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2016年03月04日
映画の題名(三月一日)
このブログでは、チェコの映画や本を紹介するときに、チェコ語の題を示さずに私が適当に訳した題名を使っている。「トルハーク」のように訳しようがなくて、もしくは、訳したくなくてチェコ語をそのままカタカナで表記したものはあるけれども。
これまでは、日本でも上映されて日本語の題がついているものについてはできるだけ避けてきた。納得できない使いたくない題名が多すぎるのだ。比較的マシな「コーリャ」も、ここまでは、本来はのばさずに「コリャ」というほうが原音に近いのがのばされているのは、日本語のただの「コ」よりは、長く聞こえなくもないので許そう。でも何で「愛のプラハ」が付かなければならないのだろうか。マーケティング上、「プラハ」を付けたかったということなのかも知れないが、アカデミー賞の外国映画部門で賞を取った作品でネームバリューは抜群だったはずだし、「コーリャ」という題名のほうがシンプルで絶対にいいと思うのだが。「コーリャ 愛のプラハ」なんて題名じゃこっぱずかしくて見にいけねえ、見られねえと思うのは私だけではなかろう。そもそも、金のために偽装結婚する男が主人公なのに「愛の」と言われてもなあ。チェコ人の愛はゆがんでいるというメッセージだというなら、それはそれで、ありかもしれないけど、題名を見ただけでは伝わるまい。
さらに頭を抱えたのは、「プラハ!」という邦題である。これを見てチェコ語の「レベロベー」だとわかる人はいまい。1968年のプラハの春の時期を背景にしているとは言え、舞台は国境地帯の小さな町でプラハなんぞ出てきはしないのである。チェコ語で「反抗者たち」という意味の題名には、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」のイメージが投影されているような気がするので、それを生かした題名でも悪くないと思うのだけど。やはりチェコと言えば、プラハだということでこんな邦題になってしまったのだろう。だから、日本人はチェコにはプラハしかないと思っていると憤慨するチェコ人が出てくるのだ。
英語の題名をカタカナ化するのもやめて欲しい。そのままじゃなくていじってあるのも気持ちが悪い。「スウィート・スウィート・ビレッジ」という題名を見て、あの「ベスニチコ・マー・ストシェディスコバー」の内容は想像できないし、内容を知っていると皮肉にしか聞こえないのは、我が英語力のなさゆえだとしても、この題名では見る気になれないなあ。題名ではなく、文章か詩の一節であれば、「村よ、我が心の中心よ」(注:この訳は間違いだった。地域の中心となる村を「ストシェディスコバー」と呼んでいたらしい)とでも訳したいところだけど、これで題名にしてしまうと、「明るい農村」みたいな内容を想像してしまいそうだからなあ。そうすると「故郷」ぐらいの簡単な題名でいいのかもしれない。
「トマボモドリー・スビェト」が、「ダーク・ブルー」になるのも何だかかなあ。今まで挙げたのよりはましだけれども、「スビェト(=世界)」を落とす意味があったんだろうか。「青黒き世界」とか、「群青色の世界」「ダーク・ブルーの世界」とかじゃ駄目だったのかな。もしかしたら、「この素晴らしき世界」と「世界」が重なるのが嫌われたのかもしれない。
「この素晴らしき世界」の「私たちは助け合わなければならない」というチェコ語の原題が、日本語訳にすると題名にはならないのは重々承知の上で、これじゃ駄目だろうと思う。それにこっちの方が、「コーリャ」よりずっと「愛のプラハ」が似合うような気がする。内容とチェコ語題を鑑みて、ぱっと思いつくのが、「情けは人のためならず」ということわざなのだが、これでは見る気になれないし。
一体に、チェコの映画や本の題名は、そのまま訳すと日本語では題名にしづらいものが多い。昔読んだ本では「消防士達の舞踏会」と訳されていたミロシュ・フォルマンの「ホジー・マー・パネンコ」は、ウィキペディアには、「火事だよ!カワイ子ちゃん」と書かれていて泣きたくなったが、原題の意味には近づいているのである。文になっている題名も多く、日本語訳そのままでは使えそうにないものが多いのだ。天才子役と言われたトマーシュ・ホリーの「どうやって鯨の奥歯を抜くか」「どうやって父ちゃんを特別教室に放り込むか」、ツィムルマン関係者が出ている「マレチェクくん、ペンを貸してくれたまえ」「ヤーヒム、そんなの機械に放り込んじまえ!」などなど、こんな日本語の題名では客を呼べそうもない。
