2021年01月22日
「お梅人形」本文vol,9(全10記事)
江戸川乱歩「一寸法師」より【お梅人形】VOL,9
「それから、今度の事件で最も不思議なのは、これは奥さんもとっくにお気づきだと思いますが、犯人が彼自身の犯行を公衆の面前にさらけだそうとしている点です。
小林君の見たことといい、例の千住の片足事件といい、(もっともこれは全然別の事件かも知れませんが)今度の百貨店の出来事といい、凡て犯人は恐ろしい殺人事件のあったことを世間に知らせようとしている形があります。
殊に今日のは、ちゃんと指輪まではめてあった。
これは山野三千子さんの手首だぞと、広告しているようなものではありませんか。
殺人者が自分の犯行を広告するというのは、到底考えられない事です。
馬鹿か気違いでなければ、いや、どんな馬鹿か気違いでも、まさかそんな乱暴なことはしないでしょう。
それに、誰にも姿を見せないで百貨店の飾り人形に、死人の手首を取り付けて来るなんて、馬鹿や気違いで出来る芸当ではありません。
とすると、この一見馬鹿馬鹿しく見える出来事には、何か深い魂胆がなければなりません」
明智はそこでポッツリと言葉を切って、山野夫人の青ざめた顔を眺めた。
不自然に長い間そうしてじっとしていた。
山野夫人は明智の鋭い眼光を意識して、さしうつむいたまま震えていた。
彼女は余りの恐ろしさに顛倒(てんどう)して口も利けないらしく見えた。
「で、もしこれが深い計画によって行われた出来事だとしますと、その意味はたった一つしかありません。
つまり、犯人は外にあるのです。
お嬢さんの死体の一部を公衆の面前にさらけ出している奴は、犯人ではなくて、そういう驚くべき手段によって、別に本当の犯人を脅迫しているのです。
何かためにする処があって、非常手段を採っているのです。
そんな風には考えられないでしょうか」
山野夫人はその時、ハッと顔を上げて明智を見た。
二人は無言のまま、じっとにらみ合った。
お互いにお互いの胸の奥まで突き通す様な、恐ろしい眼光を取り交わした。
が、次の瞬間には、山野夫人はテーブルに顔を伏せて、はげしく泣き出していた。
圧(おさ)えても圧(おさ)えても、胸を刺す甲高い声が、袖をもれた。
彼女の小さい肩が烈しく波打った。
投げ出した白い首筋におくれ毛がもつれて、なまめかしくふるえた。
そこへドアが開いて、書生が入って来た。
彼はその場のただならぬ様子を見ると、そのまま引き返し相にしたが、思い返してテーブルの方へ近付いて来た。
彼も何か興奮している様子だった。
「奥様」
彼はおずおずと夫人を呼びかけた。
「大変な物が参りました」
夫人はやっと涙を圧(おさ)えて顔を上げた。
「ただ今、こんな小包が参りました」
書生は持っていた細長い木箱をテーブルの上に置いて、チラと明智の方を見た。
小包は粗末な木箱で、厳重に釘づけになっていたが、書生が無理にあけたのであろう、蓋が半分に割れて、中から何か油紙に包んだものがはみ出していた。
細長い木箱は午後の第一回の郵便物の中に混じっていた。
差出人の記名はなかったけれど、いずれどこからかの到来物に相違ないと思って、書生の山木は何気なく蓋を開いた。(ここでは封書の外の小包だとか書籍類などは、書生が荷造りを解いて主人の所へ差し出す習慣だった)
だが、一目(ひとめ)中の品物を見ると、山木は青くなってしまった。
彼はそれをどう処分していいか分からなかった。
病中の主人を驚かすのは憚(はばか)られた。
といって、黙って置く訳にもいかぬ。
ふと思いついたのは客間に素人探偵の明智が来ていることだった。
彼は兎も角、それを夫人と明智のところへ持って行くことにした。
明智は書生の説明を聞きながら箱の中から油紙に包んだ品物を取り出して、丁寧に包みを解いた。
中からは渋紙色に変色した人間の片腕が出て来た。
肘のところから見事に切断され、切り口に黒い血がかたまっていた。
たまらない臭気が鼻を打った。
「君、奥さんをあちらへお連れしてくれ給え。
これをごらんにならん方がいい」
明智は手早く包みを箱の中へ押し込んで叫んだ。
山野夫人は、併(しか)し、凡てを見てしまった。
彼女は立ち上がって無表情な顔で一つ所を見つめていた。
顔色は透き通る様に白かった。
「君、早く」
明智と書生とが同時に夫人を支えた。
夫人はもう立っている力がなかった。
彼女は無言のまま書生に抱かれるようにして日本間の方へ立ち去った。
★引用書籍
江戸川乱歩著
「一寸法師」
1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21
「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」
