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(^_-)-☆管理人アスカミチルです。

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そして、
★「1分読むだけ文学通」毎日P.M.4:00までに谷崎潤一郎「痴人の愛」本文更新。


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2021年02月04日

三国志演義朗読第54回vol,4/6

2021年02月03日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vvol,40


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,40



「あたし筒っぽの着物を着て兵児帯を締めちゃいけないかしら?」

「筒っぽも悪くはないよ、何でもいいから出来るだけ新奇な風をしてみるんだよ。日本ともつかず、支那ともつかず、西洋ともつかない様な、何かそういう成りは無いかなーーー」



「あったらあたしに拵(こしら)えてくれる?」

「ああ拵えてあげるとも、僕はナオミちゃんにいろんな形の服を拵えて、毎日毎日取り換え引換え着せて見るようにしたいんだよ。



お召しだの縮緬だのって、そんな高い物でなくってもいい。

めりんすや銘仙で沢山だから、意匠を奇抜にすることだね」



こんな話の末に、私たちは良く連れ立って方々の呉服屋や、デパートメント・ストーアへ裂地を捜しに行ったものでした。

殊にその頃は、殆ど日曜日のたびごとに三越や白木屋へ行かないことは無かったでしょう。



とにかく普通の女物ではナオミも私も満足しないので、これはと思う柄を見つけるのは容易でなく、在り来たりの呉服屋は駄目だと思って、更紗屋だの、敷物屋だの、ワイシャツや洋服の裂(きれ)を売る店だの、わざわざ横浜まで出かけて行って、支那人街や居留地にある外国人向きの裂屋だのを、一日がかりで尋ね回ったことがありましたっけが、二人ともくたびれ切って足を擦粉木(すりこぎ)のようにしながらそれからそれへとどこまでも品物を漁りに行きます。



路を通るにも油断をしないで、西洋人の姿や服装に目をつけたり、到(いた)る処(ところ)のショウ・ウィンドウに注意します。

たまたま珍しいものが見つかると、

「あ、あの裂(きれ)はどう?」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。



ユーザーさん、

来てくれて有難う


「一息入れて。」

深夜の

カップコーシータイーム

(^O^)/行けえーーー



◆アクターズスクール北海道

中川るりんさん(小4、9歳)


ドウゾ〜〜〜

(≧▽≦)「うますぎ注意報!!」

2020-04-04 アクターズスタジオ スタジオライブ Vol.183 1.中川琉梨音

https://www.youtube.com/watch?v=XJaKPZ8mshE


三国志演義朗読第54回vol,3/6


毎日毎日毎日毎日

更新の、

アスカミチルっす〜〜〜〜〜〜〜〜小顔マナーモードジュエリーダイヤキスマーク口紅

ご来場、

シェイシェイ!!!!(謝謝!!!!)



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三国志演義朗読第54回vol,3/6



https://youtu.be/AiNBT9TWQAc

2021年02月02日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊bol,39


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,39



などと言いながら鏡の前でいろいろ表情をやって見せる。

活動写真を見る時に彼女は余程女優の動作に注意を払っているらしく、ピクフォードはこういう笑い方をするとか、ピナ・メニケリはこんな具合に眼を使うとか、ジェラルディン・ファ―ラ―はいつも頭をこういう風に束ねているとか、もうしまいには夢中になって、髪の毛までもバラバラに解かしてしまって、それを様々な形にして真似るのですが、瞬間的にそういう女優の癖や感じを捉える事は、彼女は実に上手でした。



