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2018年12月31日

将来の夢

冬期講習中の教え子の高3のY君に聞いてみた。
「将来、何になりたいの?」
「うーん、悩んでいるんです。」
「それはいいことだ。悩めるだけの選択肢があるということだろう?」
「そうですね。有り難い悩みかも知れません。」
「で? 何を目指しているの?」
「…俳優です。」
「イケメンだもんね…。」

Y君は中学も高校時代も、文化祭などで劇の役者をやった経験はない。それでも俳優になりたいという気持ちは、意外なところにあった。
「感性で、人に思いを伝えたいんです。」

役者は、基本的には脚本通り演じる。しかし、その演技は人によって違う。同じ脚本を演じても、同じように台詞を言っても、違いが出る。人間の違いであるが、それは感性の違いだ。にじみ出てくるなんとも言えない味わいがある役者と、そうしたことを余り感じない役者もいる。後者の場合は、だんだんと消えていく…。

「感性で勝負したい。」
というY君の思いには、チャレンジ精神を感じる。

「できるところまでやってみたらいいじゃないか…。若いうちは何でもできるし、すべての経験が学びになる。」

「ところで、他になりたいことは?」
「起業家です。まだ曖昧なんですけど…。」
「そりゃ、いいね。」
「どんな仕事がいいと思いますか?」
「多くの人が幸せになる仕事、喜んでもらえる仕事がいいね…。」
「なるほど…。」

「ところで、そのなりたい仕事のために、今はどんな努力をしているの?」
「まだ、何もしていないんです。何をすればいいか分からないので…。」
「受験が終わったら、思いつくことは何でもやってみたらいい。」

若者の可能性は無限だ。
どんな人生を切り拓くかは、その人自信の天性と努力と運にかかっている。

生まれ持っての天性に努力が加わり、それを見逃さない人が引き立てる。それがある意味での『運』だ。

大方の成功者は、必ず引き立ててくれる人がいる。

平成最後の大晦日。
未来を語るにはふさわしい日ではないか。








2018年12月30日

年賀状を作れない

明日が大晦日だというのに、今年は年賀状がまだできていない。
「年賀状を作ろう」、という気持ちがなかなか湧かないのだ。
もう何日も、「やらなきゃなぁ…」、と思いつつ、行動につながらない。

クラス全員に年賀状を出したこともある。
もしかしたら、昨年はそうだったかも知れない。

以前は、全員の集合写真を使ったこともあるが、最近は、一人ひとりの写真を全面印刷している。
せっかくの写真に挨拶文字を入れるのは忍びないので、挨拶分も宛名の下に書いたりしている。

私は普段から保護者が絶対に撮れない一人ひとりの写真を撮っているので、そんな洒落たことができるのだが、生徒にとっては、この写真はなかなか恥ずかしいようで、正月の家族団らんの話題になるようだ。

新学期になって、
「先生、あの写真はひどいです…。」
などと、笑いながら訴えられるのだから、どの家庭でもそんな感じなのだろう。

合唱コンで歌っているところのアップや、体育祭での競技中、そのたいろいろな行事でのベストショットを選んで年賀状を作る。だが、いつも不安に思うのは、
「全員の写真あるのかなぁ…。」
ということだ。

今まで写真がなくて困ったことはないが、一人ひとりの写真を選ぶのが、かなりの時間を要するので、もしかしたら、それが年賀状を作るという行動を妨げているのかも知れない。

実際年賀状と言っても、写真印刷専用のはがきなので、どちらかというと、家庭に写真を送りつけるような感じだ。

「少しの間でも、どこかに飾ってもらえたらいい…。」
と、思っての制作だが、この年末は作れるのかなぁ。

年賀状の発行枚数は、ここ十五年で半減するほどの勢いで減っているそうだ。
年賀状をメールで済ませることもできることもあり、以前のように一枚一枚心を込めて…、という人も減っているだろう。

「一年に一度だけど、細く長いつき合いがいい…。」
年賀状のメリットとして、そんな話も聞いたことがある。
確かにその通りだろうとも思う。
年賀状の枚数も、お付き合いのある人数とも比例する。

