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2019年03月01日

ボサーク師匠(二月廿七日)



 気が付けば二月もすでに廿七日、明後日はもう三月である。いやまったく時間が経つのが早すぎる。このブログも体感時間の加速に一役買っているのかもしれない。毎日毎日、いやほぼ毎日多少の増減はあっても一定量の文章を書いていると今日が何月何日なのかの意識がはっきりしなくなる。これは、名目上の日付と実際に書いている日がずれているというこちらの書き方もよくないのだろうけど。
 何でこんなことを書き始めたかというと、たしか初年度のかなりはじめのほうで、我がチェコ語における目標であるカンボジアの国王についての記事を書いて、そのうちにもう一人の目標チェコテレビのスポーツアナウンサーのヤロミール・ボサークについても書くつもりだったのだけど、そのうちにと思っているうちに三年もたってしまったことに気づいたからである。

 ボサーク師匠はチェコテレビではサッカーの中継を担当することが多いのだが、オリンピックの際には特設スタジオに選手を向かえてインタビューをする番組を担当することもある。最近はゴルフに手を出して、ゴルフの中継も担当するようになっている。考えてみれば、これがボサーク師匠を、以前ほど師匠と感じられなくなっている原因で、ここまで記事にするのが遅れた理由かもしれない。ゴルフ大嫌いだし、環境団体には、自然破壊云々言うならゴルフ廃止運動やれよなんてことを思ってしまうしさ。
 ボサーク師匠を師匠とした理由は、そのチェコ語における多彩な表現にある。自分自身でもこのぐらい多彩で、ユニークで、しかも笑いを取れるようなチェコ語の表現を自由自在に使えるようになりたいというのが目標だった。カンボジアの国王陛下は、そのチェコ語の言葉遣いだけでなく音の響きの美しさに感動してのことだったから、昔は外国人として正確で美しいチェコ語ではなしつつ、チェコ人以上に多彩表現を使えるようになりたいと思って勉強していたのだ。

 その目標が達成できたとは思えないが、師匠が中継の最初の言葉として使う「Zdravím vám všem fanynkám a fanouškům fotbale z Kavčích hor(女性も男性もすべてのサッカーファンの皆様にカフチー・ホリからご挨拶申し上げます)」なんて表現をもじって、人前で日本について話すときに「Zdravím vám všem fanynkám a fanouškům Japonska z Olomouce(女性も男性もすべての日本好きの皆様にオロモウツからご挨拶申し上げます)」なんてことを言えたこともある。わかってもらえたかどうかはわからないけど。
 そのボサーク師匠ならではの多彩な表現を駆使したコメントを集めたサイトがあったはずなので、これを書くのにどんな発言があったのか確認しようとしたのだけど、姿を消していた。移転したのか削除されたのか、ちょっと残念である。冒頭の挨拶以外に、覚えている師匠のよく使う表現って「アイ、アイ、アイ」ぐらいしかないんだよなあ。これはチェコ代表が負けが決まるような失点をした時によく師匠の口から出てくる言葉である。「アイヤイヤイ」と聞こえるかもしれない。日本の中継アナウンサーはこんなとき何て言うんだろう。

 ボサーク師匠も含めたチェコテレビのアナウンサー達は、民放の連中とは違って、中継の際に文法的に正しいチェコ語を使って、小汚いプラハ方言(一般チェコ語とも言うが言いたくない)や汚い言葉を使うことはないのだが、普段の生活ではそうではないことを知らしめたのが、以前書いたハーフタイムの雑談で「vole」を連発していたのが放送されてしまった事件だった。つまり、状況に応じて完全に言葉遣いを変えているのである。これは多かれ少なかれみんなやっていることではあるが、外国人にはなかなか難しいところでもある。

 先日、最近地上波で放送を始めたチェコのポータルサイトのセズナムのテレビ局が放送しているサッカー番組に、ボサーク師匠が登場して驚いた。セズナムTVではサッカーの専門家チームにボサークを迎え入れたなんてことも言っていたから、完全に移籍したのだろうと思ったら、そんなこともなく、以後もときどきチェコテレビでサッカーの中継を担当している。セズナムでは中継の担当はしないでハーフタイムと試合後のスタジオで解説をする役だったのかなあ。
 チェコテレビのサッカーの中継といえばボサーク師匠だったのだけど、以後は変わっていくのかもしれない。チェコテレビのアイスホッケー中継の顔ザールバも一時期民放のノバに移籍していたことがあるというから、ボサーク師匠のセズナム移籍も一時的なものであることを願っておこう。そして師匠の印象的なコメントを聞いたらメモに残しておこう。これまで何度も考えながら実行したことのない決意を新たにするのであった。
 酒飲んで書くと迷走するなあ。
2019年2月28日23時45分。




チェコアニメ傑作選II [DVD]














2019年02月15日

TVバランドフ(二月十三日)



 チェコに来た2000年前後は、普通のテレビで見られる民放というとノバとプリマしかなかった。その後地上波のデジタル化が実施された際に最初に参入したのがTVバランドフだった。映画の制作スタジオとして名高いバランドフの名前を冠したテレビ局だというので、ものすごく期待したものの実際はかつてのさえなかった頃の、ノバの後塵を拝してばかりいた頃のプリマを思わせるような番組ばかりでがっかりしたのを覚えている。
 プリマは、クール、ズーム、クリミなど、個性のある別チャンネルを開設して、それなりに成功しているようだが、バランドフも、キノ、ニュース、クリミ(以前は別の名前だった)と、本家と合わせて4つのチャンネルを展開している。ただ、多チャンネルの活用でプリマに後れを取っている感のあるノバ以上に迷走している。その迷走が最近さらにひどくなったというのが今日のお話である。

