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2019年07月06日
バビシュ内閣の行方(七月四日)
ゼマン大統領が、文化大臣スタニェク氏の辞任を認めず、バビシュ首相の解任の要求も拒否していることで発生した内閣の危機を解決するための三者会談、ゼマン大統領、バビシュ首相、社会民主党のハマーチェク党首の会談は、本来火曜日に行われることになっていた。それが、EU議会選挙後の加盟国首脳による交渉、誰をどのポストに据えるかというのが長引き、バビシュ首相がブリュッセルから戻ってこられなかったために木曜日に延期された。
社会民主党はスタニェク文化大臣の解任と、シュマルダ氏の大臣任命を強く求め、それが達成されなかったら、連立を解消して下野するといっているのだが、この日の三者会談は何の進展ももたらさなかった。ゼマン大統領は、バビシュ氏とハマーチェク氏の説得にも主張を変えることなく、最低でもスタニェク氏が告発した美術館長の汚職に関する捜査の結果が出るまでは、解任に応じる気はないようである。
また、社会民主党が後任に推しているシュマルダ氏について、文化関係の専門家ではないからうまくいくとは思えないと語っている。しかし、専門家ではないという点にかけては、大統領が擁護するスタニェク氏も負けていないはずである。この発言は、かつて首相時代に文化大臣に据えて成功を収めた演劇界出身のドスタール氏を念頭においてのものかもしれないが、ドスタール氏は例外で以後の演劇、映画などの文化業界から出てきた文化大臣は人選ミスとしか言いようのない人が多かった。
それはともかく、この三者会談の失敗で、社会民主党の下野は決定かと思ったら、未練たらしく来週12日にもう一度会談が行われることになった。15日前後には、社会民主党がどうするのか最終決定するということのようである。この日程には、七月に入って夏休みに気を取られている政治家も多いので、バカンスに出かける前にけりをつけたいという思惑があるようだ。
党首のハマーチェク氏もゼマン大統領のやり口に、次第に政権離脱の方向に傾きつつあるようだが、ANOとの連立に反対していた元内務大臣のホバネツ氏が、「だから言わんこっちゃない」的な発言をしている。この人、社会民主党内ではゼマン支持派に属していたはずなのだけどどういう心境の変化なのだろうか。とまれ、地方組織を中心に、党内では政権離脱を求める声が強まっていて、ハマーチェク氏も無視できなくなっているようである。
仮に、12日の会談でも話がまとまらず社会民主党が連立を解消した場合には、下院の解散総選挙か、バビシュ氏が再度組閣をして下院に信任を求めるということになると理解していたのだが、ゼマン大統領の考えでは、社会民主党の大臣が辞任しても、大臣の首を挿げ替えるだけだから内閣改造に過ぎず、改めて信任を求める必要はないということになるらしい。すでに、その場合に誰をどの大臣に任命するかすでに決めているという話もある。
いやはや、もうめちゃくちゃである。ゼマン大統領自身も首相時代に、当時のハベル大統領が大臣の任命だったか、辞任だったかに関して疑念を呈して手続きに時間をかけたときに、大統領の権限を逸脱していると強く批判した過去があるらしいのだけどね。ただ、ハベル大統領とクラウス大統領は国会議員の選挙によって選出されたのに対して、ゼマン大統領は国民の直接選挙によって選出されているから、その分権限が大きくなるのは当然だと主張しているから、前例については歯牙にもかけていないかもしれない。
問題は、このゼマン大統領の、直接選挙で選ばれた大統領の権限は大きくてしかるべきだという主張に賛同する専門家が存在せず、大統領が好き勝手やるための言い訳のようにしか響かないという点である。まあ直接民主主義党なんてトチ狂った党名を使っているオカムラ党あたりは賛同しそうだけどさ。
このゼマン大統領が引き起こした大騒ぎで、バビシュ首相の指導力のなさってのも露呈したのだけど、それでも世論調査によれば、ANOを支持する有権者の数が一番多いようである。バビシュ首相をゼマン大統領の被害者と見る人もいるのかもしれない。いずれにせよ、茶番はまだまだ続くのである。
2019年7月5日23時。
2019年06月29日
文化大臣その後(六月廿七日)
ANOと社会民主党の閣僚からなるバビシュ内閣は、水曜日の内閣不信任案が否決されることで継続することが決まった。この内閣、成立してから一年しかたたないというのに、すでに7人もの大臣が交替しているという問題の多い内閣である。交代のうちのいくつかは就任直後に、大学の卒業論文での剽窃が問題になって辞任を余儀なくされたとか、ゼマン大統領が社会民主党がノミネートした外務大臣の任免を拒否したために暫定で務めていたハマーチェク氏が交替したものなので、大臣としての仕事に問題があって解任された人はそれほど多くはないのだけど。
仕事に問題があって辞任を余儀なくされた現時点で最後の大臣が、文化大臣のスタニェク氏である。その辞任をゼマン大統領が拒否したという話はすでに書いた。その後、首相のバビシュ氏は、社会民主党の要求に応えて、大統領に解任を求めたらしい。ここまでは、6月の初めにニュースで確認していたのだが、その後いつまでたっても文化大臣が交替したとか、交代するとかいう話が聞こえてこない。
スタニェク氏自身は、自らが設定した五月末日を越えて大臣であり続けていることについて、自分は党首のハマーチェク氏の決定を尊重して辞表を提出したのであって、その辞任が認められていないことに関しては自分ではどうしようもないというようは発言をしている。辞表を提出した後にゼマン大統領と会談を持っているはずなのだが、その具体的な内容に関しては、言葉を濁してはっきりしたことを言おうとしない。
この状況で、しかも不信任案が否決された翌日に、社会民主党は、文化大臣の交代を政権にとどまる条件としてバビシュ氏に突き付けたらしい。スタニェク氏の解任とシュマルダの就任が早急に実現しなかったら、自党の閣僚を引き上げて内閣を倒すというのである。全く理解できないのは、大統領がずるずると決定を引き延ばしているのを、総理大臣の責任にしていることで、総理大臣に大統領と交渉して実現させろとでもいうのだろうか。それとも、バビシュ内閣の存続を強く支持しているゼマン大統領に圧力をかけているつもりなのだろうか。
いずれにしても、こういうのは不信任案の議決の前に交渉したほうが効果的だっただろうし、いや実際議決の前にも条件として出していたような気がする。否決の後にそれを改めて持ち出してくるあたり、社会民主党の混乱ぶりが表れていると言っていい。しかも自党が就任させた文化大臣をこんな形で公開処刑にしてしまっているわけだから、スタニェク氏やその周囲の人たちが社会民主党を離れるだけでなく、一般の支持者の中にも嫌悪を感じる人たちもいそうだ。