職場の同僚や友人全員に年賀状を出す時代は、終わりつつあるのかも知れない。

世の中は、直接的な絆から、間接的な関係へとシフトしているのだろう。








2018年12月29日

足を引っ張ってはいけない

母校での教育実習中、大学のゼミの先生が実習の様子を見に来てくれた。
そのとき、
「おい丹澤。大学院への推薦、決まったぞ…。」
と言われた。

「ちょっと勉強が足りないな。もう少し勉強したいな…」、と思っていたところだったので、本当に嬉しかったことを思い出す。今となれば、ほとんど勉強せずに、修論提出間際では、非常に苦しい生活を強いられたのだが、それもいい経験だ。何年も前に退職したゼミの先生からは、年に二回のゼミコンパの案内が未だに届く。

ただ、進学に伴い、両親にさらに金銭的な負担を強いることなったことは否めない。未だに両親への恩替えしはできていないので、胸が痛む。

と言うわけで、教育実習の最中に、
「来年の非常勤講師の採用お願いします。」
などと、大胆なお願いをして、無事実習を終えることになる。

教育実習で学んだことは数多い。当時は、恩師が勢揃いしていたし、二年連続で数学の先生が担任だったこともあり、本当に学びの多い実習になった。

今だから思えるのだが、教員にとって卒業生が訪ねて来てくれることは、とても嬉しいことだし、ましてやその卒業生が、新人として戻ってきてくれることは、この上ない幸福を感じるものだ。

そういう意味では、非常勤時代(大学院時代)のたった二年間だったが、母校への多少の恩返しはできたのではないか、と思う。

まだまだ若かった私が、大した授業ができるわけではないが、生徒たちにも一生懸命さは伝わったようで、実習の時に書いてもらった生徒の感想や、非常勤時代の資料は、三十年以上経った今でも捨てられない。

だから、教員になって実習生を抱える立場になった時には、どうしてもハードルを上げてしまう。
「本気で教員になる気があるの?」
と、疑いたくなる人だっているわけだし、中には、
「この教育実習が、社会人になった時のいい経験になると思います。」
などと、平気な顔をして挨拶する強者だっている。

教員の仕事のブラック化が叫ばれている中、「人手不足だからで選んでいる場合ではない」、状態に陥りそうな気配だが、やはり私は、教育に情熱を向けられないならば、この仕事に就いてはいけないと思う。

だから、家族を犠牲にしたり、自分の時間のすべてをなげうってでも、生徒と関わる教員を私は非難することはない。「本当に、ありがとうございます」、と労をねぎらいたい。
学校には、一人や二人、そういう教員がいたっていい。

彼らは目に見えない徳を積んでいるのだろう。
勤務時間だの、法律だのを超越した、自己犠牲や奉仕の精神があるからだ。

だが、すべての教員にできることではあるまい。
だからといって、平均レベルや、レベルの低い方に合わせるように、足を引っ張ってはいけない。

私自身、教員になりたくて、教員になり、教員としての人生を過ごしてきた。

まだまだ元気なうちに、できる限り、その思いと、知恵を伝えていきたいと思う。








2018年12月28日

ぶらりどこかへ出掛けようか…

午前中はのんびり映画を見て、ゆっくり昼食でも食べようとしていたら、校長から着信。本日、面談をしたいとのこと。

折り返し電話をしてもつながらない、仕方なしにショートメールで返信する。

結局、どこにも寄り道することなく帰宅してしまった。
ちょっと欲求不満である。

教員にとっての休日は、英気を養い、新たな教養を増やす時間。
この時期にどれだけエネルギーを充電できるか、また、多くの学びを得られるかが、次の学期のエネルギーにもなる。

普段は、月に一度も全休できる日がないので、特に年末年始は貴重な休日なのだが、たとえこうした休日であったも、容赦なく教頭や校長から連絡が入る。
今や、そういう生活にも慣れているので、何とも思わない。
だが、「たまにはどこか遠く出掛けてしまおうかな…」、とも思う。

