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2019年11月19日

今日のできごと(十一月十七日)



 今日は、ビロード革命の発端となった学生デモが発生した日として、チェコ各地で記念式典が行われた。始まりの地であるアルベルトフの学生寮はもちろん、治安警察と衝突したナーロドニー・トシーダなどに人々が集まっていた。特にナーロドニー・トシーダの人では、前日のレトナーでの集会を思い起こさせるほどに多かった。
 この様子はチェコテレビのニュースチャンネルで中継されていて、要所要所で、30年前のデモに参加した人たちのインタビューなんかも流れていた。面白かったのは、同じデモの参加者でも、この30年の時の流れを反映してか、現状に対する評価があれこれ分かれていたことだ。ハベル大統領を頭に戴いた市民フォーラム自体が、雑多な考えを持つ人々の寄せ集めみたいな感じで、共産党の退陣が決定的になるとすでに内部で権力争いが始まったというから、政治家とか官僚とかいう人種は、社会体制を問わず変わらないのだと言いたくなる。

 もちろん、1989年の11月17日に学生デモが起こった理由である、1939年の犠牲者オプレタルなど学生達の追悼のためにろうそくを持ち寄った人たちも多かった。80年前は、この日に、チェコの大学が、ヒトラーの命令によって、すべて閉鎖されることになったのである。だからというわけでもないのだろうが、国立の大学では、「占領的ストライキ」と銘打って、大学の建物を学生たちが占拠するというイベントを行っていた。
 これは、80年前、30年前の出来事を振り返るためのものでもあったようだが、もう一つの理由としては、特にプラハのカレル大学の場合には、現在の大学の指導部に対する抗議という意味も大きい。カレル大学の学長は、ゼマン大統領とは距離を置いているようだが、大統領と同様に、中国シンパのところがあって、中国と関係の深い企業から、資金を受け入れようとしたことで批判されている。
 中国に都合の悪い研究ができなくなったり、できても発表できななくなるんじゃないかなんてことで批判されていた。ただ、今のチェコでチベット万歳以外に中国に都合の悪い研究なんてしている人はいるのかね。いはするだろうけど、そんな奇特な人は、何らかの方法で発表の場を見つけるんじゃないかなあ。研究のためのお金を増やそうとして、私企業との協定に走った短絡さ批判されても、研究者の側も、金だけもらって圧力には負けないという矜持があってもいい気がする。

 ビロード革命関係のイベントとなると、民主主義について語る人が多いのだけど、チェコも日本と同じで、民主主義を自分たちの都合のいいものにしてしまうことが多い。バビシュ氏は、自分は選挙で選ばれた国会議員によってえらばれた首相なのだから、民主主義的に選ばれた首相だと主張し、反バビシュ側はANOの選挙での勝利をポピュリズムによるもので民主主義の敗北だとする。上院の選挙でANOが惨敗したときは、バビシュ氏は他党が反バビシュで団結した結果で民主主義的ではないと非難し、反バビシュ側は民主主義の勝利だと自画自賛する。
 状況は日本も同じようなもので、特に右も左も支持していない人間からすると、どちら側の主張を聞いてもうんざりさせられてしまう。目糞鼻糞ここにきわまれりである。それよりも気になるのは、民主主義そのもの、もしくは民主主義という言葉に夢を見すぎじゃないかということで、民主主義がすべてを解決すると思い込んでいるようにも感じられる。民主主義が正しく機能すればなんてことを言う人もいるけど、これまで「正しく」機能したことなどあるのか。それに、上に挙げた発言を考えると、すべての人にとって「正しい」民主主義が存在するとも思えない。

 現在のヨーロッパ型の民主主義の最大の問題は、異なる意見に対する非寛容性だろう、これはヨーロッパ的民主主義がキリスト教的価値観に発する以上当然の欠点だともいえるけれども、「民主主義」的な議論の目的が、話し合ってよりよい結論を出すことではなく、勝つことになってしまっていることも原因の一つである。その結果、議論は自分の意見をテープレコーダーのように繰り返すか、相手の発言の揚げ足をとってささいなことを批判し合うだけに終わる。
 世界で最も民主的だったはずのワイマール憲法下のドイツがヒトラーとナチスに権力を与えたことや、市民革命を経て民主的に運営されていたはずのヨーロッパ諸国が帝国主義の下にアジア、アフリカを蹂躙し植民地にした過去も忘れてはなるまい。蛮行はキリスト教の名の下だけでなく、民主主義の美名のもとにも行われたのである。そして、やらかしたほうは過去のこととして忘れていても、やられたほうはなかなか忘れない。旧ソ連圏の国や北朝鮮が、国名に民主主義という言葉を使っていたのもあるしなあ。

 好き勝手に民主主義を連呼するのに少々うんざりして、こんならちもない文章を書いてしまった。またまた途中から看板に偽りありである。
2019年11月18日20時。










2019年11月18日

人皆レトナーへ(十一月十六日)



 レトナーと書かれているのを見て、プラハの地名だとわかる人は、かなりのチェコ通、いやプラハ通だろう。さらにサッカーのスパルタ・プラハのスタジアムがある場所だと知っている人になると、そこに熱心なサッカーファンという要素が加わることになる。では、レトナーが、大規模集会の行なわれる場所だと知っている人は、ビロード革命の研究をしている人だろうか。
 レトナーの丘の上には、プラハには珍しく広大な空き地(この言い方が正しいかどうかは疑問だけど)が残っていて、1970年代から軍のパレードや政治的な集会に利用されていたのだが、1989年のビロード革命に際して、大きな反政府集会が行なわれた場所でもあるのだ。翌年には、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世を迎えて、ミサも開催されている。

 とまれ、ビロード革命以後、大きな、バーツラフ広場には入りきれないような規模の集会を行なう場合には、レトナーの丘が選ばれる。だから、今回6月につづいて、大規模反政府集会が行なわれたのも当然といえば当然なのだ。ちょっと意外だったのは、ビロード革命の発端となったデモが起こった17日ではなく、前日の16日に行なわれたことである。正確にはこちらが勝手に17日だと勘違いしていたというのが正しい。

 金曜日、知り合いにあったらプロっぽい立派なカメラを首に提げ、手にはスーツケースを持っていた。理由を聞いたら、こんな大イベントがあるんだから、プラハまで行って写真取ってくるしかないだろうという答えが返ってきた。そういえば日本大使館からも、レトナーには近づくなという注意喚起のメールが来ていた。ただ、プラハでのことなので斜め読みしかしなかったため、この時点でも17日のことだろうと思っていた。
 そうしたら、午後テレビで、抗議集会の様子が放送されているのを見て驚いた。チェコ各地から集まった人の数は、主催者発表で30万人、警察発表が25万人で、携帯電話会社の概算が25万7千人という大規模なものだった。この手の数の発表は主催者発表が過大になるのは、チェコでも変わらない。日本だと、特に左翼系の反政府集会は最低でも2倍、ひどいときには10倍以上なんて発表が普通になっていることを考えると、極めて良心的な数字である。

