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2021年01月15日

「人魚の嘆き」本文vol,21


「人魚の嘆き」本文vol,21

「成る程あなたがそう仰るのはご尤もです。しかし西洋の国々では、人魚はそんなに珍しいものではありません。

私の国は欧羅巴の北の方の、阿蘭陀という所ですが、私の生まれた町の側を流れているライン川の川上には、昔から人魚が住むという話を、子供の時分に聞いたことがありました。



彼(か)の女は時とすると、人間のような下半身を持ち、或いは鳥のような両足を具えて、地中海の波の底にも大陸の山林水沢の間にも、折々形を現わして人間を惑わすことが在るのです。



私の国の詩人や絵師は、絶えず彼の女の神秘を歌い、姿態を描いて、人魚の微笑のいかになまめかしく、人魚の魅力のいかに恐ろしいかを、我々に教えています。



それゆえ欧羅巴では、人魚ならぬ人間までも、ひたすら彼の女の艶容を学んで、多くの女が孰れも人魚と同じような、白い肌と、蒼い眸と、均整な肢体の幾分ずつを具備しています。



若し貴公子がそれをお疑いなさるなら、試みに私の顔と皮膚の色とを御覧なさい。

取るに足らない私のような男でも、西洋に生まれた者は、必ず何処かに、この人魚と共通な優雅と品威とを持っているでしょう。」



貴公子は異人の言葉を、否定することが出来ませんでした。



引用書籍

谷崎潤一郎「人魚の嘆き」

中央公論社刊
















「人魚の嘆き」本文vol,20


「人魚の嘆き」本文vol,20

白いという形容詞では、とても説明しがたいほど真っ白な、肌の光沢でした。
それは余りに白すぎるために、白いと云うより「照り輝く」と云った方が適当なくらいで、全体の皮膚の表面が、瞳のように光っているのです。

何か彼(か)の女の骨の中に発行体が隠されていて、皓皓たる月の光に似たものを、肉の裏から放射するのではあるまいかと、怪しまれるほどの白さなのです。

しかも近づいて熟視すれば、この霊妙な皮膚の上にハ、微かな無数の白合毫のむく毛が、鬖鬖(さんさん)と生えて旋螺(せんら)を描き、その末端にさながら魚の卵の様な、目に見えぬほどの小さな泡が、一つ一つに銀色の泡を結んで、宝石をちりばめた軽羅(けいら)の如く、彼女の総身を掩うています。

「貴公子よ、あなたは私の予期以上に、人魚の価値を認めて下さいました。あなたのお陰で、私は十分の報酬を得、一朝にして巨万の富を手に入れることが出来ました。

私は人魚を打った代わりに、これらの東洋の宝物を車に積んで、再び廣東の港に帰る積りです。そうして其処から汽船に乗って、遠い西洋の故郷に戻ります。

私の国では、ちょうどあなたが人魚を珍重なさる様に、これらの宝物を珍重する人が沢山あるのです。
私が最後の願いとして、どうぞ人魚に別れの接吻を与えさせてください。」

こう云いながら、異人が水瓶の縁に寄り添うと、水中に水銀の躍るが如く、人魚はするすると上半身を表面へ露出して、両手に偉人の項を抱えたまま、頬を摺り寄せて暫く燦然と涙を流す様子です。

その涙は、睫毛の端から頤(おとがい=あご)へ伝わり、滴々と零れ落ちる間に、麝香(じゃこう)のような馥郁(ふくいく)たる香りを、部屋の四方へ放ちました。

「お前は人魚が惜しくないか。あれだけの値で私に売ったのを、今更後悔してはいないか。お前の国の人たちは、何故人魚より宝石の方を珍重するのだろう。お前はどうして、この人魚を持って帰ろうとしないのだろう。」

貴公子は、利欲のために美しい者を犠牲にして顧みない、卑しい商売根性を嘲るような口調で云いました。

引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」
中央公論社刊




「人魚の嘆き」本文vol,19

「人魚の嘆き」VOL,19


どうかすると、眼球全体が水中に水の凝固した結晶体かと疑われるほど、淡藍色に澄み切っていながら、そこの方には甘い涼しい潤いを含んで、深い深い魂の奥から、絶えず「永遠」を見詰めているような、崇厳な光を潜ませています。

其処には人間のいかなる瞳よりも、幽玄にして杳遠(ようえん)な暈影(うんえい)が漂い、朗麗にして哀切な曜映がきらめいています。

それから又、彼の女の眉と鼻の形状は、一層気高い、一層異常な、「美」を構成しているように感ぜられました。それらの眉と鼻は、支那の人相学で貴ばれる新月眉とか、柳葉眉とか、伏犀鼻とか、胡羊鼻とかいう物とは、何処かしら様子が違っています。

けれども其処には習慣的な「美」を超越した、人間よりも神に近い美しさがあるのです。因習的な「圓満」を通り越した、生滅者に対する不滅の圓満があるのです。

そうして彼の女が長い項(うなじ)をものうげに動かす時、暗緑色の髪の毛は海藻のように振え悶えて、柔らかい波の底を揺らぎさまよい、或いは混沌とした雲霧の如く彼女の額に降りかかり、或いは絢爛(けんらん)な孔雀の尾の如く上方へ伸び広がります。

彼の女の持っている「圓満」は、唯に彼の女の容貌の上にあるばかりでなく、人間の形を成している肉体の総ての部分に認めることが出来ました。

頸から肩、肩から胸へ続いて行く曲線の優雅な起伏、模範的な均整を持つ両腕のしなやかさ、豊潤なようで程よく引き緊まった筋肉の、伸縮し彎屈する度毎に、魚類の敏捷と、獣類の健康と、女神の嬌態とが、奇怪極まる調和を作って、五彩の虹の交錯したような幻惑を起こさせます。

