2016年09月14日
母がくれた時間 その6
ふと思うことがある。
なぜあのタイミングだったのか・・・
母が肺がんであることが分かったその年、
私は、管理職を降りた。
何年続いただろう・・・役職になって上ずった気持ちと
引き締まる気持ちが交錯して、
地に足がつかない日が続いていた気がする。
いずれも両親と同居することになってからの出来事。
結果、短い同居生活となった。
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気が付けば、母は他界し、父は施設でお世話になっている。
仕事仕事仕事・・・世間でも良くある光景の一部・・・
仕事一辺倒の生活が数年間続いた・・・その間、
父の介護は母にまかせっきり・・・母が倒れるのも当然。
私が管理職を降ろしてもらって間もなく、
母はタイミングを計ったように病床に倒れた。
以後、生活は一変した。
仕事に追われず、平穏な日々は続くことなく、
ほんの束の間の休息となり、
母と父の世話をする日々が始まった。
母の入院先へ顔を出すことほぼ毎日。
当時、父はショートステイ契約からロングステイに変更。
施設には週に2〜3度ほどのペースで顔を出した。
その頃の父は良く泣いた・・・
突然の変化に心がついてこれなかったのだろうと思う。
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母とは毎日顔を合わせて会話も沢山した。
それは退院後も続いた・・・当たり前のことだが・・・。
仕事に追われている自分にとって、母との会話は
週末のひととき程度だったんです。
朝早く出て、夜遅く帰る生活は
年金生活の両親とは合うわけもなく・・・
それは母が病気を患ったことで解消されたかのようだった。
本当に情けない話だ・・・。
約1年・・・母と交わした時間は、自分にとって
かけがえのない想い出となった。
母が病気をしなければ、気づくことが出来なかった・・・
いろいろなことに・・・自分のことに・・・母のことに・・・
当たり前のことが遠く感じる・・・
全ては母が身をもって気付かせてくれた。
何気ない時間は、限られている。
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なぜあのタイミングだったのか・・・
母が肺がんであることが分かったその年、
私は、管理職を降りた。
何年続いただろう・・・役職になって上ずった気持ちと
引き締まる気持ちが交錯して、
地に足がつかない日が続いていた気がする。
いずれも両親と同居することになってからの出来事。
結果、短い同居生活となった。
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気が付けば、母は他界し、父は施設でお世話になっている。
仕事仕事仕事・・・世間でも良くある光景の一部・・・
仕事一辺倒の生活が数年間続いた・・・その間、
父の介護は母にまかせっきり・・・母が倒れるのも当然。
私が管理職を降ろしてもらって間もなく、
母はタイミングを計ったように病床に倒れた。
以後、生活は一変した。
仕事に追われず、平穏な日々は続くことなく、
ほんの束の間の休息となり、
母と父の世話をする日々が始まった。
母の入院先へ顔を出すことほぼ毎日。
当時、父はショートステイ契約からロングステイに変更。
施設には週に2〜3度ほどのペースで顔を出した。
その頃の父は良く泣いた・・・
突然の変化に心がついてこれなかったのだろうと思う。
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母とは毎日顔を合わせて会話も沢山した。
それは退院後も続いた・・・当たり前のことだが・・・。
仕事に追われている自分にとって、母との会話は
週末のひととき程度だったんです。
朝早く出て、夜遅く帰る生活は
年金生活の両親とは合うわけもなく・・・
それは母が病気を患ったことで解消されたかのようだった。
本当に情けない話だ・・・。
約1年・・・母と交わした時間は、自分にとって
かけがえのない想い出となった。
母が病気をしなければ、気づくことが出来なかった・・・
いろいろなことに・・・自分のことに・・・母のことに・・・
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全ては母が身をもって気付かせてくれた。
何気ない時間は、限られている。
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