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2021年01月18日

「魔術師」本文 vol,29

★「魔術師」VOL,29



私は、魔術師が諄々として語り続ける言葉よりも、むしろ彼の艶冶(えんや)な眉目と婀娜(あだ)たる風姿とに心を奪われ、いつまでもいつまでも恍惚として、眼を見張らずには居れませんでした。

彼が超凡の美貌を備えていることは、前から聞いていたのですが、それにしても私は今話によって予想していた彼の顔立ちと、実際の輪郭とを比較して、美しさの程度に格段の相違があるのを認めました。

就中(なかんずく)、私の一番意外に感じたのは、うら若い男子だとのみ思っていたその魔術師が、男であるやら女であるやら全く区別の付かないことです。

女に云わせれば、彼は絶世の美男だというでしょう。けれども男に云わせたら、或いは広古の美女だと云うかも知れません。

私は彼の骨格、筋肉、動作、音声の凡ての部分に、男性的の高雅と智慧と活発とが、女性的の柔媚と繊細と陰険との間に、渾然として融合されているのを見ました。

たとえば彼の房房とした栗色の髪の毛や、ふっくらとした瓜実顔の豊頬や、真紅(まっか)な小さい唇や、優腕にしてしかも精悍な手足の恰好や、それ等の一点一画にも、この微妙なる調和の存在している工合は、ちょうど十五六歳の、性的特長がまだ充分に発達し切らない、少女或いは少年の体質によく似ていました。

それから彼の外見に関するもう一つの不思議は、彼が一体、何処に生まれた如何(どん)な人種であろうかという問題です。



引用書籍
谷崎潤一郎「魔術師」中央公論社刊


「魔術師」本文 vol,28

「魔術師」VOL,28


この魔法に使われる婦人は、多くの場合「王国」の奴隷のおんなですが、もしも見物人の内に有志の婦人があってくれれば、更に有難いと書いております。

以上の例を読んだだけでも、読者はいかにこの魔術師が、凡庸の手品使いと類を異にしているか、了解することが出来るでしょう。

しかし非常に残念なことには、私が入場した折には、既にぷプログラムの大部分が演了せられて、僅かに最終の一番を余している所でした。

私たちが席へ就いてから間もなく、玉座に座っていた彼の魔術師は、やおら立ち上がって舞台の前面へ歩み出て、子供のように顔を赤らめながら、可愛らしい、羞恥を含んだ低い声音(こわね)で、今から取り掛かる魔法の説明を試みました。

「・・・・・・さて、今晩の大詰めの演技として、私は茲(ここ)に最も興味ある、最も不可解な幻術を、諸君にご紹介したいと思います。

この幻術は、仮に『人身変形法』と名付けてありますが、つまり私の呪文の力で任意の人間の肉体を、即座に任意の他の物体・・・・・・鳥にでも虫にでも獣にでも、もしくは如何なる無生物、たとえば水、酒のような液体にでも、諸君のお望みなさる通りに変形させてしまうのです。

或いは又、全身でなくとも、首とか足とか、肩とか臀とか、ある一局部だけを限って、変形させることも出来ます・・・・・・。」



引用書籍
谷崎潤一郎「魔術師」中央公論社刊


「魔術師」本文 vol,27

「魔術師」VOL,27


舞台の背景には、一面に黒幕が垂れ下がって、中央の一段高い階段の上に、素晴らしく立派な玉座の如き席が設けておりました。

これがいわゆる「魔術のキングドム」の王の依る可(べ)き席なのでしょう。其処には生きた蛇の冠を頭に戴き、羅馬(ローマ)時代の袍衣(トーガ)を身に着けて、黄金の草履(さんだる)を穿(は)いた極めて年若な魔術師が、端然として腰かけているのです。

階段の下の、玉座の右と左とは、三人ずつの男女の助手が、奴隷のように畏まり、足の裏を観客のほうへ曝して、さも賤し気に額づいています。
舞台の装置と人物とは、僅かにこれだけの、簡単過ぎたものでした。

