アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
SD BLOG
  1. Situation design
  2. SD BLOG


ダイアナガーデン エンジェル・キューピッド美術館

美術館入口門 美術館バラ 美術館入口
美術館ステンドグラス 美術館入口付近
美術館建物 美術館外風景
撮影:タケマツ / 撮影日:2005年10月30日 / アナログ一眼レフを使用

〒325-0303 栃木県那須郡那須町高久乙3392

ギュスターヴ・モロー展

ギュスターヴ・モローの作品は一見変わっている。完成品が完成しているように見えない。
彼にとってはこれが完成なのだろうけれど見ている側としてはこれで終わりなんだと思ってしまうような感じ。逆に素描のほうが完成度が高いような気がする。ギュスターヴ・モローは素描の達人なのかも。
色を塗っているとそのうちに飽きてしまうのかな?必ずといっていいほどいいかげんな所がある。素描に水彩で色付けされている作品は油彩画より素晴らしく感じてしまう。素描なのにいいかげんな感じが見当たらないから。
素描から何から相当数の作品が作者の手元に残っているのは、彼が自分の作品を手元に集めて(集め直して)いたからだそう。そういう強迫観念に襲われていたらしい。 やはり芸術家ってどこかしら常軌を逸脱してしまった部分があるんだなあ。だからこそ芸術家として成り立っているんだろうけど。
今回の展示では人の波がほとんど油彩画に注がれていて、素描にはパラパラとしか寄り付いていなかったために、存分にじっくりと素描を観ることが出来た。そこがとても良かったところ!ミュシャの習作(ミュシャ展-3月)も素晴らしかったし、私ももっと鉛筆画を重視しようと思いました。。。
〒150-8507 東京都渋谷区道玄坂2-24-1 BunkamuraB1F

