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2021年01月23日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,25


「痴人の愛」本文  角川文庫刊 vol,25



と、彼女はその獅子ッ鼻の先を、ちょいとしゃくって意を得たように笑いました。

悪く言えば小生意気なこの鼻先の笑い方が彼女の癖ではありましたけれど、それがかえって私の眼にはたいへん利口そうに見えたのです。



                          以上、第3章 完




■■■■

ナオミがしきりに

「鎌倉に連れてッてよう!」

とねだるので、



ほんの二三日の滞在のつもりで出かけたのは八月の初めごろでした。

「なぜ二三日でなけりゃいけないの?行くなら十日か一週間ぐらい行っていなけりゃ詰まらないわ」



彼女はそう言って、出がけに一寸不平そうな顔をしましたが、何分私は会社の方が忙しいという口実の下に郷里を引き揚げて来たのですから、それがバレルと母親の手前、少し具合が悪いのでした。



が、そんなことを言うと、帰って彼女が肩身の狭い思いをするであろうと察して、

「ま、今年はニ三日で我慢をしてお置き、来年は何処か変わった所へ連れて行ってあげるから。ね、いいじゃないか」



「だって、たった二三日じゃあ」

「そりゃそうだけれども、泳ぎたけりゃ帰って来てから、大森の海岸で泳げばいいじゃないか」



「あんな汚い海で泳げやしないわ」

「そんな分らないことを言うもんじゃないよ、ね、いい児だからそうおし、その代わり何か着物を買ってやるから。そう、そう、お前は洋服が欲しいと言っていたじゃないか、だから洋服を拵えてあげよう」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。


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「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,24


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,24





「おッ母さんが縫ってくれたの」

「内の評判はどうだったい、見立てが上手だと言わなかったかい」



「ええ、言ったわ、悪くはないけれど、あんまり柄がハイカラ過ぎるって、」

「おッ母さんがそう言うのかい」



「ええ、そう、内の人たちには何にも分りゃしないのよ」

そう言って彼女は、遠い所を見つめるような眼つきをしながら、



「みんながあたしを、すっかり変わったって言ってたわ」

「どんな風に変わったって?」



「恐ろしくハイカラになっちゃったって」

「そりゃそうだろう、僕が見たってそうだからなあ」



「そうか知ら。一遍頭を日本髪に結って御覧って言われたけど、あたしイヤだから結わなかったわ」

「じゃあそのリボンは?」



「これ?これはアタシが仲店へ行って自分で買ったの。どう?」

と言って、頸をひねって、さらさらとした油気の無い髪を風に吹かせながら、そこにひらひらと舞っている鴇(とき)色の布を私の方へ示しました。



「ああ、よく映るね、こうしたほうが日本髪よりいくらいいか知れやしない」

「ふん」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。

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「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,23


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,23





私はそう言ってほっと溜息をつきながら、窓の外にちらちらしている都会の夜の華やかな灯影(ほかげ)を、言いようのない懐かしい気持ちで眺めたものです。



「だけどあたし、夏は田舎もいいと思うわ」

そりゃ田舎にもよりけりだよ、僕の家なんか草深い百姓家で、近所の景色は平凡だし、名所古跡があるわけじゃ無し、真昼間から蚊だの蠅だのがぶんぶん唸って、とても暑くてやりきれやしない」



「まあ、そんな所(とこ)?」

「そんな所さ」



「あたし、どこか、海水浴に行きたいなあ」

突然そう云いだしたナオミの口元には、駄々っ児のような可愛らしさがありました。



「じゃ、近いうちに涼しいとこへ連れて行こうか、鎌倉がいいかね、それとも箱根かね」

「温泉より海がいいわ。行きたいなァ、ほんとうに」



その無邪気そうな声だけを聞いていると、やはり以前のナオミに違いないのでしたが、何だかほんの十日ばかり見なかった間に、旧に身体が伸び伸びと育ってきたようで、モスリンの単衣の下に息づいている圓(まる)みを持った肩の形や乳房のあたりを、私はそっと偸(ぬす)み視(み)ないではいられませんでした。



「この着物はよく似合うね」

と、暫くたってから私は言いました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。

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「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,22


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,22



「ナオミちゃん、帰って来たよ。角の自動車が待たしてあるから、これからすぐに大森へ行こう」

「そう、じゃ今すぐ行くわ」



と言って、彼女は私を格子の外に待たして置いて、やがて小さな風呂敷堤を提げながら出てきました。

それは大そう蒸し暑い版の事でしたが、ナオミは白っぽい、フワフワした、薄紫の葡萄の模様のあるモスリンの単衣を纏って、幅の広い派手な鴇(とき)色のリボンで髪をむすんでいました。



そのモスリンはせんだってのお盆に買ってやったので、彼女はそれを留守の間に、自分の家で仕立てて貰って着ていたのです。

「ナオミちゃん、毎日何をしていたんだい?」



車が賑やかな広小路のほうへ走り出すと、私は彼女と並んで腰かけ、心持ち彼女の方へ顔を摺り寄せるようにしながら言いました。

「あたし毎日活動写真を見に行ってたわ」



「じゃ別に寂しくは無かったろうね」

「ええ、別に寂しいことなんてなかったけれど、・・・・・・」



そう言って彼女はちょっと考えて、

「でも譲治さんは、思ったより早く帰って来たのね」



「田舎に至ってつまらないから予定を切り上げて来ちまったんだよ」

やっぱり東京が一番だなァ」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。

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「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,21


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,21





「おい、どうしたの、どこを打ったんだか見せてごらん」

と、私がそう言って抱き起すと、彼女はそれでもしくしくと鼻を鳴らしつつ、袂をまくって見せましたが、落ちる拍子に釘か何かに触ったのでしょう。丁度右腕の肱の所の皮が破れて、血がにじみ出ているのでした。



「何だい、これっぽちの事で泣くなんて!さ、絆創膏を貼ってあげるからこっちへおいで」

そして膏薬を貼ってやり、手拭いを裂いて包帯をしてやる間も、ナオミは一杯涙をためて、ぽたぽた洟(はな)を滴(た)たらしながら、しゃくり上げる顔つきが、まるで頑是(がんぜ)ない子供の様でした。