私は上着のポケットを探って、門を入る時に渡されたプログラムを開けて見ましたが、それには大凡そ二三十種の演技の数が記してあって、どれもこれも悉く前古未曾有な、驚天動地の魔術であるらしく想像されました。  

最も私の好奇心を煽った二三番の例を挙げれば、第一にメスメリズムというのがあります。これは小書きの説明に依ると、場内の観客全体に催眠作用を起こさせるので、劇場内のあらゆる人間が、魔術師の与える暗示の通りに錯覚を感ずるのです。  

たとえば魔術師が、「今は午前の五時だ。」と云えば、人々は爽やかな朝の日光を見、自分たちの懐中時計がいつのまにやら五時を示していることに気が付きます。

その他「此処は野原だ。」と云えば野原に見え、「海だ。」と云えば海に見え、「雨だ。」と云えば体がビショビショに濡れ始めます。

次に恐ろしいのは「時間の短縮」という妖術です。魔術師が一箇の植物の種子を取って土中に蒔き、徐に呪文を唱えると、十分間にそれが芽を吹き茎を生じて花を咲かせ実を結ぶのです。

しかもその植物の種子は、観客のほうで勝手な物を何処からでも択んでくることを望むばかりか、亭々として雲を凌ぐような高い幹でも、鬱蒼として天を覆うような繁った葉でも、十分間に必ず発育させると云うのです。

それに似たのでもっと不気味なのは、「不思議な妊娠」と題せられた演技でした。これも同じく呪文の力で十分間に一人の婦人を妊娠させ分娩させるのだそうです。

引用書籍
谷崎潤一郎
「魔術師」中央公論社刊



「魔術師」本文 vol,26

谷崎潤一郎著「魔術師」VOL,26


私は彼らが、どうしてこんな魔の王国に来ているのか、その理由を直ちに解釈することが出来ませんでした。聖人でも暴君でも詩人でも学者でも、みんなやっぱり「不思議」というものに惹き寄せられる心を持っているのです。

彼らは或いは研究のため、経験のため、布教のために来たのだと云うでしょう。しかし私に云わせると、彼らの魂の奥底には、程度こそ違え、私が感ずると同じような美を感じ、私が夢見ると同じような夢を夢見る素質が潜んでいるのです。

彼らはただ、私のようにそれを意識し、もしくは肯定しないだけの相違なのです。私は何ということもなく、こんな風に考えました。

私と彼の女とは、支那人の辮髪(べんぱつ)だの、黒人の頭帕(たあばん)だの、婦人のボンネットだのが、紅蓮白蓮(ぐれんびゃくれん)の波打つように錯綜している土間の椅子場に分け入って、辛うじて二つの席に座を占めました。

舞台と私たちとの間には、少なくとも五六行の椅子が並んでいて、その大部分には、瀟洒(しょうしゃ)たる初夏の装いを凝らした欧州種の若い女等が、肉付きのいい清らかな項(うなじ)を揃えて、白鳥のように群がっているのでした。

私の視線はこれ等の幾層にも重なり合った女の肩を打ち超えて、その向こうにある舞台の上に注がれたのです。




谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊




「魔術師」本文 vol,25

「魔術師」VOL,25


門を入って僅かに五、六歩進んだ時、今まで陰惨な暗黒の世界に慣れていた私の瞳は、俄かに満場のまばゆい光線に射竦(いすく)められて、ぐりぐりと抉られるような痛みを感じました。

あの、礧々(らいらい)たる土塊の外見を持っていた魔術の王国は、以外にも金壁燦爛(さんらん)たる大劇場の内部を備えて、柱や天井に隙間なく施された荘厳な装飾が、ようよう(漢字なし)とした電燈に映じて眼の醒めるように輝いているのです。

