2015年09月30日
ステージ4の肺がんの母に今してあげられること。
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家族としてしてあげられること
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ステージ4の肺がんが、母の左右の肺を白く染め始めた。
細かい塵(ちり)が無数にまき散らされた母の両肺は、抗がん剤治療を中止した直後とは
比較にならないほどに白くなっていた。
この画像を一緒に見ていた母は一体どのような心境で見ていたのだろう。
私たちは動揺せずに平静を装っていましたが、とてもショックで、その現実を受け止めたくない。
救いなのは、現在の母が元気であること。
===============================
現時点での余命の確認はしませんでした
===============================
入院当初、母の病名が「非小細胞肺がん」の「ステージ4」であることが分かった時点で、
当時の担当医から告げられたのは「余命2か月」でした。
この数字はあくまでも全く治療をしなかった場合の予測される余命です。
医師の推奨通りの治療を受け続けてきた母の余命については、母も私たちも触れずにここまで来ました。
(転移した脳腫瘍摘出手術〜放射線治療〜抗がん剤治療までを滞りなく済ませました)
抗がん剤治療を中止する時にも、中止した場合の余命確認すらしませんでした。
決して聞き忘れていた訳ではありません。
聞かないことを選択したのです。
実際、母は何度か余命を聞こうとしていました。
どちらがいいか母に聞かれたのですが、私は聞かない方が良いと答えました。
理由は一つ、告げられた時期をゴールにしてしまうのではないかと考えたからです。
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マッサージをたくさんしてあげよう
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基本的に母との会話は弾む。
おそらく相性が良いのだろうと思います。
しかし、時には沈黙もありだと思うことがあります。
沈黙もまた会話の一つと思うようになったのも、母がこの病気を患ってからの私の心境
の変化にあると思っています。
なにも会話は言葉で交わすことに限らないということです。
母にマッサージを頻繁にしてあげるようになったのも、別に母に頼まれたわけではありません。
マッサージをすることでしかできない会話もあると思うのです。
肩こりと足に重さを感じていた母に、「マッサージ」という会話は好都合でした。
今日も明日も・・・ずっと・・・お世話をさせていただく・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
とにかく笑わせてあげたい
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
肺がんは痛くて苦しいと聞きます。
そう思うと笑わせることすら躊躇(ちゅうちょ)してしまいます。
ですので、考えないようにしています。
母がどんな心境でいるのかはわかりません。
予想は出来ても母の心の奥底は知り得ませんし、仮にその心中を聞けたとしても
実際に死に直面している母の気持ちや心境が自分に理解できるとも思っていません。
私もいつか、死に直面した時にやっと母の今の気持ちがわかるのだと思います。
母を笑わせるには私たち家族が笑わなければ・・・。
母だけを笑わせるのではなくて、一緒に笑うことでお互いに本当に楽しくなれる。
やさしい言葉なんてわざとらしくなるので言わない。
おいしい食事を母に??本当に美味しい食事とは、一緒に食べることではないでしょうか!?
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家族としてしてあげられること
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ステージ4の肺がんが、母の左右の肺を白く染め始めた。
細かい塵(ちり)が無数にまき散らされた母の両肺は、抗がん剤治療を中止した直後とは
比較にならないほどに白くなっていた。
この画像を一緒に見ていた母は一体どのような心境で見ていたのだろう。
私たちは動揺せずに平静を装っていましたが、とてもショックで、その現実を受け止めたくない。
救いなのは、現在の母が元気であること。
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現時点での余命の確認はしませんでした
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入院当初、母の病名が「非小細胞肺がん」の「ステージ4」であることが分かった時点で、
当時の担当医から告げられたのは「余命2か月」でした。
この数字はあくまでも全く治療をしなかった場合の予測される余命です。
医師の推奨通りの治療を受け続けてきた母の余命については、母も私たちも触れずにここまで来ました。
(転移した脳腫瘍摘出手術〜放射線治療〜抗がん剤治療までを滞りなく済ませました)
抗がん剤治療を中止する時にも、中止した場合の余命確認すらしませんでした。
決して聞き忘れていた訳ではありません。
聞かないことを選択したのです。
実際、母は何度か余命を聞こうとしていました。
どちらがいいか母に聞かれたのですが、私は聞かない方が良いと答えました。
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基本的に母との会話は弾む。
おそらく相性が良いのだろうと思います。
しかし、時には沈黙もありだと思うことがあります。
沈黙もまた会話の一つと思うようになったのも、母がこの病気を患ってからの私の心境
の変化にあると思っています。
なにも会話は言葉で交わすことに限らないということです。
母にマッサージを頻繁にしてあげるようになったのも、別に母に頼まれたわけではありません。
マッサージをすることでしかできない会話もあると思うのです。
肩こりと足に重さを感じていた母に、「マッサージ」という会話は好都合でした。
今日も明日も・・・ずっと・・・お世話をさせていただく・・・。
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とにかく笑わせてあげたい
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肺がんは痛くて苦しいと聞きます。
そう思うと笑わせることすら躊躇(ちゅうちょ)してしまいます。
ですので、考えないようにしています。
母がどんな心境でいるのかはわかりません。
予想は出来ても母の心の奥底は知り得ませんし、仮にその心中を聞けたとしても
実際に死に直面している母の気持ちや心境が自分に理解できるとも思っていません。
私もいつか、死に直面した時にやっと母の今の気持ちがわかるのだと思います。
母を笑わせるには私たち家族が笑わなければ・・・。
母だけを笑わせるのではなくて、一緒に笑うことでお互いに本当に楽しくなれる。
やさしい言葉なんてわざとらしくなるので言わない。
おいしい食事を母に??本当に美味しい食事とは、一緒に食べることではないでしょうか!?
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