 集会は、極めて整然と行われ、市内の公共交通に負担をかけた以外は、何の問題も起こさなかったようだ。主催者としても二度目の大規模抗議集会で手馴れてきた面はあるのかもしれない。何人かの選ばれた人たちが、舞台の上で演説をしていた、もしくは表明を読み上げていたが、俳優の姿が目立った。
 こちらがわかって覚えているのは、どんなタイプでもちょっと変わった人物を演じさせたら、右に出るもののいないイバン・トロヤン、非常に真面目な役柄からただ飲んだくれまで演じ分けて、知らないと同じ俳優だとは気づけないこともあるボレク・ポリーフカに、共産主義時代のアイドル女優的な存在だったダニエラ・コラージョバーの三人。みんななかなかいいことを言っていたと思う。劇場の俳優達は、ビロード革命のときもも主力の一翼をになっていた。

 集会で主張された主要な要求は、バビシュ首相の年末までの辞任、もしくはアグロフェルト社を完全に手放すこと。それと法務大臣のベネショバー氏の辞任、もしくは解任だった。実現しなかった場合には、再度抗議集会を開催するとも主張している。ただ、面の皮の厚さには定評のあるチェコの政治家が、大規模反政府デモで辞任に追い込まれた例はこれまで存在しない。
 ネチャス氏や、グロス氏、ソボトカ氏のような政党内で次代のホープとして大した苦労もしないままにキャリアを積んできたひ弱な政治家とは違って、バビシュ氏は良くも悪くも、ビジネスの世界でのし上がってきた人物である。そんなひどい言い方をすれば、厚顔無恥さでも人後に落ちない。ということは、今後デモの規模がどれだけ大きくなろうと、辞任することはありえない。

 今回の集会の主催者の課題は、今後も現在の規模と参加者たちの熱意を維持して、抗議集会を繰り返し続けられるかどうかだろう。現時点では既存政党に頼らず独自に活動しているから、幅広い層の支持を集めることに成功しているが、選挙が近づいて既存政党の側が取り込みにかかったときにどうなるかという心配もある。この運動が独自に組織化を進めて政党化するというのは、ビロード革命の際の市民フォーラムの末路を考えると、難しそうである。ただ、次の総選挙まで今の規模と熱気で繰り返すことができれば、全国的にアンチANOの雰囲気を作り出して、バビシュ内閣を倒せるかもしれない。
 主催者もそれをわかっているのか、次の総選挙でバビシュ内閣を倒すために野党に共闘するように呼びかけているようである。ただなあ、ビロード革命後のチェコで、最初に政治を私物化しているとして批判されたのが、野党第一党の市民民主党なのである。今の指導部はその過去も、プラハの市政を食い物にした過去もなかったことにしているけど。キリスト教民主同盟も、教会の利権の代弁者になっているし、過去に与党として反政府デモの対象になったことのない政党の中で主催者の眼鏡にかないそうなのは海賊党ぐらいしかない。政治家を職業にしている連中が、程度の差はあれ政治を私物化しているのはチェコも日本も変わりない。

 また選挙制度の改革も求めていて、下院の5パーセント条項をなくして、小政党が議席を獲得しやすくすることも主張しているようである。これは、地獄の釜を開けるようなもので、現時点でさえ総選挙後の組閣が難しいのに、これ以上政党数が増えたら、内閣なんて成立しなくなる。それが相対的に内閣の力を弱めると考えると悪いことではないが、大統領の権力強化につながり、ゼマン大統領のような人物が選ばれる可能性がかなりあることを考えると、もろ手を挙げて賛成ともいかない。
 5パーセント条項を変えるとすれば、全国で5パーセントというのをやめて、各選挙区で5パーセントを越えればその選挙区では議席を獲得できるという形にするのがよかろう。これなら現在ほぼ存在しない地域政党に活躍の場を与えることができる。

 とまれ、こんな大規模な反政府集会が、政党主導ではなく開催できるところが、チェコの社会が健全であることを示しているのだろう。ただ、この集会が何をもたらすかということになると、チェコを知る身としては悲観的にならざるをえない。
2019年11月17日16時。











2019年11月08日

クトナー・ホラ(十一月六日)



 数あるチェコの世界遺産の中でも、クトナー・ホラは、比較的初期に認定されたし、プラハから近いこともあって、知名度も高く訪れる人の数も多いはずだ。最初に訪れた1993年は、まだ世界遺産にはなっていなかったけど、観光客は多かった。何せ日本語のガイドブックに載っていたのだから。中世から銀の採掘で発展し、チェコ国内でも最も栄えた町の一つだったとか、中央ヨーロッパの共通通貨だったプラハ・グロシュと呼ばれる銀貨が、プラハと付くけどクトナー・ホラで鋳造されたものだったなんてことを知っていたかどうかは記憶にない。
 二回目に出かけたのは、近くのコリーンにできた日系の自動車工場で通訳のバイトをしていたときに、クトナー・ホラに宿舎をとっていた日本から指導のために派遣された人たちに夕食に誘われたときのことだった。あのときは、仕事が終わった後だったから、世界遺産になった教会なんかは見る時間もなく、そのまま飲み屋に入って、当時はまだハイネケンの手には落ちていなかったクトナー・ホラのビールを飲みながらチェコ料理を食べたのだった。そのあと、宿をとっていたコリーンに戻るのが結構大変だったのもいい思い出である。

 と、本題と関係のない枕はこの辺にして、昨日の夜のニュースでクトナー・ホラの市議会で、アントニーン・ザーポトツキーと、クレメント・ゴットバルトの名誉市民の称号を剥奪する決定がなされたというニュースが流れた。最初の正直な感想は、いままで何でそのままにしてあったんだろうというものだった。ビロード革命の後、共産党員に対する弾圧は起こらなかったが、ゴットバルドフがズリーンに戻るなど、共産党の政治家の功績を称賛するためのものは取り消されることが多かった。
 それはともかく、当然共産党の市会議員は反対したものの、過半数が賛成したため、ゴットバルドとザーポトツキーの名誉市民の称号の剥奪は可決されたらしい。念のために書いておけば、ゴットバルトは、第二次世界大戦中の共産党の指導者で、戦後最初の選挙で勝利して首相になった後、1948年にクーデターを起こし、ベネシュ大統領を追い落として自ら大統領に就任した人物で、ザーポトツキーはその後継者として1948年に首相、1953年にゴットバルトがスターリンの後を追うように亡くなった後は大統領を務めゴットバルトのスターリン主義路線を守った人物である。