「巧(うま)いもんだね、とてもその真似は役者にだって出来はしないね、顔が西洋人に似ているんだから」

「そうかしら、どこが全体似ているのかしら?」



「その鼻つきと歯ならびのせいだよ」

「ああ、この歯?」



そして彼女は

「いー」

と言うように唇をひろげて、

その歯並びを鏡に映して眺めるのでした。



それはほんとに粒の揃った非常につやのある綺麗な歯列だったのです。

「何しろお前は日本人離れがしているんだから、普通の日本の着物を着たんじゃ面白くないね。



いっそ洋服にしてしまうとか、和服にしても一風変わったスタイルにしたらどうだい」

「じゃ、どんなスタイル?」



「これからの女はだんだん活発になるんだから、今までのような、あんな重っ苦しい窮屈なものはいけないと思うよ」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。


 



三国志演義朗読第54回vol,2/6

(^_-)-☆アスカミチル

ようこそおいでくださいましたあ〜〜〜

(*´ε`*)チュッチュ




ハリキッテ、

行ってみようかあーーーーーー
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三国志演義朗読第54回vol,2/6



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2021年02月01日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,38


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,38


ナオミはソファへ仰向けに寝転んで、薔薇の花を持ちながら、それをしきりに唇へあてていじくっていたかと思うと、その時不意に、

「ねえ、譲治さん」

と、そう言って、両手を広げて、その花の代わりに私の首を抱きしめました。



「僕の可愛いナオミちゃん」

と、私は息が塞がるくらいシッカリと抱かれたまま、袂の蔭の暗い中から声を出しながら、



「僕の可愛いナオミちゃん、僕はお前を愛しているばかりじゃない、ほんとうを言えばお前を崇拝しているのだよ。

お前は僕の宝物だ、僕が自分で見つけ出して磨きをかけたダイアモンドだ。



だからお前を美しい女にするためなら、どんなものでも買ってやるよ。僕の月給はみんなお前に上げてもいいが」

「いいわ、そんなにしてくれないでも。そんな事よりか、あたし英語と音楽をもっとほんとに勉強するわ」



「ああ、勉強おし、勉強おし、もうすぐピアノも買ってあげるから。そうして西洋人の前に出ても恥ずかしくないようなレディーにおなり、お前ならきっとなれるから」



ーーーこの「西洋人の前に出ても」とか、「西洋人のように」とかいう言葉を、私はたびたび使ったものです。

彼女もそれを喜んだことは勿論で、



「どう?こうやるとあたしの顔は西洋人のように見えない?」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。


三国志演義朗読第54回vol,1/6


(●^o^●)アスカ

ようこそおいで下さったねえ光るハート
(*´ε`*)チュッチュ
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三国志演義朗読第54回vol,1/6

https://youtu.be/56qLk9J53vE

2021年01月31日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,36


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,36



「ありがとよ、ナオミちゃん、ほんといありがと、よく分かっていてくれた。・・・・・・僕は今こそ正直なことを言うけれど、お前がこんなに、・・・・・・こんなにまで僕の理想にかなった女になってくれようとは思わなかった。



僕は運が良かったんだ。僕は一生お前を可愛がって上げるよ。・・・・・・お前ばかりを。・・・・・・世間によくある夫婦のようにお前を決して粗末にはしないよ。ほんとに僕はお前のために生きているんだと思っておくれ。



お前の望みは何でもきっと聴いて上げるから、お前ももっと学問をして立派な人になっておくれ。・・・・・・」

「ええ、あたし一生懸命勉強しますわ、そしてほんとに譲治さんの気に入るような女になるわ、きっと・・・・・・」



ナオミの眼には涙が流れていましたが、いつか私も泣いていました。

そして二人はその晩じゅう、行く末のことを飽かずに語り明かしました。



それから間もなく、土曜の午後から日曜に掛けて郷里へ帰り、母に初めてナオミの事を打ち明けました。

これは一つには、ナオミが国の方の思わくを心配している様子でしたから、彼女に安心を与えるためと、私としても公明正大に事件を運びたかったので、出来るだけ母への報告を急いだわけでした。