就中(なかんずく)、最も貴公子の眼を驚かし、最も貴公子の心を蕩かしたものは、実に彼の女の純白な、一点の濁りもない、皓潔無垢な皮膚の色でした。


引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊

「人魚の嘆き」本文vol,18

人魚の嘆き」VOL,18



「・・・・・・私は地上の人間に生まれることが、この世の中での一番幸せな運命だと思っていた。けれども大洋の水の底に、かくまで微妙な生き物の住む不思議な世界があるならば、私はむしろ人間よりも人魚の種族に堕落したい。

あの綺麗な鱗の衣(きぬ)を腰に纏うて、このような海の美女(たおやめ)と、永劫の恋を楽しみたい。この美女(たおやめ)の涼しい眸や、雪白の肌に比べると、私の座右に仕えている七人の妾たちは、そういったまあ何という醜い、卑しい姿を持っているのだろう。何という平凡な、古臭い容子をしているのだろう。」

そう云った時、人魚は何を思ったか、ゆらりと尾鰭(おびれ)を振り動かして、俯向けていた顔を擡(もた)げながら、貴公子の姿をしげしげと見守りました。

博学な貴公子の鑑識は、書画骨董や工芸品ばかりでなく、支那に古くから伝わっている観相術術にも精通していましたが、彼は今ようやく人魚の容貌を眺めて、その骨相を案ずるのに、到底自分の習い覚えた
学問の範囲では、判断することが出来ないような稀有(けう)な特長を発見しました。




彼の女は成る程、絵に画いた人魚のように、魚の下半身と人間の上半身とを持っているには違いありません。
けれどもその上半身の人間の部分、骨組みだの、肉付きだの、顔だちだの、それらの局所を一々詳細に注意すると、日常自分たちが見慣れている地上の人間の体とは、全く調子を異にしているのです。

彼が習得した観相術の知識は、其処に応用の余地がない程、彼の女の輪郭は普通の女と趣を変えているのです。たとえば彼の女の、極度に妖婉な瞳の色と形とは、彼が知っている人相学のいかなる種類にも適合しません。その瞳は、ガラス張りの器に盛られた清冽な水を透して、あたかも燐(りん)のように青く大きく輝いています。



引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊


「人魚の嘆き」本文vol,17

「人魚の嘆き」VOL,17


彼の女は、うつくしい玻璃(はり=ガラス)製の水瓶の裡に幽閉せられて、鱗を生やした下半部を、蛇体のようにうねうねとガラスの壁(へき)へ吸い付かせながら、今しも突然、人間の住む明るみへ曝されたのを恥ずるが如く、項(うなじ)を乳房の上に伏せて、腕(かいな)を背後の腰の辺りに組んだまま、さも切なげに据わっているのでした。

ちょうど人間と同じくらいな身の丈を持つ彼の女の体を、一杯に浸した甕の高さは、四五尺程もあるでしょう。中には玲瓏とした海の潮が満々と充たされて、人魚の喘ぐ度毎に、無数の泡が水晶の珠玉の如く、彼の女の口から縷々として沸々として水面へ立ち昇ります。

その水瓶が四五人の奴婢に担がれて、車の上から階上の内庁(ぬいでん)の床に据えられると、室内を照らす幾十燈の燭台の光は、たちまち彼の女の露(あら)わな肉体に焦点を凝らせて、いやが上にも清く滑らかな人魚の肌は、さながら火炎の燃えるように、一層眩しく鮮やかに輝きました。<


「私はこれまで、心私(ひそ)かに自分の博い学識と見聞とを誇っていた。昔から嘗て地上に在ったものなら、いかに貴い生き物でも、いかに珍しい宝物でも、私が知らないということはなかった。


しかし私はまだこれ程美しい物が、水の底に生きていようとは、夢にも想像したことがない。
私が阿片に酔っている時、いつも眼の前へ繰り出される幻覚の世界にさえも、この優婉な人魚に優る怪物は住んでいない。

恐らく私は、人魚の値段が今支払った代価の倍額であろうとも、きっとお前からその売り物を買い取っただろう。・・・・・・」

こう云っただけでは、まだ貴公子は自分の胸に溢れている無限の讃嘆と驚愕とを、充分に言い表すことが出来ませんでした。

なぜと云うのに、彼は今、自分の前に運び出された冷艶にそいて凄愴な、水中の妖魔を見るや否や、一瞬間に体中の神経が凍り付くような、強い、激しい、名状し難い魂の竦震(しょうしん=心のふるえ)を覚えたからです。

そうして、いつまでもいつまでも、死んだように総身を強張らせて彳立(てきりつ=少し歩む。)したまま、燦爛(さんらん)たる水瓶の光を凝視しているうちに、訝しくも彼の瞳には、感激の涙が忍びやかに滲み出て来ました。

彼は久し振りで、長らく望んでいた興奮に襲われたのです。有頂天の歓喜に蘇生(よみがえ)ることが出来たのです。

彼はもう昨日までの、張り合いのない、退屈な月日を喞(かこ)つ人間ではなくなりました。
彼は再び、豊かな刺戟に鞭うたれつつ生の歩みを進めて行ける、心境に置かれたのでした。


引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊

「人魚の嘆き」本文vol,16

「人魚の嘆き」VOL,16


異人は相手が、自分の品物を買うか買わぬかということに就いて、少しも危惧を感じていないようでした。彼は貴公子の心を見抜いているような、確信のある言葉を以て語ったのです。