 そもそも何で名誉市民になったのだろうと考えていたら、ニュースでは政治的な理由であって、町とは全く関係がなかったと言っていた。もう少し詳しく知るために、ネット上の「novinky.cz」で関係する記事を探してみた。その記事に登場するANO所属の市長によると、名誉市民になったのは戦後の政治的な社会情勢のせいだという。共産党の指導者を名誉市民にするのが流行ったのだろうか。名誉市民にしたほうが予算が取りやすかったなんてこともあったかもしれない。
 そして、この二人は、クトナー・ホラとは全く関係がなく、訪問すらしたことがないはずだと剥奪を主張する理由を語っている。それに対して、剥奪に反対した共産党の市会議員は、ザーポトツキーにかんして、クトナー・ホラに来たことがあって、しばらく滞在したこともあるんだと主張する。しばらくに使われている言葉から考えると、何日かではなく、何時間か、もしくは何分かのレベルのようで、それで名誉市民を与える理由になると言われても困る。
 ただ、この議員は、名誉市民を町と関係のない人物に与えた例はいくらでもあるし、こんなに時間が経ってから(授与からなのか、ビロード革命からなのかは不明)、一度与えた名誉市民の称号を剥奪するのはよくないとも語っている。どうして今更そんなことをする必要があるのかというのは、当然の疑問だし、同時にどうして今まで放置されてきたのだろうというのも気になる。

 他の町では、これも今更だけど、先週クルノフでゴットバルトの名誉市民が取り消されたらしいし、生地のあるビシュコフでもすでに取り消されているという。その一方で、名誉市民の称号をそのままにしている町も多いようだ。その理由としては、過去の歴史を現在の視点から修正する、なかったことにするのはよくないということが挙げられている。
 ビロード革命直後の、共産党の指導体制から解放された直後ならともかく、それから30年以上も放置されてきたことを考えると、そのままにしている町のほうに賛成したくなる。ズリーンが復活したのもビロード革命直後だったわけだしさ。

 観光地、クトナー・ホラを題名にして、こんな記事を書いてしまう。我ながらこれでいいのかと思わなくもないのだけどね。書いちまったものは仕方がないのである。
2019年11月6日24時。










2019年11月05日

チェコ政界二話(十一月三日)



 頑張って書いても、どんなに枕を長くしても、一本分にはなりそうにないネタが二つあるので、関係ないけど、まとめて一日分にする。ちょっと寒さが厳しくなってきて、お疲れモードなので、手抜きである。手を抜いても抜かなくてもレベルが変わらないのが悲しいけど。

➀海賊党内紛?
 名前とは裏腹に、意外とまともな政党であることを見せつけている海賊党だが、ネット上で海賊党の党員同士の争いが始まったというような見出しを見つけてしまった。バビシュのANO以外の新政党は、緑の党も、VV党も議席を獲得して、すぐに連立与党に入って調子に乗っていたら、内紛が起こって分裂する羽目に陥ったし、野党にとどまった第一次オカムラ党であるウースビットも、内紛の結果党首が追い出されるという事態を起こしている。

 海賊党は、そんな醜態をさらしまくった新政党の路線をたどることはなく、たまに変なこと言う人は出現したけど、これまでは党内のまとまりの良さを感じさせていただけに、意外だった。忙しくて中身までは読む時間がなく、学歴詐称とか汚職なんかのスキャンダルでも起こした人がいたのかねと考えていた。
 そのことを思い出して、うちのに聞いてみたら、スキャンダルでもなんでもなくて、上司に対する不満が爆発しただけだった。とはいえ、最近はやりの何とかハラスメントではなく、部下に仕事をさせ過ぎだという不満のようだ。次々に仕事を振られて、耐え切れなくなったということなのかと思っていたら、それだけではなく、仕事を頼むときのやり方とか、評価するときの振る舞いなんかが、偉そうで鼻持ちならないと言うのと、無駄にプレッシャーをかけられている感じがするなんてことも言っているので、流行の言葉で言えば、「パワハラ」って奴になるのかね。

 近々行なわれる党大会で、この訴えられた人は副党首の地位にあるのだけど、罷免されるかどうかの投票が行われるらしい。これに対して別の副党首(複数いるのが普通)は、留任させるなら、自分が辞任すると息巻いているようだ。これは完全に内紛だね。これをどう収拾つけるかが、海賊党の将来を左右すると考えるべきだろう。一見小さな事件だけど、下手を打てば、過去の崩壊した新政党の劣に並ぶことになる。
 まあ、海賊党って、緑の党もそうだけど、学歴の高いエリートが多くて、自分の正しさを信じ込める人たちが多いから、つまりはプライドの塊ばかりだから、意見が一致している間はいいんだけど、意見が分かれるとプライドとプライドのぶつかり合いになりやすく、拗れると大変なことになるのは予想できる。海賊党がここまで一枚岩を誇っていたことの方が、実は驚くべきことだったのだ。

Aさすが共産党
 ビロード革命から30年を経てなお、存続し続けている共産党は、ことあるごとにかつての共産党政権時代の政策を正当化しようと画策している。もちろんすべてが正当化できるものではないのだが、すこしでも議論の余地があるものに関しては、拡大解釈を重ねて史実を書き換えようとする。史実なんて結局勝者から見た歴史だから、敗者である共産党には納得できないところもあるのだけど、やりすぎというか、お前ら正気かといいたくなることもままある。その点は、ロシアが今でも1968年のチェコスロバキア侵攻に関してソ連時代の公式見解を変えていないのと似ている。
 そのプラハの春の際の出来事に関して、共産党の国会議員、元治安警察の警察官で、デモの弾圧に当たっていた過去でも非難されている人物が、とんでもない発言をして、批判にさらされている。この人の説によれば、1968年のワルシャワ条約機構軍の侵攻によって、犠牲となったチェコ人たちは、交通事故の犠牲者なのだという。