私は私の結婚についての考えを正直に述べ、どういう訳でナオミを妻に持ちたいのか、年寄りにもよく納得が行く様に理由を説いて聞かせました。



母は前から私の性格を理解しており、信用していてくれたので、

「お前がそういうつもりならその児(こ)を嫁に貰うもいいが、その児の里がそういう家だと面倒が起こりやすいから、あとあとの迷惑が無いように気を付けて」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。



































「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,35


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,35



日記の事で話しが横道へ外(そ)れましたが、とにかくそれに依って見ると、私と彼女とが切っても切れない関係になったのは、大森へ来てから第二年目の四月の二十六日なのです。



もっとも二人の間には言わず語らず「了解」が出来ていたのですから、極めて自然にどちらがどちらを誘惑するのでもなく、殆どこれと言う言葉一つ交わさないで、暗黙の裡にそういう結果になったのです。



それから彼女は私の耳に口をつけて、

「譲治さん、きっとあたしを捨てないでね」

と言いました。



「捨てるなんて、ーーーそんなことは決してないから安心おしよ。ナオミちゃんには僕の心がよく分かっているだろうが、・・・・・・」

「ええ、そりゃ分っているけれど、・・・・・・」



「じゃ、いつから分かっていた?」

「さあ、いつからだか、・・・・・・」



「僕がお前を引き取って世話をすると言った時に、ナオミちゃんは僕をどういう風に思った?−−−お前を立派な者にして、行く行くお前と結婚するつもりじゃないかと、そういう風に思わなかった?」

「そりゃ、そういうつもりなのかしらと思ったけれど、・・・・・・」



「じゃナオミちゃんも僕の奥さんになってもいい気で来てくれたんだね」

そして私は彼女の返事を待つまでもなく、力一杯彼女を強く抱きしめながらつづけました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。









「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,37


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,37





と、ただそう言っただけでした。

で、おおっぴらの結婚はニ三年先の事にしても、籍だけは早くこちらへ入れて置きたいと思ったので、

千束町(せんぞくまち)の方にもすぐ掛け合いましたが、これはもともと呑気な母や兄たちですから、訳なく済んでしまいました。



呑気ではあるが、そう腹の黒い人達ではなかったと見えて、欲にからんだようなことは何一つ言いませんでした。

そうなってから、私とナオミとの親密さが急速度に展開したのは言うまでもありません。



まだ世間で知る者も無く、うわべはやはり友達のようにしていましたが、もう私たちは誰に憚(はばか)る所もない法律上の夫婦だったのです。



「ねえ、ナオミちゃん」

と、私は或る時彼女に言いました。



「僕とお前はこれから先も友達みたいに暮らそうじゃないか、いつまで立っても。ーーー」

「じゃいつまで立ってもあたしのことを『ナオミちゃん』と呼んでくれる?」



「そりゃそうさ、それとも『奥さん』と呼んであげようか?」

「いやだわ、あたしーーー」



「そうでなけりゃ『ナオミさん』にしょうか?」

「さんはいやだわ、やっぱりちゃんの方がいいわ、あたしがさんにして頂戴って言うまでは」



「そうすると僕も永久に『譲治さん』だね」

「そりゃそうだわ、外に呼び方はありゃしないもの」





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。








2021年01月27日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,34

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,34





「夜の八時に行水を使わせる。海水浴で日に焼けたのがまだ直らない。丁度海水着を着ていた所だけが白くて、後は真っ黒で、私もそうだがナオミは生地が白いから、余計カッキリと眼について、裸でいても海水着を着ている様だ。