教員の世界は、食事時間も短い。
少なくても私はそうだ。給食を経験すると、どうしでも早食いになる。
だから、自分で食事をするときでも、何だか早く食べてしまい、あっけなく食事が終わってしまうのだ。

そこで、「一年に一回くらいは一時間くらい時間をかけて食事をしたいな…」、という思いから、近くのビジネスホテルのレストランで安価なコース料理を頼むことが、ここ何年間の冬の習慣になっていた。しかし、今年はその予定はない。
そのコース料理ですら、ワインを片手にしながらも、さっと食べて、一時間はもたない。
おそらくシェフは、次々と料理を作らなければならず、大忙しだろう。

ぶらり旅も、冬によくやっていた。
新幹線に乗って北の方に行けば、いくらでも巡り歩くところはある。
足がなければタクシーで回ればいい。

いずれにせよ、それが教員生活に活かせるのであれば、さすがに必要経費にはならないけれども、人生の彩りにもなる。

この冬はどう過ごすかな…。
と、思いながら、ゴロゴロしていたら、少し寝てしまった。

結局、校長との面談は18時過ぎ。

「丹澤先生が、以前の面談のとき、生徒が可愛くない、と言っておられたので、心配していました。今はどうですか?」
「頑張ります。」

「本当は70まで務めてもらいたいんですよ。」
以前にも聞いたが、校長がまた言った。
本当なら、ありがたい事なのだろうが…、なかなかそうもいくまい。

「状況はわかりました…。」
と、私から何やら聞き出して、面談は終わった。
一時間以上かかっていた。

明日は、ぶらりどこかへ出掛けようか…。

偶然生徒と会った。
「先生、年賀状、書いたんですか?」
「いやまだ全然…。」

まだまだそういう元気は出ない…。








2018年12月27日

もうひと踏ん張り

「先生は何歳ですか?」
と、問われたときは、
「むかし二十歳。」
と、答えることにしている。

別に嘘をついているわけではない。
だいたい、ある一定の年齢を超えると、歳をとること自体が恐怖であり、喜びからは遠ざかる。
今更、「五十うん歳です」、などと答えた頃で、お互いメリットになることは何もない。

生徒にとっては、
「あっ、僕のお父さんより上だ…。」
などといういらぬ知識を増やすだけである。

そうであっても、どこからから私の生まれ年を調べて、色紙や黒板に、「○○歳おめでとうございます」 、などと書かれることもある。

何年か前だけが、その年齢が間違っていた。
一年余分だったのである。
それを見たとき、自分自身でも、本当は何歳なのだか分からないなった。
「あれ、俺、今年、何歳だっけ?」
という具合である。

還暦、喜寿、米寿だのとこの先、齢を重ねていくのだろうが、歳をとることに価値があるならば、それは、年齢の応じた付加価値がなければいけないだろうと思う。

教員の世界だって、大学新卒の若手から、定年間際のベテランまで、同じ中高生に接するにもかかわらず、その知識と経験の量の差は計り知れない。

先輩教員が、先輩として一目置かれるのは、相応の実績と、安定した仕事ぶり、何があっても動じない心など、経験によって裏付けられた自信があるからだろう。

そう考えると、私自身は、まだまだだ。
私自身がまだまだなのだから、当然、若手の先生方だってまだまだに違いない。

いろいろな不平不満があろうけれども、すべては子供たちのために、『奉仕の精神』で、もう一踏ん張りしてもらいたいと思う。

先日、実家に戻ったとき、母親から尋ねられた。
「その学校もう10年だけど、給料、上がった?」

私の給料は、この10余年、赴任してからまったく上がっていない。
ボーナスだって、この冬こそは出たが、それも二年ぶりだ。

「なんか、おかしくない?」
「まぁ、お金じゃないから…。」
と、誤魔化してみた。確かに対価を考えたら、この仕事はやってはいられない。
だが、一方で、収入的には、この仕事を一生続けられる自信もない。