そうして場内のあらゆる座席は、土間も二階も三階も、ぎっしりと塞がって、身動きも出来ない大入りでした。観客のうちには、支那人だの、印度人だの、欧羅巴人だの、種々雑多な服装をしたすべての人種が網羅されていましたが、なぜか日本人らしい風俗の者は、われわれ以外に一人も見当たりませんでした。

それから又、特等席のボックスには、この都の上流社会の、公園などへ容易に足を踏み入れる筈のない、紳士や貴婦人のきらびやかな一団が並んでいました。

彼らの婦人の或る者は、由緒ある身の外聞を憚るためか、回々(ふいふい)教徒の女人のような覆面をして、人影に肩をすぼめていましたけれど、なおかつ舞台に注がれた二つの瞳には、秘密を裏切る品威と情欲との、鮮やかな色が現れているのでした。

紳士の中にはこの国の大政治家や、大実業家や、芸術家や宗教家や道楽息子や、いろいろの方面で名を知られた男たちが交じっていました。

私は彼らの多くの顔を、嘗て幾度も写真で見たことがあるように感じました。彼らの或る者はナポレオンに似、又或る者はビスマルクに似、或る者はダンテのような、或る者はバイロンのような輪郭を備えているのでした。

其処にはネロもソクラテスもいたでしょう。ゲエテもドン、ファンもいたでしょう。



引用書籍
谷崎潤一郎「魔術師」中央公論社刊



「魔術師」本文 vol,24

魔術師」VOL,24

「丘のような物」が何であるかは、今少し詳しく説明する必要がありますが、それはあたかも地獄の絵にある針の山に酷似した、突兀(とつこつ)たる岩石の塊なのです。三角形の、矛(ほこ)のように鋭い岩が磊々(らいらい)と積み重なって、草もなく木もなく、家もなく、黙然と蟠(わだかま)っているのです。


ただこれだけで、「魔術の王国」という看板はあるものの、その王国が何処にあるのやらさっぱりわかりません。

「あそこです。・・・・・・あそこが小屋の入口です。」
と云って、彼の女が指さした方を見ると、成る程看板の辺に、岩と岩との間に挟まった、小さな、窮屈な、鉄の門らしいものがありました。

そうして私たちの立っている沼のほとりから、一条の細長い危なっかしい仮橋(かりばし)が、この門の前までかかっているのです。

「だがあの門は堅く締まっているようだ。見物人の出入りする風もなければ、人間らしい声というものがまるきり聞こえない。あれでも魔術をやっているのかしら。」

私は独り言のように云うと、彼の女はすぐに頷きました。
「そうです。今が大方、魔術の始まっている最中でしょう。あの魔術師はふつうの手品使いと違って、演技の半ばに囃子を入れたり、拍手を求めたりしないそうです。それ程魔術が深刻で、敏速だという話です。

見物のお客も一様に固唾を呑んで、ほとんど総身へ水をかけられたような気持になって、ときどきこっそりと溜息を洩らすばかりだと云います。あの静かさから推量すると、今がきっと演技の最中に違いありません。」

こう云った彼の女の声は、抑えきれない恐怖のためか、それとも怪しい興奮のためか、例になく皴嗄(しわが)れて顫(ふる)えているようでした。
二人はそれ切り黙り込んで、島に通ずる仮橋を渡り始めました。



引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊

「魔術師」本文 vol,23

「魔術師」VOL,23


【魔法の森、これは町の人が付けた名前なのです。】・・・・・・は、単に形態が妖怪じみているばかりではなく、空の中途に濃い高い帳(とばり)をめぐらして、その圏内に包まれた区域を、公園全体の華やかな色彩から都合よく遮断し、闇と呪いとに充たされた荒涼たる情景を作るのに、極めて主要な役目を勤めているのでした。