同時連載本文より引用。
「それから、今度の事件で最も不思議なのは、これは奥さんもとっくにお気づきだと思いますが、犯人が彼自身の犯行を公衆の面前にさらけだそうとしている点です。
小林君の見たことといい、例の千住の片足事件といい、(もっともこれは全然別の事件かも知れませんが)今度の百貨店の出来事といい、凡て犯人は恐ろしい殺人事件のあったことを世間に知らせようとしている形があります。
殊に今日のは、ちゃんと指輪まではめてあった。
これは山野三千子さんの手首だぞと、広告しているようなものではありませんか。
殺人者が自分の犯行を広告するというのは、到底考えられない事です。
馬鹿か気違いでなければ、いや、どんな馬鹿か気違いでも、まさかそんな乱暴なことはしないでしょう。
それに、誰にも姿を見せないで百貨店の飾り人形に、死人の手首を取り付けて来るなんて、馬鹿や気違いで出来る芸当ではありません。
とすると、この一見馬鹿馬鹿しく見える出来事には、何か深い魂胆がなければなりません」
明智はそこでポッツリと言葉を切って、山野夫人の青ざめた顔を眺めた。
不自然に長い間そうしてじっとしていた。
山野夫人は明智の鋭い眼光を意識して、さしうつむいたまま震えていた。
彼女は余りの恐ろしさに顛倒(てんどう)して口も利けないらしく見えた。
「で、もしこれが深い計画によって行われた出来事だとしますと、その意味はたった一つしかありません。
つまり、犯人は外にあるのです。
お嬢さんの死体の一部を公衆の面前にさらけ出している奴は、犯人ではなくて、そういう驚くべき手段によって、別に本当の犯人を脅迫しているのです。
何かためにする処があって、非常手段を採っているのです。
そんな風には考えられないでしょうか」
山野夫人はその時、ハッと顔を上げて明智を見た。
二人は無言のまま、じっとにらみ合った。
お互いにお互いの胸の奥まで突き通す様な、恐ろしい眼光を取り交わした。
が、次の瞬間には、山野夫人はテーブルに顔を伏せて、はげしく泣き出していた。
圧(おさ)えても圧(おさ)えても、胸を刺す甲高い声が、袖をもれた。
彼女の小さい肩が烈しく波打った。
投げ出した白い首筋におくれ毛がもつれて、なまめかしくふるえた。
そこへドアが開いて、書生が入って来た。
彼はその場のただならぬ様子を見ると、そのまま引き返し相にしたが、思い返してテーブルの方へ近付いて来た。
彼も何か興奮している様子だった。
「奥様」
彼はおずおずと夫人を呼びかけた。
「大変な物が参りました」
夫人はやっと涙を圧(おさ)えて顔を上げた。
「ただ今、こんな小包が参りました」
書生は持っていた細長い木箱をテーブルの上に置いて、チラと明智の方を見た。
小包は粗末な木箱で、厳重に釘づけになっていたが、書生が無理にあけたのであろう、蓋が半分に割れて、中から何か油紙に包んだものがはみ出していた。
細長い木箱は午後の第一回の郵便物の中に混じっていた。
差出人の記名はなかったけれど、いずれどこからかの到来物に相違ないと思って、書生の山木は何気なく蓋を開いた。(ここでは封書の外の小包だとか書籍類などは、書生が荷造りを解いて主人の所へ差し出す習慣だった)
だが、一目(ひとめ)中の品物を見ると、山木は青くなってしまった。
彼はそれをどう処分していいか分からなかった。
病中の主人を驚かすのは憚(はばか)られた。
といって、黙って置く訳にもいかぬ。
ふと思いついたのは客間に素人探偵の明智が来ていることだった。
彼は兎も角、それを夫人と明智のところへ持って行くことにした。
明智は書生の説明を聞きながら箱の中から油紙に包んだ品物を取り出して、丁寧に包みを解いた。
中からは渋紙色に変色した人間の片腕が出て来た。
肘のところから見事に切断され、切り口に黒い血がかたまっていた。
たまらない臭気が鼻を打った。
「君、奥さんをあちらへお連れしてくれ給え。
これをごらんにならん方がいい」
明智は手早く包みを箱の中へ押し込んで叫んだ。
山野夫人は、併(しか)し、凡てを見てしまった。
彼女は立ち上がって無表情な顔で一つ所を見つめていた。
顔色は透き通る様に白かった。
「君、早く」
明智と書生とが同時に夫人を支えた。
夫人はもう立っている力がなかった。
彼女は無言のまま書生に抱かれるようにして日本間の方へ立ち去った。
★引用書籍
江戸川乱歩著
「一寸法師」
1926(大正15),12/8〜1927(昭和2),2/21
「東京朝日新聞」・「大阪朝日新聞」
同時連載本文より引用。
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