仮に、本気でスタニェク氏の解任とシュマルダ氏の就任が、社会民主党にとって必要だというのなら、副総理の肩書まで持っている党首のハマーチェク氏が、ゼマン大統領と直接交渉するべきであろうに、自党のことでありながら、しかもゼマン大統領は社会民主党の出身なのに、責任をバビシュ氏に押し付けている感もある。もちろん、バビシュ氏の社会民主党が決めることだから、俺には関係ない的な態度も、総理大臣としては無責任極まりないのだけど。
では、ゼマン大統領がどういう根拠で、スタニェク氏の解任を引き延ばしているかというと、最初に聞いたときには冗談だろうと思ったのだが、いつまでに解任しなければならないとはどこにも書かれていないというものだった。つまり、首相が大臣の解任を求めた場合、大統領は解任の手続きをしなければならないということは決められているが、それをいつまでに、求められてから何日以内に実行しなければならないということは決められていないから、自分は法律や憲法に違反するようなことはしていないというのである。さすがゼマン大統領と言うかなんと言うか。
ゼマン大統領は、大規模な反政府デモが行われていても、内閣不信任案が国会に提出されても、どんな根拠があるのか、各地でバビシュ内閣は次に下院の総選挙が行われる2021年までの任期を全うすると断言している。バビシュ政権は今後もあれこれ問題を起こして不信任案を突きつけられる可能性が高く、同時に与党の一角を占める社会民主党が政権を離脱する可能性も低くはないのにもかかわらず、何故断言できるのだろうと考えて、ちょっと嫌な想像をしてしまった。
総理大臣が大臣の辞表を受理しなくてもよく、解任を求められてもいつ解任するかは大統領次第だというのなら、内閣不信任案が可決されて内閣総辞職ということになった場合も直ぐに辞任を認める必要はないし、社会民主党の大臣たちが辞表を提出しても拒否することができると考えているのではなかろうか。それなら確実にバビシュ政権は任期を全うできる。
ゼマン大統領の一期目の任期中にネチャス内閣が辞任したときに、慣例に反して、むりやり暫定内閣を成立させたのにも、滅茶苦茶やるなあという感想を抱いたものだが、二期目に入ってからの滅茶苦茶振りはさらに上をいく。アンチ・ゼマンではないのだけど、さすがにそれはまずいだろうといいたくなる言動が増えている。
とりあえずは、ゼマン大統領が文化大臣を解任して、バビシュ内閣が継続することを祈っておこう。一番の望みは解散総選挙なんだけど、今の大統領の言動から考えると実現しそうにないしさ。
2019年6月28日24時。
2019年06月28日
内閣不信任案再度否決(六月廿六日)
バビシュ政権成立からまだ一年ほどしかたっていないのだが、すでに二回目の不信任案が国会に提出された。日本の野党が会期末になると、決まって通過儀礼のように不信任案を提出して、大した混乱もなく否決されて終わるらしいのと違って、チェコの国会で不信任案が提出されるのは、原則として大きな問題が発生したときに限られる。
前回は、わけのわからないままうやむやに終わってしまったバビシュ氏の成人した息子がアグロフェルト関係者によって「誘拐され」、ロシアが併合したクリミア半島で軟禁されていたという疑惑が報道されたときで、社会民主党が採決に参加しないという理解不能な行動に出た以外は、党派の枠を超えた動きはなく、予想通り否決され、疑惑自体も尻すぼみになってしまった。あれだけ大騒ぎをしていたのだから、ちゃんとした結論が出てくるかと期待していたのだが、どうなったのだろう?
今回は、EUが行った監査で、バビシュ氏と、バビシュ氏の手を形だけは離れたことになっているアグロフェルト社の関係が、チェコレベルではなく、ヨーロッパレベルでも問題にされうるものであるという、現時点ではまだ非公式の監査結果が出たことを受けての、不信任案の提出なのだが、当初野党側は、可決される可能性は全くないから不信任案は提出しないと言っていた。不信任案の提出を主張していたのは海賊党だけだったかなあ。
状況が変わったのは、反バビシュ政権のデモが、プラハのバーツラフ広場を初めとして、チェコ全土に広がり、その集大成として6月23日にプラハのレトナーで大抗議集会が行なわれることが決まったからだろう。1989年に反共産党の抗議集会が行なわれてからちょうど30年目の今年、同じプラハのレトナーで、反政府集会が行われるというのはなかなか象徴的で、それに合わせる形で、デモが終わった後の水曜日に、不信任案の審議が行なわれることになった。
この日程が意図的なものだったのか、煮え切らない野党が決断するのに時間がかかってこうなったのかはわからない。ただ今回のデモが1989年のできごとを思い起こさせるのは確かであるにしても、一点だけ大きく違うところがある。それは、1989年は、それこそ一部の共産党員を除いて、ほとんどすべての国民が、直接参加はしなくても、デモの参加者と要求を同じくしていたのに対して、今回は25万人以上の人を集めたとはいえ、国民の最低でも3割程度のバビシュ氏支持者は、デモを全く無駄なものとして認識しているという点である。デモさえもチェコ社会が分断されている象徴になってしまっている。
だからと順接でつなげるのは正しくはないのだろうが、市民民主党、海賊党を中心とする5党が共同で提出した内閣不信任案は、オカムラ党を味方につけたとはいえ、ANOと社会民主党を切り崩すことができず、予想通り、もしくは予定通り、否決された。ただし、否決されたのは廿七日になってからのことで、後で確認したら午前四時まで審議と採決が続いたらしい。消費税導入時の日本の国会で炸裂した野党の牛歩戦術並みに無駄に時間を使ったものである。
夕方7時ごろ、うちに帰ったらテレビがついていて、チェコテレビ24が国会中継をやっていたのだけど、次々に与野党の議員が壇上に上って、演説、というか、政府批判と、政府応援を交互に延々と繰り返していた。途中に批判された大臣の反論が入ることもあったし、一人で延々一時間近くも喋り続ける人もいたし、どう考えてもすぐには終わりそうにないということでチャンネルを変えたのだった。
実は、夕方の5時ごろに職場でセズナムを開いたら、「ČSSD nakonec vládu nepo…」という見出しがあって、バビシュ政権が倒れるのかと驚いて記事を読んでみたら、大いなる勘違いだった。見出しをちゃんと最後まで読まなかったのがいけないのだけど、「nepodpoří」で、「社会民主党は結局政府を支持しない」という意味だと思ったら、「nepoloží」で「倒さない」だった。内閣不信任案が成立して、解散総選挙を期待する気持ちが誤解させたのだろうか。