傷はそれから運悪く膿を持って、五六日直りませんでしたが、毎日包帯を取り換えてやる度ごとに、彼女はきっと泣かないことは無かったのです。



しかし、私は既にそのころナオミを恋していたかどうか、それは自分にはよくわかりません。

そう、確かに恋してはいたのでしょうが、自分自身のつもりでは寧ろ彼女を育ててやり、立派な夫人に仕込んでやるのが楽しみなので、ただそれだけでも満足できるように思っていたのです。



が、その年の夏、会社の方から二週間の休暇が出たので、毎年の礼で私は規制することになり、ナオミを浅草の実家へ預け、大森の家に戸締りをして、さて田舎に行ってみると、その二週間という者が、たまらなく私には単調で、寂しく感ぜられたものです。



あの児(こ)が居ないとこんなにも詰まらないものか知らん、これが恋愛の始まり始まりなのではないか知らん、と、その時初めて考えました。



そして母親の前を好い加減に言い繕って、予定を早めて東京に着くと、もう夜の十時過ぎでしたけれど、いきなり上野の停車場からナオミの家までタクシーを走らせました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。


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2021年01月22日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,20


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,20



わたしは前に「小鳥を飼う様な心持」と言いましたっけが、彼女はこちらへ引き取られてから顔色などもだんだん健康そうになり、性質も次第に変わって来て、ほんとうに快活な晴れやかな小鳥になったのでした。



そしてそのだだっ広いアトリエの一と間は、彼女のためには大きな鳥籠だったのです。

五月も晴れて明るい初夏の気候が来る。花壇の花は日増しに伸びて色彩を増して来る。



私は会社から、彼女は稽古から、夕方家へ帰ってくると、印度更紗の窓かけを洩れる太陽は、真っ白な壁で塗られた部屋の四方を、いまだにカッキリと昼間の様に照らしている。



彼女はフランネルの単衣(ひとえ)を着て、素足にスリッパを突っかけて、とんとん床を踏みながら習ってきた歌を歌ったり、私を相手に目隠しだの鬼ごっこをして遊んだり、そんな時にはアトリエ中をぐるぐると走り回ってテーブルの上を飛び越えたり、ソォファの下にもぐりこんだり、椅子をひっくり返したり、まだ足らないで梯子段を駆け上っては、例の桟敷のような屋根裏の廊下を、鼠の如くチョコチョコと行ったり来たりするのでした。



一度は私が馬になって彼女を背中に乗せたまま、部屋の中を這って歩いたことがありました。

「ハイ、ハイ、ドウ、ドウ!」



と言いながら、ナオミは手ぬぐいを手綱にして、私にそれを咥えさせたりしたものです。

やはりそういう遊びの日の出来事でしたろう、ナオミがキャッ、キャッと笑いながら、あまり元気に梯子段を上ったり下りたりし過ぎたので、とうとう足を踏み外して頂辺(てっぺん)から転げ落ち、急にしくしく泣きだしたことがありましたのは。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。

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「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,19


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,19



そして私たちは、ご飯が食べたければ小さな土鍋で米を炊(かし)ぎ、別にお櫃に移すまでもなくテーブルの前に持ってきて、缶詰か何かを突っつきながら食事をします。



それもうるさくていやだと思えば、パンに牛乳にジャムでごまかしたり、西洋が子をつまんで置いたり、ご飯などはそばやうどんで間に合わせたり、少しご馳走が欲しい時には二人で近所の洋食屋まで出かけて行きます。



「譲治さん、今日はビフテキを食べさせてよ」

などと彼女は、よくそんなことを言ったものです。



朝飯を済ませると、私はナオミを一人残して会社へ出かけます。

彼女はご前中は花壇の草花をいじくったりして、午後になると空っぽの家に錠をおろして、英語と音楽の稽古に行きました。



英語はむしろ初めから西洋人に就いた方がよかろうというので、目黒に住んでいるアメリカ人の老嬢のミス・ハリソンという人の所へ、一日おきに会話とリーダーを習いに行って、足りない所は私が家で浚(さら)ってやることにしました。



音楽の方は、これは全くどうしたらいいか分かりませんでしたが、ニ三年前に上野の音楽学校を卒業したある婦人が、自分の家でピアノと声楽を教えるという話を聞き、この方は毎日柴の伊皿子まで一時間ずつ授業を受けに行くのでした。



ナオミは銘仙の着物の上に紺のカシミヤの袴をつけ、黒い靴下に可愛い小さな半靴を穿(は)き、すっかり女学生になりすまして、自分の理想がようよう叶った嬉しさに胸をときめかせながら、せっせと通いました。



折々帰り道などに彼女と往来で遇(あ)ったりすると、もうどうしても千束町(せんぞくちょう)に育った娘で、カフェエの女給をしていた者とは思えませんでした。



髪もその後は桃割れに結ったことは一度もなく、リボンで結んで、その先を編んで、お下げにしてたらしていました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊

次回に続く。

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「お梅人形」本文vol,10(全10記事)

江戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,10(全10記事)





明智は夫人が出て行ってしまうと、又包みを解いて中の物を取り出し、暫く眺めていた。



よほど注意しないと、皮膚がズルズルとめくれてきそうだった。



それは若い女の左の手首だった。



これと百貨店にさらされたものとが丁度一対をなしているのではないかと思われた。



彼は棚の上にあった硯箱をおろして墨をすると、手帳の上に、注意深く、腐りかかった五本の指の指紋を取った。



そして、それを元通り包み直し箱の中に納めて、目につかぬ部屋の隅に置いた。



いうまでもなく、彼は木箱や包み紙や、箱の表面の宛名の文字などは、残る所なく綿密に調べた。



それから、先程のハンカチを解いて、三千子の化粧品の容器類を取り出し、それの表面に残っている指紋と、今手帳に写した指紋とを虫眼鏡でのぞき比べた。



「やっぱりそうだ」



彼はため息と一緒に、低い声で独り言を言った。



箱の中の手首は三千子のものに相違ないことが分かったのだ。



それから、何を思ったのか、彼は再び三千子の部屋に上って、暫く何かしていたが、やがて降りてくるとそこに書生の山木が待ち受けていた。



「奥様からお調べがすみましたら失礼ですが御随意にお引き取りくださいますように申し上げてくれということでした。

それから警察の方への届けなんかも、よろしくお計らいくださいます様に」



「アア、そうですか。

それはご心配の無いようにお伝え下さい。

ですが、一寸でいいから御主人に御目にかかれないでしょうか」



「イエ、それも大変失礼ですが、主人はお嬢さんのことで、非常に神経過敏になっておりますので、出来るだけは、色々なことは耳に入れないで置きたいとおっしゃって、凡て秘密にしてありますので、この際なるべくならお会い下さいませんようにということでした」