森に取り巻かれた場所の広さは、何でも不忍池(しのばずのいけ)ぐらいはあったでしょう。そうしてその大部分には、真っ暗な、腐った水のどんよりと澱んだ、じめじめとした沼が、氷のように冷ややかな底光りを見せて、一面に行き渡っている様子でした。



魔法の森で、自分の視覚を疑った私は、その沼に対しても、あんまり水面が静かであるためほんとうの水が湛えてvあるのか、それともガラスが張ってあるのか、暫く断案を下すのに躊躇しました。



実際、ガラス張りだと信ずることが可能な程、その水は磑々(がいがい)として動かず流れず、一つ所に凝り固まって、試しに石を投げ込んでも、戛々(かつかつ)と鳴って撥ね返りそうに思われました。

この粛然とした「死」のように寂しく厳(いか)めしい沼の中頃に、島とも船とも見定め難い丘のような物が浮かんでいて、

” The Kingdom of Magic” 

と微かに記した青い明りが、たった一点、常住の暗夜を照らす星の如く、頂の尖ったところに灯(とも)されています。

引用書籍

谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊



「魔術師」本文 vol,22

魔術師VOL,22


「あなたは誰がこの森を設計したかご存知ないでしょう。これはあの魔術師が作ったのです。つい近頃、自分が勝手に植木屋を指図して、大木をどんどん運ばせて、僅かの間に植えさせてしまったのです。

仕事に与った大勢の人夫たちは、誰一人もこの森がどんな形に出来上がるか、気が付いた者はいませんでした。彼らはただ魔術師の命ずるままに、一本一本木を植えて行っただけでした。

いよいよ森が出来上がった時、魔術師は愉快そうに笑って、『森よ、森よ、お前は蝙蝠の姿になって、人間どもを威嚇してやれ。』と叫びながら、魔法杖を振り上げて大地を三度び叩きました。




すると忽ち、其処に居合わせた人夫等は、自分たちが今まで夢中で拵えていた白楊樹の森が、偶然にも怪鳥の影法師に似ていることを発見したのです。

それ以来、魔術師の評判は、この森の噂とともに、普く街中へ広まりました。或る人の説では、実際森が怪鳥の形を持っているのではなく、見る人の方が、そういう幻覚を起こすのだと云います。





しかしとにかく、魔術師の小屋へ行こうとして、此処を通りかかった者は、必ず影法師に脅かされて、肝を冷やさずにはおりません。

森が魔法にかけられているのか、見る人の方がかけられているのか、その秘密を知っているのは、ただ当人の魔術師ばかりです。」


こういう彼の女の物語を聞きながら、私はなおも瞳を凝らして、付近一帯の風物を細やかに点検しました。



引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊

「魔術師」本文 vol,21

「魔術師」VOL,21

読者は多分、ベックリンの描いた、「死の島」という絵のあることをご存知でしょう。そうして私が、現在説明しようとしている場合は、多少あの絵に似通った効果を、更に冷たく、更に暗く、更に寂寞たる物象に依って現わしているのでした。

先ず第一に、私の神経を極端に脅かしたものは、あの一郭を屏風の如く囲繞(いじょう)して、黒く、堆く、ちくちく(漢字見つからず)とさんりつ(漢字見つからず)しているポプラアの林です。

私がそれを林であると気がつくまでには、よほどの時間を要しました。なぜというのに、遠くから望むと、それはほとんど林と思えないくらい、不可解な格好をしていたからです。

たとえてみれば、ちょうど監獄署の塀のような、頭もなく足もなく、ただ真っ黒な平らな壁が井戸側の如く円く続いて、空に聳えているのです。

しかもだんだん精細に熟視すると、この蜿蜒(えんえん)たる黒壁の輪は、二匹の偉大な蝙蝠が、右と左に立ち別れつつ両方から暗鬱たる翼を拡げて、手を握り合った形状を備えているのでした。

