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2021年01月18日

「魔術師」本文ラスト vol,36

「魔術師」最終回 VOL,36


「よろしい、よろしい、お前の望みは如何にもお前に適当している。お前は初めから、人間などに生まれる必要はなかったのだ。」

魔術師がからからと笑って、魔法杖で私の背中を一と打ち打つと、見る見る私の両脚には鬖々(さんさん)たる羊の毛が生え、頭には二本の角が現れたのです。

同時に私の胸の中には、人間らしい良心の苦悶が悉く消えて、太陽の如く晴れやかな、海の如く広大な愉悦の情が、滾々(こんこん)として湧き出ました。

暫くの間、私は有頂天になって、嬉しまぎれに舞台の上を浮かれ回っていましたが、程なく私の喜びは、私の以前の恋人によって妨害されました。


私の跡を追いかけながら、あわてて舞台へ上がって来た彼の女は、魔術師に向かってこんなことを云ったのです。

「私はあなたの美貌や魔法に迷わされて、此処へ来たのではありません。私は私の恋人を取り戻しに来たのです。彼(あ)の忌まわしい半羊神(ファウン)の姿になった男を、どうぞ直ちに人間にして返して下さい。


それとももし、返す訳に行かないと云うなら、いっそ私を彼(あ)の人と同じ姿にさせて下さい。たとえ彼(あ)の人が私を捨てても、私は永劫に彼(あ)の人を捨てることが出来ません。

彼(あ)の人が半羊神(ファウン)になったら、私も半羊神(ファウン)になりましょう。
私は飽くまで、彼(あ)の人の行く所へ附いて行きましょう。」


「よろしい、そんならお前も半羊神(ファウン)にしてやる。」
この魔術師の一言と共に、彼の女は忽ち、醜い呪わしい半獣の体に化けたのです。

そうして、私を目がけて驀然(ばくぜん=勢いがとても強い事。)と走り寄ったかと思うと、いきなり自分の頭の角を、私の角にしっかりと絡み着かせ、二つの首は飛んでも跳ねても離れなくなってしまいました。


引用書籍
谷崎潤一郎「魔術師」中央公論社刊

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