しかもそいいう彼の態度は、相手に何らの反感を与えなかったのみならず、むしろ止み難い憧憬の念をさえ起こさせました。貴公子は、彼の説明を聞かされているうちに、この男から必ず人魚を贖うべく、命令されているような気になりました。

自分がこの男から人魚を買うのは、予定の運命であるかのように覚えました。
「その商人の云ったことは真実だ。私はお前が、媽港の人から聞いた通りの人間だ。お前が私を捜したように、私もお前を捜していた。お前が私を信ずるように、私もお前を信じている。

私はお前の売り物を一応見分するまでもなく、お前が先(さっき)云うた代価で、今直ぐ人魚を買い取って上げる。」
貴公子のこの言葉は、彼自身ですらハッキリと意識しない内に、胸の底から込み上げて来て、思わず彼の唇に上ったのです。

そうして見る間に、約束通りの金剛石と紅宝石と孔雀と象牙とが、或いは五庫の櫃(ひつ)の中から、或いは宛囿(えんゆう)の檻の中から、庭前へ持ち運ばれて、石階の下に堆(うずたか)く積まれました。

異人は今更、貴公子の富の力に驚いたような素振りもなく、静かにそれらの宝物の数を調べた後、車上の轎(キョウ=車)の布簾を掲げて、其処に寂しく鎖(とざ)されていた、囚われの身の人魚の姿を示しました。



引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊


「人魚の嘆き」本文vol,15

「人魚の嘆き」VOL,15


彼は今まで、西洋人というものを未開の種族と信じていたのに、この、乞食のような野蛮な顔を、つくづく眺めれば眺める程、其処に気高い威力が潜んでいて、何となく自分を圧(お)さえつけるように覚えたのです。

その異人の持っている緑の瞳は、さながら熱帯の紺碧の海のように、彼の魂を底知れぬ深みへ誘い入れます。
又、その異人の秀でた眉と、広い額と、純白な皮膚の色とは、美貌を以て任じている貴公子の物よりも、遥かに優雅で、端正で、しかも複雑な暗い明るい情緒の表現に富んでいるのです。

「一体お前は、誰から私の噂を聞いて、はるばる南京へやって来たのだ。」
異人が物語る人魚の話を、暫く恍惚として聴き入った後、貴公子はこう尋ねました。

「私はついこの間、媽(ぼ=雌馬、の意味。)港の街をさまようている際に、或る知り合いの貿易商から、始めてそれを聞いたのです。

もしその以前に知れていたなら、恐らくあなたはもっと早く、私の人魚をご覧になることが出来たでしょう。私はこの珍しい売り物を携えて、およそ半年ばかりの間、亜細亜の国々の港という港を遍歴しましたが、何処の商人も、何処の貴族も、これを贖おうとはしませんでした。

或る者は値段が餘り高すぎると云って、尻込みをします。なぜと云うのに、人魚の代価は亜剌比亜の金剛石七十箇、交趾(コーチ)支那の紅宝石八十箇、それに安南の孔雀九十羽と暹羅(しゃむ=現在のタイ国)の象牙百本でなければ、取り易(か)える訳に行かないのです。

又或る者は、人魚の恋が恐ろしさに、怖気(おぞけ)を慄(ふる)って逃げてしまいます。
なぜと云うのに、昔から人間が人魚に恋をしかけられれば、一人(いちにん)として命を全うする者はなく、いつとはなしに怪しい魅力の罠に陥り、身も魂も吸い取られて、何処へ行ったか人の知らぬ間に、幽霊の如くこの世から姿を消してしまうのです。

ですから、金と命とを惜しがる人は、容易に私の売り物へ手を付けることが出来ません。私は折角、稀世の珍品を手に入れながら、誰にも相手にされないで、長い間徒労な時と徒労な旅人を続けました。

もしも媽港の商人から、あなたの噂を聞かなかったら、もう少うしで私は大事な商品を、持ち腐れにする所でした。その商人の話に依ると、私の人魚を買い得る人は、南京の貴公子より外にはない。

その人は今、歓楽のために巨万の富と若い命とを抛(なげう)とうとして、抛つに足る歓楽のないのを恨んでいる。その人はもう、地上の美味と美色とに飽きて、現実を離れた、奇しく怪しい幻の美を求めている。

その人こそは必ず人魚を買うであろうと、彼は私に教えたのです。」


引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き中央公論社刊


「人魚の嘆き」本文vol,14

「人魚の嘆き」VOL,14


程なく、驢馬は貴公子の邸内深く引き込まれ、第一の大門を入り、第二の儀門(にいもん)を潜り、後庭の樹林泉石の門をめぐって、昼を欺く紅燈の光を湛えた、内庁(ないでん)の石階のほとりに据えられました。

貴公子はいつものように、七人の寵姫を身辺に侍らせながら、廊下の端近く椅子を進めると、それを見た異人は再び恭しく地に跪き、支那流の作法に依って稽首の礼を行うた後、又もあやしい発音で、たどたどしく語り始めるのです。

「私がこの人魚を獲たのは、広東の港から幾百海里を隔てている、蘭領の珊瑚島の附近でした。
或る日私は、其処へ真珠を採りに行って、思いがけなく真珠よりももっと貴い、美しい人魚を得たのです。

人は真珠を恋することは出来ませんが、いかなる人でも人魚を見たら、彼の女を恋せずにはいられません。
真珠には冷ややかな光沢があるばかりです。

しかし人魚は妖麗な姿の内に、熱い涙と暖かい心臓と神秘な智慧とを蔵しています。人魚の涙は真珠の色より幾十倍も浄らかです。人魚の心臓は珊瑚の玉より幾百倍も赤うございます。