野党側の敗因は問題の発生から時間を置きすぎたことだろう。慎重に検討したといえば聞こえはいいけれども、それによってANOと社会民主党に党内を固める時間を与えてしまった。バビシュ氏の問題がEUレベルで問題にされるというのは、ANOや社会民主党の議員も動揺させたはずである。缶発をおかずに不信任案を提出できていたら、造反も期待できたんじゃないかと思うのだけど。まあ、現時点ではどの政党も総選挙は望んでいないようだから、野党にとっても否決されたのは、予定調和的に都合がよかったとは言えそうである。
暑さと眠さで何を書いているかわからなくなってきたので、まとまりがついていないような気もするし、もう少し書いておきたいことがあったような気もするのだがこれでおしまい。
2019年6月27日23時。
2019年06月08日
反バビシュデモ大盛況(六月五日)
EU委員会が行ったバビシュ氏の「コウノトリの巣」事件などのEUの助成金取得に関する監査の結果と言われるものが、チェコに届いて、バビシュ氏が経営していて、形だけは信託フォンドに預けて手を離したことになっているアグロフェルト社に対して、助成金が出ているのはバビシュ首相による職権の濫用にあたるというようなことが書かれていたらしい。
それで、火曜日にはプラハのバーツラフ広場を埋め尽くすだけの人々が集まって抗議集会が行われた。助成金問題だけではなく、その前の法務大臣の交代によって、バビシュ首相が検察、裁判所影響を及ぼそうとしている(ようにみえる)ことに対しても抗議していた。バビシュ首相が新たに任命したベネショバー法務大臣に対する抗議集会はこれまでもチェコ各地で行われてきたから、EU委員会の監査報告書が火に油を注いだということになる。
チェコでこれだけ大きなデモが行われるのは、久しぶりのことで、2000年代の初めに政府が、チェコテレビの運営に介入しようとしたときのデモか、それこそ1989年のビロード革命のときの抗議集会以来ということになりそうである。SNSなどを通じて呼びかけてという抗議集会の人の集め方には、時代は変わったなあと思うだけだが、舞台だの大画面のプロジェクターだのが設置されているのを見ると、主催者がメガホンではなく、マイクを使ってスピーカを通して声を伝えているのを見ると、デモというものに思い入れのある、かつての心情左翼としては、なんだか胡散臭いものを感じてしまう。
メガホンなら、職場にあったの借りてきましたで済むけど、舞台を設置するお金はどっから出たのって話で、以前ダライ・ラマ問題で旧市街広場で反ゼマンの抗議集会が行われたときに、お金を出して設備を提供したのは大統領選挙に立候補することを表明していたホラーチェク氏だった。なら今回は? と疑いたくなるのが人情というものである。
バビシュ氏に対して抗議したくなる気持ちはよくわかるけど、バビシュ氏とANOが政界から消えたとして、状況が改善されるとは言い切れないのが、チェコ政界の最大の問題である。現時点でANOよりましと言えるのは海賊党しかない。他は、オカムラ党以外は90年代に確立されたクライアント主義と呼ばれる政治形態を支えてきた政治家と政党なのである。実業家やロビイストと呼ばれる連中と結びついて、国家を食い物にしてきた政治家とその後継者たちが、権力を握ったところで、状況がよくなるとは思えない。
司法制度にしても、バビシュ氏が排除されたら、別の誰かが影響力を行使するに決まっているのである。裁判官が中心になったグループが、顧客の依頼に応じて、依頼された企業に破産宣告を出していたなんて事件もあったし、そもそも検察内が割れていて、それぞれの顧客になっている政治家の政敵にかかわる事件を摘発しているなんて話もある。だから、抗議集会の主催者が求める司法の独立性なんてのはチェコでは絵に描いた餅じゃないのとしか思えないのである。
チェコも日本と同じで、袋小路に追い詰められて、どうすれば状況が改善されるのか全く先が見えなくなっている。政界に於いてバビシュ=悪が成り立つとしても、バビシュ以外=善は全く成り立たないのである。ただ、もし今回の抗議集会が、既存の政党とは関係のないところで、自然発生的に起こったものだとすればまだ救いはある。かつての市民フォーラムのように緩やかに連帯する市民で次の下院選挙に立候補すれば、それなりに票が集まるのではないだろうか。その際に、既存の政治と、90年代から続くクライアント主義と関係のある人々を排除することを忘れてはいけない。中に入り込まれてしまうと、組織が変質して元の木阿弥ということになりかねない。
こういう反政府のデモの盛況を見ていると、かつて80年代の日本で感じていた民主主義ってのは何なんだろうという疑問が再び現れてくる。デモの参加者がいくら多くても、前回の下院の選挙でANOに投票した人の数には届くまい。80年代の日本も、反自民党の声は大きく、しばしば抗議集会なんてものが開かれていたけれども、選挙をすると勝つのはいつも自民党だった。声の大きな少数派と、声を出さない多数派、民主主義ではどちらを大切にするべきなのだろうか。
民主主義が、どちらが正しいかを決めるものではなく、どちらを求める人が多いかによって決める制度だという理解が正しいとすれば、最大多数の最大幸福なんて言葉も勉強したわけだし、デモや抗議集会をする人たちのなすべきことは、声を出さない多数派を説得して少数派を多数派に変えていくことだろう。
しかし、かつての日本では、デモに参加している自分に陶酔している人、自分の正しさに酔ってしまっている人が多く、その言葉は声を出さない多数派には届いていなかった。声なき大衆を、こちらの言うことを理解しないあいつらはバカだと、心の中で見下しているのだから届くわけがない。チェコでもバビシュを批判する人たちの口から、バビシュ支持者は低学歴が多いなんて言葉が聞こえてくるわけで、これだと民主主義の手続きに基づいてバビシュ内閣を打倒するというのは、つまり選挙でANOを打ち破って政権を獲得するところまで有権者を集めることはできそうにない。
いや、それでも試してみるべきだろう。ということで、下院で内閣不信任案を可決させて解散総選挙に持ち込み、抗議運動の主催者を中核とした政治団体で政権獲得を目指す。海千山千のバビシュ氏が、EUに犯罪者扱いされたとか、抗議デモに直面したとかいうぐらいで退陣なんかするわけがないのだから、それが唯一の現実的なバビシュ下しの方法である。
それが、既存の政治家を中心とする野党が、どうせ否決されるから不信任案は提出しないと言い出した。否決される可能性は、実際に不信任案を提出したバビシュ首相の息子の誘拐事件が発覚したときのほうが高かったはずである。今ならEU議会選挙の惨敗で揺れている社会民主党から造反者が出て可決される可能性はないわけではない。オカムラ党をどうするかという問題があるのは確かだけど。