 共産党政権時代の、チェコスロバキアは普段から道路を戦車が走っていて、道を歩くときに注意していないと、戦車にはねられたり轢かれたりするような危険な国だったと言うのだろうか。これでは、共産党政権、いやその要請を受けたソ連軍の侵攻を正当化しようとした結果、共産党政権下のチェコスロバキアの社会を貶めてしまっている。現実には戦車による交通事故なんて、滅多に起こっていないはずなのだから。全くとは断言する自信がない。
 あちこちからの批判を受けて、共産党では当の国会議員の発言を懲罰の対象にするかどうかの会議を開いた。さすがは身内には甘い左翼で、個人的な意見を発しただけなのだし、物事をどう解釈するかは個人の自由だとかいう理由で処罰なしの決定となった。事実誤認を正すという考え方はないのかね。都合のいいときだけ言論の自由を主張するのは、国が変わっても右も左も同じなのだ。
2019年11月4日21時。












2019年10月19日

ゼマン大統領の健康問題(十月十七日)



 ゼマン大統領が、また入院したらしい。大統領府の発表では、以前から計画されていた健康診断のための入院だから、大統領が病気に倒れたというわけではないという。最近聞かなくなったけど「人間ドック」みたいな形での入院なのだろうか。10月28日にプラハ城で行なわれる国家式典、勲章の授与式に向けて体調を整えるための入院だという話も聞こえてきた。
 大統領の職務というものが激務で、大変なものであるのはわかるけれども、毎年行なわれている儀式のために入院して準備をしなければならないというのは、去年まではそんなニュースはなかったわけだし、健康に不安を感じさせる。最近は、テレビなどで、以前とは違った弱った姿を見せることが増えているだけに、なおさらである。

 思い返すと、二期目の大統領選挙の際に、大統領との関係は知らないが、ある医者が、ゼマン大統領は癌だと発言して問題になった。このときは、大統領側は、主治医の健康に問題はないと診断書を提出して、沈静化を図るとともに、その医師を虚偽の発言をして選挙の妨害をしたということで裁判に訴えるといっていたと思うのだが、続報が確認できなかったので、裁判になったのかもどんな判決が下りたのかもわからない。
 ただ、当時から、一期目の選挙のときとは違って、歩くのに杖が必要になっていたし、確実に年齢を重ねて体が弱っているのは明らかだった。問題になったのは、その時点での健康状態ではなく、5年という任期を全うできそうかということだったのだが、有権者は、問題なさそうだと判断して、ゼマン大統領に二期目の大統領の座を与えたのだった。

 今回の入院が、あれこれ憶測を呼んでいるのには、もう一つ理由があって、名前負けしているとしかいえないテレビ局のバランドフで毎週放送されている「大統領との一週間」という番組で、司会者のソウクプの質問に答えて、自らの「náhradník」について語ったらしい。これまでは、この件に関する質問にはかたくなに回答を拒否していたのに、どうしてだろうという疑問を、今回の入院と結びつけた結果、病状が悪化して「náhradník」が必要な状況になっているのではないかと憶測したようである。
 その憶測の正否はともかくとして、よくわからないのが「náhradník」が意味するところで、スポーツなら交代選手なのだけど、政治家、大統領の場合は、病気で執務ができなくなった場合の大統領代理になるのだろうか。それとも亡くなった場合の臨時大統領か。もしくは大統領職の後継者ということかもしれない。チェコでも憲法で大統領が倒れた場合、誰が代理をしたり、臨時の大統領を務めたりするかは決まっているはずで、ゼマン大統領が恣意的に選ぶことはできないはずだから、次の大統領選挙で選ばれる人という可能性が高いような気もする。
 その番組で、ゼマン大統領が上げた「náhradník」になる可能性がある人物は、一人は意外なことに労働組合のボスであるストシェドゥーラ氏で、もう一人は予想通りバビシュ首相だったという。バビシュ氏が首相を経て大統領になるという、クラウス氏、ゼマン氏の路線を狙っているのは、周知の事実だが、労働組合のストシェドゥーラ氏は政治的な野心を持っているのだろうか。

 それはともかく、この発言はゼマン大統領が、自らの大統領としての終わりが近づいていることを意識していることを示しているのかもしれない。ゼマン大統領が退場すると、本当の意味でポスト共産主義といわれた90年代が終わることになる。チェコの政界の問題は、この一時代の終焉に際してハベル、クラウス、ゼマンと続いたビロード革命で活躍した政治家に続く存在が育っていないことである。
 だから、バビシュ首相やオカムラ氏のような人物が実業界から政界に入っていきなり要職を占めることができるのだ。それは、チェコという国にとってあまりいいことではないだろう。また、クラウス以後の市民民主党、ゼマン以後の社会民主党が後継者を育てられなかったということでもある。ハベル大統領のように非政治家の大統領をと考えても、誰もが納得するような候補は存在しない。
 現状だと、対立候補として誰が立候補しても、バビシュ首相が当選するのは決まりのように見える。勝ち目があるとすれば根強い人気を誇るクラウス大統領の復帰ぐらいかなあ。それもできれば避けてほしいけどさ。
2019年10月18日23時。











2019年09月25日

アボリツェって何?(九月廿三日)



 最近7時からのニュースを見ない見ないことが多いのだが、またまたゼマン大統領が物議をかもすような発言をして、あちこちから批判にさらされているようである。その発言と批判の中心にあるのが、アボリツェ(Abolice)という言葉である。大学書林の『現代チェコ語日本語辞典』にも出てこないし、seznam.czの辞書で検索しても出てこない。チェコ語のウィキペディアを見ると説明はあるけれども、他言語版へのリンクがスラブ系の言葉ばかりだったから、この辺りでよくみられる現象というか、概念なのかもしれない。
 これに関する記事を読んでみると、ゼマン大統領は、必要ならバビシュ首相にアボリツェを与えることも辞さないと語っており、それに対してバビシュ首相は、アボリツェは受け入れないと思うと語っていた。どうも、例の「コウノトリの巣」事件に関して、検察がバビシュ氏の起訴を取りやめた件についての発言で出てきた言葉のようだ。ウィキペディアの説明を読むと、恩赦とか特赦を意味する概念のように読み取れるのだけど、似たような言葉との違いがよくわからないので質問してみた。