「そうですか。

じゃ僕は買えることにしますが、この箱は君がどこかへ大切に保存して置いて下さい。

いずれ警察から人が来るでしょうから、それまでなるべく手をつけないようにね」



明智は化粧品のハンカチ包みを大切相に懐中して立ち上がった。書生の山木と小間使いのお雪とが玄関まで彼を見送った。



その時廊下の小暗い所でお雪が小さな紙切れを明智に手渡したのを、先に立った山木は少しもきづかなかった。





★引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。




「お梅人形」本文vol,9(全10記事)

江戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,9





「それから、今度の事件で最も不思議なのは、これは奥さんもとっくにお気づきだと思いますが、犯人が彼自身の犯行を公衆の面前にさらけだそうとしている点です。



小林君の見たことといい、例の千住の片足事件といい、(もっともこれは全然別の事件かも知れませんが)今度の百貨店の出来事といい、凡て犯人は恐ろしい殺人事件のあったことを世間に知らせようとしている形があります。

殊に今日のは、ちゃんと指輪まではめてあった。

これは山野三千子さんの手首だぞと、広告しているようなものではありませんか。

殺人者が自分の犯行を広告するというのは、到底考えられない事です。

馬鹿か気違いでなければ、いや、どんな馬鹿か気違いでも、まさかそんな乱暴なことはしないでしょう。

それに、誰にも姿を見せないで百貨店の飾り人形に、死人の手首を取り付けて来るなんて、馬鹿や気違いで出来る芸当ではありません。

とすると、この一見馬鹿馬鹿しく見える出来事には、何か深い魂胆がなければなりません」



明智はそこでポッツリと言葉を切って、山野夫人の青ざめた顔を眺めた。



不自然に長い間そうしてじっとしていた。



山野夫人は明智の鋭い眼光を意識して、さしうつむいたまま震えていた。



彼女は余りの恐ろしさに顛倒(てんどう)して口も利けないらしく見えた。



「で、もしこれが深い計画によって行われた出来事だとしますと、その意味はたった一つしかありません。

つまり、犯人は外にあるのです。

お嬢さんの死体の一部を公衆の面前にさらけ出している奴は、犯人ではなくて、そういう驚くべき手段によって、別に本当の犯人を脅迫しているのです。

何かためにする処があって、非常手段を採っているのです。

そんな風には考えられないでしょうか」



山野夫人はその時、ハッと顔を上げて明智を見た。



二人は無言のまま、じっとにらみ合った。



お互いにお互いの胸の奥まで突き通す様な、恐ろしい眼光を取り交わした。



が、次の瞬間には、山野夫人はテーブルに顔を伏せて、はげしく泣き出していた。



圧(おさ)えても圧(おさ)えても、胸を刺す甲高い声が、袖をもれた。



彼女の小さい肩が烈しく波打った。



投げ出した白い首筋におくれ毛がもつれて、なまめかしくふるえた。



そこへドアが開いて、書生が入って来た。



彼はその場のただならぬ様子を見ると、そのまま引き返し相にしたが、思い返してテーブルの方へ近付いて来た。



彼も何か興奮している様子だった。



「奥様」



彼はおずおずと夫人を呼びかけた。



「大変な物が参りました」



夫人はやっと涙を圧(おさ)えて顔を上げた。



「ただ今、こんな小包が参りました」



書生は持っていた細長い木箱をテーブルの上に置いて、チラと明智の方を見た。



小包は粗末な木箱で、厳重に釘づけになっていたが、書生が無理にあけたのであろう、蓋が半分に割れて、中から何か油紙に包んだものがはみ出していた。



細長い木箱は午後の第一回の郵便物の中に混じっていた。



差出人の記名はなかったけれど、いずれどこからかの到来物に相違ないと思って、書生の山木は何気なく蓋を開いた。(ここでは封書の外の小包だとか書籍類などは、書生が荷造りを解いて主人の所へ差し出す習慣だった)



だが、一目(ひとめ)中の品物を見ると、山木は青くなってしまった。



彼はそれをどう処分していいか分からなかった。



病中の主人を驚かすのは憚(はばか)られた。



といって、黙って置く訳にもいかぬ。



ふと思いついたのは客間に素人探偵の明智が来ていることだった。



彼は兎も角、それを夫人と明智のところへ持って行くことにした。



明智は書生の説明を聞きながら箱の中から油紙に包んだ品物を取り出して、丁寧に包みを解いた。



中からは渋紙色に変色した人間の片腕が出て来た。



肘のところから見事に切断され、切り口に黒い血がかたまっていた。



たまらない臭気が鼻を打った。



「君、奥さんをあちらへお連れしてくれ給え。

これをごらんにならん方がいい」



明智は手早く包みを箱の中へ押し込んで叫んだ。



山野夫人は、併(しか)し、凡てを見てしまった。



彼女は立ち上がって無表情な顔で一つ所を見つめていた。



顔色は透き通る様に白かった。



「君、早く」



明智と書生とが同時に夫人を支えた。



夫人はもう立っている力がなかった。



彼女は無言のまま書生に抱かれるようにして日本間の方へ立ち去った。





★引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。








「お梅人形」本文vol,8(全10記事)

江戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,8




「表面に現れている点だけでいえば、この際一番疑わしいのは小間使いの小松です」



明智は一段声を低くしていった。



「彼女にとって、お嬢さんは恋の敵(かたき)だったのです。

それに小間使いなればいつだって誰にも疑われないで、お嬢さんのお部屋に出入り出来ますし、お嬢さんのいらっしゃらないことを第一に発見したのもあの女だったのです。

そして、それ以来病気だと言って一間に、閉じこもっているのも変に取れば取れないこともありません」



「イイエ、あれに限ってそんな恐ろしいことを致すはずはございません」



山野夫人はあわてて明智の言葉をさえぎった。



「あれは不幸な娘でございます。

両親とも亡くなってしまって、ひどい伯父の手で、恐ろしい所へ売られるばかりになっていましたのを、主人が聞き込んで救ってやったのでございます。

そしてもう四年というもの、娘分同様にして養ってきたのでございます。

当人もそれをひどく恩に着まして、口癖のようにご主人のためなれば命も惜しくないなどと申しまして、それはまめまめしく働いていてくれるのでございます。

それに気質もごく優しい娘(こ)ですから、どの様な事情がありましても、三千子をどうかするなんてあろうはずはございません」



「そうです。

僕も小松がそんな女だとは思いません」



明智は頭の毛を指でモジャモジャやりながら、



「ただ、表面の事情があの女に嫌疑のかかる様な風になっていることを申し上げたのです。

だが、小枩に罪のないことはよく分かっていますが、罪はなくても何か知っていることがあるかも知れません。

この間も僕は、あの女の寝間へ行って、色々尋ねてみたのですが、何を聞いても知らぬと言うばかりで、顔さえも上げられないのです。

強いて尋ねるとしまいにはしくしく泣き出すのです。

あの女は何かしら秘密を持っていることは確かです」



明智は山野夫人のどんな微細な表情の動きをも見逃すまいとする様に、彼女の青ざめた顔をのぞき込んだ。



そして、ごく平凡な調子で次の話題に進んでいった。



「この事件には、妙な不具者が関係している様に思われます。

俗に一寸法師という奴です。

もしやそんなものにお心当たりはありませんか。

多分お聞き及びでしょうが、小林君も先夜そんなものを見たということですし、今度の百貨店の事件にもどうやら同じ一寸法師が関係しているらしいのです。

夕夜(ゆうべ)真夜中に問題のお梅さんという人形の側でそいつがうごめいている所を店員が見たというのです」



「マア」



山野夫人は真から気味悪そうに身震いした。



「小林さんから聞きました時は、あの人が何か見間違えたのだろうと思っていましたが、マア、ではやっぱり、そんな不具者がいるのでございましょうか。

イイエ、私少しも存じませんわ。

小さい時分見世物で見ました外には、一寸法師なんて久しく見たこともございませんわ」



「そうでしょうね」



明智は夫人の目を見続けていた。



「それについて妙なことが在るのですよ。

小林君は一寸法師が養源寺へ入る所を確かに見たのですが、お寺でもそんなものはいないといいますし、近所の人も見た事がないというのです。

今度も又それと同じことが起こったのです」



明智は話し続けた。



「そうして店員が夜中に一寸法師を見たにも拘わらず、その前日も翌日もそんな不具者が出入り口を通った様子が無いのです。

といって、窓を破って出入りした跡もありません。

いつの時も、彼奴(あいつ)は消える様になくなってしまうらしいのです。

そこに何か意味がありはしないかと思うのですが」



明智は何かしら知っていた。



知りながら態(わざ)と何食わぬ顔をして、いわば不必要な会話を取り交わしているような所が見えた。



彼は最初から一つの計画を立てて、お芝居をやっているのかも知れなかった。







★引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。


「お梅人形」本文vol,7(全10記事)

江戸川乱歩「一寸法師」より【】お梅人形】VOL,7





「では、僕はこれで御暇(おいとま)しますが、今日までに調べましたことをニ三御報告しておきましょう」



明智は少し考えてから続けた。



「先ず例の衛生人夫の行方です。

ゴミの中へお嬢さんの身体を隠して持ち去ったかもしれないという、あの衛生人夫ですね。

僕はあの翌日一杯かかって、出来るだけ調べたのですが、吾妻橋の東詰(ひがしづめ)までは、色々な人の記憶を引き出して、どうにかこうにか跡をつけることが出来ましたけれど、それから先は、橋を渡ったのか、河岸(かし)を厩橋(うまやばし)の方へ行ったのか、それとも左に折れて業平橋の方に向かったのか、どう手を尽くしても分からないのです。

現に唯今でも僕の配下の者が一人その方の捜索にかかり切っている様な訳ですが、まだ何の吉報もありません。

もう一つは、お宅の蕗屋という運転手です」



明智はなにやらニヤニヤ笑って夫人の顔を見た。



「奥さんはお隠しなすっていた様ですが、それは御無理とは思いませんが、お隠しなさるということはどちらかといえば却って人に穿鑿心(せんさくしん)を起こさせるものです。

僕は早速蕗屋のことを調べました。

そして、恐らく奥様以上に詳しい事情を知ることが出来たのです。

お嬢さんと蕗屋との間柄は、双方真面目だった様ですが、どちらかといえばお嬢さんの方が一層熱心だったかも知れません。

これは多分あなたもご承知だろうと思います。

ところが蕗屋はそれ以前から小間使いの小松(あの朝お嬢さんの寝台が空っぽになっているのを発見した女ですね)この小松とかなり深い関係があった。

つまり一種の三角関係という様なものがあったのです。

その蕗屋が丁度お嬢さんの行方不明と前後して、御暇(おひま)を頂いて郷里へ帰っているというのは、御主人が御考えなすった通り、何か意味があり相に見えますね。

で僕も御主人と同じ道を取って、蕗屋のあとを追って見たのです。

四月二日以後の彼のあらゆる行動を調べてみたのです。

ところが、彼は三日の夕方突然御主人に御暇(おひま)を願って、その晩の汽車で彼の郷里の大阪へ立っています。

その時彼が単身で、女の同行者などなかったことは、沢山の目撃者(多くは同業者ですが)が口をそろえて証明しております。

御主人は大阪で蕗屋にお逢いなすっているのではありませんか。

お目にかかってその模様をお伺い出来ないのは残念ですが、蕗屋はお嬢さんの今度の変事には、恐らく何の関係もないのでしょう。

ただ、彼は何かを知っているかも知れませんがね」



明智はそういって、山野夫人をじっと見つめた。

夫人は青ざめて、涙ぐんで、さいうつむいているばかりだ。

明智は彼女の表情から何事をも読むことが出来なかった。





★引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。




「お梅人形」本文vol,6(全10記事)

江戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,6





山野夫人は、フラフラと身体がくずれ相になるのをやっと堪(こら)えた。



そして大きな目で明智をにらむ様にして、どもりながらいった。



「で、その死骸というのはいったいどこにあったのでございますか」



「銀座の  百貨店の呉服売り場なんです。



実にこの事件は変な、常軌を逸した事ばかりです。



そこの呉服売り場の飾り人形の片手が、昨夜の間に、本物の死人の手首とすげかえられていたというのです。



警務係をやっている者に知り合いがありまして、早速知らせてくれたものですから、序(ついで)にそっと指紋を取ってもらったわけなのですが。



それから、これは手首と一緒に警察の方へ行っているのですが、その手首には大きなルビイ入りの指輪がはめてあったのだ相です。

これもたぶんお心当たりがございましょうね」



「ハア、ルビイの指輪をはめていましたのも本当でございますが、でも三千さんの手首が百貨店の売り場にあったなんて。

まるで夢の様で、私一寸本当な気が致しませんわ」



「御もっともですが、これは少しも間違いの無い事実です。

やがて今日の夕刊には、この事件が詳しく報道されるでしょうし、警察でもいずれこれをお嬢さんの事件と結びつけて考える様になるでしょう。

御宅にとっては、お悲しみの上に、非常に御迷惑な色々の問題が起こって来るかも知れません」



「マア、明智さん、どうすればいいのでございましょう」



山野夫人は、目に一杯涙をためて、一種異様のゆがんだ表情で、明智にすがりつく様にいうのであった。



「早く犯人を探し出して、お嬢さんの死骸を取り戻すほかはありません。

こうなれば、警察の方でも十分捜索してくれるでしょうし、案外早く解決がつくかも知れません。

その後、御主人は御帰りないのですか」



「ハア、主人はこちらから電報を打ちまして一昨日帰ってもらったのでございますが、ひどく子煩悩な方だものですから、あのピアノのことなんか申しますと、もうとても生きてはいないだろうとうと気落ちをしてしまいまして、まるで病人のようになって、人様にお逢いするのもいやだと申して、寝間にひきこもっているのでございます。

そんな訳でございますから、今のお話も主人に知らせましたものかどうかと先程から迷っているような訳でございますの」



「それはいけませんね。

だが、御主人も余りお気落ちがひどい様ですね。

じゃ、今日はお目にかかれませんかしら」



「ハア」



夫人はいい悪(にく)相に、



「先ほどもあなたのいらしったことを申したのですけど、今日は失礼させて頂くと申しているのでございます。









★引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。




「お梅人形」本文vol,5(全10記事)

戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,5





「ねえ、伯母さん、あれ本当の人間の手だね」



小学生は遂に一人の婦人をとらえて彼の発見を裏書きさせようとした。



「まあ、いやだ。

そんなことがあるものですかよ」



婦人は何気なく打ち消したけれども、でもどうしたわけか、問題の手首を、まるで食い入る様に見つめていた。



「訳はないわ、あんたそんなに確かめたけりゃ、柵の中へ入って触って見ればいいんだわ」



別の婦人が、からかう様にいった。



「そうだね、じゃ僕確かめて来よう」



いうかと思うと、小学生は柵を乗り越えてお梅さんの側へ走り寄った。



兄が留めようとしたけれど間に合わなかった。



「こんなもんだよ」



小学生はお梅さんの右手を引き抜いて、高く見物達の方へふりかざした。



それを見ると、ワワワワワワという様な一種のどよめきが起こった。



今まで着物の袖で隠れていた手首の根元の方は、肘の所から無残に切り落とされて、切り口には、赤黒い血のりが、ベットリとくっついていた。



百貨店でお梅騒動のあった同じ日の午後、明智小五郎は山野家の玄関を訪れた。



丁度山野夫人が居合わせて、彼は早速例の洋館の客間に通された。



一寸あいさつが済むと、明智は何か気せわしく会話の順序を無視して突然要件に入った。



「三千子さんの指紋が欲しいのですが、もう一度お部屋を見せて頂けないでしょうか」



「サア、どうぞ」



山野夫人は先に立って二階の三千子の部屋に上って行った。



書斎も化粧室も、この前見た時に比べて、まるで違う部屋の様に、綺麗に片付いていた。



三千子の指紋を探すのは少しも骨が折れなかった。



先ず書斎の机の上に使い古した吸い取り紙があって、それに黒々と右の親指の指紋が現れていた。



化粧室では、鏡台や手函などは綺麗に掃除が出来ていて、指紋なぞ残っていなかったけれど、鏡台の抽出しの中の、様々の化粧品の瓶には、どれにもいくつかのハッキリした指紋があった。



「この瓶を拝借して行って差支えありませんか」



「ハア、どうか。お役に立ちましたら」



明智はポケットから麻のハンカチを出して、選(よ)り出した数個の化粧品容器を、注意してその中に包んだ。



客間に変えると、明智はテーブルの上に、今の化粧品の容器類と、吸い取り紙と、外に一枚の紙きれとを並べた。



この最後のものには、何者かの片手の指紋がハッキリと押されてあった。



明智はそこへひょいと一つの虫眼鏡(むしめがね)を放り出していった。



「奥さん。

この紙切れの五つの指紋と、御嬢さんのお部屋にあった吸い取り紙や、化粧品の指紋と比べて御覧なさい。

虫眼鏡で大きくすれば、素人でもよくわかりますよ」



「マア」



婦人は青くなって、身を引く様にした。



「どうかあなたお調べくださいまし。

私には何だか怖くって・・・・・・」



「イヤ、僕はもうさっき調べて見て、この両方の指紋が同じものだってことを知っているのですが、奥さんにも一度、見て頂く方がいいのです」



「あなたが御覧なすって、同じものなれば、それで十分ではございませんか。

私などが見ました所で、どうせよくはわからないのですから」



「そうですか・・・・・・ではお話しますが、奥さん、びっくりしてはいけません。

お嬢さんは何者かに殺されなすったのです。

こちらのはその死骸の片手から取った指紋なのです」





★引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。




「お梅人形」本文vol,4(全10記事)

江戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,4




だが、その日のお昼ごろになって、例の三階の呉服売り場に途方もない騒ぎが起こった。



桜の造花の下の三美人人形は、まだ最近飾られたばかりなので、三階中の人気を集め、そのまわりは、いつも黒山の人だかりがしていたにも拘わらず、不思議と誰もそこへ気付かなかった。



大人たちにとっては、おそらくその着想が、天利にも奇抜過ぎたのであろうか、それを発見したのは二人の小学生徒だった。



彼等はおそろいの紺サージの学生服をつけて、柵の一番前の所に立って人形を見上げていた。



「ねえ、兄さん、この人形はおかしいよ。右の手と左の手と、まるで色が違っているんだ者、この作者は下手だねえ」



一方の小学生が人形の作者を批評した。



「生意気おいででないよ」



兄の方は周囲の見物達に気を兼ねて弟をたしなめた。



「御覧よ。手提げを提げている方の手なんか色は少し悪いけど、細工が実に細かく出来ているじゃないか。

この作者は決して下手じゃないんだよ」



「だって右と左であんなに感じが違っちゃつまらないや。

そりゃ、細工は細かいけど・・・・・・でも、やっぱり変だな、右の手は小さな皺が一本一本書いてあるのに、左の手は五本の指がある切りで、皺なんか一本もない、のっぺらぼうだよ・・・・・・それから右の手には生毛(うぶげ)だって生えているんだし・・・・・・アラ、アラ、兄さん、あれ本当の人間の手だよ。