人魚の智慧は、印度の魔法使いよりも不思議な術を心得ています。人間の測り知られぬ通力を持ちながら、彼女はたまたま背徳の悪性を備えているために、人間よりも卑しい魚類に堕されました。

そうして青い青い海の底を泳ぎながら、常に陸上の楽土に憧れ、人間の世界を慕うて、休む暇なく嘆き悶えているのです。

その証拠には、人は誰でも彼(あ)の美しい人魚の顔に、憂鬱な憂の影を認めることが出来ましょう。・・・・・・」

こう云った時、異人は不自由な人魚の身の上を憐れむが如く、自分も亦うら悲しげな表情を浮かべました。
貴公子は、人魚を見せられる前に、先ずその異人の容貌に心を動かされたようでした。



引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊


「人魚の嘆き」本文vol,13

「人魚の嘆き」VOL,13


尤も、その頃は南京の町に、折々欧人の姿を見かける時代でしたが、こういう祭りの最中に、しかも行列の人波に揉まれながら、素晴らしく眼に立つ風俗をして、くたびれた足を引き摺って、乞食の如くさまようているその男の挙動には、どうしても、不審をもたずにはいられません。

そうして猶更不思議なことには、ちょうど露台の真下へ来かかると、彼は突然歩みを止めて、例のびろうどの帽子を脱いで、恭しく楼上の貴公子に挨拶をするのです。

見ると、その男は、驢馬に曳かせた車の方を指さしながら、貴公子に向かって、何かしきりにしゃべっています。
「この車の轎(キョウ=中国語でかごの意味)の中には、南洋の水底(みなぞこ)に住む、珍しい生物が這入(はい)っています。私はあなたの噂を聞いて、遠い熱帯の浜辺から、人魚を生け捕って来た者です。」

表の騒ぎが激しいために、はっきりとは聞き取れませんが、彼は覚束ない支那語を操って、こういう意味を語っているのでした。

何となく耳慣れない、おかしな訛りのある西人の唇から、「人魚」という言葉を聞いた時、貴公子は自分の胸が、我知らずときめくように感じました。

彼は勿論、生まれてから一遍も人魚という者を見たことはありません。けれども、今図らずも南洋の旅人の口から、「人魚」という支那語が、一種独特なUmlautを以て発音されると、それに一段の神秘な色が籠っているように思われたのです。

「これ、これ、誰か表へ行って、彼処に立っている紅毛の異人を、急いで邸へ呼び入れてくれ。」
貴公子は例になくあわただしい口吻で、近侍の姣童に云いつけました。


引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊

「人魚の嘆き」本文vol,12

「人魚の嘆き」VOL,12


そのとき、貴公子の視線は、一つの不思議な人影の上に注がれて、長い間熱心に、それを追いかけているようでした。

その男は、頭に天鵞絨(びろうど)の帽子を冠(かぶ)り、身に猩々日緋(しょうじょうひ)の羅紗の外套を纏い、足には真っ黒な皮の靴を穿(は)いて、一匹の驢馬にㇳも轎(かご)を曳かせて来るのです。  

そうしてせっかくの靴も帽子も外套も、長途の旅に綻びたものか、ところどころ穴が明いたり、色が褪せたりしています。

彼の前には、数十人の行燈(ひんてん)の人々が、五六間もあろうという大きい眼ざましい龍燈を担ぎながら、数十挺(てい=大きな枝状の物。の意味)の蝋燭を燃やして、えいやえいやと進んで行きますが、この龍燈の一群と、その男とは何の関係もないらしく、彼は時々立ち止まって、さもさも疲労したような溜息を洩らしつつ、往来の喧囂(けんごう)を眺めています。

初めのうちは、仮装行列の隊伍に後れた一人のように見えましたけれど、だんだん貴公子の邸へ近づくに随い、驢馬や轎車を従えている風体が、どうもそれとは受け取れません。

且その男は、ただに服装ばかりでなく、皮膚や毛髪や瞳の色まで、全く普通の人間と類を異にしているのでした。

「・・・・・・あれは多分、西洋の人種に違いあるまい。恐らく南洋の島国から漂泊してきた、阿蘭陀(オランダ)人か何かであろう。」
貴公子はそう思いました。




引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊


「人魚の嘆き」本文vol,11


「人魚の嘆き」VOL,11




上燈(しゃんてん)の晩から二三日過ぎた、或る日の夕方のことでした。貴公子は眺望のいい南面の露台に出て、榻(とう)にもたれながら、いつもの通り銀の煙管で阿片をすぱすぱと吸っていました。

ちょうど其処からは、市街の雑踏が手に取るように見おろされ、今しも一斉に明かりを入れた幾百千の燈篭は、白銀のような夕靄の中にぎらぎらと流れて、たそがれの舗面を鱗のように光らせています。

とある広小路の四つ角には、急拵えの戯台が出来て、旗を掲げ幟を翻し、けばけばしい扮装をした二人の俳優が、奏楽の音につれながら、数番の倣戯(つおーひー)を演じています。

長い間戸外の空気に遠ざかって、宮殿の奥に蟄居していた貴公子の眼には、ふと、これらの光景が、一種異様な、云わば珍しい外国の都に来たような、奇妙な感じを起させたのでありましょう、それとも又、阿片の煙に酔いしれて、途方もない幻覚を掴んだのでありましょう。

