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2017年01月13日

二度目の衝撃から二年

あの転院から二年

二年前・・・2015年1月、

年明け早々に母は転院した。

精密検査のために、医科大学付属の病院に転院した。

最初に担ぎ込まれた病院では、検査のレベルに限りがあり

母の脳内にある異物が何なのかがわからなかった。

私たち家族は、脳疾患と言えば父が脳梗塞でお世話になった

隣の市内の脳神経外科が浮かんだ。

しかし、そこの病院の医師はそこよりも医科大学付属の病院を

勧めてきた・・・。

その時は、お医者さんにもしがらみがあるのだろう・・・

そんなことも思った。

後に思ったことだが、あの時の医師は

母の脳疾患の秘密に薄々気がついていたのだろう。


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二度目の衝撃までのカウントダウン

一度目の衝撃は勿論母が入院した時だった。

まさか母親が入院するとは・・・。

母の脳のCT画像には異物が写っていた。

脳腫瘍の疑い・・・母の実の弟も脳腫瘍で若くしてこの世を去った。

しかも同じ部位に・・・。

祈るような気持ちで、それが腫瘍ではない事だけを願い続けた。

それは転院した後も変わらなかった。

一週間かけて行われた全身検査。

医科大学付属病院は、母のカルテやレントゲン写真を見るなり

転移癌だと見破った。

母の身体のどこかに原発巣があると言った。

何が何だかわからずに、それでも間違いを信じながら

現実逃避にも近い心境で、

藁にもすがる思いで過ごした一週間だった。


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原発巣がわかった上に・・・

肺がんだった。

母の両肺には、癌の腫瘍が点々と映っていた。

そしてまさかのステージW宣告。

もう何を考えたらいいのか・・・落ち着いた振りをするのが

精いっぱいだった。

母はどのような想いだったのだろうか・・・。

あれから二年・・・誰がこの状況を想像できただろうか?

私には到底想像が出来なかった・・・。

母がその後一年も生きることが出来ない・・・

ということを・・・。

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緊急入院した母が,非小細胞肺がん(腺癌)「ステージ4」を宣告され、1年後に他界・・・母の闘病中の記録や、がんに関することを中心に記事にしているブログです。
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