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2018年12月26日

生徒とのつながり

高2の生徒と話をする中、
「家はどこだっけ?」
「○○です。」
「そうそう、○○の△△だ。」
「先生、僕が中1と中2のとき、担任でしたよね。」
「そうだっけ…。」
ちょっと誤魔化してみた。
確かに私が担任をした。だが、それはもう三年前だ。

齢も五十を過ぎると、「自分が、自分が…」、という思いが、いかに悪影響を及ぼすかが経験上よくわかる。

教員であっても、「私の教え子、私が教えた…」、などと言ったり、思ったりしているいいことはない。
どちらかと言えば、奉仕の精神で、良いことも悪いことも、「そんなこともあったなぁ…」、くらいがちょうどよいと思う。

だいたい教員自身が生徒を選ぶことはない。
偶然出会って、何年かすると、何年かすると卒業とともに去っていく。
中には付き合いの続く生徒もいるが、たいていは通過列車が通り過ぎるような、一時期の出会いだ。

人間、誰に対してでも親しくなれるわけではない。もちろん仲良くなる人もいるが、どうしてもそりが合わないような人だっているだろう。
申し訳ないけれど、学校だって同じだ。生徒も保護者も、同じようなことは起こる。

もちろん、ある意味サービス業なのだから、どんな生徒だって、どんな保護者だって、差別することなく関わることにはなる。我々は教育のプロだ。

そう考えると、店舗の店員や、ホテルマンとも似ている。
どんなお客さんが来ようとも、相手の気持ちを察して、いい気分で買い物したり、宿泊してもらうわけで、さすがプロの仕事と言える。

ただ、事情が違うのは、学校は毎日であり、何年も関わり合う状況が続くということだ。
時々買い物に来る客や、ごくたまに泊まりに来た客とは訳が違う。

だから、生徒や保護者の中には、学校やその教員に対して、
「トラブルが起こりませんように…。」
と、祈るような思いで、時が流れるのをじっと待っている人だっているに違いない。

逆に教員側だって、「そう思ってはいけない」、と知りつつも、
「このまま何事もなく、年度を終えてくれ…。」
と、思っている訳だ。

生徒は子供だから、多少は教育的見地から説得することはできるが、保護者は、時には何を言っても分かってもらえないことだってある。

もしかしたら、
「先生、ありがとうございました。」
という言葉や、感謝の思いだけだが、私たち教員を支えているのかも知れない。

彼とは卒業しても、つながりをもてそうだ。








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