藤沢周平の世界展

世田谷文学館にて開催されている『藤沢周平の世界展』へ。
私の年齢では藤沢周平はシブイらしく、館内は中年層がしめていた。そして女性よりも男性、断然男性のが多い。既にリタイアした男性ばかりで、恐らくサラリーマン時代によく読んだんだろうなといった感じ。一人で来ている人も多く、黙々と藤沢周平の世界を楽しんでいる。 なので私も藤沢周平の世界に浸ろうと努めたが、どうも若者が珍しいらしく、チラッとこっちを見てくる。私は池波正太郎も好きだし、鬼平になりたいくらいなんだから藤沢周平の場合も見逃してくださいと思うばかり。 しかし少し歩けば見られる理由もよく分かる。何せ私以外若い人が一人もいないのだ。
こんな異様な光景を目の当たりにしたのは初めてだ。
この異国の地ではすぐに連れができた。別に頼んだわけでもなくそれを好んだわけでもなく、何だか知らないけど一人おばさんがくっついて来たからだ。 私が動けばおばさんも動く。私が立ち止まり、そこに留まっている以上、おばさんも同じ行動をとる。「くっついて来るねぃ!!」と言いたいところだけど別段悪い人でもなさそうなので、自然剥離を目指した。 自然剥離に必要なのは俊敏さだ。
一時的に素早く動くことでおばさんを撒こうというわけ。ただ、素早いだけだとおばさんも俊敏に着いて来る恐れがあるので、素早さと緩さを見極めねばならない。時に素早く時に緩やかに私の歩みはとても不規則になった。 この間は仕方がないので展示物を観ることは中断。狭い館内でおばさん撒きに励むワタクシ。 なにをしにここへ来たのか目的が定かではなくなってしまった――またぞろ、どうして何かしらの妨害に出遇うのか、まったくもって不可解である――努力の甲斐あってかなくしてか、周りを見たところおばさんは消えていた。我が戦略は成功せしめり!
喜び勇んで中断した場所から観始めた、が、説明パネルが遠いのに文字が小さくて読むのに一苦労だ。こういうパネルは文字を大きくして貼って欲しい。目が良い悪いにかかわらず見え辛い。光線加減でパネルが光る場合もあるし、見る角度も決まってきてしまうので。
それはさて置き、嬉しい事実が!藤沢さんの蔵書の中に『ある首斬り役人の日記』(フランツ・シュミット著/白水社)があったのだ。これは以前から私が読みたいと思っている本なのだ(読みたい気持ちが先行し過ぎてまだ着手せず…)。こういうちょっとしたこと――思考的繋がりとでもいいましょうか、があるだけで非常に嬉しくなってしまう。他の書籍もなかなか、外国ミステリーなぞもあって、藤沢さんがミステリー読むんだなあと、蔵書を垣間見れるというの面白い。
今回いちばん目を奪われたのは桶職人さんが作ったという長屋の再現模型。詳細に長屋が再現されていて、本当に人が生活しているのではないかと思えてくる。ちゃぶ台まで用意してあるので生活感もある。世帯数の割りに厠が少ないのが気になるところだ。
次に目を奪われたのは井上ひさし氏が書いた「『蝉しぐれ海坂うなさか藩・城下図」、よくここまで読み込んで図版化したなあと思うほどに素晴らしい。井上氏がいちばんのファンにちがいない。あとは書簡の内容や広重のカタログを持っていたことなどが印象的だ。
目を奪われて模型を見ていた頃、またも邪魔が入ってしまい…別な淑女二人が非常にプライベートな会話を周りに聴こえる声で繰り広げていた。ある程度話した後、一人は帰ろうとし、もう一人は引き止めようとしているらしい。
「じゃあ私はこれで。」
「まあせっかくお会いしたのにもうお帰りになるの?」
「ええ、○○街で買い物をしてから帰りますから。」
「そんなこと言わずに…せっかくですから。」
「あなたも○○街までいらっしゃいます?」
「いーえ、わたくしは行きませんわよ。」
「ではまた今度お目にかかりましょうね。」
「そんな、今度なんて…わたくしもう死んでますわ!」
「……そっそんなふうにおっしゃらないで、また、ね。」
「いいえ、年ですもの。次なんて…生きているかどうか…!」
「お元気なんですから、大丈夫よ。近いうちにお会いしましょうよ。」
…――この押し問答は、二人が移動してしまったためこの先は聴けなかった。
二人がこの後どのように別れを告げたのか、もしくは○○街まで連れ立って行ったのかは私にはわからない。どうせここまで聴かせたんだから、この場でフィナーレまでやってくれればいいのに。“死んじゃう”って極論まで出した淑女は既に年金受取中のシルバーパス利用中な感じの人。人間、老いさらばえると人との別れが辛いものなのかもしれない…。だから即座に極論に達してしまうのかな?
【藤沢周平のこと】
本名:小菅留治
1927年(昭和2年)山形県生まれ。
1951年(昭和26年)肺結核を患う。
1963年(昭和38年)読売新聞の短編小説賞に本名で応募。『赤い夕日』が選外佳作となる。
1971年(昭和46年)『溟い海』が第38回オール讀物新人賞を受賞。
1973年(昭和48年)『暗殺の年輪』で第69回直木賞受賞。
1997年(平成9年)1月26日没。
主な作品『又蔵の火』、『用心棒日月抄』、『たそがれ清兵衛』、『蝉しぐれ』など多数。

〒157-0062 東京都世田谷区南烏山1-10-10

ゲント美術館名品展

砧公園、美術館付近とても楽しみにしていた『ゲント美術館名品展』だったのだが、行ってみるとあまり感動もなく、好きなタイプの絵もなく…と残念な結果に終わった。
最初の1〜2枚は良かったのですが…。ゆっくり見られなかったことが原因だろうか。本当に残念。
〒157-0075 東京都世田谷区砧公園1-2

【ゲントのこと】
ゲント(Gent)はベルギーの都市で、オランダ語圏。
Gentは蘭語だと「ヘント」と読むらしい。「ゲント」は独語の読み方で、日本ではゲントと呼ばれることが多い。
メーテルリンク(『青い鳥(L'Oiseau bleu)』の作者)がゲント出身だが、彼は仏語を話す。
聖バーブ大聖堂には、ヤン・ファン・エイクの代表作である「神秘の子羊(Het Lam Gods)」が展示されている。
なんと石川県の金沢市とは姉妹都市なのだ。


