2018年11月26日
届かなかった父の声
左半身麻痺となった父が
私たちに伝えたかった言葉の多くを理解できないまま
父を見送る形となった
56歳で発症して以来
年々悪化し続けた父
気づけば発する言語の殆どを失っていた
ジェスチャーと雰囲気とかすかな音声から
稀に何とか読み取ることが出来ることが出来た
父に長年付き添っていた母はもっと理解できたが・・・
4か月前の7月末
S氏という幼少の頃からお世話になっている方が入院した
それを知ったのは8月のお盆時期であった
それ以来、週に一度のペースでお見舞に行っている
S氏は両親が可愛がった人でもある
脳溢血で入院し、今はリハビリに専念している
S氏も父と同じように左半身が不自由になっている
だからいちいち父と境遇が重なる
父と大きく違うのはハッキリと会話ができるということ
動かなくなっている左肩の具合
手先指先までの痺れている感覚の表現
左脚の状態
何をどうしたら激痛が走るか
リハビリの辛さと歯痒さ等
色々なことを話してくれる
そのS氏を通して気づくことは多い
まるであの日の父の気持ちが手に取るようにわかるかのように
父がS氏と同じ感覚を持っていたかどうかはわからない
しかし
きっと父も近い感覚であったのではないか
そう思うと
申し訳なさが溢れ出てくる
わかってあげられなかったという事は
父からしてみればわかってもらえなかった・・・
何の理解もしてもらえない闘病生活は
父にとって病気そのものよりもつらかったかもしれない
伝えたいことが伝わらない
本当にその気持ちを理解してあげることが出来るのは
私が同じ状況下になった時だろう
届くことのなかった父の声は
今こうして、父が可愛がったS氏を通して伝えられたような気がする
AD
私たちに伝えたかった言葉の多くを理解できないまま
父を見送る形となった
56歳で発症して以来
年々悪化し続けた父
気づけば発する言語の殆どを失っていた
ジェスチャーと雰囲気とかすかな音声から
稀に何とか読み取ることが出来ることが出来た
父に長年付き添っていた母はもっと理解できたが・・・
4か月前の7月末
S氏という幼少の頃からお世話になっている方が入院した
それを知ったのは8月のお盆時期であった
それ以来、週に一度のペースでお見舞に行っている
S氏は両親が可愛がった人でもある
脳溢血で入院し、今はリハビリに専念している
S氏も父と同じように左半身が不自由になっている
だからいちいち父と境遇が重なる
父と大きく違うのはハッキリと会話ができるということ
動かなくなっている左肩の具合
手先指先までの痺れている感覚の表現
左脚の状態
何をどうしたら激痛が走るか
リハビリの辛さと歯痒さ等
色々なことを話してくれる
そのS氏を通して気づくことは多い
まるであの日の父の気持ちが手に取るようにわかるかのように
父がS氏と同じ感覚を持っていたかどうかはわからない
しかし
きっと父も近い感覚であったのではないか
そう思うと
申し訳なさが溢れ出てくる
わかってあげられなかったという事は
父からしてみればわかってもらえなかった・・・
何の理解もしてもらえない闘病生活は
父にとって病気そのものよりもつらかったかもしれない
伝えたいことが伝わらない
本当にその気持ちを理解してあげることが出来るのは
私が同じ状況下になった時だろう
届くことのなかった父の声は
今こうして、父が可愛がったS氏を通して伝えられたような気がする
AD
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8334403
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック