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2021年01月22日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,19


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,19



そして私たちは、ご飯が食べたければ小さな土鍋で米を炊(かし)ぎ、別にお櫃に移すまでもなくテーブルの前に持ってきて、缶詰か何かを突っつきながら食事をします。



それもうるさくていやだと思えば、パンに牛乳にジャムでごまかしたり、西洋が子をつまんで置いたり、ご飯などはそばやうどんで間に合わせたり、少しご馳走が欲しい時には二人で近所の洋食屋まで出かけて行きます。



「譲治さん、今日はビフテキを食べさせてよ」

などと彼女は、よくそんなことを言ったものです。



朝飯を済ませると、私はナオミを一人残して会社へ出かけます。

彼女はご前中は花壇の草花をいじくったりして、午後になると空っぽの家に錠をおろして、英語と音楽の稽古に行きました。



英語はむしろ初めから西洋人に就いた方がよかろうというので、目黒に住んでいるアメリカ人の老嬢のミス・ハリソンという人の所へ、一日おきに会話とリーダーを習いに行って、足りない所は私が家で浚(さら)ってやることにしました。



音楽の方は、これは全くどうしたらいいか分かりませんでしたが、ニ三年前に上野の音楽学校を卒業したある婦人が、自分の家でピアノと声楽を教えるという話を聞き、この方は毎日柴の伊皿子まで一時間ずつ授業を受けに行くのでした。



ナオミは銘仙の着物の上に紺のカシミヤの袴をつけ、黒い靴下に可愛い小さな半靴を穿(は)き、すっかり女学生になりすまして、自分の理想がようよう叶った嬉しさに胸をときめかせながら、せっせと通いました。



折々帰り道などに彼女と往来で遇(あ)ったりすると、もうどうしても千束町(せんぞくちょう)に育った娘で、カフェエの女給をしていた者とは思えませんでした。



髪もその後は桃割れに結ったことは一度もなく、リボンで結んで、その先を編んで、お下げにしてたらしていました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊

次回に続く。

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