2020年05月15日
学校教育を再開させよ
緊急事態宣言が解除されたが、県内の学校再開は6月からとのこと。
一体いつまで、学校を閉校にし続けるのだろうか。
この機に9月入学に移行すべき、などという意見もあるが、要は休校にしたことによる責任回避である。
休校により教育を過程に丸投げし、子供たちの教育を受ける機会を奪ってしまった。
もちろん、他の業種も企業活動を停止させ、国家を混乱に陥らせた。
全国的な緊急事態宣言など、果たして本当に必要だったのだろうか。
コロナウイルスの収束には、おそらくは何年もかかる。
それまで活動を停止すれば、「人類は原始生活に戻る」ことを意味する。
学校が始まったとしても、心配は保護者は登校させないかも知れない。
そうした判断もよかろう。
学校としては、出席扱いにするなどして、個別対応すればいい。
いろいろ考えるべき課題も多いが、ゼロリスクで生活するのは、もはや不可能なのだ。
今、学校を再開しても、たとえそれが一ヶ月後、三ヶ月後、一年後であったとしても、おそらくは状況は余り変わらない。
感染は、油断や隙のあるところには起こるだろうし、知らないうちに感染し、無症状のうちに抗体ができている人も増えていくだろう。
国民に対して、感染症予防の一定の知識を身をもって体験させたことは間違いないが、その功罪はマイナス面の方が遙かに大きいはずだ。
人類は、感染のリスクと戦いながら、この先生活を続けることになる。
生活スタイルは、少しずつ変わっていくのだろう。
マスコミは、これ以上人々に恐怖を煽らないで欲しい。
私の学校では、運動会に向けて、生徒たちが全力で練習している。
教室で学び、そして外で身体を動かす。
その中で数多くの学びを得る。
これが本来の教育活動だ。
「生徒のことを考えると…」
という大人たちの決まり文句は、私は責任回避にしか聞こえない。
中国の責任はあるが、ここまでくると、感染云々は誰のせいでもない。
自然の摂理であり、科学万能主義になって傲慢になった人類への警告である。
医学もなすすべがなく、助かる人は助かり、助からない人もいる。
何がそれを分けているのかを、考えなければいけなくなってくるだろう。
今日も生徒たちの元気な声が響く…。
それが、全国津々浦々に広がっていくことを望む。
一体いつまで、学校を閉校にし続けるのだろうか。
この機に9月入学に移行すべき、などという意見もあるが、要は休校にしたことによる責任回避である。
休校により教育を過程に丸投げし、子供たちの教育を受ける機会を奪ってしまった。
もちろん、他の業種も企業活動を停止させ、国家を混乱に陥らせた。
全国的な緊急事態宣言など、果たして本当に必要だったのだろうか。
コロナウイルスの収束には、おそらくは何年もかかる。
それまで活動を停止すれば、「人類は原始生活に戻る」ことを意味する。
学校が始まったとしても、心配は保護者は登校させないかも知れない。
そうした判断もよかろう。
学校としては、出席扱いにするなどして、個別対応すればいい。
いろいろ考えるべき課題も多いが、ゼロリスクで生活するのは、もはや不可能なのだ。
今、学校を再開しても、たとえそれが一ヶ月後、三ヶ月後、一年後であったとしても、おそらくは状況は余り変わらない。
感染は、油断や隙のあるところには起こるだろうし、知らないうちに感染し、無症状のうちに抗体ができている人も増えていくだろう。
国民に対して、感染症予防の一定の知識を身をもって体験させたことは間違いないが、その功罪はマイナス面の方が遙かに大きいはずだ。
人類は、感染のリスクと戦いながら、この先生活を続けることになる。
生活スタイルは、少しずつ変わっていくのだろう。
マスコミは、これ以上人々に恐怖を煽らないで欲しい。
私の学校では、運動会に向けて、生徒たちが全力で練習している。
教室で学び、そして外で身体を動かす。
その中で数多くの学びを得る。
これが本来の教育活動だ。
「生徒のことを考えると…」
という大人たちの決まり文句は、私は責任回避にしか聞こえない。
中国の責任はあるが、ここまでくると、感染云々は誰のせいでもない。
自然の摂理であり、科学万能主義になって傲慢になった人類への警告である。
医学もなすすべがなく、助かる人は助かり、助からない人もいる。
何がそれを分けているのかを、考えなければいけなくなってくるだろう。
今日も生徒たちの元気な声が響く…。
それが、全国津々浦々に広がっていくことを望む。
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