 政治家が、正確には国会議員が持つ逮捕されない権利のことはイムニタ(imunita)という。この言葉を最初に知ったのは、伝染病などに対する免疫という意味での使い方だったが、政治の世界でも使われるのである。チェコのイムニタの問題点は、国会議員在職中だけでなく、終生の権利だったことなのだけど、これに関してはすでに修正されたと記憶する。
 犯罪を犯した、もしくはその疑いのある国会議員について、警察に捜査逮捕を認めるかどうかは、国会の特別委員会で決定する。委員たちの審議に際しては該当する議員が出席して、自分の意見を述べるのだけど、最近は自分の無罪はちゃんと捜査をすれば明らかだからと自ら権利をはく奪されることを求める人もいる。有罪にされた場合に捜査がちゃんとしていなかったと主張するためのアリバイ作りでもあるだろうけど。
 簡単にまとめると、このイムニタは、事件を起こした場合に、国会議員が刑事事件の捜査の対象にならない権利であって、すでに警察によって捜査が行われ、検察に起訴、不起訴の判断がゆだねられた「コウノトリの巣」事件には適用できない。バビシュ氏の権利イムニタをどうするかというのは、2017年の下院の総選挙の前後に盛んに取りざたされていたけれども、どうなったのかよくわからない。警察に捜査を許したということは権利は、この事件に関してははく奪されたのだろうけど。

 もう一つ関係する言葉としては、ミロスト(milost)とかアムネスティエ(amnestie)と呼ばれるものがある。ミロストは普通は愛情とか慈悲という意味で使われるが、裁判で有罪判決を受けた人の刑罰を取り消して釈放する恩赦という意味でも使われている。正しいかどうかはわからないが、対象が一人の場合はミロストが使われることが多く、たくさんの人を対象にするときにはアムネスティエと言われるような気がする。
 クラウス大統領が、退任直前に大々的に行ったアムネスティエは、実際にどんな罪が対象になるのかがはっきりせず、事前の予想よりもはるかに多くの罪人が刑務所を出たことで社会に混乱を巻き起こした。よかったのは定員を超える数を収容していた刑務所の受刑環境が改善されたことぐらいだろうか。クラウス大統領がこの件で激しい批判にさらされたからか、ゼマン大統領は就任時にミロストを与える権利は、命にかかわる事態以外は行使しないと言っていたのだけど、元気な元殺し屋カイーネクに恩赦を与えたのはすでにどこかに書いた通りである。
 このミロストは、すでに裁判で判決が下りて有罪が確定した人に対して与えるものである。現時点では起訴さえされていないバビシュ氏には与えることができない。バビシュ氏自身は、起訴されようが有罪判決を受けようが、辞任する気はないと主張しているから、有罪判決を受けてもミロストを求めたりはしないのではないかとも思う。獄中から外遊する総理大臣とか見てみた意気がするんだけどなあ。

 そして、アボリツェは、イムニタとミロストの中間のようなもので、ある人物が警察の捜査の対象になっている場合には捜査を止めさせ、裁判が行われている場合には裁判を停止させることらしい。政治家の場合にはイムニタを剥奪されて、ミロストをもらえるようになるまでの間に刑事罰から逃れるための手段のようだ。アボリツェはチェコの憲法では国家元首である大統領の権利として認められているとゼマン大統領は主張しているのだが、当然大きな反発と、法治国家としてはありえないという批判を呼び起こしている。
 バビシュ首相は大統領からアボリツェを与えられても受け入れないといっているようだが、ゼマン大統領自身が、以前はアボリツェについて考慮に値しないと主張していたようだから、バビシュ氏も意見を変える可能性もある。それにしても何で今頃こんなことを言い出したのだろうか。チェコの政界はよくわからないことばかりである。
2019年9月23日25時。










2019年09月18日

プラハと中国の愚行(九月十六日)



 姉妹都市の協定を結んだプラハと北京がもめている。いや正確に言うと、プラハと中国政府というのが正しいか。チェコ側も政府が口を出していないわけではないが、主体はプラハ市で、三年前に結んだばかりの協定を破棄することを考えているようである。

 話はANOを主体とする連立政権がプラハ市政を握っていたころにさかのぼる。中国の経済力に媚を売りたい勢力が与野党を問わず存在しているのは当時も同じで、どちらから申し出たのかは知らないが、プラハが北京と姉妹都市の協定を結ぶこと自体に反対の声は上がらなかった。中国側も最初からすべての条件を提示していたわけではないようだし。
 ちょっと話がおかしくなったのは、中国側の出してきた条件が明らかになったあとのことだ。その中には、例の悪名高き「一つの中国」条項が含まれていた。中国は世界に一つしかなく、台湾が中国の領土の一部であることを認めることを求めたものだが、政治ではなく文化交流のための姉妹都市協定に、こんな政治的な条項を入れるというのは正気の沙汰だとは思えないのだが、こういうのをごり押しするのが中国の文化交流、経済支援というやつである。

 本来国政とはかかわりのないはずの自治体同士の交流協定に、本来政府レベルで云々されるべき「一つの中国」条項が入ったことで、協定の締結に反対したプラハの市会議員もいた。ただ、ANOをはじめ、当時国政の政権与党だった社会民主党、市民民主党などは、「一つの中国」というのはチェコの政府でも認めていることだから構わないとして、賛成に回った。
 その結果、市議会で可決されて協定が締結されたのだが、それに収まりがつかなかったのが、すでに首都台北がプラハと姉妹都市協定を結んでいた台湾で、プラハ市に対して激しい抗議をするとともに、姉妹都市の協定の見直しをするなんてことも言っていた記憶がある。中国側も台北との協定を破棄するような要求を出したなんて話も聞いたけれども、結局どうなったのかはわからない。

 とまれ、このプラハと北京の姉妹都市協定の締結も一つの理由となって、チェコから、プラハから多くの文化団体が中国に出かけて公演をするようになった。特に演奏技術に定評のあるわりに安価に呼べるらしいチェコのオーケストラに人気があったようである。
 プラハと北京の「(中国にとって)良好な」関係に影が差したのが、昨年の地方選挙でANOがプラハを失い、海賊党などを中心とした市政府が誕生してからのことである。新しく市長になった海賊党のフジープ氏は、文化交流協定に極めて政治的な条項が入っていることを問題にし、北京側に協定の内容の見直し、具体的には「一つの中国」条項の排除を求めた。北京が、いや中国政府が、そんな要求をすんなりのむわけがなく、プラハ市側では、中国側の譲歩がなければ協定は破棄すると発言している。

 中国側は、このプラハ市の態度を外交問題にしたがっているようで、外務省に抗議を入れたという話もある。それで、外務大臣が中国のチェコ大使と会談するとかしないとかいう話もあったのだが、どうなったのだろう。中国側が譲歩するはずはないし、外務大臣がプラハを指導するというのも変な話だから、会談が行われたとしても何ももたらさなかったに違いない。
 それで、今回、夏前から問題になっているのが、中国側の報復である。オーケストラや劇団などが本拠地を離れて、海外などで客演するのは、シーズンオフの夏休みの時期が多い。今年もプラハからいくつかのオーストラやアンサンブルが中国側の招きを受けて、コンサートツアーを行うことが決まっていた。その公演が、中国側のプロモーターに対して必要な許可が下りなかったという理由で、軒並み中止になっているのである。

