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2021年01月15日

「人魚の嘆き」本文vol,25

「人魚の嘆き」VOL,25


或る晩のことでした。貴公子はあまりの切なさ悲しさに、熱燗の紹興酒を玉杯に注いで、腸(はらわた)を焼く強い液体の、満身に行き渡るのを楽しんでいると、その時まで水中に海鼠(なまこ)の如く縮まっていた人魚は、温かい酒の香りを恋い慕うのか、俄かにふわりと表面へ浮かび上がって、両腕を長く甕の外へ差し出すのです。


貴公子が試みに、手に持った酒を彼の女の口元へ寄せるや否や、彼の女は思わず我を忘れて真紅の下を吐きながら、海綿のような唇を杯の縁に吸い着かせたまま、唯一息に飲み干してしまいました。

そうして、たとえばあの、ビアズレエの描いた、”The Dancer's Reward"という画題の中にあるサロメのような、凄惨な苦笑いを見せて、頻りに喉をならしつつ次の一杯を促すのです。






「それ程お前が酒を好むなら、私はいくらでも飲ませてやる。冷(ひやや)かな海の潮に漬っているお前の血管に、激しい酔いが燃え上がったら、定めしお前は一層美しくなるであろう。

一層人間らしい親しみと愛らしさとを示してくれるだろう。お前を私に売って行った和蘭(おらんだ)人の話に依ると、お前は人間の測り知られぬ神通力を具えていると云うではないか。

お前には背徳の悪性があると云うではないか。私はお前の神通力を見せて貰いたいのだ。お前の悪性に触れたいのだ。

お前が本当に不思議な魔法を知っているなら、せめては今宵一と夜なりとも人間の姿に変わってくれ。お前が実際放肆(ほうし)な情欲を持っているなら、どうぞそのように泣いていないで、私の恋を聴き入れてくれ。」

貴公子がこう云いながら、杯の代りに自分の唇を持って行くと、窈渺(ようびょう)たる人魚の眉目は鏡に息のかかったように忽ち曇って、

「貴公子よ、どうぞ私を赦(ゆる)して下さい。私を憐れんで赦して下さい。」
と、突然明瞭な人間の言語を発しました。



引用書籍
陳舜臣「人魚の嘆き」中央公論社刊
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