物流博物館「企業が写した昭和の風景」

物流博物館「企業が写した昭和の風景」母に誘われて品川にある物流博物館に行ってまいりました。
物流博物館とは何ぞや?と思いますが、どうやら「物流」を社会にアピールするための博物館で日本通運が創設した史料室が大元なのだそう。そしてペリカン便でお馴染みの日本通運が戦前から撮り続けた写真の企画展が今回の展示なのです。そのため配送しているところや社員の家族との写真、運動会などの社内イベントの模様が展示されていて、昭和の風景ここにあり!といった感じです。
通常ならば何でもない日常写真のはずが時を越え、懐かしい昭和の時代を写し出しておりました。私としては夕焼けの詩で見た風景ですが、母は懐かしさでいっぱいのようで一枚一枚丁寧に観ながら昔に浸っていました。昭和50年代生まれで昭和の残兵である私はせっかくの写真に浸れなくて何だか残念です…。(ウナセラ・ディのときもそんなこと言っていたなあ〜)。
当時の配達車がオート三輪なので可愛らしくもあり哀愁もあり…パタパタパタってやっぱり夕焼けの詩の鈴木オートの三輪が浮かぶ…。
常設は企画展と打って変わって近代的。物流の仕組みがわかるゲームやら模型やらハイテクです。
ここで遊ぶ私を母は遠くから見つめていました。機械音痴の彼女には機械はさっぱりといったところ。
子供向けとはいえいかにうまく配送するかというゲームはなかなか面白かったです。簡単だからこそ面白いのかも。
配送にICタグを使うとかどうとかいうのは大学の頃に講義で何かそれに関連する話を聴いていたので
「おお!これかー。」と勉強になりました。
最後に、物流博物館の場所はとても分かりづらいです。
〒108-0074 東京都港区高輪4-7-15

ウナセラ・ディ・トーキョー ―残像の東京物語

「ウナセラ・ディ」のタイトルが良いですね。
この写真展は1935〜1992年の東京を写したもの。まだ着物と髷の女性が町を歩いていた時代から、私が小学6年生までの頃。
戦前の写真が特に面白く、時代の大差に見入ってしまいました。洋服と着物の混在風景はなかなか見られません。洋服は洋服でもその姿はモダンガール。モガやモボの頃がこれかあ〜と妙に新鮮なのです。さすがに丸髷はそういないようですが…。いたとしたら芸妓さんくらいなものなのかな?
大戦直後の写真では銀座の殺風景なこと…。建物もなく人も少なく、戦前と比べると雲泥の差。焼夷弾が大量に降ってきたんでしょうね…B29の脅威たるやなんたるか。
平らになった町並みが現在のようになったと思うと、当時の人々の力というか強さというか復興力の凄さを感じ、敬服してしまいます。
戦後からの写真をざーっと眺めていると高度経済成長の時代に生まれなかった自分が残念でなりません。あの時代に生きたかそうでないかでは様々な面で相当違うだろう気がしてならないんだなあ〜。所詮ワタクシは80年代バブルを知るのみです。世の中が煌びやかな子供時代だったというだけ。60年代、70年代が鍵ですよ、鍵!
今回の展示、展示数が半端ではなく、途中から天井にまで届くだろうほどにあったんです。
そんなにたくさんはないだろうと思っていたので、頭の展示でかなり時間をくってしまい、もう後はてんてこ舞いに観てまわるという始末。
年代順に並んでいるわけではないので、ちょうど80年代の写真を見て、写真の中に小さく写っている住所表記を解読しようなんてことをしていたわけで…ここの風景は見覚えがあるとかなんとか言い張ったわりには、解読後「白金台」だということが分かり、嘘を申しておりましたなんてことも……。白金台には行ったことはないです。生粋の世田谷っ子なのです。(でもシロガネーゼは以前テレビで観た)…街角なんてけっこう似ているもんなのだ(苦笑)。
80年代の写真を見るとやはり懐かしい感じがします。「そうそうこんなだったよ、当時は」と。
そうバブリーな頃は女性のマユゲが太かった!景気とマユゲの太さが関係しているというのは本当だろーか?高校球児のマユゲまで細い21世紀はどーなるんだー!?
〒157-0075 東京都世田谷区砧公園1-2