 現時点では、英名にプラハがついている団体だけのようだが、それでも三つ、四つの団体の公演がキャンセルされ、外交問題になりつつある。ようやく後任が決まった文化大臣と外務大臣が、中国大使館に喚問したところ、公演が中止になったのは中国側が許可を出さなかったからではなく、チェコの団体側の都合だと聞いていると主張したらしい。チェコ側では当然行くつもりで、夏の予定を立てていたわけだから、明らかな嘘である。その自分たちでも信じていない嘘をつき続けるのもまた中国の交渉のやり方である。公演が中止になった団体の代表に、「一つの中国」を認めるという書類にサインすれば許可を出すと交渉を持ちかけたなんて話もあったなあ。
 笑えるのが、プラジャーク・カルテットという演奏団体の中国公演も中止になったことで、チェコ語の「プラジャーク」には、プラハ人という意味もあるけれども、この団体の場合には、「プラハジャーク」は創設者の名字でプラハの町とは何の関係もないのである。団体の人は、あいつら「プラ」と付いている時点で、プラハだと思って禁止したんだろと笑っていた。そして、自分たちは団体の名前に誇りを持っており、その名前が理由で禁止されるなら、中国なんて行かなくていいなんてことを付け加えていた。

 チェコ国内の大勢は、プラハ市と公演の中止をくらった音楽団体を支持しているようだが、ゼマン大統領だけは違った。状況を理解していないフジープ市長のスタンドプレーだとしてプラハ市のやり方を批判したのである。ネドビェットやヤーグルなどチェコの誇る大物スポーツ選手や、モグラのクルテクなんかを中国に売り渡した商売人大統領の面目躍如である。フジープ市長のやり口にはあれこれ問題がないとは言わないけど、これまでの市長たちに比べればはるかにましだし、中国とは比べてはいけないレベルの違いがあると思うけどね。
 バビシュ首相は、社会民主党の文化大臣と外務大臣の管轄だとして、われ関せず的な態度をとっている。この政府、政府ANO部門と政府社会民主党部門に分かれていて、協力関係ができていないどころか、責任の押し付け合いをしている印象である。

 今回の件は、友好とか、経済協力の美名のもとに中国に譲歩しているとこんな困ったことになるという事例とも言えそうだ。その意味ではトランプ大統領には、頑張って中国との対決を続けてほしいものである。
2019年9月16日22時。












2019年09月15日

コソボ問題(九月十三日)



 最近、バビシュ首相の起訴不起訴、コーネフ像の移転なんかの、結論が出るまで放置しておけと言いたくなるようなものが、毎日のように繰り返されるので、うんざりして7時からのニュースを見ないことが多いのだが、最近おとなしくしているように見えたゼマン大統領がまたまたやらかしてくれた。見ないと思っていたら外遊中で、セルビアに出かけていたのだ。
 セルビア側との会談の中で、ゼマン首相は、チェコがコソボの独立を承認したのは間違いだったのではないかと述べ、今後チェコでは承認の取り消しの議論が行われるべきだと主張したらしい。セルビア側を喜ばせるための発言という面はあるにしても、大統領が政府の外交上の決定に反対するような発言をするのは大きな問題があるはずである。

 隣国のスロバキアは依然としてコソボの独立を承認していないから、この件ではEUも一体化しているわけではないようだが、それは2008年という独立宣言の時期には、まだEUの硬直化、中央集権化が進んでいなかったということだろうか。現在はEUによって、チェコ国家の独立性、唯一性が侵害されていると主張しているゼマン大統領のことだから、承認取り消しを主張することで、EUにゆさぶりをかけているのかもしれない。
 ロシアに対する経済制裁で、経済的に打撃を受けている旧東側のEU加盟国では、コソボの承認のときのように、各国で制裁に参加するかどうかを決められるのが望ましかったはずだ。それがEU全体での経済制裁となったのに、ドイツはしれっとロシアと組んで新しいパイプラインの建設にお金を出して、ロシアから天然ガスだか石油だかを輸入すると言っているのだから、不満も高まる。そんな不満を代弁しているのがゼマン大統領だと考えることもできなくはないのだが、現実はどうだろう。

 外務大臣はチェコ政府にはコソボの承認を取り消すような考えは現時点ではないと言いながら、ゼマン大統領が帰国したら直接話し合いを持ちたいというようなことを言っていた。問題は、この外務大臣が社会民主党出身であることで、この一件もゼマン大統領による社会民主党潰しの一環にも見えなくはない。大統領と外務大臣が対立しても、バビシュ首相は大統領側に立って仲介役なんてしないだろうから、今後、外務大臣の座を巡ってこの前の文化大臣のような事態が起こらないとも限らない。
 今回のゼマン大統領の発言を歴史的に解釈すると、啓蒙主義、もしくは民族覚醒の時代から続く、チェコ民族の将来をめぐる対立の表れの一つと見ることもできる。旧ユーゴスラビア内戦の中心となりEUでは戦犯国家扱いされているセルビアは当然ロシアの支援を求めた。それに対してコソボがEUの支援を求めたのも当然である。言い換えれば、セルビアとコソボの対立は、東のロシアと西のEU、特に中東欧に大きな影響力を持つドイツの対立でもあるのだ。

 第一次世界大戦以前の、チェコスロバキアがまだ独立国家として成立していなかったころ、チェコの政界に於いては、二つの相反する主張が存在した。一つは帝政ロシアを中心にスラブ民族を糾合した国の一部となることを目指す汎スラブ主義と呼ばれるもので、もう一つは、ハプスブルク帝国、かつての神聖ローマ帝国領域との結びつきを重視して、ドイツ国家の中でチェコ人国家の独立を確保するという考え方だった。ただしどちらも国家の樹立までは考えていなかったらしい。
 この二派の対立を解消したのが、マサリク大統領の登場で、第一次世界大戦とその後のロシア革命を上手く利用して、チェコ民族単独ではなかったとはいえ、チェコスロバキアという形で独立を達成したのである。その後、第二次世界大戦では実質的に西のドイツに併合され、戦後はまた西にも東にも属さない、東西の懸け橋になろうとしたものの、東のソ連に取り込まれてしまった。ソ連崩壊後は、西に、ドイツに近づいて、EUに加盟したというわけである。
 チェコ民族のドイツとロシアの間で揺れてきた歴史を考えると、ゼマン大統領は過去の遺物と見られていた汎スラブ主義を、チェコ国内に呼び起こそうとしているのである。なんていうとほめ過ぎになるかな。