 TVバランドフを率いているのはヤロミール・ソウクプ氏である。この人物が有名になったのは、2018年の大統領選挙の際に、勝者のゼマン大統領の選挙事務所にいて、大統領から感謝の言葉を捧げられたことによる。ということは、すでにこの時点で、政治に関する番組をバランドフで放送していたということになるのだが、思い返してみれば、大統領選挙の前から政治家が出て討論する番組を放映していた。適当にチャンネルを変えながら番組のチェックをしている際に、オカムラ氏の顔があると大抵はバランドフだったものだ。
 ソウクプ氏は社長自ら番組の司会を務めて政治家同士の討論や、政治家とのインタビュー番組を放送しているのだが、最近その顔を目にする機会が増えているような気がする。ということで確認してみたところとんでもないことになっていた。

 午後8時からの時間帯というのは、テレビ局によっては、ちょっとずらして8時15分とか、8時30分からのこともあるけど、その日一番視聴率を稼げそうな番組を持ってくるものである。一般向けの連続ドラマも、映画も、年齢制限のつくものでなければ、大抵最初の放映は午後8時からの時間帯になる。
 それなのに、今このTVバランドフの午後8時からの番組は、毎日ニュースなのである。普通のニュースであれば他のテレビ局の7時台のニュースに間に合わなかった人たちのためと考えられなくもないのだが、その名も「Moje zprávy」。「私のニュース」と訳しておけばいいのだろうけれども、この「私」に込められているのは、恐らく私の主観的なニュースという意味であろう。ちらっと見た限りでは、昔俳優のクラウスがトーク番組の冒頭でしょうもないニュースを紹介していたのと同じような印象を受けて、これをニュースとして見ている人はいるのだろうかと思った。以前はメインのニュースを「Naše zprávy」と題して放送していたから、一人称複数から単数になって、主観性が強くなっただけだと考えておこう。
 それだけでなく、今週の番組表によると、月曜日と火曜日には「ヤロミール・ソウクプのインスティンクト」、水曜日は「ヤロミール・ソウクプによる一週間」、木曜日は「大統領との一週間」というソウクプ氏が司会を勤める番組が、9時、10時台に放送されている。他にも、政治家を一人呼んでインタビューする番組や、二人呼んで討論させる番組、一般の観客を呼んで政治家と議論させる番組などがこれまでに放送されてきたけれども、すべてソウクプ氏が司会を勤めていた。社長自ら司会を務めることで経費削減というわけでもあるまい。ソウクプ氏が目立つためのテレビ局になってしまっている感がある。こんな番組構成ではたださえ多いとは思えない視聴者の数が減って広告収入も減ることになりそうである。

 一説によると、テレビラジオ放送を管轄する役所が「私のニュース」の報道姿勢を、客観性に欠けるとして問題にしようとしているとか、ソウクプ氏の金融グループに出資している中国資本が、バランドフの過度の政治家に危機感を感じて資金を引き上げようとしているなんて話もある。ソウクプ氏とTVバランドフは、ゼマン大統領の再選に一角ならぬ貢献をしたと感謝されていたが、危機に陥った場合、大統領が救いの手を伸ばすことはあるだろうか。

 個人的には、特に見るべき番組もなく、消滅しても全く困らないテレビ局なのだが、共産主義時代のテレビドラマを好んでいる人はなくなったら困ると感じているだろうか。ちなみにソウクプ氏が社長になったのが2012年ごろだというから、おかしくなり始めはその辺にあったのかもしれない。最初の頃は期待はずれだとは思ったけれども、ひどいとまでは思わなかったし。
2019年2月14日23時40分。






タグ:バランドフ

2019年02月10日

バーツラフ・ボルリーチェク2(二月八日)



 ボルリーチェクの作品のうち、代表作の一つである代表作の一つである「スパイW4Cの最期」については、黒田龍之助師が著書『チェコ語の隙間』で取り上げて詳しく書かれているので、そちらを読んでもらったほうがいいだろう。だだ気になることを一つ挙げておけば、犬の名前がパイダになっていること。この名前って「アラベラ」でも使われていた気がするのだけど、チェコでよく使われる犬の名前なのだろうか。現実では一度も聞いたことないのだけど。
 この人の作品は、とにかく設定からして、こんなのでいいのかといいたくなるようなぶっ飛んだものが多い。ストーリーも予想もつかない方向に転がっていくので、集中して見ていてもどうしてこんなことになったのか、理解できないこともある。ただ、コメディなので、しかもとんでもないコメディなので、ここかしこで笑ってしまって、いや、唖然としてしまって、ストーリーなんてささいなものは気にならなくなる。もしかしたら、普通の映画も撮っているのかもしれないけど、繰り返しテレビで放送される映画は、この手の作品ばかりなのである。

 いくつか見たことのある作品を紹介しておこう。最初は白黒の「ジェシーを殺したがるのは誰だ」である。この映画、正直、ストーリーはほとんど覚えていない。台詞が漫画の吹き出しのようなものに書かれて表現される衝撃が大きすぎて……。見たはずなのに、ちゃんと見たはずなのに、明確に覚えているのは、まつげの長い女性の顔のアップの脇に吹き出しが飛び出して、その中に「!」がいくつか並んでいる画面だけである。もう一度見直せば、これはこの映画だったかという場面が多数出てくるはずだけど。
 この作品のストーリーの印象があいまいなものになっているのは、オルドジフ・リプスキーの怪作「殺人は四つで十分よね、あなた」と印象が重なるところがあるからかもしれない。こちらは、場面が進んで決めのシーンになると、突然効果音とともに画面がアメコミ風の絵に変わるというもので、高校の先生が主役だったような気がしないでもない。とまれ、ボルリーチェクとリプスキーの作品にはお互いに影響を与え合っているような関連性を感じてしまう。