野党のなかに、EU議会の選挙の結果を見て、今すぐ選挙が行われることを望まない党があって、不信任案の提出で合意できなかったのだろう。以前は、世論調査の結果は当てにならないという強気の声もあったのだが、選挙のたびにANOが世論調査通りに1位になるのを繰り返した結果、聞こえなくなっている。
ここで社会民主党が、ANOと共産党を説得して、解散総選挙に打って出たら評価は高まると思うのだけど、そんなばくちは打たないだろうなあ。かくて、事もなきが如くにバビシュ政権が続いて行くのである。夏休みも近いしね。
2019年6月7日14時。
2019年06月04日
チェコの危うい外交(六月二日)
すでに、半月以上前の話になるのだが、これまでにも騒ぎを起こしている共産党の下院議員のズデニェク・オンドラーチェク氏が、ウクライナに、ウクライナはウクライナでも東部の、ロシアに支援された分離派が支配している地区のドンバスを訪問して公式行事に参加したらしい。この問題に関して単純にウクライナ=善玉という評価には組みしないが、さすがにこれはまずいだろう。日本も確か元首相がロシア占領下のクリミア半島に出かけるなんてことをしていたけど、それと同じぐらいの愚行である。
当然、ウクライナ側からは公式の抗議が届いているようで、外務大臣はチェコの恥だと強く批判している。国として認定されていない紛争地域に、国の外交的立場を無視して、国会議員が出かけていくというのは、非難されて当然である。本人は個人的な旅行で出かけたと主張しているようだけど、個人的な旅行を、独立を目指す武装勢力に悪用されたのが問題だということがわかっていないようだ。式典ではチェコの国歌まで演奏されたというから、宣伝目的としか思えない。我々を支持するチェコの国会議員がいるのだなんてね。
理解不能なのは、オンドラーチェク氏が共産党の党首にもドンバスを訪問することを知らせていなかったことで、さらに理解できないのは、共産党の党首がそれを批判する気はないと公言していることである。その結果、共産党の指示なしには政権運営が不可能な与党ANOと社会民主党も、オンドラーチェク氏の起こした問題について、国会で取り上げる気はないようである。社会民主党のハマーチェク氏は、連立内閣で話し合うべきことは山のようにあって、その中にオンドラーチェク氏の件を入れる余裕はないなんてことを言っている。
しかし、よく考えてみれば、これって、バビシュ氏の息子がクリミア半島に出かけた、もしくは出かけさせられたのより、大きな問題である。クリミア半島に関しては、国際的な問題をおけば、ロシアではすでにロシアの領土として組み込んでしまったわけだから、自由にとはいかなくても外国人でも入れるようになっているだろうことは予想できる。
それに対して、ドンバスはロシアに併合されたわけでも、ロシアによって独立国として認定されたわけでもない。そうすると、入国に際して特別な方法が必要になったはずである。戦闘継続中のウクライナ側からは入国できそうもないから、ロシア側から入ったのだろうが、ロシア政府の特別な許可、特別な支援なしには不可能だったに違いない。その不可能を可能にしたのが、オンドラーチェク氏のチェコの国会議員という肩書だったということを考えると、個人的な旅行だというのは、個人的な旅行に国会議員としての職権を悪用したと自ら認めているに等しい。だから、ただの非難だけでなく、何らかの罰が与えられてしかるべきだと思うのだけど……。
どうして共産党は、共産党のソ連帝国が倒れた結果成立したプーチン朝ロシア王国を支持するのだろうか。極右のチェコ民族主義を掲げる連中がネオナチとつるむのと同じぐらい疑問である。そんなところも極右と極左の共通点なのだろう。
それから、これももう先月の話だが、社会民主党のザオラーレク元外務大臣を中心とする国会議員のグループが、北朝鮮を訪問していたことが発覚した。アメリカと北朝鮮の交渉が決裂して、国際社会が北朝鮮への制裁を強めようとしている中、のこのこと出かけていくのは、EUやNATOの外交姿勢に反するのではないかと、問題にする人がいたようだ。
これに対してザオラーレク氏は、北朝鮮がアメリカをはじめとする国際社会の要求である核の廃棄を受け入れるように説得したというのだが、具体的に金王朝三代目に会えたのかどうかとか、誰と会合したのかなんて話は全く出てこない。北朝鮮側では、アメリカとの交渉がうまくいくことを前提にチェコの外交団を受け入れたものの、うまくいかなかったために当初の予定とは違って、あれこれキャンセルになったんじゃないかという気もする。ちゃんとした会談が行われていればその時点でニュースになったはずだけど、後日になって実は行ってきたんだという話が漏れてきただけだし。
何をしにかわからないけどチェコの代表団が北朝鮮に出向いた甲斐はあったのだろうか。チェコは、旧共産圏でも珍しく北朝鮮との公式の国交を維持している国の一つである。だから、ドンバスに出かけていくよりは、はるかに根拠のあることなのは確かだが、時期がよくなかったということだろうか。トランプ大統領の逆鱗に触れなければいいけどねえ。
これもよくわからないのが、外務大臣とこの件について相談した結果、チェコの外交活動の一環として北朝鮮訪問をしたのか、国会議員の特権の一つである外遊として外務省とは関係なく出かけたのかということである。何か、今のチェコの政界って、大統領も含めて、それぞればらばらに外交しようとしているようなところがあって、いずれ大問題になるような気もする。
そう考えると、EU側がチェコ政府に鈴つけようとしてあれこれちょっかい出してくるのもわかるというものである。
2019年6月3日22時。
2019年06月01日
政治という名の喜劇(五月卅日)
先日、批判にさらされていた文化大臣のスタニェク氏が、辞任を表明したという話は書いた。まだ五月中旬だったのに実際に辞任するのは五月の末日だというので、月末なのは切りがいいからかという思いと同時に、EU議会の選挙が終わったら撤回する気じゃないかという疑念が脳裡をかすめた。さすがにそんなことはないだろうと思ったので、口には出さなかったけど。
それが、スタニェク氏自身は、何もしなかったのだが、いや、EU議会の選挙の前に大統領のところに辞任の挨拶には行ったのかな、そこでの話し合いで決まったのか、例によって大統領の暴走なのかはわからないが、ゼマン大統領がスタニェク氏の辞表を受理しない、つまり辞任は認めないと言い出した。さすがゼマン大統領というかなんというか。