お前の体は縞馬の様だと言ったら、ナオミはおかしがって笑った。・・・・・・」



それから一月ばかり立って、十月十七日の条には、

「日に焼けたり皮が剥(は)げたりしていたのだがだんだん直ったと思ったら、かえって前よりつやつやしい非常に美しい肌になった。



私が腕を洗ってやったら、ナオミは黙って、肌の上を溶けて流れて行くシャボンの泡を見つめていた。

『綺麗だね』と私が言ったら、『ほんとに綺麗ね』と彼女は言って、『シャボンの泡がよ』と付け加えた。・・・・・・」



次に十一月の五日、

「今夜始めて西洋風呂を使って見る。馴れないので、ナオミはつるつる湯の中で滑ってきゃっきゃっと笑った。

『大きなベビーさん』と私が言ったら、私の事を『パパさん』と彼女が言った。・・・・・・」



そうです。この「ベビーさん」と「パパさん」とはそれから後もしばしば出ました。

ナオミが何かをねだったり、だだを捏(こ)ねたりする時は、いつもふざけて私を「パパさん」と呼んだものです。



「ナオミの成長」と、その日記委はそういう標題が付いていました。ですからそれを言うまでもなく、ナオミに関した事柄ばかりを記したもので、やがて私は写真機を買い、いよいよメリー・ピクフォードに似て来る彼女の顔を様々な光線や角度から映し撮っては、記事の間のところどころへ貼り付けたりしました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。




「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,33


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,33





■■五■■



察しのいい読者のうちには、既に前回の話の間に、私とナオミが友達以上の関係を結んだように想像する人があるでしょう。

が、事実そうではなかったのです。それはたしかに月日の立つに従って、お互いの胸の中に一種の「了解」というものが出来ていたことはありましょう。



けれども一方はまだ十五歳の少女であり、私は前にも言う通り女にかけて経験のない謹直な「君子」であったばかりでなく、彼女の貞操に関しては責任を感じていたのですから、滅多に一時の感情に駆られてその「了解」を越えるようなことはしなかったのです。



勿論私の心の中には、ナオミを措(お)いて自分の妻にするような女は居ない、会った所で今さら情として彼女を捨てる訳には行かないという考えが、次第にしっかりと根を張ってきていました。



で、それだけになお、彼女を汚(けが)すような仕方で、或いは弄ぶような態度で、最初にその事に触れたくないと思っていました。

さよう、私とナオミが初めてそういう関係になったのはそのあくる年、ナオミがとって十六歳の年の春、四月の二十六日でした。



と、そうはっきり覚えているのは、実はその時分、いやずっとその以前、あの行水を使いだした頃から、私は毎日ナオミに就いていろいろ興味を感じたことを日記に付けておいたからです。



全くあの頃のナオミは、その体つきが一日一日と女らしく、際立って育って行きましたから、ちょうど赤子を生んだ親が「始めて笑う」とか「始めて口をきく」とか言う風に、その子供の生い立ちの様を描き留めておくのと同じような心持で、私は一々自分の注意を惹(ひ)いた事柄を日記に誌(しる)したのでした。



私は今でもそれを繰(く)って見ることがありますが、大正某年九月二十一日・・・・・・即ちナオミが十五歳の秋、・・・・・・の条(じょう)にはこう書いてあります。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。

2021年01月26日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,32


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,32





「あーあ、お腹が減っちゃった」

と、ぐったり椅子に体を投げ出す。



どうかすると、晩飯を炊くのが面倒なので、帰り道に洋食屋へ寄って、まるで二人が競争の様にたらふく物をたべッくらする。

ビフテキの後に又ビフテキと、ビフテキの好きな彼女は訳なく三皿ぐらいお代わりをするのでした。



あの歳の夏の、楽しかった思い出を書き記したら際限がありませんからこのくらいにして置きますが、

最後に一つ書き洩らしてならないのは、その時分から私が彼女をお湯へ入れて、手だの足だの背中だのをゴムのスポンジで洗ってやる習慣がついたことです。



これはナオミが睡(ねむ)がったりして銭湯へ行くのを大義がったものですから、海の海水を洗い落とすのに台所で水を浴びたり、行水を使ったりしたのが始まりでした。



「さあナオミちゃん、そのまんま寝ちまったら体がべたべたして仕様がないよ。

洗ってやるからこの盥(たらい)の中へお入り」



と、そう言うと、彼女は、言われるままになっておとなしく私に洗わせていました。

それがだんだん癖になって、涼しい秋の季節が来ても行水は止まず、



もうしまいにはアトリエの隅に西洋風呂や、バスマットを据えて、その周りを衝立で囲って、ずっと冬中洗ってやるようになったのです。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。



