 二つ目は、「旦那! 未亡人なんですかい」である。リプスキーの作品も含めて、この手のナンセンスコメディというか、滅茶苦茶コメディというかの中では一番最初に見たし。見た回数も一番多いので、思い入れもあるし、ストーリーの把握も一番進んでいる。ヨーロッパのとある王国で、理想主義にかぶれた王様が軍隊の廃止を決めたところ、軍隊が反発して国王暗殺を謀るというのがメインのストーリー。主人公の占星術師がその暗殺を防ぐんだけど、そこまでの展開がとんでもなく、とても簡潔に説明できるようなものではない。
 腕を切り落とされた貴族の血が青かったり、いとも簡単に人間の脳移植手術ができたり、その際に新たな人体を牛肉で作っていたり、見所というか唖然としどころはたくさんある。でも、この映画で一番の部分を上げるとすれば、イバ・ヤンジュロバーの演技だろう。この人、癖のある、一風変わった女性を演じるのがうまいのだけど、この映画でも、舞台女優の役と、その女優の顔をつけた牛肉から作られた人造人間に人を切り刻むのを楽しむ女性の脳を移植した存在を見事に演じ分けている。神経の通りが悪いとかで、ふとももに安全ピン刺すシーンとかぎょっとしてしまった。

 三つ目は「ほうれん草はどう?」で、こちらは放射線を照射することで生物を拡大、縮小したり、若返りさせたり年をとらせたりする機械が登場する。ただその機械には欠点があって、ほうれん草を食べた後に照射を受けると効果が増大してしまって、何年かの若返りのつもりが赤ん坊になってしまったりする。主人公はこの機械を開発した研究序で下っ端として働いている二人の男で、技術の横流しにも関与していて、最後は勝手に機械を使って小さくなってしまって、犬に食べられてしまうんだったかな。
 不条理コメディーとかナンセンスコメディーとか言いたくなるような作品でありながら、十分以上に娯楽作品でもあるところが、ボルリーチェクのすごいところである。リプスキーの作品もそうだけど、共産主義支配の馬鹿馬鹿しさを馬鹿馬鹿しさで乗り越えようとしたんじゃないかと考えてしまう。世界的に評価の高い「ノバー・ブルナ」の作品よりも、ボルリーチェクやリプスキーの超B級コメディーのほうが、はるかにチェコ的で面白い映画だと評価している。
2019年2月9日23時。






チェコ語の隙間―東欧のいろんなことばの話










タグ:チェコ映画

2019年02月09日

バーツラフ・ボルリーチェク(Václav Vorlíček)1(二月七日)



 チェコの誇る映画監督の一人、バーツラフ・ボルリーチェクが亡くなった。1930年6月の生まれだというから享年88歳。フォルマンといい、トシースカといい、チェコの映画界の伝説と言うべき人たちの死が続く。

 日本ではチェコの映画監督というと、「アマデウス」のミロシュ・フォルマン、「ひなぎく」のビェラ・ヒティロバー、「つながれたヒバリ」のイジー・メンツルあたりが特に有名なのだけど、チェコでの一般の人たちの間での人気というと、作品がテレビで放送される回数から考えても、このバーツラフ・ボルリーチェクと「レモネードのヨエ」のオルドジフ・リプスキーのほうが上なんじゃないかと思われる。
 特に、ボルリーチェクは大人向けの映画だけではなく、子供向けの(とはいっても大人も見ているのだけど)童話映画の傑作もたくさん撮っているから、チェコの人でボルリーチェクの映画を見たことがないという人は、まずいないと言っていい。その筆頭が、すでにこのブログでも触れたシンデレラ物の「ポペルカ」である。撮影の都合で珍しく冬を舞台にした童話映画になったため、毎年クリスマスの時期になると、くじ引きでどこかのテレビ局が放送している。最近はイースターや夏休みなんかにも放送するから目にする機会は多い。

 それから、「ポペルカ」同様リブシェ・シャフラーンコバーを主役に据えたチェコの古典的な童話映画の「王子と宵の明星(Princ a večernice)」、イバラ姫(Šípková Růženka)を下敷きにした「いかにお姫様の目を覚ますか(jak se budí princezny)」なんかも、たまにテレビで見かける。子供向けの連続テレビドラマもいくつかあるが、最高傑作は何と言っても「アラベラ(Arabela)」であろう。童話の登場人物たちが生きている童話の世界と、現実の世界をつなぎ合わせて、行ったり来たりしながらドタバタ劇を引き起こすという作品のコンセプトは、現在から見ても古さを感じさせない。
 ちなみにアラベラは、童話の世界のお姫さまの名前で、演じたのはスロバキア出身の女優だったけど、チェコ語があれだったらしく声はリブシェ・シャフラーンコバーあてている。これもドイツの出資で撮影されたものなので、最初から「吹き替え」は必須だったのかな。他は役者本人が声を当てているけどさ。革命後に撮影された続編では、シャフラーンコバーの妹のミロスラバが演じているのだが、最初の女優にギャラを吹っ掛けられて、ドイツの資金でも賄いきれなかったかららしい。

 この童話、昔話的な世界と現実世界を結びつけるというのは他の作品でも試みられていて、もう少し年上の子供たち向けの「箒に乗った女の子(Dívka na koštěti)」では、地獄から『魔術大全』とでもいうべき大部の本を盗んで人間世界に逃げ込んできた魔女の女の子が引き起こすドタバタが描かれる。確か何の変哲もない井戸の底が地獄につながっていたと記憶するのだけど、この辺りもボルリーチェクの作品らしくていいのである。この作品は撮影技術の面でもなかなか見るものがあるらしいけど、それについて語るのは我が任にあらずである。

 プラハのブルタバ川の川底のカッパの世界と現実のプラハを結び付けてしまったのが、「いかにムラーチェク博士を溺れさせるか(Jak utopit dr. Mráčka)」で、この作品にもリブシェ・シャフラーンコバーが主役で登場する。人間を魚にして水の中でも生きられるようにする薬とか、現実側でもちょっとマッドなぶっ飛んだ設定が出てくるけど、カッパの側でも国境を越えた国際会議とか妙に現実側に引きずられた設定が出てきて楽しい。悪いおっさんを演じさせたら最高のミロシュ・コペツキーの存在感も大きいし。日本の生け花の師匠の魂が出てくるのもこの映画だったかな。

