2016年11月15日
母のじゅうたん
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冬時期だけ使用していた廊下用のじゅうたん。
母と父と一緒に暮らしていた頃の思い出の品。
母が闘病中にも敷かれていた。
しかし、今年の春先にそのじゅうたんは無くなった。
妻が捨てたのだとばかり思っていた。
母が他界して、色々な手続きや対応で追われていた中、
それ以外のたくさんの事は妻に任せていた。
じゅうたんそんな中の一つだった。
元々は父がトイレに向かう際に、手すりを伝って
ゆっくりとゆっくりと自分で歩いていた時、
足が冷えないようにと母が用意したものだ。
父の左半身麻痺が少しずつ悪化するにつれて
歩行時の足の出方も悪くなっていった。
次第にスリッパは履けなくなり、
いろいろな室内履きも試したが、行く末は素足だった。
素足が一番危険度が低いと判断した。
だから、廊下にじゅうたんが必要だった。
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このじゅうたんからはまだ母の温もりが
感じられる。
確かに母はその上を歩いていた。
最期は足がむくんでしまい、
まともに歩けなくなった母が牛歩で歩いていたことも
思い出される。
それを見て、車椅子・・・ならずキャスター付きの椅子で
移動するようになったのだが・・・使ったのは
ほんの2〜3回だったと思う。
何もかもが遅かったのだ・・・。
そしてそれは誰にも分らなかった・・・。
きっと母でさえもあんなに突然逝くことになるとは
思っていなかった筈だ。
最期の時の言葉からも、母のその気持ちは伺えた。
「もう少しこっち(現世)に居たかった」
いくつか言葉を遺したうちの一つがそれだった。
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冬時期だけ使用していた廊下用のじゅうたん。
母と父と一緒に暮らしていた頃の思い出の品。
母が闘病中にも敷かれていた。
しかし、今年の春先にそのじゅうたんは無くなった。
妻が捨てたのだとばかり思っていた。
母が他界して、色々な手続きや対応で追われていた中、
それ以外のたくさんの事は妻に任せていた。
じゅうたんそんな中の一つだった。
元々は父がトイレに向かう際に、手すりを伝って
ゆっくりとゆっくりと自分で歩いていた時、
足が冷えないようにと母が用意したものだ。
父の左半身麻痺が少しずつ悪化するにつれて
歩行時の足の出方も悪くなっていった。
次第にスリッパは履けなくなり、
いろいろな室内履きも試したが、行く末は素足だった。
素足が一番危険度が低いと判断した。
だから、廊下にじゅうたんが必要だった。
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このじゅうたんからはまだ母の温もりが
感じられる。
確かに母はその上を歩いていた。
最期は足がむくんでしまい、
まともに歩けなくなった母が牛歩で歩いていたことも
思い出される。
それを見て、車椅子・・・ならずキャスター付きの椅子で
移動するようになったのだが・・・使ったのは
ほんの2〜3回だったと思う。
何もかもが遅かったのだ・・・。
そしてそれは誰にも分らなかった・・・。
きっと母でさえもあんなに突然逝くことになるとは
思っていなかった筈だ。
最期の時の言葉からも、母のその気持ちは伺えた。
「もう少しこっち(現世)に居たかった」
いくつか言葉を遺したうちの一つがそれだった。
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