2021年01月22日
江戸川乱歩「生腕」本文vol,6(全8記事)
「一寸法師」VOL,6
墓地のところを一と曲がりすると、小さな寺の門へ出た。一寸法師はそこでちょっとうしろを振り返って、だれもいないのを確かめると、ギイと潜り戸をあけて、門の中へ姿を消した。
紋三は隠れ場所から出て、大急ぎで門の前まで行った。そして、しばらく様子をうかがって、ソッと潜り戸を押してみたが、内部から鍵をかけたとみえ、こゆるぎもしなかった。
さっきまで潜り戸のしまりがしてなかったところを見ると、一寸法師はこの寺に住んでいるのであろうか。だが、必ずそうともきまらない。そういううちにも、あいつは裏の墓地の方から逃げ出しているのかもしれないのだ。
紋三は大急ぎで、元の道を引返し、杉垣の破れから寺の裏手をのぞいて見た。すると、墓地の向こう側に庫裏らしい建物があって、今ちょうどそこの入り口を開いて、誰かが中へ入るところであった。
その時、戸の隙間から漏れる光に照らし出された人影は、疑いもなく不格好な一寸法師にちがいなかった。
人影が庫裏の中に消えると、戸締りをするらしい金物の音がかすかに聞こえた。
もう疑う余地はなかった。一寸法師は以外にもこの寺に住んでいるのだ。紋三は、でも念のために杉垣の破れをくぐって庫裏の近くまで行き、しばらくのあいだ見張り番を勤めていた。中では電灯を消したらしく、少しの光も漏れず、また、聞き耳を立てても、コトリとも物音がしなかった。
その翌日、小林紋三は十時ごろまで寝坊をした。近所の小学校の運動場から聞こえてくる騒がしい叫び声に、ふと目をさますと、雨戸の隙間をもれた日光が、彼の脂ぎった鼻の頭に、まぶしく照り付けていた。
彼は寝床から手を伸ばして、窓の戸を半分だけあけておいて、蒲団の中に腹這いになったまま、煙草を吸い始めた。
「ゆうべは、おれはちとどうかしていたわい。安来節が過ぎたのかな。」
彼は寝起きの口を、ムチャムチャさせながら、ひとりごとを言った。
すべてが夢のようだった。お寺のまっくらな庫裏の前に立って、中の様子をうかがっているうちに、だんだん興奮がさめて行った。真夜中の冷気が身にしみるようだった。
遠くの街燈の逆光線を受けて、真っ黒く立ち並んでいる大小さまざまの石塔が、魔物の群衆かと見えた。別のこわさが彼を襲いはじめた。
どこかで、押しつぶしたような、いやな鶏の鳴き声がした。それを聞くと彼はもうたまらなくなって逃げだしてしまった。
墓場を通り抜ける時は、何かに追い駆けられている気持だった。それから、夢の中の市街のように、どこまで行っても抜け道のない複雑な迷路を、やっとのことで、電車道の大通りまでたどりつくと、ちょうど通り合わせた空のタクシーを呼び止めて、下宿に帰った。
運転手が面倒くさそうに行先を尋ねたとき、彼はふと遊びの場所を言おうとしたが、思い直して下宿のある町を教えた。彼はなんだか非常に疲れていた。
「おれの錯覚なんだろう。人間の腕の風呂敷包みなんて、どうもあまりばかばかしいからな。」
部屋中に満ち溢れている春の陽光が、彼の気分をがらりと快活にした。昨夜の変てこな気持が嘘のように思われた。
引用書籍
江戸川乱歩「一寸法師」講談社刊
墓地のところを一と曲がりすると、小さな寺の門へ出た。一寸法師はそこでちょっとうしろを振り返って、だれもいないのを確かめると、ギイと潜り戸をあけて、門の中へ姿を消した。
紋三は隠れ場所から出て、大急ぎで門の前まで行った。そして、しばらく様子をうかがって、ソッと潜り戸を押してみたが、内部から鍵をかけたとみえ、こゆるぎもしなかった。
さっきまで潜り戸のしまりがしてなかったところを見ると、一寸法師はこの寺に住んでいるのであろうか。だが、必ずそうともきまらない。そういううちにも、あいつは裏の墓地の方から逃げ出しているのかもしれないのだ。
紋三は大急ぎで、元の道を引返し、杉垣の破れから寺の裏手をのぞいて見た。すると、墓地の向こう側に庫裏らしい建物があって、今ちょうどそこの入り口を開いて、誰かが中へ入るところであった。
その時、戸の隙間から漏れる光に照らし出された人影は、疑いもなく不格好な一寸法師にちがいなかった。
人影が庫裏の中に消えると、戸締りをするらしい金物の音がかすかに聞こえた。
もう疑う余地はなかった。一寸法師は以外にもこの寺に住んでいるのだ。紋三は、でも念のために杉垣の破れをくぐって庫裏の近くまで行き、しばらくのあいだ見張り番を勤めていた。中では電灯を消したらしく、少しの光も漏れず、また、聞き耳を立てても、コトリとも物音がしなかった。
その翌日、小林紋三は十時ごろまで寝坊をした。近所の小学校の運動場から聞こえてくる騒がしい叫び声に、ふと目をさますと、雨戸の隙間をもれた日光が、彼の脂ぎった鼻の頭に、まぶしく照り付けていた。
彼は寝床から手を伸ばして、窓の戸を半分だけあけておいて、蒲団の中に腹這いになったまま、煙草を吸い始めた。
「ゆうべは、おれはちとどうかしていたわい。安来節が過ぎたのかな。」
彼は寝起きの口を、ムチャムチャさせながら、ひとりごとを言った。
すべてが夢のようだった。お寺のまっくらな庫裏の前に立って、中の様子をうかがっているうちに、だんだん興奮がさめて行った。真夜中の冷気が身にしみるようだった。
遠くの街燈の逆光線を受けて、真っ黒く立ち並んでいる大小さまざまの石塔が、魔物の群衆かと見えた。別のこわさが彼を襲いはじめた。
どこかで、押しつぶしたような、いやな鶏の鳴き声がした。それを聞くと彼はもうたまらなくなって逃げだしてしまった。
墓場を通り抜ける時は、何かに追い駆けられている気持だった。それから、夢の中の市街のように、どこまで行っても抜け道のない複雑な迷路を、やっとのことで、電車道の大通りまでたどりつくと、ちょうど通り合わせた空のタクシーを呼び止めて、下宿に帰った。
運転手が面倒くさそうに行先を尋ねたとき、彼はふと遊びの場所を言おうとしたが、思い直して下宿のある町を教えた。彼はなんだか非常に疲れていた。
「おれの錯覚なんだろう。人間の腕の風呂敷包みなんて、どうもあまりばかばかしいからな。」
部屋中に満ち溢れている春の陽光が、彼の気分をがらりと快活にした。昨夜の変てこな気持が嘘のように思われた。
引用書籍
江戸川乱歩「一寸法師」講談社刊
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