 この二つの若者向けの作品、上に書いた簡単な説明からもわかるように、コメディーである。中心となるストーリーもないわけではないけど、それよりもあちこちに仕掛けられた笑えるシーンのほうが頭に残っていて、どう始まってどう終わったのかあまり印象に残っていない。だから、たまにテレビで見かけてこんな話だったっけと驚くこともある。そのくせ妙に細かい、本筋とかかわらないところを覚えていたりもするのである。

 ビロード革命後も、ドイツからの依頼で童話映画を何作か撮影していて、ボルリーチェクの作品、特に子供向けの童話異映画はチェコだけでなくドイツでも高く評価されているようである。他の国であまり知られていないのは、子供向けの童話映画となるとアニメにしてしまうからだろうか。それに一般向けの作品はあまりにチェコ的な滅茶苦茶コメディーで、吹き替えや字幕の作成が大変そうだしなあ。というところで一般向けの作品についてはまた明日。
2019年2月8日21時30分。






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タグ:チェコ映画

2018年06月25日

スポーツイベント目白押し(六月廿四日)



 サッカーのワールドカップの裏側で、昨日毎年恒例になりつつあるオロモウツ・ハーフマラソンが行なわれた。今年で九回目かな。二年に一回は、サッカーのワールドカップか、ヨーロッパ選手権と日程が重なるため、テレビ中継が中途半端なものになる。去年、一昨年とスタートの様子だけ見て、沿道の観客をやりに近くの後援まで足を伸ばしたのだが、今年はなんとなく面倒くさくなって、急に気温が下がって肌寒くなったのも原因だけど、外には出なかった。前々日ぐらいまで30度近い気温で突然十度近く気温が落ちたという事実がなければ、マラソンを走るのにも、観戦するのにもいい気候だった。
 それで、テレビをつけてチャンネルを合わせていたはずなのだけど、他のことをしていたのか、レースを見た記憶がない。気が付いたら、画面がワールドカップのサッカーに切り替わっていて、ドイツのペナルティエリア内での明らかなファウルを審判が流し、ビデオ審判も介入しなかったことで、これでは何のためのビデオなのか理解できないと、チェコテレビのボサーク師匠がわめいていた。こういう大きな大会になると、ドイツに簡単に早期敗退されては困るのだろう。これで見る気をなくして、書き上げていなかった昨日の分の記事を書き始めた。テレビはつけっぱなしだったから、ドイツが勝ったのはわかったけれども、どうでもいいことである。

 今日は午前中にテレビをつけてチェコテレビのスポーツにチャンネルを合わせると、ビーチバレーをやっていた。オストラバのビートコビツェの巨大コンビナートの跡地でワールドカップか何かの大会が行なわれているようだ。砂浜を会場にするのではなく、砂のないところにわざわざ砂を持ち込んでコートを作るこの手のスポーツには違和感しかないので、全く関心はないのだが、つけたテレビをすぐ消すのもなんだし、また放置して別なことをしていた。ビーチバレーはまだしも、ビーチサッカーとかビーチハンドボールとかになると、なんじゃそりゃとしか言いようがない。
 そうしたら、いつの間にか自転車のロードレースが始まっていた。チェコとスロバキアが共同で開催しているチェコ選手権とスロバキア選手権の合同のレースだった。気が付いたらスロバキアのスーパースター、ペテル・サガンが独走していた。去年、一昨年は兄のユライが弟の支援もあってスロバキア選手権を獲得しているけれども、今年は弟のペテルが六回目の優勝を目指しているということだろうか。

 昼食の準備を終えてテレビの前に戻ってきたら、画面は馬術に変わっていた。オロモウツで何か知らないけれども大きな大会が行なわれているらしい。これも興味はないけれども、二時に近くなったらサッカーが始まるだろうと思って放置していたら、いつまでたっても始まらない。番組表で確認したら、サッカーはチェコテレビ2で放送されることになっていた。馬術よりはサッカーなので、チャンネルを変える。見るともなしに見ていたら前半だけで大差がついてしまったので、ハーフタイムにスポーツチャンネルに変える。自転車のロードレースの中継に戻っていたのである。

 相変わらずサガンが独走し、追走集団の中にクロイツィグルとシュティバルがいた。他はチェコのチームのアウトルの選手が大量にいるのが目立った。最近までボラにいたバールタも現在はこのチームで走っているようである。ユライ・サガンもここにいたかな。あとはシクロクロスが本業の選手がこの集団で頑張っていた。シュティバルのように将来はロードレースに転向するのだろうか。
 結局、スロバキア選手権は、ペテルが独走で優勝。二位にユライが入って、サガン兄弟でこれで7年か8年連続の優勝らしい。チェコ側は、ジロを走ったあと、ツールドスイスでリタイアしたクロイツィグルが途中で棄権し、一時は30秒ほどリードして独走していたシュティバルも失速してアウトルチームのチェルニーがタイムトライアルに続いて優勝した。二位、三位も同じチームの選手が入っている。

 この結果を確認してチェコテレビ2にチャンネルを変える。しばらくするとワールドカップの日本代表の試合が始まった。いやあ、前評判ってのは当てにならないねえ。最近チェコ代表の調子が上がらないので、サッカーの代表と名のつく試合を見て面白いと思ったことがないのだけど、久々に楽しませてもらった。日本代表の初戦は見ていないので、この試合が今年のワールドカップで最初の最初から最後まで見た試合となった。その後、夜のコロンビアの試合を見て、日本代表、よくもまあこんな相手に勝てたなあと思ってしまった。次のポーランドとの試合も楽しませてもらえるかな。

 かくて今週末もまた、テレビの前で無駄に時間を過ごしてしまった。チェコ語の勉強であるって、自転車のロードレースの解説者のチェコ語が聞き取りにくいのと、話がわかりにくいのとで辛かった。久々の日記っぽい文章である。内容は皆無だけど。
2018年6月24日23時25分













2018年04月19日

ミロシュ・フォルマン死す(四月十六日)