 最後に付け加えておくとすれば、先日コソボで行われたサッカーの試合に際して、チェコのファンが、ドローンにセルビアの旗と「コソボはセルビアだ」と書かれた垂れ幕を付けて所持していたのをとがめられて警察に逮捕されるという事件が起こった。チェコから出かけたのか、セルビア、もしくはコソボ在住のチェコ人なのかはわからないようだが、ゼマン大統領の主張に賛同するチェコ人もいないわけではないのだ。それが考えなしの迷惑サッカーファンだとしても。
 これにゼマン大統領の発言が重なったわけだから、今度チェコで行われるコソボとの試合は、なかなか荒れたものになりそうである。スポーツに政治を、政治にスポーツを持ち込もうとする点でも、朝鮮半島と並んで、バルカンは厄介なのだけど、それをチェコ人がまねしてどうする。こういうのは、容赦なく厳罰に処すに越したことはない。
2019年9月13日23時45分。





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2019年09月06日

コウノトリの巣事件その後(九月四日)



 実業界から、政界に飛び込んで、チェコの政治に、クライアント主義に代わるクライアント=政治家という新たな潮流を生み出すのに成功したバビシュ氏に関して、最初に大きく取り上げられた疑惑が、この「コウノトリの巣」と名付けられた「農場」につぎ込まれた助成金が、詐取にあたるのではないかというものだった。

 このバビシュ氏が政界に入る前の詐欺的な経済活動に関する疑惑への対応に失敗した社会民主党のソボトカ内閣は、支持率を急速に落とし、その後の下院の総選挙で社会民主党は壊滅的は敗北を喫したのだった。その結果、バビシュ政権が誕生したのだから、「コウノトリの巣」疑惑を報道したマスコミの思惑は外れたと言ってもいいのかもしれない。マスコミと既存の政党が寄ってたかって袋叩きにしようとしたおかげで、バビシュ氏は弾圧される立場を手に入れることができたのである。
 しかし、その後、警察の捜査が行われ、警察が立件して起訴するべきだという結論を検察に送ったのは、バビシュ氏にとってはうれしいことではなかっただろう。起訴されても有罪になっても首相を辞めることはないと主張するバビシュ氏だけど、そんな厄介ごとはないほうがいいに決まっている。それが、今年の春ぐらいのことで、ようやく検察の担当者が結論を出した。

 その結論が、立件するには当たらないという警察の捜査結果を否定するものだったことが、さらなる騒ぎを呼んだ。この件に振り回されて疲れ果てた感のある社会民主党は、どんな形であれ結論が出たことを喜び、チェコでは政治家の圧力や金の力で無罪の人を起訴に持ち込んだり、有罪の人の起訴を取りやめさせることはできないと信じているというコメントを、確か党首のハマーチェク氏が残していた。バビシュ氏が起訴されなかったとしても批判はしないということなのだろう。
 他の政党も、共産党とオカムラ党を除けば、この結論にふまんたらたらなのは見え見えだが、現時点で検察の担当者を直接非難することは避けているようだ。ただ警察の決定を否定した理由、根拠を説明する責任があると主張している。その説明に不備があれば批判するということなのだろう。

 検察側でも、予想外の結論だったからか、この担当者の結論が正しいのかどうか、上司にあたる人物が確認するとか言い出した。この手続きに関してはANOが就任させた法務大臣のベネショバー氏が、理解できないと批判している。それは、担当者が結論を出す際には、検察の長官も含めた上司たちとも相談をしたうえで、出しているはずなのに、それを相談された人物が再チェックするのはおかしくないかということらしい。普通の事件であればそんなことしないのになんてことも言っていたかな。

 この事件は普通の事件ではなく、現職の首相の関わる重大な事件だから、検察側が慎重になろうとするのはよくわかるのだが、そのやり口があからさまに反ベネショバー、反バビシュだったりすると、最終的に起訴されることになったとしても手順の不備を批判されることになりかねない。すでに以前から、決定が起訴であれ、不起訴であれ、政治的な決定だと批判されるのは明らかだったから、担当者も大変だっただろう。
 ちなみに、担当者が決定とともに提出した証拠などの書類は、全部で20万ページにも上り、チェックする訳の人が期限までに読み通すのは不可能な分量らしい。チェックする人も大変である。どっちの結論を出すにしても、批判されるのは決まっているし。とまれ、現時点では有罪判決を受けた首相が刑務所で執務するという、ちょっと見てみたい状況は遠くなった。

 ただし、不起訴が決定したとしても、「コウノトリの巣」に関するバビシュ首相の疑惑は、これでお仕舞ではない。以前も紹介した「バビシュ息子誘拐事件」は、警察の話では現在スイスの警察の捜査結果待ちらしいので、今後また大事になる可能性もなくはない。それに今回知ったのだが、バビシュ氏が経営していたアグロフェルト社に、「コウノトリの巣」社に膨大な額の実態のない広告費を支払うことで、脱税したのではないかという疑惑があるらしい。

 それから、EUも「コウノトリの巣」事件に関しては独自に調査をして結論を出すと言っているので、チェコでは不起訴で終わっても、EUからクレームがつく可能性はかなり高い。その場合、チェコ側がどういう対処をしなければならないのかはよくわからない。いずれにしてもバビシュ首相の助成金をめぐる疑惑が、EU内でのチェコの立場を悪くしているのは間違いない。
 だから、反バビシュの動きもわからなくはないのだけど、問題はバビシュ後を任せられそうな、汚職と関係のない有能な政治家がほとんど存在しないことである。個人的には海賊党が政界の荒波にもまれて、本来の意味で政権担当能力を得るまでのつなぎとしてはバビシュ首相でいいんじゃないかとも思う。意外とまともな海賊党に対する不満は、まとも過ぎることで、海賊党ってアナーキーじゃなかったのと言いたくなる。このままだと既存政党の悪影響を受けてつまんない政党に堕してしまう危惧もなくはないんだよなあ。

 やっぱ、俳優のスビェラークに、ヤーラ・ツィムルマンの名前で、ツィムルマン的な思想の許に首相をやってもらうのが一番のような気がしてきた。以前は大統領で何とかなりそうだったけど、現状だと首相じゃないとどうにもならなさそうである。なんかまた迷走してしまった。
2019年9月4日22時30分。









2019年08月23日

文化大臣問題決着か(八月廿一日)