反ゼマン派は、ゼマン大統領が云々で大批判をするのだろうが、これには前例がないわけではないのである。以前、クラウス大統領も、社会民主党主導の連立内閣が閣内でもめて、内閣改造のために何人かの大臣が辞任したところ、その辞任を認めなかったことがある。内閣改造ができなかった内閣は倒れ、確か解散総選挙になったのかな。だから、ゼマン大統領の独創ではないのである。
問題はこの辞任の拒否が何のために行われたかということである。文化大臣の交代ができなかったからといってバビシュ内閣が倒れるということはありえないし、社会民主党のハマーチェク党首とバビシュ首相の間では、大統領が辞任を認めなかった場合には、首相権限で解任することで話がついているという。最終的には大統領の承認が必要だが、大統領の恣意で内閣が倒れないように、法律が改正されて、首相が解任を求めた場合には、大統領は拒否できなくなったらしい。
だから、ゼマン大統領が、いかにスタニェク氏の仕事を高く評価して、辞任はさせないとかばったところで、文化大臣が交替するのは決定的なのである。バビシュ首相が前言を反故にする可能性がないとは言わないが、この内閣の協力関係というのは非常に薄いもので、バビシュ首相は社会民主党の大臣について、それは社会民主党の決めることだからANOには関係ないという突き放したコメントをすることがある。
今回も社会民主党が決めたことだからという理由で、スタニェク氏の解任に応じる可能性は高い。同時に、ゼマン大統領と社会民主党で話し合ってくれと、責任を押し付ける可能性も否定できない。そして、ゼマン―ハマーチェク会談の結果、スタニェク氏が留任するというのも、ありえなくはなさそうである。社会民主党が支持を失っている原因の一つが、ゼマン大統領との関係にあることは間違いない。いや、今の社会民主党は、大統領に対しても、首相に対しても中途半端な対応に終始していて、それが信用ならないという印象を与えていると言ったほうがいいか。今回の件も最初からゼマン大統領と社会民主党の間で話がついていたように見えなくもないし。
さてさて、今後が楽しみというか、うんざりというかである。現時点では、バビシュ首相とハマーチェク氏の間では、解任の方向で話がついているのだが、ゼマン大統領が首相宛に、解任を急がず、しばらく様子を見るようにという要請をしたらしい。社会民主党では後任の文化大臣候補を選出して発表したところだから、タイミングが悪いというかなんと言うか。
今にして思うと、一期目のゼマン大統領は、再選を目指していたからあれでも控えめだったんだなあ。次の選挙には制度上出られないから、怖いものなしってことなのかね。
ちなみに公認候補のシュマルダ氏は、これまで文化関係の仕事はしたことがないらしく、スタニェク氏の解任を求めて署名活動をしていた人たちの反応は、誰それ? というものだった。それでも大臣が交代したから評価できるなんていっているから、スタニェク氏も嫌われたものである。この嫌われっぷりには胡散臭いものも感じられて、芸術家たちが好き勝手にやっていた楽園に異物が侵入したのを排除したがっているようにも見える。こんなのは芸術家だけでなく、チェコのあちこちで起こっていることだし、他のEU諸国でも言われるほど大きな差はないような気がする。やり方の洗練の度合いが高いだけである。
一方でシュマルダ氏に関して、バビシュ首相がANOとの連立に反対していた勢力の中心人物の一人で,
社会民主党が文化大臣に推薦してくるのがよくわからないと語っていたが、文化大臣に必要な専門性よりも党内政治を優先した人選にしか見えない。どこかの市長を務めて業績を積んで国会議員になったという人だから、組織運営には長けているのか。でも、スタニェク氏も同じような経歴だったよな、確か。
こんな党内をまとめるために反対派にポストを与えて黙らせようという、昔の日本の自民党のようなのを見ていると、社会民主党はしばらくの間は、勢力を盛り返すことはなさそうだと思えてくる。市民民主党が党外から招聘したフィアラ氏を党首に据えることで復活への道をたどり始めたように、社会民主党も思い切った手を打たないと本当に当が消滅しかねない。思い切った手を打とうとすると、反対派がぞろぞろとわいてきて内紛に向かうのもまた、社会民主党の特徴なんだけどね。
2019年5月30日21時10分。
2019年05月31日
EU議会選挙結果(五月廿九日)
ビールの話に戻る前に、これを片付けておこう。スポーツを先にしたのは、注目度の差である。チェコでは、投票率28パーセントが語るように、EU議会選挙はそれほど注目を集めていなかったのである。ハンドボールは個人的な注目度の高さの問題である。
例によって、このEU議会選挙に先行した政治状況の変化を概説しておくと、2017年の社会民主党のソボトカ政権の迷走と崩壊が最大の出来事である。連立政権を組んでいたANOのバビシュ氏を追い落とそうとしてあれこれ画策した結果自滅したという印象を与えたのが、すでに始まっていた社会民主党の凋落を確定的にした。2009年のトポラーネク内閣、2013年のネチャス内閣に続いて、三つ目の内閣が、閣内の与党同士の主導権争いが原因となって倒れたことになる。
2009年の緑の党、2013年のVV党は市民民主党と相討ちの形になって、その後の下院の選挙では議席を獲得できなかったが、ANOはしぶとかった。2017年秋に行われた選挙で、「コウノトリの巣」事件のスキャンダルにもかかわらず、30%近い票で78議席を獲得して第一党になったのである。第二党になった市民民主党の三倍の票と議席を獲得したが、単独過半数には届かなかった。社会民主党は大きく減らして共産党よりも下だったのである。
その後、バビシュ氏はまず、ANO単独での少数与党での政権の樹立を画策したが失敗。改めて社会民主党と連立を組み、共産党の閣外協力を取り付けて、下院で承認を得たときには、次の重要な選挙である大統領選挙が終了していた。その大統領選挙では、ANO、社会民主党、共産党にオカムラ党が、大なり小なり支援したゼマン大統領が、他の政党の支持を集めたドラホシュ氏を破って当選している。
去年の大統領選挙でゼマン大統領が当選したとはいえ、社会民主党とゼマン大統領の関係は、とくに党の指導部との関係はあまりうまくいっていないから、これが社会民主党の党勢の回復につながるとは思えなかった。市民民主党は、一時の壊滅状態からは下院の選挙で回復したとはいえ、創設者の息子のクラウス氏を追放するなど内紛を起こしていたから、ここも議席を増やすことはなかろうと踏んでいた。
投票は金曜日の午後と、土曜日の午前中から2時までという時間帯に行われたのに、結果は他国の選挙に影響を与えないようにということか、日曜日の午後11時まで発表されなかった。その結果選挙番組も臨場感を欠いて全く盛り上がらなかった。この盛り上がらなさもEU議会の選挙の投票率が低い原因になっているのかもしれない。日本もそうだけれども、チェコなどのヨーロッパでも、選挙が半ばショーと化してしまっていて、民主主義だどうこういうのに疑問符を付けたくなることがある。