 チェコ出身の世界的映画監督のミロシュ・フォルマンの訃報が入ってきたのは、プラハにいた土曜日だっただろうか。最近、ユライ・ヘルツも亡くなったはずで、チェコの映画関係者の死が相次いでいるような印象がある。
 ここ数年のことだと思うのだが、チェコの映画やテレビの歴史において重要な人物が、70歳とか、75歳とか切りのいい、一の位が0か5で終わる年齢に達したときに、チェコテレビではそれを祝うという名目で、その映画監督や、俳優のかかわる映画やテレビドラマを集中して放送する。それで驚かされるのが、意外なまでの高齢である。
 普段、昔の作品の再放送の再放送で目にしている若々しい印象は、テレビのトーク番組なんかで最近の姿を見てもあまり変わらない。テレビに出てくるときには、若く元気に見えるようにしているというのもあるのだろうけど、表示される年齢に驚かされることが多い。フォルマンも確か去年か一昨年かに、85歳のお祝いをかねていくつもの作品が放送されたのを覚えている。



アマデウス ディレクターズカット [Blu-ray]



 フォルマン作品で、一番有名なのはもちろん「アマデウス」なのだろうけど、これを日本で見たかどうかの記憶があいまいである。映画館に映画を見に行くような人間ではないので、見ていたとしてもテレビが生活の一部であった高校時代の何とか洋画劇場でのことだと思うのだが、高校時代は決まった番組以外は見ない生活を送っていたから、わざわざ吹き替えの外国映画を見たとも思えないのである。仮に「アマデウス」を高校時代に見た可能性があるとすれば、森雅裕の『モーツァルトは子守唄を歌わない』と関係しているからという理由なのだけど、高校時代の自分がそこまでの森雅裕ファンであったかどうかにも自信が持てない。映画の公開時期的に中学時代の可能性もあるのかなあ。それだと見た可能性は高くなるけど……。
 それはともかく、高校時代は、馬鹿者だったので外国映画は字幕付きで見るほうがいいと信じていたのである。今では、字幕つきの映画なんて、字幕を読むのが追いつかないので、とてもじゃないけど見られない。日本映画のチェコ語字幕つきも字幕と音声を同時にとなると辛いことになる。チェコの外国映画の吹き替えは、共産主義時代の昔からレベルが高いことで定評があるから、違和感はほとんどない。最近のものには台詞の翻訳がおかしいものもあるらしいけれども、古い時代の吹き替え作品の完成度は高いのである。



カッコーの巣の上で [DVD]



 「アマデウス」以外のアメリカのフォルマン作品は、自信を持って日本では見ていないと言える。「カッコーの巣の上で」「ヘアー」なんかは題名は聞いたことがあって、チェコ語の勉強を始めてからチェコ出身のフォルマンの作品だということは知ったけれども、英語で撮影された映画を見てもチェコ語の勉強には役にたないのであえて見ることもなかった。そもそも「アマデウス」の存在を知ったときに、フォルマンがチェコスロバキアから亡命した人物だということを知っていたのだろうか。
 だから、「アマデウス」以外に、日本でフォルマン作品を見ているとすれば、亡命以前のチェコ語の作品ということになる。ただ、日本のチェコ大使館が在日チェコ人、チェコ語学習者向けに開催していた映画の上映会には時間の都合がつく限り参加していたのだが、当時のチェコ語能力の低さから内容がほとんど理解できなかったこともあって、何を見たか覚えていないのである。



火事だよ!カワイコちゃん [DVD]



 見たとすれば「黒のペトル(Černý Petr)」「ブロンドの恋(Lásky jedné plavovlásky )」「火事だよ! カワイ子ちゃん(Hoří, má panenko)」の中だと、邦題を何とかしてくれといいたくなる最後の作品だと思うのだけど……。チェコ語のサマースクルーで何回か見て、これも次第に話が理解できるようになったのは覚えている。一回しか見たことのない映画なら、だいたいいつどこで見たか覚えているのだが、繰り返し繰り返し見てしまうと、最初に見たのがいつだったのか記憶があいまいになってしまう。
 よく考えたら、フォルマンの映画をちゃんと見たのは「アマデウス」と「火事だよ! カワイ子ちゃん」の二作品だけなのだ。なんだか申し訳ない気がするので、「黒のペトル」と「ブロンドの恋」は一度最後まで見ておこうかなあ。チェコ語の勉強に力を入れなくなってから、集中してテレビを見る時間も映画やドラマを見る時間もほとんどなくなってしまった。

 ちなみに、ちらっと見た、もしくは予告編だけ見た最近の、と言っても数年前のことだと思うが、子供向けの童話映画に、フォルマンが端役で登場して驚いたのは覚えている。息子二人も兄弟で子役として活躍していたんじゃなかったかな。たしか、一部の人たちに熱狂的な人気を誇る「ホモルカ」三部作に登場していたような気がする。
2018年4月16日24時。









2018年03月14日

チェスキー・レフ2018(三月十一日)



 去年もこのチェコのアカデミー賞とでもいうべき映画賞に関して、報告した記憶があるので、今年も一応記事を書いておく。授賞式が行なわれたのは昨日の十日のことだけど、テレビ中継をちゃんと見ていなかったこともあって、一日遅れである。以前はカルロビ・バリの映画祭の最終日とか、このチェコのライオン映画賞とか熱心に見ていたのだけど、年々マンネリ感が強くなってきて、最近はほかのことをしながら、気になるところだけを見るという不真面目な視聴者を続けている。
 去年は、2016年に制作されたけれども、公開されたのは2017年になってからという「マサリク」がノミネートのときから注目を集め、受賞した数も一番多かったのだが、今年の注目は、傑作「オベツナー・シュコラ(小学校)」の前日譚と言われる「ポ・ストルニシュティ・ボス(シュトルニシュテを裸足で)」だった。ズデニェクとヤンのスビェラーク親子の作品は、どの作品も一定以上のレベルを保ってハズレはないのだけど、最近はちょっとあざとさを感じさせることがあって、昔の「オベツナー・シュコラ」が一番のお気に入りであり続けている。今年も映画ファンの選ぶ賞を獲得していたのはさすがスビェラークだけどね。

