2016年10月07日
アルコール依存症の父に暴力を振るった日
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私が物心ついた時から20代前半頃まで、
父はアルコール依存症だった。
私が小学生の頃、父は度重なる入退院を繰り返していた。
中学生になると、入院することは無くなったが
幻覚を見るなど、症状に改善がみられた訳ではなく、
家計の問題が生じていたからだ・・・と、
今になって気が付く。
実際、家庭を持ち、子供を育て、家計をやりくりする過程で
いろいろな謎が解けていく。
高校生の頃、私の精神は限界点に達していた。
限界点と言っても、もともとの容量が浅い。
それが私の特徴・・・短所でもある。
アルコール依存症を患者として見ることが出来なかった。
それは、あくまでも父であり、情けない父親としてしか
見ることが出来なかった。
酒を断つことが出来ない父・・・そして酒を買い与えてしまう母。
双方に対して怒りが湧いた。
それは日に日に積もり積もっていった。
母には、こんな父とは縁を切れ・・・と心無い言葉を浴びせた。
父には、なぜ酒を止められないのかと執拗に咎めた。
その頃の父は仕事をしなかった。
アルコール依存症の父は、少しずつ、着実に
信用を失っていた。
父は職人で、経営者でもあった・・・が、
しかし、やがて仕事をもらうことが出来なくなった。
そんな状況が数年続いていた。
私からの度重なるプレッシャーがあったからか、
就活をしていたようだった。
ある時、母が取った電話は、父を採用する旨の内容だった。
母はその場で低調に断った。
なぜか・・・その職業はタクシーの運転手だった。
アルコール依存症の父に
人の命を預かる仕事が出来るわけがなかった。
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暴力を振るったのは、アルコール依存症の父ではなく
・・・私だった。
私が父に対して暴力を振るうことになったきっかけは
正直覚えていない。
言うことに耳を持たない・・・そうとしか取れなかった
未熟な自分にとって、暴力しか浮かばなかった。
父をサンドバックのようにしたこともある。
ただ、そんな中でも、少々の理性があったのか、
父の顔だけは殴らなかった。
父を精神的に追い込んだのは暴力的な私だった。
父が物置で、毛布をかぶり泣いていたこともあった。
その足元には飲みかけのウイスキーのボトルがあった。
その時も、怒りはあったが、怒り以上に
悲しくなった・・・内に入れと言った自分に
父は泣きながら「ごめんな・・・」と言った。
あれから25年以上が過ぎた・・・
父は脳梗塞で半身麻痺・・・母はこの世から去った。
一つ一つの積み重ねでここまで来た。
その一つ一つが懐かしくもあり
悲しくもある。
・・・父にも母にも謝らなければならないことが沢山あった・・・。
母はこの世を去ったが、父は今も生きている・・・。
やるべきことは一つだ。
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アルコール依存症だった父
私が物心ついた時から20代前半頃まで、
父はアルコール依存症だった。
私が小学生の頃、父は度重なる入退院を繰り返していた。
中学生になると、入院することは無くなったが
幻覚を見るなど、症状に改善がみられた訳ではなく、
家計の問題が生じていたからだ・・・と、
今になって気が付く。
実際、家庭を持ち、子供を育て、家計をやりくりする過程で
いろいろな謎が解けていく。
高校生の頃、私の精神は限界点に達していた。
限界点と言っても、もともとの容量が浅い。
それが私の特徴・・・短所でもある。
アルコール依存症を患者として見ることが出来なかった。
それは、あくまでも父であり、情けない父親としてしか
見ることが出来なかった。
酒を断つことが出来ない父・・・そして酒を買い与えてしまう母。
双方に対して怒りが湧いた。
それは日に日に積もり積もっていった。
母には、こんな父とは縁を切れ・・・と心無い言葉を浴びせた。
父には、なぜ酒を止められないのかと執拗に咎めた。
その頃の父は仕事をしなかった。
アルコール依存症の父は、少しずつ、着実に
信用を失っていた。
父は職人で、経営者でもあった・・・が、
しかし、やがて仕事をもらうことが出来なくなった。
そんな状況が数年続いていた。
私からの度重なるプレッシャーがあったからか、
就活をしていたようだった。
ある時、母が取った電話は、父を採用する旨の内容だった。
母はその場で低調に断った。
なぜか・・・その職業はタクシーの運転手だった。
アルコール依存症の父に
人の命を預かる仕事が出来るわけがなかった。
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度重なる暴力
暴力を振るったのは、アルコール依存症の父ではなく
・・・私だった。
私が父に対して暴力を振るうことになったきっかけは
正直覚えていない。
言うことに耳を持たない・・・そうとしか取れなかった
未熟な自分にとって、暴力しか浮かばなかった。
父をサンドバックのようにしたこともある。
ただ、そんな中でも、少々の理性があったのか、
父の顔だけは殴らなかった。
父を精神的に追い込んだのは暴力的な私だった。
父が物置で、毛布をかぶり泣いていたこともあった。
その足元には飲みかけのウイスキーのボトルがあった。
その時も、怒りはあったが、怒り以上に
悲しくなった・・・内に入れと言った自分に
父は泣きながら「ごめんな・・・」と言った。
あれから25年以上が過ぎた・・・
父は脳梗塞で半身麻痺・・・母はこの世から去った。
一つ一つの積み重ねでここまで来た。
その一つ一つが懐かしくもあり
悲しくもある。
・・・父にも母にも謝らなければならないことが沢山あった・・・。
母はこの世を去ったが、父は今も生きている・・・。
やるべきことは一つだ。
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