「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,31


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,31





で、ナオミのように撫で肩で、頸が長いものは、着物を脱ぐと痩せているのが普通ですが、彼女はそれと反対で、思いのほかに厚みのある、たっぷりとした立派な肩と、以下にも呼吸の強そうな胸を持っていました。



ボタンを嵌めてやる折に、彼女が深く息を吸ったり、腕を動かして背中の肉にもくもくと波を打たせたりすると、それでなくともハチ切れそうな海水服は、丘のように盛り上がった肩の所に一杯に伸びて、ぴんと弾けてしまいそうになるのです。



一と口に言えば、それは実に力の籠(こも)った「若さ」と「美しさ」の感じの溢れた肩でした。

私は内々その辺りにいる多くの少女と比較して見ましたが、彼女の様に健康は肩と優雅な頸とを兼ね備えているものは外にないような気がしました。



「ナオミちゃん、少うしじッとしておいでよ、そう動いちゃボタンが固くって嵌まりゃしない」

と言いながら、私は海水服の端を摘まんで大きな物を袋の中に詰めるように、無理にその肩を押し込んでやるのが常でした。



こういう体格を持っていた彼女が、運動好きで、お転婆だったのは当たり前だと言わなければなりません。

実際ナオミは手足を使ってやることなら何ごとに依らず器用でした。



水泳などは鎌倉の三日を皮切りにして、後は大森の海岸で毎日一生懸命に習って、その夏中にとうとうものにしてしまい、

ボートを漕いだり、ヨットを操ったり、いろんな事が出来るようになりました。



そして一日遊び抜いて、日が暮れるとガッカリ疲れて

「ああ、くたびれた」



と言いながら、ビッショリ濡れた海水着を持って帰って来る。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。











2021年01月25日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,30


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,30





当時のナオミは、並んで立つと背の高さが私よりは一寸くらい低かったでしょう。

断って置きますが、私は頑健岩(いわお)の如き恰幅ではありましたけれども、身の丈は五尺二寸ばかりで、まず小男の部だったのです。



が、彼女の骨組みの著しい特長として、胴が短く、脚の方が長かったので、少し離れて眺めると、実際よりは大変高く思えました。

そしてその短い胴体はSの字の様に非常に深くくびれていて、くびれた最底部のところに、もう十分に女らしい圓(まる)みを帯びた臀(しり)の隆起がありました。



その時分私たちは、あの有名な水泳の達人ケラーマン嬢を主役にした、「水神の娘」とかいう人魚の映画を見た事がありましたので、

「ナオミちゃん、ちょいとケラーマンの真似をして御覧」



と、私が言うと、彼女は砂浜に突っ立って、両手を空にかざしながら、「飛び込み」の形をして見せたものですが、そんな場合に両腿をぴったり合わせると、脚と脚の間には寸分の隙もなく、腰から下が足頸を頂点にした一つの細長い三角形を描くのでした。



彼女もそれには得意の様子で、

「どう?譲治さん、あたしの足はまがっていない?」



と言いながら、歩いて見たり、立ち止まって見たり、砂の上へぐっと伸ばして見たりして、自分でもその恰好を嬉しそうに眺めました。



それからもう一つナオミの身体の特長は、頸から肩にかけての線でした。

肩、・・・・・・私はしばしば彼女の肩へ触れる機会があったのです。



というのは、ナオミはいつも海水服を着る時に、

「譲治さん、ちょいとこれを嵌(は)めて頂戴」



と、私の傍にやって来て、肩についているボタンを嵌めさせるのでしたから。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。