 今回の授賞式では、そんなスビェラークの作品よりも高い評価を得た作品があった。それが、こちらも常連というべきボフダン・スラーマ監督の「バーバ・ズ・レドゥ(氷の婆)」である。ノミネートの時点で一番多くのカテゴリーにノミネートされていて、今年の表彰の主役になるのはわかりきっていた。ただ、題名も、寒中水泳をする年配の女性が主人公だという内容もあまり心惹かれるものではないのだけど、この賞では、単なるエンターテイメントよりも、ある種のテーマ性を持ったいわば文芸的な作品のほうが、高く評価される傾向にある。だから、表彰と興行成績が一致しないことが多いのである。チェコの映画業界は、かなりの部分を政府からの補助金やテレビ局からの資金で補っているから、そこまで興行成績、観客の人気を気にする必要はないと言う面もあるし。
 問題は、今日放送されるらしい「バーバ・ズ・レドゥ」を見るかどうかである。以前はチェコ語の勉強もかねて熱心に映画やドラマを見ていたものだが、最近は最初から最後まで見続けていられないことが多い。「トルハーク」のような、何度見ても見始めたらついつい最後まで見てしまう例外を除くと、途中で見ていられなくなることが多い。よく考えてみたら、日本にいたときから特に映画好きというわけでもなかったのだから、最初から最後まで熱心に見ていたのが例外だったのだ。

 さて、もう一作注目していた作品があったのだけど、一つも受賞できなかったようである。共産主義政権の成立直後に国家に対する裏切りの罪で裁判にかけられ処刑されたミラダ・ホラーコバーを描いた「ミラダ」という作品は、チェコ人の政治好きと、共産党の政治犯罪を描いた作品であることを考えると、去年の「マサリク」同様、高く評価されるかと予想したのだが、「アンデェル・パーニェ2」と同様に一部門も受賞できずに終わった。主役のミラダを演じたのが、チェコの女優ではなくて、確かイスラエルの女優だったとか話題には事欠かなかったのだけど。
 共産党政権による政治裁判の犠牲者の象徴として取り上げられることの多いミラダ・ホラーコバー氏の名前は、マサリク大統領ほどではないが、各地で通りの名前に使われている。プラハのミラダ・ホラーコバー通りは、確かサッカーのスパルタ・プラハの本拠地のあるレトナーにあるんじゃなかったかな。

 こういう記事を書くと、チェコ人は映画好きで、ハリウッドの映画よりも自国の芸術的な映画を優先して見ているような印象を与えてしまうかもしれないが、チェコ国内の興行成績でいえばおそらくチェコの国産映画でハリウッドの大作に勝てるものは少ないはずである。地方の小さな映画館だと、チェコ映画の上映をしようとしても、最低の観客数を満たさず上映中止で払い戻しなんてこともあるようだし。
 アメリカ映画や日本映画は、テレビでチェコ語の吹き替え版で勉強のためであっても見る気にはならないけれども、チェコの映画は時間があるときだった見ようかなと思うこともあるから、チェコ映画のファンではあるのだ。非常に中途半端ではあるけど。
2018年3月11日17時。








2018年01月03日

ボホウシュ、もしくは大晦日のチェコテレビ(十二月卅一日)



 早いもので今日で2017年も終わりである。去年がどうだったかは覚えていないが、今年はちゃんと大晦日の夜に、お調子ものどもが無駄金をはたいて購入した必要以上に強烈な花火を打ち上げて騒音公害を撒き散らしているのにいらだちながら書いている。チェコでも近年は規制が厳しくなったようだが、禁止されている火薬量の多い中国製の花火も出回っているようで、毎年酔っ払って打ち上げに失敗した挙句に救急車で運ばれるという悲劇が起こっている。
 チェコでは禁止されていないものでも、隣接するドイツでは禁止されている、正確にはドイツの法律を満たさないような花火もあるようで、毎年年末になると、チェコからの密輸が頻発するため警察が国境に検問を設置することが多いらしい。ドイツ人も日本で思われているほど規律を守るわけでもないのである。それから、チェコで許可されているものがドイツで禁止されているのは、花火の火薬を、自家製の爆弾を作るために利用されれないようにだという話もある。
 規定を設けて、ヨーロッパ中のブロイラーの鶏のケージの最低限の広さを統一する暇があったら、花火の販売に関するヨーロッパ統一の基準を設けてた方がはるかにましだと思うのだけどねえ。EUとはいえ、政治家や官僚のやることはどこかピントがあっていないのである。

 思い返してみれば、去年は年末に体調を崩して、元日から始めたプロジェクトを一年完走することができなかったのだ。だから二年目も毎日書くことにしたわけだし。あれ、ということは大晦日の記事は書いていないということになるのか。それに、今年の初めも何日か休んだから、今日の記事を書いて一年連続ということにはならないのか。
 一年連続で書き通せたからといってそこでおしまいにする気はないけれども、休みを入れるかなあ。毎日書くのが習慣になったところはあるからこのまま惰性で行けるところまで行くかなあ。その辺は実現してから考えよう。始めたときには自分の飽きっぽさを考えたらこんなに続けられるとは思えなかったから、それなりの感慨はある。

 それはともかく、大晦日のテレビの話である。クリスマス前から続く童話映画の洪水に、毎年何度同じ映画を放送すれば気が済むんだろうと思ってしまう。これはうちのの実家に帰るとケーブルテレビでスロバキアのテレビ局も、国営放送だけでなく民放も入るために、クリスマスの時期だけで同じ童話映画を、特に名作と言われるものは最低でも二回目にすることになるのも影響しているのだろうけどさ。
 それでも、クリスマスの時期は、家族みんなで楽しめる童話映画を放送するのだと思えば理解できなくもない。毎年、ハズレも多いけれども新しい童話映画も制作されてクリスマスの24、25、26日の夜にチェコテレビで放送されているわけだし、それがチェコの伝統なのである。ただ、この期間は何日も続くし、テレビ局も複数あるので、新しいものだけというわけにも行かず、毎年同じものが繰り返し放送されることになる。それを視聴者が求めているのも確かなのだろう。