注意すれば注意するほど、蝙蝠の眼や耳や、手や足や、翼と翼との間隔などが、明瞭な輪郭を以て、障子へ映る影法師のように、ありありと、天地の間にふさがっているのです。

それ故、この巧妙なSilhouetteが何で作られたものであろうか、私が判断に苦しんだのも無理がありません。一番最初は森に見え、その次には壁に見え、その次に蝙蝠に見えだしたモンスタアが、じつはやっぱり枝葉の茂った白楊樹(はくようじゅ)の密林を、非常に大規模な、非常に精妙な技術に依って、怪物の姿に模したものだと分かった時、私は一段の驚異と讃嘆とを禁じ得ませんでした。




引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊



三国志演義朗読第53回vol,2/3



ご来場ごっつあんです!!光るハート

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三国志演義朗読第53回vol,2/3

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2021年01月17日

「魔術師」本文 vol,20

「魔術師」VOL,20


つまり、木だの、草だのを、アーチや看板や電燈などと全く同じに、或る建物を作り上げる道具の一種として、取り扱っているのです。其処にあるものは、縮小された自然、もしくは訂正された自然ではなくて、山水の形を取った建築物だという方が、適当だかも知れません。

森や林が、植物らしい溌溂とした生気を欠き、器用な模造品のような、誂え向きの線状をたっぷりと湛えて、庭というよりも芝居の道具立てに近い感じを起させます。

絵具の代わりに木の葉を使い、波幕の代わりに水を使い、張子(はりこ)の代わりに丘を使ったというだけのことなのです。

その山水を、一個の舞台装置として評価すれば、たしかに凄惨な、特有な場面になっていて、到底自然の風致などの、企及し難い或る物を掴んでいました。

其処では一本の樹木の枝、一塊の石の姿まで、憂鬱な暗示を含み、深遠な観念を表すように配置され、吾人はそれが樹木であり、石であることを忘れるまでに、慄然たる鬼気を感ずるのです。



引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊






「魔術師」本文 vol,19

「魔術師VOL,19」


湧き返るような鬧嚷(どうじょう=ものすごく騒がしい事。)の巷から、急に薄暗い、陰気な地域へ出てきた私の神経は、沈静するというよりも、却って一層の気味悪さに襲われて、不測の災いに待ち受けられているような、疑心の高まるのを覚えました。



私は今まで、この公園には何らの自然的風致、木とか森とか水とかいう物が、全く欠けていることを怪しんでいましたが、この一郭へ来た時に、初めてそれが幾分応用されているのを認めました。




しかし勿論、そこに使われている自然的要素は、決して自然の風致を再現するために塩梅せられるものではなく、むしろあくまでも人工を助け、そのひねくれた技巧の効果を補うたっめの材料として、取り入れられているのでした。


こう云ったらば或る読者は、「アルンハイムの領地」とか、「ランダアの小屋」とかいうポオの小説に描かれた園芸術を想像するかも知れませんが、私の云う人工的の山水は、あれよりももっと小細工を弄した、もっと自然に遠ざかった景色のように思われました。


引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊


「魔術師」本文 vol,18

「魔術師」本文VOL,18


「先(さっき)の言葉は私が悪かった。お前のような清い女が、私のような汚れた男と結びつくことになったのは、大方運命と云うものだろう。



二人の体と魂とは、目に見えぬ宿縁の鎖で、生まれぬ前から一緒に縛られていたのだろう。

お前は清い女のまゝで、私は汚れた男のまゝで、二人は永(とこし)えに愛し合うべき因果に支配されているのだ。



魔術師は愚か、どんなに不思議な、どんなに凄まじい地獄へでも、私はお前を連れて行こう。

お前でさえ恐くないというのに、何で私に恐いものが在るだろう。」



私はこう云って、彼の女の前に跪いて、神々しい白衣(びゃくえ)の裾に長い接吻を与えました。

魔術師の小屋のある所は、彼の女が云った通り、繁華な街の果てにある物寂しい一廓でした。



引用書籍

谷崎潤一郎「魔術師」

中央公論社文庫刊




                           次回に続く。




「魔術師」本文 vol,17

「魔術師」VOL,17

自分の一身が、いかに忌まわしい滅亡の淵に臨んでいるかを、心付かない小児(こども)のように、朗らかな瞳を開き、爽やかな眉を示しているのです。私が同じ意味の言葉を再三再四繰り返すと、

