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2016年02月04日

”はな”さん、コメント拝見しました。

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”はなさん”コメントをありがとうございました。
弟さんは、1年で別人のようになってしまったのですね・・・。

そばで看病されている側として、とてもいたたまれないはずです。

自分の家族がまさか・・・!?

母が肺癌だと知った時、素直にそのような感想を抱きました。
なんでも他人事だと思っていてはいけないのだと実感したのも
この時期でした・・・。

それでも、治療開始の出だしは母も元気そのもので
この母が本当に癌を患っているのかと、不思議に思うことも
しばしばありました。

治療が始まると、母の辛そうな様を目の前に現実逃避していた自分が、
力づくで引き戻されたような感覚になりました。
やはり、母は癌だった・・・当然のことながら、
改めて実感させられてしまう、と言った感じでした。

見る見るうちに痩せていく・・・と言うよりは、気が付いたら
痩せていた、と言った方が正しい表現化もしれません。

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入院中も、ほぼ毎日通いましたし、もともと母とは同居暮らしなので
退院後は毎日顔を合わせる日々・・・やせ細っていく様は
なかなか感じづらいのが本当のところでした。

なので、あれ!?痩せたかな!?と感じた時には
かなり痩せ細っていて、そのタイミングが
夏の暑い時期に、母の二の腕が露出した時だったと思います。

それまでにも、洋服を着ていても、ダボダボ具合から体型の変化は
簡単に想像できていましたが、肌が露出すると現実感が半端ありません
でした。

そんな母本人の口から、私やせ細っちゃった・・・と
つぶやくように語られても、気の利いた言葉を返すことも
出来ずに、そんなことないよ、とバレバレの返事しか
出来なかったことを思い出します。

とにかく食べて欲しくて、フルーツ、ゼリー状の栄養ドリンク
デザート・・・最終的にはアイスなんかも・・・

カロリーだの、糖分だの、塩分だの、
考える余裕もなくなりました。

食べないよりは食べた方が・・・というとても単純な発想ですが、
そこまで追い込まれる!?ほどに焦った時期もありました。

でも・・・食べれないんです・・・
抗がん剤の余波は、そんなに生ぬるいものではなかったんです。
調子が良くて、食べれそうでも、そのあとに吐き気が来て
全部吐いてしまうかと思うと、結局食べれなかったりするんです。

そばにいてあげることしかできない上に
そばにいることが辛い・・・癌と闘うということは
その家族もまた、癌と闘うということなのでしょう・・・。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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