とまれ結果は以下の通り。
ANO 6(21.2)
市民民主党 4(14.5)
海賊党 3(13.9)
TOP09+市長連合 3(11.6)
オカムラ党 2(9.1)
キリスト教民主同盟 2(7.2)
共産党 1(6.9)
一番の驚きは社会民主党が、5パーセントを越えるどころか、4パーセント弱の得票率に終わり、議席を失ったことである。党首のハマーチェク氏は、ANOと連立内閣を結成していなかったら、さらに得票率が下がっていたはずだと主張しているがどうだろうか。連立するならするで最初から、下院の選挙の直後から連立すればいいものを、一度ANO単独で組閣させて失敗させたうえで、連立交渉を始めた中途半端さが有権者の信頼を失ったものとみる。先日の内閣不信任案の際にも、退場して賛成も反対もしないというざまで、何も決められない政党というイメージを自ら作り出してしまった。
二つ目の驚きは市民民主党が、海賊党を押させえて第二党になったことである。これは前回の下院選挙と同じだとはいえ、海賊党が意外なまともさを発揮している中、市民民主党では内紛が起こっていたことを考えると、驚きである。この辺りは、ANOの得票率がそれほど高くなかったこと、共産党をはじめとした組織票をもつ既存の政党が議席を確保していることから考えて、投票率の低さが影響していると考えてよさそうだ。
共産党が得票率を減らして議席を失ったのは、共産党支持者の一部がオカムラ党に流れたことを意味するのだろう。極右と極左は親和性が高いのである。
この結果から、日本のマスコミのよくわかっていない人たちは、反EU、反難民受け入れの政党が躍進したとか言い出すのだろうが、大まちがいである。
議席を獲得した7つの政党のうち、はっきりとEU離脱を主張しているのはオカムラ党だけである。共産党もEUに批判的だが、離脱を主張するところまでは来ていない。他の政党はすべてEUはチェコにとって必要な存在で、チェコがEUを脱退することはありえないと主張している。同時に、どの党も(海賊党は違うかも)、議席を失った社会民主党も含めて、現在のEUの運営の在り方を変えなければいけないと主張しているのである。もちろん党によって重点を置くところは違うが、EUそのものではなく、その運営を批判し改善を求めている点では全く同じなのである。
難民の受け入れに関しても、オカムラ党、ANOに限らず、ほぼすべての国政政党が受け入れに反対している。海賊党ですら積極的な受け入れの主張はしていないのである。それに難民受け入れ反対とレッテルを張られているが、正規の手続きを踏んでチェコへの受け入れを希望する難民に関してまで、受け入れ拒否といっているわけではない。数は少ないが、チェコで難民申請中の人や申請が通った人もいるのだ。オカムラ党はこの辺の正規の手続きを踏んだ難民の受け入れも拒否することを主張しているようだが、他の党は受け入れ制度を本来のEUのルールとチェコの法律に基づいて運用することを主張しているだけである。
だから、今回のチェコに於けるEU議会の選挙について何か言うなら、真っ先に言うべきことは投票率の低さである。ブレグジットというEUを揺さぶる問題、バビシュ首相のEU助成金をめぐる疑惑が解決されない状態で、ゼマン大統領がEUに批判的な言動を繰り返す中でさえ、EU議会選挙の投票率が30パーセントにも届かなかったのである。
議席数の少ないチェコでどんな結果が出ようとEUは変わらないと考えたのか、どの政党がEU議会に議席を持とうが変わらないと考えたのか。いずれにせよ、この投票率の低さにつながっているのは単なる無関心というよりは、諦めの気持ちのように思われる。これこそ民主主義の危機ではないのか。幸いチェコでは下院の選挙だけは投票率が比較的高いけど、投票率28パーセントで出た結果をもとに、国民の意志がどうこう言われてもなあ。
2019年5月29日20時30分。
共通欧州売買法〈草案〉 共通欧州売買法に関する欧州議会および欧州理事会規則のための提案 (別冊NBL) (単行本・ムック) / 内田貴/監訳 石川博康/訳 石田京子/訳 大澤彩/訳 角田美穂子/訳 |
2019年05月22日
EU議会選挙B(五月廿日)
三回目のEU議会の選挙が行われたのは、2014年5月のことで、前回の選挙から5年の間に、三回の政権交代が起こるなど政界の情勢は大きく変化を遂げていた。
一回目の政権交代は、2010年の下院の総選挙の後で、フィシェル氏の暫定内閣に代わって市民民主党のネチャス政権が誕生したことである。このときの選挙で、議席数を減らしたとはいえ第一党になったのは、パロウベク氏の率いる社会民主党で、市民民主党は僅差の第二党に落ちていた。他にこのとき議席を獲得したのは、共産党を除くと新しい二つの政党だった。
一つ目は、2009年にキリスト教民主同盟から分派したカロウセク氏を中心とするグループが結成したTOP09というちょっと恥ずかしい名前の政党で、外は新しいけど中身は古いままの政党である。もう一つはVV党で、正式名称を日本語に訳すと「公共の福祉」と、公民の教科書に出てきそうな名前の政党である。こちらは実業家のバールタ氏が、党の顔としてテレビの人気のあったラデク・ヨーン氏を招聘することで、有権者の間に知名度と人気を獲得することに成功した党である。
第一党の党首だったパロウベク氏は、共産党以外の三党との連立交渉がうまくいかず、責任をとって党首を辞任して、後をソボトカ氏に託すことになった。第二党の党首のネチャス氏は、政治上の師匠とでもいうべき当時のクラウス大統領とのパイプを生かして、首班指名を得ることに成功する。その結果、市民民主党、TOP09、VV党の三党からなる連立内閣が成立したのである。
問題はこのネチャス政権が、連立三党の対立もあって不安定に過ぎたことである。市民民主党とVV党の対立で、VV党が連立から離れ、VV党の一部の議員が新しい党を作って与党に残ったのが最初の大きな変化で、最後は、不倫関係にあった女性が起こしたスキャンダルに巻き込まれたネチャス首相が、がんばれば続けられたはずなのに、政権を投げ出してネチャス政権は倒れてしまった。これが2013年の6月中旬のこと。
ここで、本来であれば、与党の市民民主党の次の党首ニェムツォバー氏か、下院の第一党である社会民主党の党首のソボトカ氏が組閣することになるはずだったのだが、この年の初めに、初めての直接選挙で選出された大統領となったゼマン氏が、下院の任期満了まで暫定内閣に任せることを主張した。その結果、ルスノク氏が組閣したのだが、下院で信任を得ることができず、結局、下院は解散され10月に総選挙が行われた。