彼はいつの間にか手に持っていた煙管を置いて、露台の欄干に頬杖を突いたまま、見るとはなしに、巷の騒ぎを見つめているのです。

折柄其処へ通りかかった参々a々の群衆は、いずれもおどけた仮装行列の隊を組んで、恰も貴公子の憂愁を慰めるように、一際高く足拍子を踏み歓呼の声を放ちました。

続いて後ろから、さまざまな鳥魚の形に擬えた燈篭を翳(かざ)しながら、いわゆる行燈(ひんてん)の一団がやってきます。



引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊

2021年01月14日

「人魚の嘆き」本文vol,10/29

「人魚の嘆き」本文全29章vol,10/29

やがて、その年の夏が暮れ、秋が老けて、十月朝(じえちょう)の祭りも終わり、孔夫子(こんふうつう)の聖誕も過ぎてしまいましたが、彼の頭に巣くっている倦怠と憂うつとは、依然として晴れる機会がありません。

「うら若さ」を頼みにしている貴公子も、いよいよ来年は二十五歳になるかと思えば、房々とした鬢髪の色つやまでが、だんだん衰えて来るように感ぜられます。

気分が塞げば塞ぐほど、心が寂しくなればなるほど、享楽に憧れ、昂奮を求める胸中のもどかしさはますます募って、旨くもない酒を飲んだり、可愛くもない女を嬲(なぶ)ったり、十日も二十日も長夜の宴を押し通して、沸き返るようなばか騒ぎを催したり、色々試して見ますけれど、さっぱり効き目は在りませんでした。

それで結局は、あの獏という獣の様に、阿片を吸って、夢を喰らって、荒唐無稽な妄想の雲に囲ぎょうされつつ、終日ぼんやりと手足を伸ばしているよりほかはなかったのです。

貴公子の眉の曇りは晴れやらぬままに、とうとうその年が明けて、のどかな迎春の季節となりました。
この時分、大清の王化はあまねく支那の全土に行き渡り、上に英明の天子を戴いた十八省の人民は、鼓腹撃壌の太平の世に酔うて、世間が何となく、陽気に浮き立っていましたから、正月の南京の町々は近年にない賑やかさです。

ちょうど一月の十三日、いわゆる上燈(しゃんてん)の日から十八日の落燈(らてん)の日まで、六日の間を燈夜(てんやー)と唱えて、毎年戸々の家々では夜な夜な門前に灯籠を点じ、官庁や富豪の邸宅などは、楼上高く縮緬(ちりめん)の幔幕(まんまく)を張り綵燈(さいとう)を掲げて、酒宴を設け糸竹を催します。


又、市中目抜きの大通りには、あたかも日本で大阪の夏の町筋を見る様に、往来の片側から向こう側の軒先へ、木綿の布を覆い渡して、燈棚(てんぽん)を造り、それに紅白取り取りの燈篭をぶら下げます。

そうして街中到る所に寄り集うた若者は、法華の信者がお会式(おえしき)の万燈を担ぐように、龍燈、馬燈、獅子燈などを打ち振り打ち振り、銅鑼を鳴らし、金鑼を叩いて練り歩くのです。

しかし、このお祭りの最中にも、例の貴公子の顔つきばかりは相変わらず沈み勝ちで、少しも冴え冴えとする様子がありません。

 次回に続く。

引用書籍
谷崎潤一郎作「人魚の嘆き」
中央公論社刊

「人魚の嘆き」本文vol,9/29

「人魚の嘆き」本文全29章 ファンブログ版 vol,9/29

「人魚の嘆き」VOL,9


「成る程、四百餘州に二人とない美人と云うのは、この児のことかな。・・・・・・」
貴公子はやおら身を起こして、眠そうな眼でじろりじろりと二人を見詰めます。そうかと思うと、直ぐに鼻先でせせら笑って、

「・・・・・・だがしかし、四百餘州という所は、己の内より餘程女がいないと見える。お前も人買いを商売にするなら、後学のために己の妾を見てやってくれ。」

かく云う主人の声に応じて、例の七人の寵姫たちは、さながら飼い馴らされた鳩のように、忽ち綉簾(しゅうれん)の隙間から、ぞろぞろと其処へ姿を現すのです。

思い思いの羅綾を纏い、思い思いの掻頭(そうとう)を翳(かざ)したおのおのの寵姫の背後には、いずれも双鬟(そうかん)の美少年が、左右に二人ずつ扈従しながら、始終柄(え)の長い絳紗(こうさ)の団扇(うちわ)で、彼らの紅瞼に微風の漣
さざなみ)を送っています。

彼らは七人の女王の如く、光り輝く嬌笑を浮かべて、貴公子の周囲に彳立(てきりつ)したまま、互いに顔を見合わせて、いつまででも黙っています。

黙っていれば黙っているほど、彼らの美貌は一際鮮やかに照りわたり、いかほど欲に眼のくらんだ人買いでも、思わず知らず恍惚とせずにはいられません。

暫く呆然として、賛嘆の瞬きを続けた後、漸く我に返った人買いは、顧みて自分の売り物の哀れさ醜さに心付くと、挨拶もそこそこに、這(ほ)う這(ほ)うの体(てい)で邸を逃げ出してしまいます。

その後ろ影を見送りながら、主人の貴公子は張り合いのない顔つきをして、がっかりしたように、再び臥(ね)転んでしまうのでした。



引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊

「人魚の嘆き」本文vol,8/29

「人魚の嘆き」本文全29章 ファンブログ版 vol,8/29

「人魚の嘆き」VOL,8

「御前様、今度という今度は、素晴らしい玉が見つかりました。生まれは杭州の商家の娘で、名前を花麗春と云う、十六になる児でございますが、器量は元より芸が達者で詩が上手で、先ずあれ程の優物は、四百餘州に二人とはございますまい。


まあ、騙されたと思召して、本人をご覧になっては如何でございましょう。」
こんな話を聞かされると、毎々彼等に乗せられていながら、つい貴公子は心を動かして、一応その児を検分しないと気が済みません。