何だかプヨプヨしているよ。

ね、あの指輪があんなに食い入っているだろう。

きっと死人の手だよ」



彼は思わぬ発見に息をはずませて、叫ぶようにいうのであった。



「死人の手」という一言は、人形の衣裳や美貌ばかりに見入っていた見物達の目を、一せいにその問題の手首へと移らせた。



その不気味なものは一番若いお梅人形の右の袖口からのぞいていた。



注意して見れば、色合いといい、小皺の様子といい、生毛といい、もう死人の手首に相違はなかった。



だが、常識家の大人達は、まだ彼等自身の目を疑っていた。



そんな馬鹿馬鹿しいことが起こるはずはないと思いつめていた。







★引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。

「お梅人形」本文vol,3(全10記事)

江戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,3





しかし相手は答えなかった。答えの代わりに丸い光の中の半身像が、丁度活動写真のフィルムが切れでもした様に、突然見えなくなった。



つまり相手は逃げたのだった。



少年店員がやっとのことで、スイッチを探し当てて、一時にその辺が明るくなった。



だがその時分には、畸形児は鉄柵を越え、陳列台の間を通り抜けて、どこかへ見えなくなっていた。



無数の陳列台が縦横様々に置きならべてある、その間を台より低い、一寸法師が逃げて行くのでは、まるで追い駈けようがなかった。



間もなく番頭の非常信号によって、宿直員全部が三階に集まった。



そしてあるたけの電燈をつけて、非常に物々しい捜索が始められた。



陳列台の白布は一々とりのけられ、台の下や、開き戸の中なども、隈なく調べられた。



三階に隠れていないと分かると、全員が二隊に分かれて、一隊は四階以上を、一隊は二階以下を探すことになった。



だが、あの様に種々雑多の品物を、所狭く置き並べた百貨店の中で、小さな一人の人間を探し出すのは、不可能に近い仕事だった。



ほとんど夜明け方まで大がかりな捜索が続けられたが、結局分かったのは、何一品(ひとしな)盗まれていないこと、窓その他人間の出入り出来る場所は、凡て完全に戸締りがしてあって、外部から何者かが忍び入った形跡絶無なことであった。



盗まれた品物が無ければ、宿直員に落ち度は無く、罰棒を恐れることもなかった。



「あいつ臆病者だからね。

きっと何かを見間違えたんだよ」



という様なことで、捜索はうやむやの内におわってしまった。



その翌日所定の時間になると、百貨店のあらゆるドアが開け放され、いつに変わらぬ雑踏が始まった。



支配人は、一応出入り口の係員を呼んで一寸法師のお客を見なかったかと尋ねたが、昨日も今日もだれ一人そんあ不具者に気づいたものはいなかった。



結局昨夜の騒ぎは若い店員の幻に過ぎなかったのかと思われた。



盗まれた品物もなく、曲者の忍び込んだ箇所もない。



その上若い番頭が主張する様な不具者なんか、昨日閉店以前に入った跡形もなく、今日開店後出て行った様子もない。(そういう不具者なればだれかの目につかぬはずはないのだが)



だから若い番頭の見たのは、単に彼の幻覚に過ぎなかったか、それとも又、少年店員の中のいたずらものが、臆病な彼をおどかしてやろうと、熊と人形の真似なんかしていたのかも知れない。



と言う様な事で、結局発見者が同僚達の嘲笑をかったばかりで、この事件は落着しようとしていた。







★引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。




「お梅人形」本文vol,2(全10記事)

江戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,2






そんなうわさ話が生まれる程あって、この人形共は何だか死物(しぶつ)とは思えないのだった。



昼間はそ知らぬ振りをして、作り物の様な顔ですましていて、夜になるとムクムクと動き出すのではないかと疑われた。



事実夜の見回りの時に、人形のすぐ前に立って、じっとその顔を見つめていると、突然ニコニコと笑い出し相な気がされた。



今番頭たちの行く手には、その三つの人形が、遠くの電燈のおぼろな光を受けて、真っ黒く見えていた。



「ちょっと、ちょっと、いつの間に、あんな子供の人形を置いたのです。

ちっとも知らなかった。」



少年店員がふと立ち止まって、番頭の袖を引いた。



「エ、子供の人形だって、そんなものありゃしないよ」



若い番頭は怒ったような調子で、小僧の言葉を打ち消した。



彼は怖がっているのだ。



「だって御覧なさい。ホラ、お松さんとお竹さんが、子供の手を引いているじゃありませんか」



小僧はそういって、人形の方へ懐中電灯を差し向けた。



遠いためにはっきりとは見えないけれど、そこには、お梅人形のかげになって、確かに一人の子どもが立っていた。



どう考えても、そこに子供人形のあるはずがなかった。



変だぞと思うと、無上に怖くなってきた。



「オイ、スイッチをひねるんだ。

あの上のシャンデリアをつけて御覧」



若い番頭は、ワッといって逃げ出したいのをやっと踏みとどまって少年店員を急(せ)き立てた。



少年店員は、スイッチを押しに行ったけれど、面食らっている為に、急にはそのありかが分からない。



番頭はもどかしがって、少年の手から懐中電灯を奪って、それを怪しい人形に差し向けながら近づいて行った。



長い陳列台を一つ廻ると、一寸空地(くうち)が出来ていて、その真ん中に三人の人形が立っていた。



懐中電灯の丸い光が、おずおず震えながら、床を這い上って行った。



人形の周囲にめぐらした鉄柵、人造の芝生、お松さんの足、お梅さんの足、お竹さんの足、と次々に円光の中に入って行った。



そこで丸い光はしばらく躊躇(ちゅうちょ)していた。事実を確かめるのが怖いといった風に戦8おのの)いていた。が突然思い切って、空を切って、光が飛んで、パッタリ動かなくなった箇所には、世にも不思議なものの姿がクローズ・アップに映し出されていた。