 五月の前半から、チェコの政界を揺るがしている文化大臣の問題がようやく決着しそうな見通しになってきた。揺るがしているのは、文化大臣の問題ではなくて、ゼマン大統領その人だといえばそれはその通りで、ゼマン大統領にバビシュ内閣はもとより、野党側も振り回されて、この騒ぎで得をした人など、大統領も含めて誰もいないように見える。それはともかく、前回七月初めにこの件について書いて以来の動向を簡単に、覚えている範囲で書いておく。
 7月中旬に行われたゼマン大統領と、バビシュ首相、ハマーチェク社会民主党党首の三者会談は、期待されたような即時の解決はもたらさなかった。ゼマン大統領は言を左右して社会民主党の要求を受け入れるとも受け入れないともはっきり言わなかったし、社会民主党も文化大臣交代の要求を取り下げようとはしなかった。

 この時期、バビシュ首相の指導力のなさが批判されていたというか、チェコ語で「弱い(slabý)」首相だと批判されることが多かった。この形容詞でどんなことを言いたいのかが問題で、直訳である日本語の弱いとはかなり違った使い方をする批判の言葉なのである。学校なんかだとできの悪い学生のことを、「slabý student」なんて言うし、スポーツでは本来の実力も発揮できないようなプレーに終始したときになんかに、「slabý výkon」と批判される。
 そうすると、このバビシュ首相に対する批判も、単に弱いから連想される「弱腰な」とか、「弱気な」などの言葉よりは、「無能な」「不出来な」「ふさわしくない」などの強い批判の意味が込められたものではないかと思われてくる。ただ、批判する側も、バビシュ首相を十分に追い込めなかったという意味では「slabý」なのだけど。

 その後、どういう心境の変化があったのか、ゼマン大統領は七月の末日付でスタニェク氏を解任することを決め実行した。ただ後任として候補になっていたシュマルダ氏に関しては、二人で会談などをしたにもかかわらず、任命するかどうかは夏休みが終わってから発表するとか何とか言って、プラハを離れたらしい。

 社会民主党は、かたくなにシュマルダ氏の任命にこだわり、任命されないのはバビシュ首相のゼマン大統領との交渉が足りないからだとか何とか批判し、連立を継続する条件として改めてシュマルダ氏の任命を求めていた。ただ野党が批判していたように、条件を突き付け、この日までにという期限を突き付けるところまでは強気なのだが、その期限が守られなくても、なんだかんだ理由を付けて起源を引き延ばす印象があって、社会民主党の迷走に拍車がかかっていることがうかがえた。
 そもそも、自分たちが文化大臣に就任させた人物を、自分たちの都合で解任し、新たな大臣を任命させようとしているにしては、任命されないのは首相の責任だと言い続けて、無責任な印象を与えていた。もちろんバビシュ首相の社会民主党内のもめ事なんだから自分には関係ない的な言い訳も無責任で、互いに責任を押し付け合う、チェコ語で言うところの「horké brambory(熱いジャガイモ)」を投げつけ合っている印象しか残らなかった。

 このころからだと思うが、来年度の予算に関して社会民主党の大臣たちが、予算の増額を求めて大騒ぎし始めた。要求が認められなかったら国会の予算審議で反対に回るとか言い出したのかな。ただでさえ増大した予算と赤字の大きさを批判されている中、ニュースのキャスターが財源はどうするのだと質問すると、銀行税とかデジタル税とかよその国で導入して成功した(ように現時点では見える)新税を導入すれば問題ないとか答えていた。来年に間に合うのかとは、キャスターも質問しなかったけど、バビシュ首相を追い詰めるための要求にしか聞こえなかった。

 そして13日だったかな。ゼマン大統領本人ではなく、広報官のオフチャーチェク氏がツイッターかなんかで、大統領がシュマルダ氏を任命しないことを発表した。発表のしかたが間違っていると思うのは、時代遅れの人間だからだろうか。とまれこれで社会民主党がまた大騒ぎをすることになったのだが、当時はバビシュ首相もハマーチェク氏も休暇中で、休暇から戻ってから対応するとか何とか発表していた。
 社会民主党内では、シュマルダ氏の任命にこだわるべきだという声も高く、本人もこの時点では任命を辞退する気はないと主張していたような気がする。もちろん社会民主党内からは、政権を離れて下野したほうがいいという主張も再び聞こえ始めていた。大臣たちの予算に対する要求も強くなっていたので、これは社会民主党は腹くくったかなと期待したのだが……。

 風向きが変わったのはいつだっただろうか。どこかの新聞が、社会民主党が連立を解消しても、ANOの単独政権で、下院で信任を得られそうだという記事を出した。ANOと共産党が基本票だが、それに市民民主党を追放されたクラウス氏のグループ、オカムラ党を追放されたオストラバのグループ、それに文化大臣をおろされて面目をつぶされたスタニェク氏の票を合わせれば、バビシュ内閣は下院で101票を確保できるというのだ。
 この記事の真偽は知らないが、翌日辺りにバビシュ氏が、開き直ったような発言を始めた。シュマルダ氏は、ゼマン大統領の言うように文化大臣にはふさわしくないから再度任命を要求はしないということと、社会民主党は連立を継続する気があるのかないのかはっきりさせるべきだということを主張した。連立を続けたいなら文化大臣の件でも、予算の件でも協力しろということなのだろう。これまで我慢していたうっぷんを晴らすかのような、豹変ぶりだった。

 これで慌てたのが社会民主党で、シュマルダ氏がバビシュ政権の大臣にはなりたくないと言い出し、連立を解消することを主張し始めた。そして、人選が楽になったハマーチェク氏は、連立解消に踏み切ることはできず、元外務大臣のザオラーレク氏を文化大臣に擁立することを発表した。この人選に関してはバビシュ首相だけでなく、ゼマン大統領も反対しないということで、残念ながらバビシュ内閣が倒れて秋に総選挙という楽しみはなくなってしまった。
 ザオラーレク氏は、ソボトカ氏の後を受けて、2017年の選挙で社会民主党の看板を務め、反バビシュ、反ANOを掲げて惨敗した後は、責任を取ってか党の要職からは離れていた。ANOとの連立交渉に際しても一貫して反対の立場に立っていたのだが、党のあまりの迷走ぶりに火中の栗を拾う決断をしたということだろうか。

 これでこの文化大臣を巡る騒ぎが終了ということになるのか、社会民主党が前言を撤回して下やということになるのかわからないが、ゼマン大統領の社会民主党解体はだけは着実に進んでいる。ゼマン大統領に太刀打ちできそうな人材がいないのも社会民主党が迷走を続ける理由になっているのだろう。
2019年8月21日24時。









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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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