こうして考えてみると、映画の邦題をつけるのは大変な仕事なのだと思わされる。こんなところで適当に書き飛ばすのとは違って、いろんなところに責任があるだろうから。それでも、もう少し何とかしてほしいというのが、チェコ語での題名の意味も知っていて内容も知っている人間の正直な感想なのだ。
最後に、自分で題名をつけてみて結構いけるんじゃないかと思ったものを一つ。モラビアの国民的な映画だと言われている映画がある。怪優ボレク・ポリーフカが、まったく演じずに素で登場したものだとも言われているけれども、共産党政権崩直後のモラビアの田舎を舞台に国を出て財産を築いた親戚の遺産相続をめぐるごたごたを描いた映画である。チェコ語では「デディツトビー――アネプ・クルバホシグーテンターク」というのだが、「遺産相続――あるいは、グーテンタークって言ってんだろが、馬鹿やろうども」としてみた。いかがだろうか。続編は「遺産相続――あるいは、そんなこと言っちゃいけねえよ」としておこう。
3月2日15時30分。
意外とチェコ映画のDVDは手に入らないのね。それなのに、こんなのが買えるとは! これも題名=文の作品で、「俺、アインシュタイン殺しちまったんだよ、みんな」とでも訳せるもので、「アインシュタイン暗殺指令」は納得できる邦題である。3月3日追記。
2016年03月02日
童話映画(二月廿八日)
最近、日本で子供向けの映画というと、アニメーション映画か、実写でも漫画が原作ということが多いが、チェコでは漫画の力が強くないこともあり事情が異なる。今でも、昔話、おとぎ話と言われるような子供向けの童話をモチーフにした映画が撮影され続けている。登場する俳優たちも、一部の子役を除けば、普通の映画と変わらず、主人公たる王子様、お姫様は、若手で実力を評価された俳優が演じることが多い。
毎年、クリスマスの時期になると、テレビはこの手の童話映画一色になる。チェコテレビでは毎年新作が一、二本放送されるが、それ以外は、一部を除くと毎年同じものを各テレビ局でローテーションしている感じである。特に定番とも言える作品は、クリスマスの時期だけではなく、夏休みや、最近ではイースターの時期に放送されることもあるので、年に三回は放送されているのではないだろうか。
ハードディスク付きのDVDレコーダーを買って十年ぐらいになるが、当初の目的は気に入った映画やドラマがテレビで放送されなくても見られるようにDVD化するというものだった。しかし、こんなに再放送が繰り返されるので、録画してDVDに落として以来一度も再生したことがない映画も山ほどあるのである。
古いところでは、「誇り高きお姫様」「金の星のお姫様」あたりを毎年テレビで見ることになる。最近は意識して見ないで、別なことをしながら時々テレビに意識を向けるという見方をしているので、両者のストーリーがごっちゃになっているのだが、前者はモノクロ映画で、プライドが高すぎて婿選びができないお姫様に、隣国の王子が庭師のふりをして近づいて親しくなり、花に二人で歌を教えたりしているうちに恋に落ち、駆け落ちしてしまうというストーリーだったかな。後者は、額に金色の星のついたお姫様が、持ち込まれた結婚話を嫌って、目立たないように鼠の皮で作ったフード付きのコートを身につけて、自分の城を出て行き、たどり着いた別のお城の厨房で働くうちに、その城の王子の嫁探しのパーティーが行われることになって、あとはお約束の結末が待っているというお話。
子供だましのご都合主義と言わば言え、子供の頃から繰り返し見続けているチェコの人にとっては、これがないとクリスマスが始まらない大切な作品で、放送されるとチャンネルを合わせてしまうという大人も多いのである。
他にも、ニェムツォバーの原作をもとにヤン・ベリフが、ブラスタ・ブリアンとともに出演している「塩は金よりも(=昔々あるところに王様が)」、アイドル歌手三人で結成したゴールデンキッズのうちのヴァーツラフ・ネツカーシュとヘレナ・ボンドラーチコバーが主役を務め、かなり前衛的な映像の出てくる実験作でもありそうな「狂おしき悲しみのお姫様」なども繰り返し放送されているが、チェコ人の間でもっとも人気のある童話映画となると「ポペルカ」以外には考えられない。
