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2021年03月26日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,91


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,91



彼女と一緒に歩けなければ何の楽しみもありませんから、私にしても所謂「気の利いた服」の一つも拵えなければならなくなる。

そして彼女と出かける時は電車も二等に乗らなければならない。



つまり彼女の虚栄心を傷つけないようにするためには、彼女一人の贅沢では済まない結果になるのでした。

そんな事情でやりくりに困っていた所へ、この頃またシュレムスカヤ夫人の方へ四十圓ずつ取られますから、このうえダンスの衣裳を買ってやったりしたらにっちもさっちもいかなくなります。



けれどもそれを聞き分けるようなナオミではなく、ちょうど月末の事なので、私の懐へ現金が有ったものですから、なおさらそれを出せと言って承知しません。



「だってお前、今この金を出しちまったら、すぐに晦日に差し支えるのがわかっていそうなもんじゃないか」

「差し支えたってどうにかなるわよ」



「どうにかなるって、どうなるのさ。どうにもなりようはありゃしないよ」

「じゃあ何のためにダンスなんか習ったのよ。いいわ、そんなら、もう明日からどこにもいかないから」



そう言って彼女は、その大きな眼に露を湛えて、恨めしそうに私を睨んで、つんと黙ってしまうのでした。

「ナオミちゃん、お前怒(おこ)っているのかい、・・・・・・え、ナオミちゃん、ちょっと、・・・・・・こっちを向いておくれ」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。
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