「私は覚悟しています。今更あなたに伺わないでも、私にはよく分かっています。あなたと一緒に、こうしてこの町を歩いている今の私が、自分にはどんなに楽しく、どんなに幸福に感ぜられるでしょう。

あなたが私を可哀そうだと思ったら、どうぞ私を永劫に捨てないで下さい。私があなたを疑わないように、あなたも私を疑わないでいて下さい。」

彼の女は相変わらず機嫌のよい、小鳥のような麗らかな声で、ただ訳もなくこう云い捨ててしまいました。そうして、ふたたび私を促して、例の魔術師の小屋の前までやって来た時、

「さああなた、これから私たちは試しに行くのです。二人の恋と、魔術師の術と、どっちが強いか試してやりましょう。私はちっとも恐くはありません。私は自分を堅く堅く信じていますから。」

と、私を激励するように幾度となく念を押しました。それ程までに突き詰めた、彼の女の真心のうるわしさを見せられては、たとえ私がいかに卑劣な、根性の腐った人間でも、どうして感奮せずにいられましょう。



引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊





「魔術師」本文 vol,16

「魔術師」VOL,16


私の趣味を自分の趣味とし、私の嗜好を自分の嗜好にしようと努めた結果なのです。世間の人は彼の女のことを、私のために堕落をしたというかもしれません。

しかし彼の女の趣味や嗜好がいかほど悪魔に近づいたにせよ、彼の女の心、彼の女の心臓はいまだに人間らしい温情と品位とを、失わずにいたのでした。

そう考えると、私は彼の女に感謝せずにはいられませんでした。私のような、世の中になんの望みもなく、ただ美しい夢を抱いて国々を漂白しながら、物憂く侘しく生きている人間が、貴い乙女の魂を征服していることを思うと、私は非常にもったいない心地がしました。

「私はとてもお前のような優しい女子の恋人になる資格は無いのだ。お前は私と一緒になって、この公園に遊びにくるには、あまりに気高い、あまりに優しい人間だ。





私はお前に忠告する。お前のためには、二人の縁を切ったほうが、どんなに幸福だかわからない。私はお前が、こんな所へ平気で足を踏み入れる程、大胆な女になったかと思うと、自分の罪が空恐ろしく感ぜられる。」

私は不意にこう云って、彼の女の両手を捕らえたまま、往来に立ち竦(すく)んでしまいました。しかし彼の女はやっぱり平気で、にこやかに笑っているばかりです。



引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊





「魔術師」本文 vol,15

「魔術師」VOL,15

真っ直ぐなもの、真ん薗なもの、平なもの、凡て正しい形を有する物体の世界を、凹面鏡や凸面鏡に映して見るような、不規則と滑稽と胸悪さとが織り交じっているのです。

正直をいうと、私は其処を歩いているうちに、底知れぬ恐怖と不安とを覚えて、幾たびか踵を回(かえ)そうとしたくらいでした。

もしも彼女が一緒でなかったら、私は本当に中途で逃げたかもわかりません。私の心の臆するに従い、彼女はますまづ軽快に、子供のような無邪気な足取りで、勇ましく進んでいくのでした。

私が物に脅かされた怯懦(きょうだ)な目つきで、訴えるように彼女の様子をうかがうと、彼女はいつも面白そうな、罪のない笑顔を見せて、にこにこしているのです。


「お前のような正直な、柔和な乙女が、この恐ろしい街の景色を、どうして平気で見ていられるのだろう。」
私はしばしば、彼女に尋ねようとして、躊躇しました。けれども私が実際こういう質問を発したら、彼女は何と答えたでしょうか。