「それでは会って見たいから、早速呼んで来るがいい。」多くの場合、彼はともかくもこういう返事を与えるのです。




しかし、人買いの手に連れられて、貴公子の邸へ目見えに上る美人連は、余程厚顔な生まれつきでない限り、大概赤恥を掻かされて、泣く泣く逃げて帰るのが普通でした。

なぜと云うのに、その人買いと美人とは、最初に先ず、豪奢を極めた邸内の講堂へ講ぜられ、長い間待たされた後、今度はさらに鏡のような花斑石のぶう(漢字なし)甎(ぷうせん)を踏んで、遠い廊下を幾曲がりして、遂に奥殿の内房へ案内されます。





見ると、其処では今や盛大な宴楽が催され、或るものは柱に凭れて簫笛を吹き、或るものは屏風に倚って琵琶を弾じ、多勢の男女が蹣跚(まんさん)と入り交じりつつ、手に手に酒盞を捧げながら、雲鑼(うんら)を打ち、月鼓を鳴らして、放歌乱舞の限りを尽くしているのです。

もうそれだけで、好い加減肝を奪われてしまいますが、しかも

主人の貴公子は、

いつも必ず一段高い睡房の帳の蔭に、錦繍の花毯(かたん)の上へ身を横たえて、さも大儀そうな欠伸をしながら、眼前の騒ぎを餘所(よそ)にうつらうつらと、銀の煙管で阿片を吸うておりました。



引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊

「人魚の嘆き」本文vol,7/29

「人魚の嘆き」本文全29章 ファンブログ版 vol,7/29

「人魚の嘆き」VOL,7


貴公子の邸へ出入りする商人どもは、常にこういう注文を受けていながら、未だ嘗て彼の称賛を博する程の、立派な品をもたらした者はいませんでした。

中にはまた、物好きな貴公子の噂を聞いて、金が欲しさに諸所方々の国々から、得体のしれないまやかし物を、はるばると売りつけに来る奸商があります。

「御前さま、これは私が西安の老舗の庫から見つけ出した、千年も前の酒でございます。何でもこれは唐の都に、張皇后がお嗜みになったという、有名な鷰脳酒(えんのうしゅ)だと申します。又この方は、同じく唐の順宗皇帝がお飲みになった、龍膏酒だそうでございます。

嘘だと思召すならば、よく酒壺の古色をご覧下さいまし。千年前の封印が、この通り立派に残っております。」
こんな具合に持ち掛けるのを、人の悪い貴公子は、黙々として聞き終わってから、さて徐に皮肉を言いました。

「いや、お前の能弁には感心するが、己を騙そうという了見なら、もう少し物識りになるがいい。その酒壺は江南の南定窯という奴で、南宋以前にはなかった代物だ。唐の名酒が宋の陶器に封じてあるのは滑稽過ぎる。」

こう言われると、商人は一言もなく、冷や汗を掻いて引き下がってしまいます。実際、陶器に限らず、衣服でも宝石でも絵画でも刀剣でも、あらゆる美術工芸に関する貴公子の鑑識は、気味の悪いくらい該博で、支那中の考古学者と骨董家とが集まっても、到底彼の足元にすら及ばないことは確かでした。

女を売りにくる輩も、うるさい程多勢あって、めいめい勝手な手前味噌を並べ立てます。




引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊

「人魚の嘆き」本文vol,6/29

「人魚の嘆き」本文全29章 ファンブログ版 vol,6/29

「どうして内の御前様は、毎日あんなに塞ぎこんで、退屈らしいかおつきばかりなすっていらっしゃるのだろう。」

七人の妾たちは、互いにこう云って訝(いぶか)りながら、あらん限りの秘術をつくして、貴公子のご機嫌を取り結びます。

紅々という、第一の妾は声が自慢で、隙さえあれば愛玩の胡琴を鳴らしつつ、婉転として玉のような喉嚨(こうろう)を弄び、鶯々という、第二の妾は秀句が上手で、気に臨み折に触れては面白おかしい話題を捕らえ、小禽のような絳舌蜜嘴(こうぜつみっし)をぺらぺらと囀(さえず)らせる。

肌の白いのを得意としている、第三の妾の窈娘(ようじょう)は、動(やや)ともすると酔いに乗じて、神々しい二の腕の膩肉(じにく)を誇り、愛嬌を売り物にする第四の妾の錦雲は、豊頬に腮窩(さいわ)を刻んで、さもにこやかにほほ笑みながら、柘榴(ざくろ)の如き歯並びを示し、第五、第六、第七の妾たちも、それぞれ己の長所を恃(たの)んで、頻りに主人の寵幸を争うのです。

けれども貴公子は、この女たちの孰れに対しても、格別強い執着を抱く様子がありません。世間普通の眼から見ると、彼等は絶世の美人に違いありませんが、傲慢な貴公子を相手にしては、やはり酒の味と同じように、折角の嬌態が今更珍しくも美しくも見えないのです。

こういう風で、次から次へと絶えず芳烈な刺激を求め、永劫の歓喜、永劫の恍惚に、心身を楽しませようという貴公子の願いは、なかなか一と通りの酒や女の力を以て、遂げられる訳がないのでした。