ミュシャ展

ミュシャ展私が尊敬してやまない“ミュシャ”の絵を観に東京都美術館へ行ってきましたー。
天気は頗る悪く、雨がパラついたり曇りに戻ったり、美術館へ入る人・出る人みながこの天気に右往左往している感じ。華やかなミュシャの絵とは正反対な天候だ。だがしかし、館内に入ってしまえばそんな天気具合は何処へやら!一歩踏み込めば、そこにはもう延々と広がるミュシャ・ワールドが…!
ミュシャと言えば、アールヌーボーの艶やかなイラストレーションが浮かぶけれど、どうもそれはミュシャのほんの一面だったらしい。油絵も描けば、宝飾品のデザインもする。
精細なデッサンがあればこそ!のイラストレーションの数々は、見ているだけで溜め息が…。
これぞ巨匠ミュシャの作品。
画集では味わえないビッグ・サイズの作品群に圧倒されてしまう。
この空間すべてがミュシャ・ミュシャ・ミュシャ!!!!………そんなミュシャでも初期の作品にはやはり若さを感じる。絵というのはどんどん成長していくものなんだと実感。
習作を描くときに、鉛筆・ペン・インク・クレヨン・ドローイング・木炭・チョークにパステル、水彩とそのときどきで何でも使ってしまうところには惚れます…。私もラクガキや下書きにはペン立てにささってる様々なペン(鉛筆・筆ペン・いろんな太さ、色のペン・サインペン・パステル・木炭…etc)をそのときどきの気分で使っているので、用具にこだわらない人が好き。いや、でもミュシャはそのときどきでいちばん良いと思われるモノを使っていたのかもしれないよな…。まあいいや、勝手に思い込み。
ミュシャの生まれはチェコ。生きている間に第一次大戦を経験している。
その頃はチェコ語学校のための資金収集キャンペーンポスターを作っていた。
ハプスブルク帝国でドイツ化政策が進み、公立学校ではドイツ語が採用されていたため。
このポスターはアールヌーボーの巨匠には似合わない程に暗い。宝くじのポスターだと書いてあったので何故こんなに暗いのかと思っていたらチェコのそういう逼迫している状況があったからだ。
第二次大戦は勃発前に亡くなったため第三帝国との関わりはない。1933年ヒトラーが首相となりナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)が台頭。1938年にスデーテン地方もドイツ領となった。ミュシャがもっと長生きしていたら、祖国のためにさらに色々なことをしたのだろうなあと思ってみたり。反戦運動でなくても何か…。
私が今回改めて、いちばん好きになった作品はプラハ時代に描かれた「アメリカでのクリスマス」(1919年油彩)。全体がふわふわしたイメージで、少女のふっくらした感じ、温かみ、清楚さがほんわかと伝わってくる。観ているとこっちまで幸せな気分になるのだ。少女自身はそんなに笑っているわけでもないのに、眺めていると笑顔のようにも見えてくる。不思議。惚れてしまうよ…(冗談)。
他の好きな作品をざざっと挙げると、
■「少女の頭部」(1900年ブロンズ・銀・金メッキ)
   これまで観た像の中でもこれがいちばん!
■「『ジスモンダ』のポスター」(1894年リトグラフ)
   淡い色合いと女性の目線が好き。
■「『愛人たち』のポスター」(1895年リトグラフ)
   人間の動きが最高。本当に生きているみたいだ。
■「12カ月の下絵」(1899年鉛筆・白のハイライト)
   完成品よりも下絵のが好きなのです。
■「黄道十二宮」(1896年リトグラフ)
   髪がアーチしているデザイン具合といい各星座といい女性の横顔、全体のバランス、色彩すべてが美しい。
■「ビザンティン風の頭部:ブロンド」(1897年リトグラフ)
   宝飾品の素晴らしさ、女性の横顔のラインの美しさが絶妙!
■「羽根」(1899年リトグラフ)
   全体のラインが好き。
……といった感じです。
【ミュシャのこと】
アルフォンス・ミュシャ −Alfons Mucha−
1860年(万延元年)7月24日チェコ(南モラヴィア)生まれ。
アール・ヌーヴォーの巨匠。ウィーン、ミュンヘンで学んだ後パリに出て数年の下積み時代を経験。
女優サラ・ベルナールのポスター「ジスモンダ」を制作し一躍有名になる。
ミュシャの作品なくしてはアール・ヌーヴォーは語れないとまで言われ、別名「ミュシャ様式」とも呼ばれている。
主な作品『ジスモンダ』、『四季』、『サロン・デ・サン』、『スラブ叙事詩』など。
1939年(昭和14年)7月14日没。

〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36

映画資料展「生誕100年 映画監督・成瀬巳喜男」

邦画はあまり観ないため、成瀬巳喜男氏の作品も失礼ながらほとんど知らず…。ご高名な事のみ承っておりますといったところだ(迂愚で申し訳ありません)。
今回、世田谷文学館で行われた「生誕100年 映画監督・成瀬巳喜男」は映画資料展なので、映画を撮ることに関して興味を持っている私にとっては興味津々な展示だった。
撮影台本やセットの図面、脚本、セットの再現などなど映画製作の様々な資料を目の前にし、心躍った。
映画製作の大変さが伝わってくる一方でその魅力も全身に染み渡ってくる。
ああ、何て素晴らしいんだろう…。
なかでも私の目に留まったのは映画のポスター。
当時はポスターは手描き。現在のように写真を加工してテキストを入れて…という作業とはまったく違う。文字もすべて手で描く。しかし、ひとつひとつのポスターに味があり、今のようなデジタル感たっぷりの勢いはないけれど、人物の精彩さや位置関係(配置?)、文字の感じ、全体の統一感、これらすべてをひっくるめて、とにかくデザイン性が非常に高い。アナログの凄味だ。
デジタルによるポスターが横行するなかで、アナログ感たっぷりのポスターを製作したら、もっと人の心を掴む作品が出来るのでは、なんて思ってしまう。
【成瀬巳喜男のこと】
1905年(明治38年)東京生まれ。
昭和5年『チャンバラ夫婦』で監督デビュー。
主な作品『めし』、『おかあさん』、『稲妻』、『夫婦』、『妻』、『あにいもうと』、『山の音』、『晩菊』、『浮雲』
最後の作品『乱れ雲』、生涯に89本の映画を製作する。
1969年(昭和44年)7月2日没。

〒157-0062 東京都世田谷区南烏山1-10-10

POP ART &co.

渋谷文化村で開催中の『ベラルド・コレクション 流行するポップ・アート』。
明日までの開催なので急いで行ってみたものの、なんとなく入る気がせず、出口の係員さんに頼んでカタログを買って終わりにした。
カタログを見たところ、メル・ラモスやロバート・ベクトル、ドン・エディ、トム・ブラックウェルの作品があった。メル・ラモスの≪ヴィルナバーガー≫は本物を観ておきたかったと、あとになって思ってしまった。
それから、ジョン・デ・アンドレアという人の作品にはビックリだ。カタログを見た限りでは彫刻というより生きている人間に思えた。この身体美は素晴らしい。3次元作品を作り出す人はスゴイ。
2004年11月6日[土]〜12月26日[日]〒150-8507 東京都渋谷区道玄坂2-24-1 BunkamuraB1F

日本漫画映画の全貌展

『日本漫画映画の全貌』展が本日で終了してしまう。観に行きたかったので残念だ。
アール・ヌーボー展を観に行けなかった時と同じくらい残念でならない。東京都現代美術館は私の家からだとアクセスが面倒で、とても中途半端な位置にあるのだ。
日本最初の本格的長篇色彩漫画映画「白蛇伝」を、宮崎駿氏が一目ボレしたという“白娘”を観ておきたかった。
会場はA〜Dのゾーンにわかれているらしく、Aが〈誕生〉で戦前〜戦後、Bが〈発展〉で東映動画、Cが〈継承〉でAプロ・テレコム・スタジオジブリ、Dが〈現在〉で特設ミニシアターや体験コーナーがあったもよう。
ナウシカ、ラピュタの作画資料も見たかったけれど、ルパンのカリオストロの城に出てきた「フィアット500」の再現を特に見ておきたかったかな。あの車を再現してしまったとは、心躍る。
9月半ばまでの開催だったらよかったのにな。
2004年7月15日[木]〜8月31日[火]東京都江東区三好4-1-1(木場公園内)
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。