「わたしにはあなたという恋人があるためなのです。恋の闇路へ這入った者には、恐ろしさもなく恥ずかしさもない。」と云うでしょうか。・・・・・・そうです。彼女はきっとこれ等の言葉を答えるに違いないでしょう。

彼女はそれほど熱心に私を信じ、それ程純粋に私を愛しているのです。羊のように大人しい、雪のように浄い彼女が、この公園を喜ぶのは、たしかに私を恋している証拠なのです。


引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊



「魔術師」本文 vol,14

「魔術師」VOL,14


広場から大通りに入る口には、鎌倉の大仏ほどもある真っ赤な鬼の首が我々のほうを睨んでいました。鬼の眼にはエメラルド色の、能力職の電燈が爛々と燃えて、鋸のような歯を露(あら)わして笑っています。

丁度その歯の生えている上顎と下顎との間が、一箇のアーチになっていて、多勢の人は其処をくぐって行くのです。それでなくても、公園全体が溶鉱炉の如く明るいのに、その大通りの明るさは又一段と際立って、一道の火気は鬼の口から烈々と吹き出ています。

私は恋人に促されてその火の中へ飛び込んだ時、さながら体が焦げるような心地を覚えました。
両側に櫛比(しっぴ)している見世物小屋は、近づいて行くと更に仰山な、更に殺風景な、奇想的なものでした。


極めて荒唐無稽な場面を、けばけばしい絵の具で、忌憚なく描いてある活動写真のかんばんや、建物ごとに独特な、何とも云えない不愉快な色で、強烈に塗りこくられたペンキの匂や、客寄せに使う旗、幟(のぼり)、人形、楽隊、仮装行列の混乱と放埓(ほうらつ)や、それらを一々詳細に記述したら、おそらく読者は悄然として眼を掩(おお)うかも知れません。

私があれを見た時の感じを、一言にして云えば、其処には妙齢の女の顔が、腫物(できもの)のために膿ただれているような、美しさと醜さとの奇抜な融合があるのです。


引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊行





「魔術師」本文 vol,13

「魔術師」VOL,13


私たちの立っている広場は、正確な半円形を形作って、その周囲の弧の上から、七条の道路が扇の骨の如く八方へ展(ひら)いていました。七条のうちで最も広い、最も立派なのは、真ん中の大通りでした。

何十軒何百軒あるか分からない公園の見世物の中で、取り分け人気を呼んでいる小屋は大概其処にあるらしく、或いは厳めしい、或いは危なっかしい、あるいは頓興な、或いは均整な、ありとあらゆる様式の建築物が、城砦(じょうさい)のように軒を並べ、参差(しんし)として折り重なっているのです。

其処には日本の金閣寺風の伽藍もあれば、サラセニックの高閣もあり、ピサの斜塔を更に傾けた突飛な櫓(やぐら)があるかと思えば、杯形に上へ行く程脹らんでいる化け物じみた殿堂もあり、家全体を人面に模した建物や、紙屑のように歪んだ屋根や、蛸の足のように曲がった柱や、波打つもの、渦巻くもの、湾曲するもの、反り返るもの、千差万別の肢体を弄して、或いは地に伏し、或いは天を摩店(ま)しています。

「あなた・・・・・・」
そうしてその時、私の愛らしい恋人は、こう云いかけて軽く私の茶母とたもと)を引きました。

「あなたは何が珍しくて、そんなに見惚(みと)れていらっしゃるの?この公園へはたびたびお出でになったのでしょう?」
「私は此処へ何度も来ている。」

そう云わなければ恥辱を受けるように感じて、私は慌てて頷きました。「・・・・・・だがしかし、幾度来ても私は見惚れずにいられないのだ。それ程私はこの公園が好きなのだ。