その者は鳥打帽を冠(かぶ)り、何か黒いものを着て、さっき少年店員がいった通り、一寸すまし返ってお松お竹の両婦人に手を引かれていた。



だが、一見してそれは子供でないことが分かった。



大きな顔に大きな目鼻がついて、頬の辺りに太い皺が刻まれていた。



俗に言う一寸法師だった。



大人のくせに子供の背丈(せたけ)しかなかった。



それが懐中電灯の円光の中に、胸から上を大写しにして、私は人形ですという顔をして活人画のようにまたたきさえしないでいるのだ。



昼間、太陽の光でそれを見たなら、美しい生人形と畸形児との取り合わせが余り変なので、だれでも大笑いをしたことであろう。



だが夜、懐中電灯のおぼろげな円光の中に浮かび上がった畸形児のすました顔は、すましているだけに一層気違いめいて、物すごく感じられた。



「オイ、そこにいるのはだれだ」



若い番頭は思い切って怒鳴りつけた。







引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」


同時連載本文より引用。



「お梅人形」本文vol,1(全10記事)

江戸川乱歩【一寸法師】より「お梅人形」VOL,1


午前二時、その百貨店の三階の卸服売り場を、若い番頭が一人の少年店員を伴って、見回っていた。



この店では毎晩、番頭、少年店員、警務さん、鳶(とび)の者など、数十人の当直員を定めて、広い店内を隅から隅まで、徹宵(てっしょう)見回らせることになっていた。



昼間雑踏するだけに、一人も客のない広々とした物売り場は、変に物すごい感じがした。



ほとんど電燈を消してしまって、階段の上だとか、曲がり角などに、僅かに残された光が、ぼんやりと通路を照らしていた。



売り場の陳列台はすっかり白布で覆われ、その大小高低様々の白い姿が、無数の死骸のように転がっていた。



若い番頭は、物の影に注意しながら、暗い通路を歩いて行った。



時々立ち止まっては、要所要所にかけてある小箱のかぎを取り出して、持っている宿直時計に印をつけた。



所々に太い丸柱が立っていた。



それが何か生きている大男のように感じられた。



少年店員は懐中電灯を点(とも)して、番頭の先に立って歩いて行った。



彼は虚勢を張って歩調を荒々しくしたり、口笛を吹いて見たりした。



だが、それらの物音が広間の隅々に反響すると、一層へんてこな気持ちになった。



一番気持ちの悪いのは、友禅類の売り場の中央に出来ている、等身大の生人形(いきにんぎょう)だった。



三人の婦人がそれぞれ流行の春の衣裳をつけて、大きな桜の木の下に立っていた。



店内ではその生人形に、お松(まつ)、お竹(たけ)、お梅という名前をつけて、まるで生きた人間の様に「お梅さんの帯だ」とか

「お梅さんのショールだ」とかいっていた。



お梅さんというのは三つの内でも一番綺麗で、若い人形だった。



この飾り人形については色々の挿話があった。



若い店員がある人形に恋をしたなどという噂がよく伝わった。



夜中にそっと忍んで来て、人形に話をしたり、ふざけたりしている男もあった。



今のお梅さんも、あんなに美人なのだから、ひょっとしたらだれかが恋をしていたかもしれないのだ。









引用書籍

江戸川乱歩著

「一寸法師」

1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21

「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」

同時連載本文より引用。


江戸川乱歩「生腕」本文ラストvol,8(全8記事)

「一寸法師」生腕 VOL,8



雷門ででんしゃを降りると、吾妻橋を渡ってうろ覚えの裏通りへはいって行った。その辺一帯が夜中と昼とでは、まるで様子の違うのが、ちょっと狐につままれた感じだった。

同じような裏町を幾度も幾度も往復しているうちに、でも、やっと見覚えのある寺の門前に出た。
その辺はごみごみした町にかこまれながら、無駄な空き地などがあって、変に寂しいところだった。

門前にポッツリと一軒きりの田舎めいた駄菓子屋があり、お婆さんが店先でうつらうつらと日向ぼっこをしていたりした。

紋三はさえた靴音を日々かさながら、門の中へ入って行った。そしてゆうべの庫裏の入り口に立つと、思い切って障子をあけた。ガラガラとひどい音がした。


「御免ください。」
「ハイ、どなたですな。」
十畳ぐらいのがらんとした薄暗い部屋に、白い着物を着た四十恰好の坊さんがすわっていた。

「ちょっと伺いますが、こちらに、あのう、からだの不自由な方が住んでいらっしゃるでしょうか。」
「エ、何ですって、からだの不自由と申しますと?」
坊さんは目をパチクリさせて問い返した。

「背の低い人です。確かゆうべ非常におそく帰られたと思うのですが。」
紋三は変なことを言い出したなと意識すると、いっそうしどろもどろになった。

来る道々考えておいた策略なんか、どこかへ飛んで行ってしまった。
「それはお間違えじゃありませんかな。ここには人を置いたりしませんですよ。背の低いからだの不自由な者なんて、いっこう心当たりがございませんな。」

「たしかこのお寺だと思うんですが、附近にほかにお寺はありませんね。」
紋三は疑い深そうに、庫裏の中をじろじろ眺めまわしながらいった。

「近くにはありませんな。だが、おっしゃるような人はここにはおりませんよ。」
坊さんは、変な奴だといわんばかりに、紋三をにらみつけて、不愛想に答えた。

紋三はもう持ちこたえられなくなって、そのまま帰ろうかと思ったが、やっと勇気を出して続けた。
「いや、実はね、ゆうべここのところで変なものを見たのですよ。」
彼はそう言いながら、ズカズカと中へはいって、上がり框(あがりかまち)に腰をおろした。

「よく見世物などに出る小人(こびと)ですね、あれが或る品物を持って、ここの庫裏に入るところを見たのですよ。もっとも向こうの杉垣のそとからでしたがね。まったくご存じないのですか。」
紋三はしゃべりながらますます変てこになって行くのを感じた。


引用書籍
江戸川乱歩「一寸法師」講談社刊

江戸川乱歩「生腕」本文vol,7(全8記事)

「一寸法師」生腕 VOL,7



彼は一つ大きく伸びをして、下宿のおかみが置いて行ってくれた、枕もとの新聞を広げると、彼の癖として、先ず社会面に眼を通した。


別に面白い記事は見当たらぬ。三段抜き、二段抜きの大見出しは、ほとんど血生臭い犯罪記事ばかりなのだが、そうして活字になったものを見ると、何かよその国の出来事のようで、いっこう迫ってこなかった。だが、いま別の面をはぐろうとしたとき、ふと或る記事が彼の注意をひいた。