この作品はいわゆるシンデレラもので、グリム童話の「シンデレラ」とストーリーの大筋は同じである。昔、薀蓄たれの友人が「シンデレラ」というのは、ドイツ語では「灰かぶり」という名で呼ばれていて、日本にも「鉢かづき」なんて似た題名の似た話があるんだなどと言っていたが、チェコ語の題名もドイツ語と同じで灰と関係がある。チェコやドイツなどの、ヨーロッパのこの当たりには、「シンデレラ」の物語は、さまざまなバリエーションを伴って広がっていたのだろう。チェコ版の「ポペルカ」はニェムツォバーの原作がもとになっている。
70年代前半に、当時の東ドイツと共同で撮影されたこの映画には、チェコ人だけでなく、ドイツ人の俳優も出演しているらしい。もちろんドイツでも放映された、いや現在でも放映され続けているようで、撮影が行われたモリツブルクの城館には、その記念碑としてポペルカの靴の像が置かれているらしい。また、この映画は、「みつばちマーヤ」ドイツ語版の主題歌とともに、主題歌を歌ったカレル・ゴットがドイツ語圏でも不朽の人気を誇っている原因の一つとなっている。
このチェコ版シンデレラは、正式なタイトルを直訳すると「ポペルカのための三つの胡桃」(題名だということを考えると「ポペルカと三つの胡桃」と訳したほうがよさそうだけど)となるように、他の一般的なシンデレラ物語と違って、と書いて一般的なシンデレラを知らないことに気づいてしまった。それはともかく、ポペルカを見守るフクロウと、三つの胡桃の実が大切な役割を果たしている。母を亡くして継母にいじめられるポペルカをフクロウが励まし、肝心のときに胡桃の実を割ることで、ドレスや馬車などの必要なものが手に入るようになっているのだ。
監督の回想などを読むと、本来ポペルカ役に想定していたヤナ・プライソバーという女優が産休に入って、急遽別のニェムツォバー原作の映画「お祖母さん」で少女役を好演したリブシェ・シャフランコバーに白羽の矢を立てたり、当時の童話映画としては珍しく冬の撮影となったため、野外シーンで雪を求めてチェコやドイツをあちこちし、果てはスカンジナビアに出かけたりもしたと言う。コスチュームが夏の撮影を想定して作られていたので、野外での撮影中に俳優達は凍えていたと言う話もあったなあ。
とまれ、この作品で人気を不動のものにしたシャフランコバーは、以後さまざまな映画やテレビドラマに出演し、チェコ随一の人気女優になる。たしか、日本でも知られている「コーリャ」にも、どんな役だったかは覚えていないが出演しているはずである。そして、雪の中で撮影されたこの映画は、雪があるべきクリスマスの象徴として、毎年テレビで放送されるようになっていく。最近は放送回数が多すぎて、私は食傷気味ではあるけれども、チェコ人にとっては、ひょっとしたらドイツ人にとっても、クリスマス=ポペルカという等式は永遠のものなのだろう。
2月29日13時。
モリツブルクの城館のホームページは、英語版も、ドイツ語版も「ポペルカ」が取り上げられていた。チェコ語版によれば、冬の時期には「ポペルカ」を記念した展示が行われているようだ。
こんなのを発見してびっくりなのだが、商品名というか、商品の説明には大いに異がある。シャルル・ペローがどうこうとか、ゴスロリとかいうのは、不満はあるけれども、まあ解釈の問題だとして、監督名は、「ヴ」を使うなら、ヴァーツラフ・ヴォルリーチェクと書いてほしかった。それでもこんなのが日本で手に入るのは、時代だなあ。3月1日追記。
2016年02月01日
嘘つきの世界――戦前のチェコ映画(一月廿九日)
チェコのテレビでは、公共放送、民放を問わず、戦前のモノクロ映画がしばしば、いや頻繁に放送される。放映権料などの問題で、新しい作品を放送するよりも安上がりだとか、自局でドラマを制作する余裕がないなどの財政上の理由もあるだろうし、視聴者が見たがっているという視聴率獲得上の理由もあるのかもしれない。とまれ、古い映画が繰り返し放映されることは、われわれチェコ語を学ぶ外国人にとっては非常にありがたいことである。