「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,29


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,29





いや、そればかりではありません。実を言うとその三日間は更にもう一つ大切な発見を、私に与えてくれたのでした。



私は今までナオミと一緒に住んでいながら、彼女がどんな体つきをしているか、露骨に言えばその素っ裸な肉体の姿を知り得る機会が無かったのに、それが今度は本当によくわかったのです。



彼女が初めて由比ガ浜の海水浴場へ出かけて行って、前の晩にわざわざ銀座で買ってきた濃い緑色の海水帽と海水服とを肌身に付けて現れた時、正直なところ、私はどんなに彼女の四肢の整(ととの)っていることを喜んだでしょう。



そうです、私は全く喜んだのです。

なぜかと言うに、私は先(せん)から着物の着こなし具合か何かで、きっとナオミの身体の曲線はこうであろうと思っていたのが、想像通り中ったからです。



「ナオミよ、ナオミよ、私のメリー・ピクフォードよ、お前は何という釣り合いの取れた、いい体つきをしているのだ。

お前のそのしなやかな腕はどうだ。その真っすぐな、まるで男の子の様にすっきりした脚はどうだ」



と、私は思わず心の中で叫びました。そして映画でおなじみのあの、活発なマックセンネットのページング・ガールたちを思い出さずにはいられませんでした。



誰しも自分の女房の体のことなどを餘り委(くわ)しく書き立てるのは厭でしょうが、私にしたって後年私の妻になった彼女に就いて、そう言うことを麗々しくしゃべったり、多くの人に知らしたりするのは決して愉快ではありません。



けれどもそれを言わないとどうも話の都合が悪いし、そのくらいのことを遠慮しては、結局この記録を書き留める意義がなくなってしまう訳ですから、ナオミが十五の年の八月、鎌倉の海辺に立った時に、どういう風な体格だったか、一通りはここに記しておかねばなりません。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。






三国志演義朗読第53回ラスト


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三国志演義朗読第53回ラスト



https://youtu.be/JROHEnTIt3o


2021年01月24日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,28


「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,28





O dolce Napoli,

O soul beato,




と、イタリア語で歌う彼女のソプラノが、夕凪の海に響き渡るのを聞き惚れながら、

私は静かに魯(ろ)を漕いで行く。



「もっとあっちへ、もっとあっちへ」

と、彼女は無限に波の上を走りたがる。



いつの間にやら日は暮れてしまって、星がチラチラと私等の舟を空から瞰(み)おろし、あたりがぼんやり暗くなって、彼女の姿はただほの白いタオルに包まれ、その輪郭がぼやけてしまう。



が、晴れやかな唄声はなかなか止まずに、「サンタ・ルチア」は幾度となく繰り返され、それから「ローレライ」になり、「流浪の民」になり、ミニヨンの一節になりして、緩やかな舟の歩みとともにいろいろ唄を続けて行きます。



こういう経験は、若い時代には誰でも一度あることでしょうが、私に取っては実にその時が初めてでした。

私は電気の技師であって、文学だとか芸術だとかいうものには縁の薄い方でしたから、小説などを手にすることはめったになかったのですけれども、その時思い出したのは、嘗(かつ)て読んだことのある夏目漱石の「草枕」です。



そうです、たしかあの中に、

「ヴェニスは沈みつつ、ヴェニスは沈みつつ」という所があったと思いますが、ナオミと二人で舟に揺られつつ、沖の方から夕闇の帳を透かして陸の灯影を眺めると、不思議にあの文句が胸に浮かんできて、何だかこう、このまま彼女と果てしも知らぬ遠い世界へ押し流されて行きたいような、涙ぐましい、うッとりと酔った心地になるのでした。



私のような武骨な男が、そんな気分を味わうことが出来ただけでも、あの鎌倉の三日間は決して無駄ではなかったのです。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊




次回に続く。



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「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,27

