2016年10月17日
葬儀
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葬儀・・・儀式・・・風習・・・歴史・・・先祖代々・・・
日本人だけでなく、どの国でも死者は弔われる。
その手段や方法に違いはあるものの、
共通する部分は多々ある。
最期のお別れとして、亡骸を・・・今生の最期の姿を
見に足を運んでくる。
自分もその中の一人だ。
葬儀は悲しいものである反面で、
故人とのことを懐かしむことが出来る場でもあり、
溢れる思いで胸がいっぱいになる。
だから悲しいだけではない。
葬儀は、思い出す場所だ・・・故人を思い出すことが、
故人の供養にもつながる。
思い出してあげることが供養なのだと教わった。
そもそもで、アメリカやイギリスでは供養はしない。
その目的や思いに大きな差はないとは思うが、
アメリカやイギリスでは死者や先祖に対して「祈り」を捧げる。
小さな島国、日本・・・葬儀にはお坊さんが主流。
しかし、与那国島では、葬儀の際にお坊さんはいないとか・・・
同じ国でも、県や地域によって・・・宗教によって
風習やしきたりは色々とあるようです。
ですが、儀式としてお見送りする気持ちに大きな違いはなく、
供養する側の心持一つなのでは・・・と感じています。
残りの人生、葬儀にあと何回参列させていただけるかは
わかりませんが、年々歳をとるにつれ、
ただ参列していた若き頃から、少しずつの心の変化が
知らずしらずのうちに宗教的感覚が研ぎすまされ、
人の一生についての考え方変わりつつある。
歳をとったと言えばそうなのだろう。
葬儀の最中にそんなことも考えていた。
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葬儀・・・儀式・・・風習・・・歴史・・・先祖代々・・・
日本人だけでなく、どの国でも死者は弔われる。
その手段や方法に違いはあるものの、
共通する部分は多々ある。
最期のお別れとして、亡骸を・・・今生の最期の姿を
見に足を運んでくる。
自分もその中の一人だ。
葬儀は悲しいものである反面で、
故人とのことを懐かしむことが出来る場でもあり、
溢れる思いで胸がいっぱいになる。
だから悲しいだけではない。
葬儀は、思い出す場所だ・・・故人を思い出すことが、
故人の供養にもつながる。
思い出してあげることが供養なのだと教わった。
そもそもで、アメリカやイギリスでは供養はしない。
その目的や思いに大きな差はないとは思うが、
アメリカやイギリスでは死者や先祖に対して「祈り」を捧げる。
小さな島国、日本・・・葬儀にはお坊さんが主流。
しかし、与那国島では、葬儀の際にお坊さんはいないとか・・・
同じ国でも、県や地域によって・・・宗教によって
風習やしきたりは色々とあるようです。
ですが、儀式としてお見送りする気持ちに大きな違いはなく、
供養する側の心持一つなのでは・・・と感じています。
残りの人生、葬儀にあと何回参列させていただけるかは
わかりませんが、年々歳をとるにつれ、
ただ参列していた若き頃から、少しずつの心の変化が
知らずしらずのうちに宗教的感覚が研ぎすまされ、
人の一生についての考え方変わりつつある。
歳をとったと言えばそうなのだろう。
葬儀の最中にそんなことも考えていた。
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