まだまだな私が、何かしら役に立っていることを信じて、私も、もう人分張りしてみよう。









2018年12月26日

生徒とのつながり

高2の生徒と話をする中、
「家はどこだっけ?」
「○○です。」
「そうそう、○○の△△だ。」
「先生、僕が中1と中2のとき、担任でしたよね。」
「そうだっけ…。」
ちょっと誤魔化してみた。
確かに私が担任をした。だが、それはもう三年前だ。

齢も五十を過ぎると、「自分が、自分が…」、という思いが、いかに悪影響を及ぼすかが経験上よくわかる。

教員であっても、「私の教え子、私が教えた…」、などと言ったり、思ったりしているいいことはない。
どちらかと言えば、奉仕の精神で、良いことも悪いことも、「そんなこともあったなぁ…」、くらいがちょうどよいと思う。

だいたい教員自身が生徒を選ぶことはない。
偶然出会って、何年かすると、何年かすると卒業とともに去っていく。
中には付き合いの続く生徒もいるが、たいていは通過列車が通り過ぎるような、一時期の出会いだ。

人間、誰に対してでも親しくなれるわけではない。もちろん仲良くなる人もいるが、どうしてもそりが合わないような人だっているだろう。
申し訳ないけれど、学校だって同じだ。生徒も保護者も、同じようなことは起こる。

もちろん、ある意味サービス業なのだから、どんな生徒だって、どんな保護者だって、差別することなく関わることにはなる。我々は教育のプロだ。

そう考えると、店舗の店員や、ホテルマンとも似ている。
どんなお客さんが来ようとも、相手の気持ちを察して、いい気分で買い物したり、宿泊してもらうわけで、さすがプロの仕事と言える。

ただ、事情が違うのは、学校は毎日であり、何年も関わり合う状況が続くということだ。
時々買い物に来る客や、ごくたまに泊まりに来た客とは訳が違う。

だから、生徒や保護者の中には、学校やその教員に対して、
「トラブルが起こりませんように…。」
と、祈るような思いで、時が流れるのをじっと待っている人だっているに違いない。

逆に教員側だって、「そう思ってはいけない」、と知りつつも、
「このまま何事もなく、年度を終えてくれ…。」
と、思っている訳だ。

生徒は子供だから、多少は教育的見地から説得することはできるが、保護者は、時には何を言っても分かってもらえないことだってある。

もしかしたら、
「先生、ありがとうございました。」
という言葉や、感謝の思いだけだが、私たち教員を支えているのかも知れない。

彼とは卒業しても、つながりをもてそうだ。








2018年12月25日

久しぶりの東京

久しぶりに実家の東京へ行く。
ここからは新幹線を乗り継いで3、4時間かかる。

平日ながらも、さすがに都会は混雑している。
在来線に乗ったときは、一日の中でも空いた時間になっていたので、一つの車両で立っている人は数人。

ちょうどいい機会なので、「都会で電車に乗っている人は、皆スマフォをいじっている」、という都市伝説を実証してみようと思った。

すると、7人がけの座席に座っている人で、スマフォないしパソコンを持っている人は、確かに5〜6人に及ぶ。
そして、本を読んでいる人は、車両に一人だけだった。

帰宅時にも同じように見たが、やはり同程度で、その車両に本を読んでいる人は一人もいなかった。

「日本は危ういぞ…。」
そんな危機感を覚える。

部活帰りの高校生もいたが、当然スマフォ。参考書を読んでいる人は見当たらない…。

地域柄というか、大規模書店がない田舎暮らしのは私は、昨今はもっぱらネットで書籍を購入する。
地元の図書館で見つけた気に入った書籍は、別途注文して自分で買う。
ネットで評判がよい、と言われる書籍は、中古本を買う。
「読んで、一行でも参考になればいい」、と思っているのである。

夕刻、再び東京駅に戻ってきた頃、教頭から電話があった。
正確には、東海道新幹線の車両から降りる寸前に着信があった。
さすがに電話には出られないので、ホームの階下でかけ直す。
「丹澤先生、これから校長面談があるんですけど…。」