「まあ。」と云って、彼の女はあどけなくほほ笑みながら、「魔術師の小屋は彼処(あすこにあるのです。さ早く行きましょう。」
と、左手を挙げて、その大通りの果てを指さしました。



引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊



「魔術師」本文 vol,12

「魔術師」VOL,12


しかも一層驚くべきことは、素肌も同然な肉体に伽羅を纏うた数百人のチャリネの男女が、淡々と輝く火の柱によじ登りつつ、車の廻(めぐ)るにしたがって、上方の輻(や)から下方の輻へと、順次に間断なく飛び移っている有様です。

遠くからそれを眺めると、車輪全体へ鈴なりにぶら下がっている人間が、火の粉の降るように、天使の舞うように、衣を翩々(へんぺん)と翻して、明るい夜の空を翺翔(こうしょう)しているのでした。

私の注意を促したのは、この車ばかりではなく、ほとんど公園の上を蓋(おお)うている天空のあらゆる部分に、奇怪なもの、道化たもの、妖麗なものの光の細工が、永劫に消えぬ花火の如く、蠢(うご)めき、閃めき、のたくっているのを認めました。

もしあの空の光景を、両国の川開きを歓ぶ東京の市民や、大文字山の火を珍しがる京都の住民にみせたなら、どんなにびっくりすることでしょう。

私がその時、ちょいと見渡したところだけでも、未だに忘れられない程の放胆な模様や巧緻な線状が、数限りなくあるのです。たとえて云えば、それは誰か、人間以上の神通力を具備している悪魔があって、空の帳(とば)りに勝手気ままな落書きを試みたとも、形容することができるでしょう。

或いは又、世界の最後の審判の日、D
oom's Dayの近づいた知らせに、太陽が笑い、月が泣き、彗星が狂いだして、種々雑多な変化星が、縦横無尽に天際を曳航するのにも似ているでしょう。


引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊

「魔術師」本文 vol,11

「魔術師」VOL,11


どんな喧囂(けんごう)の巷に這入っても、どんな乱脈な境地にあっても、常に持ち前の心憎い沈着と、純潔な情熱とを失わない彼女は、悪魔の一団に囲まれたたった一人の女神のように、清く貴く私の眼に映じたのです。

私は彼女の冴え冴えとした瞳を見ると、吹きすさぶ嵐の中に玲瓏と澄み渡った、鏡のような秋の空を連想せずにはいられませんでした。二人は人並みに揉まれ揉まれて、一尺の地を一寸ずつ歩く程にして、つい鼻先に控えている公園の入り口へ、ようやくたどり着くまでに、一時間以上も費やしたようでした。

其処までぎっしりと密集して、巨大な蜈蚣の(むかで)の這う如く詰め駆けて来た人々は、門内の広場へ達すると、やがて三三五五に別れて、思い思いの方面へ散らばって行くのです。


公園と云っても、見渡す限り丘もなく森もなく、人工の極致をつくした奇怪な形の大廈高楼が、フェアリー、ランドの都のように甍を連ね、幾百万粒の燭(ともしび)を点じて、巍巍(ぎぎ)として聳えているのでした。



広場の中心に茫然と彳立(てきりつ)したまま、その壮観を見渡した私は、先ず何よりも、天の半ばに光っているGrand Circus toiu という広告塔のイルミネイションに肝を奪われました。

それは直径何十丈あるか分からない極めて厖大な観覧車の如きもので、ちょうど車の軸のところに、グランド、サアカスの二字が現れているのです。





そうして、数十本の車の輻(や)には、一面の電球が矍鑠(かくしゃく)たる光箭(こうせん)を放ち、さながら虚空に巨人の花笠を拡げたような環(わ)を描いて、徐々に雄大に回転を続けています。


引用書籍
谷崎潤一郎著「魔術師」中央公論社刊



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