それは、まずチェコ語そのものの問題である。現在の映画やドラマの登場人物が使う、標準チェコ語(この呼称にも大いに異議があるのだが今はおく)と呼ばれるチェコ語での会話は、外国人にはきれいな正しいチェコ語で話そうとしてくれるやさしい人の多いオロモウツで育った私の耳には、聞くに堪えないことも多い。それに対して戦前の映画の俳優たちのしゃべりは、まだ形が壊れていく前の美しいチェコが使われている。それに一部の例外を除いて、声も発音も聞き取りやすいので、非常に耳に心地いい。現在の俳優たちの発音が聞き取りにくいというわけではないが。
戦前の白黒映画に一番よく登場する俳優は、喜劇王とも言われるブラスタ・ブリアンである。この長身で痩身の俳優は、運動能力にも長け、サッカーでスパルタ・プラハのゴールキーパーとして、また自転車の選手としても活躍したらしい。ナチスドイツによるチェコスロバキアの解体以後は、自らの経営する劇場を守るために、ナチスへの抵抗ではなく、ナチスの監視の下で娯楽映画の撮影をする道を選び、それが戦後共産主義政権の時代における冷遇につながるのだが、これはまた別の話である。ブリアンは、ドイツ語にも堪能であったため、ナチス時代には、同じ作品のチェコ語版と、ドイツ語版を同時に撮影するという荒業もこなしていたらしい。ただ、即興の台詞が連発してブリアンの本領が発揮されるのはやはりチェコ語版なのだという。
そのブリアンと、「ほら吹きブリアン」(仮訳)で競演しているのが、もう一人の戦前の大喜劇役者オルドジフ・ノビーである。この作品でも、身の上話をさまざまにでっち上げ、ブリアン演じる男爵の隠し子、男爵夫人の結婚前の不義の子などと思われて、周囲を混乱に陥れるのだが、一体に、このノビーの演じる役は嘘つきが多い。そんな作品だけしか印象に残っていないのかもしれないが、大抵はナタシャ・ゴロバーと組んで、嘘とでたらめで混乱を引き起こすことになる。
「エバ、馬鹿ばかり」(仮訳)では、ろくに英語もできないのに、片言の英語とチェコ語を混ぜて使ってイギリスから来た伯爵のふりをするし、「クリスティアン」では、偽名を使って二重生活を送る男を演じる。どちらも嘘をついている間、他人のふりをしている間は、堂々として頼もしいのに、現実の自分に戻ると小心者の情けなさが出てくるあたりも、ノビーの役に共通している。
ノビーとゴロバーという組み合わせで忘れてならないのが「かわいらしい人」(仮訳)である。これも「トルハーク」と同じでストーリーなんてどうでもいいといえばいいのであるが、簡単にまとめると、嘘を通じて知り合い惹かれあった二人が、嘘をつき合うことで親しくなり、本当に結婚することになって、嘘はつかないと約束するというものである。わけがわからないかもしれないがそれでいい。大切なのは、この二人のほら話を楽しむことである。
二人がそれぞれ嘘やでたらめを並べ立てるシーンや、打ち合わせもなしに二人で嘘を積み上げて、有りもしない過去の出会いをでっち上げていくシーンなどを堪能している間に、気がついたら、結婚式に大量に招待状を出したのに、二人が混乱に陥れた一家の「かわいらしい人ねえ」が口癖のおばあちゃんしか来ていないという最後の場面にたどり着いてしまう。日付を間違えたのかなと言う二人に、にっこり笑って、「誰も本当だと思わなかったのよ」と言うおばあちゃんこそが、本当の「かわいらしい人」なのだろう。
この映画は、一度見始めたら途中でやめられないと言う意味では「トルハーク」と並び立ち、話を聞いてうっとりしている間に何を言っているのかわからなくなることがあるという点では、チェコ語の師匠の電話に匹敵するのである。かつて師匠が授業中にかかって来た電話に、ものすごい早口で対応するのを聞いたときには、早口でありながら一つ一つの母音、子音をそれぞれきっちり聞き取れるように完璧に発音するという職人芸に、聞きほれているうちに何を話しているのかに意識が向かず、電話が終わった師匠に、聞き取れたかと聞かれて、聞き取れたけど意味はわからなかったと答えて苦笑させることになったのだった。そういえば、もう何年も師匠のチェコ語を聞いていない。それが最近、私のチェコ語の発音が怪しい原因かもしれない。
1月29日23時
この本では、オルドジフ・ノビーのクリスティアンが取り上げられていて、ストーリーもちゃんと説明されている。でも私は、「かわいらしい人」のほうが好きだなあ。1月31日追記。
2016年01月28日
チェコ、テレビ事情(一月廿五日)
