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2017年04月12日

覚悟なき別れ

母を亡くした日からしばらくは
何が何だかわからないままに時を過ごしていた。

私は、母が近い将来逝ってしまうことを知っていた。
もちろん母もそれを知っていた。
宣告は、家族よりも本人が先だった。

命の灯・・・。
人それぞれにやってくる終焉。

事件、事故、災害・・・
過去も現在も未来もなくなることはないだろう。

いろんなケースがあるが・・・
ある日突然命が奪われることの恐ろしさ・・・
何の覚悟も出来ないまま、一瞬で奪われる命がある。

想像しただけで恐ろしいことだが、
世界のどこかで、それは起き続けている。
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もちろん、余命を知ったがために味わう酷なこともある。
死の宣告は時に残酷で、味わい難い恐怖でもあるだろう。
母もそれを身に染みて感じたことだろう。

それに相対して、突然に訪れる死の恐怖。
本人も・・・その家族も・・・
何が起きたのかさえ理解できないことから始まる「死」。
せめて最後に一目、最期に一言・・・
すべてが一瞬で奪われる・・・覚悟も出来ずに。

・・・少なくとも、私は母親が他界してしまうことへの
覚悟を持つことが可能であった。
実際に覚悟が出来ていたかどうかは別として・・・。

母もまた、死の覚悟はできていた・・・。
抗がん剤治療を止めたことも覚悟の一つだったと推測できる。
「死ぬこと自体は怖くない」という言葉も残している。

それらが出来たことは、出来なかった人たちから見たら
とても幸せな状況と感じるのではないかと考える。
私が辛い、悲しいと感じたことは、私自身の尺でしかない。

その尺がとても小さいものだということを気づかされる日々。

幸せと恐怖が表裏一体となっているこの世で
今も生きていられることは奇跡に近いのだろう・・・。

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この記事へのコメント
たびたびお邪魔します。くり子です。

覚悟ということばに、母を思いました。

私の母は、余命宣告を受けて、自分の先祖の墓を(残された者が管理しやすいようにと)寄墓にし、自分の墓を建て、銀行口座を必要最小限のものを残して解約し、カード他契約を解約しました。
思いやり深く責任感の強かった母らしい行動だと思います。

ただ、現世に思い残すことがなかったわけではないのは、99歳まで面倒を見た自分の父親の墓前で「命を少し分けてくれてもよかったのに」とつぶやいていたのを聞いてしまったので、わかっています。


来月12日は一回忌。色々思うところがあります。
satorich さんのブログで、反省したり、勇気づけられたり。お世話になっています。
Posted by くり子 at 2017年04月14日 15:34
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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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