この選挙で、第一党になったのが、前回からさらに議席を減らした社会民主党、以下ANO、共産党、TOP09+市長連合、市民民主党、ウースビット(第一オカムラ党)、キリスト教民主同盟の順になった。このうち、ANOとウースビットは、新政党として初めて国会に議席を獲得し、キリスト教民主同盟は、前回はTOP09ショックで議席を議席を獲得できていなかったから国政政党として復活したことになる。
これだけの数の政党が下院に議席を獲得したため、連立交渉は長い時間がかかり、社会民主党とANO、キリスト教民主同盟によるソボトカ内閣が成立したのは、年が明けて2014年になってからである。
以上のような状況の中で行われたEU議会の選挙には全部で38の団体が候補者を立てた。投票率は過去二回から大きく下がって、18パーセントほど。このときチェコより低かったのは、13パーセントのスロバキアだけだった。結果は以下の通り。
ANO 4(16.1)
TOP09+市長連合 4(15.9)
社会民主党 4(14)
共産党 3(11)
キリスト教民主同盟 3(10)
市民民主党 2(7.7)
自由党 1(5)
ANOが最も得票率が高かったのは事前の予想通りだったが、投票率が低かったため、予想されたほどの大差は付かなかった。市民民主党が惨敗したのは下院選挙に続いて、ネチャス内閣崩壊以後の立て直しができていなかったことを意味する。自由党なんていう新しい政党が議席を獲得したのも、投票率が低かったおかげであり、この結果が、2014年当時のチェコの有権者の政治的な動向をどこまで正確に反映しているのかは心もとない。いや、政治に対する関心が低く、EUに対するあきらめのような心情が広まった状況が反映されたのが低い投票率だといういうことはできるか。
今回2019年ののEU議会選挙については、バビシュ氏の「コウノトリの巣」事件への批判が高まっていること、ゼマン大統領の政治姿勢に対する反発が高まっていることから、投票率が2014年の18パーセントよりは高くなるだろうと予想している。反バビシュ、反ゼマンの人たちがこぞって投票に向かえば、事前の世論調査の結果に反して、ANOが負ける可能性も十分にありそうだ。その場合に、勝つのは海賊党だと見る。
ということで、本命ANO、対抗海賊党というのが勝手な予想である。
2019年5月20日23時45分。
2019年05月21日
EU議会選挙A(五月十九日)
EU議会の任期は5年なので、チェコにおける二回目の選挙は2009年に行なわれた。この年はチェコとEUの関係において重要な年で、2009年の1月1日から、半年の間、2004年の新規加盟国の中では一番最初にEUの議長国を務めたのである。ただ、このEUの議長国制度は、加盟国は平等であるという建前を演出するための、いわば儀式的な制度なので、EUにとってチェコが議長国になることがどれだけ重要であったのかは疑問だが。
チェコでも、チェコが議長国を務めたこと自体は非情に重要視されていたが、議長国という制度自体はそれほどでもなかった。チェコが議長国になることが決まるまではほとんど話題に上がらず、存在を知っている人は希だっただろうし、議長国の人気が終わった後も、スロバキアが議長国になったときにニュースに取り上げられたぐらいで、どこの国が議長国を務めているか関心を持っている人など皆無と言ってもいいぐらいである。
それはともかく、チェコは議長国を務めている間に、ヨーロッパ中に恥をさらした。多額の予算をつぎ込んで、チェコが議長国を務めていることをアピールするためのキャンペーンを行なったのだが、その一つが原因で非難の嵐にさらされることになる。問題は議長国就任を記念して「芸術家」に依頼して作成した「作品」だった。EU加盟各国に特徴的なものをそれぞれ一つずつ選び、それをプラモデルの部品のようにつなげて一つにまとめたという作品は、ドイツを象徴する高速道路がナチスのカギ十字に見えるなど、各国を揶揄するものばかりだったのである。議長国就任に舞い上がったチェコ政府が暴走した結果であろうか。
もう一つの恥は、議長国の任期中の5月初めに下院で内閣不信任案が可決され、内閣が倒れてしまったことだ。選挙を行なうと任期が終わるまでに間に合わないということで、暫定内閣が任命された。当初の予定では、任期が終わった後に下院を解散して、10月に総選挙が行なわれ、新たな内閣が誕生するはずだったのだが、法律の不備から下院が解散できるのかどうかでもめ、最終的には解散はしないことになり、暫定内閣が、下院の任期の切れる2010年5月まで存続したという落ちがつく。このときの解散できるできないの議論も、最終的な結論も正直意味不明で、チェコの政治ってのは不思議なものだと思ったのを覚えている。
とまれ2009年のEU議会の選挙には、全部で33の団体が候補者を立て、議席を獲得したのは以下の四党のみである。投票率は前回と同じ28パーセントほど、議席数は二つ減らされて22になっている。
市民民主党 9(31)
社会民主党 7(22)
共産党 4(14)
キリスト教民主同盟 2(7.5)
この結果を簡単に言えば、社会民主党の復活と市民民主党の勝利であろうか。
市民民主党は、2006年に行なわれた下院の総選挙で、大きく議席を増やし第一党となり、キリスト教民主同盟と、初めて議席を獲得した緑の党の二党と連立を組んでトポラーネク内閣を成立させていた。その内閣が不安定で最終的には不信任案を可決されて倒れてしまうのだが、市民民主党が前回の議席を守ったということは、支持者たちは倒閣に至った原因を市民民主党には見なかったと考えていいのだろうか。トポラーネク氏の失敗はどう考えても緑の党を連立の相手に選んだことだったからなあ。
その緑の党は、2006年の下院の選挙に続いて議席を獲得することを期待していたようだが、得票率2パーセントという結果で議席を獲得することなく終わっている。この党は小さな党でありながら内部の対立が激しく、悪い意味で既存の大政党に近い政党だった。与党になってからは、明らかに、議長国になったときのチェコ政府以上に調子に乗って有頂天になっていたから、この結果も当然だったと言っていい。
社会民主党は、2003年の大統領選挙、2004年のEU議会選挙と、重要な選挙で連続して惨敗した後、首相となったグロス氏もスキャンダルで退任を余儀なくされ、このまま退潮に入るかと思っていたら、新たに党首となったパロウベク氏の下で、意外なことに復活を遂げた。2006年の下院の選挙でも、市民民主党に負けたとはいえ、2002年よりも得票率も議席数もわずかながら増やしていた。その流れの中で行われたEU議会選挙でも、市民民主党に次ぐ第二党の座を獲得したのである。