「金はいくらでも出してやるから、もっと変わった酒はないか。もっと美しい女はいないか。」


引用書籍
谷崎純一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊


「人魚の嘆き」本文vol,5/29

「人魚の嘆き」VOL,5


酒の方では、先ず第一が甜(あま)くて強い山西のるう(漢字なし)安酒(るうあんちゅう)、淡くて柔らかい常州の恵泉酒、その他蘇州の福珍酒(ほちんちゅう)だの、湖州の烏程ちん(漢字なし)酒(うーじんちんちゅう)だの、北方の葡萄酒、馬( )酒、←漢字・読み共に無し。梨酒、棗酒(そうしゅ)から、南方の椰漿酒、樹汁酒、蜜酒の類に至るまで、四百餘州に名高い佳醴芳醇(かれいほうじゅん)は、朝な夕なの食膳に交わる交わる杯へ注がれて、貴公子の唇を湿おしました。


しかしこれ等の酒の味も、以前に度々飲み慣れている気功師の舌には、それ程新奇に感ずる筈がありません。
飲めば酔い、酔えば愉快になるものの、何となく物足りない心地がして、昔のように神思飄飄(ひょうひょう)たる感興は、一向胸に湧いて来ないのです。



引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊


「人魚の嘆き」本文vol,1/29〜4/29

「人魚の嘆き」本文紹介VOL,1〜4



人魚の嘆きVOL1〜4紹介 谷崎潤一郎著、中央公論社刊


人魚の嘆きVOL,4 




人魚の嘆きVOL,4

何とかして今のうちに、現在自分の持っている「うら若さ」の消えやらぬ間(ま)に、もう一遍たるんだ生活を引き絞って、冷えかかった胸の奥に熱湯のような感情を沸騰させたい。連夜の宴楽、連日の演技に浸りながら、猶(なお)倦(う)む(=飽きる、の意味。)ことを知らなかった二、三年前の興奮した心持ちに、どうかして今一度到達したい。

などと焦っては見るのですが、 別段今日になって、彼を有頂天にさせるような、香辣(こうらつ=激しい、の意味。)な刺激もなければ斬新な方法もないのです。

もはや、歓楽の絶頂を極め、痴狂(ちきょう)の数々を経験しつくした彼に取って、もうそれ以上の変わった遊びが、この世に存在する筈はありませんでした。

そこで


貴公子は仕方なしに、自分の家の酒庫にある、珍しい酒を残らず卓上へ持ち来らせ、又町中の教坊(=寺)に、四方の国々から寄り集まった美女の内で、殊更才色のめでたい者を七人ばかり択び出させ、それを自分の妾に直して、各々七つの綉房(しゅうぼう)に住まわせました。

引用書籍
谷崎潤一郎著「人魚の嘆き」中央公論社刊




人魚の嘆きVOL,3


世ちゅう(漢字みつからず)は、こういう境遇に身を委(ゆだ)ねて、漸く総角(あげまき)の徐(と)れた頃から、いつとはなしに遊里のお酒を飲み初め、その時分の言葉で云う、窃玉偸香(せつぎょくとうこう)

(※ 偸香=とうこう。男女の密通、の意味。)の味を覚えて、二十二、三の歳までには、およそ世の中の放蕩という放蕩、贅沢という贅沢の限りをし尽くしてしまいました。

そのせいか近頃は、頭が何となくぼんやりして、何処へ行っても面白くないので、終日邸(やしき)に籠居したまま、うつらうつらと無聊(ぶりょう)な月日を送っています。

「どうだい君、この頃はめっきり元気が衰えたようだが、ちと町の方へ遊びに出たらいいじゃないか。まだ君なんぞは、道楽に飽きる年でもないようだぜ。」

悪友の誰彼(だれかれ)が、こう云って誘いに来ると、いつも貴公子は物憂げな瞳を据えて、高慢らしくせせら笑って答えるのです。

「うん、・・・・・・己(おれ)だってまだ道楽に飽きてはいない。しかし遊びに出たところで、何が面白いことがあるんだい。己にはもう、有りふれた町の女や酒の味が、すっかり鼻に着いているんだ。ほんとうに愉快なことがありさえすれば、己はいつでもお供をするが・・・・・・」



貴公子の立場から見ると、年が年中、同じような色里の女に溺れて、千篇一律の放蕩を謳歌している悪友どもの生活が、寧(むし)ろ不憫
(ふびん)に思われることさえありました。

もしも女に溺れるならば、普通以上の女でありたい。もし放蕩を謳歌するなら、常に新しい放蕩でありたい。

貴公子の心の底には、こういう欲望が燃えているのに、その欲望を満足させる恰好な目標が見当たらないので、よんどころなく彼は閑散な時を過ごしているのでした。

しかし、世ちゅうの財産は無尽蔵でも、彼の寿命は元より限りがありますから、そういつまでも美しい「うら若さ」を保つ訳には行きません。貴公子もそれを考えると、急に歓楽が欲しくなって、ぐずぐずしてはいられないような気分に襲われることがあります。



引用書籍
谷崎潤一郎「人魚の嘆き」中央公論社刊




「人魚の嘆き」VOL,2


彼の持っている夥しい資材や、秀麗な眉目や、明敏な頭脳や、それ等の特長の一つを取って比べても、南京中の青年のうちで、彼の仕合せに匹敵する者はいませんでした。

彼を相手に豪奢な遊びを競い合い、教坊の美妓を奪い合い、詩文の優劣を争う男は、誰も彼も悉く打ち負かされてしまいました。

そうして南京に有りと有らゆる、煙花城中の婦女の願いは、たとえ一と月半月なりと、あの美しい貴公子を自分の情人にすることでした。



引用書籍
谷崎潤一郎「魔術師」中央公論社刊



「人魚の嘆き」VOL,1

むかしむかし、まだ愛親覚羅氏の王朝が、六月の牡丹のように栄え輝いていた時分、支那の大都の南京に孟世ちゅう(=もうせいちゅう※ 漢字見つからず。)といううら若い貴公子が住んでいました。