チェコでも、数年前に地上波でのデジタル放送が始まり、テレビのチャンネルが増えた。現在は全部で35のチャンネルが無料で見られるようになっているのだが、大半はなくてもかまわないチャンネルで、無理してデジタル化してチャンネルを増やす必要があったのか甚だ疑問である。デジタル化は、最近調子に乗っているEUの命令であった可能性も無きにしも非ずなのであるが。
デジタル化される前、アナログ時代にオロモウツで見ることができたチャンネルは六つしかなかった。少ないけれども、日本の実家のある地域では四チャンネルしか見られなかったのだから、特に不満もなかった。
見られたチャンネルをあげておくと、日本のNHKに相当するチェコテレビが第一と第二の二チャンネルで、第一と第二の住み分けも日本のNHKに近かった。日本と違ったのは小学校中学校の科目と直接関連する番組がなかったことぐらいだ。民放はノバとプリマの二つしかなかった。アナログの時代には常にノバが優位に立っていたが、デジタル化以後はプリマのほうが元気があるような気がする。そして、モラビア地方がスロバキアに近いおかげか、スロバキアテレビの第一と第二も見られていたのである。スロバキアではたまに、いい意味でとんでもない番組が作られるので、たまにスロバキア語の練習もかねて見ることがあったのだが、デジタル化されてからは見られなくなってしまった。すこしだけ残念。
チェコテレビは、デジタル化されてから徐々にチャンネルを増やし、現在では五つになっている。最初に追加されたのが、ニュースを中心にしたチェコテレビ24である。24は、毎時0分からニュースを放送するので、24時間ニュースという意味なのだろう。ニュース以外も放送されることはあるが、大半は過去を振り返る歴史がテーマになった短い番組である。
つづいてスポーツ専門のチェコテレビ第四が誕生した。それまで第二で放送されることの多かったスポーツ中継が、ここで扱われることになり、中継そのものが増えたことは、スポーツ好きの私にはありがたかった。最近チェコテレビ・スポーツに名前を変えたのは、民放の真似のようで少し気に食わない。
一番新しく誕生したのが、午後八時までは子供向けのチェコテレビDで、八時からは演劇などの芸術関係を中心として放送するチェコテレビ・アートに変わるチャンネルである。Dはチェコ語で子供を表すdítěの頭文字をとったものであろう。ヨーロッパ内でももっとも成功した公共放送による子供向けチャンネルらしいのだが、それを声高に誇るには、外国産の子供番組の翻訳が多きに過ぎる印象である。アートのほうはコンサートや演劇、芸術映画などを積極的に放送しているようだが、あまり見たことがない。
デジタル化して迷走しているノバは、チャンネルの展開にもあまり見るものがない。本家のノバは、典型的な民放のチャンネルで、日本に比べれば独自制作のドラマが少なく、アメリカなどで人気のあったテレビドラマや映画の割合が高い。以前は民放ではほとんどなされていなかったドラマの制作に力を入れているのは評価できるのだが、見たいドラマがあるかと言われると、警察ドラマの「クリミナルカ・アンデル(アンデル署、もしくは犯罪捜査課アンデルとでも訳そうかなあ)」ぐらいしかないのだが。
ノバが最初に追加したチャンネルが映画専門のノバ・シネマで、ノバで放送したものを翌日に再放送するのにも使われている。ファンダ(ファンの俗語的表現)は、男性をターゲットにしたチャンネルで、スタートレックなどのドラマだけではなく、スポーツの放送も行われている。系列の有料チャンネルであるノバ・スポーツで生中継したものを、後日録画中継と言う形になることが多いのだが、ラグビーやハンドボールなどのマイナースポーツも放送してくれるのでありがたい。残りのスミーホフとテルカは、完全に再放送専用のチャンネルになっていて、古いドラマの再放送ならまだわかるのだが、十年以上も前のクイズ番組や、視聴者参加型のバラエティを再放送する意味はあるのだろうか。
プリマは現在全部で六つのチャンネルを展開しているが、本家プリマは、一時期プリマ・ファミリーと名前を変えていたことがあるように、家族全員で見られるようなチャンネルを目指しているようだ。プリマ・クールは、男性向けのチャンネルでドラマなども他と比べると過激な血が飛び散るようなものが多いし、自動車関係やサッカーの中継などもここで行われている。次のプリマ・ラブは、名前の通り恋愛要素の強いドラマが多く、推理ドラマでも主役が男女のペアになっているものが選ばれるようである。もちろん本家の再放送が翌日に流されることもある。
