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2021年01月22日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,20


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,20



わたしは前に「小鳥を飼う様な心持」と言いましたっけが、彼女はこちらへ引き取られてから顔色などもだんだん健康そうになり、性質も次第に変わって来て、ほんとうに快活な晴れやかな小鳥になったのでした。



そしてそのだだっ広いアトリエの一と間は、彼女のためには大きな鳥籠だったのです。

五月も晴れて明るい初夏の気候が来る。花壇の花は日増しに伸びて色彩を増して来る。



私は会社から、彼女は稽古から、夕方家へ帰ってくると、印度更紗の窓かけを洩れる太陽は、真っ白な壁で塗られた部屋の四方を、いまだにカッキリと昼間の様に照らしている。



彼女はフランネルの単衣(ひとえ)を着て、素足にスリッパを突っかけて、とんとん床を踏みながら習ってきた歌を歌ったり、私を相手に目隠しだの鬼ごっこをして遊んだり、そんな時にはアトリエ中をぐるぐると走り回ってテーブルの上を飛び越えたり、ソォファの下にもぐりこんだり、椅子をひっくり返したり、まだ足らないで梯子段を駆け上っては、例の桟敷のような屋根裏の廊下を、鼠の如くチョコチョコと行ったり来たりするのでした。



一度は私が馬になって彼女を背中に乗せたまま、部屋の中を這って歩いたことがありました。

「ハイ、ハイ、ドウ、ドウ!」



と言いながら、ナオミは手ぬぐいを手綱にして、私にそれを咥えさせたりしたものです。

やはりそういう遊びの日の出来事でしたろう、ナオミがキャッ、キャッと笑いながら、あまり元気に梯子段を上ったり下りたりし過ぎたので、とうとう足を踏み外して頂辺(てっぺん)から転げ落ち、急にしくしく泣きだしたことがありましたのは。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。

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