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,27





並み居る婦人たちの中にはあっさりとした浴衣がけの人もいましたけれど、指に宝石を光らしているとか、持ち物に贅(ぜい)を凝らしているとか、何かしら彼等の富貴を物語るものが示されているのに、ナオミの手にはその滑らかな皮膚の外に、何一つとして誇るに足るものは輝いていなかったのです。



私は今でもナオミが極まり悪そうに自分のパラソルを袂の蔭へ隠したことを覚えています。

それもそのはずで、そのパラソルは新調のものではありましたが、誰の目にも七八圓の安物としか思われないような品でしたから。



で、私たちは三橋にしようか、思い切って海浜ホテルへ泊まろうかなどと、そんな空想を描いていたに拘わらず、その家の前まで行ってみると、まず門構えの厳しいのに圧迫されて、長谷の通りを三度も行ったり来たりした末に、とうとう土地では二流か三流の

金波楼へ行くことになったのです。



宿には若い学生たちががやがや泊まっていて、とても落ち着いては居られないので、私たちは毎日浜でばかり暮らしました。

お転婆のナオミは生みさえ見れば機嫌がよく、もう汽車の中でしょげた事は忘れてしまって、



「あたしどうしてもこの夏中に泳ぎを覚えてしまわなくっちゃ」

と、私の腕にしがみついて、盛んにぼちゃぼちゃ浅い所で暴れまわる。



私は彼女の胴体を両手で抱えて、腹這いにして浮かせてやったり、シッカリ棒杭を掴ませて置いて、その脚を持って足掻き方を教えてやったり、わざと突然手をつッ放して苦い潮水を飲ましてやったり、それに飽きると波乗りの稽古をしたり、浜辺にごろごろ寝ころびながら砂いたずらをしてみたり、夕方からは舟を借りて沖の方まで漕いで行ったり、そして、そんな折には、彼女はいつも海水着の上に大きなタオルを纏ったまま、或る時は艫(とも)に腰かけ、或る時は舷(ふなばた)を枕に青空を仰いで誰に憚ることも無く、その得意のナポリ舟唄、「サンタ・ルチア」を甲高い声で歌いました。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。

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2021年01月23日

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,26

「痴人の愛」本文 角川文庫刊vol,26





その「洋服」という餌に釣られて、彼女はやっと納得が行ったのでした。

鎌倉では長谷の金波楼という、あまり立派でない海水旅館に泊まりました。



それについて今から思うとおかしな話があるのです。

というのは、私のふところにはこの半期に貰ったボーナスが大部分残っていましたから、本来ならば何もニ三日滞在するのに倹約する必要は無かったのです。



それに私は、彼女と初めて泊りがけの旅に出るということがゆかいでなりませんでしたから、成るべくならばその印象を美しくするために、余りけちけちした真似はしないで、宿屋なども一流の所へ行きたいと、最初はそんな考えでいました。



ところがいよいよという日になって、横須賀息の二等室に乗り込んだときから、私たちは一種の気後れに襲われたのです。

なぜかと言って、その汽車の中には厨子や鎌倉へ出かける夫人や令嬢が沢山乗り合わしていて、ズラリときらびやかな列を作っていましたので、さてその中に割り込んでみると、私はとにかく、ナオミの身なりがいかにもみすぼらしく思えたものでした。



勿論夏の事ですから、その婦人たちや令嬢たちもそうゴテゴテと着飾っていたわけではありません、が、こうして彼等とナオミを比べて見ると、社会の上層に生まれた者とそうでない者との間には、争われない品格の相違があるような気がしたのです。



ナオミもカフェエへいたころとは別人のようになりはしたものの、氏や育ちの悪い者はやはりどうしても駄目なものじゃないかと、私もそう思い、彼女自身もいっそうそれを感じたに違いありません。



そしていつもは彼女をハイカラにみせたところの、あのモスリンの葡萄の模様の単衣物が、まあその時はどんなに情けなく見えた事でしょう。





引用書籍

谷崎潤一郎「痴人の愛」

角川文庫刊



次回に続く。


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