この貴公子の父なる人は、一と頃北京の朝廷に仕えて、乾隆の帝のおん覚えめでたく、人の羨むような手柄を著す代りには、人から排斥されるような巨万のとみ富をも拵(こしら)えて、一人息子の世ちゅうが幼い折に、この世を去ってしまいました。すると間もなく、貴公子の母なる人も父の跡を追うたので、取り残された孤児の世ちゅうは、自然と山のような金銀財宝を、独り占めする身の上となったのです。

年が若くて、金があって、おまけに由緒ある家門の誉を受け継いだ彼は、もうそれだけでも充分仕合わせな人間でした。然るに仕合わせは
それのみならず、世にも珍しい美貌と才智とが、この貴公子の顔と心とに恵まれていたのです。


引用書籍
谷崎潤一郎著「人魚の嘆き」中央公論社刊

「痴人の愛」本文 角川文庫刊 vol,10

(^_-)-☆アスカミチル

更新連絡でっせー。

★1/7(木)から

以下の更新スタイル。




●毎週日曜

【三国志演義】朗読  

1動画(約15分朗読)  

午後9時までにアプロード。


◆月火水木金土

【痴人の愛】本文掲載

1日1記事(約800字掲載

午後9時までにアプロード。



以上の通りです。

ヨロシク
光るハート


「痴人の愛」本文 角川文庫刊 vol,10


そうです、あの頃の事をあまりくどくど記す必要はありませんが、一度私は、やや打ち解けて、彼女とゆっくり話をした折がありましたっけ。



それは何でもしとしとと春雨の降る、生暖かい四月の末の宵だったでしょう。
ちょうどその晩はカフェが暇で、大そう静かだったので、私は長いことテーブルに構えて、
チビチビ酒を飲んでいました。



こう言うと、ひどく酒飲みの様ですけれど、実は私は甚だ下戸の方なので、時間つぶしに、女の飲むむような甘いコクテルを拵えて貰って、それをほんの一口ずつ、舐めるようにすすっていたのに過ぎないのですが、そこへ彼女が料理を運んでくれたので、



「ナオミちゃん、まあちょっとそこへおかけ」
と、幾らか酔った勢いでそう言いました。

「なあに」
と言って、ナオミはおとなしく私の側に腰をおろし、私がポケットから敷島を出すと、スグにマッチを擦ってくれました。



「まあ、いいだろう、ここで少うししゃべって行っても。今夜はあまりいそがしくもなさそうだから」
「ええ、こんなことはめったにありはしないのよ」



「いつもそんなに忙しいかい?」
「忙しいわ、朝から晩まで、本を読む暇もありゃしないわ」



「じゃあナオミちゃんは、本を読むのが好きなんだね」
「ええ、好きだわ」



「一体どんなものを読むのさ」
「いろいろな雑誌を見るわ、読む物なら何でもいいの」

「そりゃ感心だ、そんなに本が読みたかったら、女学校へでも行けばいいのに」
私はわざとそう言って、ナオミの顔を覗き込むと、彼女は癪に酌に触ったのか、つんと済まして、あらぬ方角をじっと視つめているようでしたが、その眼の中には、明らかに悲しいような遣る瀬ないような色が浮かんでいるのでした。


                              次回に続く。













2021年01月13日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊 vol,9

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【三国志演義】朗読  

1動画(約15分朗読)  


午後9時までにアプロード。



◆月火水木金土

【痴人の愛】本文掲載

1日1記事(約800字掲載)


午後9時までにアプロード。

以上の通りです。

ヨロシク光るハート



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「痴人の愛」本文 角川文庫刊 vol,9



で、一緒に遊びに行くときは、大概前の日に約束をして、決めた時間に公園のベンチとか、観音様のお堂の前とかで待ちあわせることにしたものですが、彼女は決して時間を違えたり、約束をすっぽかしたりしたことはありませんでした。



何かの都合で私の方が遅れたりして、

「あんまり待たせ過ぎたから、もう帰ってしまったかな」

と、案じながら行ってみると、やはりキチンとそこで待っています。



そして私の姿に気が付くと、不意と立上ってつかつかこちらへ歩いて来るのです。

「御免よ、ナオミちゃん、大分長いこと待っただろう」

私がそう言うと、



「えゝ、待ったわ」

と言うだけで、別に不平そうな様子もなく、怒っているらしくもないのでした。



ある時などは、ベンチに待っている約束だったのが、急に雨が降り出したので、どうしているかと思いながら出かけて行くと、

あの、池の側に或る何様だかの小さい祠の軒下にしゃがんで、それでもちゃんと待っていたのには、ひどくいじらしい気がしたことがありました。



そういう折の彼女の服装は、多分姉さんのお譲りらしい古ぼけた銘仙の衣類を着て、めりんす友禅の帯をしめて、髪の日本風の桃割れに結い、薄く白粉を塗っていました。



そしていつでも継ぎは当たっていましたけれど、小さな足にピッチリと嵌(は)まった、恰好のいい白足袋を穿(は)いていました。どういう訳で休みの日だけ日本髪にするのかと聞いてみても、

「内(うち)でそうしろと言うもんだから」

と、彼女は相変わらず詳しい説明はしませんでした。



「今夜は遅くなったから、家の前まで送って上げよう」

私は再々、そう言ったこともありましたが、



「いゝわ、直き近所だから一人で帰れるわ」

と言って、花屋敷の角まで来ると、きっとナオミは

「さよなら」

と言い捨てながら、千束町(せんぞくまち)の横町の方へバタバタ駆け込んでしまうのでした。

                          次回に続く。

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