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2016年04月04日

母がくれた時間 その4

抗がん剤治療で一喜一憂




肺がんの母にとって、抗がん剤が頼みの綱でした。
副作用の恐怖に怯えつつも、母の体内に蔓延している
がん細胞をどこまで追い込むことが出来るのか・・・!?
それが楽しみでもあり、大きな期待でもありました。

始まった副作用にもひるまずに、着々と抗がん剤の投与を
続けていく母にとって、毎日が闘いであったのだと思います。
それでも母は、笑顔を見せ続けてくれました。
もちろん辛い時は辛いとも訴えてくれました。

調子の良い日は散歩に出掛け、近所の友人と出掛けたり、
娘と買い物を楽しんだり・・・温泉旅行にも行きました。
決してたくさんではありませんでしたが、限られた時間を・・・
最期の9か月間を自宅で過ごすことが出来たことは、
母にとっても私たちにとっても良い想い出となりました。

抗がん剤を投与して最初の2クールは、その効果がわからない
状況が続きました。
その後3回目の投与後に初めて抗がん剤の効果が出たことを知らされた母が、
とても嬉しそうに帰宅したことを思い出します。

抗がん剤の効果は4クール目にも現れました。
抗がん剤治療開始前と比べると、一目瞭然の状況に
気力も充実して、生きる気力が湧いて来たかのような笑顔。

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この期間は、奇跡という言葉が常に頭にありました。
抗がん剤の効果が目に見える上に、母の活力も上がっているように
感じられる日々・・・

このまま突き進んでくれれば
まさかのがんの消去も夢ではない・・・、
そんな希望を持っていたのは、私たち家族だけでなく
母もまたそれ以上の期待を持っていたのかもしれない。

逆転負け!?
抗がん剤5回目の投与後に、がん細胞の減少の足が止まった。
前回画像と見た目ではほとんど変わらない。
見ようによっては増えている・・・ともとれる微妙な状況。
最期の6クール目の投与後、その日は訪れた。

母のがん細胞が再び増殖を始めた。
ペメトレキセド+カルボプラチン療法の最終段階で
まさかの展開に、母の心は崩れ落ちた様だった。
これと言って気の利いた言葉を掛けてあげることも出来なかった。
ただ、一緒にいてあげることしかできない自分の
無力さに怒りさえ感じた・・・。

抗がん剤治療を継続するなら、次の投与はシスプラチン。
しかし、母は治療の続行を断念することを決めた。
事実上の無治療の始まりでした。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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