 ところで、毎年大晦日に決まって放送される番組の中に、どうして大晦日に、しかも毎年放送するのだろうと不思議に思わざるを得ないものが一つだけある。それが表題の「ボホウシュ」という番組なのである。一回だけなら見てもいい。最初に見たときには、なかなか面白いと思ったかもしれない。共産党支配下のチェコで、何でこんな番組が作れたんだろうと不思議に思ったのも確かである。
 しかし、毎年放送され、何度も見ていると、見なければいいだけなのだが、うんざりしてしまう。ここ数年は見ていないのだけど、番組表で目にするたびに、どうしてという疑問が沸き起こってしまう。

 このボホウシュというのは、犬の名前である。番組は一言で言えば、ブラディミール・メンシーク演じるおっさんと、犬のボホウシュの大食い競争である。最初の部分でどうして大食い競争をすることになったのか事情が語られるはずだけれども、覚えていない。ボホウシュに勝てたら宿代をただにするとかいう話だったかな。
 その部分を除けば、メンシークとボホウシュがひたすら食べ続ける番組だった。実際に食べているかどうかはともかくとして、次々に出てくる料理を片っ端から食べていくのだけれども、メンシークが次第に苦しそうになるのに対して、ボホウシュはいつまでもぺろりと食べつくして平然としている。結末は覚えていないけど、ボホウシュが勝つのかな。
 25分ほどの短い番組とはいえ、こんなのよくと思ったら、撮影されたのが1968年だった。これも「プラハの春」の自由化の成果だったのだろうか。興味のある方はこちらから。
http://www.ceskatelevize.cz/porady/137219-bohous/26853130163/
短いし、話の種に一回だけなら見てもいいかも。

 大晦日の番組といえば、ビロード革命前のものも含めて、大晦日の夜に放送された特別番組をしばしば再放送するのはどうなんだろう。日本で紅白歌合戦の再放送をするようなものだと思うのだけど、やってるのかね。

 十二時過ぎて花火がうるさくなってきた。除夜の鐘ならまだしも、こんな無秩序な冬の花火に情緒なんて感じられない。やはり花火は日本の夏に見るべきものであるのだなあ。とはいえ日本の暑すぎる夏が恋しいなんてことはないのだけど。
2017年12月31日24時。





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2017年11月02日

チェコ映画を見るなら1(十月卅日)



 実は知り合いに東京のチェコセンターの関係者がいて、たまたまメールをもらったので返事を書くついでに、いつまでもノバー・ブルナじゃないだろう、飽きられるから別な映画を紹介しろよと書いて送ったら、ノバー・ブルナだけじゃなくて別なのも紹介しているよという返事が来た。

 その映画が「リモナードビー・ヨエ」である。なるほど、そう来たか。多くのノバー・ブルナの作品よりは少し前、1964年にオルドジフ・リプスキーが制作したこの作品、本来は題名の後ろに「もしくはコニュスカー・オペラ」と付くように、馬が出てくる活劇なのである。つまりは、チェコ製の西部劇なのである。イタリアを中心に制作されたヨーロッパの西部劇をマカロニウエスタンと言うことから、チェコだからビールウエスタンとか言ってみたくなるけど、内容には全くそぐわない。
 チェコ人が西部劇のフォーマットを使うからと言って、それがまともな西部劇になるわけがない。しかも監督が馬鹿馬鹿しさの極致を極めるチェコ的B級コメディーを量産したリプスキーである。そう考えると、この題名、日本語で「レモネード・ジョー」とするのはいかがなものかという気がしてくる。題名に使われた英語名の「JOE」を、チェコ語風に「ヨエ」と読ませるところから、この壮大なパロディの仕掛けなのである。

 映画は、西部の荒くれ者の集まるギャングに支配された町を舞台にしている。馬に乗って拳銃を持ち歩く男たちが街の酒場で飲むのは、当然強い酒ウイスキーである。そこに「コラロクのレモネード」というアルコールの入っていない飲み物の販売に父と娘がやってくるところから物語が始まる。ギャングに絡まれて窮地に陥った親子を救うために登場するのが、主人公の「ヨエ」である。
 この男、馬の扱いも拳銃の腕も最高なのに、アルコールが飲めないのである。そして、「コラロクのレモネード」を飲みながら、にこやかに笑いながら敵役のギャングを次々に撃ち倒していく。そんなちぐはぐさを象徴しているのが「ヨエ」という、字面は英語でかっこよく、読みはチェコ風で妙に軟弱な名前なのである。

 ストーリーはいつものリプスキーのどたばた劇で、ヨエの活躍で町からアルコールが一掃され、みんな「コラロクのレモネード」を飲み始めたと思ったら、ヨエが復習に燃えるギャング団にアルコールを飲まされて昏倒し、形勢が一転してしまう。集中して見ていても筋と人間関係がこんがらがっていて訳が分からなくなってくるのだけど、最後は実はみんな生き別れの兄弟だったという、おい、それでいいのかと言いたくなるような大団円を迎える。
 これを最初に見たとき。江戸時代の歌舞伎で、役者の格に合わせるために、軽い役にも重い人間関係を与える必要があったため、話が必要以上にややこしくなっていたというのを思い出してしまった。まあ、チェコのコメディだから、これはこれでいいんだろうけどさ、ツィムルマンも、自作の劇の結末でさらにとんでもない家族関係を使っていたし……。あれこそ不条理劇と言うにふさわしかった。うん。実際見てたら金返せと言うだろうけど。

 閑話休題。
 この映画の一番の特徴は、悪役が魅力的なことだ。ギャングのボスのミロシュ・コペツキーも、ヨエを誘惑してアルコールを飲ませる酒場の歌姫クビェタ・フィアロバーも、主人公のヨエ以上の印象を残す。ヒロインのはずのレモネード売りの娘なんて存在感希薄で顔も思い出せないし、ヨエ役の俳優は名前が出てこない。コペツキーは、いろいろな映画やドラマで活躍しているから覚えやすかったというのもあるかな。チェコの映画では貴重な悪役俳優なんだよ。
 日本でチェコ語を勉強している人、チェコに興味がある人たちには、「レモネード・ヨエ」、もしくは「ソフトドリンク・ヨエ」、いやいっそのこと「清涼飲料水のヨエ」を見る機会があったら、逃さないほうがいいと助言しておく。チェコ語で言うと「Nenechte si ujít」という奴である。理論好きの映画の専門家でなければ、「ひなぎく」や「大通りの店」を見るよりずっと満足できる、はず、である、と思う。

 できればチェコ映画史上の最高傑作で今後もこれを越えるものは現れないと思われる「トルハーク」を日本に紹介してほしいところだが、知人には「日本に紹介するには百年早い」と言われてしまった。確かにそうかもしれない。ということで、啓蒙活動はこれからも続く。それはそうなんだけど、やり方が問題である。
2017年10月31日23時。




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2017年11月01日

「大通りの店」――チェコ映画を見るなら(十月廿九日)



 またhudbahudbaさんからの情報で、「大通りの店は、前売り券持ってても入れないケースが予想されるので絶対見たい人は早く来い」というメッセージが出たという。席数以上に前売り券を売ったということかという疑問はさておき、あの九本のラインナップの中で、一番人気があるとすれば、メンツル監督、ネツカーシュ主演の「つながれたヒバリ」だろうと思っていただけに、ちょっと意外である。

 アカデミー賞かなんかを取ったんだったっけ? でもあれも、ノーベル平和賞とかユネスコの世界さんとかと同じで、結構政治的な判断が入るから、必ずしも作品の優劣を示しているわけではないと思うのだけど、よく考えたら自分にも作品の優劣なんて論じる力はないのだった。見て気に入ったとか気に入らなかったとかなら言えるけどさ。それにしても、この映画について、チェコ語を勉強していた頃に誰も話していなかったのはなぜだろう。日本で勉強していた頃に聞いていた可能性はあるけれども、日本語だとこの特徴のない題名では覚えられなかったに違いないし、チェコ語だと普段使わない言葉が出てくるから、こちらも覚えられなかったはずだ。
 チェコに来てからは、サマースクールで夜に行われていた映画の上映会でも取り上げられなかったし、師匠との授業の間に話題になったこともない。チェコ人ってビロード革命前に外国の映画賞を取ったというのは結構誇りに感じていて、その手の映画は、何年のどこの映画祭で賞を取ったとかいう説明付きで見せられたのだけど、この映画については言及さえされた記憶はない。スロバキアで作られた作品だからだろうか。

 では、自分がこれまで見てこなかった理由を考えると、一番は題名の魅力のなさかなあ。「大通りの店」という日本語題はもちろん、チェコ語の「Obchod na korze」もあまり魅力的に響かない。いや、「Obchod」はいいにしても、「na korze」と言われても何を思い浮かべればいいのかわからないのである。邦題から大通りなのだろうとは思っても、どんな大通りなのかイメージがわかないと、映画の内容をイメージすることができない。
 むしろ日本語の「大通りの店」に引きずられて、いわゆる正常化の時代の1977年に制作されたテレビドラマ「カウンターの向こうの女性」(Žena za pultem)と同じような内容なんじゃないかとイメージしてしまう。このドラマは、かつてのチェコに多かった自分で商品を取って買うのではなく、カウンターの内側にいる店員に、あれがほしいとか、あれを見せてほしいとかいうと、背後の棚や奥の倉庫から取り出してきてくれるタイプのお店で働いている女性を主人公にしたもので、「ゼマン少佐の30の事件」と並んで共産党政権のプロパガンダ臭の強い作品だといわれている。

 「ゼマン少佐」と同様に現在でもたまに再放送されているようだが、このドラマ見るぐらいだったら「ゼマン少佐」を見る。「ゼマン少佐」は、少なくとも犯罪ドラマとしては、その犯罪が共産主義に対する犯罪である場合もあるけれども、なかなか出来がいいらしいし、カウンターの向こう側にいる店員は、愛想がなくて接客態度が悪くて買い物のあとは感謝よりも腹立ちを感じるのが普通だったというし。
 つまり、「大通りの店」というタイトルに、そんな愛想のない店員がやる気のない様子で仕事をしているお店を想像してしまって、そんな店を舞台にした映画を見たいとは思えないのである。邦題がいけないと言えばその通りなのだけど、そもそもこの邦題、どのぐらいチェコ語の題名にあっているのだろうか。

 場所を表す「na」がついているということは、「korze」は6格である。女性名詞かなと考えて、一格は「korha」だろうかと思いついた。プラハの6格は子音交代起こして「Praze」になるわけだし。でも辞書で引いても出てこない。仕方がないのでうちのに質問してみたら、中性名詞の「korzo」だろうという。こちらもチェコ語−日本語の辞書には出ていないのだけど、ルハチョビツェなどの温泉地の中心部にある散歩のための広い道で、両側にお店が立ち並んでいるところをさすのだという。地面は舗装されておらず、自動車の侵入が禁止されているところが多い。
 念のためにチェコ人向けのチェコ語の辞典を引いてみたら、「promenáda」という説明が出てきた。ということは日本だとカタカナで、プロムナードとかいうものかな。「大通り」というと、プラハやオロモウツなどの街の幅広い自動車の通行量も多い道を指しているような気がしてしまう。チェコ語だとその手の道のことは、「třída」とか、つづりは覚えていないのだけど「ブルバール」とか呼んでいたはずである。
 一度ついてしまったイメージはなかなか拭えないので今更見る気になれるとは思えないけど、「プロムナードのお店」という題名だったら、少しは心惹かれたかもしれない。邦題をつけるってのも難しいんだよね。予定ではチェコ語を勉強していた頃に見た映画の話にまでいくはずだったのだけど、見たことのない映画について、あれこれ思いつきで書いているうちにこうなってしまった。うーん。

2017年10月30日24時。




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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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