ってしまうのである。SNSの流行もそうだけど、そこまでして他人とつながっていたいという気持ちが理解できない。一回ぐらいなら試してみるのも酒飲みの性かもしれないけどさ。
2020年5月31日10時。
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2020年06月01日
半自宅監禁日記(五月廿九日)
今日は午後からZoom。外出禁止も解けた平日に自宅ではやりたくないので、午前中から職場に出るつもりだったのだが、段取りが悪くてついたときには、午後になっていた。つまりは街中をお昼頃に通り抜けたのだが、時間帯のせいか、ドルニー広場のザフラートカの賑わいに驚いた。昨日よりも暖かく雨も降っていなかったのもよかったのだろう。今年一番の賑わいと言っても過言ではない。かつての日常が戻ってきたようで嬉しくなる。
屋内で食べている人も多かったようだし、昼食の時間帯に関しては、客がかなり戻っていると言ってもよさそうだ。ザフラートカが設置されていても、営業していないところもあったので、すべての店でというわけではないのだろうけど。いずれにしても武漢風邪不況がオロモウツにあまり大きな傷跡を残さないことを願ってやまない。
OPプロスチェヨフの後継企業の一つだと見ているModaプロスチェヨフのオロモウツ店は、一度は営業を再開したものの、すぐに閉店してしまった。今日見たら、お店の中は空っぽになっているから、改装工事でも始まらない限りこのまま閉店ということになりそうである。ワイシャツ二枚買っただけで終わったなあ。以前はほとんど機能していなかったネットショップで多少の品物が買えるようになっているようだけど、今後は店舗数を減らしてネット上での販売に力を入れるのだろうか。
夕方になって職場を出たときには、雨は降っていなかったが地面はぬれているところもあったので、とおり雨でも降ったのだろう。気温も下がって念のために持ち歩いている上着を引っ張り出して羽織ることになった。もう少し気温が上がると過ごしやすいのだけど、こちらでは暑すぎるか寒すぎるかで、過ごしやすい気温の日ってのはあまり多くない。以前は夏が涼しかったから一番過ごしやすかったか。夏でも寒いって日もあったなあ。猛暑の続く近年から考えると隔世の感がある。
ホルニー広場を通ると何だか変なものが目に入ってきてぎょっとした。実際には変なのって言うようなものでもないのだけど、気づいたときにはそんな気分になったのだ。現在オロモウツの誇りである天文時計の設置された市庁舎は改修工事中である。何か石造りで、もしくはレンガ造りで丈夫な建物なんじゃないかと思うのだけど、頻繁に改修工事をしているような印象がある。
今回の改修は特に長いのだけど、天文時計のある側だけでなく、アリオンの噴水側の役所への出入り口のある側も全面的な改修が行われていて、足場が組まれていて役所への出入りが不便になっている。その足場が一部を除いて撤去されていて、壁の改修された部分が見えるようになっていたのだが、天文時計とは対角の角の部分に見慣れないものがついていた。黒い鳥が描かれている。町の紋章とは違うと思うのだけど、何だろう。
よく見るとその絵から細い棒が突き出していて、絵の中にはローマ数字がある。日時計だ。それを変なものと思ったのは、天文時計も含めて全体的に落ち着いた色合いでまとまっている視聴者の壁にいきなり派手なというか、強い色が塗られているのが目に入ったからのようだ。鳥の紋章自体は黒だったけど、青色や赤色も使われていて、慣れるのに時間がかかりそうである。日時計は角の部分だけでなく、もうひとつ、役所への入り口の上のほうにもあって、こちらは落ち着いた色で絵もなかったけど、形が……。
パラツキー大学の哲学部の中庭の壁にある、創立400周年を記念して設置された日時計もそうだけど、二つ一組で機能するような日時計なのかもしれない。あちこちで見かけてはいるけれども、読み方がわからないので何とも言えない。いや、チェコに来たばかりのころに、誰かに教えてもらったことはあるのだ。ただ、そのとき日が陰っていて、どこに影があるかいまいち判別かつかなかったんじゃなかったか。一体にあのころは曇りがちの日が多かったから、これで日時計役に立つのかなんて思ったものだ。こちらが日時計に興味を向けるのが曇りのときばかりだったのかもしれないけど。
市庁舎から聖三位一体の碑に目を向けると、その前に赤い、一瞬悪趣味なと思ってしまった物体が置かれていた。ハートの形をかたどったもので、どうも、ハベル大統領のシンボルマークとなったサインの尻尾につけていたハート型を模したものらしい。ハベル大統領が、チェコ、チェコスロバキアの歴史においては、初代のマサリク大統領と匹敵する存在なのはわかるけど、ちょっと神格化が早くないかい? キリスト教徒ではなかったはずだけど、そのうちプラハの大司教あたりが列聖を求めそうな勢いである。
2020年5月30日10時。
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