そんな話は聞いていない。
どうやら今朝の打ち合わせで告知があったらしい。
告知のその日から始まるのだから、教員の休みを想定していないわけだ。

「何時頃帰りますか?」
と、言うものだから、19時頃と答える。
寄り道もせず、19時に学校に戻る…。
職員室に立ち寄ると、
「あぁ、校長は日程を変えるって言ってましたよ…。」
と、教頭。

「なら、帰ります。」
と、帰路につく。

廊下で高3とすれ違った。
「丹澤先生、足どうですか?」

二週間ほど前に、自宅でドアに右足の薬指をぶつけたのである。
当初は骨が折れていると思ったくらいで、しばらくまともに歩けずにいたのだ。

「大分よくなったよ。ありがとう。」

なんだか、ほっとした。
生徒と話をしている方が、心が穏やかになる。

「気にしてくれてありがとう。」
ほくそ笑みながら、すべてを忘れ去る…。









2018年12月24日

グランド周りの草刈り

「草刈に行くぞ!」
マネージャー的存在の中3のY君を連れて、グランドへ向かう。
北風が強く、山の雪が舞っていて、とても寒い…。

Y君は兼業農家の息子。刈払機など難なく使える。
中学生に刈払機を使わせるなんて、「危険極まりない」、のだが自宅でも刈払機やチェンソーを使っている彼にとっては、何でもないことなのだ。

もちろん、ゴーグルなど安全装置をつけないで使用しようとすることは、私も許さない。
見ていて安心できるので、勝手にグランドの縁のススキをどんどん刈っていく。
しばらくすると、混合燃料が切れるので、燃料を補給してまた開始。
概ね一時間前後で、グランド周りが綺麗になった。

「ボール三つも切っちゃいましたよ。」
刈払機を使っていると、中に紛れていた軟式ボールも切断される。
傷もののボールになるのである。
「ネットティーくらいには使えるから…。」

そもそもボールを拾っていないのが悪いのだが、草むらに入ったボールは、ほぼ見つからないのだ。
だからこそ、時々こうした草刈りが必要になる。

これで安心して新年を迎えられる。

刈った草の一部は、私が特設畑で燃やした。
それをそのまま土に混ぜ込み、春先に植える野菜のために土を寝かす。

この周辺では、中学生だってがトラクターを操作するし、農作業の通り一遍のことはやる。
近隣の学校に、今でも残る秋休みは、二期制の切り替え時期でもあるが、もとは収穫休みだ。

山が見えるので、雪は山頂付近でチラついているだけだろう。

体を動かしたので、少し汗ばんだ。
やっぱり自然の中で動くのはいい。
寒さなど吹っ飛んでいく。

高校生は冬期講習だから、一日中校舎内にいる。
担当先生はずっと授業。
その中で、私は一日外で作業。

二学期頑張ったから、まぁいいか…。








2018年12月23日

マラソン大会

地元のマラソン大会が行われた。

私の学校では、今年は総勢120余名が、このマラソン大会に参加。生徒のみならず、教職員も走る。

中学生女子は3キロ、高校生女子は5キロ、中学生男子は5キロ、高校生男子は5キロまた10キロを走る。先生たちは5キロか10キロだ。

以前は私自身も10キロや5キロを走ってみたことがある。
その頃は、気が狂ったように、毎日10キロ以上走るトレーニングをしていたのだ。
今月は数百キロ走ったのだの、自画自賛していたし、週に6日は走ろうと決意して、雨が降ろうが、嵐になろうが走っていた。
あるときは、インフルエンザの予防接種日だったので、接種前の早朝に走ったりもした。

だだが、最近はもっぱら写真撮影である。
今はトレーニングしていないし、何より、自分が走ってしまうと、皆の写真が撮れないのである。
こんなにいい素材があるのに、写真を撮らないのはもったいないではないか。

だが、マラソンの写真撮影は難しい。
彼らがいつ通過するか分からないし、刻々と近づいてくる選手にピントを追いながら、撮る。
幸いなことに、私のカメラは連写機能もあるし、私自身、流し撮りのようにカメラを振ることもできるが、それでも満足いく写真はそうそう撮れるものではない。