それを見ると、彼は何かしらギクリとしないではいられなかった。そこには「溝の中から、女の片足、奇怪な殺人事件か。」という見出しで、次のような記事が記されていた。


昨バツ1バツ1日午後府下千住町中組バツ1バツ1番地往来の溝川をさらっているうち、人夫木田三次郎がすくい上げた泥の中から、重りの小石とともに縞の木綿風呂敷に包んだ生々しき人間の片足が現れ、大騒ぎとなった。


戸山医学博士の鑑定によれば、切断後三日ぐらいの二十歳前後の健康体の婦人の右足を膝関節の部分から切断したもので、切り口の乱暴」なところを見れば外科医などの切断したものでないことが判明したが、附近には右に該当する殺人事件または婦人の失踪届出なく、今のところ何者の死体なるや」不明であるが、バツ1バツ1署ではきわめて巧妙に行われた殺人事件ではないかと、目下厳重操作中である。

新聞ではさほど重大に扱っているわけでもなく、文句もごく簡単なkものであったが、紋三の眼にはその記事がメラメラと燃えているように感じられた。

彼は蒲団の上にムックリと起き上がって、ほとんど無意識のうちに、同じ記事を五度も六度も繰り返し読んでいた。
「たぶん偶然の一致なんだろう。それにゆうべのはおれの幻覚かもしれないのだから。」

と、しいて気を落ち着けようとしても、そのあとからすぐに、あの奇怪な一寸法師の姿が、さびしい場末の溝川の縁に立って、風呂敷包みを投げ込もうとしているあいつのものすごい形相が、まざまざと眼の前に浮かんできた。

彼はどうするというあてもなく、何かに追い立てられるような気持ちで、寝床から起き上がると、大急ぎで着替えをはじめた。

どういうつもりか、彼は洋服ダンスの中から仕立ておろしの合いのサック・コートと、春外套を出して身につけた。

学校を出てからまだ勤めを持たぬ彼には、これが一張羅の外出着で、かなり自慢の品でもあった。上下おそろいのしゃれた空色が、彼の容貌によくうつった。

「まあ、おめかしで、どちらへお出かけ?」
下の茶の間を通ると、(下宿の)奥さんがうしろから声をかけた。

「いいえ、ちょっと。」
彼は変なあいさつをして、そそくさと(靴の)編上げのひもを結んだ。

しかし格子戸の外へ出ても、彼はどこへ行けばいいのか、ちょっと見当がつかなかった。一応警察へ届けようかとも思ったが、それほどの自身もなく、なんだかまだあれを自分だけの秘密にしておきたい気持ちもあった。

ともかく、ゆうべの寺へ行って様子を探ってみるのがいちばんよさそうだった。ゆうべの出来事は皆彼の幻覚にすぎなかったのかもしれない。もういちど昼の光の下で確かめてみないでは安心ができなかった。彼は思い切って本所まで出かけることにした。



引用書籍
江戸川乱歩「一寸法師」講談社刊

江戸川乱歩「生腕」本文vol,6(全8記事)

「一寸法師」VOL,6


墓地のところを一と曲がりすると、小さな寺の門へ出た。一寸法師はそこでちょっとうしろを振り返って、だれもいないのを確かめると、ギイと潜り戸をあけて、門の中へ姿を消した。

紋三は隠れ場所から出て、大急ぎで門の前まで行った。そして、しばらく様子をうかがって、ソッと潜り戸を押してみたが、内部から鍵をかけたとみえ、こゆるぎもしなかった。

さっきまで潜り戸のしまりがしてなかったところを見ると、一寸法師はこの寺に住んでいるのであろうか。だが、必ずそうともきまらない。そういううちにも、あいつは裏の墓地の方から逃げ出しているのかもしれないのだ。

紋三は大急ぎで、元の道を引返し、杉垣の破れから寺の裏手をのぞいて見た。すると、墓地の向こう側に庫裏らしい建物があって、今ちょうどそこの入り口を開いて、誰かが中へ入るところであった。

その時、戸の隙間から漏れる光に照らし出された人影は、疑いもなく不格好な一寸法師にちがいなかった。
人影が庫裏の中に消えると、戸締りをするらしい金物の音がかすかに聞こえた。





もう疑う余地はなかった。一寸法師は以外にもこの寺に住んでいるのだ。紋三は、でも念のために杉垣の破れをくぐって庫裏の近くまで行き、しばらくのあいだ見張り番を勤めていた。中では電灯を消したらしく、少しの光も漏れず、また、聞き耳を立てても、コトリとも物音がしなかった。


その翌日、小林紋三は十時ごろまで寝坊をした。近所の小学校の運動場から聞こえてくる騒がしい叫び声に、ふと目をさますと、雨戸の隙間をもれた日光が、彼の脂ぎった鼻の頭に、まぶしく照り付けていた。

彼は寝床から手を伸ばして、窓の戸を半分だけあけておいて、蒲団の中に腹這いになったまま、煙草を吸い始めた。
「ゆうべは、おれはちとどうかしていたわい。安来節が過ぎたのかな。」
彼は寝起きの口を、ムチャムチャさせながら、ひとりごとを言った。

すべてが夢のようだった。お寺のまっくらな庫裏の前に立って、中の様子をうかがっているうちに、だんだん興奮がさめて行った。真夜中の冷気が身にしみるようだった。

遠くの街燈の逆光線を受けて、真っ黒く立ち並んでいる大小さまざまの石塔が、魔物の群衆かと見えた。別のこわさが彼を襲いはじめた。

どこかで、押しつぶしたような、いやな鶏の鳴き声がした。それを聞くと彼はもうたまらなくなって逃げだしてしまった。

墓場を通り抜ける時は、何かに追い駆けられている気持だった。それから、夢の中の市街のように、どこまで行っても抜け道のない複雑な迷路を、やっとのことで、電車道の大通りまでたどりつくと、ちょうど通り合わせた空のタクシーを呼び止めて、下宿に帰った。

運転手が面倒くさそうに行先を尋ねたとき、彼はふと遊びの場所を言おうとしたが、思い直して下宿のある町を教えた。彼はなんだか非常に疲れていた。

「おれの錯覚なんだろう。人間の腕の風呂敷包みなんて、どうもあまりばかばかしいからな。」
部屋中に満ち溢れている春の陽光が、彼の気分をがらりと快活にした。昨夜の変てこな気持が嘘のように思われた。



引用書籍
江戸川乱歩「一寸法師」講談社刊
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