そして、デジタル化最大の収穫と言えるのがプリマ・ズームである。このチャンネルはドキュメンタリー専門のチャンネルで、チェコテレビならともかく、民放にこんなことができるとは全く思ってもいなかった。プリマ・ズームに触発されてチェコテレビの第二でもドキュメンタリーの放送が増えたのは、思わぬ収穫だったが、惜しむらくはチェコ人が大好きで頻繁に放送される戦争に関する、特に第二次世界大戦中の戦いやナチスに関する番組にはあまり興味が持てないことである。外国の番組の翻訳ばかりなのは残念だが、たまに日本のNHKの自然をテーマにした番組も放送されることがある。外国向けに発売されたものなので、日本語は聞けないのだけれども。
最近、加わったのが、プリマ・マックスと、プリマ・コメディセンターなのだが、前者は映画の放送が多く、後者はひたすらアメリカ産のアニメも含めたコメディドラマを放送しているようである。
デジタル化して地上波に参入したのがバランドフなのだが、かの有名なバランドフの映画撮影所の名前を冠しているので、結構期待していたのだが、現時点では期待外れである。チェコの映画が重点的に放映されるものだと思っていたのに、トルコ産のテレノベラなんて誰が見るのだろう。そして、バランドフ・シネマ、バランドフ・プルス、バランドフ・ムジカと次々にチャンネルを増やしたが、特に見るべきものはない。
それから衛星放送の有料音楽チャンネルであったオーチコが、三つのチャンネルで放送しているが、特に音楽好きというわけでもないので、チャンネルを合わせることはないし、それぞれどう違っているかもさっぱりわからない。また、民族音楽とポピュラー音楽の中間のような、キーボードなどの電子楽器も使って、演奏しながら歌を歌う人々が続々と登場するチャンネルもいくつかある。管楽器の楽団とか、弦楽器の楽団とかも出てくるのだが、一番印象に残っているのが、二台のキーボードを使っている、その名もヤマハ・ドゥオというグループなのでこんな書き方になってしまった。とにかくこんな番組を喜んで見ている人は、いるんだろうなあ。
残りのチャンネルの中で、多少なりとも意味を感じるのは、オロモウツ周辺のニュースを、延々と放送、再放送し続けているTVモラバと、チェコ各地の地元のミニ放送局が作ったニュースを、全国的に放送しているテレビ局だろうか。全国ニュースにはなりそうもない事故や事件があったときに、このチャンネルのニュースで確認するのだ。ただ、人員不足のためか、翌日回しになることが多いのが残念である。
それから、最近放送が始まったムニャムTVという料理番組をひたすら流しているチャンネルは、他に何も見るものがなくて、頼みの綱のプリマズームも戦争番組をやっているときに、このチャンネルに合わせて、放置しておくことが多い。テレビを頻繁にオンオフしたくないので、次に見たい番組へのつなぎとして貴重な存在なのである。このチャンネルに関係すると思われるのが、まだ放送の始まっていないムニャウTVで、予告編のように猫が三匹歩いている映像が流れているので、猫ばかり出てくるチャンネルになるのかもしれない。
最後に、キリスト教系のチャンネル、ノエにも触れておこう。ろくに見たことはないのだが、名前からして「ノアの箱舟」を意識しているようなので、現代社会の情報の洪水におぼれようとしている人を救おうとしているのかもしれない。ただ一応は公共の電波が一宗教の主催するチャンネルに提供されるのはどうなのだろうか。日本だと仏教とか神道関係のテレビ局が全国放送を始めたら、政教分離の原則に反すると言い出す人が出てくるに違いない。一体に、こういう原則は日本のほうが厳密に守っているような気がしてならない。
このテーマならすらっと書けて、すんなり終われると思ったのだが、思いのほか長くなってしまった。チャンネルの数が多すぎるのがいけないのだ。
1月26日18時
テレビの話だから、DVDでもと思ったら、意外に出てこなかった。シュバンクマイエルは、あんまりテレビでは放送されないのだけど、商品名についている解説に納得のいかなかった「ポペルカ」は使いたくなかったので。1月27日追記。