もちろん通過するメンバー全員の写真はとても撮れるものではないし、良いシャッターチャンスがあっても、ピントがずれていたりすることだってある。

そんな写真撮影をしている折、参加選手の親たちの叫び声が聞こえてきた。
「桃ちゃーん、がんばって!」
母親はたいてい絶叫する。
「いけー、走れ!」
父親の多くは、気合いを入れる。中には伴走する人もいる。
だが、私は叫べない。声も出せない。撮影に必死でそれどころではないのだ。

最近は地元の中学校の校長が、「皆で参加するのだ」と指令を出し、男子中学生の参加は320人を超えた。その上、男子のトップクラスは5キロを15分前後で走る。
ここは、全国レベルの選手もいるマラソンの強い地域なのだ。

終了後全員で記念撮影。
「超広角レンズでないと駄目かな…。」
と、レンズを付け替えたが、結局通常のズームに戻した。先生方が気を遣って、左右を詰めてくれたからである。

通りすがりの人がつぶやく。
「すごーい。あんなにたくさん賞状、取ってる…。」
レベルが高すぎて、男子中学生の入賞は望めないが、高校生は、たとえ招待選手がいようと、結構10位以内に入れる。

ちょっと誇らしげに写真を撮った。

これで私の年内の行事はおしまい。
明日からは高校の冬期講習が始まるが、幸い私は担当しない。

例年になく暖かいマラソン大会がおわり、ふと、二学期を振り返る。
「いろいろあったが、頑張った。」
そう、自分を褒めてあげたくなるような一日になった。








2018年12月22日

祝福の拍手

二学期終業式が行われた。その講話で、校長は三つのいい話を紹介した。

一つ目は、心筋梗塞および心不全で倒れたS先生のこと。
全校生徒の支援の祈りと、二度の手術により、このたび退院の運びとなったこと。
ここで、大きな拍手が起こる。
その拍手が、何とも温かく、とてもいい感じのものだった。
一時は危篤状態まで悪化した病状が、奇跡的に回復し、現場復帰も夢ではなくなったわけだ。

二つ目は、高文連の県大会で最優秀となり、T君の油絵が県代表として、全国大会に出展されることになったこと。
T君は、中学時代は不登校だった。高校から入学して不登校も克服し、好きな絵を描くことで、努力を重ねた。今回の快挙は、「将来はイラストレーターになりたい」、という彼自身の目標の第一ステップとなった。
ここでまた大きな拍手が起こる。
この拍手も、暖かく祝福の波動にあふれるものだった。
この辺りから、私の心にグーと響く。
何だか心が躍るのである。喜びに溢れるのである。
油断すると涙が出てくるくらいの、暖かい祝福の思いに、私自身感動した。

三つ目は、U君のこと。東大オープン模試で、全国一位となったということだ。
中学入学以来、常に学年トップの成績を収めていたが、いよいよ高3になって、さらに本領発揮というところ。もちろん開校依頼初めてのこと。

文系ながら、理系にも強いU君。
以前、「数学のトポロジーの専門書で分からない部分がある」、と質問を受けたことがある。
私の専門がトポロジーであることを知ってのことだが、残念ながら質問には答えてあげることはできなかった。これが高2の頃だったと思う。
「勉強は楽しいからやる。やると楽しくなってまた勉強するのだ」、と豪語する。

U君が紹介されると、今までにないくらいの盛大な拍手が湧いた。まさに拍手喝采である。
その拍手の中には、嫉妬心など微塵も感じない。
あるのは祝福の思いだけである。

この時点で私は涙した。
総勢500名にもおよぶ祝福の思いは、私の心にぐんぐん響く。

祝福は『愛』の思いである。
その愛が、拍手として彼らに向けられる、それがホール全体を包み込む。

その暖かい愛はあふれる心地よい波動に、自然に涙が出てきたのだ。

私自身も拍手をしている。
しかし、拍手をしながら、眼が曇る。

こんな祝福の習慣がある学校って、いいんじゃないかな。

感動するいい終業式になった。








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