パロウベク氏は、ある意味ゼマン大統領以上にあくが強く、評価の分かれる人物だが、この時点で社会民主党の党首であったことは、党にとっては幸いだったのだろう。後に党を出て、自らの政党を組織してからは、迷走続きで、社会民主党への復党も拒否されたから、政治の世界に戻ってくるとすれば、次の大統領選挙だろうか。
独立系の既存の政党に所属しないことを売り物にしたグループが議席を失ったのは、同じような名前の団体が乱立して、有権者を混乱させたことも原因ではないかと考えられる。
2019年5月20日9時。
2019年05月20日
EU議会選挙@(五月十八日)
先日テレビをつけたら、みょうちくりんな番組をやっていた。素人が作った出来損ないの短いビデオクリップを延々と流す番組かと思ったら、来週末に迫ったEU議会選挙に候補者を立てた政党が、自党の選挙公約を有権者に伝えるために使える番組だった。日本の政見放送みたいなもので、政党によっては権利を使用しないこともあり、その場合「この時間は何々党に与えられた時間です」という表示だけが出ているのも日本の政見放送と同じだった。
違うのは、日本の政見放送が、大抵は党首が出てきて、みんな同じスタジオで選挙の公役を説明するのに対して、チェコは各政党が独自の予算で製作したビデオを放映するところだ。そのビデオが、程度の差はあれ、どこの政党のものもできの悪いビデオクリップみたいな代物で、チェコの選挙が真面目な議論よりも、人気取り合戦に傾いていることを証明している。どこかの党なんか、お金があるのか、ボランティアなのか有名俳優まで出演していた。それでも悲しくなるぐらいチープだったけど。
今回のEU議会の選挙は、チェコのEU加盟以来、四回目の選挙ということになる。回を追うたびに徐々に定数が減らされて今回は21議席を争う。チェコ全体が一つの選挙区となる比例代表式で行なわれる。定数が少ないため、議席の獲得が難しいと思われる小党のなかには野合して合同で候補者名簿を作成しているところもある。それでも今回はあわせて40の政党、政治団体が候補者を立てているから、チェコ人ってやはり、政治好きで選挙好きなのである。
EU議会の選挙は、大政党にとっては、国内の上院下院の選挙、地方議会の選挙と比べると重要度は低く、候補者の中にも誰でも知っているというような知名度の高い人はほとんどいない。しかし、選挙時点の有権者の動向を確認でき、場合によってはそれに影響を及ぼせるので、資金のある大政党はそれなりのお金をつぎ込んでいるようだ。公営選挙って何? の世界である。
それでは、今年の選挙の結果が出る前に過去 の選挙のおさらいをしておこう。
チェコで最初にEU議会の選挙が行なわれたのは、2004年の6月のことだった。5月1日付けで、チェコなどの旧共産圏諸国がEUに正式加盟を果たしているから、この選挙に合わせる形で加盟の日程が調整されたと考えてよさそうだ。加盟直後にEUの将来を決める(可能性のある)選挙に参加できるというのは、新たな加盟国の国民にたいするEUの求心力を高めるのに役に立ちそうである。議席数も現在より三議席多い24議席が与えられていた。とはいえ、その期待を裏切るかのように、投票率は28パーセント強に終わってしまうのだが。
選挙の結果は以下の通り。( )内は得票率。
市民民主党 9(30)
共産党 6(20)
SNK – ED 3(11)
キリスト教民主同盟 2(9.5)
社会民主党 2(8.8)
無所属 2(8.2)
候補者を立てた32の団体のうち議席を獲得できたのは、以上の6つのみ。
なじみのないところから行くと、三番目のSNKは政党に所属しない人たちが作った政治団体で、最後の無所属は無所属の人たちが共同で候補者名簿を作成したもののようだ。チェコではこの手の無所属、政党に属していないことを団体名にする例が非常に多く、正直言ってわけがわからない。無所属と訳すより独立系候補なんて訳したほうがいいのかもしれない。とまれ、SNKと組んだEDは、ヨーロッパ民主党とでも訳せるような政党で、後にこの二つの政党は合併している。
このときの選挙結果を一言で言えば、社会民主党の惨敗ということになる。当時は2002年の下院選挙で第一党になった社会民主党党首のシュピドラ氏が、前任のゼマン氏の後をついで首相を勤めていたのだが、党内の状況は最悪と言ってもよかった。ゼマン氏が首相と党首の座を退いた理由は、2003年のハベル大統領退任後最初の大統領選挙に勝つためだったと考えられるのだが、この選挙、国会議員の投票によって行なわれた選挙で、ゼマン氏は決選投票にも進めないという惨敗を喫してしまう。
社会民主党内は、ゼマン派と反ゼマン派だけではなく、さまざまな形で分裂しており、それぞれのグループがそれぞれの思惑で動いた結果、自党の候補者を、所属する議員の数からするとありえないレベルでの惨敗に追い込んでしまったのである。その影響がこのEU議会選挙まで続いており、支持者を失った、もしくは支持者の多くが投票に行かなかった結果、社会民主党は惨敗を喫してしまったのである。
2003年の大統領選挙以降、党内の求心力を失い、団結を訴えるも全く成果を上げられなかったシュピドラ首相は、EU議会選挙の惨敗を受けて党首を辞任し、その結果として首相の座も退くことになる。この頃のシュピドラ氏はテレビのニュースで見かけるたびに、顔色が悪化し、最後はこのままでは命にかかわるんじゃないかと思えるぐらいだったから、健康のためにも辞任は必至だったのだろう。先日久しぶりに見かけた氏は別人のように生き生きとしていた。
とまれ、EU議会の選挙で、社会民主党が惨敗した結果、30代半ばという若さで首相に就任したことだけで日本でもニュースになったグロス首相が誕生する。この、政治家としての能力よりも党内の調整能力だけで首相にまで上り詰めたといわれるグロス氏の存在も、金銭スキャンダルで辞職に追い込まれたことも含めてなかなか謎である。
共産党が第二位に入ったのは、数は少なくても毎回選挙に行く熱心な支持者がいることの証明であろう。投票率が低い選挙では固定票を持っている政党が強いのは日本もチェコも変わらない。
最後に勝者の市民民主党に関しては、前年の大統領選挙に次ぐ勝利で、創設者のクラウス氏のあと、二代目の党首となったトポラーネク氏の党内での地位が固まることになった。市民民主党自体は反EUではないが、チェコを代表するEU懐疑論者であるクラウス氏の影響力の強い市民民主党が最初の選挙で勝ったことは、その後の、EUとチェコの理想的とはいいがたい、チェコ側からすると期待はずれなEUとチェコの関係を示唆していたのかもしれない。
このころはEU万歳的な論調が多かったと記憶しているんだけどね。
2019年5月19日19時。