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2021年01月23日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,23


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,23





私はそう言ってほっと溜息をつきながら、窓の外にちらちらしている都会の夜の華やかな灯影(ほかげ)を、言いようのない懐かしい気持ちで眺めたものです。



「だけどあたし、夏は田舎もいいと思うわ」

そりゃ田舎にもよりけりだよ、僕の家なんか草深い百姓家で、近所の景色は平凡だし、名所古跡があるわけじゃ無し、真昼間から蚊だの蠅だのがぶんぶん唸って、とても暑くてやりきれやしない」



「まあ、そんな所(とこ)?」

「そんな所さ」



「あたし、どこか、海水浴に行きたいなあ」

突然そう云いだしたナオミの口元には、駄々っ児のような可愛らしさがありました。



「じゃ、近いうちに涼しいとこへ連れて行こうか、鎌倉がいいかね、それとも箱根かね」

「温泉より海がいいわ。行きたいなァ、ほんとうに」



その無邪気そうな声だけを聞いていると、やはり以前のナオミに違いないのでしたが、何だかほんの十日ばかり見なかった間に、旧に身体が伸び伸びと育ってきたようで、モスリンの単衣の下に息づいている圓(まる)みを持った肩の形や乳房のあたりを、私はそっと偸(ぬす)み視(み)ないではいられませんでした。



「この着物はよく似合うね」

と、暫くたってから私は言いました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。

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